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2015年1月 2日 (金)

「山賊の娘ローニャ」 前半まで見て

 宮崎駿監督の息子、という代名詞が生涯ついてまわりそうな、宮崎吾朗氏のテレビアニメ初監督作品。 去年(2014年)の10月から放送が始まって、年末までで物語の半分を終えたところです。
 主人公は、山賊夫婦のあいだに生まれた娘、ローニャ。 ま、題名そのまんまなので説明の必要がありません。

 宮崎氏は今回、「ジブリを離れて武者修行」、ということだったらしいですが、題字はジブリのプロデューサー、鈴木敏夫氏が作成してるし、そもそも制作協力にジブリが名を連ねている。 プロデューサーはこのところジブリとは密接な関係が続いている、カドカワドワンゴの川上量生氏。 まあ、アニメーションスタッフだけがジブリじゃない、ということでしょうか。

 吾朗監督が採用したのは、3DCGアニメーションという手法。 これを作成しているのが、ポリゴンピクチュアズという会社で、だからジブリじゃないよ、武者修行だよ、とは言える(笑)。
 この3DCGは、コンピュータを駆使してキャラクターのデータを作成し、そこから立体的な 「リアルなお人形」 状態のCGを作ってから、それをわざと手描き風のマンガの描線に戻す。 要するに、立体的に見えるものを、わざわざ輪郭だけの二次元に戻している、ということです。

 今回は主に人物だけがCGデータになっているようで、背景は従来のアニメと同じ、手描きによって成立しています。
 アニメというのは、本来手描きのマンガを動かそう、という発想から出発しているから、これはデジタルな手法で、わざわざ今まで私たちがあまりにも見慣れてきた、アナログなアニメのお約束で見せようとする、「先祖がえり」 とも言えるアプローチなんですね。

 この3DCGのメリットをこの番組を見て考えたとき、まず 「髪の毛の形を複雑に出来る」 とか。 「複数の人物の動きをコントロールできる」 とか。 「複雑な表情が出来る」 とか。
 いちばん感じるのは、「動きの速い場面でリアル感が増す」、ということでしょうか。
 特にローニャが吹雪の中で身動きが取れなくなってしまった回に、その効果の凄みを感じました。

 身動きの取れないローニャに、頭部だけが人間の女である妖鳥、「鳥女」 が襲いかかる。
 この、長い髪をした鳥女が、羽ばたきながらローニャをいたぶる場面は、とてもじゃないが、かなり優秀なアニメーターでも動画にするのは不可能だ、と感じました。

 ただ、「複雑な作業が出来る」 と言っても、人物の表情に関しては、表情のコンピュータソフトのパターンでやってる感じで、全体的に見ても、どうも血が通っているように見えてこない。
 手描きのアニメに関しては、最近の量産型のアニメでも変にパターン化されてつまらない動きをすることが多いのだけれど、ジブリレベルの動画技術と比較すると(比較したくなくてもしなければならない土俵に立ってるし)「コンピュータなんか、手描きに比べたらまだまだ」 ということを再確認してしまうんですよ。
 特に弱点を感じるのは、ローニャが上を見上げたときの造形が、なんかヘンだ、ということ。 これはコンピュータパターンで妥当なあごから首の輪郭になっているのかもしれないが、どうも変だな、ということはモニターを見れば普通すぐに分かりそうなもんです。 それを修正するにはおそらく、ポリゴンデータから刷新しなければならない。 なんかメンド臭そう。 だから修正しないのかもしれない。

 顔の表情だけは手描きにならんもんかな、ということはたびたび感じます。 どうも声の表情と顔の表情に齟齬があるときが多い気がする。 アクションが派手なのに、ヤケに目の表情だけが死んでいるような違和感も時々感じるし。
 やはり、人間の手が入らないと、ダメな部分ってあるんですよ。 機械の限界を思い知らされることが多いです。

