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2019年1月14日 (月)

「いだてん~東京オリムピック噺」 第1-2回 ビートたけしへの世間の忖度、と反発

 橋田壽賀子作の 「いのち」 以来33年ぶりとなる、近現代史を舞台とした大河ドラマ。 朝ドラ 「あまちゃん」 を脚本した宮藤官九郎が、「このドラマは事実をもとにしたフィクション」、と大河ドラマでは初めて公式に但し書きされた、舞台を描いていく。

 「このドラマは事実をもとにしたフィクション」、というのは、ここ数年の大河ドラマでは、すでに常道になっている皮肉な事実だ。 「龍馬伝」 では坂本龍馬とどれだけ親交があったか分からない岩崎弥之助をモーツァルトとサリエリの関係になぞらえ、「おんな城主 直虎」 では史実上男だったか女だったか分からない資料の乏しい人物を中心に、ほぼ脚本家の創作で一年を貫き通した。
 そのほかにも本能寺が大爆発を起こしたり主人公が有名な歴史上の現場に遭遇しまくったり、とりあえずリアルではないこともあることはあったが、酷かったのは去年の 「西郷どん」 にとどめを刺す。 あれこそは 「事実をもとにしたフィクション」 の最たるものだった、と断言する。
 蛇足であるが、当初この 「西郷どん」 でナレーションを担当するはずだった市原悦子さんが、亡くなった(13日)。 ご冥福をお祈りします。

 「いだてん」 は1910年代と1960年代の、半世紀を挟むふたつの時代を舞台としている。 1910年代では日本人が初めてオリンピックに出場した時代の空気を描き、1960年代では、そのオリンピックを東京で開催することを描いていく。
 このふたつの時代を時間軸通り淡々と描いていくならば、物語は滔々と分かりやすく進んでいったことだろう。
 だが、トリックスター的な精神的爆弾を抱えたままの宮藤官九郎という脚本家は、そういう分かりやすさをハナから拒絶した。 宮藤は第1回から、このふたつの時間軸を行ったり来たりする、複雑な物語展開を選んだ。

 もともとこのドラマのいちばん高いところに存在している目的というのは、来年行なわれる史上2回目の東京オリンピックに向けて、「オリンピックが日本人にどのような意識の変革をもたらしたのか」、ということを解明していく作業だと思われる。 それを物語として明確に浮かび上がらせるには、やはりこのふたつの時間軸は、行ったり来たりする必要がある、と私には思える。

 宮藤のドラマクリエイターとして冴えているところは、このふたつの時間軸を、古今亭志ん生という希代の落語家を通じて結びつけたことだ。 このことによって、ドラマで起こるさまざまな事象を落語の噺になぞらえる、通好みの粋な落としどころが表現可能となるのだ。
 そして半世紀、50年という時間の 「重み」、というものもドラマに投影できるようになる。 ただ単に生きているだけでは、誰それが歳をとったとか偉くなったとか没落したとかそんな感慨しか生まれないものだが、50年という歳月のなかで、何が変化していったのか、何が日本人の心の中からなくなったのか、昔はどう考えていたのか、それを考えることができるようになるのだ。 すなわちそれが、「時の重み」、であると言えよう。

 例を挙げよう。

 古今亭志ん生(ビートたけし)は物語の古い時間軸のなかでは若く(森山未來)、ハチャメチャな生き方をしていたが、新しいほうの時間軸では弟子入り志願の若者(神木隆之介)のハチャメチャさについて行けてない。 そこから志ん生の来し方を想像することは楽しい。
 若い志ん生は第2回で橘屋円喬(松尾スズキ)の落語に触れ、そこで感銘を受けたことで落語家となっていくのだが、第1回で壮年の志ん生のもとに弟子入り志願してきた神木は彼女(川栄李奈)と二人連れ。 「あなたの落語が面白かったら弟子入りさせて下さい」、という新人類ぶりだ。 それが創作であってもフィクションであっても、時代の変化を感じさせるエピソードではないか。
 今のところ例に出せるのはこれくらいであるが、おそらくこの先、1960年代編には1910年代編の主人公である金栗四三(中村勘九郎)が、当時存命中だったから出てくるはずだ。 そこから導き出せる物語の奥深さを考えると、今からわくわくして仕方ない。

