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2018年4月 4日 (水)

キャンディーズ解散から、40年

おことわり 後書きを付け足しました。



 キャンディーズが1978年4月4日に後楽園球場(現在の、ほぼ東京ドームのある位置、といってよかろう)で解散してから、40年という長い歳月がたった。 当時私は13歳。 新年度から中学2年、という時期のことだ。

 大ファンであったとはいえ、彼女たちの公演に行くなどという発想は、微塵もなかった。 これから書くのは、4月4日当日の、私の個人的な行動についてである。 興味のない人にはどうでもいい話であるが、そのあと、9年前に当ブログで書いた記事を再録して、キャンディーズの存在した意味をもう一度確認しようと思う。

 当時うちでは一般紙と同時にスポーツ紙をとっていた。 スポーツニッポンのことだが、そこで解散の何カ月か前からキャンディーズの動静を伝える連載みたいなものが始まった。 「あと○○日」。 記事に書かれたその数字が少なくなっていくのと同時に、私のなかの焦燥感というものもいやおうなく昂ぶっていくのが分かった。 私はその記事を切り取り、ファイルし続けた。

 その頃の私は学校から帰ってくるとビートルズのレコードを大音量でかけ、一緒に大声を張り上げて歌うのが日課となっていた。 おそらく近所中にはよく響いていて、よくそんなことが許されていたな、と思うが、親からはいつも壁をドンドンと叩かれ、「うるさい!」 と怒られていたものだ。 確かマイケル・ジャクソンの 「ブラック&ホワイト」 の冒頭だったと思うが、子供がハードロックをガンガンかけて親がドンドン!と壁を叩くシーンがある。 そのドンドン!がまるっきりその頃の私の聞いた音と一緒で、「ブラック&ホワイト」 のその部分を聞くたびに、心臓が縮みあがる思いがする(笑)。

 とんだ余談が入ったが、私はその、キャンディーズが最後の熱唱をする4月4日の、公演が行なわれる同時間帯に、一緒に歌を歌って彼女たちと一緒に果てよう、と決めた。 いつもならアルバム1枚か2枚で切り上げるところを、公演がたぶん続くであろうと思われる3~4時間くらい歌いまくろう、と決めたのである。

 その日の3時過ぎくらいだったか、TBSで三雲アナウンサーがファイナルカーニバル開演前の様子をリポートしていた気がする。 現場でだったかスタジオでだったかは覚えていない。 それを見て、ますます中2寸前の少年は覚悟の炎を燃やしていった。

 今から考えればそりゃアホな話だ。 歌うのはビートルズの曲であってキャンディーズの曲ではない。 公演に行く、という発想がなくても、春休み期間中だったのだから後楽園球場まで行って外からでも彼女たちを応援することはできたはずだ。
 しかしそれは、ほかのキャンディーズ命の連中を見かけることを意味する。 私はあくまで、私だけが愛でるキャンディーズと、同時間帯に自分の大切なビートルズの歌を歌うことで、対等に勝負したかったのだ。 そして3時間も4時間も歌い続ける彼女たちの頑張りを共有し、自らの胸に刻みつけたかったのだ。

 午後6時ごろに夕食を取り終えた私はさっそくそれに取りかかった。 アルバム1枚、2枚…。 ここまではいつものことだが、その日はさらに5枚、6枚と続いた。 正味3時間以上は歌っていたと思うから、LPレコード1枚分が40分、と単純計算しても、5枚以上は確実に歌っている。 途中から、完全に声が潰れた。 潰れたが、構わず歌った。 それほど彼女たちに対する思いが強かったせいもあるが、今から考えると常軌を逸した思い入れっぷりだ。 中学に入ってからの私はかなりコンプレックスにさいなまれた日々を送っていたのだが、その反動が 「何かに対する思い入れ」 という形で顕現していたのだろう。 先の 「鶴ひろみさん死去」 の記事でも同様の異常な行動を書いたが、当時の私はなにかにつけて極端な収集癖とか偏執的な詩を書くことで自らを慰めていた気がする。

