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2018年5月19日 (土)

西城秀樹をシングル曲で振り返る

 西城秀樹が早すぎる死を迎えてからのち、テレビでは街の人に聞いた彼の曲ベスト3だのをよく放送しているが、まあそれが一般的な捉え方とは言え、1972年の彼のデビュー時(ほぼ)からコアなファンであった自分にとっては非常に不本意を感じることが多い。

 街の人に聞いた西城秀樹の歌ベスト3というのは、だいたいが 「ヤングマン」 が1位であとは 「傷だらけのローラ」「情熱の嵐」 などが続く。
 私がベスト3を選ぶとすれば第1位は 「ラスト・シーン」(1976年)だ。 この曲はバラードで、およそ秀樹の激しいイメージとはそぐわない。 イメージが違うせいか確かあまりヒットしなかった覚えがある。
 この曲は大人の女性に歌の主人公が失恋していく様を歌っているのだが、とにかく阿久悠が書いている詞の世界が素晴らしい。

 ♪「何年でも待つよ」 と言ったら、あなたはさびしく微笑みながら 「そんなことをしたら不幸になるわ 忘れたほうがいい」 と言う――。

 この曲の詞をじっくり読んでいくと、相手の女性はおそらく早晩死んでしまうのだろう、ということが想像できる。 相手の女性はもはや、「ありがとう」 という言葉しか主人公の男に送ることが出来ないのだ。

 ♪ありがとう しあわせだったわ 一緒に歩けなくてごめんなさい

 これが2番では 「できれば もっと早く逢いたかった」 となる。 その言葉を聞いた男は、賑やかな雑踏のなかで熱があるように震え、夢を見たように、泣くのである。

 この 「ラスト・シーン」 という歌は1976年の12月に発売されているが、阿久悠は同時期に桜田淳子に対しても 「もう一度だけ振り向いて」 という傑作を提供している。
 当時の阿久悠のモチベーションについて私はよく考えるのだが、おそらく根底には山口百恵の 「横須賀ストーリー」 があるのではないか、とにらんでいる。 阿木曜子が書いた 「横須賀ストーリー」 の詞はこれまでのアイドルが歌ってきた歌詞とは完全に一線を画している。 要するに、散文調なのだ。 そしてその歌詞に流れる精神性は、少女の憧れとか悩みとかを描いてきたアイドル歌謡とは異質のものだ。 当時の阿久悠はそれを凌駕する必然性に直面したのではないか、と私は考えている。

 そして秀樹は、阿久悠が目指したその一歩先の精神性を見事に歌いきったのだが、時代はまだその必然性にまで達していなかったのだろう。 桜田淳子の 「もう一度だけ振り向いて」 もあまり売れなかった記憶がある。 桜田淳子がワンステージ上の世界を歌うのに中島みゆきの 「しあわせ芝居」 まで待たなければならなかったのと同様に、西城秀樹も 「ブーツをぬいで朝食を」 まで待たなければならなかったのだろう。

 「ラスト・シーン」 で死にゆく恋人の達観した心象についていけずただ泣くだけの 「僕」 は、今の私の心境とも重なる。 あまりにも早い西城秀樹の死に、ただ呆然とするばかりなのだ。

 私が次に選ぶ西城秀樹の曲は、「至上の愛」(1975年)。 この曲もバラードだが、後半盛り上がっていくのでロッカバラード、という範疇に入ろうか。 まずイントロで女性のスキャットが入る(この元ネタはたぶんあの曲だと思うのだが曲名が出てこない)。 この時点でそれまでの西城秀樹の曲とは全く違う驚きをもたらすのだ。

 安井かずみによる歌詞はかなり主観を前面に出したものだが、曲の世界観は当時流行っていたタカラヅカの 「ベルサイユのばら」 を連想させる。
 秀樹の歌もそれを受けて激しい曲のときよりも余計に情感がこもっていて、お互いの昂ぶっていく気持ちを抗いきれない切迫感をというものが曲全体にあふれているのだ。 この曲を初めて聞いた小学5年の頃の自分の気持ちを、私は未だに覚えている。

 ♪君をどこかに連れて行きたい 海が見える見知らぬ街へ

 このフレーズのバックで流れるディストーションがかかったエレキギターがまた怖くて秀逸だ。 私は男の子だったが、本当に秀樹の歌に巻き込まれてどこかに行ってしまいそうな錯覚を覚えた。 かなりの衝撃だった。
 衝撃と言えば 「傷だらけのローラ」 でも、秀樹の第一声が始まる前の、おそらくシンセサイザーの何重ものダビングだろうと思うが(当時のシンセサイザーはまだ和音を出せなかったはずだ)、低音から高音に上昇していくその音も、当時衝撃的だった。 西城秀樹の歌はロックの世界を歌謡曲にもたらした、という評価を、この訃報の際にもよく聞いたものだが、ビートルズに衝撃を受けるまで私が衝撃を受け続けていたのはほとんど西城秀樹だけだったと言っていい。

