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2015年9月

2015年9月28日 (月)

「経世済民の男」 キャラクターと 「現実味」 の関係

 NHKがラジオ放送開始から90年記念として制作した、近世の経済人3人を描いたドラマ。 第一部の高橋是清(オダギリジョーサン)と第二部の小林一三(阿部サダヲサン)が前後編の2回、第三部の松永安左エ門(吉田鋼太郎サン)が1回、全5回の構成でした。 どうして第三部だけが1回だったのかは分かりません。

 このシリーズ、各部ごとに脚本家が違ってて、それぞれの持ち味というものも堪能できたのですが、いちばん割を食った形になっていたように思うのは、第一部脚本のジェームス三木サン。
 もともと題材の高橋是清自体が、2回で2時間程度のドラマで全部やるにはボリュームがあり過ぎる。 それをジェームスサンは全部突っ込もうとしたために必然的に、話はスッ飛びまくりでダイジェストもダイジェストになるしかなかった。
 だからまあ、話がスッ飛ぶから退屈しないで見ることは出来たのだけれど、「こういう人物の一生こそ大河ドラマで1年50回かけてじっくりやるべきだ」、というのが、私の大まかな感想でした(このドラマで採り上げられた3人とも、じゅうぶんそのボリュームやバリューに富む)。

 とりあえず、そのダイジェストぶりで第一部を見終わっても当然レビューする気が起きなかったのですが、第二部の小林一三編。 高橋翁編と同じようにダイジェスト気味でありながら、格段に面白かった。
 さらに第三部の松永編、1回だったためか脚本の池端俊作サンはドラマの時代設定を極端に狭め、ドラマの緊張感を極度に高めた感がある。
 こうなってくると、第三部はさておき(笑)同じような総集編的な作りだったにも関わらず、面白さが段違いに違った第一部と第二部を比較したくなってくる。

 まず、第一部のジェームス三木サンの脚本。
 同情的に考えれば、これはかつて一世を風靡した 「独眼竜政宗」 の脚本家の力量が落ちた、というよりも、前述の通り高橋翁の人生のスケールが多岐にわたり大き過ぎた、という見方もできます。
 ただいかんせん、エピソードがブツ切りで展開していく印象が拭いきれなかった。 これは、やはり構成力の有無にかかわる問題でありましょう。 だから 「キモ」 と思われるセリフのひとつひとつが、心に残っていかない。
 膨大なエピソードが脚本家の中で咀嚼しきれていない結果が、作品の散漫な印象につながったのだと感じます。

 しかしながらここでちょっとフォローしておきたいのは、それでも物語の後半は尻上がりによくなっていった、ということです。

 主役のオダギリジョーサンは、高橋翁の若い時こそ彼が一昨年 「八重の桜」 で演じた新島襄みたいなソフトな物腰で、「このナヨナヨしたのがどうして周囲の人望を集め日銀の総裁にまでなっていくのか」 がまったく見えてこなかった。 なんで彼が 「ダルマさん」 などと呼ばれるのかがなかなか理解できなかった。

 しかしオダギリサンが近年のNHKドラマにはあるまじきレベルで加齢SFXを受け入れ 「老人」 になった途端、物語の説得力自体がアップしていった気がするんですよ。
 年老いたオダギリ是清は昭和恐慌での銀行取り付け騒ぎに、請われて救世主のように現れ、「紙幣をジャンジャン刷ればいい!」「間に合わなきゃ片面だけ刷りゃいいんだ!」 という 「それやったらインフレになるでしょう(笑)」 みたいな、経済の常識を正面突破するカンフル剤を注入して、「それでは私はこれで引退いたします、ごきげんよう」 みたいな鮮やかすぎる身の引き方をする。

 こういう 「掟破り」 みたいなドラマ展開のカタルシスを、ジェームス三木サンはまだ本能で覚えていらっしゃるんだなあ(まあ、現実に即した脚本なんでしょうけど)。

 と同時に、オダギリサンは 「オダギリジョー」 的なイメージから脱するとこれほどまでに面白くなるのか、とあらためて感じました。
 もしかするとオダギリサンはオダギリジョーとしてのキャラクターから解放されたがっているのかもしれない。 特殊メイクによる外見だけでなく、声までもくぐもらせてリアルな老け役を作ることで、オダギリサンはオダギリジョーとしての現実を裏切る快感を得たのかもしれない。
 高橋翁が文字どおり高橋 「翁」 になってからのドラマの面白さは、私にそんなことを感じさせたのです。

