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2019年3月25日 (月)

「いだてん~東京オリムピック噺~」 第7-12回 幻想的に展開する10里の行程

 全体的なペース配分から行くと、ほぼ4分の1という速さで物語の大きな柱と思われるストックホルム大会に突入した、「いだてん」。 このオリンピックに初参加したふたりの選手のレース中には、それまでの回想シーンが走馬灯のように画面を駆け巡る。
 それは物語のメインではない短距離ランナー・三島の場合には功を奏した。 が、主人公である金栗の場合、作り手が意図するほどの効果が得られたとは、考えにくい。
 それは冒頭で指摘したとおり、ここに至るまでの話が、かなりの速さで推移していることに起因している。 つまり、回想シーンを見る側が咀嚼し、懐かしがるくらいのヒマが、ドラマにないのだ。
 これが朝ドラみたいな15分・月-土ペースで展開すれば、まだ金栗の回想シーンには見る側をねじ伏せる説得力が生まれたことだろう。

 さらに一部の視聴者を混乱させ不快にさせるのは、金栗のマラソンと、志ん生(三遊亭朝太)の初高座に向けての一風変わった稽古をリンクさせた点だ。 「俥を引きながらなら噺を覚えやすい」、という理屈で、朝太は火事場を駆け回る 「富久」 の噺に合わせ、火事のイメージの中を、ストックホルムの酷暑に耐える金栗と一緒に、駆けていくのだ。
 はっきり言えば、このリンクには何の意味もない。
 だが確実に言えるのは、このふたり(金栗と朝太)は、「未知の行く先に向かって不安に押しつぶされそうになりながらそれでもその時代を駆け抜けていく」 共通項を持つ、「同志」 だ、ということだ。
 そしてふたりの間にあるもの、それは 「暑さ」 だ。 ここに作り手の、相乗効果を演出する狙いが含まれているのだが、それを理解できる受け手が、いったいどれだけいるというのだろう。 そこから 「分かりにくい」「理解できない」、という、このドラマによくある感想が導き出されてしまうことは、極めて残念だ。 この演出が理解できるとき、志ん生のパートが、この 「噺」 にとって必要不可欠なことが分かってくるだろう。

 それまでの過去がめくるめくように脳裏に展開し、それに 「富久」 の幻覚がフラッシュバックする、金栗のまるで夢遊病者のようなマラソンが展開した今回。

 それは、私が中学校時代、区大会の長距離で棄権したときの苦い記憶と、不思議なくらい被さっていた。

 自分の限度を超える運動量が続くと、苦しさと一緒に、これまでのことがひとかたまりになって頭の中を渦巻き始める。 頼りたい人が脳裏をかすめる。 いろんな感情が一緒くたになり、やがてホワイトアウトしていく。

 そして金栗が気付いたとき、そこは宿舎のベッドの上。

 いったい何が起きたのか。

 「日射病だ」、と周りは言う。 けれどもその記憶自体がない。

 「すいまっせん…すいまっせん!」 謝り続ける金栗。 ドラマはそこで無感情にぶつ切れる。

 見る側はドラマを見終わってしばらく、金栗の 「どうしてこうなった?」 という感情と完全に同化し、ほっぽり出されたままの宙ぶらりんな感覚に陥る。
 今回の作る側の意図は、見る側をそのような中途半端な気分にさせることにある、と言ってよい。 幻想的な10里の行程も、そのために用意されていた。
 これに不満を表明することは、実に無粋な行為だ。 どうせ種明かしは、次週以降に行なわれる。 ドラマの見かた、というものを、我々はひとつ、ここで学ばなければならないだろう。

 「レース中に行方不明になった」、という事実をドラマにしようとしたとき、宮藤の頭の中にはおそらく夢遊病的な幻覚的シーンの羅列がイメージされたことだろう。 これと並行して描写された金栗の故郷である熊本での一連のシーンも、どこか現実離れしていた。
 これらはみな、「そこに映し出されているものすべてが現実とは限らない」、という作り手からのギミックなのだろう。 そして、「金栗はなんと3位!というのはウソで」、というビートたけしの茶々が入るところも、張り詰めた緊張を解きほぐすガス抜き(言い換えれば、作り手の照れ)なのだ、ということを知るべきだ(たけしに不満を持つ視聴者はこのへんけっして寛容にはなれないだろう)。

 「考えるのはよそう」。 「いや、考えまくろう」。

 不安とプレッシャーのなか、アスリートはそうやって、いろんな余計なことを考える。 しかしそれは競技中、自らの中途半端を思い知らされるファクターでしかないことを、思い知らされる。
 要は、真っ白な意識でも体が勝手に動くくらいの練習と稽古が必要なのだ。 渦巻く思念にやられるくらいでは、まだまだ修行が足りない。

 このドラマがそこまで周到に作り上げられていることに、ただただ感服する。

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コメント

棄権選手の中にすら姿の無かった金栗は
ある意味、大河ドラマのシリーズにおける本作の象徴?

この結果に対する帰国後の反応がちょっと怖いわけですが
割と好きだった陸王ネタがとんでも無い事になってしまい
クドカン作品の認知度を高めようとする「あまちゃん」総集編の放送にまで類が及ぶ。
(私は「とと姉」はともかく「あまちゃん」にピエール出てたっけ?程度の認識でしたが)
どうも自分達が見せたい所だけ見て欲しがっているNHK側と
オリンピック本番箔付けの思惑を見透かして冷めている視聴者
(主に視聴率の変動に影響する浮遊層)とのズレが、どんどん大きくなっているような。

「いだてん」の内容自体はむしろ攻めの作劇ですがベンチとフロントの温度差というか。
朝ドラBS再放送も100作記念とかで、また「おしん」。
5年毎にラスカル●〇周年とか言っている世界名作劇場かよ…。
DVDやオンデマンド配信で往年の作品を解禁するぐらい攻めの戦略が欲しい。

リウさま

 「大和魂はどうした!」の一喝によって、私も現実にもどりました(笑)。
 そして、見終ってから少したったあと、ふと我に返った感じでした。 
 ポルトガル人選手の「ノーノ―」。 子供四三の「スッスハッハ」・・・
 現実と幻影が入り混じる、長距離走者の極限の心理状況が美しい映像で描かれていたなぁと、あらためて余韻に浸りました。
 思い切った大河ドラマですね! やってくれました!

 大河ドラマに描かれる史実は大半の視聴者が結果を承知しているでしょう。 承知の事実を、どんな風に解釈し描いてくれるかを個人的には大切に思っています。 どんな解釈を好むかは人さまざまでしょうが、自分についていうと今週回は、あぁ、あのエピソードをこんな風に描くことにしたのかと、つくづく感歎させられた回でした。 いわゆる「意識の流れ」というか? たとえばポストモダンの短編小説を読んだときの気分です。 こういうジャンルって読むのにちょっと骨の折れる部分があったりしますが(笑) でも読み終わったあと味わう得体のしれない気分が好きなんです。
 
 
 

 

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

ピエール瀧、容疑者のしたことは周囲に多大な迷惑と損害をかけた、という点で許されるものではありません。
作品の質、という点でも、彼が逮捕される直前に出ていた回と、その出演シーンがすっぽりカットされていた同回の再放送を両方見ましたが、外国人たちにせがまれたので足袋を送れ、という四三の要求に応えるシーンだったため、そのシーンがない再放送はなんだかあっさり足袋が送られてきましたよ、という風情でやはり物語の厚みが削がれた気がしました。 クレジットタイトルでも、ピエール容疑者と一緒に出ていた俥屋や足袋職人の子供、奥さんが同時にカットされたためか、やけに出演者クレジットのない間延びした変な瞬間がありました。

「あまちゃん」では、無愛想な寿司屋でしたね。
誤解を恐れずに言えば、今回の逮捕劇で私が感じたのは、「この人は誰かに迷惑をかけたのかな」、ということでした。 そりゃ逮捕されたことで迷惑は生じましたが、それ以前のこの人の人生を考えたとき、です。
いちばん利口な回答の仕方を申せば、「日本の法律で禁じられていることをあえてする、ということは、ばれたときのリスクなど全くどうでもいい、という無責任な行動なのだ」、ということ。
その模範的な考え方に反駁する余地など全くないことは自明ですが、「法律で悪いと決められているから悪い」、という考え方がガチガチに固まっている、という世間の方向に、私は少し薄ら寒いものを感じます。

