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2019年2月11日 (月)

「いだてん~東京オリムピック噺」 第3-6回 このドラマの楽しみ方(って解説…無粋だ…)

 今年の大河ドラマ 「いだてん」 が、テレビドラマフォロワーやクドカンファン以外の視聴者に、あまり好意的に受け入れられていない点について語ろう、と思う。

 まず第一の難点は前回記事で書いたとおり、ビートたけしの起用であろう。
 セリフがじゅうぶんに聞き取れない、ということは、ドラマを見る上においてとても見る気を削がれる一因であることは確かだ。 私などは耳の聞こえが致命的に悪いので、永年字幕付きでドラマを録画し視聴してきた。
 だが耳の聞こえが悪いことを差し引いても、イヤホンで大音量で聴いていても、セリフが聞き取りにくい役者というのはしばしばいる、と私は感じる。 テレビの副調整室でモニターがどう聞いているのかは知らないが、きちんと視聴者が聴けるような状態で放送するのは、作り手の義務でもあろう。

 ただし。

 「セリフを一から十まで聞き取り理解できることが、果たして絶対的に正しいのだろうか」、という疑問も、同時に私は感じている。

 古い話で恐縮だが、その昔、左卜全(ひだりぼくぜん)、という大変個性的な役者がいた。 彼は黒澤明の映画によく出ていたが、彼が出てくると私などは、ちょっと身構えたものだ。
 何しろ、しゃべってることが半分くらい分からない(笑)。
 それでなくとも黒澤の映画は、録音が古いせいなのかセリフが聞き取れないことが多かった。 それでもじゅうぶんに感動できたものだ。

 ビートたけしが演じている古今亭志ん生本人も、当時の録音状態の善し悪しにかかわらず、酔っぱらいがブツブツ言っているような感じで、ちゃんと聞き取れない部分があることは確かだ。
 それでも当時の観客は笑い、拍手を送った。
 それはどこかで、「志ん生の落語は面白い」、という先入観によって、その場の雰囲気で笑ってしまっていたこともあろう。
 しかし大半は、聞いても分からない部分は 「やり過ごして」、「その分からないところも味わいとして捉えて」、志ん生の落語を楽しんでいたのだろう。

 「その場の雰囲気で」、「その場の流れで」。

 テレビドラマや舞台や興行にかかわらず、すべての 「見世物」 を見ようとするとき、多少の不便はつきものなのではなかろうか。 私たちは昨今の、緻密に作られ伏線が張り巡らされ布石が打たれまくりのドラマに触れすぎて、セリフのひとつひとつ、演出のひとつひとつ、小道具のひとつひとつにまで神経を尖らせなければならない、と思い込んで、その 「ある種の不便」 を、やり過ごせなくなってきているのではないか。

 分からない部分は、分かんなくていい。 どうせしゃっちょこばった本当の話じゃない。 気楽に楽しもうや。
 それがこのドラマのスタンスなのではないか。
 このドラマのリアルというものは、もともと重要視されていない。 「事実を基にしたフィクション」、というのは、そのために但し書きされた謳い文句だが、そのエクスキューズをドラマはその構造で弁明している。
 「志ん生の落語」、という形でだ。
 だからこのドラマのタイトルは、「噺」 なのだ。
 ドラマはどんどん落語のネタを基に展開していく。 そのたびに画面には、元ネタの噺の内容が出る。
 でもそんなもの、読まなくたってたいした支障なんかないのだ。
 やり過ごす。 そして楽しむ。
 これがこのドラマの楽しみ方のひとつなのだろう。 そう私は思う。

 この、「落語を基にした展開」、というものに、私は少々脆弱性を感じている。 というのは、落語のサゲ(オチ)って、別にどこが面白いんだ、というのが多い気がするからだ。
 しかしこの私の危惧を、第6回(2月10日放送)でしっかりと五りん(神木隆之介)が師匠に突っ込んでくれた(笑)。 …いま入力して分かったけど、五りんって五輪のことか(笑)。
 だがこのサゲというのは、その噺が終わりましたよ、という観客に対する合図でもあり、「決めゼリフ」 でもある。 そこに噺家と観客の呼吸の一致、合致が要求されるわけだ。
 それができない受け手は 「野暮」、というものだ(五りんは野暮、ということになる)。 テレビ桟敷に陣取っている我々も、作り手との呼吸を読み取れる、大人になる必要があるのではないか。

 第二の難点は、「時代が行ったり来たりしすぎる」、という部分であろう。
 宮藤官九郎の脚本はもともとトリッキーで分かりにくく、ついてこれない視聴者を置き去りにする傾向があることは確かだ(笑)。
 ただ、時系列を二元化する、という傾向は 「あまちゃん」 や前作の 「監獄のお姫さま」 などで見られた手法だが、そのときあったタイムラグが2、30年程度だったから、50年ある今回は比較的分かりやすいほうだとは思う。 なにしろ俥屋が出てくりゃ明治、自動車が出てくりゃ昭和だと分かるだろう(笑)。 いや、今のところはこのふたつの時代、登場人物が全くかぶらないのだから(志ん生以外)、それだけでどっちの時代をやってるか、分かりそうなものなんだが。

 また、同じ時代でも、いったんやった場面を巻き戻して、その出来事の裏でなにが起こっていたのかを種明かししていく、という 「木更津キャッツアイ」 のような手法もとられている。
 こうしてみると、この 「いだてん」 という大河ドラマは、宮藤官九郎がこれまで用いてきたテクニックを総動員して、作り上げていることに気づくだろう。
 第1回から第5回までは、その 「木更津キャッツアイ」 の手法で、一回の表裏が終わったワンセット、というところだろうか。

 この手法を宮藤がとり続けるかどうかは分からないが、第6回では昭和30年代編においてのもうひとりの主要人物、田畑政治(阿部サダヲ)が登場した。 第1回でちらっとだけは出ていたのだが、志ん生を仲介人として、明確に明治と昭和の前後編が分けられるのかと考えていた私にとっては、ちょっと意外な登場の仕方だった。 要するに、宮藤としてはハードルをちょっと上げた、という形になるのだろうが、こうなると、話が分からない人はさらに分からなくなっていくような気がする。
 いや、分かりそうなもんなんだが。
 もしかすると、すでに昭和(半ば)というのは、明治と区別ができないくらい、若い人の意識のなかでは同一化しているイメージなのだろうか?
 いや、「このドラマが分からない」、と言っている人の年齢層自体が分からないので、考察のしようがない。