 翻って第二部の脚本家は、「JIN-仁-」「ごちそうさん」「天皇の料理番」の森下佳子サン。 このほど再来年(2017年)大河ドラマ 「おんな城主 直虎」 を書くことも決まりましたよね。
 まあ、1年間にわたる大河をどう料理するのかの不安は残るものの、少なくとも今回のような前後編、という短編を作るうえで、その語り口はとても頭脳明晰で、脚本家として 「活き」 のいい状態は保たれている、という感想を持ちました。 なにしろ、ダイジェストにならざるを得ないエピソードの連関をつかさどる構成力が、素晴らしかった。

 不勉強で知らなかったのですが、今回の主役である小林一三は阪急グループや宝塚、東宝の創始者で、前編では阪急電鉄の前身である箕面鉄道の成功、後編では商工大臣にまで上り詰め、晩年の様子までが描かれていました。

 最初グータラ銀行員だった小林が、岩下という支配人(今でいうところの支店長、ですか)という人物の強烈なキャラクターに魅せられ、やる気を出し頭角を現していくところの小気味よさ。

 岩下を演じた奥田瑛二サンは、「花燃ゆ」 での 「最初キョーレツだったけどその後はサッパリ」 という残念な役より格段のインパクトで、登場早々冴えないゴム作りの弱小企業(ほっしゃん。が社長)に 「これからは電力の時代だ、送電線のカバーとしてこのゴムは必ず需要が伸びる、だから本店がどー言おうと構わず大量の融資を実行する」 というごり押しを即決。 小林はその手腕に惚れこみます。

 こういう話って、ドラマ好きをワクワクさせるんですよね。

 しかしその強権的なやりかたが引っかかって岩下はあえなく退職。 それと同時に小林の人生も大きく狂ってくるのですが、女性問題が絡んで大家のばあさんに 「人様のことを顧みず、自分だけがうまい汁をすすろうとするその心根が貧乏臭い」 とばっさりやられる。 こういう 「鮮やかすぎる断罪」 もまた、見る者を前のめりにさせるんですよ。

 その小林がいちばん最初に見染めたのは、芸者の瀧本美織チャン。 これがまた、いい味出してて。

 阿部サダヲサンみたいなののどこがいーのかという話ですけど(笑)、阿部サン演じる小林はもともと文学青年で、あまりうまいとも言えない(笑)恋の俳句をババババと送りつけたんでそのモーレツアタックぶりに惚れちゃった、とゆーか(笑)。
 その美織チャン、小林にひどい目にあわされて(出向先から帰ってきたら別の女房連れてきた、てんだからひどい話で)、弁解する小林に涙をぽろっと出すのですが、その出し方にキュンとなる(笑)。

 話はスッゴイずれますけど、こういう女優さんは大事にある程度独身を貫いてほしいものですな(笑)。
 こちらが密かに心で愛でている女優さん、というものがおるんですよ。
 堀北真希とか(ハハ)。
 「梅ちゃん先生」 の頃はどーでもよかったが、最近きれいだよなあと思ってたのに、いきなり結婚とか、そりゃネーダロッ(笑)。 なんかガッカリしちゃうんだよな~(笑)。

 今回びっくりしたのは、この瀧本美織チャンが後編、オダギリサンと同じようにこれでもか、というくらいの特殊メイクで老人になりきったこと。 朝ドラの 「カーネーション」 も、こういうことが出来れば主役糸子の交代劇なんてなかったのに、というか(いや、メイクに時間がかかり過ぎるであろう…笑)。
 ただまあ、お肌がカサカサなのに、唇だけはしっとりと濡れてて色っぽかったけど(ハハ)。