ドラッグがダメでアルコールやニコチンがいい、という法律の価値判断基準をまず疑うべきなのではないか。 そういう考え方が封じ込まれる世の中の動向って、どうなのか。

「分かっちゃいるけどやめられね」、と笑い飛ばすほどの開放的でパワーがあった時代、みんな周りの目を気にしてビクビクしながら正論をぶつ時代。

どうも私には今の世の中、生きにくさばかりが先行しているような気がしてなりません。

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

今回の記事は、またもや(笑)ヤフーの感想欄を読んで腹が立ったことがモチベーションになってしまいました(笑)。 こういうきっかけがないと、近頃は新しい記事さえ書けません。

それにしても世の中、なんでもかんでも分かるように説明しなけりゃ自分で感じることも出来ないのか。 それだけ感受性の狭量な視聴者が増えている、ということなのでしょうか。

例えばレース前に四三が竹野内さんをおんぶしたのは体力の消耗を意味することだから言語道断だ、とか。
そんなの、今の管理し尽くされたアスリートとは違うんだから当時の鷹揚さをそこで感じるべきでしょう。 現代人の感覚で見すぎなんですよ。 自分たちの価値基準でしか、ものを見ることが出来ない。 視野が狭すぎる。

そして訳の分からないことにフタをしたがる。 そんなことじゃいつまでたったって自分の感性なんか、磨かれませんよ。 ヤクミン様のように、「分からないなりに付き合う」、という、一見無駄に思えるようなことを、生きるうえではあえてしなければならないことって、あるんですよ。

感じ方を知らない日本人が増えていることに、一抹の危惧を持っています。

今夜は見ようっと意気込んでたら、選挙でお休みでした。(笑)
この空振り感、どうしましょう。
いだてんというドラマにはそういう所があって、それをくすっと自嘲気味に笑えないと、楽しめない気がします。私の代わりに夫が完走中です。
リウ様お元気ですか?

お~い、ささ様~(笑)
もう、ちっともコメントよこしてくれませんよね(笑)。 去年までは鬼のように下さっていたのに。 それほどまでに現代劇大河に興味がおありではないんですか(ハハ…)。

でも、いのちとか、西田敏行さんと当時の染五郎さんが兄弟だったのとかは毎週見てましたよ(笑)
あまちゃんも見てないんです。(笑)国民的朝ドラを見てないんです。(笑)
クドカンのドラマは嫌いじゃないけど苦手なんですよ。(笑)
いだてんも勘九郎さんから阿部サダヲさんに代わっていくのでしょうか。
勘九郎さんは、お父さんと違ってどこか不器用な感じですね。俊英ではないだろうけど、地道に上手い役者になるでしょう。その飛躍のステップにこのドラマがなるといいですね。まだまだマグマを溜め込んでる状態なので、二皮くらい向けた頃が楽しみです。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

宮藤さんのドラマは好き嫌いがはっきりしてますからね。 この人は、考えてないようでいて、ものすごくいろんな要素が頭の中を渦巻いている。 笑いながら泣く、怒りながら笑う、ふざけながら真剣、そういう複雑な心理状態を表現したがるタイプだ、と感じます。

勘九郎さんはウルトラマンみたいですからね(笑)。 この世を愉しむために生まれてきたような先代とは違って真面目なのでしょう。

リウさま

 明治天皇崩御の年の秋に四三は帰国したのですね。 やはり「敵はいく萬♪」で迎えられたものの、町には緊張した空気がただよいはじめていて、距離を地図とコンパスで測ったとか電信柱ができたとか他愛無いことなのに、なんだか、すごい歴史絵巻が繰り広げられていきそうな予感にわくわくどきどき! 
  四三にとって大切なのは4年後であって、十年後とか百年後とかではない、という気持ちが見ていて切なかったです。 だって4年後に何が起きるか、視聴者は知っていますものねぇ。 スポーツが「体育」とされ、どのような形で国に利用されていくかも。

 四三と弥彦
 いくら報告を聞かされても国民には想像できない世界を経験した二人。 
 どんなに説明してもじゅうぶん理解してもらえるとは思えない二人が、ニュース映画に映ってはいない場面に自分たちを見て、互いだけに通いあう快心の微笑を交わす姿に胸が熱くなりました。
「アメリカが強い理由をたしかめてくる」
 弥彦の決意からは、その後日本軍部の軍事力過信に反対し苦慮した人々の存在に思いをはせたり?
 
 青年志ん生が旅に出ました。 師匠の餞別に泣き崩れる場面にもらい泣き(笑) 
 要らない話ではありませんよね。 誰もかれも自分の未来を図りかねるまま、しかし歴史は動いていく。 時が流れる音がひしひしと伝わってきます。

 すやさんの事情も気になるというか、どんな描き方になるのかたのしみです。 大竹さん、さすがのインパクトでしたが、寺島さんも負けていませんでしたね。 

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

大竹しのぶさんがラストに「続きは来週!」、とやったのには笑いました。 様式を重んじる大河ドラマでこういう禁じ手(笑)をやったのは、初めてなのではないでしょうか。 つかさんとか鴻上さんとか野田さんとか、エキセントリックな演劇にありがちな「フィクションの開き直り」、という手法なのではないか、と感じます。 つまり「これはフィクションだ、文句あっか!」と開き直って、物語につんのめり気味な勢いをつけるのです。

ただ、スエさんの夫が病弱気味に描かれていたので、「また来週!」と言われても、なんとなく先が読めてしまうような…(笑)。

そして寺島しのぶさん。 Wしのぶですね(笑)。 しのぶ同士の演技バトル。 絡まないのが残念ですが。 エラソーな女を見事に演じきっていましたが、ここで男どもから総スカンを食い、寺島さんを立てるようなことをしなかった演出には、喝采を送りたい。

なぜならあの時代、女性は正面切って精神的上位に居座ることなど不可能だっただろう、と思われるからです。 表面上は男を立てながら実は女のほうが偉い、というパターンは枚挙にいとまがなかったと思われますが。

志ん生青年編を見ていると、宮藤さんの本当にやりたかったのは志ん生の人生だったのではないか、という気がしてきます。 なにしろ森山未來と松尾スズキの絡みが凄い。 「オマエにはフラがある」。 フラって何? ネットで調べりゃすぐ分かりそうなご時世ですが、あえて調べずにドラマでの種明かしを待とうと思います。

ちゃんと見ましたよ。志ん生青年編、フラってなんだ、あんたがふらふらじゃないか!いいオチでした。でも、待っていたんですよ。誰かに、師匠に、認めてもらう事。
うちの師匠は売れっ子だから、見送りなんか来られないって強がりながらも、ふらふらで駆けつけてくれた師匠が嬉しくて、有り難くって。でも、フラって何よ。来週に続く(笑)
平成から令和はのどかな改元だけど、明治から大正で国家の締め付け感がひどくなるとは(笑)だって大正ロマンって、昭和の我々は大正を羨んでいたのに、明治より住みにくくなってたとは(笑)
改元というのも、侮れない。
天狗クラブは解散しそうだし、野球は卑怯なスポーツになってるし(笑)
まあ一部上流階級の紳士淑女の嗜みだったスポーツが国家の後押しの元、国威発揚の体育になったって事ですかね。
オリンピックから帰ったら、嘉納治五郎先生も追いやられるという、、、、。
第2部の始まりとしては良かったと思うんですが。
ただ綾瀬はるかさんは大河ではやっぱり八重さんなので。元主役ですよ。
綾瀬さんには会津の方が似合うって。(笑)
大竹さん。最後にあれだけのインパクト。
しのぶ対しのぶの演技バトル。ガチでお願いします。


