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2017年10月 1日 (日)

「ひよっこ」 最終回まで見て

 向島電機の倒産から、赤坂のすずふり亭で働くようになった有村架純演じる谷田部みね子。 状況的にはこれが最終回まで続くのだが、そこで展開していった物語というのはここしばらくの朝ドラではあまり見られなかった 「女性の社会進出を後押しするような、壮大な夢を持つわけでもなく、大きな事業を手掛けることもない、普通の女の子の物語」 だったように思う。
 もちろんドラマであるから、突飛な出来事は発生はしたのだが。

 みね子が東京で暮らすことになったアパートの住人達は、同じ岡田惠和氏脚本の朝ドラ 「ちゅらさん」 のとき以上に個性的だったし、個々の住人との垣根というのはやはり 「ちゅらさん」 のとき以上に低かった。 アパートものとしては、高橋留美子氏の 「めぞん一刻」 並みに低い感覚。
 「めぞん一刻」 は時代的には 「ちゅらさん」 に近い1980年代のマンガであるが、主人公のビンボー学生の経済状態から住む場所がボロアパートに限定されたわけだ。 経済状態と個人の垣根の高低は比例する。 じっさい 「ひよっこ」 と同じ1960年代後半をアパートみたいなところで過ごした私の感覚でも、かなり隣人同士の垣根が低かったように記憶している。 洗面所やトイレなど、生活空間が重なり合うと、否が応でも垣根は低くなるものだ。

 そのなかでみね子は 「ひよっこ」 のまま仕事を覚え、知り合いを増やし、恋愛をし、失恋をしていく普通の人生を歩んでいく。 
 だが、そこでただ一点彼女が背負っている 「特殊な状況」 が、「父親の失踪」、ということになる。 ドラマはこの父親の失踪に、「売れっ子女優」 という 「あり得ない話」 を絡めてきた。 記憶をなくした父親を匿ったのが、すずふり亭に食事をしに来たこともある有名女優だった、というのだ。 これまで堅実に推移してきた物語にとっては、突飛な展開だ。

 ただ岡田氏を擁護すれば、「あり得ない」 とはいえ、「有名人が普通の市井の人々の話に割り込んでくる」、というケースというのは、昔々のドラマではよく見かけたパターンだったような気がする。

 昔見たそれらのドラマでは、そうしたエピソードというのはもちろんメインではなく挿話的にシリーズ中1回くらいはあった気がするが、そこではたいがい 「そのドラマの主人公たちは、自分の知り合った有名人の大変さを目の当たりにして自らの普通であることに安堵し、有名人たちは普通の生活というものにあこがれながら元の世界に戻っていく」、という話が盛り込まれていた。 要するに 「キラキラしているように見える芸能界よりも、自分たちの塗炭にまみれた普通の人生のほうがよほど価値あるものだ」、ということが言いたいがためにこのようなエピソードが挿入されていたと思うのだが、「私たちの普通の生活の中に、突如として有名人が仲間入りし、有名人と知り合いになる」、という 「夢」 を見させてくれる回だったようにも思う。

 「ひよっこ」 はその 「昔々のドラマ」 の 「ユルさ」 というものを大っぴらに仕掛けてきた。 しかもその 「有名人」 というのが、「ひよっこ」 の直前までやってた 「べっぴんさん」 に出演して、おまけにナレーションまで担当していた菅野美穂。 「朝ドラに2回連続して出演、しかも両方ともチョイ役でなし」 というのは、私も朝ドラに精通しているわけではないけれど、非常に稀なケースと言えたのではなかろうか。

 こういう 「あり得へん」 設定というのがある種の視聴者たちの気に障る部分であった可能性はある。 なにしろこのドラマ、前述したようにみね子が最初の恋愛をして失恋していくまではとても丁寧な作りであったのに、菅野美穂演じる川本世津子が出てきたときから急速に現実離れした話に突入していった感があるのだ。 岡田氏はそこのところのトリッキーさを、わざわざ今回ナレーションの増田明美サンとかに事前予告させたり、すずふり亭を某テレビ局に程近い赤坂という場所に設定したりと、いろいろ不自然さをなくそうと努力していたように思うのだが、「記憶喪失になったみね子の父を匿っていた」、という状況設定の突飛さが、それまでの丁寧なストーリーに大きな動揺をもたらした感があることは否めない。

