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2016年4月 3日 (日)

「あさが来た」 最終回まで見て

 21世紀に入ってから、つまり過去15年のNHK朝ドラのなかではいちばん視聴率がよくなった、という今回の 「あさが来た」。

 前回、1月のレビューで私はこの 「あさが来た」 というドラマについて、「あさのビジネスの概要が見えてこない」 ということを書きました。 もう一点は、「このドラマの評判を良くしているのは、新次郎や五代という脇役が機能していることもさることながら、あさがかなり礼儀正しい人間として描かれているからではないか」、と。

 今この作品を俯瞰して思い返してみると、印象的だったのはあさの 「そら堪忍やで」「ほんま申し訳ありまへんなあ」 というセリフだったりします。
 つまりそれだけ、ひとつ何かの行動を起こすごとに、あさは周囲に対して謝っていたことになる。
 さらにあさは、自分が褒められると必ず謙遜し、それを自分の周りの人たちのおかげだ、と話していた。

 つまり、あさはけっして、出しゃばらないんですよ。 あれだけ幕末、明治という時代に 「女だてら」 に仕事で名を成した人物なのに(しかしまあ、このドラマが始まるまで知りませんでしたけどね)。

 私はこの、あさの性格設定を見て、ヤフーテレビ感想欄なんかでいちばんやり玉に上がる朝ドラヒロインのパターン、「自分勝手」「他人のことを考えてない」 ということに、作り手があらかじめ強力な予防線を張っているように感じました。

 ただそのうちに、「主人公の礼儀正しさ」 を武器に、よくある家族愛の話とか人生訓、人情話に重点を置くことで、広岡浅子という明治の女性の実業家の業績を、実は矮小化しているのではないか、というふうに見えてきた。
 途中までは。
 (安心してください、あとで褒めます…笑)

 「実績を矮小化している」 と思い出したもうひとつの理由は、五代友厚や、姉のはつなど、かなり大胆な脚色を加えていた、という点です。
 このドラマフリークのかたならご存知でしょうが、あさの姉はつは、実際はとても早く亡くなっているし、五代友厚が浅子とこれほど懇意であった、という証拠もない。

 特にドラマの組み立て方、という点から見て、五代とあさの出会いからの一連の出来事って、すごく稚拙に思えたんですよ。
 確かいきなりぶつかってあさの振袖のなかに五代の隠し持っていたピストルが入っちゃって、そんときの五代の態度が気に食わなくてあさが五代にブチ切れて(笑)、そしたら数日後に五代から恋文みたいな手紙があさに届けられて。

 だけどそのときのあさは、まだ子役の鈴木梨央チャン。 いくらものをはっきり言う女性を見たのが珍しかったからといって、「こんな年端もいかぬ子供に文とは、五代はロリコンか?」 みたいな(笑)。
 自転車に乗ってる女性を海外で見てあさを思い出したとか、「最初に海に飛び込むペンギン」、ファースト・ペンギンはあなただ、とか。 どうしてそう気に掛けるのかが、今イチ伝わってこなかった気がするのです。

 そして五代はその後もあさに 「過剰に」 絡み続け、ついには盟友の大久保利通が死んだ明け方だったか、酔った五代はあさに抱きつく。

 ここまで脚色していいもんか?と思いながら見てました。
 しかし世間的には五代役のディーン・フジオカサンの人気はうなぎのぼり。 五代が死んでからは、「五代ロス」 という言葉まで生まれた。

 そこで、こう考えることにしたのです。 「要するに、五代は特に女性の視聴者にとっての王子さまを体現したのだ」、 と。 そうした面でディーンサンは、適役だったのだ、と。
 なによりも、あさは五代に対して、恋心というものを一度でも持った形跡がないんですよ、ドラマを見る限り。 つまり五代の一方的な片思い。
 しかし現実にはどうだったかというと、五代は結構女性がいたようであり。

 それはあさの夫、新次郎についても同じようなことが言えた。

 お妾さんがぎょうさんいたゆう話やでみたいな(笑)。

 しかしこのドラマのとったスタンスは、あくまであさも新次郎も、お互いがファースト・ペンギンじゃなかった、ファースト・ラヴだったわけで、純愛は結局、最後まで貫かれた。
 「謙譲の美徳を兼ね備えた礼儀正しい女性」 の夫にお妾さんとか、ドラマコード上許されないんですよ。

 「あさが来た」、というドラマについて私が持っていたこのようなモヤモヤは、普通ならば 「じゃ見るのリタイアしようか」、ということになります。 何より朝ドラって、見続けるのしんどいし。