一回書いたのが消えました。(笑)
フラって何よ。(笑)ふらふらのふら?(笑)
でも、駅にふらふらでも駆けつけて、見送ってくれた師匠の愛。
見捨てられたんじゃない。芸を磨いてもらう為に外に出した。ふらがあるから。(笑)
詳細は来週に続く。
明治から大正って窮屈になったんですかね。大正ロマンじゃなかったの?
平成から令和は平和で良かったです。
上流階級の紳士淑女の嗜みだったスポーツが国威発揚の為に国家が後押しするものに代わって来たという事でしょうか。
第2部楽しみです。詳細は来週!(笑)

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

一世一元号、という制度になってから「元号の変わり目」が前天皇の喪に服した状態で始まる、という悪しき状態を打破した、という点で、いまの天皇陛下(のちに平成天皇、と呼ばれることになるのでしょう)が生前退位を決断されたことは特筆に値するものだ、と感じます。

私が想像するに、これは歴代の天皇のことを天皇陛下がお考えになったわけではなく、昭和天皇が崩御されたときの過剰なまでの自粛ムード、それに伴う経済的停滞を見てこられた陛下が、ご自身の責任感から来る「天皇を全うできない」、というお気持ちからご判断なされたのでしょう。

その「自粛ムード」まで物語に取り込んでしまう「いだてん」、という怪物。 四三の日記が中心と思われるモノローグも、かなり時代がかっていて、そして悲壮さまで漂う。
乃木将軍の自決、という話が見る側にある種の感慨をもたらすのも、もしかするとフィクションだったかもしれないけれど、四三が三島家の厠で乃木将軍と出会っていたことが効果的に見る側に残っているためだ、と感じます。
いずれにしても乃木将軍が当時の「有名人」、であったことが実感できるのですから、さりげないところで要所を押さえているドラマだ、と言うほかはありません。

乃木将軍の自決と言えば、夏目漱石の「こころ」。 「ある一時代の終焉」、ということは当時の人々が強烈に感じていたことなのかもしれません。

そんななかで、「過ぎ去りし明治時代」になってしまった、自分たちの出たストックホルムオリンピック。 そこで四三と三島の、急速に忘れ去られることのむなしさ、喪失感を同時に表現している。 なんてドラマなのだろう。

たぶんこの先、女性アスリートの先駆けとして前畑ガンバレの前畑さんも出てくると思いますが、この大河ドラマで表現すべきことはこの先も膨大にある、そんな気がいたします。

こころ。読みましたが、当時乃木将軍の事など思いもしませんでした。(笑)
乃木将軍といえば英雄で、明治天皇に殉じた方ですけど、主人公が、厠で会った乃木将軍
となると、違う感慨がありますね。
自分達がはるばる出かけて参加したオリンピック。一生懸命やったのに、もはや遠い過去にされてる。ニュースフィルムを見ながら現実だった事を確認している二人。
じーんときちゃいました。時代から追い抜かれるような喪失感。で終わらない、熊本に帰ったら、お兄さんに引きずり回される主人公。感じ入るものがありました。

結婚。いやあゝ、大竹しのぶに貫禄を感じる日が来るとは。
初々しかった朝ドラ時代のなんと遠いことか。(笑)
嫁だけが可愛い!婿なんざおまけという地主様(笑)綾瀬はるか、可愛いもの。
多分世界一大事にされてる嫁だわ。(笑)羨ましいけど、綾瀬はるかよ。許そう(笑)
志ん生のくだりはとってつけのようだったので、どうでもいいかも。(笑)

感想消えちゃったかも。(笑)
大竹しのぶ、大竹しのぶ。貫禄ありました。
朝ドラ主役の頃は可愛かったのに。
結婚しちゃいましたよ。(笑)

リウさま

 すやさんの夫は、ストックホルムからの四三の手紙をすやさんに読んでもらっていましたよね? そのあと彼は亡くなり、すやさんは実家にもどって、ひとりになった姑は、すやさんを手元にとりもどしたくなって、とそこまではよくわかったのですが・・・えーっと、それで四三を養子にして、すやさんと結婚させようという発想につながった必然性が、?でした。 姑やら四三の兄さんやらの利害がらみの深謀遠慮の結果うまれた縁組? みたいに思えましたが?
「四三を好いとっと?」、複雑な表情をする義母と、すやの会話も、
「すやを好いとらんと?」。四三を見つめる兄さんとのやりとりも、、
 ラブストーリーだったらクライマックスになりそうな場面なのに、いやにあっさり(笑) いや、感情移入なさった方もおられるでしょうが。 その挙句、「この部屋で看取りましった」って(笑)

 浜松のマーちゃん
 志ん生青年とオリンピックがつながりました! Mという頭文字のオリンピック選手ってだれ?って考えてしまいました。 誠治? せいじ、ってこれまで読んできたのですが?(;'∀')

 放送後の解説で足袋の話がでました。 そういえば私の気のせいだといいのですが、足袋屋さんの姿が見られなくなってから、ドラマ全体にスピード感というか、ぴりっとした印象が弱まっているような?

 

息子が存命の頃から金栗の方が大事そうな態度があからさまな嫁を
手元に置いておきたい心理なんぞ知りたくもないです。
まあ「八重の桜」でも最初の夫の誠実さに応えようとしない自分を取ってつけた
理屈で正当化していて、この人は何時も自分だけ綺麗な所にいるなぁ…と
先の大河以来、完全にアンチになった訳ですが。
(本人だけでなく事務所の意向もあるのでしょうが)

金栗がストックホルムを走るまでのストーリーはそれなりに評価できたのですが
やはり大河ドラマの主役にするには逸話不足で
落語の件とか尺持たせの無理が来たのかもしれません。
足袋屋の脱落も痛かったですが。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

アレアレ? 4月17日にもコメントいただいてますね。 うっかり見落としておりました。 大変失礼いたしました。

「感想消えちゃったかも」とのこと、なんかこのブログのシステムが「全面リニューアル」して、そんなことが起こりえる状態であることは否定できません。
私もささ様のコメントを見落としてしまったのは、言い訳っぽくなってしまいますが、ブログ管理画面で容易に新たなコメントが送られてきていることが確認できなくなってしまったことにも一因があるのです。 前は一発で分かったんですけど。
いろいろご迷惑かけて申し訳ないです。

大竹さんは今回、髪の毛を思いっきりアップして額を見せまくっているのがその貫禄に繋がっているような気がします。
大河ドラマで何が大きく変化したか、と言いますと、私は女性のつけるカツラにもそれを感じています。 前は額が、狭かったですよねぇ~~(笑)。 それに比べて大竹さんの額の広いこと広いこと。 「そうそう、昔こんな人っていたよ」と思わせます。 って、実際に見たわけじゃなくて、明治時代の写真とかいろいろな知識の集積、というか。

カツラについては、最近のはどうやってその髪型を作っているのかが分からないところがあります。 地毛でやってるのかな。

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

大竹さん演じる姑さんは嫁さんのスヤの本命の人(四三)を最初から見抜いていたんじゃないのかなー、と感じます。 なにしろなにかっちゃあスヤさんのことをじーっと観察してましたからね。

こんだけスヤさんに執着する、ということは、ひょっとして姑さんにLGBTの傾向もあったのかもしれない…と今、うっすらと思いつきました。 四三はスヤを手元に置いておくだけの道具としか見ておらず、かなりけんもほろろの応対ぶりですし。 しかも四三を婿にすればスヤが喜ぶだろうし、金栗家の借金を相殺してやはりスヤが喜ぶだろうし、という。 「すべてはスヤのために」、なんですよ。

それより四三の煮え切らない態度にイライラしましたね(笑)。 オマエ、好きなんだろ!(笑) オリンピックも大事だけど好きな人と一緒になるなんて、こんなチャンスは滅多にないぞ! つーか。 前の旦那さんのユーレイがその辺に漂っていようが、構うもんか!(爆) 抱けよバーロー、つーか(爆)。 しかも綾瀬はるかだぞ! 問答無用だろ!

