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2015年8月23日 (日)

「ヨルタモリ」 9月いっぱいで終了、残念…まっ、しゃ~ないか(笑)

 昨年10月から始まっていたフジテレビ日曜夜の 「ヨルタモリ」。 タモリサン側とフジテレビとの間で交わされていた当初の契約通り、この9月で終了するらしいです。
 もともと 「笑っていいとも!」 でタモリサンの人生の大半を蹂躙していた(笑)フジテレビが、表向きはタモリサンの長年の功績に敬意を表してタモリサンの好きなように番組を作らせた、という建前とは裏腹に、視聴率が見込めるタモリサンをさらに束縛したがった、という本音マル透けの番組でしたが(笑)、1年の期間限定プランは覆ることがなかった、ということでしょうか。

 当ブログではこれまで言及しておりませんでしたが、実は 「ヨルタモリ」、ほとんど毎週見てました(ウソ…笑)。
 いや、ゲストによって録画を見たり見なかったりでした。 そんなにマジメに見てたわけじゃない。

 この番組をまったく知らないかたのためにご説明いたしますと、まずこの番組のそもそもの設定は、宮沢りえサンがママを務める湯島のバー 「ホワイトレインボー」 に毎週来るいろんな人格のタモリサン、というのが基本的な部分。 そこに能町みね子サンほかの常連がいて、毎週違うゲストがやってきて、りえママと 「タモリさんではない」 別人格のタモリサンとフリートークを繰り広げる。

 このフリートークの面白さ、というのは、まずタモリサンがタモリサンではない別人格である、ということ。 たまに本人に返っちゃって、あわてて 「って言ってた、タモリが…アイツ知り合いだから」 みたいなフォローをするんですが、建築家であるとか、ジャズ喫茶のマスターであるとか、そのなりきった立場での蘊蓄を展開する(できる)部分にも注目しています。
 あと、「タモリ」 という立場を捨ててトーク出来るため、森田一義、というひとりの普通人としての本音がときどき垣間見ることが出来るのもいい。 「子役がこまっしゃくれ過ぎている」 とか(笑)。

 もうひとつ見逃せないのは、宮沢りえサンのママぶり。
 どんなバラエティにもこの人が向いているかどうかということには疑問符がつくのですが、ことこういう設定である場合、母親(りえママ…って紛らわしいけど)と同じような姐御肌みたいな遺伝子が受け継がれ、それがいい味を出している気がするんですね。
 もともと10代のアイドルの頃からヘアヌードに挑戦した、「サンタフェ」 みたいな衝撃的な展開をものともしない豪胆さを持ち合わせていた彼女ですから、バーにありがちな下ネタにもまったく動じないし、タモリサン達の 「怒られたい願望」 にもサラッと応えてしまう。
 しかしそこには男に媚びるようないやらしさというものがまったくない。 それは彼女が本来持っている 「透明感」 ゆえだ、と感じるのです。

 ただ私のいちばんの視聴の目的は、そのバーでヒマつぶしのためにテレビをつける、その架空の番組の中で、タモリサンがテレビに出始めの大昔にやってたことを中心とした、さまざまな知的ギャグを繰り広げるところでした。
 メチャクチャなのにそれっぽく聞こえてしまう、4ヶ国語麻雀とかの発展形。
 たとえば百人一首のコーナーなどは、百人一首じたい、または和歌に関する教養がないと 「真の意味で」 うまく笑うことが出来ません。 沖縄弁丸出しで意味が全く不明のウチナンチュの歌を笑うにも、沖縄弁にある程度触れていないとその可笑しさというものが伝わらない。

 そもそも、「知ってる奴だけが面白がればいい」 というバラエティというのは、日本のお笑いの歴史上、タモリサンが時代の先鞭をつけた形になっている気がします。 これは、受け取る側の知的レベルに合わせなければ笑わせることは出来ない、という、笑わせる側の自縄自縛意識を解放する行為である。 タモリサンは 「相手が面白く思おうが思わなかろうが、自分が面白けりゃいーんだ」 という、自分勝手を最大限に活用したお笑いを目指した。

 けれどもそれはときに、「知的」 のもつ独特の臭いを放つことがあります。 この番組の中で私がそれをいちばん感じるのは、ゲストを交えた即興のセッションが始まってしまうところ。
 これは音楽は取り繕ったりしなくてもいい垣根の低いものなんだ、という主張が含まれると同時に、「だいたい世の中、歌なんてこういうものが歌われているんだ」 という、「分かる者にしか分からない」 揶揄が含まれている場合が多い。 これが番組内のテレビ番組で行なわれるとさほど感じないのだけれど、バーで即興的にやられるとなんか体のどこかがこそばゆいような気分になってしまう。 どうにも居心地が悪くなってしまう。

 私がこの番組をあまりマジメに見なかったのは、ゲストによる部分もさることながら、こうした 「変にインテリぶっている知的な方向」 というものを、ちょっと敬遠したからかもしれません。
 番組の冒頭で画面の右下に現れる、暗号みたいな文字の羅列にも、ちょっとイラっとしたかもしれない(分かんないんだもん…笑)。 あれって、意味があったのかな?

 ただ、こうした批評精神や対象物への畏敬の念が含まれる、番組内でのテレビ番組みたいなバラエティというのは、今後もタモリサンには続けてもらいたい気がするんですよ。
 そういうギャグって、「タモリ倶楽部」 でも 「ブラタモリ」でも、出来ないじゃないですか、番組の性格上。

 話はそれちゃうけれど、志村けんサンなどは、そうした自らのコントの発展形をNHKという意外なステージで 「となりのシムラ」 という番組において実現した気がする。 タモリサンは今後、知識人みたいな方向を目指すのならいいのだけど、もし自分のしてきた独自のお笑いをしたいのなら、「ヨルタモリ」 という方法論ではない別の設定、構成で見せてもらいたい気がします、個人的には。

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