« 「真田丸」 第9回 「人の命を失わないこと」…なんて、当たり前じゃん? | トップページ | 「真田丸」 第10回 資料がないのを武器にする、とはこういうことさ »

2016年3月17日 (木)

「5人目のビートルズ」 サー・ジョージ・マーティン死去

 2016年はその初頭から洋楽における重要なヒーローたちの死が続いて、洋楽ファンにとってはまるで厄年のような年だ。 そして3月8日、我々ビートルズファンにとっては 「近い将来必ず来るであろう」 と危惧されていた、ひとりの名プロデューサーの死を聞かされることになった。
 サー・ジョージ・マーティン、享年90歳。
 死因は今のところ明らかにされていないが、比較的早死にが多いビートルズ関係者の中では、大往生の域に入る。

 その死を伝えるニュースで目立った彼に対する形容に、「5人目のビートルズ」 というものがある。 これはまことに的確な表現ではあるが、ビートルズファンの私に言わせれば、その形容に値するもうひとりの人物は、マネージャーのブライアン・エプスタイン(1967年死去)だ、ということになる。
 要するに、このふたりがいなければ、ビートルズはミュージック・シーンに出てくることはなかったし、またあれほどの伝説的なスーパーバンドとして、世界に君臨することはなかったであろう、という意味でだ。

 ブライアン・エプスタインは彼らをイギリスの片田舎で見いだし、彼らのマネージャーを申し出、彼らをレコード会社に売り込もうと腐心し続けた。
 しかし1961年当時、世の趨勢はロックンロールなどもう時代遅れ、メロウなミュージックが主流を占めていた。
 そんな時に彼らを言わば 「拾った」 のが、EMIのジョージ・マーティンだった、というわけだ。

 もともとマーティンにとってビートルズというグループは、「別に売れようが売れまいがどうでもいい、当たればそれはそれでラッキー」 というレベルだったのだろうが、まあ大手レコード会社デッカのオーディションに落ちるくらい 「落ち続け」 のバンドだったから、それくらいの誇張はレジェンドにとって不可欠な要素だろう。
 しかし採用するんだから、彼らに商品的価値を見い出さなかった、というわけではけっしてない、と思うのだ。

 その 「落ちこぼれ」 バンド採用に際して私が注目するのは、ジョージ・マーティンがもともと、スパイク・ミリガンとかピーター・セラーズ(ピンク・パンサーのクルーゾー警部で有名ですね)とか、コメディ・レコードのプロデューサーを務めていた、という点だ。
 その彼が、ビートルズとの最初の打ち合わせ終了時に、ジョージ・ハリスンに言われたことが彼のユーモアセンスと合致したことが大きいのではないか。 有名な話なので割愛するが…いやマニアの間でだけ有名なので(笑)とりあえず紹介すると、「なにか問題はないか?」 とビートルズに尋ねたら、「あんたのネクタイが気に食わない」 と言われた、というエピソードである。

 その話ひとつだけでは到底弱い気もするけれど、元来ビートルズのメンバーというのは皮肉やウィットに富んでいたから、会話の端々にマーティンが彼らのユーモアセンスを感じ取った、としても不思議ではないだろう。
 また、彼がEMIに就職するまでの道のりは、かなり紆余曲折を経ている。 要するに、仕事に 「面白さ」 がなければやりがいを感じない、というタイプの人間だったことは言えるのではないだろうか。 その彼がビートルズに、「面白さ」 を見い出した瞬間、歴史の歯車は大きく動いたのだ。

 もうちょっと突っ込むと、このエピソードで引き合いに出されているのが、ジョージ・ハリスンの言葉だった、ということも興味深いものがある。

 なぜなら、ビートルズのメンバーはジョン・レノンもポール・マッカートニーも英国人特有のユーモアセンスを持ち合わせているとは言うものの、初対面に近いマーティンに向かって 「アンタのネクタイが…」 などとはあまり言わなそうな気がするからだ。 ジョンなどはどちらかと言えば内向的な性格が表に出てしまうような気がするし、ポールに至ってはそのコマーシャル的な性格であまりひと様を皮肉るという発想が 「その時点では」 出てこない気がする。
 その点ジョージ・ハリスンはメンバーの中でいちばん若く、テディ・ボーイの精神をいちばんその時点で引きずっていたように思える。 若いからムチャするんだよな(笑)。 しかもユーモアに対するリスペクト度は人生を通じて高いし(笑)。

