« 2014年秋ドラマ、なにを見ましょうか(って、見るのかよ?) | トップページ | 「ごめんね青春!」 第1回 クドカンとNHK、民放との相性 »

2014年10月13日 (月)

「マッサン」 第2週 エリーの覚悟

 朝ドラ史上初の外人ヒロイン、シャーロット・ケイト・フォックスさんの一生懸命さにまず心を惹かれた 「マッサン」 第1週でしたが、第2週に入り、舞台が広島から大阪に移って登場人物たちが増えたにもかかわらず、内容が散漫になる、ということがない。
 それはとりもなおさず、このドラマがきちんと人間の心の奥まで描写しよう、という気概に満ちているからだ、という気がします。

 その手法はセリフだけで表現されることなく、登場人物の一瞬の表情で読み取れる性格のものが多いように思われる。 朝の片手間に見る性格の朝ドラ、じゃないんですね。

 特にシャーロットの表情の情報量はものすごいものがあるように感じる。 シャーロットが出てくると、まず目が離せませんね。 彼女はアメリカじゃ無名の存在かもしれないけれど、完全に日本のそこらへんの俳優の演技を凌駕してますよ。 NHKもすごい人を掘り起こしたもんだ。 逆に言うと、アメリカのエンタテイメント界における人材の、層の厚さをまざまざと思い知らされる。

 主役の亀山政春ことマッサン、玉山鉄二サンもシャーロットの演技に引きずられるかのように、これまで私がドラマで見てきた玉山サンのスケールを、大きく逸脱しつつある。 こんなに引き出しの多い人だったんだ、という意外性に驚いています。

 ただし、細部の表現が緻密なわりには、大まかなプロットに結構隙があるようにも、いっぽうでは思われます。
 前回のコメント欄でもコメンテイターのかたからご指摘があったように、まず亀山家の長男の存在が、きれいに抹消されていること。 長男が後継ぎをしなかったということについて、少し触れられただけ、というのは、逆に考えると亀山家全員がそのことに触れたくないのか、もしくはすでに亡くなっているのか。
 そして第2週においては、マッサンが修行に出されていた大阪の住吉酒造において、マッサンを入り婿養子にするという話が着々と進められていた、ということ。 これってどういうことなのかな。 住吉酒造側が、亀山家が次男の政春を修業に出したいきさつというものを把握していなかった可能性は薄い、と考えられるのですが。

 だいたいマッサンはイギリスから帰ってきて、まず実家の亀山酒造に顔を出している。 これはマッサンが嫁のエリーを実家に紹介し認めてもらうことが第一義だ、と考えられるのですが、ここで実家の造り酒屋を継ぐことがもはや前提になっている、という話になっている、というのも、住吉酒造側の思惑と真っ向から対立していますよね。
 いったい亀山酒造も住吉酒造も、政春にどうしてほしいのか、きちんと伝えていたのか。
 マッサンはマッサンで、実家の思惑を知りながら、「オレは日本で本格的なウィスキーの第1号を作る人物になる」、と人生の目的をはっきりと決めることのなんたるかに、思いを巡らせていたのか。

 しかしこのドラマの作り手は、その事情の曖昧さを逆手にとって、「はっきりと口に出さなければ自らの意思は伝わらないのだ」、という議論を進めようとしているように思える。 そして意識的にか無意識にか、「はっきりと口に出して言わない人間の弱さ、ずるさ」 を結果的に表現することに成功している。

 そのいちばんの象徴として描かれるのは、住吉酒造の社長である田中大作(西川きよしサン)です。 かれは政春をスコットランドに派遣するのに当たって、自分の娘の優子(相武紗季サン)も含めて 「すべて任せた」、と非常に曖昧な物言いで送り出す。 いかようにでもとれるその場の勢い的な言葉で言質を取ってしまう、というこの田中社長のやりかたが、すべての騒動の発端となっていることは疑いがありませんが、実はこれって、我が国のビジネス界ではすごくよくあることでしてね。

 だから仕事の契約のときには、とても細かいところまで取り決めをしておかないと、あとで大変なことになる。 「いや、それって、そっち持ちでしょう」 みたいな。 口頭による曖昧な契約をしたばかりに、泣きを見るのはたいてい下請けのほうであります。
 下請けの側としては、あまりに細かいことを言い出すと却って仕事を頂けなくなってしまうから、結局は元請けの言いなり。 だから最低限押さえておかねばならない事項は、事前にきちんと決めておく必要があるのです。