 このところの大河にとても希薄だったのは、この 「時の重み」 感なのではなかろうか。 主人公たちはいつの間にか歳を取り、さして老けメイクをすることもなく、テロップで出てくる年号に 「えっ、もうそんなに経ったの」。 これではいくら史実を追いかけたところで、そこに説得力はほとんど発生しないし、ましてや一貫性のない、都合のいい個人的感情だけを並べ立てても、単純で上っ面なお涙頂戴ドラマにしかならない。

 「西郷どん」 のことを言っているのだが。

 このドラマの1910年代編で第1回目に展開したのは、「初めてオリンピック、というものに触れた世の中の反応」、というテーマだった。
 ここで対立軸として描かれたのが 「体育」。 「体」 を 「育」 てることが目的な従来の体育協会の考え方は、体を動かすことの楽しさやそれを競い合うことの楽しさを目指す 「スポーツ」 という概念と相容れない。 これを説いた嘉納治五郎(役所広司)の考え方の柔軟性をここで提示すると同時に、「勝つことにこだわり命がけになってしまう」(杉本哲太) ことの悲劇を同時に提示する。 私はこの役所と杉本の対峙を見ていて、1964年東京オリンピックのマラソンで銅メダルをとった我が故郷の英雄、円谷幸吉が自殺に追い込まれたことを想起していたのだが、スポーツがもたらす功罪について一瞬のうちに説明し尽くしてしまう、宮藤のこの手腕には、恐れ入った。

 それにしても、ネットでは志ん生を演じているビートたけしへの不満が爆発しているようだ。

 いちばんあげつらわれるのが、たけしの滑舌の悪さだ。
 セリフが聞き取りにくい上に、世界の北野とか持ち上げられてるわりには、演技力が拙い。
 これは憶測だが、若い世代に顕著な不満のような気がする。
 かつてたけしがバイク事故で生死の間をさまよい、復帰するのにだいぶ長い時間を要した、という出来事(1994年)を知っているか知っていないかで、たけしに対する目というものは、かなり違ってくるのではないか、と私は考えている。
 このバイク事故で、たけしは顔半分の自由が、基本的に利かなくなった。 滑舌が悪いのは、顔半分の筋肉が思うように動かない後遺症のせいであろう。 それでもまだ今より若い頃はリハビリの効果もあっただろうが、やはり歳を重ねてくると、顔だって筋肉が緩んでくるものなのだ。
 私自身、帯状疱疹でたけしと同じく顔半分の踏ん張りが利かないので、たぶんたけしも同じなんじゃないか、と思っている。
 たけしは人気者だったから、事故当時はみんなたけしの無事を祈ったし、復帰してきたときの状態にショックを受けたし、それでも頑張るたけしを応援した。
 そういう経過を知っている世代ならば、おいそれとたけしに対して不満は感じないはずだ。 みんなその点では、たけしに忖度している、と言える。

 演技力に関しては、「拙いのがビートたけしの演技の味なのだ」、と言うほかはない。 「戦場のメリークリスマス」(1983年) から、たけしの演技力ってそれほど変化していない気がするが、たけしの演技というのは、その素人っぽさが醸し出すリアルである、と定義づけることができる。
 また、彼が監督した映画についても、私はよく分からない。 おそらくそれが海外で過大評価されていることへの不満が、今回のたけしに対する不満の土壌にある気もする。

 いずれにしろ私たちは、ある年代より上の世代から、ビートたけしという人物について、頭脳の回転が速く切り口が鋭いことに対する尊敬とともに、どこか鷹揚な気持ちで付き合っている部分があるように思う。 今回たけしに対して不満を表明しているネットの住人たちは、そうしたある種の忖度をできない人々なのだ。 彼らの目は鋭く、理解不能なほど偉そうだったり、過大評価される人物に対して、とても厳しい目を向ける傾向がある。