 話が行ったり来たりするなかで、「分からない人」 を混乱させているひとつは、第1回でビートたけしの志ん生がタクシーのなかから目撃し、第6回で田畑政治がこれまたタクシーのなかから目撃した、「足袋を履いて銀座や日本橋を駆け抜けていくランナー」 であろう。
 これはいまのところ、明治編の主人公である金栗四三の 「幻」、といった風情を醸している。
 実際に並行して語られる金栗は、ストックホルムオリンピックを目指してこのコースを走ることを決めた。 決めたと同時に、昭和30年代の街なかを、四三と見まごう人物が走るのだから、混乱する向きもあるかもしれない。
 それは果たして、幻なのか。
 それとも年老いた、四三自身なのか。
 その正体が分からずとも、私たちは画面のどこかに息づいている、在りし日の人々の残留思念を(「幻魔大戦」…)、感じていく。

 それがテレビドラマ、というものなのではないか?

 時代がぶつ切りにされて移動するたびに 「分からない人」 を混乱させていく今年の大河だが、そこで浮かび上がってくるのは 「志ん生自身の成長過程」 だ。
 「誰が主人公か」、という意識は、ここですっぱり捨て去ったほうがいい。 過去と現在(と言っても60年近く前だが)との橋渡し役のように見える志ん生だが、当の若き志ん生はひどい遊び人から脱却して、師匠と仰ぐ人物に遭遇し、その師匠の俥屋をしながら噺を覚えていく。 要するに、金栗四三以外にも、もうひとり美濃部孝造(志ん生)という主人公がいるわけだ。

 これは、金栗四三が、物語の主人公としてはあまりに実直で生真面目すぎ、面白みに欠けるところからフォローされたのだと思われるが、いっぽうで四三の真面目さを、宮藤がネタにしないわけがない。
 私は当初、金栗四三という人はキャラ造形的にあまり存在感がない、と考えていたのだが、彼の実直さが醸し出す可笑しみと、勤勉さが後押ししていくポテンシャルが、結局四三という人物の厚みを増していく過程に、ひたすら感心している。
 彼の真面目を押し上げているのは、「負けん気」 だ。 最初のレースで二位に終わり、四三はその敗因を徹底的に自分なりに分析する。 「自分なり」、であるから、そこには専門的知識とかは全くない。 でも、「自分なり」、であるから、自分の正直な気持ちに添って分析は進んでいくのだ。
 彼の勤勉さは、トレーニング法を貪欲に取り入れることでも発揮される。 「油なし、水抜き」、という間違った知識は、実践のうえ、淘汰されていく。
 「水を飲んじゃイカン」、というのは私が中学生の頃(40年くらい前)はまだ言われ続けていたことだ。 いまはそれが間違いだったことが証明されている。 トレーニング法の試行錯誤、という側面がここであぶり出されているのはすごい。 宮藤の問題意識が手広くなければ、こうした側面は、見逃されがちだ。

 オリンピック予選会で四三が世界記録より20分も早い記録を出してしまったことへの、疑念や葛藤がきちんと描かれていることも、好感が持てる。 「こうなれば、どうなるのか」、という、原因と結果に対する作り手のシビアな視点、というものがなければ、物語のなかでこんな議論は噴出しないからだ。
 そしてその葛藤が、嘉納治五郎を苛つかせる遠因になっていることにも注目する。 第6回のメインテーマはそこにあったのだが、オリンピックに選手を送り出すために必要なカネを嘉納が工面できない、という状況を、宮藤は重層的な理由を積み重ねて、説明していく。
 そこで飛び出た原因のひとつが、嘉納が中国人留学生たちの面倒を見てしまったから、というものであったが、これも以前に羽田の運動場を作ったときに、辮髪の彼らをとても印象的に登場させておいたから、トートツ感がかなり軽減された(「トートツ感」 でなにを言いたいのかは、分かるね?)。
 遠征費用の額も、嘉納の下で働く可児(古舘寛治)の給料の何ヶ月、という説明の仕方で、だいたいではあるがどれだけのものか、受け手にすっと入ってくる。
 こういう細かい部分での一言一言が、物語を立体化させるうえで、すべて有効なのだ。

 嘉納治五郎はままならない状況にただひたすら憤慨し血圧を上げまくっていくのだが、どこも拠出してくれるところがないと、すぐに自分の財産でけりをつけようとする、その思いに見る側は知らぬ間に、感情移入していく。 そして資金源の問題や、スポーツに対する理解も知識もまったくない当時の状況に、さまざまな感想を抱いていく。

 これがテレビドラマ、というものなのではないか?

 いずれにしても、今回のこのドラマに対する、受け手のさまざまな考え方を読むたびに、「私たちは 『受け取ったものを自分で考え、鷹揚に咀嚼する』 という能力を、喪失しつつあるのではないか」、という思いにとらわれる。

 必要な情報はスマホで簡単に手に入るが、自分の興味のあることだけにしか関心がなく、そこで偏った知識ばかりに精通して、偏った見識が培養される。

 いっぽうで理解できないことを理解しようとせず、自分が 「分かんない」、というのが大問題であるかのように感じてしまう。 賢くなると同時に、理解力が低下し、ほかの考えを受け入れる柔軟性が、失われているのだ。 飛躍した考えかもしれないが、これは世界的な傾向のようにも思える。 自国第一主義、排他主義、といった傾向だ。