 たぶん10時くらいまで声ガラガラの熱唱は続き、そのあとどう過ごしたかは覚えていないが、その日の深夜はラジオのニッポン放送でファイナルカーニバルの模様を流したのを聞いた。 たぶんオールナイトニッポン枠での特別編成だったと思うが、驚いたことにその番組に、キャンディーズが電話で出演した。 私は単純に、ファイナルカーニバルが終わればキャンディーズは完全に終わるのだ、と思っていたせいで少々混乱した。
 混乱、と言い出すと、その日までの自分のテンションが異常過ぎて、その番組を聴いていてもなんだか公演の模様がよく分からなかったことを覚えている。
 数カ月後、ファイナルカーニバルの3枚組レコードを買ったときにその原因の一部は分かったような気がする。
 つまり、その当時の後楽園球場でのPA(音響装置)が音楽イベント用に出来ていなかったせいで、音の反響がものすごかったのだ。 5万人の大観衆はその、反響してくる音に合わせて親衛隊用の応援をするものだから、余計にわけが分からなくなる。
 この、音楽イベント用にPAが出来てない、というのは悲しいかな、現在の東京ドームにも言えていることだ。 反響ということはないのだが、音が聞こえるところと聞こえないところの差が激し過ぎる。
 いずれにしろ、「後楽園球場でライヴ」、ということは私の思いつく限りでは日本ではキャンディーズが最初だったのではないか。 海外のバンドがやったことはある気もするが。

 そして。

 そのあと2週間くらいはその巨大な喪失感で、中学2年の最初の時期を過ごすこととなった。 まるで腑抜け状態である。

 歌っている途中で、声を潰した、と書いた。

 その数日後、また歌おうと思って愕然とした。

 声が出ないのである。

 これはかなりショックだった。 なにしろ当時の私は、がなりたてることで自分のストレスを発散していたのだから。 「このまま一生歌が歌えないのか」。 13歳の私は本気でそう考えた。 キャンディーズがいなくなったことの追い打ちをかけるように、ますます私は暗くなった。

 しかしながらその状態は、おそらく2週間程度で解消した。 そして歌い出して気付いたのは、以前よりも数倍喉がよくなっていることだった。 それまでは出せなかった高いトーンも平気で出せる。 シャウトも思うようにできる。 私はますますギャンギャン歌うようになった(ハハ…)。 近所のみなさんに遅ればせながらここで改めてお詫びいたします(笑)。

 それにしても、40年後のこの日に、キャンディーズのメンバーがひとり欠けているなど、思いもよらなかったことである。 私はスーちゃんが亡くなってから、しばらくキャンディーズの歌が聞けない状態になった。 聴けば思い出して、涙がポロポロ(キャンの歌ではないが)流れてしまう。 ここ1、2年のことだろうか、またちゃんと聞けるようになったのは。

 ここからは冒頭に予告した通り、9年前の当ブログの記事を再掲する。

「キャンディーズ解散から31年」(2009年4月4日付当ブログ記事)

 去年は解散からちょうど30年の節目だったこともあって、全キャン連主催の同窓会が開かれたり、何かと周辺関係が騒がしかったキャンディーズだが、今年はなんのニュースも伝わってこない。 さびしいものだ。
 だが、キャンディーズのファンにとって、4月4日というのは何があろうと、なにものにも替え難い特別な日であることは間違いない。 私はいまだに、4月4日が来ると、当時の切なかった気持ちを思い出す。

 私にとってキャンディーズというのは、とても明るくて、いつも元気をもらえる姉貴たち、みたいな存在だった。 それは私が同時期にファンだった百恵ちゃんに対して抱いていた思いとは少し違う、仲間というか同志というか、そんな連帯感だった気がする。
 だがそんな連帯感も、恋愛感情にすり替わるのは、あっという間だ。
 彼女たちが解散宣言をしてから解散するまでの間、世間がまるでお祭り騒ぎのように彼女たちに群がるように、やがていなくなってしまう姉貴たちに対して、私も思いを募らせていったのだった。

 キャンディーズという3人組は、世間一般では、「年下の男の子」 というヒットが生まれるまで泣かず飛ばずだったように認識されているようだが、「8時だョ!全員集合」 を見ていた私たち子供の層にとっては、デビューのころからよく見知っているアイドルだった。
 体操の時間に活躍する彼女たちが、「あなたに夢中」 というデビュー曲を 「全員集合」 の中で歌った記憶がある。 「ああデビューしたんだ」 と思ったものだ。 確か小学館の 「小学四年生」 の付録にも、緑色のコスチュームの彼女たちが載っていた。