 ひょっとすると、1960年代からさらに50年を経た 「時間の重み」、というのは、こうした、いびつに見える評価、作られた虚像に対する嫌悪感を隠さない人々が、台頭してきたことにあるのではないだろうか。

 物語に話を戻せば、第2回ではようやく本編に入り、「西郷どん」 の記憶も新しい、西南戦争の現場近くだった主人公・金栗四三の生まれ故郷を描き、西南戦争の記憶も掘り起こされる。 ここでの金栗家も西郷家と同じ貧困のなかにいるのだが、大所帯の混乱をそのまま描いているのが却ってリアルに感じる。 面倒だからあとは省略!という居直りも潔い。
 なぜ 「西郷どん」 とシチュエーションが同じなのにここまでリアルなのか。 それは、四三の幼少期を演じた子役のせいだ。
 ネットの情報によると、彼はズブの素人らしい。 最近のこまっしゃくれた(失礼)演技力バリバリの子役みたいな、変な野心がないのがリアルなのだ。 どっかから連れてこられて、ただ言われたことをやってるだけ、という存在のなさげなところが、とても新鮮に見えた。

 その彼が、長兄の中村獅童に怒られて泣くのだが、ホントに怖くて泣いてるようなのだ。 何なんだ、この作ってない感じ。

 そして第2回で描かれたのは、病弱の父親(田口トモロヲ)に連れられて嘉納治五郎の授業を見に行き、「四三が嘉納先生に抱っこしてもらった」、と家族にウソをつく父親にショックを受け、打ち明けようかと悩む幼い四三の姿だった。
 父親が亡くなったその席で打ち明けようとする四三に、兄の中村獅童が 「何も言うな!」 と口止めする。 兄は本当はどうだったかを知っている。 それは、「父親の気持ちを考えろ」、ということだ。 さらに言えば、それを本当のことと信じようとする家族の気持ちも考えろ、ということだ。

 つまり、「忖度せよ」、ということなのだ。

 この話が理解できる人であるならば、ビートたけしのことも忖度せねばなるまい(暴論)。

 最後になるが、この第2回では綾瀬はるかが 「八重の桜」 以来6年ぶりに大河ドラマに復帰した。

 その颯爽とした、清々しさはなんだ!

 そして我が同郷のヒロインを演じた綾瀬が、熊本県人を演じる、この一抹の寂しさよ!

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コメント

リウさま

 本年もよろしくお願いいたします。 
 最近オリンピックの商業的な色合いに辟易気味なので、オリンピックのPRを見せられるのだけはゴメンだなあと少し不安な気持ちも抱きながら見始めた今年の大河ドラマですが、これまでのところ大げさな持ち上げはなく、そればかりかドラマ全体のアウトラインを描いたせいで雑然と見えなくもなかった初回も、見終わったとき、地方の人たちのキャラクター造りがうまかった「あまちゃん」の例もあり次回への期待をもたせてくれました。

 結果は、四三を巡る人々がみんないとしくて、「憶えなくていい」という人の名前も確かめたくなったくらいです。「嘉納先生に抱っこしてもらったら強くなれるかもしれない」という声に反応する父親のエピソード。その父親の臨終の言葉が初回のラストシーンにつながるのだと気づいたとき、あ、今年は「ドラマ」を見せてもらえるのかもしれないと、期待がふくらみました。

 役者さんがみんないいです。主役の役者さんは(あくまで個人的な目に)昨年の主役さんと印象は変わらないのに、しっかり金栗四三のイメージになっていて、やっぱり昨年は脚本がひどかったのだと、西郷さんも大久保さんも気の毒だったと、再認識しました。

 最後になりまして恐縮ですが、ビートたけし氏についての言及に感動しました。 
 いろいろ考えさせられました。 結局は、人間性の問題でしょうか?
 ――たけしさんと森山未來さん
 奇跡的な共演(って同時に姿を見せることはないか・笑)になりそうです。

