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2017年9月 2日 (土)

「おんな城主 直虎」 第33回 の話の続き…(31回から34回まで…)

 小野但馬政次の死には周到に用意された発端というべきものがあった。
 すなわち寿桂尼と直虎の最後の会見であるが、ここでこの先長くない寿桂尼は 「今川をよろしゅう」 と涙ながらにしおらしく直虎に訴えて直虎の同情を喚起しながらも、直虎の 「城主ともなるといろいろ大変で」 みたいな反応を見て 「こいつはブー(信用ならないので氏真、あとで殺してね)」 という遺言をデス・ノートに遺したことだ。 直虎も寿桂尼に従うふりを見せて裏では徳川と通じていたのだが。

 まずこの、寿桂尼と直虎双方の「表の顔と裏の顔」、という心理戦が面白かった。
 直虎はおとわ時代、もっとストレートに寿桂尼に対して井伊の安堵を要求していたものなのだが、時を経てその主従関係が変質していたことに、物語の妙を感じるのだ。

 そして寿桂尼の恐るべき裏の顔。
 「武田信玄」 で今は亡き岸田今日子が演じた寿桂尼はただただ今川氏真の無能ぶりを嘆き家臣の裏切りに錯乱をする、怨恨うずまく激情の女であったのだが、浅丘ルリ子が演じた寿桂尼は 「人は裏切るもの」、という人生訓を身に付け、井伊にとっては底の知れない巨大な存在のまま、その生を全うした女として描かれた。 浅丘の演技は氏真による井伊の所領没収という極端な行動を、最後まで蹂躙する印象深いものだった。 記憶に残る名演である。

 そして寿桂尼は 「小野但馬は今川に従うふりをして実は直虎とつながっている」、ということを最後に見抜いた。 これが小野但馬を最期まで窮地に追い込んでいく。
 「領民への借金棒引き」 である徳政令を自分の頭越しに今川に行なわれたことで、但馬は寿桂尼に自分が信用されていなかったことを理解した。 但馬は徳川による今川侵攻という 「将来の予定」 になんとか望みを託して、「ワルモノ」 としての自分のレベルアップを図ったのだ。 但馬は 「表面上」、井伊を井伊谷から追い出した。

 ここで感心したのは、井伊谷から追い出された井伊家の人々の向かった先に、ストーリー上途中まったく忘れ去られてしまっていたかに見えた、「井伊の隠し里」 がにわかに浮上したことだ。

 この隠し里を虎松に見せる機会をここで設けたことで、虎松が井伊の先祖代々に渡る 「この地を守る戦い」 を学ぶ、という話が作り上げられた。 ここで用意された住まいがまったく使われていないのに対して田畑は黄金の実りを迎えているとか(要するに、これだけの田畑を耕すのに、常に人員がこの地に入っていないのは不自然だ、ということ)、ちょっと細かいディティールが疎かになっていたことはこの際見逃そう。
 肝心なのは、虎松がこの地を守る、ひいては一族を守る、という意識をここで育んだ、ということだ。 これはいわば、「なにも資料がないところから作られた話」、のひとつである。 この作者の創造性は素晴らしいと素直に感じる。

 徳政令の時点より、政次と直虎の意思疎通がしばらく途絶える。 これもストーリーにとってかなり重要なポイントであった。 政次が 「フェイクレベル」 のアップを図ったことで直虎側に 「信じているけど何を考えているのじゃ」 と疑心暗鬼の水位を上げていく演出。
 ここに 「虎松の首を差し出せ」、という氏真のさらなる要求が絡んだことで、物語の緊張感は極度に上がっていく。
 ここで作り手は、「別の子供を殺して虎松の首と偽る」、という、このところの大河ではあまり見かけたことのない 「警戒水域」 に踏み込む。 政次の手を子供の血に染めることで、「地獄へは俺が行く」、という政次の死出の旅路はさらに暗示されていく、という設計図だ。

