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2014年10月

2014年10月19日 (日)

「信長協奏曲」 第1回 チープかもしれぬ生命観、チープゆえの疾走感

 最近ルパン三世のイメージが強い(笑)小栗旬クンがフジテレビの月9に登場。 現代の高校生である小栗クンが(この設定に少し難アリ)戦国時代にタイムスリップして、自分と瓜二つだった織田信長に 「オマエ、オレやって」 と言われて織田信長として生きていく、というドラマです。

 この、小栗クン演じるサブローという男、あくまでチャラい。 今まで見たタイムトラベラーのなかでは、いちばんチャラい、と言っていいんじゃないだろうか(笑)。
 その反面、自分が 「違う」、と思うことは、かなり頑強に主張しようとする熱血の面を持っている。
 これって、すごく矛盾してる気がするんですよ。
 チャラいなら、まわりの空気をうまく読んで、周囲に合わせて生きていくのが普通でしょう。
 それが、戦国時代の価値観で生きている、衆人環視の中心で愛を叫ぶ…ではなく、「死ぬな」 とか 「アンタラ、頭おかしいよ」 みたいなことを、なんの躊躇もなく叫んでしまう。
 こういうことを堂々と言える、というのは、かなりの鈍感か、でなければ相当度胸の据わった男ですよね。

 サブローの価値観の核にあるのが、「殺しちゃダメでしょ」。
 これは、長い人類の歴史のなかでも、太平洋戦争の敗戦以降、戦争を放棄した日本人だけが、突出して育んできた特異な価値観のように思える。
 ほかの国なんか、アメリカだろうとなんだろうと、「殺さにゃならない時もある」、という行動基準で国際社会を生きてますよね。

 このドラマは原作がマンガで、だからノリがとてもマンガっぽいんですが、結構キャラ設定が変えられているらしい。 原作は知らないけれど、先に書いたようにサブローの性格が矛盾を孕んでいる、というのは、キャラ変更のあおりなのかな。
 信長の嫁の帰蝶が柴咲コウサン。 濃姫という呼称ではないですね。 今年の大河で濃姫の名で内田有紀サンが出てたし。 どうも柴咲サンと、大河で官兵衛の妻をやってる中谷美紀サンって、イメージかぶるんだよな~(笑)。
 その帰蝶ですが、これも原作とはキャラが違ってかなりのおキャンになっているらしいですが、それがチャラ男のサブローとの相性がいい。 このふたりのやり取りは面白いですね。

 このサブローを支える池田恒興が向井理クン。 小栗と向井を出しときゃ視聴率アップさ、みたいな安易さも見えますが、月9という枠ではちょうどいいのかもしれない。
 「信長のシェフ」 のキャスティングにしてもそうなのですが、民放で時代劇をやる場合のキャスティングって、どうもNHKの時代劇と比較してワンランク下、という感覚がある。 それがドラマ全体のチープ感と微妙に合致してしまうきらいがあります。
 しかしこのドラマの合戦シーンなどを見ていると、第1回ということもあるかもしれないが、とてもお金をかけている、という気がした。 だから開局55年の冠もついたんでしょうが、幟の色使いなど、やはりどこかでチープ感が漂う。

 ただ、小栗クンの発散する、チャラ男のチープ感が、このドラマのカラーにとても合っているような気はするんですよ。 だからドラマのテンポが重苦しくなく、そこで命の大切さが浮き彫りにされていく。

 しかしながら、このドラマにどこか漂うチープ感と、先ほどお話しした 「戦後に生まれた特異な生命価値論」 って、どこか共通している気がする。
 ただ 「死ぬな!」 とか、「なんで殺さなきゃいけないの?」 とか、ふだん殺人とか死とかにまったく無縁な 「平和ボケ」 状態での思考形態なのではないか、と。
 殺戮のど真ん中で平和を叫ぶとき、そんな平和ボケ状態のチープな論理で周囲の人間を、果たして納得させることが出来るのか。
 もっと一歩踏み込んで、命の大切さを考えなければならない段階に、私たち自身が直面しているのではないか。

 難しい話になってしまいましたが、このドラマにそこまでは期待できない気はしますね。
 ただ、戦争とか平和について真剣に考えたこともないチャラ男の目を通して、殺し合うとはどういうことなのかを考える契機には、なると思います。

 物語的に面白かったのは、サブローに信長役を託した当の信長(小栗クン二役)が、明智光秀として生きることになった、という設定。
 原作はまだ連載中だから、ドラマとしてどういう最終回を迎えるのかは、ちょっと興味があります(まあ視聴率よければ続編、みたいな?)。