 ジョージ・マーティンのビートルズにおける仕事を俯瞰してみると、彼が彼らの音についてOK GOサインを出す基準は、「より荒々しく勢いのある音」 であったように私は感じる。

 多少のミスなどは気にしない。
 その姿勢はいちばん初期に当たる 「プリーズ・プリーズ・ミー」(デビュー第2弾シングル曲)ですでに顕著だ。

 今日ではこの曲はデビュー曲の黒っぽい 「ラヴ・ミー・ドゥ」 とはまったく違った路線のように思える。
 しかしもともとは、ロイ・オービソンのようなイメージの、スローなナンバーだった。 この曲をスローなイメージで頭のなかで再構築してみるがいい。 実際は 「ラヴ・ミー・ドゥ」 路線の黒っぽさを継続していたのではないか、という気にさせるだろう。
 しかしマーティンは、この曲のテンポを上げるという提案を、ビートルズに対してしてきた。
 彼らはそれに同調した。
 この時点でビートルズとマーティンのあいだには、すでに波長の合致が見られる。
 それは、デビュー曲にまつわるせめぎ合いが関係しているように、私には思える。

 彼らのデビュー曲に、マーティンは他人の書いた曲(「ハゥ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」)を用意してきたのだが、彼らは頑として自分たちのオリジナルでデビューすることにこだわったのだ。
 「ハゥ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」 は現在 「アンソロジー1」 で聞くことが出来るが、「結構ヌルい」(笑)。 おそらくヒット性はあった。 当たり障りのないいい曲、という印象なのである。 そして彼らも、これもいちおう仕事、と割り切って、きちんと演奏している。 そこらへんはプロの意識が既にある。

 しかしビートルズは、より玄人受けするような 「ラヴ・ミー・ドゥ」 を使いたい、と主張したのだ。 マーティンはそのとき、なにを感じたのだろう。

 「ま、当たってナンボだからい~か」(?…笑)。 そこにいい加減さがなかった、とは言えまい(笑)。 しかし彼は如実に、このグループの 「こだわり」 というものも肌身で感じたに違いないのだ。

 それに対してマーティンも、自分なりの 「プロのこだわり」 で応じているように思える。
 すなわち、ドラムのダメ出し、である。

 まずこの 「ラヴ・ミー・ドゥ」 のレコーディングの最初は、ドラマーがピート・ベストのときに行なわれている(その時点ですでにこの曲をデビュー曲にしよう、というせめぎ合いがあったかは不明だが)。 しかしマーティンは 「ドラムがまずい」 と一蹴。
 ピート・ベスト・バージョンも 「アンソロジー1」 で聞けるが、なるほどテンポは一定してないしいかにもシロートっぽい。

 しかし、また話が脱線してしまうが(笑)「ラヴ・ミー・ドゥ」 という曲、間奏部分で彼らは、テンポを意図的に変えているように、私には聞こえるのだ。
 それと同じ発想の曲が彼らにはある。 「アイ・コール・ユア・ネーム」 だ。 この曲、間奏部分でいきなりリズムが変わって、スカ・スカになる。 「アンソロジー1」 のピート・ベスト・バージョンの 「ラヴ・ミー・ドゥ」 ってそれに似てないか。 テンポを間奏で意図的に変えるって、かなり難しいように思えるんだが(笑)。

 マーティンのドラムダメ出しに対して、ビートルズはピート・ベストをあっさり解雇。 まあおそらく、当時メンバーの中ではいちばんいい男で人気のあったピートをどーにかしよう、という気もあったのだろうが(笑)、ここで担ぎ出されたのが、リンゴ・スターだった、というわけである。

 ロリー・ストーム・アンド・ザ・ハリケーンズというリバプールきってのバンドのドラマー、リンゴを引っ張ってきてレコーディングは再開されたが、マーティンの判断はまたもや 「NO」。 結局アンディ・ホワイトというセッションドラマーを連れてきて 「ラヴ・ミー・ドゥ」 は完成された。

 これって、かなりゴタゴタの末の完成だ、と私は思うのだが。

 ただそれによって、マーティンが当時していた仕事のなかでビートルズの占める意識の割合、というのは、しょっぱなからかなり大きくなった、と言えるのではないか。
 「プリーズ・プリーズ・ミー」 をテンポアップさせる、という発想は、だから彼らの 「勢い」 をレコードに刻みたい、という思いから生まれたものであるように、私には感じられるのだ。
 現にこの曲の中で、ジョンとポールのコーラスで歌詞がバラバラな部分があったりする。 そのミスをそのままレコードにした、ジョージ・マーティンの意図に、思いを致さざるを得ない。 そして同曲で、彼らはブレイクした。