 で、「私と一緒になった男は運が開ける」 というその美織チャンと結婚し直して(笑)、小林は新しい銀行を立ち上げた岩下のもとに馳せ参じるのですが、昭和恐慌が絶妙のタイミングで発生し(笑)「運が開けるんじゃなかったの?」 と美織チャンと大ゲンカ。 小林は美織チャンがせっせとため込んでいたダルマの貯金箱をイライラ紛れに投げつけるのですが、ここから小林は変な顔したダルマの巨大なハリボテの幻覚に悩まされるようになる。

 「俺はァァ~~、お前のォォ~~、借金ダルマぁ~~~」(笑)。

 このダルマを第一部の高橋翁との関連で出したのかどうかは不明ですが(笑)、この展開をはじめとして、この第二部では小林の妄想がドラマの重要な柱を務めるんですよ。

 その演出が、阿部サダヲサンの醸し出す 「ヘンな存在感」 と絶妙にマッチする。

 もともと阿部サダヲサンというのは、どことなく別の世界的な、現実感があまりない役者、という位置付けが私のなかにはあるのですが、それって現実感があまりないドラマだと、なんか効果を発揮しないような気がするんですよね。
 それは今年の春ドラマだった 「心がポキッとね」 を(第1回目だけ)見てそう強く感じたのですが、ドラマ全体が浮遊しているような、ちょっとあり得ない感じだと、阿部サンの特殊なキャラが、なんか埋没してしまう気がしたんですよ。

 それがこういう、特にダイジェストを強要されるようなリアリズムの強いドラマになると、その特殊性が途端に功を奏するようになる。
 そしてそれが、小林一三の持つ柔軟な発想力と、妙にリンクしていく。

 鉄道の集客を目指して郊外のベッドタウンを作る、駅と百貨店をドッキングさせる、それらの複合的な経営方法は現在ではひとつの常識となってますが、それを最初に考え出すのはやはり 「フツーとは違う視点」「それまでの常識を取っ払った柔軟な思考」 というものを必要とする。 これをフツーの人が演じては、面白味が半減するんですよ。
 ただ喜ぶのだって、その場で 「バンザーイ!」 とかするよりも、妄想のなかでレビューショウみたいな感じで展開したほうが、よほど当人の喜びが印象に残るでしょう。
 「借金ダルマ」 にしても同様で、この借金ダルマ、後編では小林と一緒に年老いていくのですが(笑)、それが外見上は一世を風靡したように思える小林一三も、実は蹉跌の連続だった、ということを見る側に深く印象づける役割を果たすんですよ。

 ドラマはかように、前編では箕面鉄道の開始までアゲアゲで展開するのですが、後編になると途端に重苦しい展開になっていく。 鉄道との関連で立ち上げた宝塚歌劇の中にも借金ダルマが出てきて(笑)、慌てた小林は 「ダルマはイカン!ダルマは!台本は俺が書く!」(どこが重苦しいのか?…笑)。
 その初期タカラヅカのレビューなんですが、どうも実際のタカラヅカの人たちが演じていたみたいですね。 出演者名がヅカっぽい。

 そして請われて商工大臣になる小林。
 しかしときは日中戦争から太平洋戦争へのさなかです。
 経済統制をめぐって企画院の官僚とおおいにモメ、「無能か!」 とまで罵倒し取っ組み合いの喧嘩にまで発展するのですが、この部分は第三部の、松永安左エ門が官僚たちを 「人間のクズ」 と罵倒したことにつながっている気がする。

 このドラマ、一部から三部まで、経済人としての括りでしかつながっていない気がしたのですが、よく見てみるとすべて、登場人物たちは 「国家」 という生き物に盾突いているように思えます。
 その 「国家」 の正体とは、国民を自分たちの都合のいいように操ろう、という覇権主義なのですが、それが 「先送り」「事なかれ」「慣習への拘泥」 といった、官僚主体の病巣と同期している。
 小林は自分の試案を通しますが、情報漏洩、という横やりを入れられて結局大臣を辞任する。

 さらに重苦しい展開を象徴したのが、それまでナレーションを務めてきた小林一三の息子が病になっていく、という部分です。 この人の顔面が、大部分包帯で覆われていく様は、この第二部最後のシーンで小林があいさつする東宝での 「ゴジラ」 の異形さと、どこかリンクし、小林の哀しみを象徴していく。

