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2015年3月

2015年3月29日 (日)

「マッサン」 最終回まで見て

 おひさしぶりでごんす。

 NHKのドラマにかかる予算がどれくらいなのかは知らないのですが、とかく 「朝ドラ」 と 「大河ドラマ」 という二枚看板に関しては、セットが少ない、という拘束によって物語に閉塞感が生まれる、という病根があるような気がします。
 この 「マッサン」 においても、前半の大阪編では会社と自宅以外の場所はほとんど居酒屋 「こひのぼり」、後半の北海道編でも熊虎さんの 「ニシン御殿」 に舞台の重点が置かれていました。

 その 「場面の貧弱さ」 を補おうとするとき、どうも作り手というのは 「登場人物の恋愛話」 で場をつなげようとするらしい(笑)。 「マッサン」 で特に重要視されたのは、マッサン夫婦の養女であったエマと熊虎さんの息子、一馬さんの 「戦争のさなかの恋」 であったのですが、この恋愛がエマにとってどのような影を残しているのか、ということは、ドラマの中での課題として結構重要なことのように感じるのです。
 しかし最後の2週間で出てきた成人時代のエマは外国暮らしのなかでマイクという青年を見そめ、「彼とはパートナーであって結婚する気はない」、とマッサン夫婦に宣言する。 それは考えようによっては一馬との悲恋を引きずっている、とも思われるのですが、どうしてそこをエマにきちんと語らせないのかな。 その、ほんのちょっとした配慮のなさが、このドラマを連関性のないブツ切りの印象に貢献しているように感じるのです。 これは 「セットが少ないから」 みたいな言い訳が通用しない段階の話です。

 「セットが用意できない」 という言い訳が聞こえてきそうに感じたもうひとつの話。 大阪時代にマッサン夫婦に鴨居の大将から託された大将の息子、英一郎。 かれはマッサンに影響されて、マッサンが退職したあと鴨居商店の造るウィスキー作りを担ったのですが、急死してしまう。 駆け付けたマッサン夫妻に、鴨居の大将は 「いつか世界一のウィスキーをマッサンが作れたら、英一郎の墓前に供えてくれ」 みたいなことを言って(記憶が曖昧…笑)、マッサンは涙ながらにそれを約束するのですが、いざその段になってみても、マッサンの記憶からは鴨居の大将との約束はきれいさっぱり消えていたみたいで(笑)。 墓参りくらいさせろっての(笑)。 墓のセットなんか、どーにでもなるじゃろうが(笑)。

 こういうの、見るほうは結構覚えているんですよ(健忘症でもない限り)。
 ドラマとしても、かなり重要なファクターじゃないですか。
 このドラマには、ウィスキー造り半ばで倒れた戦士がふたりいます。 この英一郎と、先ほど話に出たエマの恋人、一馬です。 このふたりを散々劇的に扱っておいて、なんつーか、アフターケアが万全じゃないんだな。 結構冷淡。

 そのこともあるのですが、この 「マッサン」 というドラマ、「日本で初めて本格的なウィスキーを造る」 という男の話であるはずなのに、ことウィスキーに関してはストーリー的にほとんどツッコミがなかった印象がある。

 つーのは言い過ぎですが(笑)。

 ウィスキーに関してかなりのツッコミがされている、と感じたのは、マッサンが最初にウィスキー作りに邁進し始めた大阪の住吉酒造でのプレゼン。 ここでウィスキーを 「煙臭い、薬みたい」 という出資者たちを納得させるために、マッサンもエリーも奮闘するのですが、ここらへんのやり取りはかなり面白くて、「いや~、『プロジェクトX』 も真っ青」 と感じました。
 しかしウィスキーに関してよく出来ている、と感じたのはここまで。

 そのあとマッサンは、ウィスキーに馴染みのない日本人の舌と格闘していくことになるのですが、ドラマ的にはここ、かなり重要な柱だ、と私は思うんですね。
 ドラマでは、マッサンの広島での家族はもとより、「こひのぼり」 の人々、北海道でマッサンが試飲させた客のほぼ全員が、ウィスキーを受け入れないんですよ。
 ここまで 「ウィスキーそのものが日本人に合わない」 ということを強調しておいて、「どうしてウィスキーが日本人に受け入れられるようになったのか」 を、このドラマはまったくと言っていいほど無視している。 「最初イミテーションみたいな 『飲みやすい』 ウィスキーで地ならししておいたから、いつの間にかみんなが飲むようになったんじゃろう」 みたいな論調だった。