 なんの話をしとるのだ。

 この田中社長のファジーな態度は実に、日本企業の悪弊を引きずったものであると同時に、それは田中社長自身の心の弱さのあらわれ、というのがこのドラマの手法です。
 彼は社長としての尊大さ、強引さを持ちながらも、同時に女房(夏樹陽子サン)をはじめとしていろんなものを恐れている。 そしてそのせめぎ合いの中で生きている。 西川きよしサンはさすがに芸達者で、その人間臭さを見事に演じている気がします。
 それをいちばん感じたのが、婚約を解消されてエリーに意地悪をする娘の優子に、はっきりと物言いをした場面。 これはのちほど(なんか、長くなりそうだな…)。

 また、週ごとのサブタイトルとの関連も、今のところ興味深い気がする。
 第1週のサブタイトルが 「鬼の目にも涙」。 第2週が 「災い転じて福となす」。
 まるでいろはがるたみたいですが、これがドラマの内容と、必ずしも合致していない。

 私はサブタイトルを見ながら、第1週ではピン子サンが泣いてふたりの結婚が許されるものだと考えていたし、第2週でも週の終わりにはトラブル続きの末に福が来る、と思っていた。
 しかしどちらも、そうじゃありませんでした。 すべては今後の転回の、鍵となるエピソードになっている要因のほうが強い。 でもこれって、いわゆる 「タイトル詐欺」 というのとは違う気がします。

 現実を振り返ってみれば、確かに 「災い転じて福となす」、というような 「瓢箪から駒」 みたいな調子のいいことなんか、あまり起こることはない。
 でも人々は、厳しい現実の中から少しでもいいこと、予兆などを見つけ出しては、未来に生きていく自らの原動力にエネルギー転換するんですよ。
 このドラマのサブタイトルは、そんな 「よりよい未来への祈り」 みたいなものが隠されているような気がします。 まあまだ2週かそこらでは断言できませんが。

 第2週において描かれていたのは、エリーの覚悟だったと感じます。
 この覚悟、という問題は、見据えれば見据えるほど、ドラマとしての土台が固まる重要な部分だと私は思います。
 覚悟がある人間が、どう生きられるのか。
 覚悟がない人間が、どう生きられないのか。
 覚悟というのは、周囲との戦いでもあると同時に、自分自身との戦いでもあるからです。

 第7回。 大阪に向かう汽車のなかで、エリーはマッサンの母親から託されたお箸を持ちながら、つぶやきます。
 結局許されなかったマッサンとエリーの結婚。 でも母親は、妹にエリーの使う箸を託したのです。

 「たぶんね…。 (このお箸は)ホームワーク」

 「宿題?」 とマッサン。

 「うん。 お母さん、私に、ちゃんと箸、使えるようになりなさい(という宿題を出したの)」

 「ああ…」

 「政春さん」 エリーは穏やかに笑いながら、マッサンの目を真剣に見つめます。

 「ん?」

 「私、どうしても、日本人になります。 政春さんと、ずっと、日本で一緒にいたい。 政春さんの夢が叶うまで、ずっと応援したい。 だから…(ここでいったん目をそらし、車窓の景色を見ながらちょっと大袈裟に笑い、マッサンに向き直って微笑みを残しながら真面目な顔になり)たくさん、たくさん、頑張ります。 だから政春さんも、絶対、おいしいウイスキー造って」

 ここでエリーが 「政春さん」 と何回も呼ぶのは、「マサハル」 と英国式に呼び捨てにしていたのを母親に咎められたのが原因でしたが、ここでのシーンでエリーは、とても 「政春さん」 と言いにくそうに話している。
 それから上記の抜粋部分でもト書きを詳しく入れましたが、エリーの表情をいちいちト書きにしないと、「感じ」 が伝わってこないんですよ。
 エリーがマッサンに 「たくさんたくさん、頑張ります」 と言う直前に、エリーはとても照れたように、横を向いて笑った。
 これは、これから待ち受けるであろうさまざまな困難に対して、エリーが思いをいたし、立ち向かうための、一種のインターバルだと思うんですよ。 「すごく大変かもしれない。 あまりにすごくて笑っちゃうくらい。 でも私は、笑いながら、前向きにそれに立ち向かっていきます」 という、決意表明。

 まあ私の勝手な考察ですけども、冒頭に書いた 「シャーロットの表情には、一瞬で膨大な情報量が隠れている」、ということの、ほんの一例を示しました。

 これを前作の 「花子とアン」 における、茂木先生の演技と比較いたしますと…(笑)。
 いや、いいでしょう(笑)。

 エリーの、「どうしても、日本人になります」 というのは、かなり重要なセリフだ。 それがどういう意味を持っているのかは、ドラマが進むにつれて、赤裸々に描写されていくのです。

 「政春さん。 …アイラブユー」

 エリーの一直線の言葉をまるでそらしたように、周囲の目を気にしてから、マッサンはエリーの耳元まで来て 「アイラブユー」 と返します。 大正時代に 「アイラブユー」 が認識されまくりの言葉だったかどうかは分からないのですが、これは日本男児の、照れなのである(笑)。

