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2016年5月

2016年5月29日 (日)

「真田丸」 番外編 28年前の大河ドラマ 「武田信玄」 と比較する

 はじめにお断りいたします。 この記事、実は5月のアタマから 「真田丸」 のレビューとして書き始めたのですが話がどんどん 「武田信玄」 との比較にシフトしてしまい、結局スランプもあって仕上げるのにかなり時間がかかってしまいました。 まあ一部のかたを除いてあまり期待されていないとは思いますが、結果的にひと月近いブランクが空いてしまいました。 おまけに放送中の 「真田丸」 の内容まで達していないために 「番外編」 に変更いたしました。 ご了承ください。




 いま日曜正午からBSで再放送されている28年前の大河ドラマ、「武田信玄」。 実に重厚な作りで人間の情というものがほとばしりまくっている、強烈な印象を受けます。
 これと今年放送されている 「真田丸」 を見ると、その落差に愕然となります。

 その決定的な差というのは、もちろん 「重厚」「軽い」 という全体的な空気感にあることは明白ですが、もっと中核では 「役者力」 なのではないか、という気がする。
 役者の持っている能力が、きちんと 「メソッド(理論)」 的な演技技術によって支えられている、という印象があるのです。 役者ひとりひとりが、きちんと役者している、という感じがある。

 晴信(のちの信玄)の父親を演じる平幹二朗サン。 そして晴信のクーデターを支持した重臣板垣を演じる菅原文太サン。 そのひとりひとりの存在感たるや。
 特筆すべきなのは晴信の正室のお付きの側女を演じている小川真由美サン。 近ごろとんとお見かけになりませんが、映画にご出演とか、活動はしていらっしゃるようです。

 その小川真由美サンが、とにかく 「不気味」(笑)。

 しかし近年、このような 「不気味さ」 というもの、ホラーチック、コメディチックに表現されることはあっても、それを情念、怨念というレベルで演技出来る役者というのは、もう絶滅しているように私には感じられます。
 その演技技術というのは、一朝一夕にできるモノではない。 きちんとした演技団体に属し、役者仲間で演劇論を戦わせ、きちんとした演出家によって育まれるものなのではないでしょうか。

 いっぽう 「武田信玄」 においてその対極を行っているのは主役の中井貴一サン、それに側室の湖衣姫を演じる南野陽子サンだと感じる。

 南野サンは当時アイドルだったからそうしたメソッドなど微塵もつけてないことは明らかなのですが(笑)、中井サンもなんか、まだ晴信が若い、ということもあるが演技にあまり深い背景を感じない。
 当時も中井サンと言えば 「ふぞろいの林檎たち」 くらいしか印象に残る役がなく 「そんなにキャリアもないのに大河の主役に抜擢されて、さぞプレッシャーかかってるんだろうな」、と思いながら見ていたのですが、いま見てもやはり演技が青い、という気がする。

 ただ中井サンはその後めきめき演技力を増していく。

 しかしながらそれは与えられたメソッドによるものでなく、自分で培ったメソッドによってひとりの役者となっていった気がするのです。

 時代は変遷して、そうした 「確かに育まれた演技力」 というものはあまり重用されなくなった。 「武田信玄」 ではアイドルの知名力で南野サン、コメディアンの渡辺正行サンなどどまりだったのが、今じゃモデル出身とかキャラクター優先の演技者を数多く見かけます。 その評価はここではいたしませんが。

 この28年前の大河ドラマ、情報量において現在の 「真田丸」 とは雲泥の差があります。 1回の話で語られる内容が、とても簡潔なんですよ。
 それに対して 「真田丸」 の情報量は桁違いに多い。 近年の大河ドラマのなかでも特に傑出して多い気がします。

 それはやはり、我々がドラマに対して望む方向が 「役者の演技」 から 「物語としての完成度」 にシフトしていったからではないでしょうか。
 それは役者力の低下と密接な関係にあるように思える。
 どちらが先かは分からないが、昔は役者が目ヂカラや顔ヂカラ(そんなのがあるのか?…笑)を存分に発揮して狭いテレビ画面から視聴者を魅了したために、あまり内容を詰め込む必要もなかったのです。 今日では、脚本家が役者ひとりひとりに気を配り明確なキャラクター設定を課し、隙間のないストーリー展開で視聴者を惹きつけるしかない。 結果的に演技者は、昔みたいなメソッドに頼る必要がなくなった。
 またテレビ画面も大きくなり鮮明化して、昔みたいにムキになって歌舞伎ばりの大見得を切る必要もなくなった。 結果的に全体的な印象として、「役者力が低下した」 ように見えてくる。