 第31回 「虎松の首」 はこの、首検分の場で大きなクライマックスに達した。 虎松 「とされる」 首を見た直虎。 その瞬間に、それまで天井知らずだった政次への疑心暗鬼が一気に氷解し、「そのために何が犠牲になったのか」、を直虎は理解するのだ。
 この、犠牲となった男の子の首は画面には出てこない。 だが慌てる関口方の言い分によれば 「こんな厚い化粧をしていては誰だかわからないではないか」。 つまり政次が斬ったのは、疱瘡で余命いくばくもない子供の首だったのだ。
 そのことを一瞬で理解した直虎は、その首を抱きしめ読経を始める。 これは関口への芝居、という側面も兼ねているが、尼小僧である直虎の紛れもない自発的行動だ、というところが作り手の優れている点だ。

 作り手はさらに、関口の謀反への足掛かりもここで同時につけていた。 こうした複数の小さな川の流れが合流していくから、「大河ドラマ」 という物語は成立していくのである。

 第32回 「復活の火」 では、関口が今川から徳川に寝返り、ようやく直接的会見がなった直虎と政次の間で、「徳川が井伊谷に来れば無条件で城を明け渡す」、という段取りが組まれる。
 しかしここで合流していく支流に異端子が存在した。 今川から目付三人衆のひとりとして井伊の目付をしていた近藤氏である。
 近藤氏はもともと自領の木材を井伊(正確には龍雲丸一味)に盗まれ、その後仏像事件などで遺恨を募らせていた。 だから小野政次の死の発端というのは寿桂尼の判断からでなく、材木盗難事件からさらに作り手によって周到に仕組まれていた、と見てもよい。

 結局城明け渡しの際に近藤が仕掛けた見せかけの徳川への攻撃の際に、直虎はその不穏な空気をいち早く察して政次に 「これは罠じゃ、逃げよ!」 と叫ぶ。
 政次も瞬時にそれを悟りその場を撤収するのだが、近藤が徳川に対して 「小野は信用がならぬ」 と言い出すのも、直虎と政次がとっさにそのような行動を取ったのも、これまで相手を調略し欺いてきた経験則がモノを言っていることに注目すべきだろう。 そこを 「リアルではない」、と考える人たちは、「状況の混乱」 という場に出くわしたことがないのだ。

 今の世の中は、なんでも 「ああすればよかった、こうすべきだった」 という 「結果を見てモノを言う」、ということがまかり通っている。
 しかし咄嗟のときに最良の方法をとれるケースなど、どれほどあるのだろうか。 咄嗟でないにしても、事務的な申し送りでもない限り、「この人とはこういう話で自分の思う方向に持っていこう」、と臨んで始めた会話で、その通りになることがいかに難しいか(そして分かっていても間違っていることをしてしまう、という、自ら持っている人としての業by植木等、みたいな?)。
 

 そして第33回、「嫌われ政次の一生」。

 ここでも 「こうすればもっとよかった」、という 「判断の分かれ道」 は多数存在する。
 そのもっとも主だった点と言えば、之の字、すなわち中野直之が徳川入城の際に弓を射かけた近藤の手の者を捕まえながら、自害を許してしまったところであろうか。 例え亡骸であろうとも、中野がその者を近藤の前につき出せばまだ、遅れて入城してきた家康にも申し開きが出来る余地というものが残されていたのではないか、ということだ。

 だが、そもそも家康も近藤を少し疑ってかかっている。 それなのに、政次の逃亡を促したことで牢に入れられた直虎に対して、家康は土下座をし、ザザムシのようにそのまま後ずさりして退場していく(笑)。

 これはどういうことだったのだろう。

 これはあまりに早い武田方の今川攻略でいちいち井伊谷の揉め事にかかずらわっている時間がなくなった、ということなのだろうと思うが、ここで気になるのは徳川の家臣で江戸時代には老中の重職を代々務めることになる酒井氏のふるまいである。
 先のコメント欄にも書いたのだが、私がここ数回気になっているのは、虎松、のちの井伊直政が徳川の家来になる、というのに、このドラマの中での徳川、そして徳川の家臣のイメージがとても悪い、ということだ。 作り手は政次が死んだあと、どのような筋書きで井伊を気持ちよく徳川の配下にしていくのだろうか。 第34回の 「隠し砦の龍雲丸」 ではさらに、気賀があまり上品とは言い難い形で徳川に下っていく。

