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2017年2月

2017年2月 5日 (日)

2017年冬ドラマ、私の見た範囲で(「カルテット」「A LIFE」)…以下次号

 ほんとうは前の記事 「スーパーサラリーマン…」 もこの記事に入れようとしたのですが予想以上に長くなってしまったので別記事にしました。
 忙しいのでなかなか最新の回まで見たドラマが少ないのですが、とりあえず自分の見た範囲内で感想を書きたいと思います。

 まずはリタイア組。 TBS火曜22時 「カルテット」。 「Mother」「それでも、生きていく」 の坂元裕二氏脚本、ということだったけれど、この人のドラマでいいと思った最後は 「最高の離婚」 だったろうか。
 「最高の離婚」 の主役はヘンなこだわりだらけでかなりウザい男だったが、それが逆に哀しくて可笑しく、コメディドラマとしての根幹をつかさどっていたからこそ成立出来ていた。 しかしそれ以降の坂元氏の作るドラマというのは、個人的にそうした 「ヘンなこだわり」 が鼻につくようになる。
 それまで坂元氏のドラマで秀逸だったのは、「例え話」 の 「あるある感」 だった。 その例えにキレ味があったからこそドラマの中の登場人物に共感できたし感情移入もできた。 でもなんか、ずれてる気がするんだよな、ここ数年。
 それと、ドラマ設定のムリヤリ感がここ数作多いような気がする。 そうした齟齬が生じたまま、坂元氏はどんどん自分の世界の中に入ってしまい、登場人物がみんな坂元氏の心の代弁者みたいになってきて、性格は違えど同一人物みたいに思えてきてしまう(そもそも自分の中にもいろんな性格が入り混じっているのだから当然ではあるが)。 言葉(セリフ)にこだわるあまり、その言葉(セリフ)に呑み込まれていくような印象。
 これって、山田太一氏の全盛時を過ぎたドラマを見ていたときの心境と、どこか重なるところがある。 設定のムリヤリ感と話し言葉のヘンな違和感。 それがその脚本家の作るドラマの世界なんだよ、と言われれば話はそこまでだが。 満島ひかりの言ったセリフじゃないが、なんか見ていてミゾミゾするんだよな(意味不明)。

 リタイアしたのってこれくらいか。 フジ火曜21時の草彅クンの 「嘘の戦争」 や月9の 「突然ですが、明日結婚します」 は開始10分でやめたからリタイアにも当たらないというか。 あとは刑事モノとか事件モノとかそもそも別に見る気もなしというドラマばかりなので語りようがない。

 ただ、草彅クンのドラマを10分リタイアしたくせに、木村クンの 「A LIFE~愛しき人~」(TBS日曜21時) は見ている(2回目まで)。 なぜかなというのは考えたくなる。

 正直なところ、木村クンのドラマは内容的にさほど大したことはないように思える。 草彅クンのドラマのほうが見る人が見れば面白いのだろうけれど、私はどうも 「何を考えてるか分からない」 草彅クン独特の表情にミゾミゾするものを感じてしまうのだ(ミゾミゾが流行ってるぞ自分の中で)。
 それに比べて、木村クンのほうは 「顔で気持ちを表現してしまう」 みたいな部分があるように思える。 だからドラマで何か展開するたびに、彼の表情を追ってしまうのだ。

 重ねて書くが、ドラマは内容的に特段優れているとは言い難い。 そもそも心臓外科医が脳外科もやんのか?とか、父親が心臓の重い病気でそれを治したと思ったら今度は娘が脳腫瘍かよ、とか、ちょっと素人目にも 「あり得ないでしょ」 の連続だからだ。
 しかし木村クンが出てくると、それらがみんなスッ飛んで木村クンの動向に注目してしまう。
 これって巷間言われていることを無視しても、すごいことなんじゃないかな、と思う。 こういうのが、スターとしての素質、というヤツなんじゃないのかな、と思う。