 「武田信玄」 と 「真田丸」。

 どちらが大河っぽいか、というというまでもなく前者なのですが、「リアル」 という側面からドラマを一瞥すると、「武田信玄」 のほうは、「そんなにいつも気を張ってちゃ疲れるだろう」 という気にはなります(笑)。
 ただ、戦国時代で誰が何をやらかすか分からない、という不穏な空気を醸成するのは前者の演出のほうが上。 皆が気難しい顔をしてドスの利いた声でしゃべりまくるから、多少ドラマ的な説明不足が生じても、「いや、そういうもんだから」 で片付けられそうな側面を持っている(笑)。

 ひとりの人間が何かの行動を起こすのに、いちいちこれが理由だとかあれのせいだとか、理論的な構築なんぞ、必要なかったんですよ。 人とは 「情」、こころで動くものであり、同時に 「打算、計算」 で動くものである。

 そのことを表現するうえで、「武田信玄」 も 「真田丸」 も、いささかの違いもないことが見える気がします。
 却って 「真田丸」 は、人間そのものを描いている気さえします。 「武田信玄」 では主人公がおしっこをする後ろに誰かが不気味に立つ、とかいう展開は、考えもつかなかったでしょう(笑)。 いや、「信玄」 の前年の大河 「独眼竜政宗」 では家康と秀吉が連れションをしていたんですがこれは有名な話ですから(笑)。

 「武田信玄」 では湖衣姫と婚礼をした晴信の前に、橋爪功サンが演じる真田幸隆が登場しました。 真田昌幸のお父さん、信繁のおじいさん、ということになります。
 その橋爪サン、中井サンの前に碁盤をドンと置いて、「勝ったら領地をもらい受ける」 という賭けを提案してきた。 まあネットって情報が早いから特に威張って報告するようなことではないですが(笑)、「真田丸」 の昌幸がしょっちゅう碁をやってるのって、これのオマージュなのかな、と。 再放送を見てるとこういう発見もあって、なかなか楽しいです。

2016年5月 1日 (日)

「トットてれび」 第1回 おそるべき満島ひかり

おことわり この記事、初出時より若干加筆訂正いたしました。

 今回のNHK土曜ドラマは黒柳徹子サンが題材。 いつもの21時台だと裏で黒柳サンが出演していらっしゃる 「世界ふしぎ発見!」 とかぶってしまうためか、20時15分からのスタートです。 黒柳サンはNHKの専属タレント第1号であることからも、黒柳サンへの配慮が十二分になされている印象です。

 で、30分番組、という尺の短さ。 45分やるもんだとばかり思ってましたので、「アレ?もう終わりなの?」 という感じだったのですが、肩肘張らずに見るにはちょうどいい長さなのかもしれません。
 ただこれで全7回ですから、全部だと3時間半ということになりましょうか。 ずいぶん前にこの原作 「トットチャンネル」 は斉藤由貴サン主演で映画化されたことがありますから、それに比べると少しは長いけど、こちらの要望としてはまあ、無理を言って朝ドラで半年くらいやってもらいたい気持ちはあります(笑)。
 だって題材が、面白過ぎるもの。 テレビのホントのホントの草創期のエピソードが満載になるはずなんですよ。

 そう、黒柳サンの歴史というのは、テレビの歴史と丸々かぶっている。 黒柳サンの仕事をドラマで語る、ということは、とりもなおさずテレビそのものの歴史を語ることと、同義なのですから。

 今回のドラマは序盤で(30分番組の序盤って…笑)小学校校舎の3階くらいの場所から少女の黒柳サンが飛びだしてハタチの黒柳サンが 「マンモスの夢」 を見て、という段階から、想像と現実のあいだの境界線がまずない。 笠置シヅ子サンが 「買い物ブギ」 の録りをやるのと現実のレビューが一緒くたになってしまうエンディングまで、「テレビ」 という世界が 「みんなの夢」 と混然一体となっているメディアであることを、これでもかと描写していく方式を採用しています。

 母親の黒柳朝サンは朝ドラ 「チョッちゃん」 のヒロインであることはまあ、いや、昔の話だから知らない人ももういるだろうけれど(調べたら1987年、もう30年近い前だ…愕然)、今回の安田成美サンじゃなくて、古村比呂サンが演じてほしかったな、というのはある(去年 「表参道高校合唱部!」 に出演していたから、出来ないはずはないと思うのだが)。 そこはNHKの遊び心でしょう。

 それはともかく、両親はそんな徹子サンの 「常軌を逸した感性」(笑)を特段否定しにかかったりしない。
 だからその 「常軌を逸した感性」 のまま徹子サンはハタチになっちゃうわけですが(笑)、「お硬いテレビ局」 の代表みたいなNHKで、草創当初からそういう 「型破り」 の人材が採用されている、という意外性が、第1回目では展開していくのです。