 さらに作り手は、川本世津子に金銭トラブルを発生させ、それを案じたみね子をして、マスコミ記者ひしめく川本世津子の自宅から彼女を脱出させる、という突飛な行動に駆り立てた。 ここらへんの描写は、岡田脚本によくある 「人の良さ」 が前面に出た感じだったが、朝ドラヒロインがこういう 「あり得ないお節介」 を焼くととても憤慨する人たちが、朝ドラ視聴者のなかには確実に存在する。

 実は今回、岡田氏はそういう 「朝ドラの舅小姑みたいなうるさがた」 に、あえて挑発をするようなことをドラマ上でよくしていたように思える部分がある。
 例えば 「盗み聞き」 をしていた登場人物に対してナレーションの増田さんに 「出た、朝ドラによくある盗み聞き」 と言わせたり、主人公の話よりも脇役の話にばかり時間が割かれると、みね子と同じアパートの住人で、みね子のことをマンガにしているマンガ家に 「なんか最近話題がなくてパッとしない」 と言わしめたり。 これは某ヤフー感想欄で朝ドラ批判によく使われる内容なのだ。
 さらに物語終盤になって、セリフだけで身の上話だの相談事だのを済ませてしまう 「井戸端会議」 を頻発。 これも挑発のひとつではないか、と疑われる。

 私はラジオで岡田氏が 「女の子ばかりの会話」 を苦手にしている、と聞いていたからかもしれないが、「女だけの会議」 が開かれると、いつもなんかどことなくやりにくそうな岡田氏の顔が目に浮かんで仕方なかった。 これは向島電機の乙女寮の会話でも感じていたのだが。

 さらに菅野美穂の参戦で思わぬ共演となった乙女寮の舎監、永井愛子を演じる和久井映見。
 どうもこのふたり、女優としての守備範囲が似通っている気がするのだ。 民放ではそういうパターンは頻繁に見かけるしライバル意識を高めてわざと火花を散らせるみたいな演出家の意図も感じるのだが、NHK朝ドラで同じカラーの女優がふたり同時にヒロインと同じような距離感で位置してるのってあまり見た覚えがない。 なんか見ていてヘンな緊張感を強いられたような気がする(考えすぎなのは百も承知だが)。

 さて、川本世津子救出劇にしてもそうだが、後半に入ってみね子の 「ありえないお節介」 というのは格段に増えていく。 某感想欄で 「後半に入って失速」 という批判が向ける矛先というのも、この部分が多いように感じる。
 これは私なりに考えたことであるが、そもそもこの物語というのは 「女性の変化の黎明期」 をテーマにしていたのではなかろうか、ということだ。
 つまり、物語中盤でビートルズの来日に絡む女の子たちの 「行動の変化」 をまず取り上げ、ついでミニスカートの女王ツイッギーに関するエピソードを絡めて女性たちのファッション、つまり 「外見の変化」 を取り上げた。 みね子の親友助川時子はツイッギーコンテストで 「女の子たち、私についてきて!」 といみじくも叫ぶのだが、実はみね子の 「積極性」 というのは、ドラマ中盤のこの時期に生まれていった意識である、と考えられる。 「世のなかの女性たちが変わっていくのだから、私も変わらなければ」、というわけだ。 川本世津子の救出は、彼女なりに考えた 「自らの殻を破る行為」 であったことは自明だ。
 変わろうとする第一歩であるから、稚拙であったり無謀であったりすることは、仕方のないことだ。 そう考えられないだろうか。

 ちなみにビートルズ来日の部分であるが、チケットを手に入れるためにライオンの歯磨き粉を何個も買ったり来日当日は前日まで台風だったり、羽田空港でファンは中まで入れなかったり、自称ビーフェチの私からしてもかなり正確な描写だった。 称賛に値する。
 唯一ライオンの歯磨きチューブが金属製(要するに現在の油絵や水彩のチューブと同じ)ではなかった(みたいだった)のがリアルではなかった、というか(笑)。 歯磨きチューブが現在の材質になったのは、私の記憶が確かならばこれは昭和48、9年あたり、ホワイト&ホワイトが最初。 ラミネートチューブと言っていた。

