« 近況報告(ちょっと、武者修行に行ってまいりました…笑) | トップページ | 「世田谷ナンバー」 、世田谷区民の私の見解 »

2014年11月10日 (月)

「マッサン」 第3-6週 予定調和を拒絶する朝ドラ

 おことわり この記事、第5週までの分を途中まで書いていたのですが、どうにも先週じゅうに完成することが出来ず、あろうことかそこにさらに第6週の分をつけたして作成しています。 ですので論旨が多少おかしなところもあるか、と存じますが、ご了承ください。



 この物語でひたすら感心するのは、とりわけマッサンのウイスキー造りに絡んでくるエピソードに、朝ドラ特有の予定調和、というものがほとんど見られない、ということです。 つまり問題がいっときは解決したように見えても、根本的な事態の打開にまでなかなか通じていかない。
 特にウイスキー事業が株主会議にかけられ、エリーの機転で解決するかと思いきや、そんなに簡単にはいかなかった第5週(「内助の功」)の厳しさ。
 見ていて数年前まで同局でやっていた、「プロジェクトX」 の匂いさえ感じました。
 そして第6週で展開する、「生きるのが不器用な男の陥る落とし穴」。
 半分人情話、コメディタッチで展開する週でしたが、その奥底には現代人に共通する限りない問題意識が隠れている。 そして結局、たまった家賃の支払いについても、根本的な解決に至っていない。 すべての事象はきりもみ状態を保ちながら、ある部分は解決し、ある部分は解決しないまま、問題が未来に持ち越されていく。 これは私たちの人生においても、同じだと思うんですよ。

 これは、さすがにマッサンという男性が主人公のドラマだから、ということが大きいのですが、男性が主人公だからあくまでビジネス偏重の難解な骨太の物語になるのか、というとそうではない。
 ここで物語を、朝ドラの主な視聴者層であると思われる、家庭を守る主婦の視点にまで押し下げているのは、紛れもなくマッサンの妻のエリーの存在によるものでしょう。
 そのエリーの視点は、大正時代の日本人なんかよりよほど西洋化している価値観の中にいる、現代の女性たちの視点に近い。 だからエリーの目でマッサンの奮闘ぶりを見ていくと、どれだけマッサンが日本男児として、日本人の夫として、日本特有の会社組織の一員として、我が国の男どもがいかなるアイデンティティのなかにいるのかが、如実に分かる構造になっているんですよ。 エリーの目を通して、難解なビジネスの物語が分かりやすくなる構造。

 しかも第5週までの物語の中で、マッサンの勤めた会社社長の娘・優子(相武紗季サン)の姿を通じて、その男性中心社会の中で翻弄されてきた、日本女性のアイデンティティまで描写した。 どうもここらへんのストーリーは脚本家のオリジナルっぽいんですが、女性の自立心の芽生えまで絡める書き手の力量には、目を見張ります。
 優子だけじゃない。 マッサンのライバル的存在、鴨居(堤真一サン)の会社で働く企画広報担当?の女性とか、赤玉ポートワインのあの有名なポスターのモデルの女性まで生き生きと描かれているし、エリーの井戸端会議のおばちゃんたちに関しても、関西女性の逞しさをきちんと押さえることを忘れていない。

 第6週に入り、マッサンが住吉酒造を辞めてからは、このおばちゃん目線でドラマが展開されたように感じました。 第5週まで 「プロジェクトX」 をやっていたマッサンはいきなり、「この…甲斐性なしのビンボー人っ!」(by音無響子) になってしまうんですよ。
 この振れ幅というものが、とても効果的なのです。 いわば、硬軟を取り交ぜて話は進行していく。
 ここに関西のおばちゃんたちが絡むから、金銭的な窮状を極めていく話が、じめっとならない。

 物語全体の骨太感というのは、おそらくドラマの書き手(脚本家)が男性であることが大きい。
 これを数年前の傑作 「カーネーション」 と比較すると、このドラマは女性が書き手だったのですが、「カーネ」 の場合、家庭内工業の家族間での関係をシビアに描くことによって、女性にしかできない 「仕事の大変さ」 の表現に成功していた。 さらに女性にもよく理解できる、ファッションの変遷をドラマに絡めることで、それは継続されていった。
 それに対して、「マッサン」 はきちんと、事業計画から資金計画、株主会議までを順を追って説明し、「商売が成立する、ということとはどういうことなのか」 をかなり正面から描いている気がします。 しかしそれが、「ハゲタカ」 に代表される、NHK土曜ドラマのビジネスライクな話に傾倒していかないのは、やはりエリーが歯止めをかけているんですね。

 「半沢直樹」 なんかでは、シビアなビジネスサイドの話を、コミカルな上戸彩チャン演じる奥さんが弛緩してくれて、ドラマとしての調和を保っていた気がするのですが、今回のエリーはその役割をもっともっと拡大しています。
 仕事がうまくいかなくて涙にくれるマッサンを、「大丈夫、大丈夫」 と受け止めるエリー。
 次男坊でおそらく甘えたがり、猪突猛進タイプで思い込みが激しいタイプと思われるマッサンにとって、エリーは自らの人生に欠かすことのできない、より重たい存在なのです。 ここ数週展開しているドラマを、第1回目で後年、マッサンより先に、すでに亡くなっていたエリー、という視点から見ると、なんかもう泣けて仕方ないんですよ。 この先エリーが亡くなっちゃうときは、どんだけ涙腺が崩壊すんだろうと思うと、その日が来るのが怖い。

 第3週、第15回。

 この週は、マッサンの蒸留酒の実験が進行していくのと、エリーが上手にコメを炊いておいしいご飯を作れるようになること、が同時進行で描かれる巧妙なストーリー展開でした。
 エリーは散々いけずされた優子にコメの炊き方を伝授してもらうのですが、そのときに優子は日本の男性について、こう語ります。

 「まあ、(日本は)ええ国と言えばええ国やね、特に男の人にとっては。

 ええ嫁いうんは男にとって都合のええ女のこと。

 お台どこ(ろ)、炊事、家の事ちゃあんと出来て、いつも男を立てて。 それが日本の男が求める、ええ嫁やねん」

 これに対してエリーは、夫婦というのはパートナーだとマッサンは言ってくれた、フィフティ・フィフティだと答えるのですが、ここでのやり取りがやがて優子にとっても 「男と女ではなく、家と家との結婚というのは、どういうことなのだろう」 という疑問の出発点になる、と同時に、エリーにとっても、「マッサンも建前上は夫婦は対等だ、と言ってくれているけれど、実は日本の古くからの考えに、まだ囚われているのではないだろうか」 という疑問の出発点になっている。

