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2018年9月

2018年9月 7日 (金)

「西郷どん」 9月2日放送分まで見て

 前回(4/1)のレビューで、「幕末の複雑化した話を単純化し分かりやすい感情の物語に構築し直している」、という 「まあこれはこれでありか」、というような評価を下したこのドラマ。
 この手法は西郷が島流しされた奄美編までは功を奏していた。 特に島での妻、愛加那の存在感は出色で、このドラマの最大の収穫がここで実った気もした。

 しかしながら、西郷が島から復帰したあとは、ますます混迷の度を増した幕末の状勢が作り手の手腕では咀嚼しきれていない、と率直に感じる。
 この大河ドラマの肝を形成している最後の砦は正直なところ家族の情愛、恋愛パートだけだ。 ところが、幕末の不穏な情勢が単純化されている影響なのか、この恋愛パートの 「お話としてのキレ」、がまことに弱い。 どこかで既に見たようなドラマのレベルを完全に踏襲している形だ。 以前にどこかで聞いたようなセリフ、しかも陳腐なセリフが散見され、見る側の気持ちを昂ぶらせるまでに至らない。

 このドラマは西郷をめぐる女性たちの 「心情」 に深く神経を使っている、いわゆる 「女性目線」 のドラマであることは明白だが、幕末の状勢を単純化させたあとに残る西郷吉之助、というひとりの男の複雑な胸の内が表現しきれない、というスパイラルの結果、恋愛パートの説得力に決定的な悪影響を与えている。

 逆に考えると、西郷の三番目の妻である糸の心情から言えば、西郷がなにをやったのか、なぜここまで周囲から持ち上げられるのかはどうでもよく、坂本龍馬などというよく分からない脱藩浪士とヒソヒソ密談を重ねる夫の姿に不安を覚え、それでも実はいちばん気になっているのは自分と違って子供をポンポン産んだ二番目の妻について。

 このドラマにおいてもっとも史実と違う改変が行なわれたのは、この糸という女性の設定である。 つまり作り手は、西郷と糸の年齢をギュッと縮めさせ、糸を西郷の幼馴染にしてしまった。
 この改変に含まれる意図は明白だ。 糸と西郷の絆を強固なものにしたかったがためだ。

 しかしその意図は作り手の 「歴史勉強不足」 によって完全に説得力を失ってしまった。
 物事を単純化出来るのは、ものごとをよく知悉し理解できる者だけだ。
 その単純な構図を見誤ったことに、今年の大河の最大の失敗の原因がある。

 このドラマの時代考証の一員である磯田道史氏。 私は彼の働きに一縷の望みを託していた。
 だがここまで見た限りの印象を申し上げれば、磯田氏の働きというのは、断片的で瑣末な史実について、彼流の見解が見られる程度のことで、彼自身はこの物語のあまりのフィクション性について、大筋で関わることを意識的に避けているように見える。
 それほどこの 「西郷どん」 の物語の骨格というのは途方もなく、一面的かつ、脆弱性過多なのだ。

 あとはこの、「途方もない」 展開を示すこのドラマがどのように収束していくか。 私の興味はそこだけにある。 「このペースで果たしてちゃんと終われるのか」、という危惧が奄美編の段階からネットで指摘されているこのドラマ。 最終回まで私のヘソを笑わせてくれそうだ。

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