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2016年2月

2016年2月27日 (土)

「真田丸」 第7回 過ぎたることを 「未だ」 及ばざるが如しと考えられること

 今回も、まさみはやってくれました(笑)。

 滝川一益(段田安則サン)のもとに真田のおばば様とり(草笛光子サン)とともに人質になっていたきり(まさみ)。 助けに来た信繁(堺雅人サン)に①開口一番 「やだっ!」(笑)。 まだ 「マジで?」 と言わないだけマシだが(笑)、「のどが渇いた」 と急かす大御所のおばば様に 「我慢してください人質なんですから」 と横柄な口を聞いていたそばからだから、まー視聴者の神経を逆なでする逆なでする(笑)。

 ②「助けに来てくれたのねーっ!」 と抱きつき(イラッ…笑)、「ばば様は?」 と訊く信繁につっけんどんに ③「知らない」(イライラっ…笑)。
 「知らないわけないだろっ!」 とソッコーで信繁に突っ込まれ 「つまんないの」 というように拗ねる(イライライラッ…笑)。

 さらに ④「も~アッチャコッチャ連れ回されてイーカゲン疲れてんですけど」(イライライライラっ…笑)。

 そしていざ連れ出そうとしたときに ⑤「待って!忘れもの!」(もー早くしろよ!…笑)。 「大事なもんなら忘れんな!」 とまた突っ込む信繁が見たきりの忘れもの、それは自分がきりに 「くれてやった」(笑)粗末な櫛⑥。 「なんだ、それかよ…」 とsigh状態の信繁(笑)。

 で、案の定、きりの忘れもののおかげで信繁たちは捕まっちゃうという(笑)。

 そのうえ 「なにコレ? つまるところ人質がふたり(信繁と連れの者)増えただけじゃないの。 いったい何しに来たんですか?」⑦ と、自分のことは棚に上げて信繁を責める(イライライライライラッ…笑)。

 しかも 「お松様(木村佳乃サン)もこの人のせいで死んじゃったんです。 次は私たちです」⑧。

 あーそれを言っちゃダメでしょ(笑)。 「いい加減になさい」 とばば様にたしなめられると、いじけて 「すみませんね。 思ったことすぐに口にしてしまうタチなもんで」⑨。

 ここでさらに注目すべきなのは、このきりの言いたい放題の重苦しいシーンの直後、のんきに飯を食ってる昌幸(草刈正雄サン)の妻、高畑淳子サンのもとに、「ひとりで食べてても気が滅入るので…」 と信幸(大泉洋サン)の、あの病弱の妻がやってくる、という、いかにも三谷コメディ的な展開になるところ。
 病弱の妻は嚥下がうまくいかないみたいで、シャキシャキ食事している高畑サンはイライラし 「こっちが滅入る」 と早々に切り上げてしまう、という 「ぼくちゃんお勧めお笑いパート」。

 しかもですよ。

 昌幸は昌幸で、相変わらずあっちゃこっちゃにウソをつきながらこの危機的状況をかわそうとしている。 そろそろ視聴者も昌幸の手練ぶりに飽きてきた頃だろう、ということをまるで見透かしているかのような、この 「イライラ」 の畳みかけ的展開。

 そのイライラを一手に引き受けてしまったまさみでありますが、彼女は 「若さ」 の持つ身勝手さを 「未熟な者」 として体現していることに、見ている側は気付いてやる必要がある。

 まず、①の時点でまさみは信繁の思わぬ出現に、「この世でいちばん頼りになる人が現れた!」、と驚き 「マジッすか!ヤベッ!スゲー!サイコー!」 と思ってる(笑)。 まさみの心境を慮る時、信繁はあくまで、姫を助けに来た 「白馬に乗った王子様」 なのです。

 その王子様というカテゴリーは、まず 「自分だけのために来てくれた」 と思いたくなるところじゃないですか、若い盛りならば。 舞い上がっちゃって②みたいな行為をするのもむべなるかな。
 ところがその王子様は開口一番 「ばば様は?」。
 そりゃそのばば様はですよ、信繁の祖母で身分的にも絶対服従のエライ人だから、立てるべきなのが封建時代のならわしですよ。
 でも自分が好きな人がいきなり現れて、自分より 「のど乾いた~、水くれ~」 とワガママ言ってるばば様のほうを心配していた、としたら、③と言ってしまうのも分からんではない(笑)。

 そして自分たちがこれまでいかに大変な状況であったかを好きな人に知ってもらいたいがために、④みたいに言ってしまう。 これは言い方を知らないがために起きてしまう問題であり、「人から誤解を受けやすいタイプ」 が陥るガチのパターンでもある。

 ⑤で忘れものに気付くのは、状況的に信繁がばば様をおぶって脱出しようとしていた時です。 もちろんまさみ的には信繁におぶってもらいたい。 その思いが募ったとき、まさみは信繁からもらった、黒木華チャンと露骨に差別化されてある意味では屈辱的な贈り物を忘れていたことを思い出すのですが、火急を要する状況下でそれを取りに行く、ということは、信繁になんとかかまってもらいたい、という 「身勝手な」 思いの発露であることに、見ている側はふたたび気付いてやる必要がある。

 そしてスーパーマンだと思っていた信繁があっさりと捕まってしまったことに失望したまさみは⑦の言動に走るわけですが、それに対する信繁の反応の悪さに、つい禁断の⑧のセリフを口走ってしまう。