…。

失礼いたしました(ハハ…)。

足袋屋はアスリート四三のエンジンを作っているパーツですからね。 ここがないとどうにも締まらないのは確かにありますね。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

巨炎様、綾瀬はるかチャンが天敵クラスでダイキライなようですね~(笑)。

私は前にもお話ししたかと思いますが、この子のぽわ~んとしたところが好きですね。 だから「精霊の守人」みたいなキツい性格の役をやっていても、なんかどこか親目線で見てしまう(笑)。

私はどちらかというと、森山未來くんの落語家パートのほうが最近は見応えある、と感じています。 金栗パートに移行してしまうと、「もっと森山を見せろ!」てなもんで。
なにしろ「飲む打つ買う」を地で行ってる、この退廃感。 世の中綺麗事だらけでつまらん、と感じている私にとっては実に刺激的なパートです。

リウさま
 
 先週はなんだかぼんやり見ていたせいか「ししょう、ししょう!」の場面しか思い出せず(;'∀') 今週の志ん生青年は「やさぐれ」ながらマーちゃんを浜名湖につきおとしただけで、まさか、多くの視聴者の要望に応え落語の出番を減らしている、なんてことではないでしょうね? 心配です(笑)

 すやさん大活躍の回。 綾瀬はるかさんは、どのドラマでも主役だしどの役も印象的なわけだし、普通ならそろそろ飽きられてしまいかねないのに、そんな恐れを吹き飛ばしている感じですね。 勢い、というのでしょうか?
「靴でも足袋屋さんがつくれば足袋です」
 そんなセリフを嫌味なく言えるのも彼女の確かなキャパシティーゆえか、と。 別にファンではないけど感心します。

「真剣に走っている女子を見てなにがたのしい!」
「マラソンなんて貧乏人のスポーツです」
 思い切った発言を当時の知識人に言わせたのがおもしろく、そんな空気がどう変わっていくのか中々かわっていかないのか、にも興味があります。

 駅伝誕生のいきさつが予想以上にスピーディーで、道中は紙芝居でしたが、やはり早送り画面でいいから選手の息遣いを感じさせてもらいたかったかな、と。 たとえばドラマの解説で触れられた52歳の最終走者とか、感動場面になりそうなのに敢えて描かない、余計な感傷を入れない脚本ですねぇ。 最終走者に関しては、
 愛知一中
 もちろん資料をちょっと調べれば見つかる、大半の人にはどうでもいいような事実のほうを強調する、なんて姿勢がクドカンさんの面目じゃないかと思ったりしました。


リウさま
 
追伸
 愛
 のあとがなぜか消えました。 愛知一中です。 ほんとどうでもいいけど(笑)
 失礼しました。

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

かけっこだからというわけではないでしょうが、今週の駅伝に関しては、かなり駆け足に思えました。
当方ぼんやり見ていたせいか、まずこの東海道駅伝のルールが頭に入ってこない。 これってずーっとひとりで走んのか?とか。 それとも関西?中部?関東?の3ブロックが対抗で大阪から東京まで走んのか?とか。 だとすると最終走者が四三として、ほかのブロックのランナーたちはどうなっているのか?とか。 だからなんか、ドラマを見ている最中は置いてきぼり感覚。 本編あとのいだてん紀行(だったっけな)で何なとなく分かりましたけど。

それとやはり、足袋屋がピエール瀧さんから三宅さんに変わって、ついでにキャラまで変わっちゃって、播磨屋が出てくるとある種の緊張感があったのにそれがなくなって、なんとなくドラマに締まりがなくなった気がします。 キャラ変える必要はなかったでしょうに。

今週の「いだてん」はなんかゴチャゴチャギャーギャーしていて、それなりに面白かったけれど、なんとなく勢いで誤魔化されてしまったような、妙な読後感。 駅伝の話がトントン拍子過ぎたかもしれないな、と思っています。

綾瀬はるかさんはもう無敵、ですね(笑)。 大竹しのぶさんが出てきて中村獅童さんがすっかりタジタジだ、というのも笑えます。 このコンビ、なかなかのヒットだぞ(笑)。

ついに清盛の視聴率ワースト記録が破られました(笑)
このぐらいないと面白くないわ。(笑)
オリンピックという目標がなくなって、駅伝ですか。
足袋屋さんはピエールさんの方が凄味が隠れてて面白かったですが、今の人情タイプの足袋屋さんも手堅いお芝居だと思います。
ただ、規格外のお芝居を大河だと見たいですよね。ありきたりじゃなくて。
綾瀬はるかさんのすやさんは凛んとして美しいと思うのですが、やはり、彼女は八重さんで主役を張った人。もうしばらく八重さんの人生を大河で生きた人であってほしいと、心の狭い私は思います。いろんな役が出来るのは女優として素晴らしい事でしょうけどね。
子供の日の回は、ああ駅伝か、という感じで、見てたんですけど、流しちゃいました。
勘九郎さんは頑張ってると思いますが。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

「清盛」にしても「いだてん」にしても、質のよい大河ほど視聴率が低い、という法則が成り立ちそうな気が(笑)。

ここぞとばかり「いだてん」を貶しているヤフコメのなんと多いことか。 ヤフコメは最近投書のひとつひとつが長すぎて読む気になりませんが。 ヒマな人の鬱憤晴らしの場になっとりませんかねあそこは。

足袋屋のキャラ変はピエール臭を完全に消し去る意図が隠れている気がします。 聞けば、今後総集編や再放送、DVDブルーレイ発売に際しても、以前のピエール出演分までも三宅さんに交代して完全に撮り直しだ、とのこと。 作品の印象は、ガラッと変わること請け合いです。 撮り直しとなると、勘九郎さんをはじめとして、足袋屋のおっかさんや子役、清さんとか大変ですね。

>清盛の視聴率ワースト記録
現政権へのゴマすりな「花燃ゆ」はなるべく批判したくないから
「平清盛」をスケーブゴートにしたがる傾向が強いですよね。
(端数切り上げなければ年間視聴率ワーストは「花燃ゆ」)

まあダーク過ぎる「平清盛」とライト過ぎる「いだてん」は陰陽の関係とも言えますか。
台詞中心にライトな作劇を展開しながら、仕草や言動でダークさを出した
「真田丸」は成功すべくして成功したとも言えます。
まあ、こちらも新井さんのポカで再放送が早朝の「徳川葵三代」になりましたが。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

出演者が問題を起こしたからオンエアできない、という流れはおかしいのではないか、と感じます。 当事者が起こした事件のほうが気になってドラマの内容が頭に入ってこないとか、そこは視聴者が葛藤すべき問題だと。

要するに、「葛藤すりゃいい」んですよ。

それを放送するテレビ局に文句を言おうとするのは、「自分が清廉潔白な人間だ」という強迫観念が潜んでいるのでしょう。 それか、自らの人生のなかで自分のやらかした罪に、あまりに無自覚な人なのではないかと。

例えばなにか事件にならなくとも、ドラマ出演者の中には、浮気やらなんやらで家庭がメチャクチャとか、DVしてたりとかあるかもしれない。 でもその人はそのことをおくびにも出さず演技している。 視聴者は、そんな出演者たちに進んで騙されているわけです。

もともと虚構の話のなかに、虚像の出演者たちが人間の本質を探りながら演技をしている。 それを私たちは見ながら生きていくことの本質をドラマの作り手たちと一緒に探っていく。 それがドラマを観る意味なんだ、と私は思います。

お久しぶりです。いだてん、面白く見てますよ。ヨーロッパ放浪中の主役さん、明日は女子大の先生(笑)だそうですね。いだてん、見て、集団左遷というのがこの頃の私の視聴パターンです。
もうじきしたら腰の手術でまた入院します。でもどっちも録画予約してますから。
共通点はどっちも視聴率がいまいち。
いいの、私は好きだったら見るんで。いだてんはリウ様が好きだからみてるんだけど。(笑)
暑くなってきました。リウ様、お身体ご自愛下さいませね。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

「また入院」ですか。 今度は原因部分を完璧に削除できればいいですね。 ちなみに私は8年前の手術でギックリは完治、患部以外は多少痛む程度で治まっていますが、ささ様もそうなられることを願っています。