 ただその、背景についてはかなりすごいことになっている。 たぶんこれ、全部手描きなんでしょうが、森の風景から山賊たちの住み家である古城、それらが深い雪に包まれる場面に至るまで、「となりのトトロ」 も真っ青な背景が連続する。
 要するにジブリ映画レベルなんですよ。 毎週量産型のアニメには到底出来ない芸当だ。

 惜しむらくはその、芸術的な背景の、特に水が登場する部分に水のCGが使われていること。 それは 「毎週放送型アニメにしては」 確かに驚くべきレベルの水の表現力なのですが、背景がリアルすぎるから、却って稚拙さが目立ってしまう。
 つまり、なんか「水」 じゃなくて 「ジェル」 が流れているような錯覚に陥るんですよ。 こういうのは単純に、白い線だけで済ませられるのに、という気がします。 まあ滝壺とかの表現があるから難しいだろうけれど。

 そして、肝心の内容についてです。

 物語の序盤に最も強く感じたのは、「話が冗漫」、ということでした。 けっしてテンポのいい話、とは言えなかった。
 たとえばローニャが初めて森にひとりで出かける、といった回は、森でいろんなものを見て、ただローニャが笑っているだけ(笑)。 「スゲーな、これだけで1回作っちまったよ」 と思ったのですが(笑)、おそらくそれらの回で吾朗監督が見せたかったのは、今しがた私が指摘した 「背景の素晴らしさ」 ではなかったか、と思うんです。 大自然の素晴らしさを、ローニャと共に楽しみ味わってほしい、というような。

 しかしアニメの観客のスタンスというのは、それが子供であってもアニメオタクであっても、「次に何が起きるのか」、といったワクワクによってなんですよ。 どんなに素晴らしく、完成に時間をかけた背景であっても、アニメを見る人の興味というのは、「絵が動く、人が動く」、ということが中心なんだと思うのです。 吾朗監督はそこのところで、ちょっと外している。

 この、ローニャが初めて森に出かけた回を見たときに、「宮崎駿監督であれば、おそらく絵コンテの段階で絶対ダメ出しをしただろうな」、と感じました。
 そして、「オヤジなら、どのようにこの回を作っただろうか」、ということも同時に考えました。

 宮崎駿監督なら、もっともっとローニャをいたぶったであろう、と(笑)。
 森へ行くとき、このアニメのローニャは常に裸足です。
 つまり小さい頃からずっと裸足でいたから、足の裏の皮がきっと分厚いんだろう、という(笑)ことをこちらに想像はさせるのですが、それでもやはり、山賊の砦である城の中と森とでは、状況が違います。
 宮崎駿だったら、そこに気付かないはずがない(笑)。 宮崎駿演出であれば、城を出た早々、絶対ローニャは裸足の足の裏を怪我してしまうことでしょう。
 そして川を飛び越える時も、絶対に失敗させます(笑)。 それ以外にも、いろんな失敗をさせるはずです。

 でも、吾朗監督がそこを描かないのは、かなり意図的に思える。
 というのは、吾朗監督は原作にあくまで忠実に、というスタンスで絵コンテを構成しているからであって、ローニャがここで、さほど森で失敗をしないことが、のちのちの大きな失敗につながっていく、ということまで意図しているからなのではないか、という気がするのです。 のちのちの大きな失敗、というのは、先ほど話に出た、「吹雪の中で身動きが取れなくなってしまう」、という出来事です。

 それに対して宮崎駿というアニメーターは、おそらく 「子供がこう動くことによってどのような結果を導いていくのか」、ということを常に考えている。
 それゆえに、原作に忠実などということはけっして考えず、ローニャを失敗させ続けるだろう。

 子供が失敗をおかし、どういうアクションを取るのか。

 その動的な面白さが、宮崎駿の興味の中心だからです。 「子供はこうでなくてはならない」、という思いが、宮崎駿にアニメを作らせるからです。

 この、「子供に託す思い」 という点で、宮崎親子は決定的に別のアニメーターなのです。

 「もし宮崎駿ならこうする」、という話は私の妄想による論評なので、本当はどのようになるのかは知る由もありません。
 ただ、吾朗監督がこだわる 「原作に忠実に」 という点を、父親はおそらく真っ向から否定するだろうな、ということは、なんとなく感じる(駿サンとは長~い付き合いですから私も…笑)。

