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2017年4月 2日 (日)

2017年冬ドラマ、「続」 私の見た範囲で、最終回まで見て

 前々号で、「以下次号」 などと銘打っておきながら結局 「今クール最終回まで見た総括」 みたいになってしまったことをまずお詫びします。 出来ないことは予告するもんじゃない。 反省。

 まず前回の記事で言及していた 「A LIFE」 について。

 結局のところこのドラマの本質は木村クンと浅野サンの友情だったように感じた。 だから竹内結子サンとの三角関係は主眼ではなく、木村クンがスーパードクターであることはただの前提だった。
 他人との付き合いの中で、「自分のことを誰も分かってくれない」、という子供じみたこだわりを、人はどうやって克服していくのだろう。 それはただ相手のことを一生懸命考えて前を見据え、進んでいくことでしか解決しない。 このドラマのテーマはそこに存在していたように思える。
 なかでも物語を引っ張っていったのは、結果的に見て浅野サンだったのではなかろうか。 「100点以外は意味がない」 と父親に言われたことで生じた心の傷が、彼が医師として成功し権力を身につけていくに従って孤独、嫉妬、恨みとして肥大化し、しまいにはおかしな破壊衝動という方向へとつながっていく。

 ところが彼が嫉妬を抱いていた木村クンのほうも、寿司職人である親父からいつまでも半人前扱いされていた。 つまり木村クンも浅野サンも、父親という壁を乗り越える試練を抱えていた、と言える。 その舞台となった檀上総合病院が、柄本明サンの父親と竹内結子サンの娘という 「父と子」 関係だったことも注目に値する。 このドラマの主役3人に、明確な母親設定というものは存在しなかった。 このドラマはあくまで、「父親を乗り越えること」 がベースとなり、木村クンと浅野サンの友情問題として展開していたのだ。

 父親という壁が存在していたからこそ、木村クンはその当のオヤジの手術でスーパードクターにあるまじきミスをする。 それは致命的なものではなかったが、そこから木村クンは精神的に落ち込み、自分の思い上がりを学んでいく。 父親は、自らを見つめ直す鏡でもあったのだ。 丁々発止を演じる彼とオヤジサンとのやり取りを思い返してみよう。 まるでそれは、同じ人格のふたりが互いにダメ出しをしている鏡のようなものであったことに気付くはずだ。

 このドラマは木村クンと浅野サンのふたりがどちらも優秀な外科医であったことで、巨大病院という枠組みの中で周囲をひたすら巻き込んだ怪獣映画さながらの様相を呈した。 平たく言えば 「よくもまあエラソーに自分たちの都合で自分たちの立場をいいことに好き勝手出来るよな」、という構図なのだが、そんな葛藤を巨大化出来るからこそドラマの意味というものはあるのだ。

 このドラマの唯一の救いは、木村クンと浅野サンが幼なじみで気心の知れた仲だった、ということに尽きる。 だから物語が一方的に救いようがなくなるくらい破壊されない。 そしてそこに解決の糸口がぶら下がっていただけなのだ。

 このドラマはメインである竹内結子サンの脳腫瘍摘出手術と並行して、ほぼ毎回いろんな症例の患者を登場させたのだが、それに対するスーパードクター木村クンのあり方というのはドラマをつまらなくさせると同時に、別に心配しないで見てられる、という両方の効果を伴っていたように思う。
 そのいちばんの例が、13才くらいの少女に対して木村クンが乳がんの検査もした方がいい、と主張した回。 「木村クンが言うからいくら婦人科エキスパートの財前サンがあり得ないとつっぱねても乳がんなんだろう」 と思っちゃう構図だった。 こういうのは木村クンをあまりに万能にし過ぎてドラマをつまらなくする、という批判を招くパターンのひとつであるのだが、逆に言うと安心して見てられるんだな。
 却ってそのプロット(乳がん)が、「竹内サンの腫瘍摘出手術の方法を考え続ける木村クン」、という図式を冗漫にさせたような気もする。 「いつまで考えてんの」 みたいな。