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2014年10月18日 (土)

「ごめんね青春!」 第1回 クドカンとNHK、民放との相性

 クドカン 「あまちゃん」 以後初のテレビドラマ、ということで期待しましたが、「あまちゃん」 のクオリティを求めると少しがっかりするかもしれないですね。 でも 「あまちゃん」 が出来過ぎだったのかも。

 ただ今まで私が見てきた、非常に浅いクドカンドラマの変遷から言うと、クドカンとNHKの相性って、意外といちばんよかったのではないか、という気はします。
 彼のドラマは登場人物が非常に口が悪いことが常で、それが却って現代では生きた言葉として効果的になるのですが、NHKって普段からニュートラルで正統派だから、この過激さが逆に生きたし、さらにはその過激さに一定のリミッターがかかって万人受けするレベルになった。

 これが民放だと、どうしても 「もっと過激に、もっと刺激的に」 という増幅的な演出になってしまって、却ってわざとらしさが増したり、スケベ心が透けて見えたりしてしまう。 どうしても前のめりな仕上がりになってしまう傾向があるような気がするんですよ。 今回はその弱点のほうが目立ってしまった気がします。

 主役を張るのは、錦戸亮クン。
 彼はとてもおっとりとした演技をするタイプで、あまりキャラが前面に出ない役をやることが多い気がするのですが、その穏やかな演技のなかで、目立たない人間の葛藤とか怒りとかを表現することに長けているように、私は思っています。
 宮藤サンはそこをきちっと把握して、彼にこの主役をさせているのではないでしょうか。 そこはさすがだと思います。
 そしてこの、なんてことはない穏やかな主人公に、取り返しのつかないことをしでかした過去を持たせている。 ドラマが全体的に前のめりなコメディに走っているのとは対照的に、その中核となる部分は、とても暗くて重々しい。 「あまちゃん」 が東日本大震災という重いテーマを内包していたのと、同様ですね。
 まあ、主役のインパクト、という点ではパンチに欠けるきらいはあるかもしれない。

 対照的なのは、満島ひかりチャン。
 彼女はときに、「演技しすぎる」 というとっつきにくさを見せることがあるように思うのですが、今回第1回を見た限りでは、その一生懸命さが、却ってアダになっている印象が強かった。 もっと演技に 「アソビ」 の部分が出来ると、こういうコメディも難なくこなせる逸材に成長していく、そんな気がします。 回を追うごとにどう成長していくのか、こちらも興味深いですね。

 全体的にはそんなに肩肘張らずに見られるドラマだと思います。
 それを考えると、「あまちゃん」 というのは、ギミックの洪水だった。 あれはクドカンサンの持てる力のすべてを出し切った、「コンテンツの王国」 だった気がするのです。

 今回特に面白かったのは、風間杜夫サンだなぁ、やっぱり。
 この人、つかこうへいサンの関係性が強いからかもしれないけれど、クドカンサンのエキセントリックさをきちんと受け止めて笑いに変えられる技術を持っている。

 まあ、今回ターゲットとなる世代が 「あまちゃん」 より10歳くらい下げた30~40くらいなせいか、「ひとりクローズ」 とか、ケータイとメールとかの進歩具合とか、「言われてもよー分からん」 ギャグの仕込みが多かったように思います。
 私も高校が男子校だったため、「男子校あるある」 に期待してたんですけど、「女子に飢えている」 とかちーともなくてね、うちの高校は(笑)。 だからそこは結構肩すかしだったな。

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2014年10月13日 (月)

「マッサン」 第2週 エリーの覚悟

 朝ドラ史上初の外人ヒロイン、シャーロット・ケイト・フォックスさんの一生懸命さにまず心を惹かれた 「マッサン」 第1週でしたが、第2週に入り、舞台が広島から大阪に移って登場人物たちが増えたにもかかわらず、内容が散漫になる、ということがない。
 それはとりもなおさず、このドラマがきちんと人間の心の奥まで描写しよう、という気概に満ちているからだ、という気がします。

 その手法はセリフだけで表現されることなく、登場人物の一瞬の表情で読み取れる性格のものが多いように思われる。 朝の片手間に見る性格の朝ドラ、じゃないんですね。

 特にシャーロットの表情の情報量はものすごいものがあるように感じる。 シャーロットが出てくると、まず目が離せませんね。 彼女はアメリカじゃ無名の存在かもしれないけれど、完全に日本のそこらへんの俳優の演技を凌駕してますよ。 NHKもすごい人を掘り起こしたもんだ。 逆に言うと、アメリカのエンタテイメント界における人材の、層の厚さをまざまざと思い知らされる。