 これは以前の 「真田家も人質の駒がいなくなって大変ですわねー」 と同等の発言なのですが、これは 「しっかりしろよ源次郎!」 という気持ちの、「いちばんやってはいけない励まし」 の類なのです。

 そのことをたしなめられれば、「自分はそうやって励ましているのに!」 という気持ちから、⑨のように拗ねてしまう。

 これらの言動はすべて、まさみの 「若くて主従関係のなんたるかも武家の女としての嗜みもなにも身についていない」、すべてが自分の尺度から生じたものであるがゆえに、常識を持っている視聴者には批判的に受け取られる。

 しかしですよ。

 それを 「まだ若いからいろいろと至らないところもあるよ、まさみはちょっとそれが度を越してるだけ」、と考えてやるには、ちょっとした度量、気持ちの余裕が、見ている側に必要になってくるのです。

 翻って今の、特にネット社会ではどうでしょう。
 誰かが何かいけないことをすれば、極めて常識的で正しい批判が沸き起こる。
 ベッキーがクリーンなイメージを覆して何をしたとか高嶋ちさ子サンの子育てがどうとか、ネットでわき上がる批判のほとんどは、そりゃ全部正しいですよ。 相手の奥さんを傷つけたとか折ったゲーム機をそもそもネットで公表するのがおかしいとか。

 全部正しいですよ。

 今回のまさみに関しても、「現代語がおかしい」「現代のムスメ的な反応がおかしい」「やりすぎだ」。 全部正しいですよ。

 でも今回のきりの行動に、「若いって時々すごい自分勝手だよな、けれどもう少し長い目で見てやろう」、という気持ちになることも必要なんではないか。 私はそう思うのです。

 そして高畑サン、草刈サンといった 「イライラ」 の畳みかけが、そのまま真田家の置かれている混沌とした膠着状態と、ドラマ的に再び 「奇妙にリンクしていく」。
 仕方がないんですよ、昌幸はどうやったって歴史的にもアッチャコッチャに鞍替えしながらやってきたんですから。 結果的に 「信用できない」(一益談) と評価されていくのは。 視聴者が草刈サンの演技に最初心酔し、そのうち 「またかよ」 みたいになっていくのは。

 その失望の先に、三谷サンはまた仕掛けを用意していました。

 結局滝川から木曽義昌(石井愃一サン)におばば様を人質に鞍替えされ、きりと戻ってきた信繁。 松の救出失敗に続いての失策に昌幸は 「バカ者!なんのためにお前をやった!」 といたくご立腹なのですが、ここで信繁に語った言葉が、これが深かった。

 「失敗続きじゃな、源次郎。

 お前がなぜしくじるか、分かるか?

 己のカンに頼り過ぎるからじゃ(アンタもだろ、と言いたくなるのを見越してか)わしも、カンだけで生きておる。

 だが、わしのカンは、場数を踏んで手に入れたカンじゃ。

 それでもたまには間違える。

 (だから)お前がしくじるのはあたりまえじゃ。

 源次郎、よいか。
 お前の兄(信幸)は、カンには頼らない。 おのずと、間違いも少なくなる。 どちらが正しい生き方か、分かるか?」

 「兄上です」

 「違う。

 源三郎(信幸)、源次郎、合わせてひとつじゃ。

 源三郎は、間違いは少ないが、クソ真面目で面白くない。
 お前は、過ちを犯すが、面白い。

 面白くなくては、人は動かん。

 ふたつでひとつじゃ」

 ここで、昌幸が言っていることは、本当はあまり大したことではありません(笑)。
 けれどもそれを草刈サンがあの口調で言うと、妙な説得力が生じる。
 だって信幸が正しいんじゃない、という根拠は、「クソ真面目で面白くないから」 なんですよ?(笑)
 だけど、「面白くなくては、人は動かない」 というのは、それはそのまま、ドラマを見ている私たちの心にも、きちんと共鳴するセリフなのです。 だからこの大したことがないセリフが、ドラマ的に深くなるのです。 作り手と見る側の関係にまで言及している、ということで、共感が得られるのです。

 その信繁に、昌幸は重要な頼みごとを新たにしてきます。 上杉の内部に裏切り者を出して背後から崩壊させよ、というのです。

 これってかなり無理難題じゃないですかね。 それを失敗続きの信繁に任せようとするのには、また昌幸なりの奥の手が隠されている可能性がある。

 信繁がもし自分だったらどうなのだろう、とつい考えてしまいますね。
 尻込みしてしまうのではないか、と。
 だからまあいろいろとうまくいかなかったのかな、などと考えている矢先、信繁は若さあふれる返事をするのです。

 「やります!」

 次回を刮目して待つことにいたしましょう。

 最後に、「まさみまさみ」 って、長澤サン呼び捨てまくりで申し訳なかったです(ハハ…)。

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2016年2月21日 (日)

2015年、独断と偏見によるテレビドラマアワード

 アカデミー賞も近いことですし(笑)。 とりあえず私の見た範囲での、2015年テレビドラマの順位表などつけてみようかと。

 ではエントリー。 やはり 「最終回まで見た」、というのがいちおうの基準となっております。

冬ドラマ(1-3月)

「問題のあるレストラン」(フジ)
「風の峠~銀漢の賦」(NHK総合)
「アイアングランマ」(NHKBSプレミアム)
「○○妻」(日テレ)
「残念な夫。」(フジ)
「デート~恋とはどんなものかしら」(フジ)


