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2017年4月29日 (土)

「ザ・ビートルズ史 誕生(上)」 ビートルズ研究第一人者による、容赦のない徹底的な歴史本

 ビートルズ研究においては世界中を見回してもトップであろうと思われるマーク・ルイソン。 かつて彼はアビイ・ロードに保管されたビートルズのレコーディングテープのすべてを聴くことを許され、「ビートルズ・レコーディング・セッション」 という究極の記録集を世に出した。
 この本が日本で出版されたのは1990年のことだが、私が肌ではっきりと感じるのは、ビートルズ関係の書籍において明らかに 「レコーディング・セッション前」 と 「レコーディングセッション後」 では内容が一変した、ということだ。 「レコーディング・セッション」 の内容を基に彼らの音源を聴くと、さらに細かい分析が可能になったのである。

 それまでのビートルズ研究というのは初期のマネージャー的役割を果たしたアラン・ウィリアムスの 「ビートルズ派手にやれ」 とか、ビートルズ解散直後に出されたジョン・レノンへのインタビュー本、「ビートルズ革命(現在は 「回想するジョン・レノン」 と改題)」、さらにレノンが射殺される直前に行なった数々のインタビュー本に多くが依存しており、それらの向こうにはビートルズ活動中に唯一彼らの公式認定伝記として書かれたハンター・デイヴィスの 「ビートルズ-その誕生から現在まで」 が鎮座ましましていた。 これは彼らやその関係者に対する徹底的なインタビューで構成されたものであり、その点で作者の余計な主観の入り込む余地のない優れた伝記だった。

 ハンター・デイヴィスのそれはしかし、サージェントペパーズ(1967年)の頃に書かれたものであり、彼らの活動半ばまでしか記述がない(その後あとがきによっていくらか補完はされたが)。 したがって本編中に当然ながらオノ・ヨーコは出てこない。
 さらに都合の悪いところを次々と削除させられたせいで彼ら自身から 「きれいごと」 と揶揄される始末で(その要請が彼らから出たものもあったにもかかわらず)、資料としては当時最強でありながら、内容的には極めて不満足なものだったと言える。

 当時は圧倒的に情報がなかったからこそ、それらの本に書かれた事実を探りながら、ビートルズ論というのは必然的にその社会現象であるとか絶大な影響であるとか、精神論に傾いていたような印象がある。 時代背景から考えても、ビートルズというのは同時代に生きた若者たちに対して、思想的な変革という部分でより重要だったから、これは当然の結果なのだろう。
 音楽そのものに対する研究というのはその資料の乏しさからさらに絶望的で、1979年にCBSソニー出版から発売された 「ザ・ビートルズ・サウンド」 という本(当ブログビートルズの項ではたびたび言及しているが)が精一杯、といったところだった。

 それが、ルイソンの著した 「レコーディング・セッション」 では、レコーディングテープをすべて聴いた上に当事者たちへの聞き込みによって、彼らのレコーディングにおける活動がはじめて立体的に目の前に出現したのである。 私にとってもこの本は衝撃的だった。 現在ではネットを広げればウィキペディアをはじめとして、ビートルズの情報というのはあまりに膨大で飽和状態である、とも言えるが、そのようなカルト的な研究の端緒を切り拓いた、という点でこの 「レコーディング・セッション」 は重要な本なのである。

 そしてルイソン氏はもうひとつ、「ビートルズ全記録」、という詳細な記録集を世に出した。 今回の 「ザ・ビートルズ史」 というのはこの本の発展形である、といえよう。 「全記録」 は、赤盤青盤で立川直樹氏がまとめたビートルズ年表のかなり詳細バージョン、といったコンセプトだった。

