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2017年8月

2017年8月22日 (火)

「おんな城主 直虎」 第33回 小野但馬のコペルニクス的転回(以下続く…?)

 あまり知られていない人物を大河ドラマの主役に据える場合、そのいちばんの弱点である 「資料の少なさ」 をどう克服すべきか。 この大きな課題に対してこれまでの大河の前例を思い返すと、けっして成功してきたとは言えないことが分かるだろう。
 「おんな城主 直虎」 の場合、この主人公がそもそも男であったか女であったかの証明さえままならない。 しかし 「おんな」、と決めた以上、直虎=次郎法師=女である、という命題に従って物語は構築されねばならない。

 ここで脚本家の森下氏が打ち出した最初の設定が、のちに徳川家康の主要な家臣となる井伊直政の父親・直親(亀)と、井伊家の家臣だった小野家の嫡男・政次(鶴)を、主人公の直虎(おとわ)と幼馴染にさせる、というものであった。
 そしておきゃんな娘であるおとわに対して、そのふたりの男の子は、それぞれに秘めた恋を抱く。 直虎が女でなければ成立しない設定である。

 ここで物語的に大きなねじれを生じる原因となったのが、その小野の嫡男・但馬守政次が、父親に引き続いて史実的に完全なワルモノであった、ということだった。
 史実がワルモノであるのだから、小野政次もワルモノでなければならない。
 しかし設定上、政次は直虎に心を寄せている。
 このねじれを利用して、森下氏は 「表面上は井伊家を裏切り翻弄しながらも、実は陰で井伊家を今川の理不尽な支配から守る盾となっている」、というストーリーを作り上げた。

 これは発想的には、「樅の木は残った」 の原田甲斐をほうふつとさせる。 1970年の大河ドラマでもあった 「樅の木は残った」 は、それまで歴史的に不忠の者という評価であった原田甲斐を一転して忠義の者に変換させる、という役割を果たしたのだが、今回小野但馬守政次は、その大役に浴したのだ。

 しかしここで、ストーリー上の 「脆さ」 も同時に抱えてしまったように私には思える。
 つまり、但馬の真意が分かってしまうと、物語を引っ張っていく求心力も失われてしまう、という点だ。 具体的に言えば、要するに話がつまらなくなり、視聴者が離れて行ってしまう、ということだ。
 脚本の森下氏はここに盗賊や金の亡者を登場させるなど、一時はかなり苦心しているように私には感じられた。 城主となった直虎を支える配下の者たちもかなり頼りなく描かれていたために、物語が小野但馬の存在に極端に依存しなければならない構造になったことも大きい。

 そして物語のダイナミズムという点からとらえれば、「今川からの圧力→その危機を乗り越える井伊家」 という話の繰り返し、というスパイラルに巻き込まれてしまったような印象も受けた。

 だが、今回の小野政次の死はそもそもにしてそのスパイラルのクライマックス。
 ここは小野をワルモノからヒーローにコペルニクス的転回を企てた森下氏の、一世一代の 「ストーリーテラーとしての見せ場」 だった。 そのために泥をかぶったのは井伊の後見人のひとりであった近藤氏なのだが、史実がどうだとか後見人三人衆の力関係がどうだとかいう議論の前に、まず 「主人公は男なのか女なのか」 という、最初に述べたこの物語の成立時点から、この物語の根幹は霧に包まれているのだ。

 このクライマックスに向け、森下氏のそれまで苦心してきたさまざまな登場人物が、その存在を含めきちんとした理由を与えられた。
 なかでも盗賊の頭である龍雲丸は、武田信玄の今川攻めに際して情報が錯綜するなかで、井伊にとって草(忍びの者)のような役割を演じ、幽閉された直虎、政次の脱獄に際しておおいに盗賊としてのスキルを発揮し、しかも直虎と一時疑似恋愛的な関係であったがために、政次の本当の思いを察知し、今回政次が 「井伊のお家のためではなく、直虎のために行動しているのだ」、ということを喝破した。