 翻って、ことに自分の場合、草彅クンに関しては彼の心の奥底が読めない、という気持ちがある。 バラエティなんかの草彅クンも、最近は見ないが昔はよく見た。 だから彼の素を知っている気になっているのだけれど、実はなんか、彼はまだどこかで仮面をかぶっている、という気持ちが抜けないのだ。 これは彼がかつて起こした逮捕事件の不可解さから続いている。 彼の中には、どこかに底知れぬ闇があるのではないか、という。

 彼の出るドラマには、そんな闇をまるで増幅したかのような役が多い気がする。 つまりそこにあるのは、彼のキャラクターから来るリアルな怖さなのだ。 草彅クンがそんなものを表現できる役者であることがまず驚異的だが、私はどうも敬遠してしまう。 彼の中にある闇を見るのが怖いからだ。

 話は 「A LIFE」 に戻るが、そんな出来がいいと思われないドラマの中に、また力量のあるふたりの役者が放り込まれている。 浅野忠信と松山ケンイチだ。
 これを無駄遣い、と言えるのかどうか。 私の目下の興味の中心は、どうもそこにあるらしい。
 つまり、浅野はスーパー外科医マンである木村クンにただただ嫉妬する役なのだが、自分の妻の竹内結子が木村クンと仲良かったからとかそういう単純な動機なんだな。 それで一度は木村クンを病院から追い出したのだが、帰ってきて手柄を立てる木村クンを見てまた嫉妬し、壁をぶっ壊したりする。 その、自分が開けた壁の穴を、わきに飾ってあった絵画の額を移動して隠そうとしたり、ちょっと油断して見てるとただ笑えるだけのシーンなのだが、浅野はここに自らの狂気を表現しようとしていたようにも思えたのだ。

 私が見ている範囲(第2回まで)では、話の荒唐無稽さは相変わらずだが、浅野がこの単純な嫉妬の構造の中でどのように自らの役に狂気を含ませていくかに腐心しているような気がしてならない。 いわばこれは、木村クンアゲが目的で自分のために作られていないドラマの中で、自分をどれだけ木村クンのスターのオーラに対抗させようか、という戦いなのではないか、という。

 そして松山ケンイチ。 私が見た第2回までの時点では彼は完全に、「ほかのドラマじゃ絶対どうでもいい若手役者がやるような役」 というスタンスに甘んじている。 しかし彼がこんな、「自分のために作られていないどーでもいいドラマ」 に出るわけがないように思える。
 たぶん第2回の蹉跌をばねとして、木村クンにとって今後大きな脅威(もしくは強力な味方)となってくるのではないか、と私は予想しているのだが。 味方じゃつまんねえな。 あの平清盛だよ。 ど根性ガエルのひろしでもあるが。

 このひろしが出てるドラマより今回は裏番組の 「大貧乏」 のほうが面白い気がするのだが、ちょっと今日は力尽きたのでまた別の機会に書くとします。 書く予定としてはあと、「東京タラレバ娘」 と 「下剋上受験」。 気が向いたら 「幕末グルメ ブシメシ!」。 たぶん書かないだろうというのは 「雲霧仁左衛門3」。 これがこの冬ドラマで私が見ているものすべてであります。 「タラレバ」 はひょっとするとリタイアする可能性も…。

2017年2月 4日 (土)