 この徳川を束ねる家康も、発展途上の段階であるとはいえ、あまりにも頼りない描かれ方で、直虎が昵懇の瀬名姫をつてとして頼っているのは分かるのだが、「今川を裏切って徳川に寝返る」、という価値のある男なのか甚だ疑問だ。 これほど頼りなく家来たちの心証が悪いのであれば、その時点であれば武田方についたほうが得策なのではないか、と思う時がある。
 しかしこのドラマにおける武田信玄の描かれ方は、中井貴一主演だった大河 「武田信玄」 とはまるで逆。 いや、トータルなパブリックイメージでいけば中井の 「信玄」 のほうが真逆だったのだと思う。 信玄と言えば調略謀略。 今回の松平健のようにゲハゲハ笑いながら謀りごとを楽しんでいた、そうだとすれば直虎にとって武田につく、という選択肢にはなり得なかったのだろう。 もともとの発端は武田信玄が正室の息子を死に至らしめてその息子の嫁だった今川の娘を返したことから武田・今川・北条の三国同盟を一方的にないがしろにしてきたことなのだ。
 それが、のちに 「赤備」 という共通項で井伊と武田は語られるのだから興味深い。

 この武田のあまりに早い 「侵掠」 が小野但馬政次の判断を 「狭めた」、ということもこの第33回では見てとれる気がする。
 城明け渡しの場から逃亡した政次は隠し里に文字通り身を隠すが、「そこから申し開きの手段を模索するということはできなかったのか」、という疑問もふと浮かぶ。
 けれども申し開きをしようにも、徳川は武田の援軍に駆り出され、井伊谷城を任されているのは近藤氏。 政次が出した結論は、「近藤は井伊のことよりもこれまでの遺恨により小野を潰すことを狙っている。 だったらここで近藤の思い通りにすれば、徳川による井伊の疑いは晴れ、さらにことの真相を知る(いや張本人である)近藤は今後井伊に負い目を作ることになり、けっして手出しが出来なくなるに違いない」。 つまり、「俺ひとりが犠牲になれば、もっとも血が流れなくて済む」(龍雲丸に語った本人の証言)。

 そして政次は、近藤の寝所を急襲し、わざと捕まるのだ。

 ここから物語は一気に大河の急流に差し掛かるわけだが、これらのくだりはここまで今年の大河ドラマを引っ張ってきた小野政次、彼を演じた高橋一生に対する作り手の敬意に包まれている。

 政次はこうした危機的状況になる前から、義理の妹であるなつと夫婦になる約束を交わしていた。 これは、自らの直虎(おとわ)に対する思いがあまりにも激しすぎることに戸惑ったせいなのかもしれない。 「今川がなくなれば次郎様(直虎)と一緒になれない理由がなくなる」、と考えていたなつに、政次は膝枕をせがんでいた。 その姿はまるで子供のように無邪気で、政次が望んでいたのは 「休息が出来る膝」 だったのではないか、と想像させるに難くない。 それを直虎に望むのは上下関係から無理であり、また直虎の性格を考えれば、それは直虎にとって酷であろう。
 政次にとって直虎は、「同じ苦難を一緒に戦ってきた戦友」 になり過ぎてしまった。
 直虎に対する幼い頃からのその思いを振り切ったからこそ、政次はこれから起きる人生最大の試練に立ち向かうことが出来たのであろう。

 近藤の寝所を襲った政次はボコボコにされて直虎と入れ替わりに牢に入れられるが、その際に直虎と言葉を交わした際、「私のことを信じていたとはおめでたい」 などと不遜な口を聞きながら、政次は直虎のことをじっと見つめ続ける。

 この、「目で何かを訴えかける」、というのが政次がとった最後のコンタクトの方法であった。

 前回述べたように、政次から託された白い碁石に、直虎は 「我をうまく使え。我も、そなたをうまく使う」 というかつて政次に言った自らの言葉を反芻させていく。 そして至った、ある残酷な結論。