 かつて 「テレビを見てるとバカになる」、と言われた時代があった。
 いまはスマホが、それに代わっているのかもしれない。

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コメント

リウさま

「オリンピックとは何ですか」
「そこからかい・・・」

 初めての事業に対する認識の違いってどの場合もこんな感じでしょうね? 新しい企画を思いついた人間の苦労が偲ばれます。 
 今週回の主役は、目的のために猛進する嘉納治五郎、でいいでしょうか? 中国人留学生のために、生涯返済不能な借金を背負い込んだり、明治~大正はこういう篤志家がいた時代だったのだな、と。 ただし財政的な援助はあくまで勉学のためであって、「かけっこ」より帝大卒業、というのが当時の常識だし、スポーツ選手を援助する発想は誰にもなかったでしょう。
 オリンピックへの選手派遣は大きな財政的負担を課す。これ戦争にも言えますが、とにかくおカネなんですね。 治五郎が四三に「自費で行けば負けてもいいんだよ」と言ったときには笑ってしまいました。 四三は兄に手紙を書いていましたが、そんなお金あるわけないし、金栗さんのこと名前とオリンピック出場時のエピソードしか知らなかった私は、どうなるのかと心配しています(笑) 

「足でおぼえる」
 青年志ん生が、まあ走ること! 日本橋で四三とすれ違うのはお約束みたいなシーンですが、個人的には、あり、です。 きれいだったし。 
 正直いうと、昭和35年の田畑誠二たちと、彼らが目にする足袋をはいた走者、というファンタジックなシーンには今のところついていけてないかも? 「そういうことだったのか、まいりました」と感心させてもらえる瞬間があるのかな?

 


ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

この記事を書くきっかけとなったのは、このドラマの視聴率が悪い、というニュースについたヤフコメの内容を読んだことでした。 なにしろ「分かんない」という意見が多い。 どんだけ理解力がないのだ、と思った。

折しも週刊誌で「日本人の3割は日本語が分からない」、という記事を読んだばかり。 日本語自体が分からないわけではなく、書いてあることの内容や意味が分からない人が増えている、というのです。

情報があふれ、知識豊富な人々が増えているはずなのになんで、と思っていたところに「このドラマが分からない」、でしょ。 なんか両者は共通している。 そこを書きたくなりました。

第6回の主役は嘉納治五郎、私も同意です。 たぶんこの先、三島天狗も主役になるだろうし、五りんも主役の回が出る気がするし。 クドカンのドラマってみんなキャラが立ってるからみんなが主役になれる。 登場人物ひとりひとりに膨大なストーリーがある。 「西郷どん」なんか、もうその時点で完全に負けてます。 天と地ほどの差がある。 あんな薄っぺらい群像劇はなかった。

昭和30年の銀座を駆け抜ける足袋の男、その正体をもっとも効果的に見せるとすれば、「老いた金栗四三」、という持ってきかたになるのではないかな、と感じます。 それとも四三の子供、とか?

たけしに関しては擁護する気にはなれませんなぁ…。
自分が出演者で無ければ「あのナレーション、なっちゃいねぇ!」とこき下ろしそうで
実際、「平清盛」にも色々、言ってました。

せめてナレーションは若い頃役の森山未來に統一した方が良いのでは?
それこそ「楽しくなければドラマじゃない」なクドカンの持論にも反する気がする。
もっともクドカンの裁量で全てのキャストが決まる訳でもないでしょうが…。

大河ドラマは時代を描くドラマであるべきで主役が複数であっても
そこにフィクションが入っていたとしても構わない。
時代の切り替えも落語調語りも地味で逸話の少ない金栗主役で
尺を持たせストーリーを作る工夫なのでしょうが
そこに大人の事情を見てしまうと苦肉の策と感じてしまう。

リウさま

 「読書会」というものを主催することがありまして、話題の本とか、いわゆる名著とか、を読んで感想などを語り合う会なのですが、そういえば、なんだか気になる発言が時々あるのです。
「わかりやすくて、おもしろかった」
 作者に「わかりやすく書く」意図があったのかどうか、そのメッセージを受け止めることができたかどうか、見極めることをせずにあっさりそう結論してすませるのはもったいないなぁ、と。 自分が理解できたのはストーリーだけかもしれない、という謙虚さがほしいかなぁ、と。脳内にすっと入ってくる作品のほうが難解な作品より楽に決まっていますが、そういう尺度だけで考えていていいのだろうか? 
 源氏物語を漫画で読んで「読みました」とおっしゃる方には、あんな話の筋がわかったところでそれが何?って言いたくなります。 エラソーですね「直虎」について散々「わからない」って書いていたくせに(笑) 要するに「わかる」か「わからない」かは、作品の質や価値の評価とは関係ないんですよね? 
 目下、私にとって一番わからないのは、結局のところ今年の大河ドラマはどんな作品になるのか、だったりします(笑) 少なくとも現時点では大いに楽しみながら。

 昭和35年のファンタジック・シーンについてのご考察、なるほど、と思いました。 ごりん君、結構重要な役でしょう。 演じる人から判断しても(汗)
 当時、四三氏はまだ生きておられたのだし、大正から昭和へ激動の時代のなかで、次の世代へ、さらに次の世代へ、夢や希望がつながれていく設定なのかもしれません。
 

 
 
 


 

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

ビート君(笑)に関しての私の考えは、前回と今回の記事に書いてあるとおりです。 たけしサンがほかでやってる映画とか小説とか、私はちゃんと触れたことがないので評価のしようがないのですが、ちょっと見て読んで、「あんまり面白くなさそう」、でそれきりです。

どんな評判の人でも、あまり自分と合わない部分は「やり過ごして」、私なんかはテレビとつきあってきた気がします。 まあ鈍感なだけだったのかもしれません(笑)。 テレビの提供する虚像に騙され続けてきたのかもしれません(笑)。

志ん生の落語を仲介役にしているのは、本記事にも書いたように、宮藤さんのやりたいことに、「志ん生の人となりを表現したい」、ということが含まれているからだ、と感じます。 それをオリンピックとは別物だ、と考えてしまうと、身も蓋もない話です。 おそらく宮藤さんは、この物語の正確でないという謗りを、落語というエンタメを介して受け流し、さらに宮藤さんオリジナルの物語として昇華しようとしているのではないでしょうか。