 エリーはその 「照れ」 を理解したかのように 「Ohoho!」 と笑って、「もっと大きな声で」 とリクエストします。 「いや、じゃって…」 と躊躇するマッサンの膝をちょっと強めに叩くエリー。

 「痛い!」

 「痛くないマッサン」

 「マッサン?」

 他愛のない会話が一瞬止まり、口元に手を当てて自分の言った言葉に驚いたようなエリー。 「なんじゃ 『マッサン』 って」 と訊き返す政春に、エリーは今気付いたばかりの自分の感情を渋々ながらも、という感じで打ち明けるのです。 「…『マサハルサン』、言いにくい」。 言いながら、それがとても可笑しいような表情に変わっていくエリー。

 「だから、マッサンでもいい?」 いたずらっぽく上目遣いで尋ねるエリー。

 こうしてマッサンは、マッサンと呼ばれるようになったのですが、





 …こんなこといちいちしてられへんでまったく!(笑)

 だからエリーの表情の情報量が、膨大だと言ったのです(笑)。

 とにかくここから大幅に飛ばしますが(レビューが終わらん…)、「二年ぶりの職場・住吉酒造を訪れると、社長・田中大作(西川きよし)をはじめ社員たちは大歓迎。 そこで運命の男・鴨居欣次郎(堤真一)との出会いも果たす。 しかし、エリーとの結婚を告げると状況は一変。 なんと大作は政春を娘・優子(相武紗季)の婿にと考えていたのだ。 寝耳に水の政春に困惑するエリー。 政春が帰国した暁には婿に迎えるつもりで留学させたと告げる大作であったが、政春は全く気が付いていなかったのだ。  誤解を解こうとするも、二年間必死に花嫁修業に打ち込んできた優子には理解されず、結婚を白紙にする代わりに会社を辞めるよう宣告されてしまう。 優子の怒りの中にマッサンへの密かな恋心をみたエリーは、何とか結婚を認めてもらおうと奮闘するが、逆に優子のいじめがはじまって…」。

 以上、NHKのHPからの抜粋でした(笑)。

 ここで優子がエリーに 「いけず」 をする原因なのですが、この優子の心理描写、および時代的な考証も、とても整理されて分かりやすかった。
 要するに親が決めた結婚だから、マッサンに対して愛情があるかどうかなんて関係ない。 でもそこにHPでの説明通り、密かな愛情が芽生えていたのだとすれば、それはやはり慣習の中での愛情であり、二年間の花嫁修業は、精神的な覚悟を決める準備期間でもあった。 その過程での愛情の形、なんだと思うんですよ。
 優子にとってマッサンをめぐる恋敵が、同じ日本人だったら彼女自身のなかで日本人のアイデンティティを問いかける場にはなりえない。 でも相手は、ガイコクジンなんですよ。 すぐハグしちゃったり、愛情表現が日本人のそれとは全く違う次元の。
 彼女の中で渦巻いている嫉妬心というものの正体に、この 「アイデンティティ」 の問題が含まれているのはとても面白い。
 だから彼女のいけずには島国の閉鎖性とか、外人蔑視の方向性が、ごくわずかではあるが、含まれている。
 それが、「この年頃の娘の大事な大事な二年間を返して!」 という怒りの一助にもなっている気がするのです。
 「イケズするその気持ちも分かる」 という描きかた。

 優子のいけずは、とうとうエリーの作ったスコットランド料理に向けられてしまいます。
 壺に入った塩を丸ごと、スープの中に投げ入れてしまう優子。
 これをごちそうになった田中社長も奥方もマッサンも、みんな西川きよしの目になってしまいます(スイマセン、私ウソつきました)。 優子を睨みつけるエリーですが、以前にされたいけずのときもそうだったように、けっして優子に対して抗議も文句も言わない。
 奥方だけはまんまと乗せられたようでしたが、マッサンもきよし社長もその原因がなんであるかは、察しがついたようです。

 スコッチブロスはエリーの故郷の味である、と同時に、お母さんの味でもある。
 エリーにとっては、その母親を傷つけられたと同義でもある、その塩辛いスープを、ひとり泣きながら鍋に戻しています。 もうそこだけで泣ける。 そこに政春がやってくる。

 「優子さんじゃろ?」

 エリーは気丈に答えます。 「ダイジョウブ…」。 「なんでじゃ!」 エリーに近づき詰問するマッサン。 どうして何も言わんのじゃ、という意味あいでしょう。

 「優子さん…やっぱり、マッサンのこと好き。 好きだから、私に、いじわるする」

 「いや、違うって! 優子さんとの婚約は、社長が勝手に決めたことじゃけん」

 エリーは、マッサンの腕をつかみます。 「だけど私…優子さんより、もっと、マッサンのことが好き。 だから、優子さんに負けない」

 マッサンを見つめるエリーの表情は、笑いながら、毅然としながら、そして一瞬悲しみを見せながら、です。 ホントに目が離せないな。 抱き合うふたり。 そこに聞こえてきたのが、田中社長が優子を叱責する声です。