 今回 「全記録」 と決定的に違うのは、ダイアリー形式でなく読みものになっている、という点もそうだが、これまで世に出た(おそらく)ほとんどすべての文献、証言についてルイソンがその真偽を徹底的に調査し考察を加えている、という点にある。 そのすべてが現在考えうる限り、「容赦なきまでに徹底している」。
 まず関係者へのインタビューの敢行。 ビートルズのロード・マネージャーだったニール・アスピノルや先ほども話に出たアラン・ウィリアムズは近年次々と亡くなっているから、ルイソンの行なったインタビューはリミットぎりぎりだった感がある。 ビートルズの当事者たちの記憶は、すでに歴史の彼岸へと埋もれつつあるのだ。
 ビートルズに深く関わった人たちだけではない。 ジョンの家に居候していた学生であるとか、取るに足らないように思えそうなレベルの同級生の証言、当時のファンの女の子男の子のひとりひとりにまで取材を重ねている。 ちょっとでも彼らを見知っている人ならそのすべての人に会っている、ということが、この本を読んでいると見えてくるのだ。 そしてその証言ひとつひとつに対して真偽を考察している。 この徹底ぶりは他の追随を許さない。 「誰がこれをやって、誰があれをやってって、その場にいたわけじゃないのにどうしてわかるんだ?」 とポール・マッカートニーは(目下のところ)最新アルバムのなかの一曲(「アーリー・デイズ」)で歌ったが、この本はその問いかけに最大限回答しようとしている。 しかも多数の証言を付き合わせて考察を行なっているのだから、当のポールの記憶よりも正確だ、という可能性すらあるのだ。

 さらに本書の容赦なき徹底的な部分は、公的文書はもとより、当時世に出回った全国紙地方紙(特に彼らの出身地リバプールを中心としたもの)を隅から隅まで読み倒してビートルズに少しでも関連のあるものをピックアップしている点だ。 この作業を考えると本当に気が遠くなる。 このことによって、彼らがどのように世に出ていくかの時代的背景、および必然性が浮かび上がってくる。

 と同時に、それがまったく必然性を伴ったものでなかったことも浮かび上がるように私には感じられた。 つまり、「彼らのやる気」 についての移ろいである。

 彼らは下積み時代、自分たちが意気消沈した時に 「俺たちはどこを目指しているんだい?」「そりゃ、ポップ界のトップ(トッパーモスト・オブ・ポッパーモスト)さ!」 と自らを鼓舞しモチベーションを保ち続けたという有名なエピソードがあるが(この掛け合いの元ネタとなった話までこの本では発掘されている)、実は彼らのやる気にはかなりムラがあり、一直線にポップ界のトップを狙うような姿勢には至っていなかったことが見えてくるのだ。

 この本の上巻で彼らの学生時代を縛りつける重要な試練として、イギリス特有の教育制度であるGCE試験(全国統一試験)、というものがたびたび言及される。 それに従って彼らは自らの将来をどのように決定していくかの岐路に立たされるわけだが、特にジョンやジョージについては、明確な将来のヴィジョンを持っていたとはあまり思われない。 ポールだけは 「常識人」 である父親の影響下で何らかの策を講じていたことが想像されるが(下巻においてポールはほんの一時期マジメに働いていたことが判明する)、ジョンとジョージは 「まああわよくば音楽で有名になって、とは思うけどそんなに世の中甘くないだろうしね」 程度の認識でバンド活動を続けている 「根なし草」 状態だったことが分かる。 ただし根拠のない 「有名になる確信」 だけはあったが。

 彼らが世界一のバンドとして世に君臨するのはほんの些細な偶然の集積によってであり、そこには 「運命」 というものが大きく横たわっていた。 この本を読んで初めて知ったのだが、彼らはイギリスの徴兵制度から解放された最初の世代だった。 彼らが徴兵されていたら、一体どんなことになっていたのだろう。 これも、「運命」 のなせる技だったのかもしれない。

 ハンター・デイヴィスの伝記やその後決定版と言われたクロニクル 「アンソロジー」 本は、ユニットとして集まってくる以前の記述は個別に行なわれていた。 だが本書はかなり遅れて合流してくるリンゴも含めて、同時期のことは4人ともまとめて書いてある(本書上巻ではリンゴはまだビートルズには加わるところまで行かない)。
 そこから初めて浮かび上がってきたのは、ほかの3人とリンゴとの人生の質の違いだ。 リンゴは幼い頃とても病弱で、ずっと病院暮らしをしていた。 同じ時期にほかの3人は、多少の貧富の差があったとはいえ比較的幸せな少年時代を送っていて、いちばん年上のリンゴが 「ひとり負け」 状態だった。
 それが、退院して働き始めてからのリンゴは逆に仕事に恵まれ、「ひとり勝ち」 状態になっていく。 これは個別に書かれていたのではなかなか気付かない興味深い比較だ。 リンゴはバンド活動にも恵まれて、時系列的にビートルズのメンバーの中では真っ先に車を買うほどの勝ち組となるのだが、実は無免許だったことも(笑)この本で初めて知った。