 主役の亀山政春ことマッサン、玉山鉄二サンもシャーロットの演技に引きずられるかのように、これまで私がドラマで見てきた玉山サンのスケールを、大きく逸脱しつつある。 こんなに引き出しの多い人だったんだ、という意外性に驚いています。

 ただし、細部の表現が緻密なわりには、大まかなプロットに結構隙があるようにも、いっぽうでは思われます。
 前回のコメント欄でもコメンテイターのかたからご指摘があったように、まず亀山家の長男の存在が、きれいに抹消されていること。 長男が後継ぎをしなかったということについて、少し触れられただけ、というのは、逆に考えると亀山家全員がそのことに触れたくないのか、もしくはすでに亡くなっているのか。
 そして第2週においては、マッサンが修行に出されていた大阪の住吉酒造において、マッサンを入り婿養子にするという話が着々と進められていた、ということ。 これってどういうことなのかな。 住吉酒造側が、亀山家が次男の政春を修業に出したいきさつというものを把握していなかった可能性は薄い、と考えられるのですが。

 だいたいマッサンはイギリスから帰ってきて、まず実家の亀山酒造に顔を出している。 これはマッサンが嫁のエリーを実家に紹介し認めてもらうことが第一義だ、と考えられるのですが、ここで実家の造り酒屋を継ぐことがもはや前提になっている、という話になっている、というのも、住吉酒造側の思惑と真っ向から対立していますよね。
 いったい亀山酒造も住吉酒造も、政春にどうしてほしいのか、きちんと伝えていたのか。
 マッサンはマッサンで、実家の思惑を知りながら、「オレは日本で本格的なウィスキーの第1号を作る人物になる」、と人生の目的をはっきりと決めることのなんたるかに、思いを巡らせていたのか。

 しかしこのドラマの作り手は、その事情の曖昧さを逆手にとって、「はっきりと口に出さなければ自らの意思は伝わらないのだ」、という議論を進めようとしているように思える。 そして意識的にか無意識にか、「はっきりと口に出して言わない人間の弱さ、ずるさ」 を結果的に表現することに成功している。

 そのいちばんの象徴として描かれるのは、住吉酒造の社長である田中大作(西川きよしサン)です。 かれは政春をスコットランドに派遣するのに当たって、自分の娘の優子(相武紗季サン)も含めて 「すべて任せた」、と非常に曖昧な物言いで送り出す。 いかようにでもとれるその場の勢い的な言葉で言質を取ってしまう、というこの田中社長のやりかたが、すべての騒動の発端となっていることは疑いがありませんが、実はこれって、我が国のビジネス界ではすごくよくあることでしてね。

 だから仕事の契約のときには、とても細かいところまで取り決めをしておかないと、あとで大変なことになる。 「いや、それって、そっち持ちでしょう」 みたいな。 口頭による曖昧な契約をしたばかりに、泣きを見るのはたいてい下請けのほうであります。
 下請けの側としては、あまりに細かいことを言い出すと却って仕事を頂けなくなってしまうから、結局は元請けの言いなり。 だから最低限押さえておかねばならない事項は、事前にきちんと決めておく必要があるのです。

 なんの話をしとるのだ。

 この田中社長のファジーな態度は実に、日本企業の悪弊を引きずったものであると同時に、それは田中社長自身の心の弱さのあらわれ、というのがこのドラマの手法です。
 彼は社長としての尊大さ、強引さを持ちながらも、同時に女房(夏樹陽子サン)をはじめとしていろんなものを恐れている。 そしてそのせめぎ合いの中で生きている。 西川きよしサンはさすがに芸達者で、その人間臭さを見事に演じている気がします。
 それをいちばん感じたのが、婚約を解消されてエリーに意地悪をする娘の優子に、はっきりと物言いをした場面。 これはのちほど(なんか、長くなりそうだな…)。

 また、週ごとのサブタイトルとの関連も、今のところ興味深い気がする。
 第1週のサブタイトルが 「鬼の目にも涙」。 第2週が 「災い転じて福となす」。
 まるでいろはがるたみたいですが、これがドラマの内容と、必ずしも合致していない。

 私はサブタイトルを見ながら、第1週ではピン子サンが泣いてふたりの結婚が許されるものだと考えていたし、第2週でも週の終わりにはトラブル続きの末に福が来る、と思っていた。
 しかしどちらも、そうじゃありませんでした。 すべては今後の転回の、鍵となるエピソードになっている要因のほうが強い。 でもこれって、いわゆる 「タイトル詐欺」 というのとは違う気がします。