 彼がクラシックの素養を持ち合わせていたことも、ビートルズにとっては大きなステップの要素となった。
 初期の頃からピアノで彼らのレコーディングに参加することの多かったマーティンだが、そのクラシック的才能のもっとも早い披露は、ポール稀代の名曲 「イエスタデイ」 に最大の貢献を見せる。

 この曲の弦楽四重奏のスコアは今聞いてもまったくすごい、としか言いようがない。
 それをダブルにして八重奏にし、ロック的要素を加味したのが 「エリナー・リグビー」。 この曲の弦の響きはあくまでスタンダードな 「イエスタデイ」 と比べてアタック音がかなりダイレクトだ。 マーティンはそれをなんとかの影響、と言っていた気がするのだが、今ちょっと思い出せない(笑)。 いずれにしても、マーティンのクラシック的素養がビートルズのアレンジメントに影響を与えていく様は非常にエキサイティングだった。

 そのストリングスアレンジの最も昇華したものが、「アイ・アム・ザ・ウォルラス」 だったことは納得いただけるのではないだろうか。 グリッサンドの応酬みたいなあの気味の悪いストリングスは、ジョン・レノンの現代音楽に対する大きな扉を開いているように、私には思える。
 テープ・スピードの調整による別アレンジの結合、といった離れ業もやってのけている。
 「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」 である。
 今ではMPEGだかなんだか、機械が簡単に 「音程を変えずにテンポを変える」 とかやってくれるご時世なのだが、当時はスゲーアナログな方法でそれを実現した。
 もともとジョンが 「こっちのアレンジもいいけどこっちのもいい、ふたつつなげてくんない?」 というムボーな要求をしたために(笑)マーティンはそれをしなくてはならなくなったのだが、重要なのは、マーティンがそれを 「面白がって」 実行した、ということだ。

 特にジョン・レノンのムボーな要求、というのは彼のモチベーションを高めたはずで、それがビートルズの音作りに多大の貢献をしたことは、あらためて言うまでもない。
 「ストロベリー・フィールズ」「ウォルラス」 などは、現代のアーチスト表記法で言えば 「ジョージ・マーティンfeat.(フィーチュアリング)ビートルズ」、となってもおかしくないほどの貢献度なのである。

 最近発表されたリミックスバージョンの 「ザ・ビートルズ1」 では、息子のジャイルズ・マーティンがステレオ・バージョンの音配置を大幅に現代用に直したが、この発想もすでにCD出始めの時代に彼によって始められていた。
 すなわち、1960年代のステレオミックスというのはステレオ効果を大々的に強調するために、演奏左ヴォーカル右、みたいな極端なことがなされていたのだが、それをLP 「ヘルプ!」 と 「ラバー・ソウル」 で彼は自然な聞こえ方に直したのだ。
 結局その作業はこの2枚のアルバムで終わってしまったわけだが、今回の 「ビートルズ1」 は未来に向けてジャイルズがその父親の作業を引き継いだ、ひとつの過程なのだ、と私は位置付けている。

 ジョージ・マーティンが生前、ビートルズの仕事でいちばん最後に行なったのは、マッシュアップアルバム 「ラヴ」 において、「もうひとりのジョージ」、ハリスンの遺した 「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」 のギター1本で歌われる美しいデモ・バージョンにつけた、ストリングススコアだった。 それはかつて彼がアレンジメントで駆使したスリリングさに欠けてはいる、とは言うものの、その旋律は故人に寄り添うように、限りなく美しい。

 かつて 「アンタのネクタイが気に食わない」、と憎まれ口を叩いたジョージ・ハリスンと、今ごろマーティンは天国でどのような会話を交わしているのだろうか。

 レスト・イン・ピース。 サー・ジョージ・マーティン。

|

« 「真田丸」 第9回 「人の命を失わないこと」…なんて、当たり前じゃん? | トップページ | 「真田丸」 第10回 資料がないのを武器にする、とはこういうことさ »

ビートルズ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521783/63348736

この記事へのトラックバック一覧です: 「5人目のビートルズ」 サー・ジョージ・マーティン死去:

« 「真田丸」 第9回 「人の命を失わないこと」…なんて、当たり前じゃん? | トップページ | 「真田丸」 第10回 資料がないのを武器にする、とはこういうことさ »