 
 

話は二回目で面白くなってきましたが、私は綾瀬はるかでやっぱりな…でした。
前回、明治の日本人は小柄だったという内容なのに
今回、中村勘九郎と背丈が全く同じって何ソレ。

いや問題はそこじゃなく、それを逆手に取るような脚本が無い事。
当時としては大女で嫁の貰い手がなかなか無い事に悩んでいたりして
兵役検査で落とされた金栗に対して
そういったバックボーンに基づいた励ましをしてくれるなら良いのに。
制作側に無駄にチヤホヤされて自分だけ綺麗な所に立っているイメージが
ついて回って自分は「八重の桜」以降、どんどん苦手意識が増している。

クドカン、たけし、綾瀬はるかと自分にとって鬼門要素がそろっているなぁ。
希望は橋本愛ぐらいです。
清楚なゲスト役だった前作から一転、蓮っ葉な遊女。
朝ドラでも茶髪ヤンキーとか好きで演じていた訳では無いでしょうに。
10歳年上の綾瀬よりプロ根性が座っているし、こういう人は応援したい。

リウさま

こんにちは。

いやあ、あの子役ちゃんには泣かされました。
本当に、反応が生の子どものまんまでしたね。
「学校部屋」で獅童さんから怒られているところ。どうしていいか分からず、ただただベソをかいているところなど、あの年頃の男の子そのものでした。
たけしもねぇ・・・・そのまんまたけしでしたね(笑)
でも、以前、ドラマで談志の役やってたときも同じようなものでした。妙な具合に寄せず、いつものままで演じるというのは、彼なりのリスペクトの現れではないのかと。たけしの口調や間の取り方などが、志ん生師匠から多大な影響を受けているのは、両者の芸を聴き比べてみたらすぐに分かりますからね。
滑舌については・・いろいろ言ってる人には、一度、本物の志ん生の噺をyoutubeででも聴いてみろ、と。そこんとこだけだったら、今度のがよっぽど聴きやすいですよ。

ともあれ、私がクドカン好きというのもありますが、久しぶりに日曜夜を心待ちにできる大河が始まった気がします。それに、今まで知らなかった歴史を知ることができるのも嬉しいです。
「いだてん」が、来年のオリンピックに向けた「国策大河」の側面を持っていることは明らかですが、それをいいことに、攻めてやろうと。やるだけやってやろうと。そういう作り手の気合が伺えます。
視聴率的には苦しくなるかもしれませんし、そうなると色々言われると思いますが、是非、最後までこの初志とテンションを貫いてほしいものです。

ヤクミン様
今年もよろしくお願いいたします。 コメント下さり、ありがとうございます。

ゴーン元会長逮捕の報復にも感じますが、JOC会長の贈賄疑惑でフランス当局が動いているとか、東京オリンピックにとっては不穏な空気のなかでの「オリンピック大河ドラマ」スタートになってしまいましたね。
ただ、もう走り出してしまった列車は止めることができないので、そのまま突っ走って「お祭り日本!」「どうだ日本!」というノーテンキで構えるしかない気もします。

「いだてん」が優れているのは、登場人物たちの「いいところ」と「悪いところ」を瞬時に活写してしまう部分だと感じます。 四三の父親のウソも、「それがババ様への思いやり、気遣いなのだ」という考えもあるけれど、「自分の手柄にしたかった、病弱な自分がここまでできるんだ、という誇示」という部分もあったと思うんですよ。 だからこの行動ひとつで、四三の父親のいいところと悪いところを同時に表現してしまう。
人物像が、立体的になるんですよ。

「西郷どん」の場合、キャラ設定はしてると思うけれど、そこから先を脚本家が想像できない。 だから西郷はどこまで行ってもいい人で、のっぺりとした底の浅い人物にしか見えてこない。 だからどうしてここまでみんなに慕われるのかが説得力を持たない。

