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2018年12月23日 (日)

「獣になれない私たち」「僕らは奇跡でできている」 のふたつのドラマ、生き方に対する姿勢の比較で考える

 「逃げ恥」「アンナチュラル」 の脚本家である野木亜紀子氏。 僕シリーズ、「不毛地帯(唐沢寿明版)」 の橋部敦子氏。 野木氏は1974年生まれで橋部氏は1966年生まれ、ひと回りの年の差があるが、この秋クールに展開した実力脚本家のふたつのオリジナルドラマは、おふたりの 「生きかた」 に対する違いを垣間見ることができて、興味深かった。

 視聴率的にはふたつのドラマとも惨敗の域に入る。 しかしこの手のドラマが積極的に見られない、ということは、日本の国力の低下の表われのような気もする(オーゲサ)。 人々は自分の理解できない登場人物を無理して理解しようとしないし、見た目退屈そうなドラマをわざわざ自分のスマホにかける時間を削ってまで、見ようとしない。 簡単で分かりやすく感動でき泣けるものばかりにアクセスするという傾向は、精神の老化を意味するものなのではないか。

 いや、日本人の高齢化現象は、すでに 「好奇心」 という精神の部分においても、だいぶ進行している、と私には思えてならない。

 「獣(けも)なれ」 と 「ぼく奇跡(キセ)」 は、極端に言えば 「人生ってこんなもん」、という諦めみたいな態度と、「人生をもっと豊かに生きるにはどうすればいいのか」、という幸せ探しみたいな態度の、真逆のベクトルで構成されていた気がする。

 だが両者に共通するのは、「自分の人生にどうやって向き合ったらいいのか」、という目的地だ。

 「獣なれ」 の主人公、新垣結衣はパワハラ社長と無能な部下に恵まれた(笑)劣悪な環境下で働いていた。 恋人の田中圭は元カノの黒木華と別れられず自分のマンションを彼女にやってしまう究極の 「優しい男(アホ男とも言う)」。
 視聴者に受け入れられなかったのは、この登場人物たちが嫌悪されたためだ。 ある一面ではリアルを突き詰めすぎた結果ともいえるが、この極端な状況設定が見る側に鬱々とした自分の人生を投影させる悪循環をもたらした、ということだろう。
 さらにこのドラマでは欠くことのできなかった物語展開の劇場であった、クラフトビールバー 「5tap」 のいかにもセレブチックな設定が、給料も上がらずじわじわとした物価上昇に汲々としている庶民感覚には、そぐわなかった。 そんなところで毎日のように千円とか2千円、5タップまでいけばおそらく4千円くらいは取られるであろうビール代を平気で払う、金銭的余裕のある登場人物たちが何を悩んだってどうということがあるものか(なんか個人的な感想になってきた…笑)。

 だがそんなセレブなバーでなければ、新垣は自分の人生に当たり前の決断を促してくれる人物たちに出会わなかった。 それがドラマ、というものだ。 多くの人たちはおそらく今の時代、どこへも行かず誰とも会わず、ネットの世界をさまよいながら、自らの行く道を決めていく。 でもそれでは、ちっともドラマにはならないのだ。

 新垣にもたらされた当たり前の決断。 それは会社を辞め、恋人とも別れるというものだ。
 こんな当たり前の決断を彼女がするのに、彼女はバーで出会った松田龍平とキスはするわ寝るわしなきゃいけなかった。 そこまでする必要があったのか。

 いや、人が大事な決断をするときは、そこまで自分の生きかたを掻き回さなきゃリセットできないものなのだ。

 では、女優・新垣結衣にとってこういう掻き回し展開は必要だったのか。

 必要だった。 今年30を迎えた新垣にとってこのドラマはいかにも小さな一歩だったかもしれないが、みずからの演技に深みを加えるために必要なドラマだった。
 ドラマの序盤だったか、あまりに理不尽な状況が続きすぎたために、新垣の精神状態は危険ゾーンに突入する。 どんなつらい目に遭っても、「幸せなら手をたたこう」、と呆けたようにつぶやき歌い続けるのだ。 こういう凄みを感じることができるのは、やはりドラマの醍醐味だろうと思うし、おそらく脚本の野木氏も新垣も、こういう 「限界を超えたとき、人はどうなるのか」、という世界を表現したかったのではなかったか。

 ドラマではもうひとり、自らの限界と向き合っている女性が設定されていた。 田中圭の母親である田中美佐子だ。 彼女はほかの家族の無理解のもと、植物状態同然の自分の夫を介護し続けている。 新垣が彼女の味方をしたとき、それまで表面上朗らかだった田中美佐子は自分の感情を露わにする。
 さらにもうひとり、マンションをもらった黒木華も、実は自分の生きる道を見失った限界状態のなかにいた。 黒木はその悲しさ情けなさ、苛立ちを、他人を不快にすることで解決しようとしていたのかもしれない。 しかしそれは回り回って自分を傷つけるだけだった。

