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2017年10月 1日 (日)

「ひよっこ」 愚痴や恨みのない世界(開始1ヶ月の感想)再構成のうえ再掲

おことわり この記事は最初、去る5月4日にアップしたものですが、諸事情によって一時期引っ込めました。 今回、「ひよっこ」 の新たな記事を書くにあたって、問題となった部分を削除し、新たにアップしてこのドラマの開始1カ月後に自分がこのドラマについてどう考えていたかをお知らせしたいと思います。 なお、頂いたコメントもそのときのままです。 どうぞご了承ください。




 「ひよっこ」 は朝ドラの脚本家としては過去に2作品、「ちゅらさん」 と 「おひさま」 を手掛けている岡田惠一氏の作品だ。
 朝ドラは1週間換算で正味1時間20分程度のヴォリュームのドラマを少なくとも半年続ける、という、脚本家にとっては大河ドラマ以上のスタミナと饒舌と構成力が試されるドラマである。 これを2本以上やってる脚本家というのはあまりいない。 橋田壽賀子サンが該当するが、1年単位でやってるしあまりにも格が違いすぎる(笑)。 あの人怪物だから(笑)。

 「おひさま」 は脱落したから評価のしようがないが、岡田氏の作品に共通するものと言えば、「根っからの悪人が出てこない」 こと。 それが 「物足りなさ」 につながってしまうとこがある。 私にとって 「おひさま」 がそうだった。
 今回、朝ドラにとっては久しぶりに 「モデルがいない」 オリジナル脚本になったのだが、最初のうちはなんとなくこのドラマの方向性というものが分からなくて、「おひさま」 のケースを踏襲してしまうのではないか、という危惧が私にはあった。

 しかしそれは杞憂だったようである。

 このドラマの作りは、極めて丁寧だ。
 「ひよっこ」 の丁寧さには、その時代の空気に寄り添った取材力がまずモノを言っている。

 このドラマはまず1964年の東京オリンピック、という空気の中で始まるのだが、奥茨城編のメインの出来事はこの村独自(主人公ほか友人2人主導)で企画した聖火リレーだった。 そこに主人公の父親(沢村一樹)が東京の出稼ぎ先から失踪する、という話が螺旋のように絡み合い、細部のエピソードによってきちんと時代の空気を再現している。
 そしてそのエピソードのなかで、登場人物たちの性格描写が着実に行なわれていく。 これは、きちんとキャラ設定していないと出来ないことでもあるが、脚本家自身の人に対する観察力がしっかりしていないと、会話それ自体の想像力も喚起されない類のものなのだ。
 「ひよっこ」 の丁寧さの原点には、脚本家の、人に対する温かい目、という心のありようが深く関わっているように、私には思える。

 その脚本家の心情の中心にあるものは、「人を信じようとする心」 にあるのではなかろうか。

 このドラマ、失踪した父親に対して、誰も愚痴も文句も恨み事も言わないのだ。

 普通だったらダンナが蒸発なんかしたら 「まったぐなんで無責任なの! 家計が厳しいごとを自分から娘のみね子にしゃべってたほどなのに!」 でしょう。 今の若い奥さんだったら 「ザッケんじゃねーよ! なに考えてんの? マジ? 信じらんないんですけど」 といったところか(笑)。

 娘のみね子にしたって、「おどうさんどうしたんですか?」 なんてモノローグしている場合ではないでしょう(笑)。 「はァ?」 てなもんで(笑)。 「どーすんだよクソオヤジ!」 でしょう(笑)。

 それが、母親(木村佳乃)も娘も、一切そういう下品なことは言わない、どころか考えもしない。
 となると、ここでおじいちゃん(古谷一行)が、蒸発した自らの息子をディスらなければいたたまれんではないですか。
 しかしこのおじいちゃんも、それをしない。 「なにか訳があるんだべ」 みたいな感じで。