 これは政次が直虎の分身とも思える白い碁石を懐に忍ばせていたことと相まって、平たく言えばスイーツ的な展開の最たるものなのだが(そしてそれを本能的に嫌う大河ドラマファンは多いのだが)、私は 「お家のためより個人的感情」、という理屈は現代において個人的には納得のいく理由づけだと感じる。 そうしなければドラマに没入できない弱みというものは確実に見る側には存在しているのだが、そもそもお涙頂戴というのは芝居のもっとも基本的な感情移入の方法なのである。
 たしかに、「お家のためだけ」 という理由は、やはり無味乾燥としている。 「家」 の重要度が当時どれだけの蓋然性を持っていたかは知る由もないが、いずれにしてもその 「家」 の 「構成員」 を守る、ということは人々の意識の根幹にあっただろうからだ。

 しかし今回その感情移入をもっとも残酷な形で終結させようとした森下氏の手法は、おおいに評価しなければならない。
 少しネタバレになるが、直虎と政次の最後の壮絶なやりとりは、少し前に虎松の護衛に向かわせた直虎の側近、奥山六佐の姿を直虎が 「武蔵坊弁慶は、あのような姿であったかのう」 とつぶやくところ(すぐさま中野直之に 「弁慶に失礼でしょう」 とたしなめられたが)と呼応している気がしてならない。 つまり武蔵坊弁慶も、関所を通り抜けるために白紙の巻物にモノが書いてあるかのごとく滔々とウソを並べ立て、挙げ句に主君の義経を関所の役人の前でブン殴りまくる、という苦渋の行動に出ていた。 今回このドラマにおいて井伊が政次も含めて今川氏に対して行なってきたことは、まさしくこの弁慶と義経の関所抜けの話が底流にある気がしてならないのだ。

 今日は力尽きたのでまずここまでアップします。 細部に関して書くかどうかは未定(笑)。 よくまあ昔は毎日記事をアップしていたものだ(笑)。 これじゃ夜勤なのに眠れんぞ(笑)。

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2017年8月 6日 (日)

「第49回 思い出のメロディー」 押し出され、遠くなるばかりの 「昭和」

 去年は萩本欽ちゃんと 「とと姉ちゃん」 の高畑充希サンの司会が印象的だった 「思い出のメロディー」。 今回は冒頭から、今年40になるという氷川きよしクンの宣誓みたいな司会で始まった。 ラスト曲前の締めくくりも氷川きよしクンのコメントでもう一度今年40ということが繰り返されたので、振り返ってみると全体的に 「氷川きよしの新たなる出発。司会もやったし」 みたいな番組になっちゃったような気もする(ちなみにもうひとりの司会は有働アナ)。

 確かに氷川きよしクンの新しい歌(「NHKラジオ深夜便」 の 「深夜便の歌」 で現在、毎日流れている 「蒼し」 という歌)は作曲者がGreeeeeN(こんな感じ?…表示は不正確です)。
 ここでのきよしクンの歌い方はビブラートはカマすけれどコブシを一切排除した感じ。 「いや、GreeeeNが歌ってます」 と言われてもまったく不思議に思わないような新境地の歌だ。
 この人は常に股旅ものとかズンドコ節とか 「あ、そういうのやるんだ」 みたいな、歌謡曲のスキマ産業みたいな、意外性を狙ったような曲で存在感をアピールすることが多かった(正道もまた変化球、みたいな)。 今回も 「氷川きよしがJ-Pop」 みたいな 「意外性」 という点ではよかったけれど、でも今の若い人たちふうに氷川クンが歌い始めちゃったら、結局誰だか分かんねえよなみたいな、なんかヘンな残念感がある。
 しかし今回の番組は 「思い出のメロディー」 だから、そのGreeeeeeNの曲を歌うワケはない(eの数が分からん…笑)。