 現実を振り返ってみれば、確かに 「災い転じて福となす」、というような 「瓢箪から駒」 みたいな調子のいいことなんか、あまり起こることはない。
 でも人々は、厳しい現実の中から少しでもいいこと、予兆などを見つけ出しては、未来に生きていく自らの原動力にエネルギー転換するんですよ。
 このドラマのサブタイトルは、そんな 「よりよい未来への祈り」 みたいなものが隠されているような気がします。 まあまだ2週かそこらでは断言できませんが。

 第2週において描かれていたのは、エリーの覚悟だったと感じます。
 この覚悟、という問題は、見据えれば見据えるほど、ドラマとしての土台が固まる重要な部分だと私は思います。
 覚悟がある人間が、どう生きられるのか。
 覚悟がない人間が、どう生きられないのか。
 覚悟というのは、周囲との戦いでもあると同時に、自分自身との戦いでもあるからです。

 第7回。 大阪に向かう汽車のなかで、エリーはマッサンの母親から託されたお箸を持ちながら、つぶやきます。
 結局許されなかったマッサンとエリーの結婚。 でも母親は、妹にエリーの使う箸を託したのです。

 「たぶんね…。 (このお箸は)ホームワーク」

 「宿題?」 とマッサン。

 「うん。 お母さん、私に、ちゃんと箸、使えるようになりなさい(という宿題を出したの)」

 「ああ…」

 「政春さん」 エリーは穏やかに笑いながら、マッサンの目を真剣に見つめます。

 「ん?」

 「私、どうしても、日本人になります。 政春さんと、ずっと、日本で一緒にいたい。 政春さんの夢が叶うまで、ずっと応援したい。 だから…(ここでいったん目をそらし、車窓の景色を見ながらちょっと大袈裟に笑い、マッサンに向き直って微笑みを残しながら真面目な顔になり)たくさん、たくさん、頑張ります。 だから政春さんも、絶対、おいしいウイスキー造って」

 ここでエリーが 「政春さん」 と何回も呼ぶのは、「マサハル」 と英国式に呼び捨てにしていたのを母親に咎められたのが原因でしたが、ここでのシーンでエリーは、とても 「政春さん」 と言いにくそうに話している。
 それから上記の抜粋部分でもト書きを詳しく入れましたが、エリーの表情をいちいちト書きにしないと、「感じ」 が伝わってこないんですよ。
 エリーがマッサンに 「たくさんたくさん、頑張ります」 と言う直前に、エリーはとても照れたように、横を向いて笑った。
 これは、これから待ち受けるであろうさまざまな困難に対して、エリーが思いをいたし、立ち向かうための、一種のインターバルだと思うんですよ。 「すごく大変かもしれない。 あまりにすごくて笑っちゃうくらい。 でも私は、笑いながら、前向きにそれに立ち向かっていきます」 という、決意表明。

 まあ私の勝手な考察ですけども、冒頭に書いた 「シャーロットの表情には、一瞬で膨大な情報量が隠れている」、ということの、ほんの一例を示しました。

 これを前作の 「花子とアン」 における、茂木先生の演技と比較いたしますと…(笑)。
 いや、いいでしょう(笑)。

 エリーの、「どうしても、日本人になります」 というのは、かなり重要なセリフだ。 それがどういう意味を持っているのかは、ドラマが進むにつれて、赤裸々に描写されていくのです。

 「政春さん。 …アイラブユー」

 エリーの一直線の言葉をまるでそらしたように、周囲の目を気にしてから、マッサンはエリーの耳元まで来て 「アイラブユー」 と返します。 大正時代に 「アイラブユー」 が認識されまくりの言葉だったかどうかは分からないのですが、これは日本男児の、照れなのである(笑)。

 エリーはその 「照れ」 を理解したかのように 「Ohoho!」 と笑って、「もっと大きな声で」 とリクエストします。 「いや、じゃって…」 と躊躇するマッサンの膝をちょっと強めに叩くエリー。

 「痛い!」

 「痛くないマッサン」

 「マッサン?」

 他愛のない会話が一瞬止まり、口元に手を当てて自分の言った言葉に驚いたようなエリー。 「なんじゃ 『マッサン』 って」 と訊き返す政春に、エリーは今気付いたばかりの自分の感情を渋々ながらも、という感じで打ち明けるのです。 「…『マサハルサン』、言いにくい」。 言いながら、それがとても可笑しいような表情に変わっていくエリー。

 「だから、マッサンでもいい?」 いたずらっぽく上目遣いで尋ねるエリー。

 こうしてマッサンは、マッサンと呼ばれるようになったのですが、





 …こんなこといちいちしてられへんでまったく!(笑)