 でもそうはなりませんでした。
 なぜか、というと、このドラマにおける新次郎の存在が気にかかったからです。

 新次郎のモデル、広岡信五郎は結局仕事においていろんな役職をかけ持ちしたりした人ですが、基本的に新次郎と同じような感じだったようです。 先ほど書いたように、何人もお妾さん、という点で新次郎よりすごかったのかも(笑)。
 しかしこのような、「趣味第一」 の風流人がどうしてビジネスの世界で存在感を維持し、明治の女傑と折り合いをつけ、自らの人生を全うできたのか。 それが気になったのです。

 このドラマがとった結論としては、「新次郎はビジネスの難しいことはまったく分からなかったが、肝心なところであさをなにかとサポートし、見えない下支えをした」。 つまり潤滑油としての役割を重視したと思われます。
 また、新次郎の趣味が広げる人脈の役割も重視した。

 ドラマ的な体裁からいくと、新次郎を演じた玉木宏サンの風采が光っていた気がします。 ドラマが始まったときのインタビューで、玉木サンは難しい上方言葉について、歌を歌うような、音楽みたいな感覚でセリフをしゃべるようにした、と話していました。
 そのセリフ回しが、なんとも見ている私にとっては、心地よかった。

 そしてその新次郎のスタンスが、あさにとってはいちばん、自らの生き方とフィットしていた、という点が、このドラマを魅力的にした最大の原因だった、と私には思えるのです。
 あさは現代の女性にとっては、「働く女性」 の先駆者であるのですが、あさを取り巻く環境は、夫の新次郎をはじめとして、働く女性にとって理想的このうえない環境であった。 ここにこのドラマのいちばんの吸引力がある。
 だからこのドラマにおいて、あさのビジネスの概要についてきちんとやる必要は、なかったのです。

 まずこの夫婦のけったいなところは、妻が働きまくり、夫が全く仕事に興味を示さない部分。
 ドラマはまず、この新次郎が、どうして仕事に興味を示さないようになってしまったのかを、丁寧に解説していきます。
 そして普通なら、仕事もせんと遊び歩き、不倫の疑いもある夫をあさがそんなに厳しく追及しない。 その理由もさりげなく織り込んでいた気がします。
 いちばんの理由は、あさがまず 「学びたい人間」 であった、ということ。 そして仕事に興味がおおいにある人間だった、ということ。 そしてあさが嫁いだ加野屋の空気が、自由闊達であったことも大きい。

 このドラマの最大の特徴は、「立ち聞きが多い」 ということに尽きる気がするのですが(笑)、それはとりもなおさず、「加野屋の風通しがいい」 ことの象徴であったのです。 つまり加野屋には基本的に秘密がない。

 秘密がないから、あさが夫に対する疑念を膨らませる機会がない。 そらちょっとはありましたけど、あさにとってそれが深刻な悩みにならないことが、このドラマを限りなく健全な空気のままで持続させた原因のような気もするのです。

 疑念がないから、あさはみずからの 「はつ恋」 を持続させることが出来る。
 あさは幼い頃に新次郎からそろばんをプレゼントされるのですが、先ほど書いたように、もうその時点から、あさは新次郎に初期的な好意を寄せています。
 このそろばんは、あさの 「学びたい」 心の象徴であると同時に、「商いへの入り口」 となった重要なアイテムでした。
 ドラマ終盤になってそのそろばんが 「シャカシャカすると音のいい」 梅の木を使ったことが明らかにされ、その梅の木を庭先に配置して、「うれしいことが雨が降る」 という新次郎の象徴に転化させていく。 見事でした。

 あさがビジネス界の大物にどんどんなっていくのに、それをまったく感じさせないというのも、このドラマの大きな特徴でした。
 あさは生まれたときから嫁ぎ先まで、ずーっと名家のなかにいるわけですよ。 つまり超大金持ち、超セレブ。
 しかしドラマはその空気を極力排そうとしていたように思います。 だって大金持ちのドラマじゃビンボー人の反感を買うでしょう(笑)。
 ドラマで行なわれた最大のビジネス的転回は、あれほど努力して規模を大きくした加野炭鉱を売却し、取り付け騒ぎの予防線を張り生命保険の合併の資金と変えた部分。
 この一連の流れは、資金的な規模を考えれば、女子の大学を作る事業も併せると、庶民レベルでは到底想像が出来ない金額が動いているはずです。
 けれどこのドラマは、そこがまったく伝わってこない(笑)。
 なにしろその段階になると、ドラマで重要だった人たちを、次々死なせる、ということに重点が置かれるからです(笑)。