 このドラマは、そんな 「テンパっている人がどう行動してしまうのか」、というパターンを表現しようとしていたのではないだろうか。 そこから見える脚本の野木氏の考えには、あまり 「人生に対する処方箋をドラマを通じて表現しよう」、という気概は感じられない。

 あくまで、あるがままに。

 どう生きていこうと、人生は人生。 そこから見える風景が、自分の人生の風景なのだ。
 ラストシーン。
 松田と新垣は定時に鐘の鳴る、という教会にやってくる。 松田も新垣も、自分のなかにいた小さな獣を発動させて、新しい局面に立ったばかりだ。
 ふたりで見守る教会の鐘。 鳴るのか鳴らないのかは、実はドラマにとって、そしてドラマを見ている観客にとって、さほど重要ではないのだ。
 その教会は、ただあるがままに、そこに存在し、それを見守るふたりの人生の、風景の1シーンとして、刻まれていく。

 それに対して、「僕キセ」 は、「人生、こう生きたらもっと楽しめるのではないか」、という提示にあふれていた。
 まず主役の高橋一生が発達障害気味の人物を演じたところから、このドラマは 「普通の人が陥りやすい常識」 に一石を投じようとしていることが分かる。
 ここでの高橋は自分の夢中になることにしか神経がいかないタイプの人間だ。 そして彼の周りの環境は、彼に対して常に優しい。 彼が受ける外的ショックに対して、常にアブソーバー的な役割をしてくれる点においてだ。 それはドラマを見る側にとっては、とても羨ましい、オアシスのような場所だった。 まずこの環境が、脚本の橋部氏の理想を物語っているように思えた。

 彼が通うことになった歯医者の榮倉奈々は見た目完璧な完全主義的なところがあり、それゆえに自己嫌悪に悩まされていたが、高橋の 「あなたのいいところを100個、僕は言うことができる」 という言葉でその苦しみから解放される。
 高橋が挙げていった榮倉のいいところは、実は普通の人からすればなんてことはない、できて当たり前だと思えるようなことばかりだった。
 しかし、それをできることがそもそもすごいのだ、という考えまでに、人はなかなか至らない。
 無感動で冷静な生きかたをしていると、当たり前のことを当たり前だと考えて何が悪いのだ、という、身も蓋もない考えに陥ってしまうことが少なくない。
 けれど、できて当たり前のことができることはすごい、と考える癖というのは、別に身につけといても損はないんじゃないか。

 なぜなら、できて当たり前のことは、年を重ねることにできなくなってしまうものだからだ。

 年々減っていく 「できて当たり前のこと」。 それでも、いくつかはまだできることは残っている。
 そのときに威力を発揮するのが、できて当たり前のことをすごい、「と思う癖」、なのだと思う。

 このドラマの主眼は、「もっと自分のことを好きになろう」、という啓発であったような気もする。 そこには楽観主義が介在することになるが、別にそういう考えができなくとも自分を責める必要もないし、そうしなくてはいけない、という無理強いもドラマは否定していた。 コンニャク農家のあとを継ぐかどうかで悩んでいた高橋の教え子も、彼がどうすべきかをドラマは根本的問題としていない。

 このドラマは、あくまで 「こう生きることができたらもっと幸せなのではないか」、というひとつの提案でしかないのだ。
 そこには、脚本の橋部氏自身の、生きかたに対する模索の姿勢が見て取れる。

 そういう点で、「獣なれ」 と 「僕キセ」 は、全く違うベクトルでできているドラマだった、といえるのだ。

 普通の人が陥りやすいドラマの見方として、「この人とこの人はくっつくのか」、という素朴な興味がある。
 「僕キセ」 では高橋と榮倉の恋の行方、といったところだったが、このドラマはそうした俗物的な興味にも、さらりとした答えを用意していた。

 いわく、「僕はあなたを、面白い、と思う」。

 なんと素敵なセリフか。 好きだの嫌いだの惚れただの腫れただの、そんなドロドロとは全く無縁の世界。
 実は高橋の精神的範疇においては、そこから先のドロドロとした領域に踏み込むことに対する恐怖が存在しているのかもしれない。
 それでも、そんなドロドロとは無縁の部分で、存在できる恋愛があってもいい。
 いや、それは、人生のパートナー、という考え方なのかもしれない。

 今回私は、初めてTVerによる視聴を敢行したのだが、セリフの聞き取りにくさにおいてかなり不便を感じた。
 だが、聞き取れないけどそれはそれでいいか、と考えてみることにした。 セリフが字幕で読める、というのはそれで100パーセントそのドラマを理解できることにつながるが、それが本当に重要なことなのか、と自分に問えば、そうでもない気がしてきたからだ。

 考えが柔軟になったのか面倒くさがりになったのか、それは自分でも分からない。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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