 「優子! こらどういうこっちゃ?
 なんでエリーちゃんにいけずすんねん!」

 「どういう意味?」 とぼけようとする優子。 「アホ! あんな塩辛い料理、誰が作るんや! 日本もスコットランドも、辛いもんは辛いんじゃ!」 奥方がその声に、その場に入ってきます。

 「なんでうちが責められなあかんの?」 優子が言い返します。 「優子の言うとおりや。 あんさん、どっちの味方なん?」 援護射撃をする奥方を田中社長はピシャリ。 「お前は黙っとれ!」

 ここですね、さっき 「のちほど」 といった場面は(笑…ああ長いレビューだ…)。

 「エリーちゃんの立場になって考えてみ! 遠い遠い異国から、親兄弟から離れて、たったひとりで日本に来たんやで!」

 優子の部屋まで来ていたマッサンとエリー。 エリーは田中社長のそのやさしい言葉に、うつむいてしまいます。 優子が反駁します。

 「親を捨てた人の気持ちなんて分からへん!

 お父さん、いつも言うてるやん。

 『一番大事なのは、家族や。 親を大事にするのは、子供の役目や』 って。

 あの人(エリー)、親捨てて、駆け落ちして、日本に来たんやろ?

 親の思い踏みにじって、自分勝手に生きてるだけやん!

 なんでそんな人のこと認めるん?

 それなら私も、もっと好きにさせてよ!」

 第1週からこのドラマを見続けてきた視聴者は、その優子の言い分が、半分は全くの的外れで、半分は当たっていることを知っています。
 要するに、エリーは、親に認められないまま、日本へとやってきた。 でもエリーが明け方に、生まれ住んだ家を去っていく場面(蛇足ではございますが、ビートルズファンの私といたしましては、ここで 「シーズ・リーヴィング・ホーム」 を想起せざるを得ません)では、エリーは断腸の思いで、親を振り切ってきたのです。 マッサンの夢を叶える手助けをするために。 マッサンとの愛に生きるために(この言い回し、クサイかな)。

 エリーは声を荒げる優子のところにやってきます。 「優子さん…ごめんなさい。 本当に、ごめんなさい」。
 それはどちらかというと、優子に対する謝罪の言葉ではなく、自分が親を捨てた、ということに対する、贖罪の意味合いが強い、「ごめんなさい」 なのではないか、と考えられる。
 でも優子はそれを、キリスト教的な意味合いが含まれた贖罪とは捉えない。

 「ええ子ぶるんも、ええ加減にして! ヘタクソな日本語でなにゆうても、ウソ臭い! お芝居してるようにしか見えへん!
 うちはだまされへん。 いつか、化けの皮が剥がれるわ!
 あんたはしょせん、親を裏切ってもなんともない、親不孝もんや!」

 エリーは悲しく、一粒の涙を流しながら、小さくかぶりを振ります。
 優子の言葉は、怒りにまかせて 「言い過ぎ」 のレベルを超えたのですが、この優子の怒りは、エリー自身の中にある、エリーの罪悪感そのものだ、と私は思うのです。
 自分は断腸の思いで、親と別れて来たけれども、その自分の苦しみによって、自分を赦していないか。
 そんなことまで、こちらに想像させる余地が、このドラマには広がっている。

 ここでエリーが、母親と別れた場面がインサートされます。

 エリーは、いたたまれなくなって、泣きながらその場から立ち去ります。 追いかけるマッサン。

 「エリー! エリー!(追いついて)エリー! ごめん、エリー!

 わしがまちごうとったんじゃ。 わしが悪かった。
 エリーがどがな思いで日本に来たか、わしゃよう分かっとる。

 よう頑張った。

 広島でも、ここでも。

 もう…もうじゅうぶんじゃ」

 
 ここでのマッサンの 「ごめん、わしが悪かった」 という謝罪も、贖罪の意味ではない。 「両方の親に背くとか、いろいろ悪いことはしたかもしれないけれど、頑張れば分かってもらえる、と思っていたのが甘かった」 という感覚なのではないか。 マッサンは、けっして自らの罪に対して向き合っている、とは言えない気がするのです。 だから犯してしまった罪より、ふたりにとっていちばんいい方法を考えようとする。 マッサンは続けます。 

 「(エリーの両肩をつかみ)もしエリーが 『帰りたい』 言うんじゃったら、わしも一緒にスコットランドに帰るけん。 のう。 ウイスキーなら、スコットランドでも造れる。 エリーのママも、きっと喜んでくれる」

 しかしエリーは、これを毅然と突っぱねるのです。 「アホ!」 マッサンを突き飛ばすエリー。

 この 「アホ」 は第2週の初めに仕込まれていたネタですが、「スチューピッド」 という意味を理解したからこそ、エリーがここで使うことが出来る武器になった。

 「なにするんじゃ!」

 マッサンを何度も突き飛ばすエリー。

 「どうして、そんなこと言うの?