この能力が欠けていると、特に大河ドラマのように群像を描かなければならない場合、とてもハンデになると思います。 中園さんは「初戀」みたいな、登場人物が限られたドラマではすごく心理描写とかがうまいのに、「西郷どん」はまるで別人のようなていたらくでした。

今回、たけしサンがバイク事故を起こしたのがいつだったか調べてみて、「もう四半世紀経つんだ」、とちょっとビックリしました。 翌年が阪神淡路、サリン事件だったから、たけしサンのバイク事故、というのは、なにか世情の不安定さを先駆けていた、暗示的な事件だったように思えてきます。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

「ふたつの鬼門」、ですよねぇ(笑)。 巨炎様は「あまちゃん」は受け付けないし、「八重の桜」の欺瞞性についても憤慨されてましたからねー。

綾瀬はるかチャンについては、「今日は会社休みます。」以来、ここ数年彼女のキャラに合った役がなかなかなくて、見ていて「どうもなぁ」と思うことが多かったのですが、今回は久しぶりに雲間から光が差したような明るいキャラで、私はホントにうれしくなりました。

綾瀬はるかという人の本質というのは、やはり「ひょうきん」「天然ボケ」だと思うんですよ。 「人生に捧げるコント」でしたっけ、ウッチャンがやってるやつ。 あそこにゲストで出てきて、ドジョウすくいみたいな格好でボケをかましまくってるのを見て、私は彼女が心底好きになりました(笑)。 そりゃまわりもチヤホヤしますよ(笑)。

特に彼女と新垣結衣チャン、松下奈緒チャンは背がデカイと感じますね。 でもなんか、それを感じさせないようなアングルとか、本人たちはあまり背が高いのを見せたくないのかなーと思うときがあります。 「ゲゲゲの女房」くらいでしたかね、デカイのが大々的にネタにされたドラマは。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

たけしサンの志ん生にかかわらず、役所サンの嘉納治五郎にしても、「外見を似せよう」、という気が作り手にさらさら感じられないのが、ワタシ的にはグッドです。 外見を似せようとしたら、たけしサンは丸刈りにしなきゃならんし、嘉納治五郎は笹野高史サンが適役なのではないか、と(笑)。

志ん生の落語は古い録音が多いので、おそらくそれで声が割れて聞き取りにくかったりもすると思うんですが(黒澤の映画で三船が何を怒鳴ってんだか分かんないのと一緒で…笑)、それを差し引いても実際の志ん生の声というのは聞き取りにくいところはありますね。 というか、「この人酔っ払ったまま高座に上がってんじゃないのか」みたいに感じることもありますし(笑)。
でも、その聞き取れない部分も逆に味でして。
高座で寝てしまったのを弟子が起こそうとしたら客が「寝かせとけ」と言った、という伝説もありますが(この話すごいよな…)、いくつかの録音を聴くと、ホントにこのまま寝ちゃうんじゃないかみたいのもありますよね(笑)。

「とつけむにゃあ」とか、ちょっと「あまちゃん」の時の「じぇじぇじぇ」狙いみたいな下心も見え隠れしますが(笑)、もっと笑かしてもらえたらな、と思っています。 2回目まではまだ、おっかなびっくりギャグを繰り出している感じですので。

リウさま

 今週はリアルタイムで観ることができなかったので録画して、ドラマを録画して観るのは「真田丸」の最終回以来です。
 うーん、スゴイ!
 観ながらそう思い続けていました。どの場面もいちいち楽しくて。
 「ゴリンです」と押しかけ弟子。「戦争か攻めてきたか」と志ん生。弟子の水浴び→四三の水浴び。
 「抱っこはウソだった」ことは承知で進学しろと励ました兄の野良仕事を見つめる四三の、兄ちゃんこそ上の学校に行くべきだったかもしれないと、感動と感謝があふれるような表情が印象的でした。
 当時は中学に行けるだけでも大変なことだったわけで、一方で、天狗クラブみたいなエリート集団もあって、また一方には小学校にもろくに通っていないらしい志ん生青年みたいな人間もいて、そんな社会構造のなか三者三様どんな将来が待っているのか、しっかり見守っていきたいと思わせるドラマになっている気がします。ある程度知ってはいても、どう描いてくれるか、ね?
 娼婦(?)を花魁と思い込む美川くん。「ボカァ」とか「しっけい」とかいう言い方。特に
「三四郎」とか「不如帰」のつかいかた。三四郎は思わず途中下車しちゃうんだっけ? なみさんの相手そういえば三島通庸の息子だったか、さりげなーく近代日本文学の歴史もたどってくれているし。
 ただ、この「さりげなーく」というのが視聴率的には問題になるかなあとも感じています。ちっとも胸に響かないまま見終わる、という危険性もありそうなので。