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

分かんないものは分かんない、でいい気がします(笑)。

でも。

まずは分かろう、とする努力が必要なのと(当然ですが)、分かんなくても分かったふりをして見続けることと(笑…でもこれ、重要です)、なんで分かんないのかを自分なりに考えてみることです。 テレビゲームだってアプリゲームだってそうでしょう。 攻略本なんかに頼れないのが人生です(何の話だ…笑)。

分かったときに、人生もっと楽しくなるんじゃないでしょうか。 勉強なんか、分かんなかったときは拷問みたいでしたが(笑)、分かると楽しくなる。

分かんないことにつきあうことは、けっして人生の無駄なんかじゃない、と感じるのですが、いや、最近は無駄なのかな、なんて(笑)。
なにせコンテンツが多すぎて、自分がつまんないことにつきあおうとしたら人生みなまで楽しめないほど楽しみの容量が多すぎて。
でも、分からないことに挑戦して初めて、心の成長もある気がするんですけどね。

「いだてん」がどういう方向に展開していくのかが全く見えないなんて、なんて素晴らしいんでしょう!(笑) 少なくともその楽しみを今年中は持って生きることができます(笑)。

リウさま
こんにちは。

いだてん、私にとっても回を追うごとに面白くなってきて、近年のクドカンのドラマとしてもかなり大当たりの作品と思います。今回も、「金栗君!黎明の鐘になぅてくれ!」の感動的な場面から「ところで・・渡航費滞在費なのだが・・」のセコいオチ(笑)。「何か、情けないなあ」の嘉納先生の自嘲から、50年後の子どもたちの朗読をバックに羽田のグラウンドを走り出す四三くんの解放感と、ほんとうに目が離せず、引き込まれておりました。
なのに、ネットではやれ低視聴率だの、10%割れだのばかりが話題で・・・なんなのでしょうかねぇ(苦笑)
CMを流さないNHKが視聴率を気にする必要はないと私は思うのですが、最近の組織は、ネットの一部の評判を気にし過ぎるきらいもありますので、上層部が妙なテコ入れなど言いださないかだけが心配です。もっとも、そのテコ入れとして、これも一部で囁かれている「あまちゃん」ヒロインのあの人が追加キャスティング!ということにでもなれば、それはそれで嬉しいのですが。

それと、この状況をみると、もしかしたら「大河ドラマ」という枠自体が、様々な時代の歴史を知るためのコンテンツではなくなってきているのではないか、と。歴史好きからしても、今回の「いだてん」って、ああ見えて考証もしっかりしているし、例えば、嘉納治五郎と辛亥革命の意外な関わりなど、知らなかった歴史も色々見えてくるし、大変興味深いんですけどね。
ただ、信長や龍馬など超有名人が大活躍して、本能寺の変や池田屋事件のような皆が知ってる歴史イベントがテレビに映っているのが大河ドラマ、と思われる方には、この作品は何が何やらになるのでしょうけど。

Zai-Chen様
コメント下さり、ありがとうございます。

前作の「監獄のお姫さま」のシッチャカメッチャカな分かりにくさに比べれば、かなり老若男女に配慮している分かりやすさだ、と私も思っています(笑)。

これだけの力量があるホン書きならば、「大河ドラマ」の二大看板である戦国、幕末の時代に拘泥する必要など全くないでしょう。 いずれの時代を扱っても、話が面白くなければ、つまらんものはつまらんのです。 巷で流行りの「応仁の乱」「承久の乱」あたりをやったら面白かろう、とは思いますが、やはり脚本家の腕次第なんですよ。

かつて「応仁の乱」で大失敗したのが、「花の乱」でしたけどね。 でも、市川森一さんの脚本は、けっして失敗ではなかった。 面白いのと視聴率というのは、けっしてリンクしないものです。

のんちゃんの未だに歪な露出の仕方って、何なんでしょう。 彼女、確かに変わり者だと思うけれど、女優って女優という別の生き物だ、という話でいけば、彼女はまさしく女優。 忖度やしがらみのないところをNHKは見せて欲しいものです(いや、大手芸能事務所に忖度しまくってるから無理か…)。

週刊文春の宮藤さんの連載ページでは、ここ数回「いだてん」の裏話で満載です。 その様子を読んでいると、視聴率が早くも1桁なんて、ご本人はたぶんおおいにがっかりされるだろうな、ということは感じます。

しかし、視聴率が何なのだ! あんなもんコンチこの頃物差しにもなりゃしませんよ! 大丈夫! 今年の大河は面白いぞ!(と、ご本人のいないところで吠えてますが)。

件の連載では、「次回の資金解決方法はほぼ実話」、と明かしています。
つまり、文献が曖昧な戦国時代の大河なんかより、よほどフィクションじゃないんですよ。

私は全面的に、この大河を応援しています!

凄い、2個目の記事があるのね。リウ様のこのドラマへの愛情を感じます。(笑)
宮藤さんは落語好きよね。長瀬くんが出てたドラマとか。
わかりにくいとは思わないです。正直何でも明瞭くっきりだと、見てる方が手探り出来ないからつまんないと思います。熊本弁のきゃんきゃん言ってるとことか、トトトと音が連なる所とか、耳馴染みなので、ついくすりとします。
たけしさんのセリフ。私はほぼ聞き取れるんですけどね。うーん昔子供の頃、古いラジオから聞こえてきた落語って、何となく聞いて、雰囲気で笑っていたんで。それでも、一緒にいる家族と同じ空間で笑ってるのが楽しかったですが。
いろんなストーリーが重なり合って時間も重なり合って、贅沢な脚本だと思います。
低視聴率なんて野暮な事世間は言ってるんですか(笑)
大河に視聴率なんて問題ないさ(笑)
BSで見れる時は見てるし、録画もしてるんで、苦手ながら見てます。
宮藤さんの洒落っ気をどれだけ楽しめるか、受け取る側の度量も試されているのじゃないかしら。
役所さんの演技が見られるんで、そこはリッチ〜と思ってます。
三島のお母さん、大好きです。何しろフィクションとことわりが入ってるので、史実が〜〜の組は文句が言いにくいんだと思いますよ。(笑)