春ドラマ(4-6月)

「天皇の料理番」(TBS)
「Dr.倫太郎」(日テレ)
「アイムホーム」(テレ朝)
「かぶき者 慶次」(NHK総合)
「ちゃんぽん食べたか」(NHK総合)


夏ドラマ(7-9月)

「ど根性ガエル」(日テレ)
「探偵の探偵」(フジ)
「花咲舞が黙ってないseason2」(日テレ)
「表参道高校合唱部!」(TBS)
「美女と男子」(NHK総合)
「テディ・ゴー!」(フジ)


秋ドラマ(10-12月)

「コウノドリ」(TBS)
「釣りバカ日誌」(テレ東)
「孤独のグルメseason5」(テレ東)
「エンジェル・ハート」(日テレ)
「無痛~訴える眼」(フジ)
「偽装の夫婦」(日テレ)


その他

「花燃ゆ」(NHK総合)
「マッサン」(NHK総合)
「経世済民の男」(NHK総合)


 やはり 「殺人モノ」「事件モノ」 が極端に少ないですよね。 1-3月の冬ドラマにいいものが多かった気がするのですが、10-12月の秋ドラマも意外とよかった。

 その秋ドラマでいちばん視聴率のよかった 「下町ロケット」 でしたが、個人的な理由であまり見たくないドラマになってしまいました。 というより、なんか昨今のTBS日曜劇場枠のドラマって、「半沢直樹」 路線の青筋立てまくりのオーゲサについていけないことが多く。 見てて疲れちゃうんですよね。 年だから。

 手塚サンっていうんですか、「下町ロケット」 に出てたかどうかは知りませんが、「半沢」 路線のドラマに欠かせない人。 あの人この冬クールの 「フラジャイル」 でも同じようなことやってたな(笑)。 石丸サンなんかもそうかな。 すなわち極端な憎まれキャラで、最後には極端にその仕打ちを受けるキャラ。
 時代劇並みの勧善懲悪レベルって、見ていてすごく胸がスカッとするんだけど、それってドラマのリアルとは方向性が違ってるんですよね。 池井戸サン原作のヤツってそういうのが多い気がするけど。

 その極端な演出が生きるのが 「花咲舞」 シリーズだと思います。 あれって主演の杏サンと上川サンが結構リアルを要求されることのないキャラじゃないですか。 だから極端に悪い支店長とか出てきても、肩肘張らずに杏サンの逆襲を楽しめる。 「現代の勧善懲悪モノ時代劇」 だ、ということですか。 「遠山の金さん」 だって、主人公がリアルを要求されないじゃないですか。 杏・上川コンビと似てるんだな。
 その上川サンがまた、杏サンの現実離れした部分をしっかり現実に引き戻す役割を負っていて、それがシーズン1の時より小気味良さが増した。 続編が待たれるドラマになりました。

 「ドラマのリアル」 という世界に一石を投じた感があるのが、「釣りバカ日誌」 でした。
 このドラマ、いわば大昔のドタバタコメディをとても忠実に再現していた。
 つまり、「こーすればこーなるのが分かっている」 のに 「こーしてしまう」。 展開とオチがかなり早い段階から読めてしまうんですよ。 アリ地獄のような 「そーしてしまう」 人間のサガ、と申しますか、それがまだテレビ的に笑いを取れるんだ、ということに気付かせてくれた。

 濱田岳クンが演じる 「ハマちゃん」。 これがもう釣りのことしか頭にないどーしょーもないスチャラカ社員なのに(しかも態度が大きくてなかなか自分の非を認めたがらない性格なのに)、広瀬アリスチャン演じる 「みち子さん」 が魅かれていく。 これも現実には全くあり得ないシチュエーションなのですが、「こういうのはね、理由がなくても魅かれるのっ!」 という、「脚本家のスゴイみなぎる自信」 が、リアルな理由づけを拒んだ。 あえて理由をつけるとすれば、「そこにそのふたり以外適当な人間がいないから、くっつく」(まあ、「自分の作った料理をものすごくおいしそうに食べてくれるから」 というのが本当の理由と思われますが…笑)。
 このような単純構造のドラマには、「デート~恋とはどんなものかしら」 のようなライバルなんか、作る必要がないのです。

 「釣りバカ」 みたいな、それまで映画化されてきたレベルでのテレビドラマというのはかなりテレビ局にとっては予算の関係上作りにくいものはあるか、と思うのですが、これはヘタに映画で続編を作らず、テレビでの続編を期待したいものです。

 それとあと、断っておかねばならないのがございますね。 10-12月期の 「おかしの家」(TBS) です。 これ、まだ1回目しか見てない。 なんか1回目を見ただけですごい感想があったんで、それをまとめようとするととても難しくて(笑)、「感想文を書くのが億劫で」 見てない、という体たらくでございます。 全部見てりゃこれが2015年ベストドラマとなった可能性が高い(あくまで予想ですが)。