 だからエリーの表情の情報量が、膨大だと言ったのです(笑)。

 とにかくここから大幅に飛ばしますが(レビューが終わらん…)、「二年ぶりの職場・住吉酒造を訪れると、社長・田中大作(西川きよし)をはじめ社員たちは大歓迎。 そこで運命の男・鴨居欣次郎(堤真一)との出会いも果たす。 しかし、エリーとの結婚を告げると状況は一変。 なんと大作は政春を娘・優子(相武紗季)の婿にと考えていたのだ。 寝耳に水の政春に困惑するエリー。 政春が帰国した暁には婿に迎えるつもりで留学させたと告げる大作であったが、政春は全く気が付いていなかったのだ。  誤解を解こうとするも、二年間必死に花嫁修業に打ち込んできた優子には理解されず、結婚を白紙にする代わりに会社を辞めるよう宣告されてしまう。 優子の怒りの中にマッサンへの密かな恋心をみたエリーは、何とか結婚を認めてもらおうと奮闘するが、逆に優子のいじめがはじまって…」。

 以上、NHKのHPからの抜粋でした(笑)。

 ここで優子がエリーに 「いけず」 をする原因なのですが、この優子の心理描写、および時代的な考証も、とても整理されて分かりやすかった。
 要するに親が決めた結婚だから、マッサンに対して愛情があるかどうかなんて関係ない。 でもそこにHPでの説明通り、密かな愛情が芽生えていたのだとすれば、それはやはり慣習の中での愛情であり、二年間の花嫁修業は、精神的な覚悟を決める準備期間でもあった。 その過程での愛情の形、なんだと思うんですよ。
 優子にとってマッサンをめぐる恋敵が、同じ日本人だったら彼女自身のなかで日本人のアイデンティティを問いかける場にはなりえない。 でも相手は、ガイコクジンなんですよ。 すぐハグしちゃったり、愛情表現が日本人のそれとは全く違う次元の。
 彼女の中で渦巻いている嫉妬心というものの正体に、この 「アイデンティティ」 の問題が含まれているのはとても面白い。
 だから彼女のいけずには島国の閉鎖性とか、外人蔑視の方向性が、ごくわずかではあるが、含まれている。
 それが、「この年頃の娘の大事な大事な二年間を返して!」 という怒りの一助にもなっている気がするのです。
 「イケズするその気持ちも分かる」 という描きかた。

 優子のいけずは、とうとうエリーの作ったスコットランド料理に向けられてしまいます。
 壺に入った塩を丸ごと、スープの中に投げ入れてしまう優子。
 これをごちそうになった田中社長も奥方もマッサンも、みんな西川きよしの目になってしまいます(スイマセン、私ウソつきました)。 優子を睨みつけるエリーですが、以前にされたいけずのときもそうだったように、けっして優子に対して抗議も文句も言わない。
 奥方だけはまんまと乗せられたようでしたが、マッサンもきよし社長もその原因がなんであるかは、察しがついたようです。

 スコッチブロスはエリーの故郷の味である、と同時に、お母さんの味でもある。
 エリーにとっては、その母親を傷つけられたと同義でもある、その塩辛いスープを、ひとり泣きながら鍋に戻しています。 もうそこだけで泣ける。 そこに政春がやってくる。

 「優子さんじゃろ?」

 エリーは気丈に答えます。 「ダイジョウブ…」。 「なんでじゃ!」 エリーに近づき詰問するマッサン。 どうして何も言わんのじゃ、という意味あいでしょう。

 「優子さん…やっぱり、マッサンのこと好き。 好きだから、私に、いじわるする」

 「いや、違うって! 優子さんとの婚約は、社長が勝手に決めたことじゃけん」

 エリーは、マッサンの腕をつかみます。 「だけど私…優子さんより、もっと、マッサンのことが好き。 だから、優子さんに負けない」

 マッサンを見つめるエリーの表情は、笑いながら、毅然としながら、そして一瞬悲しみを見せながら、です。 ホントに目が離せないな。 抱き合うふたり。 そこに聞こえてきたのが、田中社長が優子を叱責する声です。

 「優子! こらどういうこっちゃ?
 なんでエリーちゃんにいけずすんねん!」

 「どういう意味?」 とぼけようとする優子。 「アホ! あんな塩辛い料理、誰が作るんや! 日本もスコットランドも、辛いもんは辛いんじゃ!」 奥方がその声に、その場に入ってきます。

 「なんでうちが責められなあかんの?」 優子が言い返します。 「優子の言うとおりや。 あんさん、どっちの味方なん?」 援護射撃をする奥方を田中社長はピシャリ。 「お前は黙っとれ!」

 ここですね、さっき 「のちほど」 といった場面は(笑…ああ長いレビューだ…)。

 「エリーちゃんの立場になって考えてみ! 遠い遠い異国から、親兄弟から離れて、たったひとりで日本に来たんやで!」

 優子の部屋まで来ていたマッサンとエリー。 エリーは田中社長のそのやさしい言葉に、うつむいてしまいます。 優子が反駁します。

 「親を捨てた人の気持ちなんて分からへん!