 その、途中の冗漫さも最終回、二大怪獣であった木村クンと浅野サンの激突から協力へ、という形で竹内サンの脳腫瘍摘出手術というさらなる巨大な怪獣の退治、というカタルシスまで至ったことは見事だった気がする。
 そう、このドラマって、なんか構造が 「ウルトラ兄弟銀河決戦」 みたいな劇場版ウルトラマン映画みたいな感じなんだよな(笑)。
 竹内サンの2回目の手術では、檀上病院乗っ取りの責めで副院長の座を追われた浅野サンが、木村クンの叱咤のすえ参戦した感動的なシチュエーションだったが、以前政界の大物の難しい手術をしたときより一層、浅野サンの演技にリアルを感じた。 このリアルさ、木村クンもかなり専門用語を完璧にこなしていたけどそれ以上の貫録を感じた。
 前回触れたのだが、「こういう木村アゲのドラマにどうして浅野が出演する気になったのだろう」 という答えが、ここにあった気がする。
 そしてこれも父親との確執でもがいていた松山ケンイチクンの 「このふたり、最強じゃん」 みたいなセリフ(正確なところは忘れた…笑)で、場面を決定的に盛り上げるのである。 このドラマに松山クンが出てる意味というのは、この一言に集約されていたようにも思う。

 結局木村クンは浅野サンと竹内サンの夫婦の絆をかたく踏みしめ盤石にさせるための駒だったのかよ、という構造なのだが、だからこそいいんじゃないか、と思う。 そうした視点で見れば、このドラマはけっして安易な 「木村アゲ」 のドラマではなかった、といえよう。

 そしてこの 「A LIFE」 のウラで放送していたのがフジ 「大貧乏」

 このドラマはシングルマザーの小雪サンが会社倒産の憂き目に遭ってチョー貧乏になってしまうという話だったのであるが、正直言ってこのタイトルは 「看板に偽りあり」 の典型だった。
 貧乏だからおかずがないとか服がツンツルテンとか 「貧乏あるある話」 というのがかなり貧弱で 「この家族、どこが貧乏なんだよ?」 と思うことが多かったのだ。
 要するに、小雪という女優は顔がゴージャス過ぎてビンボー話とかなり相性が悪いのだ(笑)。 それに思慮深そうに見えるし知的そうに見えるので、貧乏にへこむとかいう側面がまったくなく、小雪をメインで見ているとまったくつまらんドラマと言えたんじゃなかろうか。
 視聴率的にも 「大貧乏」 ならぬ 「大惨敗」 で、このドラマを見ていた人はかなり限られる、と思われるがレビューしたい。

 「大貧乏」 という看板でありながらしかし、このドラマの本当のツボはこの知的そうで貧乏が全然こたえてないように見えるナマイキな小雪(笑)に、高校時代から惚れまくっていたというチビノリダー(伊藤淳史クン)だった(笑)。
 このカップル、想像していただくと分かるがかなり身長差がキツイ(小雪は大女だし伊藤クンは背があまりないほうだし)。 だからまったく釣り合わない。
 しかし伊藤クンには 「超一流の企業弁護士」 という肩書きがつく。 このオールマイティな肩書がドラマにとって大きな強みとなったのだ。

 このドラマが描こうとしたのは、先にも述べたように 「大貧乏」 ではまったくなく、小雪が首になった人材派遣会社の底知れぬ闇を暴いていく、ということに主眼が置かれていた。 だから企業弁護士という肩書が強大な力を発揮するのだ。
 伊藤クンはなんとかこの強大な肩書にモノ言わそうと小雪サンに稚拙なアプローチを続けるのであるが、ドラマが終了するまで知的でナマイキな小雪はほぼなびかない(可能性は、ないわけじゃない程度な…笑)。 その構図が、見ていて楽しかった。

 そしてこのドラマを面白くしたもうひとつの原因が、「強力な悪役の存在」 だった。
 小雪が勤めていた人材派遣会社の社長である奥田瑛二。
 そして会社の金を横領していた滝藤賢一。
 このふたりの悪役が、「タイトル変えたほうがい~よ」 的な 「迷走フジテレビ」 を象徴するようなドラマをピシッと締めた。
 滝藤サンはワケの分からないヌエ的な不気味さ。 そして奥田サン。 いや~、憎々しくて怖くて。 なんかもう後半に行けばいくほど自由にやらせてもらってる感覚で、強烈な印象を残す悪役だった。 「シャイニング」 のジャック・ニコルソンばり。

 このふたりの悪役が大人の世界を象徴しているのに対して、伊藤クンは 「一流」 という形容詞がつくものの、実は少年の頃の純粋さを象徴している存在でもある。 この3人がいたことで、このドラマは最後まで見応えのあるせめぎ合いのドラマになったと言っていい。 「主役はあくまでツマ」、という立ち位置からすると、「A LIFE」 と妙な共通点があったように感じる。