 でもそれって、もっと立体的に理由を見せる責任が、ドラマとしてあるんじゃないか。 私にはそう思えるのです。 「こひのぼり」 や出資者たち、北海道の人たちが 「これ、呑みやすいじゃん、ウィスキーっていいじゃん」 みたいな場面を作るとか。 結局三級酒 「余市の唄」 が完成したときに問屋の連中や洋酒オーソリティのオール巨人サンに受け入れられたのがドラマとして最初だったけれど、それってもうウィスキー自体が日本人に十分浸透したあとだったし。
 戦争中に海軍がマッサンとこのウィスキーを御用達にした、という過程も、おそらくウィスキーを日本人の舌に浸透させた大きな要因であったように感じるのですが、ドラマとしては海軍の軍人さんたちに 「味なんかどーでもいーんだ」 なんて語らせるのであれば、「君たちのウィスキーは意外と兵士たちに評判だ」 くらいのことを語らせちゃってもよかったんじゃないか。

 いずれにしてもそのような場面がないために、どうして日本人の嗜好に合わないのに、マッサンは 「会社としての」 採算を度外視して自分の舌にしか合わない独りよがりのウィスキーを作り続けるのだろう、という疑問が見ていて離れないんですよ。
 最初それは、鴨居の大将によって 「猪突猛進」 という理由で説明できた。 マッサンはひとつのことにこだわるあまり、まわりがまったく見えなくなる、という 「職人」 としての気質を持っているがゆえなのだ、と。
 しかしそれが、自分の会社を持つようになってからも続くようだと、「マッサンは自分の人生から、自分の犯した失敗から何を学んどるんじゃ」 という感じになってくる。
 結局マッサンが自分の心を本当に入れ替えたのは、シベリアから帰ってきたマッサンの甥である悟が 「ウィスキーにホンモノとかニセモノなんかあるわけはない、自分がシベリアという地獄から生還してきて初めて呑んだ三級のウィスキーが、自分にとってどれほどの慰めになったか」 とマッサンに食ってかかったことが直接の原因になっている。
 ちょっと遅すぎじゃないの?みたいな(笑)。

 このマッサンの甥の悟、このドラマにおいてウィスキー造りを担っていく戦士のもうひとりとなるのですが、そのあとの動静がこれまた希薄でして(笑)。 まあ役者さんが童顔でいらっしゃるから、年取ったらあまり前に出せないという事情もあったんでしょうが(ないか)、最後の2週くらい、ほとんど出番がございませんでしたね。 この悟はマッサンの養子になったようなのですが、この悟の家族よりもエマとマイクのほうがよほど出ずっぱりだった。

 このように、登場人物がいきなり出ずっぱりになったり、急にまったく出なくなったり、というのは気になるところではありましたが、そうした近視眼的な部分はさておいて、そこで作り手が何を訴えたいのか、ということには注目していきたい、と思うのです。

 最後の2週でエマとマイクの恋愛がクローズアップされたのは、ひとつにはエマの中にある恋愛に対する傷跡を表現するためだったと感じるのですが(それについてセリフの説明がなかったことは置いといて)、「結婚」 に踏み切れないのは、異世界に対して挑戦していこう、冒険しようという気持ちをエマが恐れているからだ、ということを作り手は導きたがったのではないか、と。

 エマの自由恋愛的な発想は、昭和30年半ばでは結構早いように感じるのですが、ドラマではエマの先進的な思想が、かなり早い段階から育まれていたことをきちんと描写していた。 自分の考えをきちんと話す子であったし、戦争は悪い、ということを表明できない世の動静を憎んでいたフシもある。
 自分がマイクと結婚しない、というのも、「お母さんたちも結婚式しなかったでしょう?」 という表向きの理由以外に、「結婚という契約に縛られる自分」 というものを拒絶するのは、自由意思の発露である、という意識があったからだと思われる。
 でもそれは、自分の中にある恐れをごまかすための言い訳なのだ、と。

 エリーがこのドラマの中で度々口にしていた 「人生は、アドベンチャー」 というテーマが、ここでエマの人生に大きく関わってくることで、このドラマのテーマは、より深遠化している。
 会社を辞めてフリーランスになることで、エマを養っていけなくなるのではないか、という不安で、マイクはエマとの結婚をためらっていた。 そんなマイクに、エリーは 「挑戦、冒険」 という言葉で背中を押してあげるのです。