 その後 「そよ風のくちづけ」「危い土曜日」「なみだの季節」 という、ちっとも売れなかったらしいそれらの曲も、私はよく知っていた。 たぶん 「全員集合」 の中で歌われたんだと思う。
 特に 「なみだの季節」 はセールス的には散々だったらしいが、それまで出ていた彼女たちの歌の中では、一番好きだった。 おそらく彼女たちの初めてのダウナーな歌が、暗い曲好きの私の琴線に引っかかったのだ。 だが今にして思えば、次に出される 「年下の男の子」 という最後の賭けを前にした彼女たちの不遇な状況を、「なみだの季節」 からなんとなく感じ取っていたのかもしれない。

 大胆なイメチェンを図った「年下の男の子」 からの人気はよく知られる通りだが、私にはキャンディーズはあくまで初めから人気があった。 ように見えていた。 そこから、デビューのころから彼女たちを見守ってきた、という変な自負も生まれた気がする。 オレだけがキャンディーズを分かるんだ、みたいな。 とんだナマイキ者だが。

 そのナマイキな観点から述べさせてもらえば、彼女たちの真骨頂は、やはりその明るさにあった。
 「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」 や 「GO!GO!キャンディーズ」 で彼女たちが見せた過激なテンションには、同時代のどのアイドルも敵わなかった。
 キャンディーズが所属した渡辺プロには、先にザ・ピーナッツという 「コントもこなせるアイドル」 がすでに存在していた。 だが私は、ザ・ピーナッツのコントには基本に忠実なプロ意識を見るのだが、キャンディーズのコントには天性のコメディエンヌとしてのカンを駆使しているようなところを感じる。 コントの質から言うと、キャンディーズのほうが突き抜けているように思うのだ。 たとえ、それが 「やらされている」 ものだったとしても。

 この、アイドルがある種の役割を 「演じさせられている」 という感覚は、やはりキャンディーズにも絶えずつきまとっていた。 だが、彼女たちには、それを吹き飛ばして余りある 「元気さ」 があった。 そこにはどんな建前さえも無力である。 私はキャンディーズの、飾らないその魅力が何より好きだった。 だいたい、ウソなんかついたところで、見破られてしまうのがオチなんじゃなかろうか。

 だが、キャンディーズは、この私のナマイキな定義だけでおさまる存在ではなかったのだ。

 彼女たちは、当時のアイドル界ではほとんど空前絶後のライヴ・パフォーマーだったのだ。
 これは、テレビだけでキャンディーズを見てきた私には、およそ思いもつかない一面である。

 残念なことに、私は彼女たちのライヴを見に行ったことがない。 彼女たちのライヴを支えたのは、私の世代よりも上の世代の人たちだった。
 そして彼女たちにとっても、ライヴこそが自分たちの最重要視した表現の場だったのだろう。
 ライヴを自分たちの活動の最後に持ってきた、という意味で、4月4日のファイナル・カーニバルというのは、キャンディーズをその存在理由と共に封印する、最もふさわしい方法だった。

 私は、解散前から現在に至るまでの、彼女たちのキャンディーズにまつわる言動を見ていると、そこに 「キャンディーズを最高のままで輝かせていたい」 という意思を、強く感じる。

 おそらくその解散には、プロダクション側の思惑や、汚い話もいろいろあったことだろう。
 だが、彼女たちはそのことを決して口には出さない。
 それは、彼女たちの心情に、「キャンディーズを汚したくない」 という思いがあるせいなのだ。
 彼女たちはデビューするとき、「何があっても3年間は頑張ろう」 という誓いを立てたという。 そして、「最高の時に解散しよう」 という思いもあったらしい。
 ファイナルカーニバルでの最後の曲、「つばさ」 の中でランは、「キャンディーズは、最高のまま、解散します」 と語りかけた。
 キャンディーズは、自分たちの誓いに、殉じたのだ。
 そのことは、長い年月を経てもなお、私を感動させる。

 付記

 キャンディーズ解散から40年、という感慨のあとに(表だったニュースがなかったのはいかにもさびしい)4月6日、「池袋のサンシャイン60開業40年」、というニュースを見た。
 つまり、キャンディーズ解散のたった2日後に、東京都心の高層ビルの草分けであるサンシャインが出来たということになる。 当時東京都には(すなわち日本には)、霞が関ビルと世界貿易センタービルくらいしか、高層ビルはなかった(どっちとも小学校の社会科見学で行った)。