最近の「いだてん」ですが、少々「描写すべき部分をちょっと省略し過ぎな部分があるのではないか」、という気分で見ております。 これについては記事にすべきかどうか…。 何しろこのドラマについて「記事にしよう」という気運が高まってこない。 ストックホルム以降は慣性の法則でやってる感じで…(「惰性」、と言わないところが奥ゆかしい…笑)。 ただ、やはりそのモヤモヤについては、記事にすべきか、と考えています。

「集団左遷!」については、そもそモタイトルの付け方が間違ってるような気がする。 「集団リストラ!」でしょう。 蒲田支店が無くなってしまえば出向では収まらないのですから。 地面師の回では福山支店長のアホさ加減に少々辟易しました。

くれぐれも、お体をお大事に。

2回も詐欺に騙される?(笑)しかも人(お客様)を信じて(笑)まあいいんですよ。お馬鹿支店長でも。
私なぞ、龍馬伝のパラレルワールド話として見てますから。ツンデレだった弥太郎が、支店長に完全にデレてますから。
いだてんは、綾瀬はるかちゃんの報告会での夫を擁護する言葉がとってもほっこりしました。福島っぽい熊本弁に郷愁を感じました。(笑)熊本は隣県だったんで。いだてん、熊本の家族の段々畑の棚田や、緑の山々、心に刺さります。今はちょっとお話の方は、主役はオリンピックにしてみればいいのかなあって感じです。(笑)ではでは、今日も見ましょうね。白い巨塔より、集団左遷の方が楽しめる私は、きっと、変なんだけど、テレビ朝日のドラマの作り方って、あざといから嫌いだったりするんです。そこが長所でもあるんだけど。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

「集団左遷!」は先週分を見てないでコメントしてしまいました(笑)。 これなら「左遷(栄転?移動?)」ですよね。 もう最終回かと思っちゃったよ!(爆) 三上さん、どんだけ顔にリキ入れてんだよ、つーか(疲れるでしょ…笑)。 赤井さんとか出演者がこれまでの「日曜劇場」パターンの逆をいってますよね。

アントワープオリンピック報告会での綾瀬さんを見ていて、彼女に「鬼龍院花子の生涯」をやらせたら面白いのではなかろうか、という気がしました。 ただ、ちょっと必然性が薄いというか。 「鬼龍院花子の生涯」をやらせたかったんだろうなー、という作り手の思惑が、見えてしまう。 美川も完全に浮いてたし(浮かせるのが目的だったんでしょうけど)。 美川がそこにいる必然性が、まずない。

「白い巨塔」はノーチェックでしたが、「テレ朝ドラマの作りはあざとい(フォローあり…笑)」、というささ様のご指摘には私も同感です。 なんか、「誘導的」な感覚がする。 そりゃ、作り手には自分の主張があって、物語をそこに誘導させるのがドラマなんですが、テレ朝の場合そこに複雑さを介入させない、というか。 だからとても恣意的に見えるんですよ。

ではでは。

また消えたかなあ。
来週の金曜から入院します。
白い巨塔、リウ様見ましたか?田宮二郎を知ってる世代としてはこれじゃない!感がひどくって。
華麗なる一族は、木村拓哉で完璧に上書き出来たんですけど。
欲望と絶望、その狭間のギラギラした人間の本能みたいな呻きのようなものが、岡田君は優しく美しくて爽やかで、さらっとしてたなあって。それが一般受けのいい令和流なのかもしれないですが。

最近の展開、四三個人のドラマの大筋は悪くないと思います。
2人で挑戦したオリンピックから八年で15人。
陸上競技の底上げ、後進の育成に力を入れ前回のリタイアから16位まで入り
着実に歩みがありながらも自分に納得出来ない葛藤。
ただ脇エピが恋バナ、コメディ、落語ときていますからな…。
スポーツを取り巻く政治や世界情勢を並行して描いた方が厚みがある。

記者団会見のシーンも綾瀬はるかに見せ場を作りたかった意図が見え見えで萎える。
「八重の桜」で藩主に進言した時と同じで主役やヒロインとして分相応の葛藤もなく
エラソーな事を言って「すっこんでろ!」等のカウンターもないからツマラナイ。
山本美月の言葉の方が遥かに重みがありました。
外野の不当な誹りに耐え、屈辱と向き合わずして、50年後の栄光は無い。

>白い巨塔
唐沢版でも「脳転移を起こす末期癌を初期と診断して開胸する大学病院医師」とか
「亡くなった財前に白衣を着せる悪趣味な演出」に萎えまくっていたので
同時期に再放送で観た田宮版は涙腺モノでしたな。
治療や検査の技術、医療を取り巻く社会背景そのものが時代と共に変化しているので
原作執筆から15年というギリギリのタイミングや役者陣、映像技術と
田宮版(十余年前の劇場版は除く)「白い巨塔」のピークでしょう。
ちなみにTV版初登場の財前ちゃんは、こんな感じ。

http://i.imgur.com/QOCaw5H.jpg?1

ルパンやゴジラ同様にだんだんマイルドになってくる…。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

最近「老化」がこの先に待ち構えてるのがだんだん見えてきて(笑)。 まず顔の踏ん張りが利かない(特に目の周りの筋肉)。 ですので顔を鍛えてます(笑…えないか)。
それと意味不明で疲れすぎる。 気がつくと老人の姿勢になってる。 神経痛がひどい。
入院は腰のためかもしれませんが、デトックスのいい機会かもしれませんよ。 前向きに前向きに。

「白い巨塔」はノーチェックだったと書いたんですが…(笑)。 こんなの毎日2時間?5日間連続でなんか見れませんよ。 田宮二郎さんのは確か再放送で見ました。 「財前が乗り移ってる、憑依している感じ」。 おそらくこの役を演じなければ、猟銃自殺などしなかっただろうな、と感じました。 あれは1978年くらいだったかな…。 もう40年も経つんですね。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

私がこのドラマを見ていて感じる政治的な部分は、金栗の言葉の端々に「お国のため」、という考えがちらつくところです。 殖産興業とか富国強兵といった、明治政府の国民統制の思想が金栗自身に染みついている感覚がする。

スポーツをやるのも丈夫で健康な体をつくり、産業の発展のためにビシバシ働ける労働力を育成するためである。 体が丈夫な兵士を育成すれば、軍事力の基礎的な増強に大いに与する。

それでも私が金栗篇の構成に最近イマイチ納得できないのは、金栗が教師をしていた、という部分が全く描かれてこなかったこと。 これではストックホルム以降、金栗はまるでアホみたいに走り続け、自らを消耗していった、という印象しか導かれない。 「ただ走っているだけのアホ」ですから、池部の姑さんにも「ご活躍なようで!」とあからさまに嫌みを言われ、養子先にも理解を得られない。 スヤもアホみたいにただ待ち続けるだけ。

これではドラマに深みが生まれないと私は感じます。 「教師をやりながらマラソン普及に全力を注入していた」という描写なら、金栗はこんなアホな人物にはならなかったはずです。

そんなこんなですから、今週金栗がいきなり女子校の先生になったのも、すごいトートツに見える。 「教師なんて出来るのかよ?」てなもんです。 だってアホにしか見えないんですから。

やるべきことをやらないままコメディとか落語とかに走るから、コメディや落語が蛇足に見えてくる。 不要に思えてくる。

ただ、女子体育の章が始まって、女子たちの描写が生き生きとしている部分はさすが。 男子よりも女子のほうがよっぽど元気な最近のオリンピックに通じるものを感じます。

そういえば男子相手に教鞭とっているシーンって、ありませんでしたか。
その前フリがあれば「男子と女子相手では勝手が違う」というのが際立ったでしょうか。

橋本愛も杉崎花も嫁入りして時代の流れを感じさせますが
四三は「もう30」の割に進歩がなくてサークルの勧誘活動っぽい。
まあ、現代ならアホな30歳なんて珍しくも無い訳ですが(笑。
ただ治五郎先生でも、そんなに頭好さそうな人に見えない訳で…。
清盛は頭領になっていた頃で、もうちょいマシだったと思いますが。