 遊川脚本、というのも2本ありましたね。 そのどちらも 「社会告発的」 でした。
 ただそのアプローチの仕方が 「○○妻」 より 「偽装の夫婦」 のほうが緩めだったかもしれません。 遊川作品には、いつもどこか主人公たちを冷たく見放している、という印象がついてまわっていたのですが、天海祐希サンと沢村一樹サン演じる偽装夫婦に対する目は、これまでよりずっと温かかった気がする。
 しかしその温かさが生んだ結末に対しては、また世論の反発を食らったみたいで(笑)。
 私は 「偽装の夫婦」 の結末はとても好きだったけどなー。 「夫婦なんてそりゃうまくいかないときもあるさ、根本的に性格が合わないと感じる時もあるさ、だけどさ、その違いを受け容れる、というのも、人生におけるスパイスのひとつなんじゃないのかな」 という声が聞こえたような気がした。 それは翻って、「自分の人生を生き過ぎる」 今の風潮に対する警告であったようにも、思えるんですよ。
 子供が出来ないのも、「自分のことに金がかかり過ぎるから」。 それって政治や経済のせいかもしれないけれど、みんな自分のことばかり追いかけていたら、そのうちこの国は滅びるよ、という警告。
 「だったら夫婦なんか単なる契約でいーじゃん」 というのが 「○○妻」 で、「もっと 『家族』 という名の他人のために生きてみたら」 というのが 「偽装の夫婦」 だったような気がする。

 「結婚なんか単なる契約でいーじゃん」 という、冷笑主義的、かつ功利主義的な現代の風潮に対するラジカルな回答、という点では 「デート~恋とはどんなものかしら」 がキョーレツでしたね。
 それをクリスマスとかバレンタインデーとか、一年のなかでそれこそ 「単なる商業主義的な恋愛イベント」 に乗っかって生きている私たちをある意味で揶揄しながら 「結婚」 というものを考えていく。 「デート」 という題でありながら、「デートは結婚への第一歩なのである」 という古臭い考えがこのドラマの推進力なんですよ。
 このドラマは最近の月9の中では突出して傑作ですね。 しかも主題歌がいちばん心に残るドラマでした個人的に。 chayサンでしたっけ。
 最近ドラマ主題歌って、全っ然残らないものが多過ぎるのですが、これと 「探偵の探偵」 の主題歌でsuperflyサンが歌ってたヤツも残ったなあ。 フジテレビは主題歌の使い方はいい(笑)。 タイトルバックも凝ったものが多い(まるでそれだけみたいな)。 紅白では 「私でいい~」 とか歌ってたけど、superflyサンは 「探偵の探偵」 の主題歌が聞きたかったっス。

 「ど根性ガエル」 はその主題歌に関しては無敵なのだけれど(笑)、エンディングはやはりクロマニヨンズより 「男の意地を見せるでやんす」 がよかったよなー。 カラスが泣いてぇ~、夕焼け小焼けぇ~、おーとこの道は、ど根性でやーんすー、きーびしいで、やんす~、ザマアカンカンカッパノヘェ~~~~~っ(オッサンはこういうのを歌い出すと止まらないんだ…笑)。
 それはいいとして、このドラマは最終的に 「ケツをまくることの大切さ」 を説いていたように思うんですよ。 もっと貪欲に生きてみろ、というか。
 最終回の1回前、がいちばんよかったですが(笑)。 ピョン吉がシャツから離れてしまった日。 もうね、去年1年間のドラマの中では、見ていていちばん号泣したかな(笑)。
 その号泣って、「過ぎた日はもう戻ってこない」 ということに対する号泣だった気がする。

 有名マンガのドラマ化、といってもうひとつ思い出すのは、「デスノート」…じゃなくって(そもそも原作読んだことないからドラマも見ようとしない)「エンジェル・ハート」 ですかね。 とは言うものの、「エンジェル・ハート」 自体は読んだことがない。 パラレルワールドの 「シティ・ハンター」 のほうですけどね。
 その原作に対する再現度は、まんまリスペクト比とリンクするのだけれど(笑)、唸るレベルでした。
 そしてその底流に流れていたのが、やはり 「過去に対する郷愁」。 このドラマにおける冴羽獠(リョウ)は、「シティ・ハンター」 時代の 「もっこりちゃ~~ん♡」 というゲスキャラ(ゲスって言葉、最近流行ってんの?…笑)がかなり抑え気味で、でもやってたけど(笑)、これって冴羽にとっては 「香を失った悲しみ」 を引きずっている、ということになるのだけれど、見ているかつての 「シティ・ハンター」 ファンからすると、「帰ってこない過去に対する悲しみ」 と妙にリンクする気がしたのです。
 だからその悲しみを最後に10tハンマーで解消してくれたことには、感謝です(笑)。 グラスハートがまさかやるとは(笑)。

 マンガのドラマ化では 「コウノドリ」 がもうひとつありましたが、数年前に藤原紀香サンでやってた 「ギネ」 に比べると、産婦人科ドラマとしてはかなりよく出来ていた、と感じます。
 「ゲゲゲの女房」「八重の桜」 の山本むつみサンが脚本だった記憶しているのだけれど、なんか違う人もいろいろ入ってた気がするな。 その違う人が脚本の回も出来がよかったから、原作自体がいいのでしょう。
 ただ、ちょっと注意力が散漫だったかもしれませんが、なんで題名が 「コウノリ」 じゃなくて 「コウノリ」 なのか、ドラマの中で説明がされてなかったような…。 気になって夜も眠れない、こともなかったので未だに調べてもおりませんが(笑)。
 このドラマ、女性たちがいつも何かと戦っている 「戦士」 に見えるのに対し、主役の綾野剛サンはじめ男性陣が 「癒し役」 に徹しているのがかなり特徴的に思えました。 だから綾野サンが出てくると、なんかほっとする。 だからbabyとして白髪のかつらをかぶってピアノ弾いていても、あまり違和感がなかった。

