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2018年10月

2018年10月13日 (土)

ブログ開始から10年(開始、盛況、転機、近況)

御礼

 2008年の10月9日、ジョン・レノンの誕生日にスタートしたこのブログ。 紆余曲折はあったものの、10年続けることができた。
 おそらくそれはこのブログにコメントを下さる方々のおかげである。 このいい加減な不精者が唯一モチベーションを見いだせるとすれば、それはコメントを下さる方々とのおしゃべりだけだからだ。 改めてこの場を借りて感謝申し上げたい。

開始当時

 「詩集」 と銘打ってスタートしたブログである。 当然最初は詩から始まった。 だがそれは世間一般の常識から言えばとても詩とはいえないカテゴリに属するものだった。
 「降霊によって呼び出したジョン・レノンにインタビューする」、という内容のもので、最初に書いたのが1987年、自分が22歳の頃だったから、20年以上手直しを続けてきた、いわば私にとっては 「出世の本懐」、つまりこの詩を世に出すために生まれてきた、という覚悟を秘めた詩だった。 ジョン・レノンの誕生日に合わせてアップできるよう、買ったばかりのPCをああでもないこうでもないと悪戦苦闘しながらいじくり回した末の労作だった。 これを世に出すとき、使い古された文句だが、私の胸は期待と不安で高まった。

 しかしこれをアップしてから数日。 確かアクセス数は一桁のままだったと記憶している。
 当然ながら、かなり落ち込んだ。
 そしてブログのアクセス数を伸ばすにはどうしたらいいのか、ネットでいろいろ調べてみた。
 「とにかく毎日書け、何でもいいから書け」。 これが私の得た結論だった。
 いろんなことを書いたのだが、最初に爆発的にアクセス数が伸びたのが、NHK大河ドラマの 「篤姫」 の最終回を見た感想を書いた記事だった。 最初の詩のアップが10月だったから、2ヶ月はたっていたことになろうか。 それまでよくて二桁に届こうか、というアクセス数が、1日で90件近く出たのだ。 とにかく驚いた。

 私がアクセス数の魔に魅入られたのはこのときであろう(笑)。 当初の 「詩集」 という名目はあっさりと撤回され、まあドラマの感想文を書いておればたまに詩も読んでくれるようになるであろう、というスタンスにさっさと乗り換えた。

ブログ盛況


 このブログが最も活況を呈したのは、NHK朝ドラ 「カーネーション」 の感想文を書いていた時期であろう。 ほぼ週イチで書いていたのだが週を追うごとにその量は膨大になり、ドラマの秀逸さと相俟ってコメント欄も充実した。
 しかしその副作用がなかったわけではない。
 あまりに仔細にわたってのめり込んだせいか、朝ドラの次作である 「梅ちゃん先生」 のあまりの落差に辟易としながら記事を書き続ける私の元に、私の人格を否定するような書き込みが現れたのだった。
 やはりアクセス数が伸びれば自分の書いたことにも責任が生じる。 このほかにも何の気なしの軽口に思わぬ怒りのコメントを頂戴したり、ネットとの付き合いかたを考えさせることが度々起こるようになった。

転機


 社会に出てから自分の歴史について、何年に何があったとかいう意識がほとんどなくなっている。 そのため何年前に起きたことだかもう記憶がはっきりしないのだが、このブログにとって最初の転機となったのは、私がヘルニアの悪化で入院したときだったと思う。 ちょうど大河ドラマで 「平清盛」 をやっていた年の暮れだ。
 これがきっかけで、それまでほとんど毎日のように書いていたペースを落とすことになった。

 二度目の転機は、自分が経営していた超弱小の会社を休業させることになったとき。 1ヶ月か2ヶ月くらい(ブログの上で)雲隠れした。 あの頃のことはもう思い出したくもないが、それを機にブログの記事数はさらに度を増して激減したと言っていいだろう。