 辞世の句を書き終え、牢から出される政次。 右足を引きずり、極度に猫背なその姿は、近藤方に相当痛めつけられた証であるが、まるで小男のようであり、惨めさが全身から漲っている、高橋の迫真の演技だ。
 刑場へと連れて来られた政次は、直虎と目が合う。 惨めななりをしているのに、その目だけは一直線に、直虎を貫くかのようだ。
 直虎も熟考の末至った残酷な結論を、目だけで政次に知らせようとしている。 結末を知ってしまっているからこのような書きかたが出来るが、じっさいのところこの時点で直虎の結論など見ている側には分からない。 それでもこの視線のまっすぐな交差が、見ている側に与える重々しさは尋常ではない。

 磔にされ、ふたりの執行人が政次を槍で突こうとしたその瞬間。

 直虎がそばにいた者の槍を奪い、政次に向かって突進していく。

 驚く南渓和尚、傑山、そして近藤。 政次を見据え、構える直虎。

 鈍い音が響き、うなだれる政次。 政次をひと突きにしたのは、直虎だったのだ。

 「地獄へ落ちろ…小野但馬…!

 …地獄へ…!

 ようも…ようもここまで我を欺いてくれたな…!

 遠江一、日の本一の卑怯者と、未来永劫語り伝えてやるわ…!」

 憎しみに歪んだ直虎の表情。 だが政次は、「そうだ、それでいいんだ」、というようににっこり笑い、血へどを吐く。 そしてこの人生すべてを懸けた大芝居の大団円を、自ら演出するのだ。

 「…笑止…。

 未来など…

 もとより、女子(おなご)頼りの井伊に…未来などあると思うのか…!

 生き抜けるなどと思うておるのか…!

 家老ごときにたやすく謀(たばか)られるような愚かな井伊が…。

 やれるものならやってみよ…!

 地獄の底から…!

 見届け…

 …

 …」

 息絶える政次。

 政次の最期、それまで憎しみをたたえていた直虎の目から、急速に光が失われていく。 そしてあるがままを映すだけの静かな目になっていく。 高橋の渾身の演技にこたえるように、柴咲コウの目だけの演技も、ここに最高潮に達した。

 近藤に向かって一礼をし、その場を去る直虎。 長い間大河ドラマというものを見てきたが、このシーンは確実に、永く伝えられていくシーンであると断言する。 話によればこのシーンは、すでに出されているノベルティ本にもなかったラストシーンであったようだ。 ノベルティ本で先読みしていた人たちにも、さぞショッキングなシーンであったことだろう。

 近頃ではドラマの中で人気のある人が死んだりすると○○ロス、というのが流行っているようだが、いちばん政次ロスになったのは直虎であった。 次の第34回で直虎は記憶の退行症状をきたし、自分が政次を槍でひと突きして殺した、という事実を忘れてしまっていた。
 だがその間にも気賀が徳川方の酒井の手によって無残に蹂躙され、盗賊の連中もあまりに簡単に、無造作に殺されていく。 そして龍雲丸も…?これは直虎の夢と交錯して事実なのかどうかまだ分からない。 だが直虎にとって茨の道は、当分続きそうな気配ではある。