 私のため?

 その気持ち、全然うれしくない!

 私、そんないい加減な気持ちで、日本に来てない。

 私、大丈夫。

 スコッチブロス、食べてもらえない、大丈夫。

 優子さん、意地悪、大丈夫」

 言いながらも、自分の言葉とは裏腹に、涙がこみ上げてしまうエリー。 そんな自分に呆れたように頭を掻いて、告白します。 それは悲しみと懐かしさ、母親の胸にすがりたい、という気持ちと、そんな自分の弱さを自虐するような表情を一瞬で表現しながら、です。

 「本当は…ママに会いたい。

 今すぐ会いたい」

 だからここで、私も告白しますが、泣きました。 しかしエリーはそんな感傷を振り捨てたかのように、決意を込めたように、次の言葉を言うのです。

 「だけど…。

 帰れない。

 どうして?(まるで自分に問いかけるように)

 どうして? マッサン」

 返事が出来ないマッサン。

 「マッサンの夢叶えるためでしょ!

 マッサン…日本で、初めてのウイスキーを造る。 そのために、ふたりで日本に来た。

 私、そのために、国、家族、全部捨てた!

 今更帰れるわけないじゃない!」

 エリーの覚悟の、その大きさ。

 それに気圧されたかのようなマッサンでしたが、やがてマッサンにもその覚悟が伝染していったかのように、次の言葉を口にするのです。

 「ごめん」。

 この謝罪は、やはり日本的ではあるのですが、明らかにさっきの謝罪とは、意味合いが違います。 これは決意なのです。

 背後からエリーに抱きつくマッサン。 「ごめんのう。 ありがとう。 ありがとう、エリー」。

 マッサンにとっては、エリーの存在なくば、自らの出世の本懐も遂げられなかった。 このシーンは、その象徴的なエピソードとなった気がするのです。

 しかしナレーションの通り、「日本初のウイスキー」。 その完成には、かなりの険しい道が待っている。

 まずこの第2週でも描写されたように、住吉酒造のなかでもウィスキー部門というのは、けっして安穏な部署ではないこと。 既に田中社長が政春をスコットランドに修業に出した、という時点で莫大な費用がかさんでいるはずですが、ウイスキーを造るとなると大きなボイラーが必要だし、まず原材料の大麦の心配からしなければならない。
 その大変さを、サントリーウイスキーの社長がモデルという堤真一サンを媒介として説明する、ドラマ的に高度な仕込みが第2週では行なわれていた気がします。
 もちろんそこに、堤社長ときよし社長の経営手法のコントラストとか、そのインパクトのある人物とかがきちんと盛り込まれている。

 かように、マッサンとエリーの二人三脚、という内的な要因と、ウイスキー造りをめぐる外的な要因がうまくブレンドされている。
 そんな印象を強く持った、「マッサン」 第2週だったのですが、レビューするほうはたまったもんじゃございません(笑)。 こんなに詳細な分析を、毎週するんかいな。 最初からお断りしておきますが、私もう年だし忙しいんで(笑)。 「カーネーション」 みたいなことは、もうよう出来んです(タハハ…)。

« 2014年秋ドラマ、なにを見ましょうか(って、見るのかよ?) | トップページ | 「ごめんね青春!」 第1回 クドカンとNHK、民放との相性 »

テレビ」カテゴリの記事

コメント

回想カット多々で所々、中弛みする事もありますし
さすがに「カーネーション」までは…。
さり気ない場面や役者の演技で情報を見せたかと
思うとナレが説明過多な所があったり、この点は
「ながら観視聴者への配慮」ととるか
「ドラマ性を高める上での雑木物」ととるか。

後、住吉酒造もキヨシが婿養子なんですね(笑。
ワンパターンという人がいると思うのですが
むしろ広島編が大阪編のテンプレだった気がします。
第1週はピン子一人の存在感が強烈でしたが
各キャラのバランスは第2週が格段にイイ。

感心したのは週前半で社長令嬢としてのみ描かれていた優子が後半突入直後、女中達に交じって、まかないの総指揮を執っていた事。母親から「男はんがしっかり仕事できるよう、家を守るのが女の役目」的薫陶を受けていた事が示されていました。
マッサンの人柄を見ているエリーに比べれば彼女は恋に恋した部類でしょうが当時を考えれば普通。「家」というカテゴリーに縛られているが同時に彼女のアイデンティティもそこにあるという早苗的要素、恋や結婚にロマンスを見ていたい年頃なすみれ的要素、第一週の敵と味方が優子一人に集約されています。