 1975年に発売された秀樹のシングル曲というのは 「白い教会」 にしても 「恋の暴走」 にしてもいい曲だらけなのだが、私が次に推したいのは 「この愛のときめきを」 だ。 イントロなしでコーラスが入る。

 ♪どんなふうに どんなふうに どんなふうに どんなふうに愛したら分かってくれるだろう

 この構成で分かるように、この曲はどことなくミュージカルのなかの1曲、という風情の曲だ。 エンディングに入ると曲のイメージはぐっと自由になっていく。 こういうちょっとした変化球みたいな曲をいきなりリリースされると、ガキンチョはそれだけで夢中になってしまう。
 確かに 「情熱の嵐」 や 「激しい恋」「薔薇の鎖」 などストレートなロック色の強い曲も極上のものがあったが、こうしたジャンルの違う曲をいきなりリリース出来る、というのも西城秀樹の強みだったような気がする。

 そのほかにも 「涙と友情」(1974年)。 「ジャガー」(1976年)。 どうも私の好きな曲というのは世間と大きくずれているようだ。

 そんな私が違和感を覚えたのは、やはり 「ヤングマン」 だったろうか。 曲自体はいいのだが、どうもパッケージングがオコチャマ向けぽいというか。 万人向けだからこそ件のニュース番組でも未だに第1位になる曲だし 「ザ・ベストテン」 での最高得票数 「9999点」 のインパクトも未だに抜けないのであろう。 ただ中2になっていた私は少々引いたところから見ていた気がする。

 西城秀樹が 「鳩子の海」 でブレークした斎藤こず恵と一緒にやっていたラジオ番組を覚えている。 文化放送の 「ヒデキとこず恵の楽しいデート」 だ。 当時10才にも満たなかった斎藤こず恵は 「チコちゃんに叱られる」 のチコちゃんも真っ青なかなり破壊的なキャラクターで(笑)、「パパのおいもちゃん」 などと番組中に発言したりしてヒデキがオロオロし、そのヒデキのオロオロをこず恵がさらに面白がる、といった構図だった。 かなり面白くて、カッパブックスだったか、番組をまとめた本が出たのを買ったりした。 あれは今どこに行ってしまったのか。 もう一度読みたい。

 NHKでやってた 「青春のポップス」 の司会も忘れ難い。 ヒデキのやっていた番組を見ていたのはあれが最後だったか。 うろ覚えであるが、番組をやってる時期に最初の脳梗塞をしたような気がする。 最初の脳梗塞をしてからは 「吉田照美のヤルMAN」 に出演してさかんに水を飲むようにと話してたっけ。 2、3年くらい前の 「NHK思い出のメロディー」 に出てたのを見たのが、個人的には最後になってしまったことになる。

 どうしてこんなことになったのか、とても混乱している。
 ただご冥福を、祈るばかりだ。
 ありがとう、ヒデキ。

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コメント

新御三家で一番健康そうに見えてた人が、脳梗塞を二回も発症し、それでも、一生懸命リハビリを頑張って、歌手としてステージに立ち続けた。
昭和のスターだわ。
ブルースカイブルーが一番好きかもしれないけど、頭の中はブーメラン、ブーメランが継続して鳴っています。
踊らなくてもとっても歌が上手だったんですよ。
でも、 アクションしながら歌った最初?の歌手でしょうか。
ヤングマンは、売れたけど、私は当時は冷めた感じでした。カバーだったし。
まあ、西城秀樹だからこそ爽やかだったんでしょうが。
晩年、脳梗塞の後遺症と闘いつつ、歌っていた姿が気高かったなあと思いました。
楽しようってしなかった。弱くなった自分を晒した。すごい勇気だし、人間としてかっこいい人だったなあと思います。
まさか、こんなに早く亡くなられるとは思っていませんでした。高校生の頃、クラスメートに彼の大ファンがいたんですよ。神のようにかっこいいって言ってましたっけ。懐かしくそして淋しいですね。時は本当に残酷に駆けていくんですね。


投稿: ささ | 2018年5月20日 (日) 14時41分

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

私もビートルズと出会うまでは西城秀樹がいちばんのスターでしたね。 当時はいろんな歌に絶えずショックを受け続けていたような気がします。 新御三家では、野口五郎も好きでしたよ。 「私鉄沿線」 が女々しいイメージを拡散してしまいましたが、筒見京平が絶えずバックにいてくれたことが何よりも大きかった。 郷ひろみはどうも男の子が好きになるにはアイドルすぎましたね。 「よろしく哀愁」 は好きだったけれど。

その新御三家どころか、御三家のかたがたもまだ全員ご健在だというのに…。 やはりあまりにステージアクションが激し過ぎて、血管切れそうだったし(いえ冗談ではなく)。 血管に負担がかかっていたのかな、なんて考えます。

絶叫系の歌い方というのは、私の知る限りでは布施明が元祖なような気がするのですが、特に秀樹は 「愛は不死鳥」 の歌いかたに影響を受けている気がする。 しかし秀樹の場合、それを一歩追い進めた、より過激な方向にシフトしてましたからね。 やはり体に大きな負担がかかっていたのかもしれません。

投稿: リウ | 2018年5月21日 (月) 07時45分

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