 あ~ここまで書くのに2週間近くかかったぁ~。
 もうダメだなこのブログ。 気力が続かない。 年も年だし。 とりあえず皆様にこの駄文をお届けいたします。

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コメント

ひえ〜〜。リウ様!格調高い記事、お久しぶりです。
高橋一生と柴咲コウちゃんのお芝居も報われるでしょう。多分二人でこの一年築き上げた関係によるクライマックスだったです。
この記事、読み応えあるわ〜〜。
二人の最後のセリフは、今に至るまで小野但馬が悪役として厳然と存在させられてる理由になりますよね。それを、不自然に見せない。
尚且つ直虎の城主としての激しさを見せてる。苛烈さを。
虎松の首の時、直虎自身の慈悲深さ、優しさを表現していたけれど。彼女を身代わりになってくれた民の子を我が甥と、それ以上に案じて泣き経を読んだ。そうするであろうと見越した小野但馬、打つ手はぴったり。
徳川の今一信用出来ない件。まあ、しゃあ無いでしょうね。だって、まだまだだもの。
井伊さん頼みの瀬名ちゃんだって、織田信長の命令で?殺されるお約束。そういう因縁があっても、菅田くんの頃には主従関係が結べるという不可思議さですね。そこには家中のバランスを取りたいという配慮とかあるんでしょうか。
目下政次ロスで退行中の直虎にとって徳川もどうでもいいかもですが。(笑)

投稿: ささ | 2017年9月 3日 (日) 13時03分

リウさんこんばんわ。期待していた続き見れて
大変嬉しいです。これ書くの確かに2週間かかりますよね。でも燃え尽きますからこのレベルの力作は
半年に一回でいいですよ。質問です。なつから見て
政次は義兄となっていますが、元々なつは誰の妻で、
なぜ政次に恋心のようなものをもったのか。
分かっていたら教えてもらえませんか?

投稿: ドラマ大すきおやじ51才 | 2017年9月 3日 (日) 23時19分

消えてしまったの分けて書きました。
近藤の件リウさんと解釈が少し違いまして
ワタクシ思うに近藤は政次を悪者に仕立て、
自ら処刑することにより家康から信任を
得ようとしたがそれを直虎が阻み近藤の
はかりごとをつぶし政次を自らの手であやめた。
介入せずに逃げた家康にとても申し訳ないという
気持ちにさせ、今後、井伊家の立場を近藤より
上にさせるか、そうならないまでも近藤の
いいようにはされないようとりはからって
もらう目的があったのかな~と思いますが
いかがでしょうか。

投稿: ドラマ大すきおやじ51才 | 2017年9月 3日 (日) 23時40分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

おほめいただくと、長いこと頑張った甲斐がございます。
本当はもっと長文だったのですが、例によってポンコツPC、エラーを起こしまして後半の文章の大半が消失。 え~いもういいや、と思いましたがなんとか形にできました。 ただそのかわり、後半はかなりあっさりとしてしまった気がします。

政次と直虎の最期の罵り合いは、うわべのフェイクぶりと同時に、逆説が入っていたりして結構ふたりの真意を読み説き始めると深いものがあります。

「地獄に堕ちよ」 というのは、直虎の完全なるフェイクなのですが、それに対して 「笑わせんな」 という但馬の言葉は、直虎に対する叱咤激励とも受け取れる。 それを直虎が理解し読み砕いていくとき、直虎の表情からフェイクの感情が消えていく。

「地獄の底から見届けてやるぞ」 という言葉を、但馬は最後まで言葉にできなかった。 このことも重要な点のように思えます。 「見届け…」。

つまり但馬は、直虎に対して徹底した悪を全うできなかった。 「見届ける」 のではなく、「見守る」 ことが但馬の真意だから。

そのことに思いを致すと、また別の感慨がわき起こってきます。 それほどこのシーンは深い。

うーん、しかし昔は、こんなの2日くらいでパッパと書けちゃったんですが…(笑)。

投稿: リウ | 2017年9月 4日 (月) 07時23分

ドラマ大すきおやじ様
コメント下さり、ありがとうございます。

なつというのは、政次の弟の嫁さんだったと思います。 あまり傾注して見てなかったせいもあるけど、なんか 「この人ってそもそもナンダッケ?」 という最たる人物かと思います(笑)。 政次の弟は確か桶狭間かなんかで戦死して、なつはそのまま小野の家にとどまった、みたいな感じかな~? どうも 「お義兄様」 とか、近親恋愛っぽい淫靡な感じがしますよね(爆)。

もともと夫(政次の弟)が死んじゃってますから、小野の家に未亡人のままいるのは不自然だったのかな、とも思いますが、そこで政次に優しくされたんでしょう。 それで恋愛感情がむらむらと…(ムラムラって、ヤラシイな…笑)。