で、優子を軸に社長一家のパワーバランスまで見えてくる。

彼女が「ウイスキー造りを諦めろ」と言うと
母親が「留学費用も返してもらわんとなぁ」と。
本気か否かはともかく、社命による社員の海外研修で
費用に見合うだけのノウハウを得てきたにも関わらず
「亭主の紐をしめるのは奥さん」的理屈を
「公」に適用させて花婿修行レベルに貶めた。
そして前半でヘイコラしていたキヨシが
後半はマッサン&エリー寄りになっていく。

「妻がオーナーで自分は雇われ社長」的な
意識が彼にはあったと思うのです(涙。
マッサンを「脇が甘い」と評しながら自分も同じ
だったり夢や気持ちを共有してくれる息子が
欲しかったのじゃないのですかねー。
ワイン販売で経営は潤っているのに
銀行に融資を募る話がさり気なく出ていたのも
ウイスキーという新事業への本気度が見える。
そして「カーネ」でも述べられていましたが
融資というのは社会的信用が第一で
筋の合わない事をしていたら信用など得られん。
名目とはいえ家長の意地を見せ妻を一括!…も
「筋が通ってないのはお父さんやないか!」と
瞬時に反撃が返ってきた(笑。
元々、最初に公私混同してたのはキヨシだしね…。

当時の日本社会における「公」に生きる男と「私」に生きる女の
互いの領域を軽く考える故の対立が見えてきました。
エリーは現在、「大佐は男性でいらっしゃいますから」な
ララァ状態ですが今週には夫婦喧嘩勃発?

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

前回の返信のあと、頑張ってこのレビューを仕上げようと思ったのですが、エリーの 「タクサンガンバル」 には及ばず、第3週が始まってしまいました。

優子がきちんとした躾を受けていることは、記事中でも抜粋した、きよし社長の 「親を大事にせなアカン」 という言葉にも表れてますよね。

そんな優子が 「うちの恨みを晴らすに足りるのは、ウイスキーづくりなんか諦めて、この会社から出ていくこと」 というのは、もしかすると躾が厳しかった親に対する復讐だったのかもしれない、そんな可能性もあるような気がします。 でなければ、ただのワガママ娘ですよ。 どんだけ留学に金かけた思てんねん、みたいな。

つまりそれだけ、優子にとって政春のいない二年間、というのが、重たかったのではないでしょうか。
勘違いとはいえ、「子供は野球チームが作れるくらい」、というマッサンの気持ちをいつまでも胸に抱いている。 当時野球ってそんなにメジャーだったのかな、というツッコミどころはあるかもしれませんが(笑)。

それが、「お父さんがはっきりと政春さんに伝えなかったためにこのような事態を招いた」、と考えたとき、怒りの矛先は主にエリーに向かうのでしょうが、父親にも向かってしまうことにならないでしょうか。

優子の目から見ても、田中社長が国産ウイスキー開発事業に並々ならぬ情熱を注いでいることが分かるはずですから、その事業を頓挫させることで父親に対する復讐も遂げられる、と。

そもそも、住吉酒造におけるウイスキー開発計画というものが、ドラマを見ているととても浮いているように見える。 社長の独断で話が進んでいるだけ、というように見える。
だからマッサンがウイスキー開発課、みたいなものを社内で作っても、ちゃんとした研究室があてがわれるわけでもない、社員たちも協力するつもりもないらしい。
ウイスキー造りの工程を考えたとき、とてもじゃないがマッサンひとりの手に負える話じゃないのに、ですよ。

おまけにマッサンにとっては、「自分の目指す本格的ウイスキーと、日本人の口に合うウイスキー」 とのあいだに、早くも大きな隔たりが生じてしまっている。
砂糖なんか入れて葡萄酒を甘くしている感覚そのものが、マッサンには理解できないのに、ウイスキーだってこれを劇的にうまい、と感じたのは、少なくともドラマのなかでは、マッサンだけ。

私だってウイスキーをストレートで飲んだら、未だに違和感ありますもん。 ハイボールにするから飲めるのであって。

つまりしょっぱなから、採算性に真っ向から向き合わねばならないんですよ。 会社にとっちゃ、売れないものを作る道理なんかない。

この険しい山を、どうやって登っていくのか。 興味が尽きないですね。

リウさま
おはようございます。

久々の大長編レビュー、ありがとうございます。大変お疲れ様でした。

シャーロットさんの演技についての考察、大変興味深く拝読させていただきました。
彼女の場合、それに加えて今回は「不自由な日本語」というものも自分の武器にしているように思えます(まあ、そういう役柄だからというのもありますけど)。