 しかしそこでの小林のあいさつは、「いい暮らしをするためには、一生懸命働くことだ」 という、どこまでも前を向いたポジティヴな発言だった。 その人生の重苦しさの果てに小林が信じたものは、将来に向かって進んでいく自らの機動力だった。

 第三部の松永編は、冒頭に書いた通り松永の人生の一部分を切り取った構成で、論点が非常に明確になり、見応えも増しました。
 その一部分というのは、戦後の電力政策の大転換を図ろうとする諮問機関での攻防。 松永はすでに75歳なのですが、当時の平均寿命を考えれば現在の90歳~100歳くらいの感覚ながら、そのケンカの仕方は副題にあったとおり、まさしく 「鬼」。 このドラマで切り取った時代から、さらに松永は20年生きたそうなので、ケンカのキレ味というのはその時点でまったく鈍っていなかった、ということになりましょうか。

 そして主人公が75歳であるために、必然的に吉田鋼太郎サンはこのシリーズ恒例の 「過剰な特殊メイク」 を引っ提げて登場しっぱなしになる。
 吉田サンといえば 「花子とアン」 での伝ちゃんが未だに印象を強く引きずっておるのですが、あの激烈さを75歳のメイクでやられるもんだから、その迫力ったらない。
 その迫力でさっきも書いたように官僚たちを 「人間のクズだ!」 と断罪するのだから、なんかその横暴さは昨今の 「物言えば唇寒し」 の風潮と真っ向から対抗しているためか、非常に胸がすく。 「パワハラ」 なんてこちらに言わせない迫力。

 ドラマの作り手がどうしてここで75歳の役者を起用せず、過剰な特殊メイクまで施して吉田サンを起用したのかと言えば、やはりその迫力を重視したからでありましょう。
 また、松永の妻として登場したのは伊藤蘭サン。 これが、一歩下がってという昔の女性でありながら、松永を上手に乗せるんですよ。 男臭いドラマには、こういう 「亭主の手綱を巧みに操る」 アビリティ値の高い女性は、不可欠だ。

 この、第一部から第三部までの、役者のキャラクターがドラマに与えるリアリズムは三者三様で、実に興味深かった。
 NHKは、大河もこの路線でいくべきだ、と思いますね。
 女性が活躍、なんてのは、朝ドラに任せとけばいいでしょう(女性蔑視だぁぁ~~っ)。
 ファミリー路線とか学園ドラマとか、大河に求めてませんから。
 やればできる。 視聴率なんか犬にでもくれてやれ(犬蔑視だぁぁ~~っ)。

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2015年9月19日 (土)

「探偵の探偵」 いろいろと、よく分かんなかったです

 自分の妹がストーカーに殺される原因を作った探偵 「死神」 を探し出すために、「探偵の探偵」 というよく分かんない(笑)仕事についた北川景子サン主演のドラマ。 見ているあいだずっと、この 「よく分かんない」 という気分に支配されたまま、ドラマはたった11回のあいだにあれよあれよと急展開を繰り返し続け(笑)、最終回を見終わっても、「なんだったんだろーね?」 みたいな不思議な気持ちに囚われています。
 こういう 「読後感」 のドラマって、あまり見たことない気がする。

 ストーリーがあまりにめまぐるしいのは、クレジットに出てくる原作本が3冊に渡っていることを見れば明白です。 つまり小説3冊分の話を11回で見せようってんだから大急ぎになるのは当たり前。 本来であれば、「シーズン○○」 とかもっと回数をかけてやるべき話のはずです。
 ただ、もしこういうのを映画でやれば2時間程度で収めなければならないから、もっとめまぐるしくなるはず。
 だから映画なんかの場合には、ストーリーを削ぎ落とし、同時にメインテーマを膨らませて全体のバランスとクライマックスへの流れを作っていくわけですが、これが11回くらいのテレビドラマとなると、ストーリーの削ぎ落としもそれほど行なわなくてよくなる。
 しかしその作業が、ことこの 「探偵の探偵」 という小説に関しては、バランスのつけ方がそれで却って難しくなった、そんな印象を抱きました。