 今年の放送は去年と違って生放送だったようだ(「生放送」 と始終画面の右上に出てたので本当だとは思うがたまに 「ホントかな?」 と思う時があるので)。 字幕も遅れ気味だったし。 最後も結構バタバタして尻切れトンボ的に終わってしまったし。

 生放送、ということで私が心配だったのは、「小林旭サンとビリー・バンバンのお兄ちゃんが暴走しやしないか?」 ということだった(笑)。 あと将棋のひふみんも(笑)。 このお三かたはコメントが短く済まないので生放送にとっては天敵であるのだ(笑)。 結果からいうと危なかっかしくもギリギリセーフだった(笑)。 ただまあ、最後がバタバタしたのは多少影響があったかもしれない(笑)。

 前述の通り氷川きよしクンの印象がとても強かった今回だけれど、おしなべて考えればじっくり歌を聞かせる、とても落ち着いた構成だったようにも思う。
 ただまあ、毎回見ている視聴者としては、「なんかまたかよ」 みたいなこともあった。 「お座敷小唄」 とか 「月がとっても青いから」 はつい数年前の同番組で見たし。 石原裕次郎サンと美空ひばりサン、という昭和の2大スターを採り上げる姿勢もここ毎年見ている気がする(まあ、あの手この手ではあるが)。
 それと、先ごろ亡くなった平尾昌晃サンについて、おそらく入り込ませる時間がなかったのだろうと思うがまったく言及すらなかった。 これだけ昭和の名曲が流れると、大概1曲くらいは平尾サンの曲が入っているはずだが残念なことにその偶然すらなかったようだ(ちなみに、平尾サンはつい最近の 「思い出のメロディー」 に出てた)。

 今回、あまりサプライズというのはなかった。 いちばんは 「あみん」 が出たことくらいだろうか。 浅丘ルリ子サンが出たのもサプライズのうちに入るだろう。 ただ、後半で石原裕次郎サンと水森かおりサンが疑似デュエットみたいなことをするくらいだったら、浅丘サンと裕次郎サンの 「夕陽の丘」 で見たかったと思う。 「夕陽の丘」 をおふたりで歌うアーカイヴがないのかな。 そう言えばそんな映像見たことない。 疑似デュエットするにもおふたり同時で歌う部分があるから無理と言えば無理か。
 浅丘サンは、個人的には今年テレビでよく見る。 「おんな城主 直虎」 にも出てたし 「やすらぎの里」 でも重要な役どころだ。 今回ビリー・バンバンの歌が 「さよならをするために」 だったこともあり石坂浩二サンがV出演したことで、ニアミス的な共演がここでも実現した。
 浅丘サンの歌ったのは、「愛の化石」。 緊張しているのがテレビ桟敷でもわかるほどだったが、一緒に出た小林旭サンからは絶賛されてご本人はホッとしていたようだ。

 小林旭サンで思い出したが、今回小林サンが歌ったのは5曲ほどだったか。 小林サンは破格の扱いだったが森進一サンも2曲歌ったし、これって出演する人がてんこ盛りでなくなってきたことの証左なのかもしれない。 「月がとっても青いから」 を歌った菅原都々子サンも今年御歳90歳(「明日(8月6日)誕生日だと言ってた)。 確か2、3年前同じ歌を歌ったときには 「ずいぶんお声が出ていらっしゃる」 と感心したものだが、氷川きよしクンのエスコートを受けたまま歌った今回は、高いキイがやはりつらくなっていたようだ。 もともと菅原サンの歌というのは高いキイでコロコロ声を転がすような歌が多いので、喉が衰えるとかなりハードルが高くなることは確か。