 ここで誰も、父親を責めないというのは、これはこの時代、こうした片田舎、そういう条件が揃っていたからなのだろうか。
 いや、いくら無垢な人々だからといって、父親の責任感を疑うこともしないのは、あまりにも清純な世界すぎる気がする。

 私は考えるのだが、これはもしかすると今の 「なにかありゃ全部人のせいまわりのせい」 みたいな風潮に対する強烈なアンチテーゼなのではないか、と。
 岡田サンは 「無垢」 ということについて、かつて傑作 「泣くな、はらちゃん」 で持論を展開していた記憶がある。 マンガの世界のはらちゃんは、「無垢」 を体現して現代社会を批判するツールとしてこの世に産み落とされた。

 主人公みね子と母親はここで、同時に自らの心の中に 「叫びたい子供」 を宿したように私には思える。 ことあるごとにそれは息堰切って涙となって流れていくのだが、それは日々の暮らしのなかでどこか自らの心に無理をさせている、こちらの琴線を大きく揺らすきっかけとなるのだ。
 小難しいこと言ってるけど、茨城編の後半はなんか、毎回見るたびに泣いてたのだった(笑)。
 それに加えてみね子の同級生の男の子の母親、柴田理恵サンが息子につらく当たるのはいつかここを出て行ぐ人間だからだったと号泣するのを見てももらい泣き。 バスの車掌の思いを聞いてももらい泣き。 もちろん聖火リレーでももらい泣き。 こんなに毎日泣かせた朝ドラは、ついぞ記憶にない。 「おしん」 以来かと思うほど(ずいぶん昔だぞ)。

 東京編に入って3日ばかりたったが、環境の激変、ということがこの週のひとつのテーマになっている。
 それを際立たせるために、茨城編では主人公の友人を2人しか登場させなかったのだろう、と感じる。 東京に来てからの同世代の女の子の、なんと多いことよ。
 ここでも主人公のモノローグは、失踪したままの父親に対して向かい続ける。 みね子の心の支えは、父親にもう一度会えることひとつに絞られているのだ。

 描写の丁寧さは相変わらずだ。 会社の寮での時間割を事細かに視聴者に提示し、トランジスタラジオ基板組み立て作業の内容もきちんと説明して、アイルランドの動向まで話に盛り込む。 これはきちんとした調査取材があって初めて可能になる、視聴者を話に引き込ませる種類の 「丁寧」 なのだ。

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コメント

>これを2本以上やってる脚本家
「おていちゃん」「なっちゃんの写真館」「はね駒」
の寺内春子さんがいますが。特に
「なっちゃんの写真館」は「カーネーション」の
アンチテーゼ(というより、むしろ逆)的な作品で
勘助や奈津、太郎らの名前の由来らしいです。

>「おひさま」
震災の影響もあってシナリオのテコ入れが入って
以後の「梅ちゃん」「あまちゃん」が視聴率、話題性
で成功した事もあって正統派がウリの東京NHKが
コント路線に傾いてしまいましたからな…。
「花アン」で極北に行ってしまった感があり
「ごち」の後に再放送がやならいのは遺族が公の場で
クレームを出した作品だからなのではと…。
「ヒロイン絶対主義」「視聴者に媚びたドジっ子」「KY」と
過去三作品ヒロインの問題点を全て併せ持っていました。

岡田氏とはして発端となった「おひさま」リベンジなるか?
聖火リレーの背後に今時の建物がチラ見えたのはとりあえず無視(笑。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

さすが朝ドラのリヴィングディクショナリー巨炎様(生き字引?…笑)です。 ご注釈いただきありがとうございます。 寺内春子サンか…。

「おひさま」 がアレだったのは(笑)シナリオ変更、という事情があったからなんですね。 これも初耳です。 なんも知らんな(笑)。 思い出すのは、斉藤由貴サンがかなりウザかったことだけ(ハハ)。 どんなドラマだったかも忘れてます(最近どんどん昔のことを忘れている自分がいます)(アブナイな)。