 お父さん、いつも言うてるやん。

 『一番大事なのは、家族や。 親を大事にするのは、子供の役目や』 って。

 あの人(エリー)、親捨てて、駆け落ちして、日本に来たんやろ?

 親の思い踏みにじって、自分勝手に生きてるだけやん!

 なんでそんな人のこと認めるん?

 それなら私も、もっと好きにさせてよ!」

 第1週からこのドラマを見続けてきた視聴者は、その優子の言い分が、半分は全くの的外れで、半分は当たっていることを知っています。
 要するに、エリーは、親に認められないまま、日本へとやってきた。 でもエリーが明け方に、生まれ住んだ家を去っていく場面(蛇足ではございますが、ビートルズファンの私といたしましては、ここで 「シーズ・リーヴィング・ホーム」 を想起せざるを得ません)では、エリーは断腸の思いで、親を振り切ってきたのです。 マッサンの夢を叶える手助けをするために。 マッサンとの愛に生きるために(この言い回し、クサイかな)。

 エリーは声を荒げる優子のところにやってきます。 「優子さん…ごめんなさい。 本当に、ごめんなさい」。
 それはどちらかというと、優子に対する謝罪の言葉ではなく、自分が親を捨てた、ということに対する、贖罪の意味合いが強い、「ごめんなさい」 なのではないか、と考えられる。
 でも優子はそれを、キリスト教的な意味合いが含まれた贖罪とは捉えない。

 「ええ子ぶるんも、ええ加減にして! ヘタクソな日本語でなにゆうても、ウソ臭い! お芝居してるようにしか見えへん!
 うちはだまされへん。 いつか、化けの皮が剥がれるわ!
 あんたはしょせん、親を裏切ってもなんともない、親不孝もんや!」

 エリーは悲しく、一粒の涙を流しながら、小さくかぶりを振ります。
 優子の言葉は、怒りにまかせて 「言い過ぎ」 のレベルを超えたのですが、この優子の怒りは、エリー自身の中にある、エリーの罪悪感そのものだ、と私は思うのです。
 自分は断腸の思いで、親と別れて来たけれども、その自分の苦しみによって、自分を赦していないか。
 そんなことまで、こちらに想像させる余地が、このドラマには広がっている。

 ここでエリーが、母親と別れた場面がインサートされます。

 エリーは、いたたまれなくなって、泣きながらその場から立ち去ります。 追いかけるマッサン。

 「エリー! エリー!(追いついて)エリー! ごめん、エリー!

 わしがまちごうとったんじゃ。 わしが悪かった。
 エリーがどがな思いで日本に来たか、わしゃよう分かっとる。

 よう頑張った。

 広島でも、ここでも。

 もう…もうじゅうぶんじゃ」

 
 ここでのマッサンの 「ごめん、わしが悪かった」 という謝罪も、贖罪の意味ではない。 「両方の親に背くとか、いろいろ悪いことはしたかもしれないけれど、頑張れば分かってもらえる、と思っていたのが甘かった」 という感覚なのではないか。 マッサンは、けっして自らの罪に対して向き合っている、とは言えない気がするのです。 だから犯してしまった罪より、ふたりにとっていちばんいい方法を考えようとする。 マッサンは続けます。 

 「(エリーの両肩をつかみ)もしエリーが 『帰りたい』 言うんじゃったら、わしも一緒にスコットランドに帰るけん。 のう。 ウイスキーなら、スコットランドでも造れる。 エリーのママも、きっと喜んでくれる」

 しかしエリーは、これを毅然と突っぱねるのです。 「アホ!」 マッサンを突き飛ばすエリー。

 この 「アホ」 は第2週の初めに仕込まれていたネタですが、「スチューピッド」 という意味を理解したからこそ、エリーがここで使うことが出来る武器になった。

 「なにするんじゃ!」

 マッサンを何度も突き飛ばすエリー。

 「どうして、そんなこと言うの?

 私のため?

 その気持ち、全然うれしくない!