もうひとつのご質問ですが、ん~今イチよく分かんないです。 なにしろここ数回の描写では、徳川にとっちゃ井伊なんか味方につけても別に、みたいな感じでしょう。 井伊谷城が要所にあることとか、気賀(瀬戸方久)の実質的なオーナーとか、そんなことくらい。 「近藤のほうが武力的に頼りになる」、みたいなことを徳川の誰かがドラマの中で言ってましたよ。 つまり兵の数が、井伊は致命的に少ないということでしょう。 つまり近藤にとってはもう井伊より相対的に優位に立っているのであって、結局残っているのは小野への遺恨だけ、というように私には思えました。

投稿: リウ | 2017年9月 4日 (月) 08時05分

最新回も見ました。気賀のその後と直虎の再生。
人は人の命を助ける事で、無くした命の喪失を補う事が出来る。
龍雲丸は手下達を、直虎は政次を。
大切な愛おしい命は、自分だけを置き去りにして去ってしまった。
でも、直虎は龍雲丸を助ける事で癒され生かされ、龍雲丸は直虎の経に癒される。
武器を売るより薬の方が儲かる!ムロさんの変身は、商人魂と呆れもするけど、でも、気賀を汚く攻められ、生き残った中での、命を奪うものより助けるものという、NHK的教訓でしょう(笑)
一休みのような回でした。
コウちゃんの歌うようなお経はとても典雅でした。極楽浄土にみんな行ける事でしょう。

投稿: ささ | 2017年9月 7日 (木) 19時19分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

35回。

レビューを書こうかな、と思いましたけど、ささ様に全部書かれてしまいました(笑)。 今回の主な目的は、「但馬の死をどうやって乗り越えていくか」、だったと思います。

気賀の惨状を自分の苦しみに転嫁してしまう直虎。
自らの傷を癒すには、やはり他人の傷を癒すことが、他人の苦しみに寄り添うことが、いちばんの良薬になったのだと思います。

自分ばかりが苦しい、他人の苦しみなんか分かるはずもない、癒せるはずもない、などと思っている精神的引きこもりの人たちには、到底理解できない内容でしょう(ヤフー感想欄でこのドラマの批判をする輩への皮肉です)。

まあ、方久の 「カーン」 には参っちゃいますが(金目のものを叩く効果音でもいい気がするが)、一枚の紙に書かれた隠し里からの便り。 碁の攻め方や之の字の変わりように、政次を思い出させる作りになっていて、知らず知らずホロリと来ていました。 政次のショッキングな死のところでは泣くことはなかったけど、こういうところでじわりじわりと攻められると弱いものです。

投稿: リウ | 2017年9月 8日 (金) 07時12分

人は生きてれば何回でも立ち直れるのです!打たれ弱く、踏み出す前に傷付く事を怖れ何もしない人、そして高みの見物を決め込みしたり顔でこの世の常識という個人の見識で人の生き様をあれこれ言う人。私もそうです。この年になると一歩引きます。(笑)
でも、ネットでそれがネガキャン化されてると、自分がそう思ってても(笑)同調したくなくなります。あまのじゃくだもの。(笑)ネットの世界って悪い風評、強い語調の方が表に出やすいですよね。
政次が他の人達にモノマネされて生き残っている。そこには憎まれ役だったけど、井伊では鶴ちゃんのままなんですよ。そういう田舎の仲間意識、ふるさとの温もり。日本人だなあと思います。鶴ちゃんますます地獄に行けないです。(笑)
でもですよ、来週、コウちゃん、井伊の再興を諦めたかのような事を。どうなるのかなあ。(笑)

投稿: ささ | 2017年9月 8日 (金) 07時58分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

「私もそうです」 と言い切ってしまうところが、ささ様の潔いところだと思います。 私もレビューという名の 「批評」 をしている以上、彼らと同じ穴のムジナになる可能性は常についてまわっています。 でも、自分では分別を持って批評している、と思っちゃう。