 ちなみにこのとき初めて、優子の指導によってエリーはきちんとお米を炊くことが出来たのですが、ドラマ序盤でこういうエピソードをきちんと正面から描いた、というのは結構重要だと思います。
 なにしろ、ご飯というのは日本人の基本ですからね。 エリーが 「どうしても日本人になる」 と決意したことのいちばん最初のハードル。 まあ、日本人が銀シャリを食べるようになったのはなんか歴史が意外と浅くて、近代に入ってからですけど。
 その、おいしく炊けたお米をエリーがマッサンに食べてもらおうとしたとき、マッサンはウイスキー造りの資金計画で多忙を極めてしまい、気持ちが擦れ違っていく。

 この 「夫婦の気持ちの擦れ違い」 パターンは、実は第6週まで尾を引きずる息の長い話になってしまうのですが、ここの第3週の時点でエリーの葛藤は、まだ 「マッサンに自分の炊いたご飯をおいしいと言ってもらいたい」 というレベルでしかない。 この問題はマッサンとエリーのケンカがご近所を巻き込んで大騒ぎとなり、エリーはキャサリン(濱田マリサン)から、「この国で本当に生きていく覚悟」 を迫られる(第3週18回)。

 「そんな男とは、もう別れ!

 日本人どうしやと世間体もあるし、離縁された女は一族の恥さらし言う人もおって、なかなか別れられへんねやけど、あんた、関係ないやん。

 やっぱり無理やったんと違うか。 男がえばっている国で、嫁はんになるんは。

 よう考えて、自分で決めや。 誰に押しつけられたわけでもなく、自分で選んだんやからな」

 これは初期段階から、大変に厳しいプロットだと思う。 キャサリンは国際結婚のなんたるかをよく知っているからこそ、あえてエリーを冷たく突き放している。 エリーにはもともと覚悟が備わっていたから、キャサリンの忠告というのは、自分の覚悟を改めて再認識する機会になっているんですよ。
 でもこの段階では、マッサンが優子から 「エリーがどないな覚悟でこの国に来てるのかを知らんわけがなかろう」 と言われて心を入れ替える、ということで解決している。 マッサンはエリーに詫び、めっこ飯を食うことでその週はメデタシメデタシ、となるんですが、これが第4週、5週となるとさらに難易度レベルが上がっていくんですよ。 ふつう 「夫婦の擦れ違い」 なんて問題は、その週で解決して終わり、みたいな感じなんですけどね。 このドラマが予定調和を拒絶している第1の要因です。

 しかしコメの芯が残ってしまうめっこ飯ですが、蛇足ながらこれはコメをといでからすぐ炊いてしまったのが原因でしょう(笑)。 最低10分から15分程度は放置して水を吸わせないと(笑)。 「はじめチョロチョロ半パッパ」 は単に火加減の話なので、そのほかにもいろいろと段取りがある炊飯の奥の深さを、ここではユーモアを交えてさりげなく語っている。 エリーが日本人になっていくにはまだ油断はできない、ハードルがこの先も待ち構えていることの予告的提示。 その語り口のテクニックにも感心します。

 お節介を言えば(笑)、「赤子泣いてもフタ取るな」 の後に、藁(わら)を少々火にくべれば、程よいオコゲが出来て香ばしくなります。 炊飯ジャーの場合は、炊飯が完了して保温になったときに、もう一度炊飯スイッチを10秒かそこら入れれば同様の効果が期待できる(最近の電子制御の炊飯器はどうなのかな)。
 そーゆー変なウンチク要らんか(笑)。

 ちなみにこの 「フタを取る」 という行為。 エリーは待ちきれなくてフタを取ろうとし、優子はフタを開けてしまったことで、お見合いという日本の風習のなかで小さくもがこうとする第4週のストーリー(「破れ鍋に綴じ蓋」)へとつながっていく。 エピソードが連関していく話に、きちんと昇華しているのは見事です。

 第4週で優子は祖父の守谷長五郎(中村嘉津雄サン)が持ち込んだお見合いをすることになります。 エリーはここで優子の表情に陰りがあることに気付き、田中家の真っただ中に口出ししていく、という行動に出る。

 こうした 「ヒロイン出しゃばりの構図」 というものは朝ドラ視聴者のあいだでは特に嫌われるストーリー展開なのですが、このドラマ、そこにあえて切り込んでいるきちんとした明確な意図が見える。 エリーに出しゃばらせないと、優子の自立願望が頭をもたげないから。
 エリーはいわば、あえて問題を提起して対象者に従来自分が縛られていた常識を疑わせる、「役割」 を演じるわけです。
 それは優子が英文タイピストとして外で働きたい、という夢を持っていることを知ってしまったことが大きい。 「夢を食べて生きていける」。 エリーははからずものちにマッサンに言うことになるのですが、マッサンの夢について日本にやってきた、人が夢を持つことに大きな希望を見い出しているエリーだからこそ、あえて取ってしまう行動なんですね。

 井戸端会議のおばちゃんたちの情報によって、エリーにはきちんと、「愛のない結婚」 であるお見合いが日本の常識なのだ、という認識がある。 マッサンにも、「他人のわしらが口を出しちゃいけんの」 と、きちんと釘を刺されている。 でも 「それに流されていいんだろうか」。 エリーの問題意識は、そこにある。
 だから優子が結局、そのお見合い相手とのあいだにある種の信頼関係を築くことが出来たとき、エリーはそれ以上の介入をしないんですよ。

 「うち、だんだん考えるようになったんよ。 エリーさんが 『どうして?』 って思うこと、なんでうちは思わへんのって。
 もしかしたら、いつの間にか、自分の心にフタをしてきたんじゃないかって」(第4週、22回)

 優子のなかに起きた 「常識を疑う心」。 このドラマの語り手がいちばん言おうとしていることなのではないか、という気はしますね。
 そのきっかけが、エリーという異文化との交流によって巻き起こっている。 エリーの存在によって、井戸端会議のおばちゃんたちも、自分たちの文化についてどういう意義があるのかを考える機会になるし、もちろん優子や田中社長、マッサンに至るまで自らの意識を変革するよすがとなっている。 このドラマのいちばんのポイントって、今のところそこにある気がします。

