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2019年1月

2019年1月14日 (月)

「いだてん~東京オリムピック噺」 第1-2回 ビートたけしへの世間の忖度、と反発

 橋田壽賀子作の 「いのち」 以来33年ぶりとなる、近現代史を舞台とした大河ドラマ。 朝ドラ 「あまちゃん」 を脚本した宮藤官九郎が、「このドラマは事実をもとにしたフィクション」、と大河ドラマでは初めて公式に但し書きされた、舞台を描いていく。

 「このドラマは事実をもとにしたフィクション」、というのは、ここ数年の大河ドラマでは、すでに常道になっている皮肉な事実だ。 「龍馬伝」 では坂本龍馬とどれだけ親交があったか分からない岩崎弥之助をモーツァルトとサリエリの関係になぞらえ、「おんな城主 直虎」 では史実上男だったか女だったか分からない資料の乏しい人物を中心に、ほぼ脚本家の創作で一年を貫き通した。
 そのほかにも本能寺が大爆発を起こしたり主人公が有名な歴史上の現場に遭遇しまくったり、とりあえずリアルではないこともあることはあったが、酷かったのは去年の 「西郷どん」 にとどめを刺す。 あれこそは 「事実をもとにしたフィクション」 の最たるものだった、と断言する。
 蛇足であるが、当初この 「西郷どん」 でナレーションを担当するはずだった市原悦子さんが、亡くなった(13日)。 ご冥福をお祈りします。

 「いだてん」 は1910年代と1960年代の、半世紀を挟むふたつの時代を舞台としている。 1910年代では日本人が初めてオリンピックに出場した時代の空気を描き、1960年代では、そのオリンピックを東京で開催することを描いていく。
 このふたつの時代を時間軸通り淡々と描いていくならば、物語は滔々と分かりやすく進んでいったことだろう。
 だが、トリックスター的な精神的爆弾を抱えたままの宮藤官九郎という脚本家は、そういう分かりやすさをハナから拒絶した。 宮藤は第1回から、このふたつの時間軸を行ったり来たりする、複雑な物語展開を選んだ。

 もともとこのドラマのいちばん高いところに存在している目的というのは、来年行なわれる史上2回目の東京オリンピックに向けて、「オリンピックが日本人にどのような意識の変革をもたらしたのか」、ということを解明していく作業だと思われる。 それを物語として明確に浮かび上がらせるには、やはりこのふたつの時間軸は、行ったり来たりする必要がある、と私には思える。

 宮藤のドラマクリエイターとして冴えているところは、このふたつの時間軸を、古今亭志ん生という希代の落語家を通じて結びつけたことだ。 このことによって、ドラマで起こるさまざまな事象を落語の噺になぞらえる、通好みの粋な落としどころが表現可能となるのだ。
 そして半世紀、50年という時間の 「重み」、というものもドラマに投影できるようになる。 ただ単に生きているだけでは、誰それが歳をとったとか偉くなったとか没落したとかそんな感慨しか生まれないものだが、50年という歳月のなかで、何が変化していったのか、何が日本人の心の中からなくなったのか、昔はどう考えていたのか、それを考えることができるようになるのだ。 すなわちそれが、「時の重み」、であると言えよう。

 例を挙げよう。

 古今亭志ん生(ビートたけし)は物語の古い時間軸のなかでは若く(森山未來)、ハチャメチャな生き方をしていたが、新しいほうの時間軸では弟子入り志願の若者(神木隆之介)のハチャメチャさについて行けてない。 そこから志ん生の来し方を想像することは楽しい。
 若い志ん生は第2回で橘屋円喬(松尾スズキ)の落語に触れ、そこで感銘を受けたことで落語家となっていくのだが、第1回で壮年の志ん生のもとに弟子入り志願してきた神木は彼女(川栄李奈)と二人連れ。 「あなたの落語が面白かったら弟子入りさせて下さい」、という新人類ぶりだ。 それが創作であってもフィクションであっても、時代の変化を感じさせるエピソードではないか。
 今のところ例に出せるのはこれくらいであるが、おそらくこの先、1960年代編には1910年代編の主人公である金栗四三(中村勘九郎)が、当時存命中だったから出てくるはずだ。 そこから導き出せる物語の奥深さを考えると、今からわくわくして仕方ない。

 このところの大河にとても希薄だったのは、この 「時の重み」 感なのではなかろうか。 主人公たちはいつの間にか歳を取り、さして老けメイクをすることもなく、テロップで出てくる年号に 「えっ、もうそんなに経ったの」。 これではいくら史実を追いかけたところで、そこに説得力はほとんど発生しないし、ましてや一貫性のない、都合のいい個人的感情だけを並べ立てても、単純で上っ面なお涙頂戴ドラマにしかならない。