 作品の質とそれに見合った尺の作り方、という、いわば制作側の大局に立った視点での迷い。 それがこのドラマの 「う~ん、何なんだろーね?」 みたいな読後感につながっているのではないか。
 分かりやすく言うと、「シーズン○○」 まで続けていく気概というものが制作側に欠けている。 「視聴率が悪かったら続編も何もないよね?」 みたいな弱気が見て取れる気がするんですよ。

 これって今のフジテレビ、というテレビ局自身の迷いなのかもしれない。 この同じ夏クールで放送された 「HEAT」 にしてもそうなのですが、どうもフジテレビはこの 「HEAT」 を映画化までしようとしているらしいけれど、ご承知の通りこのテレビドラマは視聴率的に史上まれに見る惨敗だったらしく(私も開始10分でリタイア…笑)、そんな 「誰ーも見ていないドラマを映画化して、客がはいんのかよ?」 みたいなことに、まあたぶんなっちゃってるんでしょうな。

 最近のフジテレビのドラマを見ていると、どうもそういう、「思い切りの悪さ」 をよく感じるんですよ。 ほんの数年前までは、そういうことなかったんだけど。 「ゴーイング マイ ホーム」 とか、「最高の離婚」「リーガルハイ」 とか、それまでのテレビドラマとは違うエンターテイメントを作ろう、もし視聴率が悪くても分かる人には支持される、という 「気概」 があった気がするんですね。
 それが、今年のフジテレビのドラマの中でいちばん冒険していたのは 「デート~恋とはどんなものかしら」 だと思うのだけれど、それでもおっかなびっくりやってるような印象をどこかで受ける。 「問題のあるレストラン」 も、もっとやりようがあったのでは?と思わせる部分があった。 これって社長交代となにか因果関係があるように思える。 没落気味のテレビ局というのはこういうものなのかな、とふと思ったりもする。

 まあ、こういうフジテレビ自身の問題が心に引っかかったままこの 「探偵の探偵」 も見たせいなのかもしれないけれど、数年前に見た同系統(でもないか)の同局のドラマ 「ギルティ 悪魔と契約した女」 の緊張感と比べて、なんかこう見劣りする。 それって、どこが違うのかな、と。

(注意・ここからネタバレ入ります)

 まず、展開が読めてしまうのが致命的。

 物語途中で門脇麦チャンがDV夫の被害者みたいな形で出てくるのだけれど、目つきが悪すぎて(笑)。 ここ、役者が門脇麦チャン、という時点でもう怪しいの極致なんだなー(笑)。 こういう、「演技出来る役者」 をチョイ役で出してはいけない(「まれ」 ではチョイ役?…笑)。

 これはキャスティングの時点で間違っとるわけですよ。 意外なヤツが死神だった、という驚きを視聴者にぶつけるためには、犯人は例えば満島ひかりチャンでもまずい。 年齢層は違うけれども、例えば大竹しのぶサンなんかが事件モノでなんだか影の薄い役で出てきたら、それだけでもう怪しいの極致でしょ(笑)。 演技が出来る役者を真犯人に据えちゃまずいんですよ。
 キャスティングを考えるスタッフにもっとやる気があったら、門脇麦チャンなんか絶対に使わないはずです。 彼女の狂気の犯罪者の演技を見せたくてしょうがない、という制作側の考えの浅い空気が如実に見る側に伝わってしまう。

 そして見るからに怪しくなさそうなのが、序盤に出てきたユースケ・サンタマリアサン(笑)。 結局何だったんでしょうかね、このユースケサンが演じた阿比留っていう探偵事務所の社長は(笑)。 最初っから見るからに 「僕、引っ掛けで~す」 みたいなの(笑)。 こういう、分かりやすすぎな演出も制作側のやる気のなさを感じてしまう。

 そして、「中途半端な物語の圧縮」 が産んだ悲劇が、物語中盤であっけなく殉職してしまう、百恵チャンの息子(申し訳ない、こういう書き方して)。
 えーと、三浦貴大クンですか、この窪塚刑事。 彼はいろいろと大変な境遇だったのですが(全部割愛…笑)、北川景子サンと最初は反目しあってたけど、信頼できるパートナーになりそうだった矢先に、門脇麦チャンをDVしていたヤツにあっさり殺されちゃうんですよ。
 これ、話をユースケ・サンタマリアサンに序盤あんなに割いてなければ、もっと悲劇色が強まったと思うのですが、どうにも物語のスピードのなかに埋没してしまった印象で。