 こんなところでしょうか。

 それでは年間トップ10に行きましょうか。 くれぐれも、独断と偏見です。

 次点 「ちゃんぽん食べたか」

 第10位 「かぶき者 慶次」
 第9位 「問題のあるレストラン」
 第8位 「美女と男子」
 第7位 「コウノドリ」
 第6位 「花咲舞が黙ってない」
 第5位 「アイアングランマ」
 第4位 「経世済民の男(第2部)」
 第3位 「釣りバカ日誌」
 第2位 「デート~恋とはどんなものかしら」

 そして栄えある…いやない(笑)当ブログ年間ベストワンは、「表参道高校合唱部!」 でした。

 ブーイングが聞こえる?(笑)

 いや、去年のドラマの中では、いちばんウキウキして見ることのできたドラマでしたよ。 まあ、「グリー」 のパクリであるとかいろいろとドラマの構造的にも稚拙なところは見られたけれど、「見ていて豊かな気持ちにさせる」、という点では群を抜いてました。 主役のあの子も予想をはるかに超えてよかったし(エート、名前は?…笑)。 なにしろ若い、というだけで君たちは、キラキラ輝く宝石を持っているのと一緒なんだ!とオジサンは思うのです。 数年前にNHKでやってた 「とめはねっ!」 と同系統のドラマですが、やはり若さの良さを前面に押し出すドラマというのは、見ていて清々しさだけが残る。 ドラマの出来不出来じゃないんですよ。

 最優秀主演女優賞は 「表参道高校」 の芳根京子チャン。 主演男優賞は 「デート」 の長谷川博己サン。

 そしてワースト10! いや、ワースワーストはないです。 みんな楽しみましたから。 ただ 「大河」 ってだけで1年間無理して見続けたのだけは、…ちょっと(スイマセン…笑)。

 途中にも書きましたが、もしかするとほんとうは 「おかしの家」 がベストワンだったかもしれない、ということを再度お断りいたします。
 あ、「天皇の料理番」 忘れた(笑)。 まいっか(笑)。 別に賞の権威もないし(笑)。

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2016年2月20日 (土)

「真田丸」 第6回 「軽い」 というベクトルを使った信繁の落胆

 これまで天真爛漫に戦国の世を育ってきた真田の 「小伜」 信繁(堺雅人サン)が人生で初めて味わう 「蹉跌」。 三谷脚本はその重要事を、自らのストーリーテラーとしての 「軽さ」 を逆手にとって料理した、というのが第6回 「迷走」 に対する私の感想です。 あいかわらず話の流れを形作るのがうまい。 そしてその回その回ごとに見る者の気持ちをさらっていく 「本丸の仕掛け」 が違う。

 明智の残党狩りを逃れ安土城から真田の郷へと向かう信繁たち。 そこには織田の人質とされていた姉の松(木村佳乃サン)や、夫の茂誠が含まれていたのですが、あえなく見つかって追い詰められ、姉の松は断崖から身を投げてしまう。

 逃れる途中で 「頼れるスーパーマン」 佐助が登場したりと、「まあそんなに深刻な事態にはならないだろう」 という気持が、視聴する側には高まっていきます。 松が断崖から湖?(安土から信濃に海はない…ですよね?)に飛び込んだとしても、「どうせ佐助が助けてくれる、すぐ見つかるよ」、例え佐助が探し出せなくてうなだれていても、視聴する側には 「ドラマのお約束」 みたいな悪しき慣習が染みついているんですね(笑)。

 いわく、「松みたいなおいしいキャラを三谷サンがそう簡単に死なせるわけがない」(笑)。

 これまでこのドラマ、女性陣がことごとく 「コメディパート」 を受け持っているという感覚で、木村サンはそのなかでも最近の出世作 「はつ恋」 の悲恋キャラとは正反対のキャラであったために、見ているほうは安心感(さらに言えば見くびりみたいなもの)を持って見ているわけですよ。

 しかし、話が進むにつれて、信繁の落胆はさらに深まり、「これはひょっとして…」 という気持ちも、見ている側に生じてくる。 けれど同時に、「まだまだひょっこり現れる可能性は残ってる」 という気持ちになるわけです。

 ここで真田の郷に帰ってきた信繁を待ち受けているふたりの女性、長澤まさみチャンと黒木華チャンの使い方が、またうまい。

 長澤まさみチャンは信繁に会うなりいきなりちょっと滑舌が悪い感じで(笑)憎まれ口をたたきます。 この、「ちょっと滑舌悪い感じ」 というのがまた、落胆した信繁の気持ちを逆立てるのに一役買っているんだな(まあいい見方をすれば、ですよ…笑)。 まさみチャンは信繁のあまりに落胆ぶりに、「真田も人質の駒がいなくなって大変ですわねー」 みたいな、かなりキツイことがついポロっと出ちゃう。
 この 「憎まれ口」 というのは信繁にハッパをかけて元気を取り戻してもらおう、というまさみチャンなりの浅い考えであることは明白なんですが(笑)、まさみのバズーカに信繁は怒りを抑えてただ彼女を睨みつけるだけ。

 まさみバズーカが信繁の株価を動かさない(株価じゃなかった、心だ)原因と言えば、これまでまさみチャンが信繁にツンデレの 「ツン」 でしか付き合ってこなかったからで(笑)、自らの意地っ張りがもとで自らの恋心が成就されなくなっていく、という悪循環を生んでいるわけであります。
 ああこれ、身につまされるな~(笑)。 好きなときは好きと態度で表せばいーのだ(笑)。 人生はやらない後悔より、やってしまってしくじった後悔のほうが、ずっと価値があるのだ(笑)。 なんの話だ(笑)。