近況

 今年の7月に、録画機が故障した。 それからテレビドラマは 「西郷どん」 以外見ていない。
 このブログを続けるためにテレビドラマを片端から録画し続けてきたが、ちょっとチェックしすぎていた気もする。 倍速で見ないと視聴が追っつかないのだ。 特に朝ドラは見るのに体力が要る。
 このたび始まった 「まんぷく」 は、ヤフーの感想欄を見る限りでは久しぶりに良質のドラマのようだが、私は休む。 録画機は故障したまま、放ってある。

 家電は故障し始めるとそれが続く、とはよく言ったもので、10年前に買ったPCもWindows Vistaのまんまでだましだまし使っていたが活動限界を迎え、おまけに乗っている車のカーオーディオもディスク読み取りができなくなった。

 仕方がないからこのたび、PCを買い換えた。 9万円。 痛い出費だ。

 買い換えてからあまりに当然のことに気付いたのだが、何しろ動作が速い。 これまでVistaでどれだけの時間を無駄にしてきたかが悔やまれる。
 しかもVistaではできなかったようなのだが(よく分からん)、民放の公式サイトTVerとかいう見逃し番組無料配信サービスが利用できるようになったみたいなのだ。
 私はケータイもガラケーで通話とショートメールくらいしか使わないので、数年前から始まっていたこのサービスに全く関心がなかった。
 しかしこれなら、録画機がなくてもテレビドラマをフォローできるではないか。 ただし放送1週間以内だけど。 NHKのオンデマンドという同種のサービスは有料だから食指が動かない。 受信料を払っている人とその家族には無料で提供できるとかしたらどうなのか。

まとめ

 テレビドラマの感想を中心としているこのブログだが、正直なところここ数年のテレビドラマというのはこれぞという傑作がない。
 私がブログをせっせと書いていたあの時期、「カーネーション」 はもとより、「外事警察」「JIN」「mother」「流れ星」 などの傑作が多かった。
 私にとっては恵まれた、豊穣の時期だった。

 これからものらりくらりとこのブログも続けていくだろうが、自分が死んだときにはきちんと挨拶ができるように、今から準備はしておくつもりだ。

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2018年10月 7日 (日)

「西郷どん」 10月7日放送は、BS地上波ともに 「無血開城」…見たよ!感想だよ!

 台風24号の猛威によって吹き飛ばされた、先週のNHK地上波 「西郷どん」 無血開城。
 今週は先週分と合わせて2回やるのかな、とげんなり思っていたが、どうも本日10月7日放送のうちBSも地上波も 「無血開城」 を放送することになったらしい。 要するにBSのほうは先週の再放送、ということになる。

 こんなことはどーでもいいのだが(笑)、この記事を書いたのは、先月に書いた前の記事から1ヶ月が過ぎて、コメントにパスワード認証が必要となったからだけの話で(笑)。 あのパスワード、ホントに面倒ですからね。

 と、いうわけで。

 と書いたはいいもののコメントが来なくてマヌケなので(笑)、とりあえず書きましょうか、「無血開城」 の感想を。

 「民のため」 だとか事あるごとに口にし、人ひとり殺してガクガクブルブルだった男が、突然の豹変。 誰の言うことも聞かず、「自分は薩摩の殿様や国父さんよりエライ」 と全権を任されたかのごとく無茶な 「突撃ー!」 を繰り返し兵をバタバタ死なせ、あげくに江戸城を総攻撃、そして江戸を火の海にしようとする。
 その大目的と言えば、「徳川慶喜の首を取る、だけじゃ徳川は息を吹き返すから徳川そのものを完膚なきまでに消滅させる」。

 元はといえばこの西郷の豹変は、どっかからの 「慶喜が日本を外国に割譲しようとしている」 という信憑性が確定せぬ情報に、慶喜の側室だか情婦だかその身分が見ててもよく分かんないふき、という元キャバクラ嬢から仕入れた、「慶喜様が外国のかたとサツマサツマとしゃべっている」、というこれまた事実がはっきりしない情報とを付き合わせて、「慶喜は薩摩を売る気だ」、と大いなる確信をしたことが発端になっている。
 このドラマでは。