最近じゃ簡単にCG技術とやらで電線とか消せるらしいですけど、ホント昔の雰囲気を再現するのが大変な時代になってしまったんですね。 出てくる昔の車(ボンネットバス)なんかいっつもピカピカで(笑)。 あんなピカピカの車、昔は走ってませんでしたよね。

スイマセン、春子じゃなくて小春でした。

>斉藤由貴サン
「はね駒」の主演でした。新人女優登竜門だった朝ドラが
アイドル女優なども既往し始める切っ掛けでしたが
「あさが来た」以前は最古の時代を扱い
「カーネーション」と双璧的なハードさがありました。
祭りの神輿に近づいてしまったら
「女が触ると穢れる」と言って突き飛ばされています。

斎藤さんは「おひさま」の頃は太ってましたね。
「真田丸」の頃はダイエットして
他のドラマでも波留さんと共演してましたが。

巨炎様
ご訂正の追コメント、ありがとうございます。

斉藤由貴サンは歌のファンだったので(『卒業』くらいしか後世まで残ってないけど、『情熱』とか『白い炎』とか、初期にはいい曲多いんですよ)「はね駒」 は注目して最初のほうは少し見たのですが、なんかリタイアしちゃってたなー。 あの頃朝ドラ見るって習慣がなくて、「おしん」 とか 「はっさい先生」 とか、突発的に見てました(笑)。 まあ学生時代は朝ドラって、あまり馴染みのないものですよね。

斉藤由貴サンは最近痩せすぎだと思いますが(笑)「おひさま」 の頃、…ん~確かに太ってたな~(笑)。

リウ様

こんにちは。
数年に一度、投稿させて頂いているNobuです。
岡田氏は「おひさま」で盗作した過去があるため、私は彼を信用していません。
過去の作品では視聴者を随所で泣かせる素晴らしいモノをお持ちなのですが、それは彼の人間性から出たモノではなくテクニックであると感じています。(これは盗作を知る前からです)
泣かせのテクはハマれば感動を呼び、外した時は失望感しか生まれません。

とりあえず本作は失望せずに観ています。
リウ様ほどのお方も岡田氏を推しているようですしね。

Nobu様
コメント下さり、ありがとうございます。

盗作してるんですか。 知りませんでした。

岡田氏の作品を最初に私が意識したのは 「ちゅらさん」 ですが、ここから数作岡田氏の作品をフォローしてきてトータルで感じるのは、本文にも述べたように 「出てくる人が結局みんな温かい」、ということです。 それは岡田氏が、人間というものを私のように冷たい目や皮肉な目で見ていないことからきているからなのではないか、と感じています。 そこに岡田氏の作品に流れる 「居心地の良さ」 というものがあり、同時に 「物足りなさ」 というものがある。 だから別に、いつも 「推し」 てるわけでもないです。

ただテクニック、と言い出しますと、素直に作品を楽しめなくなってしまう危険性もある、と感じます。

例えば手塚治虫氏は 「(物語上で)人を殺せば感動が生まれる」、という姿勢で宮崎駿氏を大いに失望させた、という話があります。

それはある意味手塚治虫氏のテクニックですよね。

でも実際に作品になったものを読むと、登場人物が死ぬことによっていろんなことをこちらは深く考えさせられるのです。 まわりに大きな影響のある死、ゴミのように死んでいく死。 実際、死はいたるところに転がっているのが現実です。

それを、「どうせ死なせることで感動させようとしてるんだ、これはテクニックだ」 と考えながら読んだら、手塚があまりにあくどいやつだ、という認識しかできなくなってくる。
テレビドラマとて同じことなのではないか、と私は感じます。 「どうせ泣かせるテクニックがあるんだ」 と思い始めたら、素直に楽しめないではないですか。 まあ、「そのような創作姿勢の作り手のドラマなど見たくない」、というのも各個人の自由なのですが。