 信繁は 「なにも言わずに私の愚痴を聞いてほしい」 と、黒木華チャンに姉の松を助けられなかった後悔をグダグダ話します(笑)。
 ここで信繁の落胆に対して、見ている側はかなり同情的立場であるはずです。 なぜなら我々は(いや、少なくとも私は)、「松みたいないいキャラを失ってしまうなんて、ドラマにおける損失だ」 と考えているからです。
 そしてそこで信繁の告白により、信繁がかなりの自信家であったこと、そしてその自信が鼻先からぽっきり折れてしまったことを知るのです。

 見ている側の 「松を失った残念な気持ち」 と信繁の 「松を守れなかった後悔の念」 を、ここで奇妙に結びつける。
 この構造には、唸りますね。

 そしてこの愚痴は 「自分なんか真田に必要ない」 というところまでエスカレートする。 これも構造的によく計算されているとつくづく感じます。
 人間なんてラララーラララララー、じゃなかった、人間なんてものはですよ、誰かにただ自分のクヨクヨを話しているうちに、だんだん話がオーゲサになってくるもんなんですよ(そうなのか?)。

 そしてそこまで弱気に走ってしまった自分に気付き、信繁は、「あの~、なんかしゃべっていただいてもいいですよ?」 と華チャンに言うんだな(笑)。 ホントは 「そんなことありません!」 と反応してもらいたかったもんだから(笑)。 「ハイ、ここはみなさん、笑うところでございますよ」 というぼくちゃんの声が聞こえそうでちょっとイヤなんだが(笑)。

 で、華チャンは 「ひとつだけいいですか」 と前置きして、「もし危険が迫ったら、私を助けてくださいますね?」 だって(笑)。 くぉらこのオボコ娘がっ(爆)。

 そしてふたりは、仲よく薪を割るのでありました(笑)。 そしてそれをまさみチャンは悔しそうに眺めるのでありました(笑)。
 そのまさみ、滝川に人質に出されるばば様の草笛光子サンのお伴をしなければならなくなっている状況。 ますます恋が遠ざかっていく~。

 そして信繁は 「本当は帰って来たくなかった」 真田の郷の風景を見て、自らの生まれたところを誇りに思う、という気持ちが芽生えるのであります。 それがさらに昌幸の心を動かしていく、というこの構造。

 それ以外にも見どころ解説のしどころは多々あるのですが、とりあえず議論を 「軽さと落胆」 に絞りました。
 ホントにいいドラマというのは、いろんなことを次々考えさせてくれるものです。

 あ、書き忘れましたが、やはり三谷サン、松というおいしいキャラを、そう簡単には死なさないようです。

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2016年2月10日 (水)

「真田丸」 第5回 「ゴシップ」 目線で見た本能寺

 このところ 「真田丸」 に特化している我がブログ。 冬ドラマのレビューそっちのけでありますが、なんかこの大河ドラマのレビューは、書きやすい気がしてどうしても優先しちゃうんですよ。
 そもそも私の場合 「感想を書きたくなるドラマ」 というのは、一概に 「よく出来たドラマ」「面白いドラマ」 というだけでは無理なところがあります。 出来がいいからこそ、きちんとした感想を書かねばならない気がしてくるし、そうなると先を見るのが億劫になり、しまいには怖くなってくる。 真に面白いドラマだと、そのへんの壁をぶち破るような力にあふれていて、感想を書きたくてたまらなくなるものなんですが。

 それに比べてこの 「真田丸」 には、「そんなにリキ入れて見なくても入り込めちゃう」、という長所がある気がします。 それは主人公たちがどこか 「真剣にやっていながらもそこにどことなく可笑しみがある」、人間の喜劇的な部分を背負っているからではないか、と思われます。

 この第5回でも、例によって真田昌幸(草刈正雄サン)が、せっかくついた織田があっさり明智に討たれてしまって、表向き平静を装いながら息子の信幸(大泉洋サン)とふたりっきりになった途端 「ちくしょおおおおお~~~っ! せっかく頭まで下げて馬までやってよーやっとこれで落ち着けると思ったのにぃぃ~~~っ! なんでここで死ぬかねぇ信長ァァ~~っ!」(笑)。

 そして 「我らはどこにつけばいいのですか?父上の本心は?」 と訊いてくる信幸に、「わしの本心か…。 では、はっきり言おう…」 と散々ためてから(笑)、

 「まったく分からんっっっ!」

 いや、ゆーと思った(笑)。

 このセリフをですよ、「あくまでマジメに叫ぶ」 ところがいいんですよ。 だって大マジメな話ですから。 こんな小国がどこにつくかで運命変わっちゃうんですから。
 でもそれが、テレビ桟敷で見ている我々 「部外者」 たちにとっては、「マジメであるがゆえに哀しくも喜劇的である」。 そういう背反する本質を捉えることが出来るからこその三谷脚本であり、今年の大河が 「とっつきやすくレビューを書きやすい」、という結果になっているのではないかと思われるのです。