 そして日テレ土曜の 「スーパーサラリーマン佐江内氏」

 出来のいい回と悪い回があったような気もするが、最後まで脱力感満載で気楽に見ることができた。
 ただ最終回はそれなりに作り手の主張、と言えば聞こえはいいが 「そんなに主張!みたいなオーゲサなもんじゃないけど」「そーゆーの拒絶してるんだけど」 的な問題提起みたいなものは垣間見られたような気がする。
 これは演出の福田雄一氏の前回作、「勇者ヨシヒコ」 の最終回でも感じたのだが、基本フマジメながら、ちょっとシリアスなメッセージをしのばせる、というか。

 「勇者ヨシヒコ」 の最終回では、「ゲームに限らずいろんな物語に 『終わらせ方』 というものが存在して、作り手はそれを四苦八苦して考え出すけど、それってもういい加減に飽和状態に近付いているんじゃないだろうか」、というメッセージを感じた。 だいたいみんな最終回、どんなふうに終わったかなんていつまでも覚えてね~し、みたいな。

 「佐江内氏」 の最終回、佐江内氏はスーパースーツを完全にオジサンにきっぱりと返還してしまうのだが、そこで 「会社からも家庭からも自由になりたい」 などと言ったもんだから次の日から完全にそうなっちゃったみたいな展開で、結局はまたスーパーサラリーマンに戻っていく。
 ここから感じたのは、「結局社会に対する責任って、自分が自分であるための外せない要素なのでは」、というものだった。
 責任というものを放棄した瞬間、人というのは 「恐ろしいほど」 自分という存在を消せるものだ。 まったく何者でもなくなってしまう。 自分がいなくなったことで、一時的に困る人間は出てくる。 でもすぐさま、自分の代わりなど見つかってしまうのだ。
 結局、自分は自分であるために、日々愚痴りながらでも小さな努力を積み重ねていくしかない。 そんなメッセージが、説教臭くなく受け入れられた気がした。 この絶妙な後味は、芸達者な堤真一だからこそ実現できたのではないか。

 そしてTBS金曜22時の 「下剋上受験」

 阿部サダヲと深田恭子、そして父親の小林薫と、身内が3人とも中卒、という特殊な家系の中で娘を有名私立中学に入れようと奮闘する実話に基づいたドラマだったが、このドラマでいちばん作り手の視線が注がれたのは 「有名私立中学への入り方」 指南ではなく、主役の阿部サダヲ演じる父親、さらにその父親の小林薫の生きざまに対してだったように思う。 だから娘の佳織の偏差値が40から60に上がる、という、物語としてはいちばん肝と思われる部分がバッサリと切られ、佳織はスランプ状態からかなりのジャンプアップを果たしたのだが、まあそれは原作本を読んでください、という戦略だったのかもしれない。

 ただドラマ化に当たって、主人公の中卒仲間の居酒屋とか、主人公が物語途中まで勤めていた会社の 「学歴のいい」 後輩とか、同級生だったガリ勉で娘同士も同級生の会社社長とか、まわりをにぎやかにしてしまったおかげで途中から阿部サダヲのキャラが埋没してしまったような印象も受けた。
 やはり阿部サダヲはそのキャラが立つかどうかで、ドラマ自体の出来も左右する先鋭的なタイプの役者なのだ。

 阿部サダヲのキャラを丸くしてしまったもうひとつの原因は、深田恭子だ。 ただし悪い意味ではない。
 このドラマを見ていてかなり興味深かったのがこの深キョンで、去年の 「ダメな私に恋してください」 の前面に出てくるキャラ(そりゃ主役だったし)からかなり後ろに引っ込んだキャラに変わっていて、こういう立ち位置の場合この女優はどのような演技をするのか、というのが面白かった。
 立ち位置に変化はあれ、「おバカ」 ということにかわりはなかったのだが(笑)この中卒の奥さん、妻として母親として実によく出来ていて頭脳明晰。 さらにどんなにハチャメチャなシチュエーションになってもけっして悲観したり絶望したりせず、いつもおっとり構えて痛みを緩衝してしまうスポンジのような役割も果たす。 こんなに人畜無害なのにきちんと存在感を示せていたのは驚異的だった。
 しかしいっぽうで、こういう出来た嫁だから阿部サダヲのエッジが削られてしまうんだな。 嫁がフツーに阿部サダヲみたいな無茶をする人間に呆れたりキツクたしなめたりすれば、阿部サダヲのエキセントリックさは鋭さを増すのだ。