「登場人物がギャーギャー喚いてばかりで知性を感じない」というのは
本作否定派に、よく見られる意見であり、
こういう所は大河として押さえる所は押さえている三谷作品の方が上でしょうか。

巨炎様
松尾スズキさんが別れ際に弟子に叫ぶように話した、「オマエには『フラ』がある」。 これの回収をしてないのもモヤモヤします(笑)。 せっかくドラマ内で回答が出ると思ってネット調べを見送っているのに(笑)。
これって結構重要事項なような気がするんですよ。 だって師匠が弟子に託した思いがこれで見る側にも通じるじゃないですか。 それが分かんないから、志ん生青春篇も、なんかどこか「フラ」ではなく「フラフラ」している感じがする。

役所さんの嘉納治五郎は、「俺は頭が悪いんだ!だから何言ったって無駄だ!文句あっか!」という「包容力」、が描かれている部分がとても斬新に思います(笑)。 「知性のない包容力」(笑)。 金栗篇を支えているのはこの力によるものが大きいのではないか。

前回のコメントでは金栗のことを「アホだアホだ」と言い過ぎました、反省します。 金栗も、「マラソンバカ一代、駅伝バカ一代」でいいのです。 この不格好に構築されたドラマが、治五郎先生によって奇妙に均衡を保っている。 そんなドラマなのではないでしょうか。

時々お返事というか書いたコメントが消えちゃうので、お返事もわかんない時があるのです。(笑)
5日もやってたんだ。田宮二郎のドラマ、5日連続で見たらくどすぎて大変だろうな。疲労感が。(笑)マイルドな理由がちょっとわかります。そういう視聴率前提、見易さ前提のあざとさがムカつくのだわ(笑)
田宮二郎が永遠って事です。三番煎じだもの。マイルドにもなりますわ。
やっぱりフラ回収してませんよね。見逃したのかと思ってました。
治五郎先生、可愛いですよね。反則技使っても許しちゃう。役所さん、凄い!

もう来年の大河の収録が始まるのかな(笑)エリカ様が帰蝶さんだそうです。それより、モックンが斎藤道三ってどうなの(笑)
でも主役は光秀よ。確か。
萬平さんが主役よね。確か光秀が主役だった話が以前あったようななかったような。(笑)
ではではまた。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

ココログがメンテナンスとか余計なことをするからサイトが使いにくくなって、コメントがやりにくくなった件については、こちらからもお詫び申し上げます。 ただ今回のメンテナンスで、メンドクサイパスワード認証が無くなったのは幸いでした。

先週の放送だったか、金栗がスヤの写真を治五郎先生にだけ見せたときの、治五郎先生のリアクション(笑)。 こういうのを見ると、全部許せちゃいますよね(笑)。 「常に選手と共に」、というのがとてもよく表現されてて。

浜松でだか、森山くんがつぶやくんですよ、「俺にはフラがあるんだ」、って。 それを当人が意味を知ってて言ってるのか、それとも師匠からの手向けの言葉として意味も分からずそれを抱きしめているのか、それが分からない。 もし後者だとすれば、「意味も分からない褒め言葉?を自分の宝物にしている」、という点で、若き日の志ん生の「己の行く先が分からない」不安や焦燥が見る側に大きくアピールされると思うのですが、それもやらない。
私はそこが問題だ、と思っています。

斎藤道三については、ささ様も一家言お持ちなのでは。 なんたって平幹二朗サマが「国盗り物語」で務めてた役ですものね。 ワタシャ放送当時小学3年、全く見てませんでしたが。

そうなんですよ。でも、斎藤道三は結構いろんな人が演じてるし、平幹二朗さんじゃなきゃ絶対嫌ってわけじゃあないけど、モックンいい人過ぎない。シャイロックみたいな人よ。斎藤道三って。(笑)
綺麗に演じられるとつまんないかなあ。斎藤道三をいい人でざっくり括られちゃうと、すっごく残念。平幹二朗さんは、いい人の脚本でも、裏があるのを体現させてくれるでしょう。そこがモックンだと、もういい人が全面に出そうで、あくどい事やっても本当はいい人ぽい。(笑)
イメージの向こう側に期待するしかないですね。
コメントの事はお気になさらずにお願いします。このタイムラグというのも趣があるんですよ。(笑)認証システムと同じで。(笑)

ささ様
コメントにタイムラグがあるんですか? それで同じコメントを何度も投稿してしまう、という感じなのかな。 何だかな~。

モックンは「坂の上の雲」のイメージがあるけれども、憎々しげな役もこなせそうな気はします。 ただ斎藤道三だからなぁ(笑)。 並のワルじゃないでしょあの人(爆)。
だけどもう40年以上前だけど、大河で道三主役でもうやっちゃってる、というのがいかにも残念。 この人の主役の大河は私、見てみたいです。 油売りから山城の主。 40年以上経つんだからやってもいいよーな気がする。 秀吉とか龍馬とか弁慶とか何度もやってんだから。

やはり時代物だとささ様のコメントも軽快ですね(笑)。

22回は譲歩して解り易さを意識したのでしょうか。

落語パートを冒頭に集中。
昔、イイ仲だった女に「早く身を固めろ」と散々な状態。「ガンダム」の続編で
閑職に追いやられたアムロ君はハヤトの嫁さんになったフラウ夫人に
「まだセイラさんが好きなんでしょ」とか「結婚しなさい」とか言われ放題でした。

女生徒達の反乱ですが、この時代は女性自身が保守的な女性らしさに
拘っているケースもかなり多いと思うので言動が現代っぽいような。
大正デモクラシー等が影響していたりするのでしょうか。

ちなみに当の視聴率は新記録を更新。
四三編も終盤が近づいてきましたがストックホルム編をピークに、その業績は
ショボ…もとい、ささやかになっていく。それは史実なので構わないのですが
取ってつけたように子沢山状態であまり父親としての成長が感じられない。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

「ガンダム」絡みの比喩は私分からないとして(笑)、落語パートで志ん生と五りん(たまにほかの落語家)がリレーみたいに噺をしている、というのがどうも不自然に見えるんですよね。 駅伝落語の森山三人組みたいな趣向は面白かったけれど。

この落語パートというのは、金栗本編の構造的な弱さを補うと同時に、互いのクライマックスをリンクさせて感動の相乗効果を狙い、志ん生の人生をあぶり出す目的も備わっている。 田畑政治篇が始まったら、それに昭和39年前の数年の空気を、寄席を通じて伝えていく役割も加わるだろうと考えています。

しかし漫然と見ているとですよ。

その目的や役割も邪魔なもののように思えてきてしまう。

それはなぜかというと、作り手が「庶民の娯楽の最たるもの」として提示している落語が、変に知識人の嗜みとか蘊蓄・トリビアのひけらかしみたいに感じてしまう視聴者層が少なからずいる、ということです。

このドラマは、いわば異なるふたつの層の客をいっぺんに取り込もうとしているところに確率的に多くの視聴者が嫌気し、視聴率の低さに直結している。

そこに加えて、巨炎様も指摘する、「クドカンのヤリスギワールド」ですからね。 いくらなんでもあの時代に「クソッタレーっ!」と連呼しながら馬鹿力を出す女子もおらんでしょう(笑)。

しかし私はこの「女子体育篇」、女子のパワーが炸裂して好きであります。 「あまちゃん」も女子が元気だった。 クドカンのヤリスギワールドには、女子のほうが相性がいいのかもしません。

久々、いだてんから集団左遷の日曜日です。
退院しましたーー!しかし、コルセットが硬くて重くて、しんどいので、テレビ三昧とはなれずです。
いだてんは、先日の新潟と山形の地震と、関東大震災がシンクロするという奇跡が吉となるか凶となるかでしたが。私はすごく好感を持った描き方でした。
しかし、いだてんをナレーターするのが、未来くんだったり、ビートさんだったり、神木くんだったり。でも、未来くんは凄い。たけしさんの翳りをちゃんとニヒルに表現している。
しかも、関東大震災を落語家として体験している立場を演じている。いやあ、いい役者だわ。(笑)
オリンピック、スポーツ、それらが、特権階級のものではなくて、広く市民のものとなる。日本におけるオリンピックの黎明期が終わったんだなあ。スポーツは女子、そして子供。みんなのものに。
第1部としては、いい感じの終わり方でしたね。
集団左遷は、綺麗事で終わりましたね。あんなかっこいい育成センター長がいたら、研修受けるの楽しいでしょう。(笑)