 そしてこの第5回全体に流れる主題は、「信長の死がもたらした混乱」 にあることは明白です。
 なぜなら、前回信長に壮絶にボコられて恍惚の表情を浮かべていた明智光秀が、どこにも出てこない。
 家康(内野聖陽サン)陣営も昌幸ら国衆も、信繁(堺雅人サン)も木村佳乃サンも誰もかれも、「なんかエライことが起こったみたい、でも真相は分からん」 という状況の下で自らがどうなすべきかの判断を迫られるからです。

 この混乱は、このドラマが 「本能寺」 の顛末をほぼ完全に描写しなかったことが原因です。
 本能寺が焼けたところが出てきて、「信長様の亡骸は見つかってないらしい」 という情報だけが信繁の耳に入ってくるのみ。 じゃ、どこかで生きてるかも?という可能性も捨てきれないのです。

 じゃ、もし織田を見限ったとして、信長が実は生きてました、なんてことになったらどーするのだ、という不安も抱えながら、徳川も真田も行動しなければならなくなる。

 ここらへんの 「真相が分からない状況」 というのが、この第5回では特に秀逸に描写されていた気がします。
 これって昨今のセンテンススプリングチックなゴシップに(笑)踊らされている我々のようなものかもしれません。
 なんだかんだ言って、真相は分かんないでしょう、ベッキーもSMAPも甘利サンも(笑)。
 自分の目で見たわけじゃないのに、記者の目から見た(あるいはその主観というレンズを通して見た)情報を基にして、我々はあーだこーだやいのやいの言うわけです。

 まあ確かなのは、「ここは織田を見棄てて逃げる!」 と決めて伊賀越えを断行した家康たち一行に、上野樹里チャンはいなかったということくらいで(笑)。

 いなかったなあ、江(笑)。 最近伊賀越え、というとどうしても彼女の姿を探してしまう自分がいるのであった(笑)。 それだけインパクト強かった、ということで(本能寺にも彼女の姿はなかった…笑)。 なんでだろう(棒読み)。

 とにかく家康のほうほうのていで逃げる様はいかにもコミカルで、途中出てきた服部半蔵も 「伊賀は我がテリトリー」 と豪語するもなんとなく(いやものすごく)頼りなく(笑)、江がいたんじゃ足手まといもいいとこだったということだけは、じゅうぶん伝わりました(笑)。
 しかしこれも、逃げている当人にしてみれば、真剣そのものなのであり。

 そして戦国時代における情報の伝わり方の極端なムラは、滝川一益(段田安則サン)の 「これでようやく信長様が望んだ太平の世が来る…」 という哀しい安堵へとつながっていくわけです。
 昌幸と信幸は、最初滝川に信長の死が伝わっているのかどうかを見極めようとするのですが、途中でいやがうえにも気付いてしまう。 「なんも知らないなこの人」。

 しかしふたりは、滝川に信長が死んだ(であろう)という情報を、伝えないんですね。
 そして滝川との会見ののち、「明智も愚かなことをしたものよ…」 と嘆かせる。
 この、武士の情け的な展開。
 このドラマを深いものにしているのが、こうした 「暗黙の了解」 という部分を大事にしているところなのではないか、と思われるのです。

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2016年2月 6日 (土)

「真田丸」 第4回 カマの掛け合い化かし合い

 今年の大河ドラマで好感が持てるのは、「それ以上でもそれ以下でもない語り口」 のような気がします。
 主人公の真田家は信州の小さな地域を束ねる戦国武将であり、けっして戦国時代を中心で動かしているわけではない。 また、主役の信繁(堺雅人サン)はあくまで真田の次男坊としての立場を失わず、軍議にも出なければ立ち聞きもせず歴史の重要場面に立ち合うなんてこともまったくない。

 何でもかんでも主人公たちの手柄にしてしまう昨今の大河ドラマとは、ここが大きく異なります。 そもそもそうした 「必要以上の主人公アゲ」、という時点で大河の資格すらないと思うんですが(キビシーっ)。

 しかし彼らの人生の中では、彼らが主人公(byさだまさし)。 「キビシー戦国時代を生き延びるためにオレタチも必死なんじゃ」 というところが分かればよろしい。 そして曲がりなりにも地域を引っ張っているのですからその物語は、一般人以上に面白くなるのが道理なのです(暗に去年の批判してる?)。 

 しかもこのドラマ、もともとはスケールが小さくても、ラストステージには日本の行く末を決定するキャスティングボードを握る、という華が控えている。 ここが伊達政宗とか山内一豊、直江兼続などとは違う点です。
 さらになんだかんだ言って、真田家は末代まで存続する。 「生き残るための戦術」 という点でも、見応えがある。

 そのラストステージに向かうロールプレイングとして、序盤では信繁にスライムとか大ナメクジ…いや違った(笑)、薪取り合戦で村人レベルで戦わせてるし。 ドラクエで言えばレベル1から4くらいまでの戦いですよね、アレ(笑)。

 で。

 「それ以上にもそれ以下にもならない語り口」 は第4回ラストおいてさらに、NHK戦国大河ではほとんど 「お約束」 と化していた本能寺の変を、ほぼバッサリ切った。
 こういうのはいいな。
 「功名が辻」 でも 「天地人」 でも、大々的にやってたでしょう。

 これってもしかして次の回であらためてやるのかな? でもいくら戦国の大ニュースでも、真田は当事者じゃないから。
 まあひょっとすると作り手には、「ぼくちゃんの大河では本能寺やらないよ、ね、ね、すごいでしょ?」 というのは、あったかもしれないけど(笑)。