 さらにこのドラマ、娘の佳織の学校で交友関係においてほとんどネガティヴな展開にならなかったところが、ドラマを平凡に人情味のある方向へと傾かせる一因ともなった。
 佳織もかなりいい子で、親の方針にほぼ逆らわない。 よく出来た嫁のDNAを引き継いでいたとも言えるが、もともとこの子は親に対して絶大な信頼を置いているのだ。 この親子の距離感の近さが、このドラマを見ていて感じる心地よさにつながっていた。 それが見ようによっては退屈ともとれたかもしれないが。 こういう素直な娘、というのはいいじゃないですか。

 そして最後に論じるのは、日テレ水曜22時 「東京タラレバ娘」

 結論を言ってしまうと、私が見たこの冬ドラマの中では、まあ全体的に低調な印象ではあったが、結局これがいちばん出来が良かった気がする。

 主演の吉高由里子は朝ドラ 「花子とアン」 以来久々の連ドラ主演だったと思うが、「朝ドラ女優」 が出演を決断するにはじゅうぶんな 「格」 が備わっていた、と思う。
 その 「格」 を決定づけたのは、主人公を含む3人の女友達の 「アラサーを迎えて結婚に焦る女たちの本音」 が、これまでの同種のドラマと比較してかなりリアルだったことによる。
 このドラマでは 「あるある話」 の羅列にとどまらず、そこに彼女たちの自虐、反省とそれに伴う人生そのものに対する深い思索が読み取れた。 そこがこれまでの同系列のドラマと違うところだった。

 ただし物語の内容そのものを考えると 「都合のいい展開」 が多かった。 特に最終的に吉高が落ち着くKEYが、かなり頻繁に吉高の前に姿を現すのだ(笑)。 それはもうストーカーかみたいなレベルで(笑)。
 それと、吉高の飲み仲間である榮倉奈々、大島優子の相手の男がクソ過ぎた(失礼)。
 榮倉の相手はバンドマンで榮倉は二番手の女。 「どっちも好きだ」 とかかなり無神経にのたまうアホで(笑)そういう 「少年のような」 アホと離れられない榮倉は、自分のアホさ加減にじゅうぶん気付きながら関係を続けている。
 大島の相手は不倫男の田中圭。 コイツも女房が妊娠中なのにほかの女にうつつを抜かすというかなりのバカチンで、こちらも大島は不倫のもたらす代償に傷つきながら関係を続ける。

 吉高は吉高で、冷静に見てりゃ仕事のパートナーである西郷どん、じゃない早坂がいちばん適当なのにグダグダ考えて結局KEYになびいてしまう。
 この3人の女どもは愚かな結論だとじゅうぶん自覚しながら、自分が幸せだと感じりゃそれでいーのだ、幸せはいつも自分の心が決めるとか、相田みつをみたいな結論でドラマは終わるのだが(笑)、「肥大化した自分の人生に他人が入りこむ隙がない」、という現実と、「誰か好きな相手がいないとさびしい」 という生理的な問題をいっしょくたに処理して解決しようという彼女たちの姿勢自体に無理がある、と私などは思ってしまう。

 つまり結婚なんてものは相手のどこが気に食わぬとかここが合わないとかと考え出したらけっして出来るものではない、ということだ。 肝心なのは、ここが違う、あそこも合わない、だけどそれも受け入れられる、という心の余裕なのではないか。

 しかしこのドラマが秀逸だと思われるのは、愚かなことをきちんとあぶり出していたところだ。
 私(たち)はドラマの中の登場人物に 「そうじゃないだろ」「なんでそうするのかねイミフ」 とかダメ出しをしながら、実は自分の人生さえも、そんな間違った決断だらけなのだ、ということに気付く。 私(たち)は自分のやっている間違いに気付きながら、それでもやめることができない。 もしくは行動に移せない。 彼女たちのモノローグが正鵠を射ているからこそ、見ている側はそこに気付かされるのだ。