 そしてこのドラマの底辺にいつも流れていたのは、「戦後20年に未だくすぶっていた残滓」 である。
 みね子の叔父はあの歳でビートルズ好きで非常にオチャラケたお調子者だったのが、眠ると戦場で死にそうになった夢にうなされる。 目の前でイギリス兵と鉢合わせしたからこそ感じた、「こいつらも同じ、血の通った人間なんだ」、という感覚。 それが彼を、ビートルズへと向かわせる。 笑って生きてゆこう、という 「不幸の否定」 へと走らせる。
 永井愛子の恋人も、銃後の妻覚悟の求婚を頑迷に拒絶し、愛子が幸せならば自分は満足、と寂しい表情を作りながら戦場へと旅立ち、死んでゆく(これはセリフだけの説明だったが、最終週での和久井のこの演技には泣かされた)。 愛子はそれをずっと引きずっていたから、すずふり亭のシェフに憧れだけを持っていた。 向島電機の倒産でもそうだったが、常に不幸に見舞われ不器用な生き方しかできなかった愛子であったが、いつも明るかった。 明るく生きることは死んだ恋人の願いでもあったのだ。

 その 「戦争の残滓」 というものは、今はほとんど消えかけている。 「あの痛みを忘れてしまう」、ということがどういうことなのか。 それは未来のこの国のあり方だけが、教えてくれることだ。 そしてその未来の原因となるのが、つねに今、なのだ。

 このドラマが実の失踪をほぼ起点としていたからこそ、実の回復についてはもっとじっくり描写してもよかったような気もする。 けれどもその思いは、実が記憶を回復しないまま、「同じプロポーズの言葉を妻の美代子に言う」、という解決の仕方で、個人的にはほぼ収まった(泣けた)。 だから最終話の 「すずふり亭に預けていた谷田部家の重箱のことを実が思い出す」、というエピソードは、感動とは言えないまでも、半年間見てきた私の心に、温かいものをほのかに残してくれたような気がしている。

 そしてこのドラマの主人公を演じた有村架純。 なんとなくおっとりした彼女だったからこそ、ドラマが全体的にまったりと気持ちよく進行していたように感じる。 タヌキ顔のなせるわざか(笑)。
 最終週の元ネタ 「家族そろって歌合戦」。
 スタジオ録りだったりてんやわんやサン司会ではなかったり(そりゃそうだが)かなり雰囲気は違ったが、タヌキさんチームとか見ながら、対抗するふたつのチームの札が同時に上がって行って、片方が落っこちる、という場面を久々に思い出した。 BGMも。 思えば審査員の高木東六サンとか、笠置シヅ子サンとか、この番組で知ったようなものだった。

 この物語の題名が 「ひよっこ」 である以上、「みね子が仕事を覚えちゃった時点でもはやひよっこではないのでは」、と感じたときもあった。
 けれども人生、新たな局面に出会うごとに、人は皆ひよっこなのだ。

 ただある意味においては、最終週でみね子がヒデからの求婚を受け入れた時点で親から完全に巣立ち、「ひよっこ」 としての資格を失った、とも言えないだろうか。 同じ時期に実から 「もう実家に仕送りしなくていい」、と言われたことも関係しているような気がする。 別の所帯として独立して生きていくことが、「ひよっこ」 からの卒業。
 同時に先に述べたように、「人生いつまでもひよっこ」、と考えるとき、このドラマの続編の可能性もにわかに浮かび上がってくる、そんな気がする。

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コメント

リウさんこんばんわ。まずはレビューお疲れさまで
ございます。なかなか面白くいつもの朝ドラらしくないストーリーでつくり話がてんこ盛り。愛子さんの
シェフとの話泣けましたね~。実が記憶戻ってなくても奥茨城村に帰って言葉がなくともかえって
それがリアルだったり。おかあちゃんが川本せつこ
の家に実を迎えにいったときの二人の演技も
実に上手かった。でも笑えるシーンのほうが楽しみに
してたかも。みねこがヒデがいないと思って気持を
話すとこや、愛子さんのシェフとのからみ、
よねこへの三男の告白などなど。
別のコメントの返事でもリウさん「この声を君に」
をみていい感想をもったと書いてましたが
その中のセリフで「こうあってほしいと願わずにはいられない」という気持が本を読む動機付けになって
いるというようなのがありました。
この「ひよっこ」もそういうところではなかなか優れていたと思います。
「アシガール」見ました?
黒島ちゃんかわいいです。

ドラマ大すきおやじ様
コメント下さり、ありがとうございます。

このドラマはみね子以外の特異なキャラが多過ぎるというのが特徴だと思います。 だから脚本の岡田サンもすべての登場人物の決着をこれでもか、というくらい念入りに行なったのだ、と思います。