 そんな、「日本人としての従来の発想」 を外的要因から揺さぶられている人たちと対極をなしているのが、元来から柔軟な発想で動いている鴨居です。
 第4週、夏場に突然ワインの入ったビンが爆発する、という事故が続発し、鴨居商店が売り出している太陽ワインは品質の良さからそのようなことが起こらなかったにもかかわらず、風評被害によって売り上げに壊滅的な打撃が出ることになります。
 そこで鴨居がまず行なったのは、太陽ワインの製造元である田中社長の住吉酒造の技術者であるマッサンに、その安全性を実証させること。 そしてそのマッサンを連れ出して、ひたすら得意先回り、という地味な作業を繰り返す。 いつもの背広姿みたいな偉そうな格好では聞いてもらえんと、家電量販店みたいなハッピを着て(笑)。

 こういうなりふり構わない行動力が鴨居の大いなる魅力であることをあらかじめ提示しておいて、その草の根戦術が無効であると悟ったとき、鴨居はマッサンを意図的に加えて社内ミーティングを開き、迅速に次の行動に打って出る。
 この並外れた行動力と柔軟な発想は、社員にもその精神が浸透していて、次々と新しいアイディアが出てくるのですが、その呼び水になったのが、マッサンの発言。
 こういうフレキシブルな会社というのが、伸びるんですよ(笑)。
 赤玉ポートワインのあの斬新なポスターを知っている身としては、そのポスターが多少の演出を加えながら、どのように誕生していったのかを見るワクワク感というのがある。 まさに 「プロジェクトX」 ですよ。 赤玉ポートワインのヌードポスターというのは、その後のサントリーがその広告力によって業績を伸ばしていく、まさに原点とも言えるモニュメントなのです。

 そのポスター制作が決まった会議の後、鴨居はマッサンに言うのです(第4週、22回)。

 「ものを突き動かすのは、切り替えの速さや」

 「じゃったらなんで、わしをここに呼んだんですか」 とマッサン。

 「中身の話すると思たからや」「えっ?」

 「この手の話し合いは、事務方だけが騒いでもあかん。 あらゆる方向からの物差しが必要なんや。 職人いうか、造り手の生の声を聞かな、ええもんはできまへん」

 いいリーダーというのは、組織をわざとかきまわして、空気を入れ替えてやる必要性を分かっている。 そして、社員たちの発想を受け止めて実行に移していく度量と、決断力。
 こうした鴨居の強引な手腕というものにさんざん文句を言っているマッサンなのですが、それをエリーに語る口調というのは、あくまで熱い。
 ただ、赤玉ポートワインがモデルであるドラマ中の太陽ワインの製造に関するごく初期の時点から、マッサンと鴨居のあいだには、製品の品質についての決定的な溝というものが、横たわっている。 日本人の口に合うようにいろんな甘味料やら混ぜている鴨居と、あくまで本物にこだわるマッサンの職人肌。 それはおそらく、この先ウイスキー造りにおいても、鴨居とマッサンを決定的に分かつ根本的な要因になるでありましょう。
 これを序盤のワインの段階からきちんと描いている、というのにも感心します。 ドラマの内容に対する、仕込みと熟成というものが、すでに成立している印象を受ける。

 マッサンがこだわっている、「本物のウイスキー」 という命題が、マッサンの首を徐々に締め始める、というからくりも、すでに第1週から仕込まれている。
 マッサンの父親(前田吟サン)も、蒸留酒作りに欠かせないスチルポット製造を依頼される泉谷しげる似の(笑)やかん職人、佐渡(佐川満男サン)も、誰も本場のスコッチウイスキーをうまい、と言った者がいないんですよ。 スコッチウイスキーを飲んで感動してるのは、マッサンだけで。 ウイスキー製造を推進しようとしている田中社長でさえ、ちゃんと飲んだことがあるのかな?という雰囲気だし。 田中社長のビジョンというのは、もしかしたら 「将来日本の西洋化がもっと進めばウイスキーの需要は必ず増大する」 というものでしかないのではないか、という気さえする。

 田中社長が鴨居に対して持っている劣等感というものも、確実に描いているというのもこのドラマのすごいところだと思います。

 「わしもな、時々思うねん。 わしとあの社長と、どこがいったいちゃうのやろうと。

 学校もわしのほうがええとこ出とる。 酒の知識も負けてへん。 そやけど今見てみい。 あの社長は、ピカピカの運転手付きの車に乗ってるがな。 わしゃ錆びた自転車や。 なんでやろ…。
 わしも早よ、世間で流行りの商品を作りたい」(第4週、24回)

 
 学歴も上なのに鴨居には敵わない。 その器量の狭さを実に分かりやすい方法で指し示していたのは、臨時株主会議でウイスキーの製造が認められるか、というところまでこぎつけたときに、マッサンの行きつけの 「こひのぼり」 で 「今日はワイのおごりや!」 とぶち上げたときに、「いやいやここにいるお客全員ちゃうで」 とやったエピソードだった気がする(笑)。

 話は前後します。
 エリーの 「お節介」 によって、いったんは縁談を断った優子でしたが、ワイン爆発の余波というのはまだくすぶっていて、銀行員で海運会社の社長の息子である先方との結婚を断る、ということが、すなわち住吉酒造の倒産に直結する事態へと、発展してしまいます。
 優子は会社の一大事に自分は自分のやるべきことをしなければいけない、という決意で、縁談を受ける。
 いっぽう太陽ワインのポスター撮り。 鴨居とマッサンが襖の細い隙間から見守るモデルの女性が、だんだんと和服を肩から下へとおろしていき、ついにはヌードになってしまう過程は、NHKにしてはかなりの冒険。 こちらのほうがドギマギしてしまう。
 その撮影後、カメラマンが鴨居との10年越しの約束を果たした、という話を聞いたマッサンは、鴨居に言うのです。

 「わしゃ…誤解しとりました。 鴨居商店は、大将が独裁者みたいにふんぞり返って、思いのままに操られとる人らの会社じゃ思うとったんです。

 じゃけど、ほうじゃなかったんですね。

 ほんまに自由で、新しい意見でも、ちゃんと認めてもらえる場所じゃいうことがよう分かりました」

 鴨居は答えます。 「会社でいちばんの財産は、人や。

 人間が成長せなんだら、会社も成長でけへん」(第4週、23回)

 そのさい鴨居からヘッドハンティングの誘いを受けるマッサンでしたが、逡巡したあげく、その誘いを断る。 これをエリーに何の相談もせずに決めてしまったことで、またマッサンとエリーはケンカになるのですが、ここでのケンカの段階は、ただのすれ違いだった第3週のケンカよりもちょっとレベルが上がっている。

 「そんな大事なこと、なんで(私に)相談もせずに決めちゃうの?」

 「わしの仕事の話じゃ。 それに、ほとんど最初から断るつもりじゃったし」

 「断る? どうして? もっとしっかり考えるべきじゃない?」

 「エリーは、鴨居商店に行ったほうがええ思うんか?」

 うなずくエリー。 マッサンは、田中の社長には留学までさせてもらった恩がある、義理と人情を大事にする日本人の気持ちなど、どう説明したって分からない、と言ってしまいます。 エリーは激高します(第4週、24回)。

 「分かるよ!