 だが、私(たち)は、「間違った決断」 がけっして自分の人生にとって 「悪かったこと」 とは考えないようにしようとする。
 それも自分の人生なのだ。
 いちばんいい方法なんてけっして選べないかもしれない、けれども一歩踏み出したらそれが正しいと信じて歩き続けるしかないのだ。 どうしても我慢ならないのであれば仕方ない。 それも自分の人生なのだ。

 と、このドラマを見てそこまで考えるのはアレかと思うが(笑)、彼女たちの思索が深かったからそこまで考えさせられた、と言ってもいい。 その意味で冬ドラマの中ではいちばんよかったかな、と思えるのだ。

 以上、私の見た範囲での冬ドラマの感想でした。

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コメント

リウ様

長〜い新しい記事upありがとうございます。shine お疲れ様でございました。


「A LIFE」の構造が 「ウルトラ兄弟銀河決戦」!  そうきたか〜

確かに「木村アゲ」のドラマじゃなかったですよね。浅野さんの怪演と評されてましたけど、木村くんがキャスティングにこだわったのがわかるような気がします。松ケンも最初は少しミスキャスト?かと思ったりしてましたが、半ばくらいから、色々な人が役にハマってきていたように感じました。

リウ様の分析、相変わらず凄いですね。
いろんな軸が絡まってるんだなぁって思いましたよ。リウ様、素敵な脚本かけるんじゃないですか?

それにしても、随分視聴なさってましたね〜。私がリタイアした「大貧乏」も「下剋上」も「サラリーマン・・・」も・・

渾身のレビューなのに、こんなに短いコメントで申し訳ないですcoldsweats01

お忙しいのに、レビューありがとうございました。
明日あたりからあったかくなるらしいです。
北陸ではお花見はこれから、東京はもうじき満開かな。

投稿: rabi | 2017年4月 4日 (火) 23時01分

rabi様
コメント下さり、ありがとうございます。

いやいや、rabi様がご覧になっていないドラマばかりなのですから、コメントが短くて恐縮とか、お気に病まないでください。

だいたい、出来からいけば今年の冬ドラマは60点くらいのものが多かった気がします。
でも、このドラマはどこがダメなのかとか、ダメだけどここがいいんだよな、とか考えながら見ているのは面白いもんです。 で、冬ドラマ、結局なんか、居心地のいい作品が多かった気は、するんですよ。

唯一居心地が悪かったのは 「カルテット」 で(笑)、こういう寸分の隙もないような計算ずくのドラマって、トシのせいかどうもしんどくなってきた(笑)。

渾身ってほどじゃないけど時間はかかりましたね(笑)。 ただ以前のように、録画したヤツを見返して重要な部分を再現したりということを一切しなかったので、もうホントにただ自分の感想、というだけで。 その点では下らないことをグダグダ書いたけど苦労はしませんでした。 気楽に書ける出来のドラマばかりでしたから(笑)。

どうも太陽の黒点がない状態が続いてるらしくて、それってつまり太陽の活動があまり活発じゃない証拠のようでして、それであまりあたたかくならないのかな、とも思いますが、たぶん東京では今週末が花見のいい頃合いでしょうね。 窓から多摩川の桜と、川向うに見えるAMAZONのでっかい建物を愛でながら酒盛りでもいたします(笑)。

投稿: リウ | 2017年4月 5日 (水) 07時54分

ALFEEじゃなかった、A LIFE。
時々見ました。ご都合主義的な所、心臓外科と脳外科は別物じゃん!などというツッコミどころはあります。(笑)うちの弟、脳外科医だし。(笑)
木村君への感謝が浅野さん達一家は足りないんじゃないの?(笑)
それだけ、仲良しの友情だよね。
私は浅野さんと、松ケンがこのドラマに脇役で出てくれたという事が、このドラマの価値をかなり上げたと思うんですよ。単なるキムタク上げのドラマじゃないぞ。男の大人のドラマだぞ〜。
というわけでみゆき先生はかなり適当な扱いでした。(笑)
まあいいじゃないですか。後味よかったし。
木村拓哉はこれから、成熟した大人の演技者として評価されていくでしょう。次の映画!期待できるかもしれません。ただ監督が私の嫌いな人なのが。映画館まではいけないけど、頑張ってほしいです。(笑)


投稿: ささ | 2017年4月 7日 (金) 12時00分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