大河らしさとクドカンらしさが良い形で結実して最後は意地を見せました。

主人公の知人が全員無事では噓くさく杉咲花がババを引きましたが
前回の語りで視聴者に変な期待を持たせなかったのは制作側の良心でしょうか。
片や震災経験は二度目の橋本愛はタフになっています。
自分も苦しい中で気遣いの言葉が自然体で出てくるのは強さの証。
ここから大竹しのぶへのリレーも良しと。

ショーケンの遺作となる高橋是清が第二部キャラというのは意外。
治五郎先生は続けて登場するようなので時系列を少し巻き戻して
大正を別の側面から描くのか昭和メインからの回想という形か。
何はともあれ次週に期待。

>集団左遷
原作はかなり古いみたいですね。四半世紀前に映画になっています。

https://www.youtube.com/watch?v=21ok14mPz9E

銀行員ではなく不動産屋でありドラマでメインだった片岡&真山の「龍馬伝」コンビは
未登場でとなると、もう一つの原作「銀行支店長」由来のキャラみたいです。

集団左遷を見てると、鳥羽上皇に龍馬と弥太郎が挑んでるとしか思えなくて。(笑)
でも、話がご都合主義なのは、龍馬だし〜(笑)
集団左遷の原作自体は古いものらしく、かなりオリジナルが入ってるみたいです。
脚本はツッコミどころだらけ。三上さんの怪演にかなり助けられてます。また、三上さんが楽しそうにヒールをやってらっしゃる。あの小柄な体で、己の大義を貫く男で他を圧倒してる。愛に狂った上皇も素敵でしたが、横山さんも良かった。もっともっと三上さんが演技をのびのび出来る現場があるといいんですが。とかくこの世はマイルド好みなので。(笑)

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 返信が遅くなり申し訳ありません。

退院とのこと、よかったです。 コルセットが硬くて重い、ということはずいぶんとしっかりしたものをさせられたんですね。 私も入院したときは2万4千円の「重装備タイプ(笑)」を買わされました。 5年くらい保ったかな。 短いようですが、まあこれで力仕事してましたから。

さて、「いだてん」。

最近記事にするモチベーションが低くて改めて書くかどうかは分かりませんが、震災に関しての表現というのは私が今まで見てきたドラマのなかでは「あまちゃん」以上のものだった気がします。 私がドラマをちゃんと見だした昭和5、60年頃の、ドラマのなかでの関東大震災の場面というのは、これにくらべればとてもチャチだったのではないか、と考えてしまいます。 それはただシッチャカメッチャカになって大変でした程度の描写でしかなかったせいだったかもしれない。

これが例えば太平洋戦争の描写、となると途端に逆転する。 昨今のドラマにおける戦争の場面(去年の「この世界の片隅」とか今やってる朝ドラの「なつぞら」なんかですね)というのは、これまた私がドラマをちゃんと見だしたあの頃と比べると、とてもリアリティがないように見えるのです。

これはやはり、昭和50年頃のドラマの作り手たちにとって太平洋戦争というのはまだ記憶が生々しかったからリアルになったのであり、令和元年のドラマの作り手たちにとって「大震災」の記憶がまだ生々しいからこちらのほうがリアルになるのだ、と。

語り手がコロコロ変わる、というのはある程度許容できる気もしますが、いちばん要らない気がするのは神木くんの五りんによる語りでしょうかね。 五りんもシマちゃん繋がりということが判明して、このドラマに存在する意味が全くないということもないのですが、どうもイマイチ師匠とリレーで噺を進めているところに違和感が残る。 この五りんが持っていた父親からの絵はがき、「志ん生の『富久』は絶品」。 これが第2部でどのような展開をもたらすことが出来るのか、に注目しています。

「集団左遷」は、三上さんの顔を見ているだけで疲れました(笑)。 どうしますかね。 これも記事にするかどうか。 冒頭にも書きましたが、最近記事にする気力とか動機とかが見つかりません。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

杉咲花演じるシマちゃんの喪失感というのは、東日本大震災で多くの人たちを失った私たちの心情に直接リンクしてきます。
金栗も第2部でたまーに出てくると思うのですが、やはり嘉納治五郎先生は幻の東京オリンピック実現まで出ずっぱりになりそうな予感。
実際はどうか知りませんが、このドラマにおける嘉納治五郎という人物のキャラ造形は個人的に大好きです。

韋駄天という神様が食糧物資調達の役割も担っていた、というイディオムで金栗に震災の焼け跡を走らせる、というアイディアには感服しました。 金栗の全体的な人物造形には少々不満はあったものの、全体として「大河ドラマ」の風格は兼ね備えていたし、近年度々見られた「大河ドラマの失敗作」に比べればよほど出来がいいドラマだ、というのは断言していい、と思います。

関東大震災を被災者の立場で映像化するって、なかなか見られないですよ。これ阪神とか東日本大震災だとかえって描きにくい。まだ、見てる方に心の傷みがあるから。
歴史だからこそ東日本大震災の経験を活かして描くという事が出来るとおもうんです。
嘉納治五郎先生、ただのオリンピック馬鹿じゃあない!そりゃあ、尊敬され愛されますよ。
救援物資を運んで走るいだてんも!
みんなの運動会。あんなに女子のスポーツ参加を夢見てたしまちゃんはいないんです。風になって、
女学生達と駆け抜けていたのでは。
違うドラマの最終回が、地震で放送延期になって、主役の吉高由里子さんが、「娯楽は命あってのお話です。」って、Tweetしたでしょ。東日本大震災を経験した事は、大きいですよね。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

ささ様の視点から行くと、東日本大震災を正面から描ききった「あまちゃん」は、やはりかなりの問題作だったと思います。 あのドラマ以外、東日本大震災を取り扱ったドラマって、私の知る限りでは思いつかないんですけど。 24時間テレビとかではやったかもしれない。 定かじゃないけど。

関東大震災の時に孝造が酒屋に飛び込んで樽酒を飲みまくり酒瓶を盗みまくり、これがケシカランというヤフーの感想を見ましたが、何がケシカランのだか呆れたけど、こういう過剰な潔癖症は令和の今、けっして珍しい傾向ではない気がします。

しかしその「余裕のなさ」が、ドラマで描かれる時代を「味わう」、という「心の振れ幅」を日本人から急激に奪っている気がしてなりません。

「わた定」の最終回延期でブーブー文句が出たということにしてもそうですが、ビートたけしの滑舌の悪さを嫌うある種の風潮というのも、自分がドラマを愉しもうとしている気持ちに水を差すものだ、という「余裕のなさ」から来ている。 上手くいかないこと、異形のものに対する受容、寛容がなくてどうするのだ、と言いたいですね。

まあ、自分勝手な意見まで全世界に発信しちゃうから起きる現象なんでしょうけど。 半径5メートル以内に吹聴するなら別に構わんと思いますけど。

ビートたけしに滑舌の良さを求めるって、馬鹿じゃん!(笑)だったら、バッチリ明瞭アクセントのNHKのアナウンサーにナレーションして貰えばいいけど、ドラマの味は著しく損なわれますよね。(笑)
たけしさんはあのぐちゃぐちゃ感がいいんです。(笑)
このドラマってオリンピックで時を翔けてるわけで。いだてんを描きつつ日本人とオリンピックを描いてるわけで。だからいらない子の五輪くんも出てくる。神木くんは可愛いけどね。
ネットの中の小学校の終わりの会の時の吊るし上げのような風潮が私は嫌いです。
清く正しく、もちろん健全な社会には大事ですよ。
でもねえ、曲がったところにも、影になったところにも、濁ったところにも、澱んだところにも、
まっすぐで明瞭なところにない何かがあるんです。
私達人間はそんなに単純に生きてないですから。でも、言葉狩りしてるお子様達にはわかりませんよね。そういうの。(笑)

