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2015年7月12日 (日)

「ど根性ガエル」 第1回 「原作レイプ」 危惧をどう克服するのか

 日テレはときどきとんでもないレベルの 「なつかしアニメの実写化ドラマ」 というのを思いつくのですが、アタリもあればハズレもある(笑)。 ただそのクオリティを俯瞰したとき、たとえ失敗作に近くとも、原作に対するリスペクト、というのはいつも感じられるような気はします。 「怪物クン」 しかり、「妖怪人間ベム」 しかり(「ぬ~べ~」 は?…笑)。

 しかしひと頃のような露骨な原作レイプ、というのは最近減ってきたような気はしますよね。 テレビドラマじゃないですが、「デビルマン」 とか 「キャシャーン」 とか、酷かったもんなあ。 改作する側の個人的な表現意欲、自己顕示欲ばかりが独り歩きしてるような感じで。

 それでも、去年だったか、「ルパン三世」 の実写化(これも映画ですが)なんてのは、最も拒絶反応が起こりそうな題材じゃないですか(まあなんか、はるか昔に一回実写化はされてましたけどね)。 でもなんか、受け入れられていたでしょう。 「ヤッターマン」 なんかも好意的に受け止められていましたよね(どっちも未見ですが)。
 つまり、改作者の思い入れなんかよりも、それを見てきた側の思い入れをより強い形で上書き出来るようなリメイクのほうが、受け入れられるということを、ようやく制作者側も気付いたのではないか、と。

 「見る側に受け入れられる」 というファクターでいちばん大事なのは、出てくるキャラクターがもともとのヤツとそっくり、またはあまり違和感がない、ということだろうと思うのですが、今回の 「ど根性ガエル」 でいちばん違和感がなかったのは平面ガエルのピョン吉だった(笑)。
 まあ、ピョン吉の部分だけはアニメ(しかもCGっぽい)で、それとシャツの動きを巧みに合成しているから当たり前、と言えば当たり前か(笑)。

 しかしそっくりだったのはその声。

 誰だろう、昔のアニメで声やってた千々松幸子サンじゃないだろうし。
 それが、エンドロールが出てきて驚愕。 満島ひかりサンだった。
 彼女、リアルタイムで体験した世代じゃないだろうに、よくここまで千々松サンの声に似せられるもんだ、とひたすら感心。

 それと主人公のひろしですが、松山ケンイチクン。 これもまあ、及第点には達した似せぶりでしょう。 あとはヨシコ先生がそっくりだったかなァ。 梅さん(光石研サン)は出てたが、ライバルの南先生は?
 まあ、ピョン吉とひろしとヨシコ先生以外は、かなり無理がある感じでした。 特に 「教師生活25年」 の町田先生(でんでんサン)は、なんと校長になってましたが、永井一郎サンのイメージとはかなりかけ離れていた。
 前田あっちゃんの京子ちゃんは、…まあいいでしょう(笑)。 ただ、ひろしのウザイ告白に激高するところの演技はよかった気がします。

 そして問題の、中身なんですが。

 ひろしが30にもなってプータローをしている、というその設定。
 ちょっと無理があるんじゃないか、と。
 なにしろこのひろし、アニメではそんなに出来のいい子じゃなかったが、結構人情に脆くて、負けず嫌いの頑張り屋だった記憶がある。 それがピョン吉の 「根性根性」 というベクトルと相乗効果を発揮して、困難を乗り越え続けてきたような。

 それがどーしてプータローなんだよ(笑)。

 第1回の設定によれば、どうもピョン吉に促されて根性根性でやってきたら、疲れちゃった、みたいな(笑)。
 しかしこの、「ひろしの気力低下の原因」 というのはもう少し真面目に設定し直さないといけない、と感じます。 なぜなら、第1回を見た限り、彼にはまだかなりのやる気が漲っている。 少々見当外れではありますがね。 彼はとてもあっけらかんと、積極的に自らのニートぶりを肯定している気がします。
 こういう、やる気があって人情のなんたるかを理解している男が、果たして母ちゃん(薬師丸ひろ子サン)のスネをいつまでも平気でかじっていられるものなのか。

 「やる気の方向が見当外れ」 の象徴的な例として作り手から第1回で示されているのは、「離婚して出戻ってきた京子ちゃんの歓迎会を勝手に企画してしまう」 というあたりだ、と思うのですが、このプロットには首を傾げます。 フツー出戻ってきた人の歓迎会なんか、せんでしょう気を遣っちゃって(笑)。

 これはひろしが未だに少年のままである、幼児性が抜けない、ということを指し示しているのだ、と思うのですが、そのほかにもあの印象的だったトンボメガネを髪の上に載せたまんまだったり、ひろしをモラトリアムの象徴として描こうとしている姿勢は窺える。 しかしひろしのキャラでそれをやるには、ひろしはあまりにもやる気があり過ぎるんですよ。

 そしてトンボメガネ以上に、ひろしが少年のまま時間が止まってしまっているファクターを、どうも作り手はピョン吉に求めているようだ。

 序盤からいきなり、ピョン吉が自らのアイデンティティ、といーますか(笑)「自分はどうしてカエルの寿命を過ぎてもずっと生きてるんだろう」 とか、「もともと平面ガエルということ自体が不思議すぎる」 とか、ミもフタもない会話をひろしの母ちゃんと交わすのですが(笑)、ほぼ同時に、自分の体がシャツから離れつつある、そしてその部分が黒ずんでくる、という現実に直面しなくてはならなくなるのです。