特に、他の人物からのセリフを受ける際の反応が、「言葉を理解している時」「正確には分からないけど、何となく想像がつくとき」「全く分からないとき」などを、微妙に演じ分け、そのニュアンスを、ちゃんと日本語のセリフに乗せているのが凄いな、と。
プロフィールを見ると、二つの大学で演劇やダンスの学位をとり、ロバート・デ・ニーロなども在籍していた演劇学校で芝居の基礎をみっちり学んだとのこと。

日本だと、どうしても「精神論」的なもの流れてしまいがちな「演技」というものを、このように理論的、体系的に学ぶことができるシステムが充実している。これが、欧米のショービズ界と我が国との大きな違いなのではないかと思います。

ところで、ドラマの方ですが、1~2週目があくまで二人の前に立ちはだかる外的な障壁を描いていたのに対し、今週は、マッサンとエリー自身の問題が前面に出る流れになりそうですね。
男女や夫婦の問題に関し、洋行帰りのマッサンは、確かに当時の日本人男性としては極めて進歩的な考えを持ってますが、その一方で、長い年月を綿々と流れ、上の世代から受け継いできた文化、価値観というものはそうそう簡単に変わるものではない(その点はエリーも同じ)。
その二つの異なるものが、本格的にせめぎ合い、ぶつかり合うのかなぁなどと勝手に思っています。
でも、そういう展開になると、エリーの今週のHomework?「ご飯を炊く」ということは、大きな意味を持ってくるよなあなど期待しつつ、観ております。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。 今起きました(笑)。

連休中に用事があったので、書き上げるのに相当手間がかかりました。 こんなにドラマのなかのシーン、セリフを詳細に書き起こしたのも、「カーネ」 以来でしょうね(「泣くな、はらちゃん」 があったかな)。

いずれにしてもテレビを見ている暇もブログを書く暇もなくて(睡眠時間削りゃいいのだが…笑)先週あたりから始まっている新番組も大河ドラマも、全然見てなくて 「マッサン」 だけ見ている状態。 そのレビューで力を使い果たし…(笑)。

シャーロットさん、そういう経歴があるんですね。 そりゃポッと出のお嬢さんじゃないわけだ。 日本人もドラマに出る以上、そこまで勉強したほうがいいですよね。 日本人は能面みたいだから(表情が表に出にくいから)別にいいのかな。
最初のうちは吹き替え版とごっちゃになって(スコットランド編では吹き替えになる、というお約束があることを把握してなかったので)エリーがどこまで日本語を習得しているのかが分からない、と思っていましたが、ここまで来るとエリーが日本語が分からないことを逆手に取っている、という見方も出来てきますよね。

今週の放送分についてはまだ見てないのですが、マッサンとエリーの夫婦げんかも、国どうしのメンツの対立みたいな?(笑)スケールになってしまうのでしょうか。

連休中の月曜、チラッと見た濱田マリサンがよー分からんキャラっぽかったので(笑)、ちょっと不安を抱きつつ、3週目を見てまいります(笑)。

第3週。話が本格的に動きだしました。

マッサンとエリーを中心にした各キャラのバランス、
特にイケズキャラの扱いが上手いですね。
優子さんは当初のエリーへの怒りが父への怒り、
やがて自分自身の人生への疑問に変わってくる。
そして単なる嫌味キャラに見えた矢口専務、
マッサンの事業計画書の内容を認めながら駄目だしと
分別のある所を見せたのも感心しましたが、
社長夫婦の口論を背景に視線を動かす場面。

って、借金があったのか住吉酒造。
ワイン販売で潤ってきたのはマッサンの渡航中だし
それで留学させたのはキヨシ、無茶するなぁ…。
マッサン&キヨシを軸にして
「夢をもって仕事をする」事を理解しているカモキン、
「現実を見て手綱を取る」矢口専務という配置。

今週はエリーが話の中心にいて家庭の危機メイン
(マッサンと二人の時には希望に満ちていた新世界が
一人で歩くと…)
でしたが来週は会社の危機?
二週間ずつセットで動かしていくのかも。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

さて、「マッサン」 のまだ先週分を見ておりません(笑)。 週末の休みに秋ドラマの新作と、「山賊の娘ローニャ」 を3回分見て、あとはレビューをちょっと書くたびに睡魔でダウン。 今は 「ローニャ」 のレビューを書きかけで止めている状態です。 今日、睡魔に勝って書き上げられるかどうか。 月曜は特に疲れているので、たぶん無理…かと(笑)。

