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2017年9月 3日 (日)

「植木等とのぼせもん」 第1回 植木等を、昭和を語ることのむずかしさ

 なんとかいう俳優が問題を起こしたために丸々1本ダメになったNHKの土曜ドラマ。 BSでやっていた 「ブシメシ!」 を再編集してこの夏はなんとか切り抜けたが、BSでやってたとき見てたけどこれってかなりヌルい作品で(笑)。 「真田丸」 であの当たり役をかました草刈正雄サンが出るような作品じゃない、と思ってたけど。
 まあそれはいいとして、その 「ヌルさ」 が最近のNHK土曜ドラマのひとつのキーワードであるようにも思える。 それが 「ブシメシ!」 と妙に合ってたのかもしれないが、「ハゲタカ」「外事警察」 などの土曜ドラマに慣れ親しんだ者としては、この30分枠、というのがどうにも歯がゆい。

 今回の 「植木等とのぼせもん」 も、第1回を見る限り、いかんせんその 「ヌルい」 域を出ない。
 これは去年やった 「トットひとり」 と同じにカテゴライズされる。 つまり、「テレビ黄金時代の再現」、である。
 しかし周到に用意された 「トットひとり」 に対して、全体的にかなり 「モノマネ大会」 という印象を受けた。 だいいち、アナログでゴーストたっぷりで放送されていたシャボン玉ホリデーのような番組が、ハイビジョン画像で流れるのだ。 その違和感と言ったら。 まだ 「ひよっこ」 でみね子が番組内コマーシャルに出ていたテレビ番組のほうがしっくりきてたような気がする。

 「トットひとり」 では、満島ひかりの神業的な黒柳徹子ぶりに舌を巻いたものだが、今回の山本耕史もかなり植木等のしゃべり方、しぐさなどを研究したように見受けられる。 ホントに植木等のしゃべり方ってこんなだったよなあ、と思わせるにじゅうぶんなのだ。

 だが、なんか違う(笑)。

 なにが違うんだろう。 満島ひかりのときは気にならなかったものが、山本耕史にはある。

 それは、山本耕史が植木等を作り過ぎているのではないか、という点だ。 山本耕史は本来、こういうしゃべり方ではない。 満島が黒柳徹子を演じていたときは、黒柳徹子を感じながら同時にそこに満島がいる、という感じがしたのだが、今回の山本耕史にはそれがない。

 簡単に言わせていただくと、「単なるモノマネの域を出ていない」、ということになろうか。 植木等という強力なキャラクターは、残念ながら植木等本人にしかできない。 だからこそ山本は、「山本耕史」 という演技者を自分の中から追い出さねば、植木等になりきれないのだ。

 この危険度は、実は山本だからこの程度で収まっている、と考えたほうがいいかもしれない。 番宣でちらっと見たが、園まりとか伊東ゆかりとか、もうなんというか 「冒涜」 の域なのだ。 もちっと人選を考えたほうがいい。 まあ別にいいけど。

 そうした点でちょっと安心するのは、ナベプロの社長を演じている高橋和也がいかにも当時の業界人を 「ぽく」 こなしている点だ。 あとは伊東四朗サンが植木の父親役としてドラマをしっかりと後支えしている。

 そしてこのドラマでもっとも私が注目しているのは、「昔の芸能人が持っていた矜持、プライドというものをどこまで見せてくれるのか」、ということだ。 世間に対するイメージとはあまりにもかけ離れた植木等の生真面目さ。 「仕事というものはこうでなければならないんだよ」、というある種のストイックさは、現代ではとうに失われたもののような気がしてならない。

 そのせめぎ合いを見せてくれるきっかけが、若き日の小松政夫ということになろうが、若き日の小松を演じる志尊淳は第1回を見る限りかなり浮いた演技(かれは 「表参道高校合唱部」 で病弱な男の子を演じていたのが印象的だったが)。 2回目以降どう変化していくのかは見ものだ。

 それにしてもだ。

 クレイジーキャッツの話をしようとすれば、かなり一家言持っている人が多いのが現実だろう。 彼らをよく知っている人たちであれば、このドラマは噴飯ものであろうことは想像がつく。 私はドリフ世代なのでクレイジーのことはよく知らないほうだが(この歳にしちゃ知ってるほうか)、もしドリフがこのようなドラマになったら、やはりどんなによく出来ていてもかなり辛めに批評するだろう。 人気マンガの実写化と同じような感じ、とでもいうのか。 「よく出来てる」 を超越しないと、なかなか受け入れられない 「難しいタイプのドラマ」 なのではないだろうか。

 まあ、そんな堅苦しいことを考えないで見るのがいちばんだとは思うのだが。

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コメント

このドラマは素通りしてしまったんです。
山本くん、植木等だったんだあ。
後、トットちゃんで古田綱太郎さん?でしたっけ、森繁さんを演じてたの。彼の演技は素晴らしかった。ちょっと真面目だったけど。(笑)
森繁さんの最後の徹子の部屋とか、すごーく雰囲気が出てました。
植木等さんを実演するのは今の若い人達には厳しい気が。ハナ肇さんとかも。
彼らの軽妙さは戦争の重苦しさを経験してのものだし、植木等さんは本人、とっても真面目な人だったらしいし。ノーテンキに思わられるのがすごーく嫌だったらしいし。(笑)
植木等さんに到達するのは大変だわ。(笑)
ただ昭和がもう振り返るものになってるんですね。平成だってもうすぐ終わるし。
いやはや、でも、北は核実験するし、新しい時代はどうなるのかなあ。平和を希求するとはそんなに険しいものなんでしょうか。

投稿: ささ | 2017年9月 3日 (日) 18時12分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

古田じゃなくて吉田、ですね(笑)。 「トットひとり」 では出てくる昔の超有名芸能人たちがみんな似てなかったのがひとつの特徴でもありましたね。

ハナ肇サンは 「あさが来た」 で番頭さんをやってた人でしたが、うーん(笑)。 私なんかの世代では、植木サンよりもハナ肇サンのほうが馴染みがあるんですよね。 「ゲバゲバ90分」 とか 「新春かくし芸大会」 の銅像の人とか。 あの頃植木サンはホントにテレビで見かけなかったなあ。 事故で死んでしまったアイドルの人(高橋、なんていったっけな)や所ジョージサンと共演した 「オヨビでないヤツ!」 というドラマがあって、そのときにかなり期待爆発で見てたので、その時点で昔の 「シャボン玉」(シャボン玉自体は見た覚えはあります…ザ・ピーナッツと病弱なおっかさんのコントとか覚えてる)やクレイジーの一連のヒットなどを熟知していたのでしょう。

「戦争を経験していたことからくる重さ」、というのは、なるほどあるような気がいたしますね。

黄金期のテレビ界、というのは今のテレビ界にとって、格好のネタになるのと同時に、今の体たらくを映してしまう鏡になる。 そこのところも、この種のドラマが難しいタイプ、と言える一因なのではないでしょうか。

投稿: リウ | 2017年9月 4日 (月) 07時47分

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