 このドラマ、第1回こそ先の読めない展開で面白かったのですが、ユースケサン演じる阿比留の野望に話が移行してからはちょっと 「最初のボスキャラにどんだけ時間かけてんの」 みたいな感じになって(笑)。 結局阿比留は自分の野望に呑みこまれてしまって、物語の後半に刑務所の接見室で 「ここは退屈だぁ~」 と北川サンにボヤいて退出しただけ(でもないか)。

 物語の感動バランス曲線(笑)を考えた場合、やはり窪塚刑事にはもっと時間を割くべきだった、と感じますね。 だからその殉職が、とてもあっけなく感じてしまう。

 そして 「このドラマ、結局、何だったんだろーね?」 の最大の原因は、「対探偵課」 という物語のいちばん根幹の部分の必然性が、なかなか伝わってこなかったこと。

 まあ、この 「対探偵課」 を立ち上げた北川景子サンが所属する探偵社 「スマ・リサーチ」 の須磨社長(井浦新サン)によって 「悪徳探偵を排除することで業界全体の信頼の向上を目指す」 みたいなこと(あといろいろあるけど省略)が明かされるのだけれど、んー、それってすごく遠い間接的には利益につながるんだろうけど、よくそんな余裕あるよね?みたいな(笑)。

 要するに、北川サンがやってることが真実味を帯びてこないんですよ、いくら見てても。

 これ、小説を読んだらもっと納得できるのかもしれないけれど、難しいですよね。

 理屈じゃ分かるけど、それってまるで、空気みたいじゃない?、みたいな。

 まるで今回の安保法案みたいですよ(いや、理屈でも分からんか)。

 実際に現場で傷だらけになってるのは、自衛隊員だ!じゃなくて、北川サンなんですからね。

 彼女、あれだけ毎回ボコボコにヤラレといて、よくあれほどの美貌を保っていられるな、というのもちょっと(笑)。 顔がアザだらけで漬物石みたいだったら分かるけど(笑)。

 物語途中でこの、「対探偵課」 自体が探偵業界で問題になって、業界会議で須磨社長はつるし上げられるんですが、逆に須磨社長は 「皆さんのところでも対探偵課を作ればいい」 と提案、…それがいとも簡単に受け入れられてしまうのもなんとも…。

 確かに制作者の浅知恵通り、門脇麦チャンの狂気の犯人の演技はエンタメとして成立していましたが、彼女がどうしてここまで狂いまくりなのかも、あまり理解できなかった。
 最終回、麦チャンは北川サンをはじめ、北川サンになついていた(犬かよ)峰森琴葉(川口春奈チャン)と彩音(中村ゆりサン)姉妹をいたぶり続けるのだけれど、「ここまでやったらどーやってもアシはつくだろう、ぜんぶ証拠隠滅させるためには、ここにいる全員殺さなきゃダメだろ」 というくらいの暴走ぶりで。

 しかし最後の最後で、麦チャンは最後のとどめをためらう北川サンに向かって 「それでも紗崎玲奈かよ!」 みたいなことを言ったと思うのですが(あ~録画、消しちゃったよ…)、「ああ麦チャンは、自分の狂気を理解してくれるのが紗崎玲奈だけだ、と直感したんだろうな、そして自分の狂気を終わらせてくれるのも紗崎玲奈だけだ、と考えたんだろうな、つまり彼女はすべてを終わらせたくなったんだろうな」 みたいなことは感じました。

 しかしですね、そうした麦チャンの狂気の裏に潜んだ悲しみまで感じさせてくれるには、それまでの物語があまりに大雑把過ぎた、という気はするんですよ。

 もっとやりかたはあるのにな、ということをその都度思わせてしまう、というのは、これは制作側の迷いが見る側に伝わってしまうから、なのではないでしょうか。

 ただまあ、毎回感じていたのは、北川サンの役名、「紗崎玲奈」。

 「どーして、佐々木じゃダメなのかな?」「カッコつけた名前にしてんじゃねーよ」、 …と申しましょうか…(ハハ、ハハ…)。

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