スウェーデンでトラックが群衆になどと聞くと気が気じゃないです。 息子さんにはくれぐれも危機管理能力だけは研ぎ澄ませていただきたいですね。

ところで弟さんが脳外科医とか。 そりゃ自分が病気になったときに安心ですねぇ~。 脳外科以外でも病理については詳しいでしょうから。

竹内サンは、木村クンと浅野サンの不仲の原因で物語の要であるクセにかなり 「この人なに考えてんの」 的な部分が多かった気がしますね。 医者のクセして自分の頭痛が頻繁なことを疑いもしないし(笑)。

木村クンはこれから、老けるいっぽうです(笑)。 みんなそうだけど。 ただかつて超のつくイケメンであったからこそ、どう歳を重ねていくかは重要です。 いい味が醸成されるといいんですけどね。

投稿: リウ | 2017年4月 8日 (土) 07時01分

みゆき先生は天然ぽいというか。お馬鹿ぽい。真田丸の茶々を少し引きずってるような。(笑)
お嬢様医者なせいか、周りがチヤホヤしてる、特に旦那(笑)からか空気を読めない人でしたね。
木村拓哉もあすなろ白書の瑞々しさはだんだんなくなって、中年になってしまったんですね。今まではアイドルのベールがあったけど。男は40過ぎてからじゃん!役者として真価が現れるのは。
ロシアにシリアにスウェーデン。もう、どこでもあるよテロ。
地下鉄サリンの時は、もう、信じられない!という疑心暗鬼な状態でしたけどね。
恐ろしいのはテロってわりと簡単に起こせるって事。人間の良心や、躊躇いという壁を聖戦などのワードが飛び越えさせる。
まあでも、息子には社会福祉について学んでもらって、高齢者や障害者の生活が穏やかになるよう尽くしてもらいたいと思っています。
自分の息子が90歳を過ぎた義母の前にひざまづいて義母の繰り言を優しい声で聴き始めた時は、自分の息子というのを一瞬疑いました。(笑)
まあ、ご心配かけましたが、多分今のところ大丈夫のようです。(笑)

投稿: ささ | 2017年4月 8日 (土) 07時32分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

なんとまあ、心優しい息子さんなのでしょう。 ただだからこそ、世の中善意ばかりではないことは身につけていてほしい気がします。 私自身、根性悪いから生き残っている人間ですし(笑)。

花見で週末はかなり時間が潰れました。 「ひよっこ」「やすらぎの郷」 などレビューする予定だったのですが、今(先)週分を見るだけで精一杯。 いや、「やすらぎの郷」 は全部見てない…。 その代わり、「城主はつらいよ」 までは見ました。

竹内サンの役は、どちらかと言うとKYを装っている、というふうに私は読みましたね。 つまり、自分の真意としては木村クンなのだが、すでにこれは決着を見た問題なのだ、と。 だって表向きでも旦那の浅野サンはやさしいし娘は旦那に懐いてるし、だから彼女自身、現在の生活を壊そうという熱情レベルまで達していない。 もしくは自己規制している。 それが自分の命という問題と直面したことによって警戒水位が崩壊し、木村クンに泣きついてしまった、という。

自分の手術を木村クンで、とお願いしたのも、自分のなかにある思いを断ち切るためにそう判断したのだ、と思うんですよ。 同時に、木村クンのなかにある竹内サンへの思い、というのも断ち切ってもらいたかった。 「身内は手術できない」、というキーワードで読み解くと、ですよ。

ISに共感する、というのはいったいどういう精神構造なのだろう、と思います。
つまり自分や世の中が悪い状態なのはすべて他人のせいだ、と思うところからその病理は始まっている。

自分や世の中が悪いのは自分に原因がある、だから自分を変えることによって、自分もよくなり世の中もよくなる、と私は考えています。

必ずしもそうとは言い切れないところもあるけれども、他人を傷つけてよくなる事態、というのは存在しない、と私は思うのです。

日本におけるテロ、というのは今のところ地下鉄サリン事件くらいしかありません。
これのどこが異質なのか、と言うと、社会から隔絶したところで出来上がった集団が起こした事件だ、ということで、ここまで教団が壊滅的になってしまった今、持続性や連続性の危険性というのは極度に低下している。

しかしイスラム過激派の思想の場合、これはかなり歴史があることなんですよ。 だから怨嗟と自己責任転嫁が複雑に絡まり過ぎている。 だからこそ厄介なのです。

投稿: リウ | 2017年4月10日 (月) 07時35分

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