 私、そんないい加減な気持ちで、日本に来てない。

 私、大丈夫。

 スコッチブロス、食べてもらえない、大丈夫。

 優子さん、意地悪、大丈夫」

 言いながらも、自分の言葉とは裏腹に、涙がこみ上げてしまうエリー。 そんな自分に呆れたように頭を掻いて、告白します。 それは悲しみと懐かしさ、母親の胸にすがりたい、という気持ちと、そんな自分の弱さを自虐するような表情を一瞬で表現しながら、です。

 「本当は…ママに会いたい。

 今すぐ会いたい」

 だからここで、私も告白しますが、泣きました。 しかしエリーはそんな感傷を振り捨てたかのように、決意を込めたように、次の言葉を言うのです。

 「だけど…。

 帰れない。

 どうして?(まるで自分に問いかけるように)

 どうして? マッサン」

 返事が出来ないマッサン。

 「マッサンの夢叶えるためでしょ!

 マッサン…日本で、初めてのウイスキーを造る。 そのために、ふたりで日本に来た。

 私、そのために、国、家族、全部捨てた!

 今更帰れるわけないじゃない!」

 エリーの覚悟の、その大きさ。

 それに気圧されたかのようなマッサンでしたが、やがてマッサンにもその覚悟が伝染していったかのように、次の言葉を口にするのです。

 「ごめん」。

 この謝罪は、やはり日本的ではあるのですが、明らかにさっきの謝罪とは、意味合いが違います。 これは決意なのです。

 背後からエリーに抱きつくマッサン。 「ごめんのう。 ありがとう。 ありがとう、エリー」。

 マッサンにとっては、エリーの存在なくば、自らの出世の本懐も遂げられなかった。 このシーンは、その象徴的なエピソードとなった気がするのです。

 しかしナレーションの通り、「日本初のウイスキー」。 その完成には、かなりの険しい道が待っている。

 まずこの第2週でも描写されたように、住吉酒造のなかでもウィスキー部門というのは、けっして安穏な部署ではないこと。 既に田中社長が政春をスコットランドに修業に出した、という時点で莫大な費用がかさんでいるはずですが、ウイスキーを造るとなると大きなボイラーが必要だし、まず原材料の大麦の心配からしなければならない。
 その大変さを、サントリーウイスキーの社長がモデルという堤真一サンを媒介として説明する、ドラマ的に高度な仕込みが第2週では行なわれていた気がします。
 もちろんそこに、堤社長ときよし社長の経営手法のコントラストとか、そのインパクトのある人物とかがきちんと盛り込まれている。

 かように、マッサンとエリーの二人三脚、という内的な要因と、ウイスキー造りをめぐる外的な要因がうまくブレンドされている。
 そんな印象を強く持った、「マッサン」 第2週だったのですが、レビューするほうはたまったもんじゃございません(笑)。 こんなに詳細な分析を、毎週するんかいな。 最初からお断りしておきますが、私もう年だし忙しいんで(笑)。 「カーネーション」 みたいなことは、もうよう出来んです(タハハ…)。

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2014年10月 4日 (土)

2014年秋ドラマ、なにを見ましょうか(って、見るのかよ?)

 先の記事にも書いたのですが、このところあまり、ドラマを最後まできちんと見ないハシモトであります。 その私が 「今年の秋ドラマはこれを見る!」 というのは非常に権威がないのですが、とりあえず期待されちゃったので(笑)かなり遅きに失した感がございますが、書くことにいたします。

 まず、秋ドラマと言っといて最初からナンですが、NHKBSプレミアムのアニメ、「山賊の娘ローニャ」 は、宮崎吾朗監督の新作なので要チェック、といったところでしょうか。 まあ、世界名作劇場の流れを汲む作品のようなので、萌えとかとは無関係なのがそそります。
 ただキャラクターデザイン的には従来の日本アニメーション、宮崎アニメとは一線を画している模様。 そのキャラに没入できるかどうかは、今のところ未知数です。 数回見てダメだったらリタイアもあり得ます。
 宮崎吾朗監督といえば、宮崎駿監督の息子さんでありますが、その実力は巨大な親には到底及ばないまでも、アニメーションに対する考えかたが、とても私と似通っているようなところがあって、ちょっと気になる存在ではあるのです。
 それは世代がほぼ同じだから、触れてきたアニメがほぼ同じ、ということと無関係ではない気がする。 それに、親があれだけの人だから、とても客観的にアニメを見続けてきたんじゃないのかな、という気がする。
 ただ今のところきちんと見たのは 「コクリコ坂から」 だけなのですが(ハハ)、親が脚本を書いたとはいえ、親の持つエキセントリックさはかなり抑えられていて、かなりの高いところに位置する佳作、という気がした。
 その吾朗監督が 「自分が子供の頃に見たようなものを、今度は自分が子供たちに向けて作りたい」、というのです。 どんなものになるのか、期待させていただきます。
 初回は10月11日(土)午後7時から、初回は48分バージョンとか(再放送は翌週水曜の午後6時から)。