ただそのなかで唯一おざなりにされてしまったのが、みね子の初恋の相手である島谷クン。

このドラマでの作り手のいちばんの誤算は、みね子の2番目の相手であるヒデより、この島谷クンが大ブレイクしてしまったこと。 だから島谷クンのその後をちょっとでもインサートして、島谷クンもそれなりに幸せを納得してるんだろうな、というのを見せてほしかった気もする。

でも。

別れた男のその後なんか、振り返らないのが女ってものだ(爆)。 女は常に、前を向いてる(笑)。 だから、島谷クンのその後が心配なのは、テレビの前のアンタだけでしょー、というか(爆)。

男は未練たらたらですよ(笑)。 別れた女のことをいつまでもグジグジとですね(笑)。 女はさっぱりしたもんですよ。 100年の恋だって明日になれば忘れてる(なんか私情が挟まれてきたぞ…爆)。 松田聖子をご覧なさい(笑)。 郷ひろみを振って神田正輝に乗り換えて、いつの間にか何回結婚したか分かんなくなってる(爆)。

「アシガール」 は、第1回目の途中でリタイア…というか、「まああとで見よう」 と思ったきりまだ見てません(笑)。 だって 「ひよっこ」 見るのに忙しかったんだもん(笑)。

リウ様
お久しぶりでございます。

「ひよっこ」前二作をリタイアした私にとっては、3作品ぶりの完走朝ドラとなりました。
確かに、みね子による世津子さん大救出作戦のあたりや、3回連続月時計女子会のあたりでは「あれれ」と思うところなきにしもあらずでしたが、トータルとして、大変心地よく観ることができました。

「いい人ワールド」などと評されることが多かったドラマでしたが、その「いい人」たちの多くが、何かを喪ったり、諦めたりした経験を持っている。それが、今作の大きな特徴だったと思います。唯一それがあまりなさそうな時子にしてからが、背が高すぎたため、時代劇の町娘の役を降ろされていましたし。
その諦めたもの、失ったものが取り戻せなくても、それはそれとして、今自分が立つ場所で精一杯幸せになろうとすることの大切さを、岡田恵和さんは伝えたかったのではないのかなあと思います。それは、最終週、2番目に好きな人でいいという省吾さんの言葉や、最終回の「重箱の記憶」に端的に表れているのではないでしょうか?

まあ、「朝ドラ小姑」の方々は、基本的にない物ねだりの子守歌を歌う人達ばかりですので、この世界観は相入れないでしょうね。よく見かけたのが「奥茨城編は素晴らしかった」「奥茨城編を返せ」みたいな言説。あのパートがかくも美しかったのは、社会的にも、ストーリー的にも、やがて失われてしまう儚さが根底にあったからですよ。じゃあ、ということで、のどかな農村ほっこりドラマを半年続けてごらんなさい。途端に、「退屈ダぁ~~~」の大合唱が始まるに違いないのですから。まあ、どうでもいいんですけど。

私も、自分が気になっているドラマの場合、ついあちらのサイト、こちらのブログとレビューのハシゴをしてしまうのですが、ここほど、深い考察を重ね、慎重に言葉を選んだ文章を読めるところは余りありません。
他のところでどなたかも書かれていましたが、コメントせねばと思ううちに文章あれこれ考えていたらタイミング外したということも多々ありまして・・ただ、更新は毎回楽しみにしています。
どうか、無理をなさらず、「ゆっくりでいい」(by 茂じいちゃん)んで、記事を書かれてくださいね。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

何気なくお励まし下さり、ちょっと気持ちが軽くなった気がいたします。 なにぶんにも最近遅筆で寡作なので以前のような 「思っていることは全部書いた」、という満足感に至りませんが、コメントをいただくことで私自身思い出すこともございます。

今回Zai-Chen様が書いてくださったことで、時子のドラマ的な 「オチ」 がその名前にあった、ということを書き忘れていたことに気付きました。

なにしろ、奥茨城編で登場した当初から、時子の名前は 「助川」。 「将来女優になろうって子が、助川というのはなかんべ」 と思っていたんですよ。 助川の助は助兵衛の助ですから(助川名字のかた、ゴメンナサイ)。