 

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

どうもガラケーみたいな小さな画面で見てると、ドラマの全容がつかめなくてもどかしい気がする、今年の大河です。 ですのでレビューもしたいところですが、再放送を家のテレビで見直したくて、じりじりしています。 でもそこからレビューしたのでは、「ソレいつのだよ」みたいな間抜けになってしまいます。 そろそろ本気で録画機の修理もしくは新しい録画機の購入をしなければならないと、思い始めました(遅~い!)。

「NHKのセット力」、という題で昔、記事を書いたことがありましたが、明治時代のセットは大道具さんの仕事という気がするけれど、昭和30年代のほうはもろにCGを使っている部分もあり、改めてすごいなーと感じています。 今年の受信料の使い方なら許せます(笑)。

中村獅童サンのギャーギャーうるさい演技っぷりを見ていると、去年の大河みたいで、悪夢に引き戻されそうになるけれど(笑)、これを美川くんが「おまえの兄貴はどうかしてる、頭がおかしい」と、とてもナイスなディスリをしてくれるので、すごく溜飲が下がるんですよね(笑)。

第3回で気になったのは、「何もう里帰りかよ」と思った里帰りのトートツさと、「どーして綾瀬はるかは自転車で汽車を追っかけるくらい四三に好意を寄せてんのかが分からん」という部分くらい(笑)。 でも、(笑)、とつけてしまうくらい、そんなことはどうでもよくなる話の作り方をしているのです。 「いや、東京で一学期に何学んだかはどうでもいいでしょう」「いや、主人公だからソレに惚れる女がいて当然でしょう」、みたいな。

ともかく、明治の有名人と言ってもすでに忘れ去られている人々がごまんといるわけで、それを次から次へと幕の内弁当みたいに繰り出されてる感覚。 白石加代子さんの使い方なんか絶品です。 そこからいくら架空の話を作られても、嫌な気が全くしてこないし、それこそ「まんぷく」になる贅沢なドラマだと感じます。

こういうドラマを理解できない民度では、日本の将来は危うい(笑)。

リウさま

 夏休みまでが短かったですね。 あれっ、と私も思いました。兄の気持ちをじゅうぶん描いていなかったと、描くには四三の帰省中しかないと、ふと脚本家は思いついて書き加えたとか? でも結局、当時の兄弟の有り様に感動させられたから(笑) 獅童さんの鼻水演技については、一家の柱として貫禄がほしい気もしましたが。
 綾瀬さんについては、
 四三の父の臨終の夜、提灯をどうぞと追いかけ転んでしまった医者のお嬢さんが、自分を背に、提灯を手に、四三が家まで走ったとき、四三に恋したのです(笑)
 彼女が自転車で線路脇を走るなど実際にはなかった設定ではないかと思いますが、あの場面とても心地よかったし・・・
 三島夫人の抜き身には笑いました。笑ったり涙ぐみそうになったり、いそがしいドラマであることはたしかですね。 役所さんと森山さん、いいなぁ。 思いがけなく、勘九郎さんの演技に感心しています。 たけしさんの高座シーンに胸がほっこりするのも思いがけないことかな?
 