 そして目玉的にはスパーク3人娘だっただろうか。 中尾ミエサン、伊東ゆかりサン、園まりサン、MCで 「(伊東サン以外)ヒット曲がそんなにないのに生き残ってきた」 というのは結構笑えない冗談だったような(笑)。 ただしそんな数少ないヒット曲のなか(笑)中尾サンに関しては 「片思い」 は聞きたかったような。 でも、今回のテーマが 「和製ポップス」 だったから仕方ない。 このコーナーでロカビリーのVが出てきたので平尾昌晃サンの姿を期待したが、やはりスルー。
 「スパーク3人娘としてはテレビ最後の出演」 と謳っていたが、中尾サンが早々にばらしてしまったように 「依頼がありゃまた出ます」 みたいな感じで(笑)。 とりあえず誰が鬼籍に入るか分からないのでそう言ってみました、みたいな感じ(笑)。

 平尾サンが滑り込ませられなかった原因のひとつが、今回のもうひとつの目玉であった 「没後10年の阿久悠特集」 だったのかもしれない。 名曲が続くなか、お身体が心配される西田敏行サンも 「もしもピアノが弾けたなら」 で参戦。 途中から司会陣に加わったが、さすがにこなれている。 今回は氷川クン、有働サン、西田サンと、司会がとても盤石だったと思う。

 それでは出演順に。

 全員で歌う村田英雄サンの 「皆の衆」(昭和39年)に続きトップバッターは山本リンダサンで 「狙いうち」(昭和48年)。 「北斗の拳」 に出てきそうな屈強の男たちにまたがって相変わらずのパワフルぶりであった。 1曲目から阿久悠サンの作詞である。

 続いて辺見マリサンの 「経験」(昭和45年)。 ドレスにティアラで 「夏の紅白」 を実感させる気の入りようである。 山本リンダサンもそうだが、このおふたりは未だ現役の声量だ。

 次に登場したのは三山ひろしサンと福田こうへいサン。 なんでふたりかはすぐ分かった。 歌うのが三橋美智也サンの 「達者でナ」 だったから(笑)。 この曲は途中どうしてもふたりでないと歌えない部分があるのだ。 要するにレコーディングの際、三橋サンはご自分の声を重ねたわけだが、ダブルレコーディングというのはこの曲がリリースされた昭和35年、1960年にはかなりインパクトのある技術ではなかったろうか、と推察する。

 次は森進一サンの 「襟裳岬」(昭和49年)。 いまは 「えりも岬」(笑)。 なんでもひらがなにしないと済まないアホな国。
 気付いたのだが、「♪襟裳の春は」 の部分で 「り」 の部分を原曲より高めに歌ったり、「♪あたたまってゆきなよ」 の 「ゆきなよ」 を無理に伸ばしたり、森サンはこういう歌い方をずっとしてきたのだが、今回それがまったくなく、とても好感が持てた。

 次は小林旭サンと浅丘ルリ子サンが登場し、おふたりが共演した 「絶唱」 で小林サンがなかなか泣けなかったエピソードを披露。 「歌わなきゃダメでしょ?」 とオドオドしながら歌ったのが、先ほども書いた 「愛の化石」(昭和44年)。 「セリフが多かったからヒットしたと思うの」 と謙遜していたが、それにしても歌番組でこの人が歌うのは、私は初めて見た気がする。

 そして小林サン。 歌手生活60周年だから歌う曲が多かったのか。 「ギターを持った渡り鳥」(昭和34年)「自動車ショー歌」(昭和39年)「ダイナマイトが百五十屯」(昭和33年)。 MCが入って 「昔の名前で出ています」(昭和50年)。 あとでもう1曲歌うことになる。
 それにしてもメーカー名商品名だらけの 「自動車ショー歌」 をNHKで歌うとは(笑)。

 続いて 「お座敷ソング特集」。 春風亭昇太サンがガイド役。 昇太サンは 「笑点」 の司会もさることながら、「春風亭昇太のレコード道楽」 というコーナーをNHKラジオで持っていて、そのつながりもあろう。
 五月みどりサンはここで 「おひまなら来てね」(昭和36年)。
 そして市丸サンの 「三味線ブギウギ」(昭和24年) を丘みどりサンと市川由紀乃サンで。 花柳社中が大挙登場してラインダンスもどきをしたりと豪華だったが、やはり気になるのはその歌い方であり(笑)。 コメント欄でも言及したのだが、「昔の芸者歌手の歌というのは、おちょぼ口で歌うのが常識」 だったのだ。 「口を大きく開けて歌う」 のは西洋の声楽の基礎なんである。 まあいいけど。
 そして余興のあと(笑)「お座敷小唄」(昭和39年)。 マヒナスターズと五月サン、丘サン市川サンとの共演。