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

えーと、別に愛情があるわけではございません(笑)。 ヤクミン様への最初の返信で書いたとおり、この記事を書いたモチベーションは、ヤフコメの「分かんない」という意見の多さ、によるものです。 別に分かんないことないですよねぇ?(笑)

ビート君のセリフは、私の場合字幕付きでないとチトあやふやです。 でも字幕見てても大したことしゃべってないし(爆)。

役所サンって、大河ドラマでこれだけの大役してるのを見るのは、初めてのような気がします。 いや分からん。 最近めっきり記憶力がなくなってきたので(爆)。 「宮本武蔵」の主役は水曜時代劇でしたしね。 前にもお話ししたことがある気がするのですが、いまの海老蔵が武蔵やってた大河なんかより、数百倍面白かった。 今回のバイタリティあふれる嘉納治五郎は、その武蔵を彷彿。 物語の序盤を引っ張っていく大功労者だと思います。 しかもコメディの肝をわきまえていらっしゃる。 やっぱすごいわ。 本名が同姓なので(ハシモト)応援してます(笑)。

このドラマの受けが悪い原因でわざと書いてないものがあります。
それは、「大河ドラマで取り扱う時代じゃない」、というもの。 でも、近現代史を「大河で」やる、というのは、早晩覚悟しとかなきゃならないことなのかもしれません。

たしかに、かなり解釈、思想などの面で近現代史はハードルが高いとはいえ、もうそろそろ私たちは、自分たちと直接繋がっている時代を後追いし、自分たちの責任、というものを振り返る必要があるのではないか、と。

つまり、戦国時代や幕末なんかは、結構他人事みたいに見れちゃうわけですよ。 自分たちと遠~く繋がってるとはいえ、自分とはカンケ~ないし、みたいな。
けれども昭和に入ったくらいから、現代にも繋がる自分たち日本民族のクセ、みたいなものが年表に現れてくる。 白虎隊や西南戦争が自決で終わる、というのは精神性の違いを感じるけれども、旧日本軍の兵隊組織を見ていると、どうも現代のいじめの構造とかに繋がっている感じがする。 例えばそういう部分で、自分たちの社会のあり方を顧みる機会にはなる。

まあ、たかがドラマにそこまで求めちゃイカンのかもしれませんが、そういう大河がこれから先、生まれてきてもいい気はするのです(ネトウヨが大騒ぎすんだろうなー)(やっぱ腰が引けちゃうな)。

リウさま

 オリンピックでも何でも可能性があることなら実現を願うのが人情。 田畑を売ってもらってとか、いやそれは申し訳なさすぎるとか…若い主人公の、期待と不安が入り混じる感情と視聴者も同じ心理過程で経緯を見守ることが、今週回をたのしむ上で重要な条件であったように感じます。 お兄さん、がんばってくれましたねぇ! 寮の連中の協力もあり、我がことのようにうれしくなる自分がいました。
 
 嘉納治五郎の描き方がすごく気に入っています。 ハードボイルド系の、いい人、って感じ!

 十里走り終わって見えるもの? わからんけん走っとるとです。 って常套句にもみえるセリフ、四三の口からもれると純粋な本音に思えますし。

 安仁子さんの憤激顔もすてきでした。 夫よりずいぶん年上みたいですね。 彼女にも様々の歴史があるのでしょうね。

 大河っぽいのでもう一度「勝海舟!」。 大河ファン笑い飛ばされてる? ファンの一人としまして、はい、すみません、ありがとう、と(笑)

 三島青年が暗室で現像液(?)にうかべる母親の笑顔の写真・・・繊細な脚本! ジャニーズの人? 明治のエリート青年の雰囲気出てるように思います。

 楽しくて、おかしくて、ほろりとさせられ、の回でした。 個人的には、志ん生部分が足りなかったかな?(笑)


ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

ガラケーで見たきりなので少々覚束ないですが、今回の私のイチオシは杉咲花チャンだったかもしれないです。 マナー講座に緊張してちっとも豪華西洋料理を食べられなかった四三に渡した、おにぎり(ガラケーではおにぎりに見えましたが?…笑)。 大金持ちの召使いだからいいもの食わせてもらっているのかと思ったら意外に、というのが、いや、物語の芸が細かい。 こういう細かい部分でいろいろ感じさせてくれる、というのが去年のクソアホバカクズ大河にはなかった。 なにかっちゃあバカのひとつ覚えのウナギだし。

「勝」の赤文字刺繍は「そんなのあんの?」級の胡散臭さがあったような気もしましたが(笑)肝心なのは、それを質に入れて「フロックコートを買いなさい」、と金を手渡してくれる嘉納治五郎の愛…いや違~う!(爆)、ジゴローさん、フロックコートの前に旅費でしょ~っ!(笑)

つまり、お兄ちゃんが綾瀬はるかにくっついてってお金が工面できたの?四三、催促しなくていいの?という状況が積もり積もって、見ているほうがやきもきしてしまう、という今回の資金調達の話の作り方が、すごくうまいと思うんですよ。 これは三島天狗のほうもそんな感じで。 どうやってうなるほどカネがあるのに理解がない三島家から渡航の許可が下りるのか?