 …分かる。

 『ギリ』『ニンジョウ』、…その言葉、知らないけど、ボスや優子さんにお世話になったこと、大切、それは分かる!

 だけど、それでも、もっと考えたほうがいい。

 大将のところで働いてるマッサン、楽しそうだった。 大将の話するマッサン、うれしそうだった」

 「そがなことは…」

 「分かるよ! だって、…マッサンの嫁さん…でしょ?

 マッサンと一緒に、悩む、考える。 それは私の仕事!

 なのにマッサンは、私が外国人だから分からないって!

 ユー、メイクミーフィール、ソー 『悲しい』! ソー 『寂しい』! マッサン! 大将が私を(ポスターのモデルにしたいと言って)馬鹿にしてると言ったけど、

 いちばん、

 私のこと、バカにしてるのは、

 マッサン!」

 そして目の前で、襖をピシャリ! 出た~、天の岩戸じゃ~っ!(がはははは…また 「めぞん一刻」 ネタだった…笑)。

 冗談はさておいて、ここでのケンカの原因は、マッサンの凝り固まった閉塞的な国際感覚なのであり、夫婦の他愛ないすれ違いとは、一線を画している。
 マッサンはスコットランドでその自由な空気に次男坊の奔放的な性格が合致して馴染んでいたけれども、いざ日本に帰ってくると、男がエバっていればいい日本の空気が居心地いいと、感じてしまっている。 そしておそらくマッサンの念頭にあるのは、「郷に入っては郷に従え」、という価値観なのではないか。 だからこそマッサンはスコットランド時代、その土地に馴染もうとしたのかもしれないし。

 エリーの価値観というのは、恩義のために自分の人生を狭めてもいいのか、というところに重点がある。 そして夫が十二分にその力を発揮できる所で働くのが、いちばんだと思っている。 より功利主義的である、とも言えるのですが、慣習とかで結婚を決めている日本式のやりかたをいちおうは理解しながらも、やはり異を唱えずにはいられない、それが私の持っている信条だから、という側面がある。

 というわけでマッサンとエリーの冷戦状態が続く第5週に突入していくわけですが、この週のメインストーリーが、また侮れない。
 優子の見合い話がそこに絶妙に絡みます。 田中社長とマッサンが推し進めようとするウイスキー事業計画に、優子の見合い相手の父親(国広富之サン)が関与しだすんですよ。 こうなると、これがフィクションとかいうのはとうにどうでもいい話になって、脚本家の構成の周到さに、ただひたすら舌を巻くしかなくなります。

 第5週冒頭、エリーは独断で鴨居のところへ、マッサンを会社に入れてほしいと頼みに行きますが、鴨居はそれを断る。 エリーの単独行動をここで問題にすべきではない。 エリーの行動基準というのはいかにも西洋的な合理主義に基づいているのですが、それを正す鴨居の言葉が、この第5週を動かしていく、鍵となってくる。

 「あいつ(マッサン)は、猪突猛進のイノシシや。 いっぺんこっちやと決めたら、まっすぐにしか走らへん。 な?

 曲がることも、引き返すこともしない。 夢に向かってまっしぐら。

 あのイノシシは、自分から、険しい山道を選びよった。 住吉酒造に残っても、ウイスキーが作れる保証はない。 そやけど、住吉で走り続けると決めた。

 ほなエリーちゃんは、内助の功を果たさなならん。 力いっぱい走るしか能がない夫を、陰で支えるんが、内助の功や」(第5週、25回)

 ウイスキー事業の最初の障壁となるのが、「鴨居商店が太陽ワイン製造のため自社工場を建てる」 という情報。 太陽ワイン製造は田中商店の命綱ですから、これを決められてはウイスキー造りそのものに関わってしまう。 田中社長は鴨居商店に直談判に赴きます。 頭を下げる田中社長。

 「社長…頭上げてください。 わては亀山を引き抜こうとした男や。 そんな男に頭を下げて、悔しゅうないんですか?」

 「悔しいです! 今も…今までも、悔しい思いをしてきました」

 「それでも頭下げはるんは、会社のためですか?」

 「違います。

 大将です。 鴨居欣次郎です。

 わしはいつか、大将を超えたい…」「超える?」

 「ウイスキーです。 ウイスキーだけは、大将よりわしが、先に造らせてもらいます!」

 田中社長の劣等感と夢を、よく描写していると思いますよ、ここは。 自社工場の話は立ち消え、ウイスキー事業に追い風が吹き始めたと同時に、田中はマッサンを伴って、小口の株主のところにウイスキー事業を認めてもらおうと、奔走しだす。
 しかし大株主である守谷が次の障壁になってくる。 それを、見合いの打ち合わせで来たところに、マッサン自身が直接頼み込むことで田中社長、優子の援護射撃ももらい、なんとか臨時株主会議までこぎつけることとなる(第5週、27回)。
 しかし次に待ち受けていたのが、先に書いたように、「ウイスキーって、ほんまにおいしいの?」 という問題。 いくら本格的なウィスキーを作っても、売れなければお話しにならんのです。

 物語のかなり初期から仕込んできたこの話題。 ここでさらにキャサリンの 「煙臭い」、優子の 「薬臭い」 という部外者の認識を盛り込んで、ナレーションでその原因が泥炭(ピート)にあることを説明していきます。

 「ウイスキーの香りを決めるのが、このピート。 麦芽を乾燥させるときにつく、独特のスモーキーフレーバーこそが、スコッチウイスキーの特徴です」。

 そのナレーションにかぶる、泥炭の製造過程。 これをまるで巣鴨のとげぬき地蔵のように体になすりつけてありがたがるマッサン(笑)と、「くさいくさいくさい!異臭騒ぎが起こる!」 と消火してしまう事務方の矢口(白井晃サン)。 燻製、という技術自体は確かに当時の日本にもあったのでしょうが、「煙の匂い、スモーキーフレーバーを楽しむ」 という素地がない、という決定的な文化の差を、ここで明確化する。