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

あ、なるほど、そのときに恋したのね!(笑)

金栗四三の人物造形については、今のところ勢いだけでスルーしているような感覚はします。 軍人になろうとするのもいちいち逡巡などしないし(単に勇ましいとかかっこいいとか、給料がよくて家族を助ける、というのはあったかな、そうした理由だけで、人殺しするだの何だのというネガティヴ要因はその時代にはまだ存在すらしていなかった、という、脚本家の明快な決めつけ…笑)、はるかチャンの恋心に気づいてもいないで自転車唱歌?を調子っぱずれで歌ったり、すごく精神構造が単純なような気がするんですよ。

でもだからこそ、こちらもまっさらな子供のような気持ちで物語に没入できる。 難しい理屈は、まわりのみんなが勝手に考えてくれる。 四三は単純に、「走りたいから走るようになった、それだけだ」。 四三のまっさらで純粋な目を通すことによって、物語を構成する群像ひとりひとりの性格が浮き上がり、映し出されていく気がするのです。 四三はいわば、鏡とも呼べる存在なのではないでしょうか。

舞台を見てるみたい。
志ん生さんの高座での芝浜から、マラソン大会の金栗くん、弟子入り前の志ん生さん、夢の遊民社の舞台みたい。奇想天外だがはなしの筋は通ってる。複合的に物語が絡み合い、オリンピックの人間模様になってる。
たけしの志ん生さんは談志的かなあ(笑)
滑舌悪いのもご愛嬌。戦場のメリークリスマスからたいして上達してないって!(笑)でも演技に味がある。世界の北野だからって名優ではないのよ(笑)
私は綾瀬はるかさんは、まだ八重さんです。八重さん、熊本で何してるのお?って思っちゃう。全力で自転車漕いでる所とか、八重ちゃんを彷彿させます。
獅童さんのお兄さん、ああいう大言壮語の人って、田舎にはいたよねえって、懐かしく思っちゃう。意外に鍬で耕す姿が様になってるけど、もう少し腰入れないとね(笑)
役所さんとか、三島の怖いお母さんとか、杉本哲太さんとか。曲者がいっぱい。
大河だなあ。(笑)とはいえいまいちな自分でもあります。

ささ様
お久しぶりです。 コメント下さり、ありがとうございます。

のめり込んでいらっしゃらないというのが分かるコメント文面ですね(笑)。

かなりの部分がフィクション、という点においては、「おんな城主 直虎」と同等と思われますが、「ひとつひとつの話の塊を再構築しながら見せる」、という点では、直虎の脚本家さんも到底敵わない、と私は考えています。 それどころか、ここ数作の大河ドラマの話のグダグダさに比べると、ダントツで「話になっている」。 エンドマークが出て「えっもう終わり?」と思う大河ドラマなんて、私にとってはとても久しぶりです。

大河ドラマのクレジットタイトルにはいつも感心させられることが多いのですが(「西郷どん」もそこだけはよかった)、今回、いつも4K8K買って買ってと言っているような超精細画質のオープニングに背を向け、あえて1964年オリンピック当時の粒の粗い画質で攻めている。 出演者のロゴもずらずらとした並び具合も、実に昔的であると思います。 私なんぞはこのクレジットタイトルを見ていると、怪獣映画でも始まりそうな気がしてきます。

また、これは後にレビューしようかと考えているのですが、このドラマの主人公、金栗四三って生真面目で面白くなくて、最も主人公にできない人物造形なのに、それをいろんな手管で面白く見せてしまうワザにも、ひたすら感心しています。 話の面白さから言ったら、三島天狗のほうが主人公映えするでしょうに、そうしない。

そしてやはり、この大河はタイトル通り、「噺」、なんですよ。 歴史を斜め読みしている。
今週の回までは、第1回に凝縮されたストーリーの振り返り、洗い直し、反復であったわけですが、次回からは第1回以降の話になります。 宮藤さんがどんな仕掛けを企んでいるのか、目が離せません。