個人的な好き嫌いはどうしてもあります(笑)。 高橋一生クンが苦手とか柳楽クンがどうも…とか(このドラマを引っ張るイケメンだらけじゃないですか…笑)。 まあそういう個人的感情はここのコメント欄で書くようには極力してますけど。

政次ロスをこういう形で癒しにかかった、というのはとてもよく考えたものだな、と感心しました。 氏真と家康の会見も、氏真の 「蹴鞠で決着を」、という提案は、確かに少しあり得なさそうな話だけれども、「それでも戦になるときはなる」、と続けた氏真の言葉のほうが作り手の本意を伝える言葉だと思うのです。 結局相手を殺せる道具がそこにある限り、人は相手を力でねじ伏せたくなる。

だいたいこの時代、もののふは長~い包丁持ってますからね(笑)。

投稿: リウ | 2017年9月 9日 (土) 07時56分

先週の回で、おとわちゃんが嫁?になる急展開。(笑)
三番目の男が一番生存能力が高いという原始に戻ったような。
で、虎松は松下に養子に行きました。
しょうがない。だって、鶴ちゃんしか内政外交、こなせる家臣いなかったんだもの。人がいいのと威勢がいいチビちゃんはいたけど。
鶴ちゃんといえば、鶴ちゃん追悼CDが売れてるそうです。陳腐な残酷さと言われようと、嫌われ政次の生涯は、高橋一生という爪跡を残した!という事みたいです。もう西郷どんの撮影が始まってるらしいですね。主役の方、かなりがたいが良くなってました。翔ぶが如くの西田さんを超えられるでしょうか。(笑)台風が来るようです。リウ様、ご自愛くださいませ。

投稿: ささ | 2017年9月17日 (日) 09時25分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

いきなりスイーツ的展開みたいな感じでしたけど(笑)。 でも 「井伊家再興を諦める」、と決断したあとの直虎の気持は、会社を休業した私の経験と重なる部分もあり、「我慢させたのはワシかな」 と直虎をいたわる南渓和尚に、思わず落涙してしまう直虎に私ももらい泣き。

西田サンの西郷さんにも私ちょっと違和感を抱いたクチですが(いや、本編を視聴するにはまだ至りませんでした)、西郷さんをホントに違和感なく演じられた人って、誰だったでしょうかね。 いないなあ。

その生き方で納得できたのは、「篤姫」 での西郷さんかな。 あとはちょっと 「なんでそうなるの?」 みたいな西郷さんが多かった気がします。

台風で九州、宮崎は大変な模様。 遠い土地だとあまり実感も湧かないところなのですが、ささ様ゆかりのところなので気にかかります。 関東は今のところ暴風という感じではないですが、これからどうなのでしょう。 だいぶ涼しくなりました。

投稿: リウ | 2017年9月17日 (日) 12時33分

質問。トットちゃんが始まるのはやすらぎの郷の後なんでしょうか?
で、今週の直虎も見ました。
来週は菅田将暉だわ!しか感想が持てなかった。
でもまあ庶民の幸せは皆平凡なもの。
だから孫を抱いてみたいも素朴な願いですよね。
高瀬間諜説。ここで復活。
しかし、タイトルだと火を放ったのは武田みたいでしたが、ドラマでは近藤さんでした。
また選挙みたいですね。大義なき選挙と言われますが大義ならあるでしょ。自民党の勝利!というのが。選挙は勝ってこそなんですから。ついでに数は力でしたっけ。(笑)すでに負けそうな民進党なんぞの負け犬の遠吠えが情けない。
かけいとかどっかの小学校とか、面倒くさい事も選挙で目くらましできるし。一挙両得以上じゃん。(笑)
しかし投票率低いでしょうね。でも政界は一寸先は闇でもあるし、絶対の勝ち戦にも何が起こるかわからないかも。ドラマの武田みたいに。
ついでに財政赤字はますますひどくなった気がするんですが気のせいなのかな。娘世代は年金もらえないんじゃないでしょうか。払うだけで。(笑)

投稿: ささ | 2017年9月20日 (水) 18時10分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