 うーん。 ドラマの組み立てがとても理詰めだ、と感じます。

 そして事あるごとにマッサンの邪魔をしようとする矢口に、物語は 「経営的な理由」 をつけてクレバーな説明をそれまでしていたのですが、その意図の底には 「お前がキライやから潰したる」 というおおもとの原因を残していた。 これはある意味、クレバーな理由をつけられるより、説得力を伴っている。
 もっとも、矢口はマッサンと田中社長の、ヘッドハンティングの際の信頼関係回復を、つぶさに見ていた。 そこに嫉妬心というものが見え隠れするのも、うまく出来てるよなあ、という感じがするのです。
 矢口はのちにマッサンに、「お前は生まれてくる国と時代を間違えたんだ」 と吐き捨てています(第5週、30回)。 おそらく矢口は、自分の夢を諦めて、経理なんかをやっている。 だから無邪気に夢を追いかけるマッサンが、妬ましかったのではないか、ということまで考察できる。 ひとりひとりの性格づくりにも、手抜かりがないなあ、という感じです。

 さて、スコッチウイスキーの独特のにおいについて、刺身の臭み抜きという物語の仕込みをしておいて、開かれた臨時株主会議でマッサンピンチ!というときにエリーがスコットランドの料理を出し、「料理に合う酒」 としてアピールする、という話の持っていきかた(第5週28回)。
 「スコットランドの料理じゃなあ、日本の料理と合わなあかん」 という守谷にきちんと焼き魚を提供し、ハードルを次々と飛び越えていくストーリー展開は、小気味よささえ感じる。
 ここで見ている側は、「内助の功」 がこの第5週の副題なのだから、これでエリーの内助の功が見事に発揮され、問題は解決し、いよいよウイスキー事業が本格的に始まるのか、と思う。 それが 「朝ドラ」 がたいてい辿る、予定調和ですからね。

 しかし、ここで最後のハードルに、マッサンとエリーはつまづいてしまうのです。 伏兵は、優子の見合い相手の父親だった、国広富之サンです。
 承認が見送られた最大の原因は、投資から商品化に至るまでの期間が5年という長きにわたる、ということ。 ここに、ビン爆発のあおりを食らって脆弱化した経営の余燼が、まだくすぶっていたこと。
 株主ではない国広サンの発言力がどうしてここまで重要性を帯びたのか、というと、ウイスキー事業をやめなければ、優子と自分の息子との結婚も白紙にする、という強い態度に出たから。 ドラマのストーリーとしては、よくここまで八方ふさがりにしたよな、というほどの完璧さだと思いました。

 さらに、将来の希望に向かって突き進む積極性と、リスクと常に向き合わねばならない慎重性。
 株主たちのその、気持ちの揺らぎというものまで、このドラマは描写したのです。
 やるなあ。

 そしてウイスキー事業を諦められないのであれば、マッサンは会社を辞める。 そこまで結婚の条件として持ち出されてしまう。 完膚なきまでの敗北です。 ここまでするか(第6週、29回)。

 優子はエリーのところに、「政春さんが会社を辞めたくないのなら、それで自分の縁談が破談になってもいい」 と告げに来ます。 近視眼的なドラマの作り手であれば、けっして優子の気持ちまでは気が回らない。 優子は自分が道具であることをここではっきりと自覚し、自暴自棄とすれすれのところでなんとか自分を保っているのです。

 優子の気持ちをマッサンに伝えるエリー。 マッサンは自嘲気味につぶやきます。

 「わしが間違うとんのかのう…。

 わしが 『ウィスキー造りたい』 言うとるせいで、みんなを振り回して、みんなに迷惑かけて…。

 諦めたほうがええんかのう…」

 マッサンに近づくエリー。 「違う…違う。

 マッサンは、間違ってない。

 スコットランドで、一生懸命頑張った。

 お父さんとも約束した」

 「じゃけど…」

 「ダイジョブ。 大丈夫!

 人生は、冒険。 アドベンチャー。

 私、夢、食べて、生きていける」

 「夢を食べて?」

 「フフッ…。 マッサンの夢があれば、私、生きていける。

 どんなことでも、我慢できる」

 「エリー…」

 「マッサン。 日本で、初めての男になる。 世界一、うまいウィスキー造る男になる」

 ここでエリーが歌い出すのは、「ゴンドラの歌」 です。
 このドラマでは、中島みゆきサンが冒頭で歌っているように、「歌に翼が生えています」。
 つまり、歌がマッサンとエリーの人生を、下から支えるよすがとなっている。
 これまでも、のちの 「麦畑」 の歌をはじめとして、「蛍の光」「峠のわが家」 などの歌が、効果的にふたりの人生を導く翼となっていました。
 「命短し恋せよ乙女、朱き唇褪せぬ間に」 という 「ゴンドラの歌」 はもともと、優子が自らのなかの葛藤を吐き出すような性格を帯びていた。 そして自らの思うままに恋に生きよ、と訴えるその歌が、エリーの心をとらえる、という性格を帯びていた。

 ところがここでは、「命は短いのだから、自らの思うままに精一杯生きよ」、という意味を伴って、マッサンの心を打つのです。 「熱き血潮の冷えぬ間に、明日の月日のないものを」。 それは、ウイスキー造りへの情熱を失うな、という意味を伴って、マッサンの心を動かすのです。 男泣きに泣く、マッサン。

 このダブルミーニングには、参ったなあ。 とても高度な物語だ、と思いましたよ。
 しかも、スコッチウイスキーに合う料理を株主会議で提供して、マッサンのピンチを救った、ということよりも、実はこうして、マッサンが失意にいる時に、マッサンを信じて励ました、ということこそが、「内助の功」 であった、という結論。 参りました。

 そして第6週。 仕事を辞めたマッサンが、前述の通り 「甲斐性なしのロクデナシ」 に豹変します(笑)。
 そこに、ご近所づきあいの話を絡めながら、第6週の副題 「情けは人のためならず」 という結論を導き出すのですが、第5週の話の緊密さに比べると、一息ついたかな、という感じはいたしました。

 しかし、「ロクデナシモード」 にフォームチェンジするマッサン(笑)の変身ベルト、すなわち精神的な要因については、実に細かく描写していた。
 これを見ると、「どうして引きこもりになってしまうのか」 とか、現代人の病理まで説明できる気さえしてくる。