そしてラストで出てきたシドーさん。 いやいや、どうやって1800円工面できたのよ?(笑) ひょっとして田畑売っちゃったの?(笑) そもそもおにーちゃん、東京まで来なくてもいいでしょうアンタの旅費いくらかかったと思ってんの?(爆) 電信為替で送りなさい!(…その時代そんなのあったのかな?…笑)。

リウさま

 竹の皮につつんであったので大福ではなく(笑)お握りかなと思いました。まさか脚本に「つぶれたお握り」とか書かれていたあったとか?(笑) ともあれ塩だけ?のお握りに、ご大家において 「いただきます」というような具体的な感謝を受けることはない使用人との落差が表れているように感じましたし、ついでに、英語にはない「いい言葉」についてのメッセージもさらりと! ほんと、芸がこまかいです。
 
 まずは四三の体裁をつくろおうとする考え方なんて、なんだか泣けました。 治五郎さんのちょっといい話にたいしてではなく、見栄とか虚栄とか、明治の日本人の姿勢みたいなものにたいして。

 1800円、お兄ちゃんかばんみたいなものを胸にかかえて! 長い長い汽車旅、あぶないなあと私もひやりしました。 当時、個人は大金をどうやって運んだのでしょう。 郵便制度はずいぶん前にできていたようですが、為替という発想はまだ行き渡っていなかったでしょうか。 このあたりの史実にも興味があります。

 今回は、四三とともにたっぷりお金の心配をして、次回はたぶんお兄さんが渡航費を工面するいきさつを観られるのかな? と自然な形で導かれる感じ、そんなところも気に入っています。   

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

おにぎりでオッケーですね(笑)。 マナー講座ばかりでオリンピック近づいてんのに練習は?と思うときちんと練習の場面も出てくるし。 脚本家がいちいち自分の書いた話の内容に細かい突っ込みを入れる、という意識でいるから、話がしゃんとするんです。 自分の書いた話の内容に酔ってちゃ、こういうことはできない(いちいち去年のをディスりますね)。

文春の宮藤さんの連載を読んでいると、歴史が苦手なくせにかなりの文献を読んでいてるのが分かります。 歴史が苦手だからドラマ見てて分かんないところはスマホで調べてよ、という去年の脚本家とはダンチ…またまたディスってしまった。

ジゴローさんの「泣ける話」に対して、脚本家の人が「ここで泣かそう、とするのはいかにもいやらしい」、という意識を持っていることも窺えます。 ジゴローさんの質入れの話はだから、どことなく可笑しみが漂う。
四三が兄に対して督促をしない、という心情も実に理路整然としていました。 「分かるよ~その気持ち」、とガラケーに向かってしゃべってましたもん(オマエ大丈夫か)。

けど、シャーロットさんの「フォーティースリー!」は、狙いすぎ(笑)。

リウさま

 先週回はご覧になりましたか? 結構センチメンタルな回でしたが、
「今後どんなにすごい代表選手が現れようと初めての日本人オリンピック選手という事実は永遠に変わらない」?みたいなセリフ、
 立派な歴史観だ! と思いました。 そして今週回ですが、

 いやぁ45分間、画面から一瞬も目をはなせないかった! それくらい各エピソードにひきこまれました。  
 四三と三島くん、治五郎先生たち、大森夫妻、熊本の人たち・・・人間模様がすばらしかったし、シベリア鉄道の描写がなんともノスタルジックで美しかったし、満洲ハルピンが代表する当時の国際情勢なども興味深かったし、こういうドラマを観たかったのだ、と!
 いよいよ国際舞台にデビューした日本がこのあとどんな外交をしていったか・・・様々の国民を観察した四三が日本人のキャラクターについては「どういったらいいかわからず」って(笑) これもすごい歴史観(笑) 
 なんだか今後の展開が、いい意味でおそろしくなってきました。
 
 ごりん君は五輪でなく五厘だったのですね(笑) いい話でした。
 すやさんの夫も咳き込んでいましたね。
 安仁子さんは、はるか年下の大森氏を「キリストに似ている」と思われたとか・・・感動しました。 
  

視聴率一桁台をひた走る。ホント、100メートルの記録なら良かったのに。

しかし2020年に箔をつける企画モノの側面があるだけに私等は
無駄にマスコミが賞賛していたら内心、「ケッ!」と思うところなので
逆に応援したくなる。(判官びいき?)
今回の金栗を見ても誘致よりアウエーで戦う選手の支援に金使おうよ。

ロードムービーは楽しかったですが
個人的には、やはり北野たけしと綾瀬はるかが馴染めない。
大体、他家に嫁入りした女性に大ぴらに近況を語りにいくのはな…。
手紙という形か金出してくれた幾江さんに挨拶&報告では。

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

センチメンタルやよし! 前回は、スヤさん輿入れのシーンと四三の調子っぱずれの「自転車節」のたたみかけに、まずウルウル。 クドカンドラマの愛情表現は、傍から見れば醜態で滑稽でみっともなくて情けないのだけれど、恋愛が下手っぴいな自分のような人間には身につまされて、激しく共感してしまいます。
でも、このドラマの中では、少なくとも四三とスエさんは心の奥底で好きおうとる。 それだけでもあの時代のことを考えれば、報われたような気になってくるのです。

「この先何万人オリンピック選手が出ても、第一号は君だ」、というセリフは、実は私ちょっと「作ってんな」と感じてしまいました(笑)。 なぜなら、その時点でオリンピックがそこまで未来永劫続くようなスポーツ大会だと、果たして認識されていたか?ということを考えてしまったのです。 つまりこのセリフは、100年後の私たちでないと発想することができないセリフだ、と思うんですよ。

そのほか、シドー兄ちゃんに「オレは生きて帰れっとだろか」などと弱気なところを見せる四三の心情の背景が、もう少し丁寧に描かれていれば、などと考えたりもしました。

ただし!

前回、私の涙腺を完全崩壊させたのは、白石加代子さんでした!
(この件については、説明するのが実に野暮、というものでありましょう)。

そして今週。

ハルピンで三島と四三が「ここで伊藤博文が暗殺されたのか…」と思いをはせるシーン。 それをどう思うとか思想信条的な説明は一切ないのですが、実に多くのことを見る側に考えさせてくれるシーンでした。
同時に、ロシア兵や中国兵が入り乱れているこの地の状況。 ロシアになんかこないだ勝ったばかりなんだからもうちょっと優越感を持っても良さそうなのに、やはり銃を持っている相手には無条件でオタオタしてしまう。 …というのが人間なのだ、という、実に当たり前のことを、きちんと見せてくれる。

言いたいことを言わなくても、視聴者にその事実を放り投げて、「自分だったらどうするのか?エラソーなことをほざいていて、いざ外国人だらけのところに放り出されたらほざいていたとおりに主張できるのか?」、ということを考えさせてくれる。

ヤクミン様の、「今後の展開がいい意味でおそろしくなってきた」、というご意見に、心から同意いたします。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