 この 「みーんな死んでいく」 というのは、この世の無常を思い知らされる展開になりそうなんですが、このドラマはその部分の哲学が確固としていたと思います。

 つまり、「よく生きることによって、よく死ぬことが出来る」。

 新次郎の母、よのは死ぬ間際に、あさの娘である千代の結婚に心を砕きます。 はつの夫である惣兵衛は、和歌山のみかん畑に 「自らの生きるべき場所」 を見い出し、自分らしく生きられたことに満足しながら、死んでいく。 それに先立って死んでいった惣兵衛の母菊は、山王寺屋の復興を夢見ながら、実は目の前に広がる山が山王寺屋だったことに思いをいたして、亡くなりました。

 そしてこのドラマにとって最大の山場は、最終回直前に亡くなった、新次郎でした。
 もうマジで泣けた。

 なにしろこんな道楽もんがよく世間を泳ぎ切ったものだ、と思いながら見ていたら、新次郎のたおやかな音曲のような佇まいに、すっかり癒されていた自分に気付いたからです。

 も~目が腫れるくらい泣きました(笑)。 それが先ほども書いたような、ああいう伏線の張りまくった展開でしょう。
 新次郎の象徴のようなキツネの嫁入りの雨に、雨を抱きしめるように手を広げたあさ役の波瑠サン。 思い出したらまた泣けてきた(笑)。
 そこにいなくてはならない人。
 このドラマはこの、一見遊び人風のこの人物に、そこまでの存在感を帯びさせることに、成功したのです。

 「あさのビジネスが見えてこない」 などという杞憂は、ドラマが重点を置いている方向を見定めると、途端に気にならなくなるものです。 「見かた」、の問題。
 それに気付かせてくれたのも、このドラマだった気がします。

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テレビ」カテゴリの記事

コメント

お久しぶりです。途中のレビューがなかったので、もしかしてリタイアかと残念に思っていたところでした。
私としては、このドラマ、薄味というのが全体の感想です。
塩分控えめが健康にいいと言われては文句もつけにくいですが。
いいダシがきいているのにカナケ(包丁2本)が入りこんだり。
せっかく幕末明治という面白い時代を選んだのに、その時代がなんとなく適当にあしらわれているような気がしたり。
そういう文句が出てくるのも薄味のせい。
よかったのは、あさの両親役などの脇役陣。よのさん役のほのぼの感は特によかったですね。
次のドラマは少し濃いめの味になる予感がします。レビュー待っています。

ぼいぼい様
コメント下さり、ありがとうございます。

さっそく第1回からレビューしました、「とと姉ちゃん」(笑)。

広岡浅子の生涯というものを雑誌とか新聞とかで拾い読みしてなんとなくわかったのは、やはり彼女は 「出しゃばらず、一歩引いたスタンスでビジネスをしていた」、ということです。
だからこのドラマも、必然的に薄味になるしかない。
あさの実績が強調されないから、ビジネスの中身にまで内容が切り込んでいかない。 例えばこのドラマを見ていて、両替屋と銀行の違いは分かったけれども、強調されていたのは 「信用」 ということだけだったような気がします。 あとはカッパ(笑)。

でもまあ、そういう話なのだ、と割り切ったら、結構楽しめました。

こんにちは。「あさがきた」のレビューは「カーネーション」に比べるとサイズが小さかったっすね。(カーネーションのレビュー見始めたときなんてあまりの量にワタクシ軽い目まいをかんじ~    あっ モモエ、、、、。)
ドラマとしてはもうちよっとという声もあるようですが「あさ」がカワユかったのでいいのだ!!!(甘)

真田丸のレビューがんばって下さい(祈)。

 

 

リウ様
こんにちは。お久しぶりです。

確かに。
逆境や困難を乗り越えている間は、アゲられるが、成功したと見做された瞬間からサゲられる。
これはある意味、朝ドラヒロインの鉄則ですから。
「おしん」もそうだったし、夏木マリさんの「カーネーション」に対する大バッシングだって、もしかしたらそのひとつの形なのかもしれない。

そう考えると、初めから「逆境」には縁のないあさという人物を主人公に、よくこれだけ多くの善良なる視聴者の皆様方の共感を集めるドラマを作れたな、と。いや、これ、皮肉でゆうとる訳ではなく、本当、そう思ってますよ。
だから前半の、歴史ドラマ・ビジネスドラマの側面が後半影を潜め、夫婦愛・家族愛に収斂されていった展開は、それはそれで正解やったと思います。