 第6週冒頭、エリーはからの米びつを持ってきて、「やっぱり、夢だけじゃ、食べていけまへんな」(笑)。 いたずらっぽくマッサンにしゃべって、ちょっと大見得を切ってしまった先週の自分の言葉を訂正するんですよ(31回)。 用意周到だなあ。

 2か月のあいだ、職を転々としてきたマッサン。 面接の日の朝に、鏡を見ながら営業スマイルの練習をするのですが、おかしくもないのに笑えない。 まずこれが第1点目(笑)。
 出がけに、心配するエリーに 「今度こそ長う続けられる仕事じゃ思うんじゃ」。 こういう、強がりで当てのない言葉を言う。 ここで2点目の減点(笑)。
 「私も仕事探そうかな」 と切り出すエリーに、「働いて金を稼いでくるのは男じゃ!」。 つまらん男尊女卑に囚われて、ここで3点目の減点(笑)。
 で、早々に帰ってきてどうして面接ダメだったかを訊かれると、「どうも自分に向いとらん」。 仕事つーもんはですね(笑)、多少自分とそりが合わんでも、なんとか辻褄をつけてやるもんなんですよ(笑)。 はい4点減点(笑)。
 キャサリンたちからおすそわけをもらっても、「食い物恵んでもらうほど落ちぶれとりゃせん」「武士は食わねど高…高楊枝じゃ」(どーしていったん言いよどむ?…笑)。 妙なプライドで、減点5点目(笑)。
 そして 「どうして朝飯がこれだけ?」。 現状を把握しとりません。 それどころか、現実から逃避の傾向さえ見られる。 6点減点。

 キャサリンはそんなマッサンに言い寄ります。 「このままずるずる仕事始めたら、ウイスキーのことは諦めなあかんようになるて、そない思てんのやろ?」

 私もそうだったから言いますけど、「自分には大きな夢がある」 なんて考えだすと、ほかのことをやるのに、とても消極的になってしまうんですよ。 「こんなのは、オレのしたいことじゃない」「こんなことをするために生きてるんじゃない」。
 だからキャサリンのこの言葉には、かなりドキッとしました。
 生きていくためには、なりふり構ってらんなくなる時が、いつかきっと来る。
 マッサンは米びつがカラになってもまだどーにかなる、と思っているから、すごく始末が悪い、と思いますよ。
 どーにかなる、と思うのは、実家に泣きつくという最後の手段が残っているから。
 以前当ブログで実際の引きこもりの人と議論したことがあったのですが、やはり私が考えてしまうのは、「引きこもりは、引きこもれるから引きこもる」。 親がいるから引きこもれる。 いくら気まずく食事をしても、親に部屋まで食事を持って来させても、気まずいのはその時限りです。 結局はずるずると、自分の無気力に負けていく。

 そして限りない自己嫌悪に陥って、ますます外に出ていく勇気というものがなくなっていく。

 でも、「無気力」 とか 「外に出る勇気」 とか、そんなものは自分を縛る呪文でしかないんだ、と思うんですよ。
 私はそこから抜け出したから、それらの言葉が呪文だ、と今は感じる。
 抜け出せたのは、働かなきゃどーしょーもなくなったから。 そうなると、もう自分の夢がどーとか、言ってらんなくなるんですよ。

 マッサンは 「ウィスキーの仕事なら」 とウイスキーを売る店で働きだすのですが、そこで売ってるウイスキーは、要するにまがいもん。 ウイスキーに対してかなりのプライドを有しているマッサンは、自分の会社で売っているウイスキーに、我慢がなりません。 それを求めに来た客に 「こんなもんは買わんほうがええ」 と言う始末で、即刻クビ。 当時はたぶん解雇予告から1か月の猶予とかないから(知らんけど)、文字通り即刻クビだったんでしょうね。

 私は思うのですが、マッサンも現代の引きこもりと、まったくの紙一重の位置にいたんじゃないか、と。
 つまり、いくらくすぶっていても、そういう 「内にこもるエネルギー」 がたまっている人は、何事かを成し遂げる大いなる可能性も、逆に秘めているのではないか、と。
 要は、それが内から外へ、いかにして逆転するか、なんですよ。
 それはおそらく、待っているだけでは実現しない。
 這いつくばって、這いつくばって、明日を信じて泥まみれになるしかない。

 この第6週の後半は、風邪っぴき騒ぎで終始したので、もうこれ以上の解説は不要だ、と感じます。
 そのメインストーリーのそばで、広島の亀山酒造がまた、ドラマに絡み始めています。
 どうにも用意周到だねこのドラマ。 唐突な登場とかがない。

 まあそんな感じですか。

 なにしろもう、書き疲れました(ハハ…)。

 私も何かを信じながら、こうやって苦しみ抜いて、生きているんだなあ、と思います。

 しかしどーすんのかな。

 いや、マッサンとエリーじゃなくて(笑)、こういうしんどいレビューは、もう終わりにしたいんですが(笑)。

 でもやっちゃうんだろうな、たぶん書きたくなれば。

 なにしろそうするのが好きだから。

« 近況報告(ちょっと、武者修行に行ってまいりました…笑) | トップページ | 「世田谷ナンバー」 、世田谷区民の私の見解 »

テレビ」カテゴリの記事

コメント

やっぱりエリーの視点を意識して「線」で捉えるとプロットがしっかりしているのが解りますね。特に第5週の嫁ぐ優子にエリーが贈り物をする場面、第1週で元はスコットランド民謡である事が語られている「蛍の光」のBGMが流れて「別れ」と「国境を越えた友情」の二重の意味が持たされるのは凄い。

住吉酒造全体の描き方も良い。矢口専務は「潰したる」と大見え切ったけど具体的なアクションはそれ程、起こしていない。ただ株主総会の場面でエリーが正規のスタッフではない事を指摘してマッサンの土下座にもつられない。鴨井商店のスタッフミーティングが先に来ていた事で組織の脆弱さが浮き彫りになり藤岡氏もそこを見ている。結局は専務の意見も容れてこなかったキヨシが原因。大株主の娘婿をホイホイ更迭する訳にもいかないからマッサンがスケープゴートになったという…。会社としてはありそうな話。(だからこそ御指摘にあるように本当の意味の「内助の功」が意味を持ちますが)