このたび始まった4Kの放送も重なったことが、視聴率に微妙な影響を与えている可能性も捨てきれないのでは?と感じます。 ともあれ、1桁が続いたりすれば外野がかしましくなるのは当然のこと。 巨炎様が苦手なビート君の出番も、この先テコ入れされて削られていくような展開になっていくのでは、と感じます。

このドラマでは四三を心配する母親の役割を、すべてシドー兄ちゃんが背負っている側面がある。 しかしこの時代、去年のクソアホバカ大河のように、母親が出しゃばってアンタのことを心配してるんだとか、背中で死んじゃうとか、そっちのほうが嘘くさい。 野口英世の母シカも、長い長い手紙を書いて自分の心情を吐露したけれども、そこに至るまではずっと気持ちを抑えて生きてきたに違いない、と思われるのです。

そして大竹しのぶも、嫁の動向を何食わぬ顔して(いや、演技で食おうとしているが)つぶさに見つめている。 実に画面を引き締めてくれます。

リウさま

「初めてオリンピックに出た人の話だからってそれのどこが面白いの?」という声が私の周囲にはあふれています。
「何万人の選手がでてきても第1号は君だ」は、そんな声にたいする脚本家の回答になるのではないかと思ったわけです。 歴史、ってそういうものですよ、と。
 でもセリフとしては、たしかに、跡付けっぽいですね。 小説なら登場人物の発言ではなく例えば閑話休題として、地の文に書かれる言葉でしょう。

三島君「ぼかぁ負けた気分ってのがわからない・・・」
四三君「ホエアズスタジアム?」
 伏線ですね? 切ないです。
 ふと気がついたら、志ん生部分に、たけしさんがたけしさんのまんまであることに、個人的にはほっとj一息つかせてもらっているのですけど…
 

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

大河ドラマはいつの間にか、「歴史のヒーローが出てこなければいけないドラマ」、という変な縛りに絡まってしまった人が、想像以上に多くなってしまったんでしょうか。 というより、「歴史好きの見るドラマ」、というのが実態なのかもしれません。 いくらマイナーな人を主人公にしても、信長とか秀吉とか勝とか龍馬とか、絶対出てきますもんね。

ドラマの面白さ「だけ」でいけば、「龍馬伝」以来だと感じます。 特に今週は、ガラケーで見ていても美術がすごかった。 まあほとんどは列車の中でしたが、そこからハルピン、船、そしてストックホルムの街並み、そして「スティジアム」。 列車の中だけで進行する話は、まるで宇宙船の中だけで話が進む「エイリアン1」(笑)。

ホントすげえな。 …あっ、つい素が出てしまいました(笑)。 その中で同時に進行していく、竹野内豊の病状。 ちょっとちょっと、結核じゃうつっちゃうんじゃない? 大丈夫なの? 竹野内さん、「義母ムス」に続いて死んじゃうのか?

四三と三島が見知らぬ地で期待と不安を膨らませていると同時に、重苦しい悲劇が迫ってくる。 こんなすごい大河は、ホントに久しぶりです。

白夜も三島に比べれば金栗は平気?
何だかオープニングといい顔つきといい彼がウルトラマンに見えてきました。

弁舌爽やかに見えた三島が苦しみ、金栗はボディランゲージ良好と
前回と逆展開は面白い。
しかし大会は最初の1クールですよね。
後半は昭和が本格化するのでしょうが4月からの展開、どうなるの?

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

今回の三島の苦悩は、確実に予測されていたことでしたね。 つまり、100メートル走世界記録が10秒台なのに、三島は12秒。 しかも「負けたことがないことが自慢」なのに、「負けそうな競技を回避してきた」。 そこに世界の現実が立ちはだかるわけです。 「転ぶぞ~、転ぶぞ~」、と見せかけておいて、確実に転ばせる。 そして四三の激励を呼び込んで、最後は下ネタで梯子を外す。 ドラマの見せ方を心得た構成だと思います。

確かに私も、展開が早いなぁ、という気がしています。 この分だとどう引っ張っても、ストックホルムオリンピックは4月頭くらいで終わってしまいそう。

ただ、ドラマでは四三がこの先、思わぬアクシデントに見舞われてしまう。

ワールドレコードを持っている四三。

その彼が、これから起こしてしまう大失敗に対する、彼のその後の人生の処し方に、ドラマの視点は移っていくのではないか。

そんな気がしています。

リウさま

 一昨日たまたま何かの番組で、東北大震災の被災者の皆さんの、「復興五輪」という声にたいする強い違和感を感じておられる声を聞きました。 オリンピックには何も興味がない、と。 
 今週回、新聞ラテ欄に「初めてオリンピックに出た・・・云々」の謳い文句を見て、なんだか暗い気持ちになったのは、そんな声を思い出したせいでしょう。 「オリンピック」という言葉に引いてしまう人は被災者の方だけではないはずですから。 
 どうして「真夏の夜の夢」というタイトルを載せなかったのでしょう。 シェイクスピアのあの作品の舞台も夏至祭。 内容にもぴったりの美しいタイトルだったのに。 
 というわけで少し割り切れない気持ちを抱いて見始めた今回でしたが、満足でした。 良家の坊ちゃんのいわゆる線の細さとか、田舎育ちの青年のいざとなったときの逞しさとか丁寧に描かれていたし、西欧の選手団とか、そのなかの貧しい国の選手の様子とか、悲壮な大森さん、能天気な治五郎さん、足袋屋さんから志ん生青年の近況まで、たっぷり楽しめました。 「君が代」と「ニッポン」は四三のキャラの表明なのでしょうか?