「スーパーサラリーマン佐江内氏」 藤子Fマンガとマニアックギャグとの相性

 この1月から始まったドラマでいちばん面白いと思えるドラマ。

 原作が藤子・F・不二雄氏の大人向けマンガなのだが、過去にも藤子F氏の子供向けではないそうしたマンガは幾度かドラマ化されてきたはずだ。 私が見てきたそれらのドラマは、私の見た範囲かつ記憶の限りで申せば 「失敗作」 が多かったように思う。
 つまりいくら大人向けのマンガだと言っても、藤子F氏のマンガというのはあまり人生の深刻な問題にまで踏み込まないのだ。
 「こうなったらいいのにな」、という 「ドラえもん」 的な発想が、氏のマンガには横溢している。 氏の作り出すマンガの中に出てくる大人は、たしかに悪いこともずるいことも考えたりするのだが、それはあくまで子供も考えることの延長線上にあったりする。 「楽したい」 とか 「人によく思われたい」 とか、発想がのび太的である大人。 藤子F氏のマンガに出てくる大人は、会社や他人の金を横領したり人を騙したり殺人を犯したり、そういう 「業の深い」 悪事を働くことがない(私の知る限りでは)。
 それがそんな大人ばかりが横行するテレビドラマにはなかなかそぐわない。 藤子F氏の描くコドモロジックの大人とテレビドラマの相性は、あまりよいとは言えないのではあるまいか。

 その相性の悪さを完全に逆手に取ったのが、今回脚本と演出を手掛けた福田雄一氏である。
 「勇者ヨシヒコ」 など深夜ドラマを多く手掛けている福田氏は、その深夜ドラマ的なマニアックギャグでもって、毒にもならない藤子F氏の描く大人とテレビドラマの、まったりとした緩い関係を破壊した。 その 「ルール無用」 的なばかばかしさが何とも心地よいのだ。
 福田氏は数年前、「コドモ警察」 というやはり深夜ドラマで 「西部警察」 みたいなことを全員子供がやったらどうなるのか?みたいな視点でドラマを作っていた。 大人と子供の境界線についてある程度疑問を持ち、その境界線が曖昧さをだんだん増していると自覚している福田氏だからこそ、藤子マンガの持つコドモ性をどういう手段でもって視聴者に忘れさせるか、ということが思いつくのだろう。

 ただしこれらのギャグは慣れてないとツライ、ちょっと(かなり)視聴者を選ぶ性質のものであることもまた事実だ。 「勇者ヨシヒコ」 を見倒している私でさえ、時々 「もうお腹いっぱい」 と思う時があるから。 コメディ、を通り越してギャグドラマ、というものの宿命でもあろう。 お笑いというのは、「この次はもっともっと笑わせなければ」 というインフレーションに簡単に陥ってしまうものだからだ。

 特に 「勇者ヨシヒコ」 のレギュラーでもあるムロツヨシや佐藤二朗のマニアックなアクの強さは 「慣れる」 しかないだろう。 しかし 「ウザい」 ことで成立している世界がある、ということを我々は、寛容していかねばならない。 アメリカのトランプ新大統領を見てみるがいい(そこか?…笑)。

 藤子F氏のマンガとテレビドラマの相性の悪さと極度なマニアック性。 その弱点を完全に補っているのは主役の佐江内氏を演じる堤真一だ。 彼は直情的な役をやることが多いのだが、今回は完全にコンニャク的な 「のらりくらり型」 である。 かなり沸点が低い。 何か問題があっても謝れば済むと思っている。 責任なんか取りたくない。

 そんな彼がいきなり現れたジーサン(笹野高史)からスーパーマンのスーツを押し付けられ、嫌々ながらいろんな問題を解決していくところは、実に藤子F氏的だ。 ついでに言えばこのジーサンもかなり藤子F氏的で、要するにユル~いキャラ設定(かと言ってユルキャラではない)。 悪人になどなり得ないタイプである。
 このジーサン、「設定が厳しい」 フツーのテレビドラマだったら最初の1回と最終回の都合2回しか出てこなさそうな 「泉よりわき出でたる女神」 的な重要人物なのであるが、これがチャリとか乗ってまた頻繁に登場するんだな(笑)。
 こういう 「ユル設定」 も実に藤子F氏的である、と思える。

