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2014年11月19日 (水)

高倉健サンのこと

 おそらくこの人は、こういういなくなりかたをするんだろうな、という私の予想通りに、この世から去って行きました。 葬儀の類一切なし。 密葬が済んでもう肉体がこの世から消滅してから、その死が発表される。 我が国の役者のなかで最高ランクでありながら、けっして出しゃばることなく、飾ることなく、ひっそりと。

 そしてその死が公表され、私たちは騒いでいます。 でもこのニュースが大きく取り上げられるほど、私は胸の中にもやもやしたものがたまっていくような気がします。
 それは、騒げば騒ぐほど、自分たちが凡人である、ということを思い知っていく、というような気持ち。 自分たちの関心が、とても世俗的なものにまみれている、と自嘲したくなるような茫漠とした気持ち。

 「不器用ですから」 という言葉は独り歩きしてしまって、健サンを象徴するような言葉になってしまったけれど、これは自分の持てるすべてを、役者という仕事につぎ込んだ人でなければ出てこない言葉。 「不器用」 という言葉には、とても深い努力が潜んでいるんだ、と思う。
 すべての雑音を自分から遠ざけ、ただ役になりきることに集中する。 そして仕事が終わると、その存在を完全に世間から遮断してしまう。

 私などは軽々しく、その姿勢を 「ストイック」 と呼んでいたのですが(2012年9月9日付 「プロフェッショナル 仕事の流儀 高倉健スペシャル」 気さくな求道者→ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2012/09/post-1948.html)、今思い返してみると、「全力で仕事をすること」 を自らに課していた、「全力への殉教者」 という気もしてくるのです。

 だからその出演作が公開されると毎回大きな話題を呼び、最後まで現役感を持続させることが出来た。 そして最後まで、みんなから慕われた。 健サンに傾倒する人たちすべてが、健サンを自分の心のよりどころとして頼ることが出来た、と思うのです。

 私もそのひとり。
 だから今は、なにを書いても自分の平凡さ、愚鈍さを痛感するしかない。
 頑張ってないもの。 健サンほどに。

 数多くの健サンの映画の中で私がいちばん好きなのは、「駅 STATION」 ですね。
 どこがよかったのか。 それは今は、ちょっと語りたい気分ではありません。
 だからこの映画が公開された当時、この映画の脚本の倉本聰サンが健サンについて書いたエッセイを、ここに再掲してみます。 無断掲載となってしまいますが、このエッセイって今、たぶん埋もれちゃってると思う。 もし問題があれば、お手数ですが当ブログにご連絡ください。 直ちに削除いたします。 「家庭画報」 1981年6月号からです。



 健サンのひとり言        倉本聰


 昨年健サンの大学の先輩に当たる俳優、山本麟一氏が死んだ。 山本氏は最後まで健サンのことを弟のように想い可愛がり、そして健サンも麟さんのことを先輩先輩と最後まで慕った。
 その麟さんが旭川で営んだ酒亭 「侍」 の店内の壁には若き日から今日までの健サンの写真も所狭しと貼り並べられている。 任侠シリーズの花田秀次郎からアサヒビールのコマーシャルポスターまで。
 それらの写真を見ていると、健サンの顔が年々歳々ぐいぐい変わっていることに気付く。
 良い顔になっている。
 どんどん深みを増している。
 役者の 「現役」(註:傍点付き)ということについて、僕はひとつの定義を決めている。
 「現役」 とは 「現在変わりつつある」、そういうことだと僕は信じている。
 名人上手といわれる人でも、変わらなくなったらおしまいである。 それはもう退役した、いわば晩年、余生に過ぎない。 しかしひとたび名声を克ち得たスターと呼ばれる人たちの中には、退役する人が多いのも事実である。
 仕事は続けている。
 だが実際は退役している。
 もはや自分を変革しようとせず、過去の名声をしっかり守るのみ。
 そういうスターが圧倒的に多い。
 だがそうでない人々もいる。
 過去の名声をこそ自らの敵とし、過去に克たんと懸命に闘う、いわば守備的人生でなく攻撃的人生を生きる人々である。
 口で言うのはたやすいが、これは現実には極めて苦しい。
 自らの過去を敵とするには、まず失敗を重ねなければならない。 失敗を恐れては何も出来ない。 大胆に過去をふっ切らねばならない。 過去の名声が大きければ大きい程、自分の敵は強大になる。 挑戦するには激しい勇気が要る。 変革よりは過去をなぞってぬくぬく生きた方が数段楽である。
 健サンはスーパースターである。
 にもかかわらず現役である。
 スターとしてではなく役者として己を常に変えようと闘っている。
 他人に言えない、頼れない闘い。
 その闘いが健サンの顔を、年々歳々変えて来ている。

