« 「世界一難しい恋」 第1回 「エラソー男」 の生態観察 | トップページ | 「真田丸」 第14-15回 その死まで付き合うことになる、三成、そして淀 »

2016年4月21日 (木)

「OUR HOUSE」、何がそんなに悪いのか

 フジテレビが日曜夜9時からのドラマ枠を復活した第1弾(2弾があるかどうかは疑わしい…)、「OUR HOUSE」。 新聞によりますと4月からの春ドラマで全局最低の4.8%という、見るも無残な視聴率だったそうです。

 しかしこれほど、その原因が分かりやすいケースも珍しい。

 要するに、現在のフジテレビが、その原因にも気付かないほど機能不全に陥っていることの証左であるともいえる気がするのです(当ブログ史上一番辛辣なこと言ってる気がする)。

 まず、「日曜夜9時」 という時間帯設定。

 ここ数年、この時間帯は完全にTBSの独壇場です。 同時間帯に数年前にフジテレビが仕掛けた時も、「マルモのおきて」 というヒット作以外はおしなべて視聴率が悪かったように記憶しています。 いわば 「マルモ」 は例外中の例外。 しかもこの時期、裏のTBSではスーパーヒット作の 「JIN」 の完結編が放送されていたから、「マルモ」 の大健闘は当時でもかなり話題に登っていた。
 フジテレビはこの、「当たったドラマのいい思い出よもう一度」 というスケベ心丸出しでこの時間帯にドラマを仕掛けてないか。
 ここ数年のフジテレビの局の姿勢を見ていると、どうも 「過去の栄光」 に幻惑されているのではないか、と思うことがよくあります。 その傾向が今回も容易に見えてしまう。

 しかし、ヒット作というのは一朝一夕にできるものではない。 腰を据えてこの時間帯にTBSに対抗していこう、という姿勢が見えなければ、視聴者はどうやったって見くびっちゃうんですよ。 あっちにフラフラ、こっちによそ見では、注目度なんかジリ貧ですよ。

 しかも、脚本が 「かつてのヒットメーカー」、野島伸司氏。 主演が 「マルモ」 の芦田愛菜チャン。 愛菜チャンの相手役に 「マッサン」 で注目されたシャーロット・ケイト・フォックスサン。

 実に失礼な言い方をいたしますが、どれも 「過去の栄光」 というイメージが導き出されるスペックばかりじゃないですか。
 いや、その人たちが悪い、と言ってるんじゃない。
 使う場所が間違っている、ということ。
 芦田愛菜チャンを使うとか、「マルモ」 の夢よもう一度、というのが、最近のフジテレビの持つよくない 「凋落イメージ」 と、簡単に結びついてしまうんですよ。

 そして、シャーロット・ケイト・フォックスサン。

 私 「マッサン」 の頃、結構好きだったんですが、それ以降この人を日本で見かけると、なんかいじましいものを感じてしまう。 「CHICAGO」 に抜擢とか、アメリカでご活躍される分には、とても誇らしい気持ちになったものなんですが。

 日本でもしご活躍されたいんであれば、それなりの戦略をもって臨まないと、「出稼ぎですか」 みたいな感覚で日本の視聴者に見られてしまうんじゃないのかな。
 テレビ局側の姿勢としては、彼女は器用に際して実に神経を使わなければいけない素材である、と私は思うのです。 その姿勢自体が、今のフジテレビには完全に欠落している。 彼女はもっと堅実な番組で、またはNHKみたいな堅実な局で日本に定着させる必要があるのに、「マッサン」 で人気だったから、という安易な理由だけで彼女をドラマに起用している。

 野島伸司サンについては、「脚本家には旬の期間がある」 ということの認識が、フジテレビのドラマ制作責任サイドには決定的に欠けている。 トレンディドラマ全盛のときに大先生だったから今も視聴率に対して有効か、と言えばその答えは明らかにNOです。 非常に酷なことを書いてますけどね。 野島先生の功績には敬意を表します。
 ただこれも、フジテレビ自体が 「過去の栄光」 に囚われすぎている一連の発想に通じるものがあります。
 現実をシビアに見る目が、「今のフジテレビを実質的に動かしているセクション」 には失われている(現場サイドが動かしてるわけじゃないですからね)。

 要するに、「このドラマを見せたいんだ!」 という心意気を感じないんですよ。 「こういうの作りゃ視聴者は見るだろ」 みたいなゴーマンな感じで。

 そして、第1回目の内容。

 脚本の細部に関する良し悪しを度外視して考察を進めますが、まず大まかなドラマ全体の話として、「母親が死んで半年で父親が連れてきたのが外国人の奥さん、それに反発する長女との間のバトル」 というのが、もうもっとも初期の企画段階でダメ出ししたくなるような素材であり。