 法的に問題がある、という部分こそはデイヴィスの伝記で削除された部分であったが、本書にはその手かせ足かせがない。 だからジョンがあらゆる店で万引きをしていたことも包み隠さず語られるし、カレッジスクールの備品にあったアンプを 「拝借」 してしまったことも書かれてしまう(もともとそのアンプ自体をジョンのゴリ押しで学生自治体が購入した経緯まで書かれている)(そしてそのアンプの末路まで)。 ここに書けないようなことも容赦なく書かれている。
 その最たるものが、のちに彼らのマネージャーとなるブライアン・エプスタインが若き頃に逮捕された、という事件である。
 ここでルイソンの行なった新聞読み倒しが大きく生きてくる。
 新聞にこの事件の経緯が書かれていたせいで、この事件は客観的にここに暴露されることとなった。

 新聞の読み倒しの効力は、ジョンの実母であるジュリアの交通事故死についても大いに発揮されることとなった。 その事故の数週間前にジュリアの名目上の夫がしでかした事件がジュリアの死に関わってくることになるのだ。 ジョンの自宅に住んでいた学生への取材も、ここで生きてくることとなる。 ジュリアの死に関するくだりは、本書上巻のひとつのメインである、と言えるだろう。

 しかし同時に、ジュリアの死からジョンの気持ちの動向があまり読めなくなってくる。

 これは周知のようにジョンが早くに死んでしまったことによるものだが、膨大なインタビューを生前にジョンが受けているにもかかわらず、ジュリアの死がもたらしたジョンの精神への影響は、あまりにも本人から語られていないのだ。 それは後世から類推するしかないが、ジョンの精神状態が分からない、ということはすなわち、ジョンはその哀しみを自らの心の底に沈めてしまったことを意味する。 この事故から数週間のち、ジョンの行動は目に見えて以前よりさらに悪くなり、攻撃的かつ辛辣になっていくのが本書を読んでいると分かる。

 本書が 「容赦がない」、というのはジョンのことばかりではなく、ポールの性格についても同じことが言える。 ルイソンはポールがメンバーの中では最もふつうの良識を持った人物であることをあぶり出しているが、同時にポールの慎重さ、出しゃばり方、嫉妬、仕切り癖、攻撃性なども白日のもとにさらけ出した。
 これはのちに展開する彼らの解散への経緯を考えると、すでに少年時代からその芽が育っていたことを想像させるものだ。
 本書ではジョンの即決性、過去にあったことに拘らない切り替えの速さなどにも言及しているが、オノ・ヨーコが現れたときのジョンの行動が説明出来るし、ここにポールの性格をぶつけさせたときにポールがどのように対処するのか、という回答も出ているように思われるのだ。

 本書の弱点、というのもまさにこの点にあるように思われる。 容赦なさ過ぎて、情報の多さにときどきついていけなくなるのだ。

 この本の上巻は、正直なところかなり読みにくい。

 私のように、ビートルズに関して強い興味のある者、またはビートルズについてかなり知っていると自負している上級者(自分で言うか)同志でないと通じない表現がそこかしこに見られる。
 それでも、この取材力のあまりの膨大さから登場する人物も想像を絶する多さで、誰がどうして誰がこうして、ということを追うのがとても大変なのだ。 私などは途中から 「これは人物関係図でも作らなければ」 と思ったのだが、途中から諦めた(笑)。
 その人物でも、例えばリー・イーストマンという名前が突然出てきたりするが(これは下巻になるが)、ビートルズファンならばこの名前にはピンと来るはずだ。 のちにポールの妻となるリンダの父親の名前だからだ。 しかしそれが無造作に挿入されていたりする。 ビートルズファンは 「リンダの父親がこの頃から既に…」 などと思うことだろうが、「ビートルズの歌が好き」 くらいのファンでは素通りする部分だろう。

 また、「バスの2階に座ってタバコを吸い…」 の部分は傑作 「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」 を容易に想起させるものだが、これもマニアックな表現部分だ。 実はこんな表現ひとつひとつに、私みたいなどうしようもないファンは立ち止まってしまうのだ(笑)。 ビートルズを知り尽くしているルイソンだから出来るこのような遊び。 正直迷惑である(笑)。

 そしてやはり、ヴィジュアル的な部分でこの本は弱い。
 上下巻で1600ページ以上となる膨大な情報量がメインであるから仕方のないことだが、先に述べた 「アンソロジー」 本などを傍らに読めば、イメージが湧きやすくなるのではないか、という気もする(このようなマニアックな本を購入する人は、「アンソロジー」 もすでに買っているはずだから…笑)。

 1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。
 本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである。

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