リウさま

 ちょっと旅行をしていまして、前回の録画を日曜日にみて、今週の録画を昨日みて、なんとか落ち着いたところです(汗)
 えっと、「いだてんがいたぞ!」という嘉納治五郎の叫びで終わった初回のストーリーが、体の弱い四三が兄の後押しによって高等師範に入学し、マラソンにのめりこみ、オリンピック予選の存在を知り、「嘉納せんせいに抱っこばして・・・」もらうまで、5回かけてひとまず完結したわけですね。こういう展開って、ものすごくスリリングで個人的に好みです。次回からどうなっていくのか先がよめないというか・・・脱帽気味です。

「マラソンって待っているばかりだねぇ。なんとかならんかね」by治五郎
「そういうものですから」by永井
 こういう一見素朴な疑問と回答、なんだか本質をついているセリフのように感じます。
「生きてもどってこい」
 これも永井ですが、あぁ明治だなぁ、と。 大きな声でそう叫ぶことができたのだなぁ、と。

 主役がいかにも地味ですが、でも、へたにヒーロー的じゃないのがいいんじゃないかと思うのですが、視聴率的には盛り上がらないかもしれませんね。
 森山未來さんの声と口調にうっとりしています。今後どんな人生を経て志ん生になるのかも楽しみで楽しみで(笑)

 

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

私もこういう、物語をぐるぐる回しながら過去の種明かしをしていくドラマ構成を、楽しいと感じるクチです。 ヤフー感想欄を見てると「同じことを繰り返して云々」と批判している向きがあるが、この面白さを感じ取れる感性がないことを可哀相に思います。 たぶんその人は、自分に必要なものばかり拾い読みする、いまどきのスマホ世代なのでしょう。 同じ映画やマンガ、アニメを何度も繰り返し見るなんて効率の悪いことはしないし、自分が面白くないものに付き合うのは時間の浪費、無駄だと考えている。 スマホ功利主義、とでもいうのかな。

でも無駄なことの積み重ね、繰り返しの積み重ねから、真に価値のあるものって創造されるんじゃないでしょうか。

今週(第5回)の真骨頂は、「日本マラソン事始め」とも言うべき、沿道の人々とランナーとのいろんなドタバタ、ルールのユルい部分だったと思います。 ゴール直前のにらみ合いなんて、「なにをやってんだ!」と大爆笑ですよ。

そして生真面目な四三は、レース後も勝因その他を分析し続ける。 ぶれないんだなぁ。

「セリフのひとつひとつがものごとの本質を突いている」、というヤクミン様のご指摘、まさに言い得ています。 一見バラバラなように見える登場人物たちが、すべて脚本家の言いたいことにベクトルを向いている。

こういう高度な「ドラマ」は、「平清盛」以来だ、と感じます。

物語のピースが集まりストーリーは軌道に乗ってきましたが
反比例するように視聴率が下降線を辿り半クールで一桁に。
三島選手の100メートル記録なら良かったのですが(笑。

時代があっちいき、こっちいきする構成が
飽きっぽい新世代とじっくり観たい旧世代の双方にウケが悪いのか?
私は普通に観れるようになりましたが…。

まあ、「あまちゃん」も視聴率は「梅ちゃん」より低かった訳で
これは新規視聴者を獲得する一方で旧来視聴者ウケは悪かった裏返し。
『夢よもう一度』的発想で大概、陥る落とし穴がここなんですね。
金栗君のように成功面の評価と失敗面の反省といった自己分析が肝心。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

家にいるときに一緒に視聴するウチのオカン(喜寿)は、面白い場面とかにはケラケラ笑うくせに、時代が移動すると途端に寝こけてます(爆)。 「あまちゃん」だと、毎日15分だからついて行けたようですが(笑)。

でもまあ、いくら寝こけていても、「どんな話か分からない」、というまでには至らない。 このドラマを見て分からない、と文句をつける人って、なにをもって分からない、と感じているんでしょうかね。 金栗か志ん生か、どこが主題なのかが分からない、とか?

この「フィクションだらけ」の大河でも、一応いろんな文献に沿ってその通りにしているところは多い、と聞きます。
だとすれば、

「これって戦国時代や幕末の大河と、作り方においてちっとも変わってないじゃん!」

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  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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