 だって結局仲直りするんでしょ?というのはもう分かりきっていることで。 視聴者はこの時点でもう、結構引いてる。 別に見なくても、という気になってる。 だからー、外国人の奥さんがシャーロットでしょ! 娘があの芦田愛菜でしょ! という発想をフジテレビはしている、と思うんですが。

 芦田愛菜チャンの演技は久々に見ましたが、どうもこのコの演技は、「器用貧乏」 に陥っているような気がしました。 すごくうまいんだけど、なんか器用さばかりが目立ってしまっているような感じ。

 その愛菜チャンが、母親が亡くなった家庭を実質的に支配してるんだけど(笑)、それが愛菜チャンを現在取り巻いている実際の状況を、なんか連想させちゃうんですよ。 演技がうますぎるから、彼女に何かアドバイスする人がいなくなっているような。 このコの才能があるのは明らかなのだから、もっと大物ベテラン俳優たちのなかでもまれたほうが、きっともっと育つような気がする。 どこか独りよがりな感覚がある。
 いずれにしても成長途上の女優さんだから、今後に期待はしてます。

 そして物語の冒頭、この子たちの母親が死んでしまうのだけれど、なんだかそのシーンがこちらの胸を打たない。
 なんか、ウソ臭さが充満している、というか。
 私はこのシーン、いくら諸々のことがダメでも、ここで見る側の心をつかめばドラマ自体がなんとか推進していくように思うんですよ。
 しかしこのドラマの演出家は、それを完全に軽視している、ように、私には思えた。
 このドラマは基本的にコメディだ、と思うのですが、「コメディだから母親の亡くなるシーンもそんなに深刻じゃなくていい」 という演出意図があったんじゃないか。 でもその演出方向は、間違っている。 ここでウソ臭さを演出してしまったら、その後のこの家庭に、視聴者が共感してのめり込めないではないか。

 フツーこういう場合、冒頭部分だけでリタイアしちゃうのが私の常なんですが(笑)。

 最後まで見ちゃった(笑)。

 なんか、芦田愛菜チャンの 「方向性がずれているようなうまさ」 の不安定さと、シャーロットサンの 「このドラマのこの役をどうやって演じていこう」 という迷いと、ほかの共演者たちの、どことなく全開の本気が見えてこない現場の空気のギクシャクが伝わってくる作りが(笑)、なんとなく気になって最後まで見ちゃった、みたいな(笑)。

 今回は、かなり失礼なことをいろいろ書いてしまいました。 御不快な思いをしたかたには、伏してお詫び申し上げます。
 しかしこれも、一時期はドラマで完全に 「ドラマのTBSよりよほどいいもの作ってんじゃん」 と感心していたフジテレビに対する、叱咤激励と思っていただければ、幸いなのです。

« 「世界一難しい恋」 第1回 「エラソー男」 の生態観察 | トップページ | 「真田丸」 第14-15回 その死まで付き合うことになる、三成、そして淀 »

テレビ」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。誰もコメントをしてないので
遠慮なくオジャマします。
今回のフジのドラマはラブソングだけかな?
たとえ視聴率が悪くても伝えたいなにかが
あるような気がする。
アワーハウスはワタクシもリウさんと
同じ理由でガッカリクンかな~。

TWO WORLDSはラストもよかったですね。
映画のラストシーンに出てきそう。
ワタクシピアノが大好きなので
やっぱり一曲めがいいな~。
リウさんもピアノ出来るンでしたっけ?
ジャズではレッドガーランドのコロコロ
しつつもネバっこくしつこめにやってる
ヤツがツボです。

リウ様
こんばんは。

「脚本家の旬」
ありますねえ。
今回観てつくづく感じたのが、やはり台詞が古いです(失礼)。
確かに、80~90年代は、こういう、「日本は『不思議の国』じゃなくて『お辞儀の国』なのよ!」みたいな、絶対普通使わんよね的な台詞がウケていた。それは分かるのですが、2016年のこの時代にそれをやられると明らかに浮くし、愛菜ちゃんのお芝居も浮いてしまう。なまじ、セリフのニュアンスを忠実に汲みとった演技ができるから余計にですね。

「ラヴソング」を観ていても感じるのですが、「僕は死にましぇん」の時代と今とでは、シナリオの話法が全く違ってると思うんですよ。クドカンの登場あたりからでしょうか、より日常会話に近づいていますよね。台詞自体も、気の利いた言い回しや言葉のインパクトよりも、会話としてのグルーブ感やそのときのシュチュエーションの方が重視されているような気がします。
そう考えると、野島さんの今回のホンというのは、いかにもオールドスタイルなんですよね。残念ながら。