 視聴率的に、とんでもないことになりそうですね。 個人的には「平清盛」でそのストレスには慣れていますが(笑) もったいないなぁ、しかし国民感情として当然かもなぁ、と。
 来週は「百年の孤独」ですって! わかる人にはわかる、というコンセプトを大切にしてもらいたいとか思うんですけど・・・ 
 

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

昭和39年のオリンピックにしろ、同45年の大阪万博にしろ、このお祭り騒ぎに批判的な人は当時も数多くいました。 昔は今よりもっと理屈っぽかったから、今に比べればもっと過激に批判を加えていた。

それでもこの2大イベントが今でも誇りを持って多くの人に思い出されるのは、「日本がどこまで出来るのか」、という、当時の日本人のチャレンジ精神がこれらの催しを突き動かしていたからなのではないか、という気がするんですよ。

今回の2020東京大会を見ていると、そんな「一体感」、というのにとても乏しい。 なんか、やりたい人だけがワーワー騒いで踊ってるだけ。 新国立競技場も、「なんか作ってますけど」程度の関心しかない。

折しも東日本大震災と日を前後して東京大空襲のことについてネット民の反応も出てましたが、アメリカのした大虐殺に対する批判のほうが大きい。 東日本大震災の比じゃないですからね、死んだ人の数は。

ネット民の反応というのはとても冷静で、的確です。 けれどだからこそ、どこか傍観者的で、体温が感じられない。

ネット民を現代人と括ってしまうことには危険が伴いますが、「冷静で的確」な人たちが50年前の日本人に敵わないのは、「日本人がどこまで出来るのか」、と考えた熱量なのではないか。

50年前の日本人と我々が違う根本は何なのか。 一部を捉えた話になってしまいますが、「50年前の日本人は、我々と違って自分たちがしでかした戦争に対する反省をきちんとしていた」、ということにあるのではないか、と考えています。

自分たちが犯した過ちに対して(過ちだ、と認めようとしない人種すらいる昨今ですが)きちんと反省したからこそ、それをバネにして日本をふたたび世界に認めさせようとする。 そのパワーが高度経済成長をもたらしたのではないか。

今の日本人はとても冷静で的確だけれど、だからこそ何に対しても傍観者的で、当事者意識が希薄だ。 それは、「自分ひとりがなにをやっても無駄」、という無力感があるからなのではないか。

今回、三島が絶望の淵から立ち上がったのも、「無駄だろうが何だろうが、最後までやりきることに意味があるのだ」、という意識革命をしたことが大きいのです。 これは巨大な兵力に竹やり程度の兵力で立ち向かっていった、戦争中の玉砕精神に通じるところもある。

大げさな話かもしれないのですが、今週の話に感動する私の精神状態を、少し解剖してみました。

リウさま

 明治時代の日本人の、欧米に追いつこうと必死な姿勢を、こんなに愛情をこめて率直に情熱的にクドカンさんが描いてくれるとは予想していませんでした。 しかも内容は情熱的なのに全然押しつけがましくなくて。 そうです! 重苦しくなりそうなところは下ネタでしめたりして(笑) ものすごく感心しています。  

 無理をしていたんでしょうね、日本は。
 その結果しでかしたことを、日本人は常に反省しつづけなければいけないのに・・・と私も思います。 それでないと、あんなに日本を愛した?金栗くんや、経験しないですんだかもしれない苦しみを味わい耐えた三島くんや、病をおしてがんばっている大森さんに申し訳ないです。

 大森さんといえば、結核患者を隔離する習慣ってあの当時あったのでしょうか。 小説なんか読むと、結核になり転地療養させられる(川島波子さんみたいな)人は例外で、ほとんどは家の一部屋とか物置とかを与えられ最期を迎えていたようで、あんな咳をしている大森さんをみんなが「持病」として受けとめている様子に、ぐっとくるのです。 ほんとに、どんな時代に生きるか、も人の運ですね。

いよいよ8%台!ここまで来ると、どこまでの記録を叩き出すのか見てみたい!
…「平清盛」終盤にも同じような事を言っていた気がする。

ところでBS朝日夕方枠に必殺シリーズの再放送が放映されていますが、
これまで中村主水登場作品ばかりだったのに、今週から
市原悦子さん追悼記念で別系統である「翔べ!必殺うらごろし」になっています。
この作品は過去作品により構築されたシリーズ世界観から、
あまりに逸脱していたため当時の視聴率最低記録を破竹の勢いで更新、
現在まで続く「仕事人」が始まる前にシリーズ終焉の危機を招きました。
ただ、斬新な演出によるカルト作品として今でも根強い人気があったりします。

https://www.youtube.com/watch?v=C0xbVo7temg

「いだてん」も似たような所があるのかもしれません。

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

「反省」についてもう少し語らせてもらえば、そりゃ、どっかの国からいつまでたっても反省しろとか言われるのは正直辟易します。 ただ、反省を強いられる側は「俺らのしたことじゃない、前の世代がしでかしたことでしょ」、ということでもない、と思います。 昔の日本人が犯したことは、未来永劫、「日本人の」罪なんですよ。 我々は、それを自覚できる民族だと思う。 自分の悪いところは、きちんと自覚できる。
そして私たちは、「いったん反省してから」、言いたいことをきちんと言うべきではないでしょうか。 私が危惧するのは、お隣の国に対して反省もしたことがない人が、冷静で的確な正論を述べることです。 反省の上に立たない正論は、説得力がない。

ただまあ、こちらがいくら正論をぶつけてもどうしようもない相手、という無力感は、確実に根付いてますけどね。

宮崎駿監督の「風立ちぬ」では、結核療養について的確な描写がなされていますよね。 結核菌は寒さに弱いとかいう迷信で、寒空の下、外に寝かされたまんまだった、とか。 私の伯母も結核で若くして亡くなりました。 サナトリウムに入ってたけれど、日記を読むと東京に坂本九を見に行ったり、そんなに「厳重に隔離されている」、という印象がない。 家族も普通に会っていたみたいだし。 どうも隔離の性質について、厳密性がはっきりしません。 親に訊いてみようかな。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

視聴率ガタガタなうえに、出演者の逮捕! いったいどうなってしまうんでしょうか。 「弱り目に祟り目」を地で行ってますね。

しかしこのクオリティが、「テコ入れ」によって崩れてしまわぬことをひたすら願っています。

四三のシューズ=足袋に関するキーパーソンだから、おいそれとカットするわけにもいかないでしょう。 NHKのリスクマネジメントと編集技術に、期待します。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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