 だから信長役の吉田鋼太郎サンも、出たかと思たらあっという間の退場。 ミスキャストでは?と思っていた吉田サンでしたが、こうなるともうインパクトだけがひたすら強い。
 その料理の方法も三谷流。
 もったいつけて現れて静かな第一印象だったのが、信繁が次に見たのは、明智光秀を狂ったようにボコる姿だった。

 これを昌幸(草刈正雄サン)も信幸(大泉洋サン)も見たわけではなく、信繁だけが見た、という設定に三谷サンがしたのは、結構重要な気がします。

 信長の権力者としての狂気を見せつけられたそのホントに直後に、信繁は本能寺を知るわけですからね。 それで 「戦国時代、一寸先は闇、なんでもありなんだなァ」 と真田家のなかでいちばん感じたことになる。
 物語の説得力を増す手段として、のちに信繁が父と共に豊臣方につくのも、そうした 「時代の不確定性」 を真田家のなかで誰よりも強烈に刷り込まれたからだ、という理由づけをする。 それを三谷サンは鮮やかに見せた。

 しかし話はそれますがこの明智を演じた岩下尚史というかた。 役者が本業ではないらしいですね。 学者さんとか? それがまあ、シロート感を漂わせてですよ(笑)、信長に打ち据えられながらニタニタ笑うんだなあ。 これってト書きなのか演出家の意図なのか。

 これ、結構深読みさせますよ。
 衆人環視の中で信長に辱められるわけですからね。

 光秀にしてみれば、ここは深刻な顔をしたり反抗的な目つきをしたらますますリンチがエスカレートするからそれを避けねばならないし、まわりに 「いやいや大したことじゃないですよ」 というアピールもせねばならない。 だっていっぱしの戦国大名ですから。
 そしてそのニタニタのなかで、憎悪が増殖する。 シロートさんがやってヘタレ感も出てるから、それまでの大河ドラマでさんざん見てきたような、明智光秀の 「悲壮な決意」 というものを、作り手がここで完全に否定にかかっている気もするんですよ。 こうしたヘタレが、憎しみが募ったあげくにもののはずみでやっちゃった、みたいな。
 この演出は深い。 ドラマって、こうでなくちゃ。

 しかしこの第4回の白眉は、やはり信長に拝謁に上がった昌幸と、その前座にましました徳川家康(内野聖陽サン)とのやりとりでしょう。

 その前段階で昌幸と家康との間に横たわるかつての浅からぬ因縁をさらっと説明する流れがまず見事。
 昌幸はかつて武田方として家康を追い詰めまくったという昔話をするのですが、それはたぶん三方が原の戦いのことでしょう。 あれって家康にとってはスンゲー負け戦で、逃げる途中でアレをお漏らしして、それを忘れないために帰って来たとき負けた自分の絵を描かせた、くらいの生涯最高の屈辱だったやつでしょう。
 そのとき昌幸が信玄から賜った名前が(蛇足ですが、昌幸が信玄公の名前を口にするとき、いつも少し頭を垂れるのが好印象)、武藤喜兵衛だった。
 物語はその、武藤喜兵衛をキーワードとして腹の探り合いに突入するのです。 この話の作りかたはやはりさすがですね。

 そして家康というのは、この物語にとって(真田信繁にとって)やはりラスボスなんですが(笑)、そのラスボスとレベル1から4くらいのゆうしゃが、ばったり出会っちゃった面白さも加味している(笑)。 あ~もう、仕掛けだらけだ。
 ゆうしゃはそれが家康とも知らないで、無礼な口を聞きまくり(笑)。

 それはそうと、やはりこの、家康と昌幸のやり取りの発端となるのは、やはり昌幸が息子の信幸を騙してまで仕掛けた、上杉へのニセの書状なんですが、これを家康がいぶかしがるところからカマの掛け合い化かし合いが始まる。
 昌幸は信州のライバル国衆である室賀(西村雅彦サン)を利用してまで織田方を騙すことに念を入れたのですから、書状の真偽はフツーに考えればまず見破られないところです。
 でもそこに疑念を持つことで、家康のタダ者ではないところと同類としての嗅覚を表現できる。
 歴史的にはこのふたりが 「タヌキ型」 であることは通説なので、やはりそのふたりが腹を探り合うのはドラマとして最高に面白いんですよ。

 家康は上杉方の直江兼続が奥の間にいるからそれに訊けば一発でこの書状の真偽が分かるであろう、とカマをかけるのですが、昌幸はそれを見破ります。
 その見破りかたがまた、どことなく 「まあ、そのときはそのときだ」 という破れかぶれが入っているようで、「よし、分かった!」(by加藤武サン)という明快な演出ではないところがまたいい。
 昌幸の度胸と飄々さが同時に味わえるのが、ドラマとしての醍醐味になっているんですね。

 そして武藤喜兵衛という名前を 「忘れた」「覚えている」 というやりとりでさらに家康の心の深層も見えてくる。 真田よ、こちらは何もかも見透かしているぞ、という警告ですね。

 ここで感心するのは、やはりこのシーンが息が詰まるほどの緊張を強いてくると同時に、どことなくユーモアを漂わせている、という見せ方でしょうか。 ヘンな空気の抜けかた。 それが三谷脚本のひとつの味でもある気がするのです。

 まあ、小山田茂誠を匿うための一連の流れは、どこか空気が抜けまくってましたが(笑)。 でもその緩急が、いいんですよ。

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