 そういう時代だったのだ。

 キャンディーズ解散から40年後、仕事中に街並を歩く人たちを見ながら、「この人たちの大半はキャンディーズのことなんか知らない」、と考えた。 知っているのは、もうたぶん壮年、初老、そしてすでに老いた人たちばかりだ。 40年、というのは、そういう時間だ。

 自分がナマで体験してきた時代が、もうすでに 「歴史」 と呼ばれる一通過点と化している。 それがきちんと評価され直すのは、いったいいつのことなのだろう。

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コメント

良いご投稿で静かに感銘を受けました。
私も同時期を生きてきて、あの頃の価値にもっと敏感だったらどんなによかっただろうと思い返しています。

なな様
コメント下さり、ありがとうございます。

同時代を生きていた、という事実がなによりご自身にとっての宝物になる気がいたします。 中二病、などと申しますが、当時の私はまさに中二病でした(笑)。

スーちゃんが亡くなった時に書いたものです。もしかしたら過去にTBしたかもしれませんが...。祖母もプリンスも4月21日が命日。です。

あみーご長嶋様
トラックバックのシステムが小生よう分からんくて(笑)結局ほとんどトラックバックのアクセスが来なくなったために、当ブログ内のトラックバックの欄自体を消去してしまいまして(笑)。 あみーご様の記事は、読ませていただきます。

いろんな人の命日が重なるって、よくある気がします。 私の祖母の命日も、確か誰か有名人の命日…忘れた…(ハハ…)。

キャンディーズ、可愛かった。普通の女の子になりたい、あの頃新鮮に思ったものです。
キャンディーズだけじゃなく、ベトナム戦争の終結もベルリンの壁の崩壊もソ連という巨大な社会主義国がなくなった事も、冷戦という時代があった事も、バブル期も、みんな平成生まれの子供達には歴史です。
でも、その平成ももうすぐ歴史に変わろうとしています。
いやあ、自分が生きてるうちに3代も天皇を見る事になろうとは。
時は流れて行きます。
ぽっちゃりしたアイドルのスーちゃんが復帰したら、しっとりとした大人の女優さんになり、そのうち美しいお母さん役の女優さんに。
翔ぶが如くでは斉彬の奥様でした。子供達に早逝される可哀想な、でも上品な奥方でした。
でも、蘭ちゃんもミキちゃんも生きています。
キャンディーズが三人という形で戻ってくる事はなくなったけれど、私達と同じ時を重ねているのです。40年の歳月が流れても、彼女達のあの輝きは失われる事は決してありません。
何故なら、みんなが記憶しているから。人間は美しい過去は決して忘れないのです。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

私が10歳の頃に 「太平洋戦争(第二次世界大戦)終結から30年」、ということがかなり話題になってた記憶があります。 その当時小学5年の私にとって 「30年」 という時間はとてつもなく、途方もなく長い歳月のように思えました。

だいたい物心ついた段階でもう 「戦争が終わって四半世紀」 みたいな世代ですからね。 「もう」、というのか 「まだ」 というのか、ともかくあの壊滅的な大破壊から20何年しかたってないのに、東京はほとんどその名残を消しつつあった。

最も目に見えて分かる戦争の遺産は、やはりなんと言っても防空壕跡。 まだあちこちにありましたよ。 つい2、3年前だったか、私の近所でも私の知っていた、最後の防空壕跡が姿を消しました(私の知らない防空壕跡がまだあるかもしれませんが)。

それがですよ、キャンディーズが解散してから、もう40年って。

ささ様のコメントであらためて気付きましたが、そーだよ東西冷戦構造がなくなったんだよ、これだけでもかなり時代の大きな変化だよなー、みたいな。

中国なんて、「大地の子」 のドラマを上川隆也クンがやってた時代なんか、文字通り日本が技術提供をする発展途上国だったんですからね(当時の言いかたをそのまま引用すれば)。 自転車だらけで人民服着てて。
それが今じゃ日本をはるかに凌駕する経済大国…それで共産党とか、おかしくね?みたいな(笑)。

それなのに、自分の精神構造の、なんと変わらぬことよ(ハハ…)。 40年たとうが50年たとうが、ずーっと同じなんでしょうね。

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» キャンディーズの覚書 田中好子 [.net.amigo]
結婚の翌年に乳がんを発症したというから、19年間患っていたことになる。 十二指腸潰瘍を患って、2月下旬にラッシュ(←肝臓など多臓器に癌が転移)という状態に陥り、再入院していたとは。... [続きを読む]

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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