そうです。 「トットちゃん!」 は 「やすらぎの郷」 の後番組です。 10月スタートです。

「やすらぎの郷」 についてのレビューをしたのですが反応がないので消そうかと思っています(笑)。 反応がない記事はもう全部消そうかな(自虐的笑)。 まあ、読まれたかたもとっつきにくいエラソーな書きかたしてるのでコメントも出しづらいでしょうが…(笑)。

今週の 「直虎」 はまだ未視聴ですが、選挙については反応いたします(笑)。

そりゃ自民党以外、票を入れるとこない状態だから安倍サンも決めたんでしょうけど。
「そこしかないから」 という1票が、「全権委任」 みたいになってしまう繰り返しが、我が国の選挙。 結局大勝ちさせりゃ好き勝手放題されるからと、野党に入れても野党の国会での攻め方と言えば与党のあら探しやイチャモンだけ。

カケモリ問題を 「半沢直樹」 とか 「小さな巨人」 とか、テレビドラマの構造に当てはめると、もう政権与党にとどめの一撃、クラスの追い詰め材料なんですよ。

それをテレビドラマ的に政権与党の反撃の仕方を考えた場合、攻撃をしてくる側の弱点を突いてくる方法とかあるんですが、文科省のなんとか言う人のキャバクラ通い問題が出たとき、「とてもテレビドラマ的手法だな」、と思った。

しかし現実の政権与党はさらに狡猾だった!(笑)

まず国民に対し謝り倒し、反省しまくる(爆)。

そして内閣を改造してアベ自身に批判的な人物を入れて批判の矛先を微妙にぼかす(仕事人内閣やら、いったい何ヶ月の寿命?)。

そして北朝鮮のミサイル攻撃、という外憂を自らの右寄り傾向を利用して 「有事の際に頼れるイメージ」 を最大限にアピール。

そして国内での敵(民進党)の弱体化を最大のチャンスと見て、カケモリ問題で信用を失墜した自分の党のダメージを最小限に抑えようとする。 選挙というのはレームダック化した政権には禁忌のカードなんですが、犠牲を出しながらなんとか消費税増税だの自分たちに都合のいい政策をいくら出しても 「国民に信任されたから」 とか涼しい顔でやろうとしている。

もうさ。 なんというか。

与野党誰にも票なんか入れたくねーよ、つーか。

いっそのことみんなでボイコットして、投票率10パー以下に出来ないもんですかね? みんなで白票出して。

いくらなんでも投票率が一ケタだったら、バカな政治家どもも目が覚めるんじゃなかろーか。

投稿: リウ | 2017年9月21日 (木) 07時21分

やすらぎの郷って連続ドラマでしょ?
日中仕事に出てる人はまず見られないです。(笑)そうすると毎日見られるのは在宅の主婦(主夫)や、夜の仕事の人、それに会社のお昼休みに見られる幸運な人。入院してるとか。
ドラマに出てる人達と同じ高齢者だって、どうでしょう。
その中大きな話題になったのは意義がありますね。リウ様もレビューしてくださったわけだし。これって貴重な幸運な作品ですよね。(笑)
他に入れるとこないし、でも選挙は義務だし。
苦しい二択だわ。
戦う前から腰砕けの野党に言いたい!あんたら野党の価値すらないよ!
自民党って凄いわ。不倫だ、ハゲパワハラだ!でもみんなやってるんだよで誤魔化せちゃう。
今不倫は民進党の幹事長候補だった人でしょう。(笑)斉藤由貴のあやうさ妖しさには全く及ばないけれど。斉藤由貴ちゃん、アラフィフであれだけ可愛かったら男もよろめくって!(笑)彼女に道徳だの罪だのと説くほど神様は野暮じゃないと思いますよ。
だいたい、めかけや二号さんや現地妻が当たり前の政界。不倫ごときで騒ぐなと言いたい。きっと、このハゲー!の方が傷ついている人多いと思うんですよね。(笑)
どっちにしろ、男社会だから、女の不倫に厳しいのね。(笑)ああ、選挙、誰が出るんでしょう?

投稿: ささ | 2017年9月21日 (木) 07時50分

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