なにより、前半と後半で全然違うや~んというのではなく、ちゃんと1つの筋の通った作品として観ることができたのは大きかったですね。
それを可能にしていたのは、やはり、新次郎はんというキャラクターに負うところが大きかったと思いますが。

ドラマ大好きおやじ50才 様
コメント下さり、ありがとうございます。

そりゃ、思い入れのないドラマのレビューは、必然的に少なくなります(笑)が、本当の理由は視聴期間に私が会社をポシャったからだ、とか、結構シャレになんない理由があったりします(爆)。

「イミテーション・ゴールド」、あまり好きな歌じゃなかったんですよね~(ハハ)。 私の好きな百恵チャンは、「冬の色」!「湖の決心」!(笑) 阿木宇崎コンビの作りだしたイメージではなかったんですね~(でもいい歌だとは思いますけど)。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

このドラマが受け入れられた理由で今回書いた以外で考えられる大きなポイントは、あさを演じた波瑠サンの 「佇まいの良さ」 にあったのではないか、と、…確か前回1月のレビューで書いた気がします(忘れた…笑)。

「出しゃばらず、我を通さず」、というあさの基本的なスタンスが、波瑠サンの女優としての佇まいと、しっかり合致していた。

最近の朝ドラヒロインは、みんな 「自分が自分が」 でしょ。 そういうところに、外見上は 「明治の女傑」 なのに、内面は 「一歩下がって夫の影を踏まず」 という古き良き日本の美徳をきちんと備えている女優さんが出てきたから、それは歓迎されるでしょう。

そしてその、働く女性を全面的にバックアップしてくれる、五代と新次郎。

女性の視聴者層にとって、これほど理想的な環境があろうか、というものです(笑)。 働く女性にとって、「あさが来た」 というのは、ワンダーランドなんですよ。

リウさん、レビューありがとうございます。

朝はラジオ派の我が家は朝ドラを見る習慣はありませんでしたが、ひょんなことから「カーネーション」を見ることになりました。週末にはリウさんの一週間分のレビューを読む半年間、楽しかったなあ(遠い目) 「カーネーション」以上の朝ドラはありませんが、これ見ようと思ったら半年見てしまいます。不思議です。半年見て、半年休むのペースで不思議と大阪局のものばかり見ています。

「あさが来た」楽しく見ました。立ち聞きの多さは加野屋の風通しの良さとの解釈、腑に落ちました。

最終回の最後の場面。カーネーションでもありました。麻生祐未さんの千代にだけ見える善作、あさのところには新次郎さんは現れました。我が家は別に仲が悪いわけではないけど、もし私が先立っても主人のところには現れないかなあ・・・別に仲が悪いわけではありませんが。ドラマとしての演出なんだろうけど、年を取って死期が近付くとあの世とこの世の境目はあいまいになるのかなあ・・・これまた余計なことを考えて見ていました。

夕波れい様
コメント下さり、ありがとうございます。

「カーネーション」 というのは、もうなんというか、寸分の隙もないゴシック建築みたいな朝ドラでした(笑)。 フツー半年とか、ましてや一年とかになると、ストーリー的にいろいろ前後の齟齬が出てくるのが当たり前なのですが、当ブログ名誉カーネーション解説者の(笑)巨炎様が現在でも細かい分析を下さるように、すべてが連関して意味を持ち錯綜しまくっている。 巨大な化け物のような作品だ、と感じます。 NHK、やればできるんですが(笑)、あまりに完璧なものを作らせない圧力、みたいなものが内部にあるような気がしますね、外野から見て。 NHKの中枢は朝ドラに、芸術祭に出すような高みを望んでない。

「あさが来た」 はその点、「そこそこのものでいいんだ」 みたいな、NHK内部の覚えもよいレベルのドラマのようで(辛辣…笑)、基本的に 「女性向き」 のドラマだった、と感じています。

「365日の紙飛行機」 の歌詞にもあるのですが、「もうひとりの私がいて、その私は好きなことを自由にできている」 という、世の女性たちの夢、望みを叶えたドラマ。

あさは新次郎を、自らの夢に託すことが出来たのですが、世の女性の既婚者のかたがたは、けっしてそうでもないらしいですね(笑)。

男はその点、「来世も一緒にいたい」 と思うほど、奥さんに惚れているのですよ(笑)。 「なんだこいつ」 と思ってたら、DVに走ります(笑)。

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    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
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    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
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    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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