ツイッギーコンテストで、「前日のリハーサルで大盛り上がりとか、こういう場合たいがい惜しくも落選なんだよなあ」 と思って見ていたら、まさかのグランプリ(笑)。

岡田サンはどうしてこういう展開にしたんだろう、と思っていたら、「芸能界で生きていくのに、助川の名字を捨てて芸名で生きていくことになった」、という流れになって。

名字を捨てる、ということは、家族を捨てて芸能界のもらわれ子になる、ということと同義で、「千と千尋」 で千尋が名前を奪われたことにも通じてる。 朝ドラの身近な例では、のんがそれです。

「自分が応募してたから娘がグランプリを獲った」、と鼻高々だった時子の母親の羽田美智子サンは、娘が名前を変えることである種の断絶の壁に突き当たっているわけです。 だからこの場面は泣けた。 この辺りがドラマとしての面白味として岡田サンが出した結論だったんだなあ、と。

さらに、またまた本文で書き忘れたことですが(笑)。

このドラマ、時子や三男たちとみね子たちが立ち上げた、奥茨城編の 「おらたちの聖火リレー」、という高揚感を、高校を出て社会に出たみね子たちは誰も追い越せていない、というジレンマが常につきまとっていた。

まあ唯一、時子だけがツイッギーコンテストで優勝したんですけどね。

「自分が十代の頃に持っていた大きな夢を、大人になった自分は追い越せているんだろうか」、と考えたとき、「こんなもんじゃなかった、こんなはずじゃなかった」、という違和感というのはなんかどこかにある。 十代の頃のほうが、まわりじゅうを巻き込んですごいことをしていた、ような感覚。

このドラマは 「普通に生きる大人たち」 のそうしたモヤモヤを、はからずも表現していたのではなかろうか、と。

だから時子が芸能界に羽ばたいてしまったあとで三男が感じる思いというのが、これこそ桑田サンの主題歌になってる気がしてくるんですよね(笑)。 時子も枕営業とやらで、汚れっちまう日が来るかもしれない、という意味で。

Zai-Chen様からコメントをいただいたせいで、書き忘れたことを書くことが出来ました。 感謝申し上げます。

リウ様
ご返信、ありがとうとうございました。

そっか~、時子、名前の件がありましたねぇ。
それまで影の薄かった時子パパがここで一発、男気を見せましたんね。もっとも、直ぐオチで引っくり返されていましたが。

ところで、時子の芸名「和泉真琴」って、同じ岡田さん脚本の「ビーチボーイズ」のヒロスエの役名と同じだったらしいです。このドラマには高ちゃんこと佐藤仁美さんもヒロスエの親友役で出てたらしいですけど。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

佐藤仁美サンでまたひとつ思い出しました(笑)。 お嫁に行ってから、これでもか、というくらい佐藤サンが出てきませんでしたよね(笑)。 そして最後に登場したと思ったら、姑の柴田理恵サンと、表面上取り繕いながらかなり険悪な雰囲気(爆)。 岡田サン、「悪人が出てこないドラマの名手」 みたいなフリして結構毒持ってるな、と(笑)。

ただこの嫁さんは、姑が死んだら身内でいちばん泣くタイプ。 岡田サン、やっぱり根はやさしいか(笑)。

岡田サンがやってるラジオ番組、NHKFMとラジオ第一で放送しているのですが、FMのほうはなかなか聞けずラジオ第一で聞くことがほとんど。 しかしなんか最近、聞き逃すことが多くて。 有村架純チャンが出ていた回なんか、聞きたかったぁ~。

>「ビーチボーイズ」には高ちゃんこと佐藤仁美さんも
>ヒロスエの親友役で出てたらしいですけど。
先日、二人でバラエティ番組に出演して語っていました。

私も失速を感じた派でしょうか。
前作、前々作よりは最後まで観れましたが。
主人公が狂言回しに徹していて視聴率的に苦戦した
向島電気時代が一番、昭和朝ドラ的安定感があった。
しかも糸子の孫がリーダー格、№2が優子。(笑

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

やはり小島籐子に反応なさいましたか(笑)。
視聴率というのはアテにならんもので、「わろてんか」 も前作の好調を引き継いでいるようですが内容的にはかなりバツ。 新たにレビューを書いてその点詳しく解説したつもりです。 出演者が豪華なのがもったいない。

視聴率では 「べっぴんさん」 の失速を受け継いだのが 「ひよっこ」 でしたね。 しかし一番視聴率がよかったのが、内容的にアレレな感じのすずふり亭編。 視聴率というのは、分かりません。

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BOOKS

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    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

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    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
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    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

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    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

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    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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