ものすごく、緻密な分析・・凄いですね。
続編も期待しています・・

私はこのドラマでは、優子さんが好きなので

>>自分の娘の優子(相武紗季サン)も含めて 「すべて任せた」、と非常に曖昧な物言いで送り出す

まあ、これについては、曖昧な表現なので
婿ということを認識できなかったとしても
仕方ないと思いました。

しかし、回想シーンで

「子供は野球チームが作れるくらい」

って、マッサンは答えていますよね。
これは・・
「結婚したら子供は何人ほしい」
と女性に尋ねられて、それに答えるということは
それは、プロポーズの言葉に匹敵すると思うのですが。
それをあくまでも一般論であって
君と結婚する気はなかったというのは
ちょっと、男としてどうかな・・・と私なんかは思ってしまいます。
優子さんが哀しい・・です。

金次郎様
コメント下さり、ありがとうございます。

こういう詳細な分析をしたレビューは、「カーネーション」 のころ毎週やっておりました。 だからとても久しぶり。 しかし体力がもちませんね。 もし、「マッサン」 がそんな、詳細にわたって解説したくなるドラマであれば、いくら 「体力が…」 などと言っても断行するのですが。

まあ、第3週以降、まだちょっとも見てないワタシですから、どうなるのかは分かりません。

「野球が出来るくらい子供が欲しい」 というのは、やはりマッサンの 「ニブさ」 を象徴しているエピソードだ、と私は思います。 マッサンの胸の中は、本格的なスコッチウイスキーを作る夢で、もうパンパンになっている。 それでなくとも、次男坊で奔放な性格であることがドラマのスタート時点から説明されていた気がしますから。

それと、「いやなことから目をそむけたがる」 という要素も、マッサンのなかにはあったかもしれません。
なにしろ第1回の冒頭から、マッサンは亀山家の母親を、かなり意識的に回避しようとしていた。 そんなこと出来るわけないのに(笑)。

まあ、今後レビューがどうなるのかは分かりませんが、あまり期待しないでお待ち下さい(タハハ…)。

リウ様、貯め撮り状態ですか。

ただ3&4週は纏めて観た方が良いかも。
新婚生活がスタートしてマッサンが「会社」とエリーが「家庭」と別パートで動く形となりましたが、毎日レビューしている人の間で後者の評判があまり良くなかった。

マッサンパートは「男の朝ドラ」という部分が生かされ、過去作品に例を見ないぐらい会社というものが描かれ牽引力がある。対してエリーは朝ドラ定番の優子の見合い話に口を挟んでしまって云々などチンタラした印象。このため「点」だけで観ていると「カーネーション」ほどの引きの強さが無い。

ただ「線」で観るとエリーと優子が互いに影響を与えあい「自分はどうあるべきか」少しずつ考えを固めていくのが解るのですね。「カーネーション」も「線」で観て得られる情報が後に行くほど増えていったわけですが本作はさて。ただ史実では実在しなかった社長令嬢の優子がマッサンの関わる「公」とエリーが関わる「私」に一定の影響力を持つ辺り、作り手の力量は感じられます。

見合いを纏めるお爺ちゃん(大ボス?)は中村嘉葎雄氏。この人を見ていると「マッサン」じゃなくて「松っぁん」を思い出す。

http://www.youtube.com/watch?v=hlnOLkDYDO4

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が遅れ、大変申し訳ございません(毎度々々…)。

多忙&寄る年波でかなり危機的状況になっている当ブログでございます。 「マッサン」 は、先週末に第3週分を見たのですが、第2週ほどの考察したくなる要素がさほど見当たらず、とりあえず第4週とセットで考察しようか、と思っていたらもう第5週(タハハ…)。

シャーロットの演技もなんだか、日本のドラマに合わせてきたのか、第3週では特に見るべき部分がなかったような気がします。 逆に日本の 「カワイイ」 という価値観に合わせたかのような、ご飯がちゃんと炊けて 「デキタ!デキタ!」 の演技には、見ていて 「キャワイイ~~ン♡」(爆)。 イカン、シャーロットの思惑にハマっとるぞ…coldsweats01

その調子で巨炎様のコメントにあるように優子の見合い話に口出しとかいうと、うーんどうなの?という不安がよぎりますが、マッサンパートでは、大正時代のイケイケドンドン感やおおらかさなど、ビジネスの現代との違いが見えて楽しい。 融資に絡む話の緩さは朝ドラ用にしているのだ、と思いますが、かなり無茶な経営をしとる、と見る側が考えるのは、それはもしかしたら現代人の感覚なのかもしれない、と思ったり。

中村嘉津雄サンですか~。 私のお気に入りです。 楽しみにして第4週以降も見てまいりたい、と思いますが、…

いろいろほかにも書きたいドラマのレビューがあったりして、こんなに多忙なのに果たして全部できるのか、どうにも先行きが分かりません…。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521783/60461305

この記事へのトラックバック一覧です: 「マッサン」 第2週 エリーの覚悟:

« 2014年秋ドラマ、なにを見ましょうか(って、見るのかよ?) | トップページ | 「ごめんね青春!」 第1回 クドカンとNHK、民放との相性 »

2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

無料ブログはココログ