キヨシ視点も重要だったのは第2週と第5週で「優子の縁談」と「マッサンの夢」という二者択一が二度行われ、それぞれ違う結果になった事からも解りますね。リウ様も指摘されたように実質、オーナーである奥さんを「優子の婿取り」という名目で丸め込んでマッサンの留学を強行した節があったし、そのツケが回り娘に無理強いをしてきた事を彼は初めて自覚した。

この辺り「マッサンのウイスキー造り」という部分だけに着目して「点」で観ている人には解り辛いのかもしれません。優子との関わりや最近の内容など宙ぶらりんになっているピン子との決着に向けてのエリー視点での布石のように思えますが、さて。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

株主会議あたりのテンションを期待してしまうと、「風邪の話なんかしつこくやらんでもよろしい」 とか 「ホットトディーなんかどうでもよろしい」 とか考えてしまいがちですが、そうじゃない、と思います。 緩急の問題であって。

でもその 「緩」 の部分がさほどうまくいってる感じがしないのが玉に傷なんですが(なんとなくわざとらしさを感じる)、「異国で風邪をひいて日本人の温かさをエリーが知った」、という意味があったりする。 無駄な作り話、というわけじゃない、とは思います。

おそらく今週の、家主の子供の話もどこかで何かがつながっているのでしょう(まだ見てないけど)。

秀逸だと思うのは、木岡の奥さん…(笑)やキャサリンに、「ドラマの解説員」 としての役割があてがわれていること。 よくニュースバラエティとかで、本題に入る前に出てくる、「街の人の声」 インタビューみたいな感覚なんですよ(笑)。 これが 「ごちそうさん」 なんかだと、理屈っぽい説明ゼリフがダラダラ続いただろう、と思われる。

しかし1週ごとにレビューしないと、今回みたいにワヤクチャになってしまう(笑)。 4週分一挙になんて、とても暴挙でした…(笑)。

リウ様
こんばんは。

株主会議のシークエンスは、まるで「美味しんぼ」でした。もっとも、あの漫画なら、国広さんの拍手に、周りの株主たちが賛同した時点で「めでたしめでたし」なんですが、
実はあの拍手が一番怖かった。「半沢直樹」のオチにも似てますが、朝ドラで、こうした「いくら頑張っても報われない事が世の中にはある」ということを正面から描くことは滅多になかったと思います。

また、ここ2週のマッサンのダメ男っぷりも、しょうがねぇなあと思いながらも、分かるんですよ。要は、やらんといかんと分かりつつ、夏休みの宿題をさぼり続け8月31日まで来てしまった小学生男子みたいなものです。今週、庭にパン釜を作り出したりするのは、「夏休みの友」が真っ白なのに、盆過ぎて急に「昆虫採集やるっ」と言い出したガキンチョと変わりありません。ただ、このパンの話は、別のかたちで後に続きそうなのですがね。

確かに、かなりベタな展開にも平気で持って行きますが、それが単なるベタなままでは終わらない。一件落着とはならず、何かしら引きずっていくものがある。それが、今回の脚本の大きな特徴なのかもしれません。リウ様のおっしゃられる「緩急」もしかり。「緩」の時は一見ダレているように見えて、本当にダレているのかもしれませんけど、それも、ここまで綴られたものの延長線上に立っているから、まあ、納得してしまう(エラソーですね)。これは、我々が実際に生きている時間の流れそのものなのかもしれません。

だから、もっとパキパキと、ドラマ的に時間が流れるのを望む向きには、「あ~マッサンイライラする!早くウイスキー作らんか!」ということになるのかもしれません。かく言う私も、「はよう鴨居の大将んとこいきゃあええのにのう」と思いながら今週は観ておりましたが(笑)、人生そんなに定規で線を引くような訳にはまいりません。迷ったり、先送りしたり、同じところグルグル回ったりしながら、それでも少しづつ前に進んでいかなければならない。この作品に登場する人物の時間は、皆、そんな風にして流れていると思います。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

なるほどなぁ~。 そうですよ、「美味しんぼ」 でしたよ、アレ。 相変わらず着眼点が柔軟ですね!

朝ドラというのは長丁場だけあって、最初よくてもだんだん失敗していくとか(この、「だんだん」 というのが怖い…笑)あるから、ちょっと警戒しながら見ています。 その点 「カーネ」 は揺らぎがなかったなあ。 夏木サンの第1週のときはさすがにアカン、と思いましたが、今にして思うと意味があったし。

マッサンは、時代が違ってたら完全に引きこもりだろうな、と思ってこのレビューを書きました。
引きこもりにならない理由は、そりゃすでに結婚してたから、というのが大きいですが、社会的なつながりが濃すぎる、という点にあると言っていいでしょう。 引きこもってらんないでしょ(笑)。

でもマッサンがなかなか外の世界と自分を折り合いつけることが出来ない、というのは、これは引きこもるときの大きな要因でして。

いくら才能があったとしても、世間が評価してくれる、というのはとても難しいんですよ、いつも。 ビートルズだって、デビューシングルは 「ビートルズっぽくない」 でしょ。 さだまさしサンだって、ホントはプログレをやりたかったらしいけど、まったく逆の叙情派フォークになってしまったし。 つまり自分が本当に望んでいることと、世間の物差しというのは、必ずしも一致しない。 それなのに自分の夢にこだわって引きこもってしまう人は、それを受け入れようとしないんですよ。 頑ななまでに。

そして自分には才能がそもそもない、と思い込んでしまったり、自分を認めない世間のほうが悪いんだ、と開き直ったり、そのうちに夢に対する情熱自体が醒めてしまったり。

(先週までの)マッサンの行動パターンを見ていると、よく当てはまっているような気がしますね。 この人は、エリーがいなけりゃダメ人間になる可能性が非常に高い気がする。 なにしろ、酒に逃げる、という行動パターンがよくない×3(笑)。

でも、道にきちんとハマって動き出すときの力は、イノシシ並みにすごいと思うんですよ。

その、イノシシ並みの仕事っぷりをこれから描かないと、「やっぱり失敗作になったか…」 ということになってしまいそうです。

第7週はさすがに微妙な所もありましたが、
第8週から、また少しずつ動きが出てきました。

まず、マッサンですが退社後に
ニート⇒フリーター⇒現在は実家で非正規社員となり
いずれは鴨井商店の正社員なのでしょうが、
雇い主である春さんへの態度など成長が見られない。
お父さんも息子を鍛えて足元を固めてやる必要を
感じているようで、視聴者にはフリーターと正社員は
何が違うのか、社会や不況のせいばかりに
していないか?と問いかけている模様。