 「原作に忠実に」 という点でもうひとつ私が気になっているのは、ローニャのしゃべりかたについてです。

 ローニャはあらくれ山賊どもの中で育っていながら、「~だわ」「~よ」 とすごく女の子言葉を多用するんですよ。 教育によろしくないようなしゃべりかたを絶対しない。

 これを 「子供の生き生きさを奪っている」 という発想で見てしまうと、すごく不自然に感じてしまうのだけれど、13回くらい見ていると、ローニャの表情のロボットみたいな動きと相まって、なんかこのアニメ独特の味のように思えてきてしまうのが、不思議なところではあります。

 このアニメは、第1回から山賊、という職業を肯定的に描写していません。 確か第1回では盗もうとしながら失敗していた。 山賊たちの悪行は、かなり意識的に描写されません。 それは問題の先送りであると同時に、「肯定的に表現していない」 ことなのだ、と私は思う。

 そもそも山賊なんて、要するにドロボー、ということですからね。 これについて私は、この問題はローニャが大きくなるに従って大問題に発展していくのではないか、と考えているのですが、今のところローニャは 「他人のものを断りもなしに奪い取る」 という認識には達している。 そして前半の終わりの第13回時点では、「だから別にそれを自分が勝手に持ち出しても同じことだ」、という一種の開き直りにも近い、免罪符的な認識を示している。

 これから始まる後半で、「悪いことをやっている山賊、という職業」 を今後どのように、アニメとして決着させていくのかには、興味があります。
 彼らは羊や鶏なども飼い、自給自足できる能力を有している。
 人のものを強奪しなくても生きていけると思うのですが、そもそも彼らの砦である古城も、他人様のものであるがゆえに(城を奪還しようとする兵隊がいますよね)、おそらくそこからも出ていかねば、きちんとした決着、というわけにはならないでしょう。

 それにしても。
 先ほどの話に出てきた鳥女。

 妖精とか、異形の者がしばしば登場するこの物語にあって、ひときわ異彩を放つ極めてインパクトの強い存在です。

 「彼女」 たちはいったい、どういう運命によって、修羅と畜生の生命を定められ、生きてきたのでしょう。

 なにしろ 「彼女」 たちは、みなしゃべれる。 人間の言葉を解するのです。 しかもなんか、個体差がない。 みな同じ顔をし、髪は無造作に長く、狂女みたいな表情を崩さない。

 かなり怖いですよ。 私がもし年端もいかない子供だったら、ションベンちびっちゃいますよ(ハハ)。 「鳥女が出てくるから、ボクこのアニメは見たくない」 って駄々こねちゃうくらいの恐ろしいキャラです(笑)。

 そしてもうひとり気になる、茫洋としてつかみどころのないキャラが、ローニャの母親のロヴィスなんですが、これは論じる機会がまたあればそのときに語りましょう。 つかみどころがないがゆえに、大きな海のような存在感を発散させています。

 いずれにしても、幼児からローティーン向けにこれだけ丁寧に作ってあるアニメというのは稀少です。 願わくば、これを見て父親がもう一度奮起されんことを…(巷間そのような噂は伝わってまいりますが…笑)。

 後記 この記事、かなり前から書き進め、温めてきたものなので、多少論理の変遷から矛盾する点があるかもしれませんが、どうぞご了承願います。

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コメント

>顔の表情だけは手描きにならんもんかな、
>ということはたびたび感じます。
やっぱりですねー。
いっそ人形劇でやってくれた方が…。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

人形劇、と言えば、「三銃士」 のスタッフで 「シャーロック・ホームズ」 をやっているのだけれど、どうも今回はつまんないですよね(笑)。

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