 ただ面白いのは、普通ではない黒柳サン(失礼…)が 「普通だ」 と考えることが、テレビ(ラジオ)の世界では 「普通ではない」、という部分(はぁ?…笑)。
 ラジオドラマの収録リハで、通行人役の黒柳サンは倒れた軍人さんに 「どうしたの?大丈夫?死んじゃったの?」 と声を掛けまくるのですが(笑)、そりゃフツーのリアクションなんだけど(笑)「通行人役の役割」、としては、後ろで 「ザワザワする」、というのが仕事。
 この、「普通」 と 「普通じゃない」 ことの境界線がぼやけはじめるのが、またこのドラマの興味深いところなのです。

 ドラマは基本的にオールスターキャスト。 本人たちが実名で登場しています。 私が特に似ている、と感じたのは、永六輔サン。 「ゴリライモ」 の新井浩文サンが演じています(「ゴリライモの」 って…笑)。 森繁久弥サンは吉田鋼太郎サンで、こちらは似てるとかいう範疇ではないのですが(笑)「バカヤロー、コノヤロー」 という、「エラソーな有名人」 と 「喜劇役者」 のギリギリの境界線で笑わせる。
 渥美清サンは黒柳サンの盟友とも呼べる人ですが、今回は中村獅童サンが演じます。 おそらく渥美サンの光と影を演じきってくれるのではないか、と期待しています。
 「ブギの女王」 笠置シヅ子サンを演じていたのは、エゴラッピンの中納良恵サン。 エゴラッピンは昭和歌謡に影響を受けてるユニットなので、このキャスティングはハマっていました。

 しかしそのなかでも恐るべきなのは、主演の黒柳サンを演じる、満島ひかりサン。

 どの演者も、それなりに当人に似せて演じておられたのですが、満島サンの 「若き日の黒柳サン」 再現度は、レベルが違い過ぎる。

 確かに私も 「ヤン坊ニン坊トン坊」 の時代までは知りません。 3匹のコブタの人形劇 「ぶーふーうー」 はかろうじて幼稚園時代に見ていたけど、その声優のひとりが黒柳サンであったことを知るのは、ちょっとあとになってからです。
 しかし 「テレビ探偵団」 とか、NHKのアーカイヴによる 「夢であいましょう」 とか、初期の黒柳サンのしゃべりを後追いして記憶している立場で評価させていただくと、満島サンのそれはもう、「ど根性ガエル」 のピョン吉再現レベルに匹敵するすごさだと思われるのです。 満島ひかりは、たぶんこれらのアーカイヴを見まくって、研究しまくったのではないか。

 満島サンは私以上に当時の人間ではないから、その研究に際してあるのは、リスペクトではない。 おそらく 「当時の黒柳サン(とかピョン吉とか)を見ていた人が感じるであろう違和感を出来る限りなくそう」、とする意志によるものなのではないか。

 満島サンと私の最初の出会いは、「ウルトラマンマックス」 での 「感情を持たないロボット」 でした。
 満島サンは円谷プロ制作の、このような 「息の長いコンテンツ」 のありかたから、「昔からのファンの気持ち」 のなんたるかを、そこで学習しているように思う。 

 ただもうこれって、あまり似せすぎると却って器用さばかりが目に付いてしまって逆効果なのですが、満島サンの場合、黒柳サンの 「あまりに個性的すぎて味わう挫折感、疎外感、劣等感」 をきちんと表現できている、というのがすごいんですよ。

 いや、見る人によってはそういう器用さのほうが目に付くかもしれない。 満島サンの評価って、かなり分かれるじゃないですか。 うまい、という人と、演じすぎが鼻につく、という人と。 満島ひかりという女優は、いつもどこか、世間の評価からはみ出そうとする印象を受ける。 「普通ではいられない意思」 みたいなものを感じる、というか。

 今回見ていて思うのは、満島サンの 「演じすぎること」 と、黒柳サンの 「個性的すぎること」 の 「劣等感」 が、見事にリンクしているのではないか、ということなのです。

 ともあれ、ドラマのなかの黒柳徹子にとって、テレビの世界というのは、おもちゃをひっくり返したような夢の世界。
 今回のドラマは、それを見事に再現構築していると感じます。 たった30分というのは、それ以上やるとリアルな感情のほうが勝ってしまいそうになる、ぎりぎりの時間なのではないか。
 ただ100歳の黒柳サンは、ちょっとリアル過ぎる(笑)。 テレビの世界でいつまでも老いない、そんなマジックをどこかで期待している自分もいます。

 脚本は 「はつ恋」「花子とアン」 の中園ミホサン。 その今までの、どのドラマとも違う。 料理のしかたがうまいな、という気がしています。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

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     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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