 「戦後の日本を盛り上げたスター」 と称して並木路子サン、バタやん、渡辺はま子サンなどがVで登場し、登場したのが菅原都々子サンだった。 「月がとっても青いから」(昭和30年)。 それにしてもエスコートした氷川クンが、この曲をきちんと知っててハミングしていたのは感心した。

 そしてひふみんが登場、「ラヴ・ストーリーは突然に」 を歌うVなどが出てきたもんだから 「ひょっとしてひふみんが歌っちゃうのかよ」 と不安になったが(笑)「故郷」(大正3年)をリクエストしたにとどまった。 歌ったのは島津亜矢サンと山田姉妹。 それにしても75?6? この御歳でメディアに引っ張りだこになるとは、人生分かんないものである。
 しかしまあ、「私、ウサギを追ったことはありませんが小鮒は釣ったことがある」 とか、予測不能のコメントぶりで(笑)「生放送で使うには危険だ」 とはならないのかなみたいな(笑)。 まあその予測不能ぶりが予定調和だらけのテレビ界にはちょうどいいスパイスとなるのであろう。

 そして 「洋楽をカバーしたスターたち」 というコーナー。 坂本九サンの 「素敵なタイミング」 とかザ・ピーナッツの 「情熱の花」 のVとか見ていると、もうみんな亡くなってしまった、という無常感が襲ってくる。 昭和がどんどん、彼方に遠ざかっていく錯覚を覚える。 その流れでスパーク3人娘、「バケーション」(昭和37年)。

 MCで 「ヒット曲が少ない」 とか園まりサンを 「20年引きこもってた」 とか危険なディスりがあったあと(笑)伊東ゆかりサンの 「小指の思い出」(昭和42年)、園まりサンの 「逢いたくて逢いたくて」(昭和41年)、中尾ミエサンの 「可愛いベイビー」(昭和37年)。 3人一緒に 「ボーイ・ハント」(昭和46年)。 ん?昭和46年って、そんなだったっけな~。

 そして倍賞千恵子サン。 去年に引き続いて、VTR出演。 去年は森繁サンつながりだったが、今年は 「男はつらいよ」 つながり。 歌ったのは隠れた名曲、「さくらのバラード」(昭和46年)。 この曲が今年の 「思い出のメロディー」 でいちばん泣けた。 突然いなくなった兄(寅さんのことですね)を、どこかで見かけませんでしたか?と訊ねる曲で、実際の 「男はつらいよ」 の世界でも 「寅次郎はどこかに消えたまま旅先で亡くなってしまい、ずっと帰ってこない」 ということになったのではないか、と思わせるにじゅうぶんな曲だ。 それが私の涙腺を大いに刺激した。
 ピアノの伴奏は夫の小六禮次郎サン。 ピアノを柴又帝釈天に持ち込んでのロケだった。 帝釈天の建物はあの頃とまったく変わらず、ひょっこり御前様を演じた笠智衆サンや佐藤蛾次郎サンが出てきそうな気がしてくる。

 そして氷川きよしクンの 「一本の鉛筆」(昭和49年)。 放送の翌日が広島原爆の日だったからだろうが、元の曲は美空ひばりサンの歌。 「さくらのバラード」 に続いて感動的だった。

 ニュースを挟んで後半は阿久悠サンの特集。 ピンク・レディーは復活しなかったけど、Vが大量に流れた。 続いて登場は西田敏行サンで、「もしもピアノが弾けたなら」(昭和56年)。 西田サン、歌うまくなってないか?みたいな。