 そして 「ユル設定」 がいちばん威力を発揮しているのが、「忘却光線」。 このスーパースーツ、その場からいなくなればそれを目撃した人たち全員が彼の存在を忘れてしまう、という、まさに 「ドラえもんグッズ」(笑)。
 これはドラマ的にもかなり有用な役割を果たしていて、「忘」 の光線が登場するとそこでみんなずっこけたみたいになり笑いが取れ、忘れちゃうからトンチンカンなことを言い出したりできてまた笑いを取れる、という二重の効果が期待できてしまうのだ。

 この、「忘れ去られちゃう」 というのは同時に、佐江内氏にとって最強の 「許可証」 でもある。
 きょう日、人の行動というのはSNSだのなんだのと、全部ネットに披露したものが残ってしまう。 殺された被害者の撮ったスマホの写真が堂々と公開されるし、犯罪を犯した者がいつまでたっても忘れ去られないので裁判まで起こす始末だ。

 何でもかんでも残っちゃうのって、どういうもんなんだろう?

 福田氏にそこまで視聴者に考えさせようとする意図があるとは思えない(たぶんない…笑)。 しかし将来、「ネットにおける不要情報の廃棄」 という事態…が発生するのかどうか。 分からんけれど、私が加入しているこのココログというブログだって、私がまったく画像を載せずに文章だけで勝負しているために、まだ使用できる全体の容量の2パーセントくらいしか使っていないのだから、たぶん 「橋本リウというブロガーが忘れ去られる日」 というのは遠い未来のことだろう。 ココログの母体である富士通がやめちゃわない限り。

 そしたらいったいいつになったら、私は完全に忘れ去られるのか? でも、それ(自分という存在を残せること)がもともとの目的ではなかったか?

 いずれにしてもネット情報の墓場、ということに思い至ったとき、私はアニメ 「電脳コイル」 のバグを思い出さずにはおれない。

 このドラマで書き忘れてはならないもうひとりが小泉今日子だ。
 彼女はドラマに出てくるとき大概エラソーなキャラで出てくることが多い気がするのだが、これって 「どんな役をやってもキムタク」 ならぬ 「どんな役をやっても小泉今日子」、ということと同義なのかな。
 そのイメージを極限にまでふくらましたのが今回の役で、彼女は佐江内氏の妻を演じているがそのキャラは完全にジャイアン。 いや、女だからジャイ子か? でも太ってはいない。 太らせたほうがかなり藤子F氏のマンガ的なのだが、「そうか、キョンキョンってその性格を極端化させるとジャイアンなんだ」 という発見があって興味深いのだ。

 そしてこれもマニアック的ギャグなのが、エンディングのダンスシーン。
 「これって 『逃げ恥』の恋ダンスのパクリじゃん」 とシラケてしまう向きを見越した、「ええ、二番煎じですがなにか?」 的な福田氏の開き直りだ。 これを笑うことができなければ、このドラマを素直に楽しむことはできないように感じる。

 福田氏のギャグ構造には、既存のコンテンツを題材としたパロディを基本とするようなところがあるが、それは見る者のテレビ(または映画)への依存度を量る性格上、見る者の知識満足度に優越感を与える作業である側面を持っている。
 しかし福田氏は、その優越感に対して逆の攻め方をして 「あんまりいろいろ知ってても、エラソーにシラケてないで自分の知識を自虐して笑えるようじゃなきゃダメだよ」 というレベルで見る者を笑わそうとしている(ように見える)。

 要するにこのドラマは、悪ふざけとかギャグが寒いとか、そうした 「ネット世代のあまりにも正しい冷静な観察者」 に対する 「寛容の勧め」 のドラマ、という側面も持ち合わせているのではないか。

 昔のことを言い出すとキリがないが、昔はもっとこうした、ハチャメチャでアナーキーでワイルドなドラマがいっぱいあった。 このドラマで 「バカヤローっ!」 と叫び続ける佐藤二朗はどこか卑屈で視聴者のネガティヴな反応を気にしている。 クレームを恐れている。 それは現代のドラマの、そしてテレビの、どこか腰が引けている態度と性格を一にするものなのではないか、と私は感じている。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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