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2017年11月

2017年11月19日 (日)

「民衆の敵~世の中、おかしくないですか!?~」 多数決の先にある民主主義

 衆議院選挙が突然決まってしまったためにフジテレビの 「忖度」 によって開始が遅れてしまった、といういわくつきの 「月9政治ドラマ」。 篠原涼子が普通(以下?)の主婦から市議会議員になる、という話だ。

 このドラマ、「脚本家が変わってこれまでのシリーズ中サイテーの出来」 と酷評されながらも高視聴率を保った前クールの 「コード・ブルー」 の後番組だが、視聴率的にここ数年じり貧気味だった 「いつもの月9パターン」 に逆戻りしている。

 その原因は題材をはじめ、さまざまな点が考えられるが、私が考えるのは 「主人公が市議会議員になるまで」 を描いた第1回の出来だ。 安直でご都合主義に思えたからだが、その憤りもあって実は、このドラマに関する批判的なレビューを書きかけた。
 しかし途中から内容が難解になり過ぎ、自分でも何を書いてるのか分かんなくなったので完成を放り投げた(笑)。

 まあその、第1回の批判について要約すれば、「もともとカネ目当てで市議会議員になろうとしている癖に、変に都合よくマタハラを受けているブレーンを獲得し 『幸福』、というかなり漠然とした主張によって、結局当選議員の急病で繰り上げ当選してしまうって、ナメてんじゃないの?」 ということだった。

 少しその、ボツになったレビューから抜粋しよう。

――自分たちの息子に卵焼きをステーキだと思い込ませる。 そうすることで夫の田中圭は 「子供にあらかじめ諦め癖をつけておけば幸せになれる」、というスタンスを取っていた。 しかし、篠原は 「自分が幸せかどうかは自分が決めたいんだ!私はニセモノではない本物の幸せが欲しいんだ!」 と本音をさらけ出した。

――だが、ドラマのロジックとしては、この軸の部分が危ういのではないか、と私は思う。

――「個人の幸せ」、ということを考え始めると、政治で何とかしようとするには、あまりにもターゲットが漠然としてしまうからだ。 ドラマは篠原に、「普通の主婦」 という目線を与えたがっているようだが、「個人の幸せ」 という普遍的なものを目的にしてしまった時点で、篠原の市議会議員としての活動において、かなり公私の境目が曖昧になってしまう気がするのだ。

――そのせいかもしれないが、第1回を通して見た印象は、なんかヤケにあっさりとしていた。 これは、物語のテンポが良すぎる、という点に主な原因があるが、篠原のキャラ設定が 「熱血ではない」 ということにも問題がある気がする。 まあお金がそもそものスタートだから、別にダメならダメでい~や、くらいの軽い気持ち、とでもいうのだろうか。 たとえいったん落選したあとの繰り上げ当選、という形であったとはいえ、そんなんで当選できてしまうほど政治っていうのは軽いのか。――

 どうも論理が堂々めぐりしているだろう(笑)。 ちょっと(かなり)書きなおした(笑)。

 だが数回見ていくうちに、月9のスタンスとしては、これくらいの軽さがちょうどいいのではないか、と思うようになってきた。
 これに続く第2回では 「そんなの警察の仕事でしょ」 という問題に首を突っ込み、第3回以降は 「議員でなくてもできねえか?」 という問題に血道をあげている篠原。 しかしその 「シロートっぽさ」、「小さなことからコツコツと」 という姿勢が、「多数決」 という数の論理で動く従来の政治にちょっとした旋風を巻き起こしている、という小気味よさにつながっているのだ。

 民主主義の基本である多数決、という決め方。 これって一億総中流みたいな時代には合っていたのかもしれないが、勝ち組と負け組だけで中間層が極端に減ってしまった現代では、そぐわなくなっているのではないか。 篠原が演じる主人公の行動というのは、一面では世間知らず的な部分もあるのだが、実は貧富の差が激しい時代に適合した政治のあり方を体現しているのかもしれない。 そんな小気味よさだ。

 そしてその小さな旋風が、もしかすると巨大台風に発展する可能性もあれば、コップの中の嵐で終わる可能性もある。 ここで物語を面白くしそうなのが、篠原が当選後すぐに 「市議会のドン」 の派閥に便宜上所属してしまった、という設定だ。 これも主人公の発想だと 「大きい派閥のほうがなにかと動きやすそうだし~」 みたいな軽~い動機でしかないのだが、彼女を今のところ動きやすくしているこの設定が、これから彼女を呪縛していくであろうという怖さに、単純にワクワクする。

 ここに、今のところ単なる客寄せの役割しか与えられていない感のある高橋一生(同じくドンの派閥所属)がどう絡んでいくのか。 物語では高橋にヘンなスキャンダルを絡ませたがっているようだが、それでは話がとっちらかってしまうような予感がして個人的にはあまりそういう話を期待していない。

 まあ、期待しないで見ている程度がちょうどいいのかもしれない(笑)。
 政治なんて、そもそもその程度のことだから。 夢物語は、ドラマの中の嵐だけだ、という諦めだ。 ドラマは相変わらず、「個人の幸せ」 という曖昧なものを目指している気がするが。
 願わくば篠原が、今のドシロート感覚からただの政治屋になってしまわぬことを。

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2017年11月17日 (金)

声優の鶴ひろみさん急死…

 「アンパンマン」 のドキンちゃんの声で知られる声優の鶴ひろみさんが、昨夜(11月16日)首都高の都心環状線で、ハザードランプをつけたまま停車していた車の中から意識不明の状態で発見され、病院に搬送されたが死亡が確認された。 57歳。