 つまり自らの死期が近い、ということをピョン吉は危惧していくわけですが、どうなのかなあ。
 だってこのドラマの脚本、岡田惠和サンなんですよ。
 この人、ピョン吉を死なせるとか、そういう残酷なことをする人なのかなァ?
 どうもそう思えなくて。
 たとえひろしとピョン吉の別れを描いたとしても、岡田サンはピョン吉を死なせるよりも、シャツから離れてバイバイ、みたいなほうを選ぶ、と思うんだよなァ(笑)。

 「心がポキッとね」 でもちょっと、アレアレ?みたいな感じだったから、岡田サンの作るモノに少し警戒している自分は、いるのですが。
 「泣くな、はらちゃん」 みたいな、「これは予想をはるかに超えた傑作だ」 といういい意味での裏切りを、期待したいのですが。
 第1回を見た限りでは、満島ひかりチャンに感心した、という程度だったかな~…。

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コメント

リウ様
こんばんは。
お久しぶりです。

実は、私は、結構面白く観させていただきました。それにつけても、満島ひかりさんは凄いですね。このキャストに彼女を当てただけでも、大ヒットだったと思います。

「ど根性ガエルの原作もアニメ(第1期の方)も、私は時々飛び飛びに観るぐらいでしたが、ヒロシの性格って、人情に熱い一方、かなりのお調子者でおっちょこちょいだった気がするのですよ。そのキャラ故に困った事になったヒロシを、ピョン吉がど根性で助けるというのが、基本パターンの一つだったような記憶が・・・とは言え、なにしろ40年前のことなので定かではありませんが・・・

だから、今回のニートなヒロシ、私としては全然ありです。また、ゴリライモみたいな奴が、商売で結構手堅く成功するというのもよくある話。バツイチの京子ちゃんは、ちょっとキャラ変がきつかったですけど、ヒロシとピョン吉以外のキャラの経年変化は、よく描かれていたのじゃないかなと思いました。

ど根性ガエルという漫画は、登場人物が歳を取らない漫画でした。正確には、最終回で1年時間が飛び、梅さんがハワイの寿司屋で働くようになり、ピョン吉は、同じ平面ガエルのガールフレンド(名前忘れました)との間に、平面オタマジャクシが沢山産まれたところで終わったのですが。

今回のドラマは、ヒロシを、敢えて永遠の中2に設定することで、コミカルな基調の中にも時が流れゆくことの切なさを描きこもうとしているのではないかと思います。それは、エンディングの映像に全て現れているような気が。まあ、あのとおりのストーリーで行かれたら、それはそれでちょっと面白くないですがね。

投稿: Zai-Chen | 2015年7月17日 (金) 22時35分

Zai-Chen様
お久しぶりです。 コメント下さり、ありがとうございます。

満島ひかりチャンの今回の仕事ぶりは、個性的な声優がほぼ絶滅状態のアニメ界でトップに容易に立てる、という彼女自身の可能性を示してくれた、そんな気がしてなりません。 まあ、彼女は演技派女優の道をひた走ってる感じですから、殴り込みをかけなくともトップに立てるような声優業界には興味がないことでしょう。

逆に言うと、昨今のアニメ声優業界は、悲惨の二字に尽きるというか(世代によって意見には相当な個人差があります)。

ジャイアンのたてかべサンが亡くなったり、大山のぶ代サンが認知症になったり…。 もう、声優の世界ではアニメ興隆期を支えた世代の喪失段階が進行中なのです。 「ヤッターマン」 なんかリメイクで旧声優陣が勢ぞろいだったのに、もう二人お亡くなりになってる。 リメイクってわずか3、4年前の話ですよね。

ひろしがニートになってる件ですが、おっちょこちょいが社会に出るうえでかなりの障壁になる、というパターンはあり得ますね。 「やる気があるのに空回りする」 というのは、もしかするとひろしがピョン吉と一心同体のままの弊害である可能性もある(ひろしがピョン吉シャツを着たまま会社に通う、というのはあまりあり得ないと思うのですが…笑)。

ようするに、ひろしには物理的に自分の世話をしてくれる母ちゃんがいて、精神的な世話をしてくれるピョン吉がいる。 だから結局、自立心が阻害される。 ぬるま湯状態からは、なかなか抜け出せないものです。

それでも、そこには時間軸が残酷な形で関わってきます。 そういう切なさというのは見たくないものですが、ニートの諸君は刮目し直視しなければならない問題です(でなければ、ミイラと一緒に住んじまう)。

だいたいですよ、自分の通った中学校に相変わらず出入りしている、というのは過去に対する依存心が強すぎ、と言っていい(笑)。 そこらのニートなんか、「自分の昔を知ってるやつには会いたくない」、というのがパターンですからね(説得力ある…笑)。 そのパターンの逆を行ってて恥じないわけですから、ひろしは。 それと決別するには、普通以上の悲惨さが伴うはずだ、と思うのです。

投稿: リウ | 2015年7月18日 (土) 07時44分

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