さらに言えば、そのようなテクニックを身につけるには、やはり人に対する観察力が深くなければ、優れてなければ出来ないのではないか、と私は思います。 「べっぴんさん」 がいくらこちらを泣かせようと努力してもそれができなかったのは、人の心を観察する力が幾分不足していたからなのだろう。 そう感じます。

リウ様

こんにちは。
取材。そうなんですよね。
私、失礼ながら、岡田恵和という脚本家は、ご本人がストーリーテリングと台詞の造形力に絶対的な自信を持っている分、余り、取材は行わないタイプなのかと思っていました。
それが、今回は、ドラマの舞台となる時代について、相当綿密な取材を行っている。例の聖火リレーのエピソードも、実際にあった事をベースにしているようですし。

だから、基本的にいい人しか出てこない「岡田ワールド」でも、どこかで、現実のザラッとしたものを感てしまう。そのあたりが、よくある「昭和ノスタルジー人情話」と一線を画しているところではないかな、と思います。

特に先週、場所はほぼ乙女寮と工場だけ。出てくる人もほぼ同じで1週間。にもかかわらず、同室6人娘+愛子さんのセリフや行動によって、彼女たちの抱えているもの、背負っているものが次々と浮き彫りになり、物語に奥行きを持たせていました。それも、取材による豊かなバックボーンがあってこそのものと思います。

私、「おひさま」は観ておらず、「ちゅらさん」も、前半はどハマりしましたが、後半、余りにも絵空事過ぎて白けてしまった記憶があります。今回、ブレたり余計なてこ入れすることなく、この姿勢を貫いていただければ、私の中では久々のヒット朝ドラになるのですがねぇ。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

テイスト的には、「三丁目の夕日」 ですよね、このドラマ。 まあ茶川とか出てこない点が大きく違いますが。 先の 「泣くな、はらちゃん」 も、なにかどこかで同系統のドラマかコミックを見たことがある気がする。 「ちゅらさん」 も、「めぞん一刻」 のようだったしそのほか少女マンガに似たようなものがあった気がするし。 21世紀もここまで来てしまうと、すでにすべての創作物が 「前にどこかで見たことがある」 ものになってしまった気がする(どうも前回コメントが尾を引いているな…笑)。

そんななかで、「おらが村の聖火リレー」 という題材は、最初突飛かな、と思いつつ、確かに現実にありそうな気がしたし、そこを採り上げたドラマというのは私の知る限り初めてで、新鮮でした。

以前土建屋をやっていた関係上、みね子の父親である実が出稼ぎに来ていた建設現場、作業員宿舎はずいぶんリアリティがあったように思いました。 ただし 「作業員宿舎」、などとは言わないんだなァ(笑)。 「飯場(はんば)」ですよ(笑)。 これって結構一般的に使われている気がしますが。

あと、実のように現場からいなくなると、「トンコした(トンズラこいたの略と思われます)」 というのですが、母親の美代子が作業現場を探して回っていたときにドカタ連中からそういうセリフがひと言も出なかった(これはアラさがしの一例です…笑)。

それに比べると先週の 「モダン・タイムズ」(チャップリンですね)を連想させるトランジスタラジオの流れ作業は、門外漢からかもしれないけれどリアリティがあった気がします。

この先どう転ぶかが分からないという点では不安ですが(笑)、「見るのが億劫だ」 というレベルにならなければいいな、と思っています。

当ブログで検索し確認したのですが、「おひさま」、第7週まで見てたんですよ(笑)。 それも、「かなり泣きっぱなしだった」 みたいな記事ばかりで(笑)。 完全に忘れとる(爆)。 でも、見るのが億劫になってきて数週遅れになって、結局リタイアした。 記憶もいい加減なもんです。 いや、ボケがはじまっとる、ボケが…(汗)。

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