足元固まれば後は突っ走るだけのマッサンと
対照的にエリーは堅実&着実ですね。
すみれ⇒優子ときて今週は千賀子。
一歩ずつラスボスのピン子に近づいていく。
塩ドバ、醤油ドバに比べりゃ
今回のイビリもどってこと無いな(笑。

このドラマのレポートの続編がリリースされて嬉しいです。
それにしても綿密な考察ですね。
その点はいつも感心しています。

>「常識を疑う心」。 
>このドラマの語り手がいちばん言おうとしていることなのではないか、
>という気はしますね。

なるほどそうでしたか。

最初は優子さんのファン目線で見ていましたが、
最近は

「私、夢、食べて、生きていける」

これを言えるエリーさんは
凄いなあとつくづく思います。
エリーさんは強くて優しい人だなと・・

周囲の人たちがどれほど
エリーを白眼視しても
最終的には、エリーが勝つ??みたい感じ

別に彼女は勝つとか考えていないみたいですが、
常識に囚われた人たちが開眼していくプロセスということでしょうか。

主人公のマッサンは、実際には脇役にしかみえないのですが。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

実は先週のレビューも、ちょっと書きかけで止まってまして(笑)。 そのレビューの趣旨は、「本題に気を取られていると、作り手が本当に言いたいことが見えてこない」 というもので。

ここで書いちゃいますかね(いや、さわりだけ)。

私は先週の大家さんとその子供たちのエピソードに関しては、んーちょっとご都合主義っぽいお決まりパターンだったよな、という気は確かにしました。
でも、私がそこにあまり気を取られなかったのは、「人生は冒険だ」、というこの週のテーマに共感したからなのです。

このドラマを見てると、かつて引きこもりだった自分に(重度にならずに済みましたけどね、社会に出てかなきゃならなくなって)矛先が向かっているような気に、時々させられるんですよ。

夢を追うのも結構だが、まずは日々の糧に集中せよ。

夢を空想、白日夢にしてはならない。

ネガティヴな気持ちの澱みにはまることなかれ。

そして先週の、「人生は、そもそも一回こっきりの冒険なのだから、失敗にたいして憶病であってはならない」。

そのことを考えてたら、メインの大家さんたちの話など、どうでもよくなって(笑)。

…さわりだけ、などと書きながら、ほとんど書いちゃいました(爆)。

金次郎様
コメント下さり、ありがとうございます。

先のコメントにも書きましたが、先週分のレビューが書きかけのまま止まってまして。

つまりそれだけ、このドラマに対して情熱がないことなのかもしれません。 こんだけ突っ込んだレビューをしててナンですけど(笑)。
もしこのドラマに対してもっと熱く語りたいのであれば、万難を排してでも仕上げちゃうと思うんですよね、レビュー。

でも、このドラマの作り手たちがちゃんと自分たちの言いたいことを真摯に表明しようとしていることは、確実に感じます。
その方法には不器用さも垣間見えながらも、です。

たとえば、「夢を食べて生きていける」、とエリーが言ったそのあとで、「あれはやっぱりナシ」 みたいな展開になるところがイイ(笑)。 「やっぱ霞を食っては生きてゆけないわ」、というのがリアルなのであって、それでもエリーの覚悟だけは、ちゃんと伝わってくるからです。

「常識を疑う心」 の部分は、第3週か4週あたりで感じたことで、ちょっと冒頭に書いた 「論旨に多少おかしな点」 のひとつ、であります(笑)。 その時点ではそう思ってました(笑)。

イマイチに思えた第7週も今週の終盤に
ボディーブローのように効いて来ましたかね。

それを上手くいなしてしまう
「渡鬼」コンビはさすがでした。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

昨日の予告通り、一日寝ているあいだに休日の半分は終わってしまいました(ナミダ)。

今日はテレビ見てブログを書こうかな~(これで二連休なんて、なんかどこかむなしい気もする…笑)。

「マッサン」リウ様は10・11週辺りでしょうか。

レビューでも指摘されていますが
酒を仕込んで成熟を待つような作品。
前回コメは第8週でマッサンが実家で父や俊兄に
しごかれる所まででしたが大阪に戻った第9週で
その経験がすぐに生きるわけではなく、
マッサン自身が部下を持つ工場長となり
鴨井社長の息子の事を任された辺りで生きていくる。

本編は既に北海道ながら一時、大阪に戻って
「こいのぼり」に立ち寄る場面があるのですが
「エリーとエマ(娘)の心配しとるだけや」
というキャサリンの言葉も笑っていなしている。
ちょっと前なら、むくれ顔になっているところ。

「カーネーション」三姉妹編の優子的ダイナミズムも
晩年編糸子の人間的成熟のような骨太さもないが
「赤毛のアン」のような無段階的リアリティがあります。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

私のように続けて何回も見ているとあまり気になってこないのですが、毎日15分ずつ見ている人(特にヤフコメ)はアラさがししまくってんだろうなー、ということは感じます。

特にマッサンが日本酒の仕込みをする姿勢であるとか、いつまでたっても大将と同じ仲たがいをする部分とか、エリーのいちばんの望みがベイビーであることをいつまでも隠しておいて改築に精を出してしまうところとか。

ただ、いまのところ私の目にこびりついているのは、大将が契約金として前金でポンと出した4000円の札の山(笑)。 あれだけありゃエリーもベイビーとかいう前に、自分の言うことを一向にまともに聞こうとしないマッサンへの当てつけも手伝って、ガス設置だとかシャンデリア(これはキャサリンの暴走…笑)とか、ウサを晴らしてしまうだろうな、つーか(笑)。

マッサンがどうしても経営的手腕がなく、「日本でウィスキーを作る最初の男になる」 という目的だけで突っ走っているのは、これは 「猪突猛進」 と大将に評されていたときから決まっていることであって。 それをとやかく言っても仕方ないのです。 その、イノシシの手綱を握っているのがエリーなんですよね。

いずれにしても、「人生は、アドベンチャーなのだ」、というのがこのドラマのテーマなのではないか、という気はしています。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521783/60585731

この記事へのトラックバック一覧です: 「マッサン」 第3-6週 予定調和を拒絶する朝ドラ:

« 近況報告(ちょっと、武者修行に行ってまいりました…笑) | トップページ | 「世田谷ナンバー」 、世田谷区民の私の見解 »

2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

無料ブログはココログ