 私だって、明日のコメに困るような生活を強いられた時もある。 でもそれがなんだっていうの。 これも冒険のひとつだ、と考えれば、苦しみさえも楽しみのひとつに変わるのだ。 人生は、いろんなことを経験するからこそ、面白いのだ。
 夫婦生活に安定なんて求めちゃダメ。 不安がなにもなくて結婚する人なんか、いないのよ。 新しい世界への恐れに、小賢しい言い訳なんて考えちゃダメ。

 これは、なにも結婚生活に限らず、広い世界に漕ぎだすことの不安に勝てない人々に向けての、メッセージなのである、と感じます。

 そして、この物語がウィスキー造りに対して、ちょっとばかりツッコミが足らなかった部分の種明かしも、最後にしてくれたような気がします。
 いわく、「エリーはウィスキーの味なんか、最初から最後まで、よく分からなかった」(笑)。

 エリーは最初の住吉酒造でのプレゼンでこそ、マッサンに協力して 「本格的スコッチウイスキーのスモーキーフレーバーに合う料理」 を振る舞ったりしたのですが、その後はマッサンが苦しみながら造り出すいろんなウィスキーを試飲しては、特におもだった感想を言うこともない。
 その代わり、エリーは 「ダイジョウブ、ダイジョウブ」 とマッサンに言い続けます。

 ドラマを見ている人は 「またエリーの 『大丈夫』、バカのひとつ覚えが始まった」 と感じたのかもしれないけれど、「大丈夫」 と心に言い聞かせ続けることの重要性を、そうした人たちは本当の意味で理解できないのだ、と思う。
 エリーがどうして 「ダイジョウブ」 を連発したのか、というと、それはエリーにとっても自分を励ます言葉だったんですね。
 エリーにしたってウィスキーの味が分かるわけじゃない。 なのに、マッサンの苦しみを理解しなければならない。 そんなとき、「どうしよう、大丈夫じゃない」 と考えてしまったのでは、マッサンも自分も、パニックに陥るだけである。

 だからこその 「ダイジョウブ」 なのである。

 エリーが病に倒れてからの描写も、このドラマはかなり主観的に進行していきます。

 ドラマを見ている側からいうと、エリーがま~た倒れた、マッサンはなにをしとるんじゃ、なんで天海医師は家族を呼びつけ話をせんのじゃ、悟親子はどこにいっとるんじゃ、病名はなんなんじゃ、などといろいろかしましく詮議したがるところなのですが、このドラマの登場人物たちは、そういう外野からの 「常識的なツッコミ」 とは無関係に、「人が死ぬのは、自然の生業なのである」 という流れに沿って動いていくのです。

 こうした、「世俗的な常識」 から乖離した展開はしかし、「それもひとつの人生なのではないか」、という気を私に起こさせます。
 どうして病気を治そうとしないのかとか、告知の仕方がおかしいとか、それらはすべて現代的な常識の上に立っている価値観なのかもしれない。

 「人生が冒険なのだとすれば、死ぬこともまた、冒険」。 病床のエリーは、マッサンにこうつぶやきました。
 死ぬことさえもワクワクのひとつになってしまうと、「病気を治すのは常識、家族がきちんと病状を知ることは当たり前」 ということが、吹っ飛んでしまう。
 「生も歓喜であれば、死もまた歓喜なのである」。

 そしてエリーに死に別れたマッサンが、また再び歩き出すきっかけを作ったのも、またエリーでした。
 「マッサンの夢は、ウィスキー。 エリーの夢は、マッサン」。 エリーは自分の死後に託した手紙に、こう綴ります。
 「夫に人生を捧げることが夢なのかよ」、という気もしなくはないのですが、「それのどこがいけないのか?」 と問われたとき、「自分の夢だけを第一義に考える」 という現代の風潮自体が間違っているような気もしてくる。 「その人にとってのいちばん、その人にとっての 『大好き』 を、他人が決めることはできない」。

 ストーリー的にはいろいろツッコミもしたくなるドラマでしたが、最終週は私、ほとんど泣きながら見てました。 いいドラマでしたよ。

 最後に蛇足のようですが、北海道編でマッサンの大きな力となる森野熊虎さん。 彼は会津藩の生き残りであり、会津に対して愛憎入り混じった感情を有していた。 そして彼の義理の弟である進サンも、会津に対する偏見の中でリンゴ作りを戦っていた。
 皮肉なことに、なんだか一昨年の大河ドラマ 「八重の桜」 よりもよほど、明治以降の会津人たちをきちんと描写していたような気がします。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

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    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

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    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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