 次は伊藤咲子サンで 「ひまわり娘」(昭和49年)。 「スター誕生!」 でデビュー時、客席から歌っていたのを思い出す。 今回はそのイメージが演出家にあったかどうかは分からないが、同じく客席での歌唱となった。 観客たちはひまわりを振って応援。 ここでもひふみんが笑わせる。

 続いて石野真子サンの 「狼なんか怖くない」(昭和53年)。 いわゆる 「美魔女」 ってやつだよね石野サン。 「そりゃキツネだろ」 と揶揄された 「ウルフサイン」 も健在。

 石川さゆりサンは阿久悠サンと言えばお馴染みの 「津軽海峡・冬景色」(昭和52年)。 阿久サンの原稿がそのまま字幕に。

 そして高橋真梨子サン。 横浜ベイブリッジが見える場所でのV出演。 「ジョニイへの伝言」(昭和48年) と 「五番街のマリーへ」(同年) という名曲を続けて。 1曲だけというのはたびたび見たが、こういう豪華な組み合わせは初めてだった気がするし、ふたつの曲が密接な関係にあることがとてもよく分かる組み合わせだった。 これも感動したなあ。
 ただ面白かったのは、同じ番組で伊藤咲子サンの 「ひまわり娘」 を聞いたことかなァ。 「♪5番街に行ったならばそれがヒマワリの花~」 とよく歌ったもんだ(笑)。

 続いて再登場の小林旭サン、「熱き心に」(昭和60年)。 大瀧サンも亡くなって久しい。

 そしてビリー・バンバン。 ご存知のようにお兄さんのほうが脳こうそくで倒れ、最近ようやく復帰しだしたのだが、ラジオで出演されていたときに聞いたけど弟さんは大変そうだな、と。 なにしろ弟さんのいうことを聞かない(笑)。 怒りっぽくなった、というのかな。 もともと押しの強い人だったから、リハビリに頑張ることでさらに前向きに頑張ろうとしているのだろうけれど。 2番の途中で弟さんは、感極まったのかお兄さんが歌うのを聞かせたかったのか、歌が途切れた。 「さよならをするために」(昭和47年)は名曲である。

 次はあみん。 「待つわ」(昭和57年)。 肘を上げ気味に構える歌いかたを有働サンは懐かしがってた。 この曲は昭和57年にいちばん売れた曲だった。

 そして没後30年の石原裕次郎サン。 浅丘ルリ子サンが 「男の人のほうにすごく好かれていた」 という思い出を語る。 先ほど書いたように疑似デュエットで 「二人の世界」(昭和40年)。 美空ひばりサンの曲はお馴染み天童よしみサンで 「人生一路」(昭和45年)。 天童サンがひばりサンの歌を歌うのでいちばんいいのはこの曲だな。

 最後は森進一サンで 「北の蛍」(昭和59年)。 今回いちばん最近の曲だったのは 「熱き心に」 とこの曲だった。 それでも今から32年前。 見事に平成の曲は1曲も登場しなかった。

 平成に入ってからの我が国のヒット曲事情というのは、主にJ-Popという流れで括られてしまうが、今回昭和の歌に完全限定されたことで(「ふるさと」 は大正だが)「ずいぶんとあの時代は遠くになったものだ」 との感慨を強くした。 平成生まれの人がもう30歳になろうか、という時代なのである。
 かまやつサンも亡くなり、平尾サンも亡くなり、「太陽がくれた季節」 や 「ふれあい」、「聖母たちのララバイ」 を作詞した山川啓介サンも亡くなった。 去年この番組で元気なところを見せていたペギー葉山サンも、今年はもういない。
 こういった 「懐メロ番組」 というもの自体がもう、その役割を終える時期が近付いている気がしてならない。 「広い世代みんなが知ってる歌、みんなが歌った歌」、というのが絶滅に瀕している今、その思いが年々強くなっているのである。

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