 ドラマとしての流れを俯瞰すると、その 「大いなる確信」 というのは 「大いなる思い違い」 にしか見えない。
 「どうしてその程度の情報で徳川壊滅にまで西郷の思考が発展してしまうのか」 ということに、ほとんど説得力が伴っていないことに気付くだろう。
 この、中盤から終盤にかけたドラマの展開は、「なぜそこまでする」、という西郷の動機を見る側が考えあぐねながらの視聴になっている。 作る側はそれに対して、きちんとした 「西郷の本心」 を用意しておかねばならない、と思うのだ。

 しかし、それは無駄な期待だったことが 「無血開城」 の回で明らかになった。
 西郷は勝との会談で、自分がこれまで事あるごとに 「民のため」 と主張してきたことを勝との会話の中から思い出し、それまで見ている側が理解不能だった豹変ぶりをあっさり撤回してしまうのだ。 見ている側からすれば、「西郷はいつも民のためとぬかしておったろう、今更そんな当たり前すぎることを思い出すのか?」、ということになる。
 つまり、「ハシゴを外された気分になる展開」、ということだ。

 西郷が自らの言動を回想するこの下りはさすがに、…

 …。

 こんな薄っぺらーい話でよければいくらでもこのドシロートが創作してNHKにくれてやるぞ、というか。

 はぁ~。 ヘソが笑うのもためらってしまう。 すげーな。 逆に。

 西郷の翻意を得て泣き出しちゃうしな、勝も。 泣くな男だろ(はぁ~…)。 ラヴイズオーヴァー。

 慶喜と西郷の会談では、慶喜が逃げたのはフランスが助太刀してやる、その代わり薩摩をよこせ、と言われたからだった、ということが判明。
 なるほどそうか!
 って、見る側としてはここで納得しなきゃいけないのだろうけれど。
 それってちょっと。
 子供だましなような気が。
 そしてその、私に言わせれば 「下手な言い訳」 がまかり通ってしまう不自然。
 西郷は感激して、「日本を守ってくれたんですね」 と。
 うーん、こんなおバカでいいのかな。 史実もおバカなのかな。 だいたい西郷と慶喜って無血開城のとき話ができたのかな。 こちらも頭がバカになっていく感覚が…。

 トートツ、と言えば江戸城のアーカイヴに二宮尊徳の著書が出てくるという点でもそう。 「これで農民が喜ぶ」 だとかなんとか。 どうしてこう、いつも 「取って付けたみたい」 なのか。 ヘソが笑うぞ。 毎度だが。 そのあと尊徳の本を顔にかぶせて寝てるし。 それを見て取り巻きが 「兄さあが死んどる」「兄さあはいちばん働いたんだから寝かしておけ」 だって。 笑えるなー(棒読み)。

 あと、「花神」 の主人公、大村彦次郎(違ったっけな)が林家正蔵というのにもヘソが笑った。 ここまでくると冒涜でしょ。 いきなり現れた大村を見て(まぁ~脈絡もなくいきなりなんだわこれが)、西郷が放った一言にも笑った。 「あなたが『あの』大村さんですか」(ハハ…ハハ…)。 いつから知ってたの西郷(ハハ…ハハ…)。 その正蔵、「あんたたちは戦い方を知らん」 だって。 エラソーなのにすごく頼りない(爆)。

 スゲーなホント。

 挙げ句の果てに、「新しい国を龍馬も喜ぶでしょう」 チャンチャン。 なんだこの、「取って付けた」 権化のよーなオチ。

 ホントにスゴイ。 凄すぎるぞこのドラマ(ヤケ)。 真面目に感想を書くのが馬鹿らしくなってくる。

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