 「西郷どん」 のことを言っているのだが。

 このドラマの1910年代編で第1回目に展開したのは、「初めてオリンピック、というものに触れた世の中の反応」、というテーマだった。
 ここで対立軸として描かれたのが 「体育」。 「体」 を 「育」 てることが目的な従来の体育協会の考え方は、体を動かすことの楽しさやそれを競い合うことの楽しさを目指す 「スポーツ」 という概念と相容れない。 これを説いた嘉納治五郎(役所広司)の考え方の柔軟性をここで提示すると同時に、「勝つことにこだわり命がけになってしまう」(杉本哲太) ことの悲劇を同時に提示する。 私はこの役所と杉本の対峙を見ていて、1964年東京オリンピックのマラソンで銅メダルをとった我が故郷の英雄、円谷幸吉が自殺に追い込まれたことを想起していたのだが、スポーツがもたらす功罪について一瞬のうちに説明し尽くしてしまう、宮藤のこの手腕には、恐れ入った。

 それにしても、ネットでは志ん生を演じているビートたけしへの不満が爆発しているようだ。

 いちばんあげつらわれるのが、たけしの滑舌の悪さだ。
 セリフが聞き取りにくい上に、世界の北野とか持ち上げられてるわりには、演技力が拙い。
 これは憶測だが、若い世代に顕著な不満のような気がする。
 かつてたけしがバイク事故で生死の間をさまよい、復帰するのにだいぶ長い時間を要した、という出来事(1994年)を知っているか知っていないかで、たけしに対する目というものは、かなり違ってくるのではないか、と私は考えている。
 このバイク事故で、たけしは顔半分の自由が、基本的に利かなくなった。 滑舌が悪いのは、顔半分の筋肉が思うように動かない後遺症のせいであろう。 それでもまだ今より若い頃はリハビリの効果もあっただろうが、やはり歳を重ねてくると、顔だって筋肉が緩んでくるものなのだ。
 私自身、帯状疱疹でたけしと同じく顔半分の踏ん張りが利かないので、たぶんたけしも同じなんじゃないか、と思っている。
 たけしは人気者だったから、事故当時はみんなたけしの無事を祈ったし、復帰してきたときの状態にショックを受けたし、それでも頑張るたけしを応援した。
 そういう経過を知っている世代ならば、おいそれとたけしに対して不満は感じないはずだ。 みんなその点では、たけしに忖度している、と言える。

 演技力に関しては、「拙いのがビートたけしの演技の味なのだ」、と言うほかはない。 「戦場のメリークリスマス」(1983年) から、たけしの演技力ってそれほど変化していない気がするが、たけしの演技というのは、その素人っぽさが醸し出すリアルである、と定義づけることができる。
 また、彼が監督した映画についても、私はよく分からない。 おそらくそれが海外で過大評価されていることへの不満が、今回のたけしに対する不満の土壌にある気もする。

 いずれにしろ私たちは、ある年代より上の世代から、ビートたけしという人物について、頭脳の回転が速く切り口が鋭いことに対する尊敬とともに、どこか鷹揚な気持ちで付き合っている部分があるように思う。 今回たけしに対して不満を表明しているネットの住人たちは、そうしたある種の忖度をできない人々なのだ。 彼らの目は鋭く、理解不能なほど偉そうだったり、過大評価される人物に対して、とても厳しい目を向ける傾向がある。

 ひょっとすると、1960年代からさらに50年を経た 「時間の重み」、というのは、こうした、いびつに見える評価、作られた虚像に対する嫌悪感を隠さない人々が、台頭してきたことにあるのではないだろうか。

 物語に話を戻せば、第2回ではようやく本編に入り、「西郷どん」 の記憶も新しい、西南戦争の現場近くだった主人公・金栗四三の生まれ故郷を描き、西南戦争の記憶も掘り起こされる。 ここでの金栗家も西郷家と同じ貧困のなかにいるのだが、大所帯の混乱をそのまま描いているのが却ってリアルに感じる。 面倒だからあとは省略!という居直りも潔い。
 なぜ 「西郷どん」 とシチュエーションが同じなのにここまでリアルなのか。 それは、四三の幼少期を演じた子役のせいだ。
 ネットの情報によると、彼はズブの素人らしい。 最近のこまっしゃくれた(失礼)演技力バリバリの子役みたいな、変な野心がないのがリアルなのだ。 どっかから連れてこられて、ただ言われたことをやってるだけ、という存在のなさげなところが、とても新鮮に見えた。

 その彼が、長兄の中村獅童に怒られて泣くのだが、ホントに怖くて泣いてるようなのだ。 何なんだ、この作ってない感じ。

 そして第2回で描かれたのは、病弱の父親(田口トモロヲ)に連れられて嘉納治五郎の授業を見に行き、「四三が嘉納先生に抱っこしてもらった」、と家族にウソをつく父親にショックを受け、打ち明けようかと悩む幼い四三の姿だった。
 父親が亡くなったその席で打ち明けようとする四三に、兄の中村獅童が 「何も言うな!」 と口止めする。 兄は本当はどうだったかを知っている。 それは、「父親の気持ちを考えろ」、ということだ。 さらに言えば、それを本当のことと信じようとする家族の気持ちも考えろ、ということだ。

 つまり、「忖度せよ」、ということなのだ。

 この話が理解できる人であるならば、ビートたけしのことも忖度せねばなるまい(暴論)。

 最後になるが、この第2回では綾瀬はるかが 「八重の桜」 以来6年ぶりに大河ドラマに復帰した。

 その颯爽とした、清々しさはなんだ!

 そして我が同郷のヒロインを演じた綾瀬が、熊本県人を演じる、この一抹の寂しさよ!

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

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     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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