あと、シャロやんは、やはり英語でお芝居するところ観たかったです。ただ、今のハリウッドの女優さんって、皆、強烈に個性的ですからね~。そうじゃないと生き残れないというか。そうなると、彼女のキャラではちょっと薄いのかなあ。
元々、演技力と根性はある筈なので、脇役で地道にキャリアを積んで、20年後ぐらいにアカデミー助演女優賞、なんていうパターンで出世して欲しかったのですがね。

私もこのドラマ見てしまった1人です…

ホント脚本と演出が酷いなと。
まさか、芦田愛菜チャンから「うっかり八兵衛〜」なんて言葉が出ると思わなかった!!(爆)

コレ本人意味知ってないでしょ(笑)

芦田愛菜チャンは、中学生になったらちょっと充電してほしいですね。演技は一通り出来る、でも何て言うか心がないように見える。要求された演技をやってます〜というふうに見えます。

先日、「ボクらの時代」に愛菜チャンが出ていて将来、化学者になりたい と話してるの見て尚更、学業に専念してほしいと思ったのは私だけでしょうかね〜

ドラマ大すきおやじ50才 様
コメント下さり、ありがとうございます。

ピアノはここ数年弾いていないのですが、鍵盤に触ると頭で忘れてても指が覚えてたりする(笑)。 不思議です。 そのくせいい大人になってから一生懸命覚えたバッハのメヌエットなどは忘れてたりします。 私が中学高校時代に弾きまくったのは、何を隠そう、何も隠さないけどビートルズ(笑)。 「指」 が覚えてます。

野島伸司サンの脚本は、そんな 「忘れてた懐かしのメロディー」 といった風情でしょうか。 野島作品に必ずあるパターンとして、古い曲を引っ張り出してくるのですが、今回いきなりオフコースの 「愛を止めないで」 で、「ちゃうやろSCN&Yの 『僕たちの家』 やろ」 思たら、挿入歌扱いでガックリ。 まあ、「愛を止めないで」 もいい曲ですが、歌の内容的に、このドラマにどうしても、という必然性が見当たらない。

こういうところに局のゴリ押しが見えてしまうんですよね~

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

天才的子役、というのはきちんと成長するのがとても難しいように思うのですが、芦田愛菜チャンとてその例外ではないことが今回分かります。 そこにオールドタイマー的なセリフが絡んだら、ますます愛菜チャンは自分の向かうべき方向に迷ってしまいそうな気もします。

今回愛菜チャンのお兄ちゃんである加藤清史郎クンも成長のしかたに迷った感じ。 もうなんか、そこらへんにどこにでもいるような感じになっちゃって。 子役というのはどうしてもステージママとか、親との相克があるんですよね。 そこをクリアしないと、自分が本当にしたくてやってる仕事なのかという自覚なしに、欠落した部分を抱えたまま大人になってしまう。 親の感情というのも、罪なものです。

「マッサン」 の頃のシャーロットサンの演技には、メソッドと呼ばれるタイプのものが確実に存在しているように見えました。
しかし今回は、そのメソッドを引っ張り出す、ホンの奥行きがないように感じられるのです。 だから右往左往するところばかりが目立ってしまう。

ただし今回いちばん気になったのは、橋爪功サンが、なん~ともやる気なさそうなところだったかも(笑)。 山本耕史サンも大河に比べるとすごく上滑りな役だし(笑)。

いや、言わないでおこうと思ったけれど、やっぱり死んだお母さん、演出のせいもあったけれど、…まあ、言わないでおきましょうか。

まほろ様
コメント下さり、ありがとうございます。

「うっかり八兵衛」 を知っているとしたら、かなりの時代劇通なはずです(笑)。 しかし見たところ時代劇が好きそうでもないし(爆)。

しかし本人が役者がヤなら、やめるべきですよ。 まだ若いんだから、未来の可能性の芽を摘んじゃいけません。 愛菜チャンの人生は、愛菜チャンのものなのだから。

その自分の人生を見極めたとき、親のために生きる、というならそれもアリでしょう。 自分だけのモノを人のために、と転化できるとき、それは尊いことだと思うのです。

なんか愛菜チャンの人生相談を頼まれもしないのにしてる感じになってきました(笑)。 オジサンはあなたの行く末を、心配しています(大きなお世話か)。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「OUR HOUSE」、何がそんなに悪いのか:

« 「世界一難しい恋」 第1回 「エラソー男」 の生態観察 | トップページ | 「真田丸」 第14-15回 その死まで付き合うことになる、三成、そして淀 »

2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

無料ブログはココログ