 ここからはかなり簡潔になると思いますが、秋ドラマを一瞥。

 医療ドラマ、事件モノを敬遠する傾向にある私でありますが、「MOZU」 のシーズン2(TBS木曜午後9時、10月18日スタート)はチェックしとかなきゃならないでしょうね。 って、まだシーズン1途中までしか見てないんですけど(笑)。 これも最後まで見てレビューするとかお約束しておいて、ずっとほっぽっといてる無責任な私です。

 あと、「あまちゃん」 以来のテレビドラマとなる、クドカン脚本の 「ごめんね青春!」(TBS日曜午後9時、10月12日スタート)。 男子校と女子高の合併、という、少子化に伴う現象もとらえているように思えるこのドラマですが、その昔男子校に通っていた私といたしましては、「男子校あるある」 で笑わせてもらいたい、よーな気がいたします。

 NHKBSプレミアムの 「昨日のカレー、明日のパン」(毎週日曜午後10時、10月5日スタート)。 木皿泉サン、ということで注目していますが、この人のドラマって、「キュート」 だけ見たのかな。 アンドロイドがアレで、第1回途中でパスしました(笑)。

 フジテレビ月9の 「信長協奏曲」 も、なんとなく気になるので一応チェック。 「信長のシェフ」 の二番煎じっぽい感じがするけど。 どうしてみんな、信長のところにタイムスリップしたがるんでしょうね(笑)。

 タイトルが気になるのでは(笑)「今日は会社休みます。」(日テレ)と、「すべてがFになる」(フジ)。 いや、タイトルがいいな、と思っただけ(笑)。 でも前者は 「八重の桜」 以来の綾瀬はるかチャンだし、後者は 「伝さま」 吉田鋼太郎サンが出るし(主役のふたりは置いといて)。 後者には早見あかりチャンも出てる。 なんか 「不遇の人」 というイメージだったんだけど、「マッサン」 にも出てるし、なんかブレークしつつあるのかも。

 と、どーでもいい話をしておりますが、「ディア・シスター」(フジ) は主演が石原さとみチャンと松下奈緒サンか。 どちらとも見たい女優さんだけど、石原さとみチャンの出るテレビドラマって、なんかすごくハズレ率が高い気がしてどうもね…(笑)。 「新参者SP」 で、バレリーナの役をやったのがいちばんよかった気がするんですよ。 演技力がかなりのものなのに、いいドラマの見分けのつかなさってなんなんでしょう(事務所の責任か?)。

 と、かなり失礼なことも書いておりますが、「侮れない」 というところではテレ東の深夜ドラマでしょうか(「玉川区役所 OF THE DEAD」「攻殻不動戦記ロボサン」)。 いつも見逃して悔しい思いをしてるんですよ。 いや、そもそも録画してても見てないドラマだらけだし(笑)。 なんか今回も、つまんなそ~なタイトルなんだけど(笑)、いちおう予約だけは取っときます。 玉川区役所はないけど、私が住んでる世田谷のここらへん 「玉川○○」 って多いんで、なんとなく親近感とか。

 あとはNHKの 「ぼんくら」 でしょうかね。 タイトルがいいな(笑)。 時代劇か。

 すごく注目されなさそうなのが(笑)、「素敵な選TAXI」(フジ)。 バカリズムが脚本で竹野内豊サンがタクシーの運転手で…。 なんかすごくつまんなそうで見てみたい(笑)。 「選タクシー」 って、音読してみれば分かるけど 「選択肢」 とひっかけてるのね。 そういう寒いのって、どーなのよ(笑)。 竹野内サン、反町サンもそうだけど、なんかどうも、いい役に巡り合わない気がします、ここ数年。

 すごく 「コレジャナイ感」 があるのは(笑)「地獄先生ぬ~べ~」(日テレ) かな~(笑)。 でも、「妖怪人間ベム」 もそうだったけど、「コレジャナイ」 で当てるのうまいからなー日テレって(笑)。

 まあ、世間的には 「相棒」 シリーズなんでしょうけどね。 自慢じゃないが1回も見たことないです。

 しっかしその前に、たまりにたまっている未視聴ドラマを、きちんと片づけなければ…。

 あっ、忘れてた、今日から始まる、小池徹平クンの 「ボーダーライン」 も、いちおう見てみます。

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