 事故の形跡がないために身体的要因で亡くなったとみられる。

 彼女がいちばん知られているのはドキンちゃんや 「ドラゴンボール」 のブルマの声によってなのであるが、私にとってはデビュー作である 「ペリーヌ物語」(1978年) のペリーヌの声、これに尽きる。 私が13歳の時だった。

 声優の声に恋をしたのは、これが初めてであり、最後だった。 現代の表現で言い直せば 「声優萌え」 ということになろう。
 当時は番組中の彼女の声だけをつなげた編集テープを作るなど、かなり 「病的に」 恋をしていたことを告白する。

 キャンディーズのスーちゃんにしてもそうだったが、自分が恋していた人の訃報を聞くのはいつも耐えがたいものがある。 自分の若かりし頃の思い出が、共に剥落していくような感覚がするのだ。 しかも、まだ若過ぎる。

 彼女の魂が安らかならんことを。

 さようなら、在りし日の私の恋心。

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2017年11月 5日 (日)

「赤ひげ」(2017年のドラマ)どうしても黒澤作品と比較してしまうが

 NHKBS時代劇の新作。 全8回。

 NHKの番組HPでは完全に無視を決めかかっているが、この物語は山本周五郎の原作、というより、私にとっては黒澤明監督の映画、という位置付けで今日まで来た。 確かテレビドラマとしても、何回かリメイクされたはずである、が、ネット検索してもどうもその情報が出てこない。 私の記憶違いかもしれぬ。

 しかしよしんばリメイクされていたとしても、おそらくそのどれもが黒澤作品には敵わなかっただろう。 それほどの名作であるし、なにしろ主人公 「赤ひげ」 の三船敏郎の存在感を凌駕する者など、未来永劫現れないだろうからだ。 最近じゃ胡麻麦茶のCMにまで出ている(笑)。

 ただしこの作品を私が見たのは、もう40年近く前、私が中学生の頃だったろうか。 かなり記憶が茫漠としていたが、今回ドラマを見たことで、だいぶん記憶がよみがえった。
 まず黒澤映画において三船は確かに存在感の権化みたいな感じだったが、物語的には加山雄三が中心で動いていたような気がするのだ。 それをまず思い出した。
 そして診療所内の隔離所に幽閉されていたある狂女(あえてそう書かせていただく)の、ゾッとするような恐怖。 京マチ子かなと思っていたけれど、あれは 「羅生門」 だったか。 ネットで調べたら香川京子だった。

 話の筋が後回しとなった。 この物語は、江戸時代に小石川にあった無料の医療施設が舞台。 幕府の肝いりで設置された。 無料だから民間の貧乏人ばかりが患者だ。
 そこに長崎で蘭学医療を学んだ新人の医師、保本が赴任してくるのだが、これがまったく本意ではない。 本意ではないから、かなり不貞腐れる。 映画ではそれが加山雄三だ。 52年前、私が生まれた年(1965年)の映画だったから、加山雄三もまだまだひよっこの頃だ。

 今回のドラマではそれを中村蒼が演じている。 遠い昔の記憶と比較するという無理をさせてもらえば、中村は加山よりもかなり自我が発達していそうな感じに見えた(笑)。 要するに、加山はホントにボンボンみたいな感じだったのだ(ホントに二世タレントでボンボンだったのだが)。 映画は加山のひよっこぶりをたぶん強調していたものと思われる(遠い記憶なのによく言うよ)。

 その診療所の主が、赤ひげこと新出去定(にいできょじょう)だ。 三船が演ったその恐れ多い役を、たぶん本人としては悲壮な覚悟で、船越栄一郎が演じることとなった。

 なにかをしゃべれば雷みたいな三船の重厚さには追い付くべくもない。 船越の演技も無理してダミ声をあげたりして、三船をじゅうぶん意識しまくったものに見えた。
 しかしだ。
 船越は赤ひげを演じるだけの人生の積み重ねを、すでに備えているように私には思えた。 まあ離婚騒動中の奥さんの影響が大きい(ハハ)。
 だいたい赤ひげという人物は、ダミ声をあげないと影響力を行使できないのだと思う(笑)。 幕府の予算削減に対抗するための強面であらねばならないし、そもそも保本の蘭学ノートをひったくって読み漁るくらいの知識量だから(笑)。

 じゃあそれだけの人間か、というとそうではない。
 赤ひげの存在意義は、医療に対する問題意識の高さに依拠している。 だから蘭学の最新知識が必要なのであって、下らない自我に拘泥されているひよっこの医師など、問題意識に目覚めなければどうでもいい、と思っているのだ。

 だから赤ひげは、保本がどんなに不貞腐れようがほっぽっている。 ただこのような、悲惨な診療所の実態をあるがままに見せている。 それでなにも感じなければ、それまでのことだ。

 第1回においてその本質は、見事に描写されていた。 脚本は 「アットホーム・ダッド」 や 「梅ちゃん先生」 の尾崎将也。 HPによれば、彼はこの原作を若い頃からかなり読みこんでいたらしい。 その思い入れによって書かれた今回のドラマは、通り一遍の安っぽさなどとは無縁だ。 それがうれしい。

 ただひとつ不満があったとすれば、狂女の凄味が黒澤映画に比べれば見劣りしたことくらいか。 遠い記憶で美化がされている可能性もあるが、黒澤映画において香川京子のそれは、ホラー映画も真っ青な怖さだった。

 ともあれこのドラマが、BSだけで放送されるのはもったいない。 総合テレビで 「アシガール」 のあとにでもやったらいいのに。

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