 健サンにはまるで少年のような、可愛らしさと素朴さがある。
 健サンは実によく映画を観歩くが、批判は語らない、感動のみを語る。 それも言葉の多い人でないからいくつかの短い言葉にしかならない。 シナリオ風に書けばこうなる。
 「感じましたねぇえ」
   (長い間)
 「たまらないスねぇえ」
   (長い間)
 「参ったなァ」
   (長い間)
 「許せないスねぇ!」
   (長い間)
 「すいませんお嬢さん、コーヒーもういっぱいいただけますか?」
 そして僕らはコーヒーを飲み過ぎる。
 しかし。
 批判を語らず感動のみを語る、これは学ばねばといつもぼくは思う。
 世に創作家と批評家がいるなら健サンや僕は創作家の側である。 今や一億総批評家、他人の作品を批判し、くさすことがまるで自らを高めるかのように切って切って切りまくる御時勢のなかで、僕は創る側の人間である以上、批判するより感動すること、溺れることをこそ大切だと思う。 感動することから創意は生まれるが批判することから情熱は湧かない。
 健サンの短い感動の言葉は、僕の中に新たな相違を触発さす。

 今、僕らは東宝で映画を創っている。
 「駅(STATION)」 という作品である。
 一昨年の夏から去年の春まで、健サンのためにこのシナリオを書いた。
 北海道のいくつかの駅舎をメイン舞台にした三部作である。
 北海道では今鉄道が縮小され古い駅舎はどんどん消えている。 その消えてゆく古い駅舎に健サンを立たせてみたいと思った。
 高倉健には北海道が似合う。
 何処に売れるという当てもない、健サンだけが知る作業だった。 二月の半ばにやっと書き終え、そっと健サンに読んでもらった。
 健サンは読み終え、そして一言、
 「参ったなァあ」
 と言ってくれた。
 その一言が僕の去年の、もっともうれしい事件であった。    (了)



 自分に力がなくて、倉本聰サンのエッセイを載せるしか芸がない私でありますが、このエッセイの中に書かれていたことは、当時高校生だった私の心肝を染めたはずだったのに、私は今、創作家ではなくただの批評家になり下がっています。 このままドラマの感想ブログを続けていいものかな。
 あと気付いた。 どうして私が人の名前のあとに 「サン」 とカタカナ表記で敬称をつけるクセがついたのか(笑)。 倉本サンの影響だった(笑)。 ともかく。

 高倉健サン、さようなら。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

仕事中、同僚から訃報を聞きました。結構、こたえました。
身近な人の訃報より、もっと悲しい・寂しい・せつない気持ちになりました。

>おそらくこの人は、こういういなくなりかたをするんだろうな、という私の予想通りに、
私は、予想通りというより「そうあってほしい」と願っていた気がします。 
だから、「予想通り」だったことにどこかホッとしました。


ワイドショーは、これまた「予想通り」、似たような話を垂れ流しています。
苦笑いしている健サンが、目に浮かびます。

ただ、中国が健サンの功績をたたえている報道には、何故かジーンとしてしまいました。(たとえそれが、日中首脳会談が実現した直後であったからなのか・・裏事情はわかりませんが・・)
でも、仮にそのタイミングそうであっても、それこそが、ひたむきに精進したという証ではないかと思ってしまうのです。

投稿: oka | 2014年11月19日 (水) 19時39分

橋本様
思いもよらぬ健さんの訃報に、思わず涙したおばさんです・・・。
ず~っと心の恋人で、お手伝いさん募集しないかなとか本気で思ってたんですよね・・・。
若いときはカッコよくても、中年以降も素敵と言える男性はホント少ない中、健さんは別格。

最後まで健さんでした・・・。

これからはもう健さんの映画が見られないんだな・・・淋しいよ~(涙)


投稿: おばさん | 2014年11月21日 (金) 22時17分

oka様
コメント下さり、ありがとうございます。

私自身の個人的な思いとしては、畏れ多くも昭和天皇が崩御された時の脱力感に似ている気がします。
気付かないうちに抱いていた、自分のアイデンティティの支柱的な存在。
ほかにもおりますよ、長嶋茂雄とか。 吉田拓郎とか。 ちばてつやとか(敬称略)。
自分の精神的な拠りどころなんですよ。

だからなんか、哀しみより先に、力が抜けていく気がする。

「礼儀正しすぎる男」。 そんな健サンの生き方は、私の憧れでもあります。 でもなかなか、そういう殊勝な生き方はできない。 私もまた、世俗にまみれています。

投稿: リウ | 2014年11月22日 (土) 13時56分

おばさん 様
コメント下さり、ありがとうございます。

健サンの映画を欠かさず見ていた時期がありながら、近作についてはさっぱりご無沙汰の自分です。 なんか、「不器用ですから」 のイメージ通りのキャラが多い気がして、どうも映画人たちがそこに囚われたままになっているのではないか、という気がしていたものですから。

私としては、「新幹線大爆破」 のような、任侠映画を引きずった、触ると火傷しそうな役も、見てみたかった気がします。 「駅 STATION」 の役はそんな熱さと冷静さ、人に対する冷たさといたわりを併せ持った、絶妙な役だった気がするのです。

投稿: リウ | 2014年11月22日 (土) 14時03分

ずっと拝読しております。
感じていたことをすっかりお書きくださりありがとうございます。ツイートさせてくださいませ。

投稿: nana | 2014年11月22日 (土) 23時05分

nana様
はじめまして。 ずっと拝読とのこと、それでは最近のアップ数の激減にもお付き合いいただいているんですね、申し訳ありません、恐れ入ります。
ツイートは歓迎ですhappy02

投稿: リウ | 2014年11月23日 (日) 08時15分

橋本様
健さんとほぼ時を同じくして、文ちゃんまで亡くなったんですね・・・。「トラック野郎」けっこう見ました。
健さんとは、全然違う映画人生を送られたようで、健さんは健さんを演じているように感じられましたが、文ちゃんはそれよりは自然体で生きられた方のように思います。
先月でしたか関口さんとのトーク番組で拝見したばかりでした。病気を克服され、穏やかな口調で本当「好々爺」と言う感じでしたのに・・・(千と千尋を思い出しました)。
人はいつか亡くなりますが、今年は親しかった方々、そして著名な方々の死、ショックな出来事が多かった年でした・・・。合掌

投稿: おばさん | 2014年12月 3日 (水) 18時30分

おばさん 様
コメント下さり、ありがとうございます。 少々返信が遅れました。

菅原文太サンに関しては、記事に出来るほど出演作を見ておりませんので、ここで記事に代えさせて頂きます。

やはり 「仁義なき戦い」 と 「トラック野郎」 を1本も見ていないというのは菅原文太サンを語る資格がない(笑)。

私が文太サンの演技でいちばんシビレたのは、大河ドラマの 「徳川慶喜」 でモックンの父親、すなわち水戸藩の徳川斉昭でした。 この人ひとりだけでこのドラマが成立している、とまで思った。 だから斉昭が逝去したら見なくなりました(笑)。 私が大河ドラマを見るようになってから、途中リタイアした数少ない1本です(あとは 「秀吉」 …笑)。

ウィキを見てたらそのほかにもいろいろ見てましたね。 特に 「北の国から」 で純クンが孕ましちゃう裕木奈江サンの父親。 カボチャを持って謝罪に訪れた田中邦衛サンに、「誠意って、なんですかね?」 と問いかける。 ものすごい圧迫感を覚えました(笑)。 自分が当事者だったら彼女の父親が文太サンだとわかったら、絶対孕ませない(笑)。

しかし、出演作をさほど見ていないくせに、これほどまでに存在感をつねに感じていた役者は稀であります。 高倉健サンと菅原文太サンの死は、私に大きな空虚感を残しております。 しばらくは新しい記事が、書けそうもありません。

投稿: リウ | 2014年12月 5日 (金) 07時50分

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