第2部始まりました。
色々あったけど、高橋是清!ショーケンですよ!
天国から帰ってくるとは!NHK、良くやった!
こういう奇跡があるから大河って、馬鹿にできないんですよ。(笑)
ジーンとしちゃいましたよ。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

「過剰な潔癖症」について思いを巡らせていたら、ささ様のコメントに返信できなくなってしまいまして。 大変申し訳ありません。
近頃エンタメ系記事でやたら目立つ吉本の闇営業とかいう話にしても、「こういうもんだ」という認識からこうなっちゃってるんだ、と感じます。 確かに吉本の契約がずさんだとかあるんでしょうけど、たいしたコンプライアンスみたいなことも考えないそれまでの流れみたいなものですね。
こういう問題は誰かがおかしい、と言い出さなければずっと続く話。 だから今回、ネット世論でこれに対する問題提起が出来たことは、いいことなのかもしれません。
けれども。
その結果形成されていく無菌状態の世の中というものが、はたして真に健全なものなのか。 無菌状態になっていくことで、抵抗力のない人間ばかりになってしまわないのか。 闇雲にただ正しい社会的正義というものが、国際社会のなかでどこまで通用していくのか。 ロシアに対して不法に乗っ取られた北方領土を返せ、というのは正義です。 しかしその正論だけじゃ日本の言い分なんか通らない。

話がかなり飛躍しすぎていますが、「過剰な潔癖症」ということを考え出すと、日本のある意味潔癖すぎる外交にまで思いが至ってしまうのです。

タバコを吸う場面でキーキー反対するのもそう(いきなり平地に戻りますが)。 バカかお前ら、と言いたくなります。

ショーケンにしても、問題をいろいろ起こした男だから云々、というバカがいる。 よく知りもしないクセして。 大麻を吸ったからと言ってバッシング。 土下座したのもディスる。 不倫をしたからどーのこーの。 芸能人だから影響力が大きいとか、そんな、そんなことじゃないんだよ。

人間、失敗するときは失敗するんだよ。 反省しても、やっちゃうときはまたやっちゃうんだよ。 それが人間の弱さなんだよ。 それを叩いて何になる。 ガタガタぬかしてんじゃねえよ。 黙って見てろよ。

あの、ショーケンの高橋是清。 あれが、失敗を積み重ねてきた人間だけが出せる「重たさ」なんだと思う。 大竹しのぶさんも役所広司さんも、ぜーんぶ吹っ飛んでしまいました。

追伸 内容かかなり過激な返信になってしまいましたが、もちろんささ様に向かっての暴言ではございませんのでご了承下さい。

リウさま

 今回は無事送信できたらと祈りつつ(;'∀')
 第1部終了。  第2部開始
 先週分は私にとって永久保存回? 大正12年のあの雰囲気、歴史の重さといったものを感じさせてくれた気がします。 三十歳を過ぎている四三さんの「シマちゃん」連呼は、なんだかなぁ、でしたが。
 四三さんのキャラは、勘九郎さんの演技は、あれでよかったのでしょうか? そんな想いが第1部後半から強くなっていました。 明治の男、というイメージを自分は勘違いしているかもしれないと思いながらも釈然とせず、そんな観点からすると、
 明治31年生まれ?の田畑さんにそれなりの説得力があるように感じたのは、役者さんに華があるかどうかの差なのか? がんばっていた勘九郎さんには申し訳ないけどそう感じてしまいました。 

 昨日はBSのを文字画面で、8時からのは普通画面で見てみました。 時間があるときはそうしてみようと決めていたのです。 その結果、ときには腹をかかえて笑わせてくれるのはセリフなのだと、しょうもないことに気づいた次第です(笑) いやぁ面白かったです! が、毎週この試みはできないし録画だと文字は出ない?(泣)

 緒方竹虎とか河野一郎とか昭和史の妖怪政治家(?)が続々と登場、演じる役者さんもなかなか魅力があるし期待します。 ただオリンピックにもオリンピック東京大会にも全然興味ないので、そのあたりの描きかたによっては、ザンネンガッカリ的な気分に向かうかもしれません。

主人公が記者となって社会背景や時代背景がスムーズに入ってくるし
主役を中心に皆、濃くて関東大震災以来、大河らしくなってきました。

でもってショーケンですよねぇ。
確かに役所広司や大竹まことですら霞んでしまうぐらいの圧倒的存在感。
さすが永遠の不良中年。「大いにやるべし」な説得力ありまくり。

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。 仕事多忙の関係上、返信が大変遅くなってしまいました。 申し訳ありません。

ささ様の返信に対しても、なんだか読みようによってはささ様に向かっているような書きっぷり。 自分も仕事のことでイライラしていたかもしれませんが、失礼なことです。 ささ様も長いお付き合いなので私の批判の矛先がどこに向かっているかご承知のはずだ、と思いますが、ここで改めて弁明させていただきます。 先の私のコメントは他人の失敗に不寛容「すぎる」メディアやネット世論の風潮を嘆いたものです。

しかしそう自分が感じるのは、そうした記事や意見を一気に読んでしまうことから来ているのも、自覚しなければなりません。 ひとりひとりの声は小さい。 しかしそれが集積されると、巨大な圧力へと発展していく。

私の記事やコメントも、そうした小さな声のひとつに過ぎないことは当然ですが、影響力というものも同時に考えなければならない、と自省しながらコメントさせていただきます。

ヤクミン様ご指摘のように、「いだてん」第1部における金栗四三のキャラに深みがなかったことが、このドラマ前半の弱点になったことは言えるか、と思います。 第1部最終回でスヤが「ああバカが走っとるって、みんな笑っとるだけ」と治五郎先生につぶやきますが、宮藤さんの金栗に対する結論がそこだからこそ、金栗が道化役以上の中心核に育っていかない。 スポーツ発展のための牽引者としてのバイタリティは強くアピールできたとは思いますが、初期に見られたような金栗の分析癖が充分に生かされなかった気がするのです。
マラソンを始めた当初、金栗は自らの課題や敗因についてノートに克明に記していた。 時には現代のスポーツにおける常識とは外れたことをやるけれども、そこに同時に物語としての深みも生まれていた、と思うのです。
それが、ストックホルム以降急激に「マラソンバカ」の方向に舵を切る。 金栗は教師の仕事をしながらいろんなマラソンイベントをこなしていったと思うのですが、その教師の仕事が竹早の女学校の教師になるまで全く取り扱われていない。 ただバカみたいに走ってばかりで熊本にも帰ってこない。 だから姑である大竹しのぶさんの不興を買ってしまうのですが、宮藤さんの意図は「大竹さんが怒ること」にあったのかもしれないですね。 だから大震災で帰ってきた金栗を叱咤する視覚効果が大きくなった。

セリフの持つ意味は時としてかなり重大になることを、ドラマのエディターたちはちょっと軽く捉えすぎなのでは、と思うこともあります。 逆に、セリフが分かりづらいということを「それも演出のひとつだ、リアリズムのひとつだ」と考える監督もいる。 私としては字幕がないと聞こえないので(笑)字幕が付いてたほうがいいですかねー。

私もスポーツ好きじゃないしオリンピックもさして興味があるわけではないですが、スポーツがどのように日本で発展していったかには興味があります。 それまで重要ではなかったことが重要視されていく変化、というものは面白い。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。 仕事が多忙で返信が大変遅くなってしまいました。 申し訳ございません。

週刊誌連載によると、宮藤さんは「いだてん」の最終話を脱稿したようです。 決定稿ではないらしいのですが、「働きかた改革」で3回減らされた分まで書きたいほど、書きたいことが多かったらしい。 NHKの働きかた改革って意味ない、と思います。 職員が多いんだから何とか切り盛りできるでしょうに。 これじゃあ「最終回が詰め込みすぎパターン」になってしまうのではないか、と今から危惧しています(笑)。

リウさま

 さよならショーケン。
 在りし日のリアル人見絹江。
 生きた時代は違うふたりの笑顔にぐっときました。 時の巡りのなかで繰り返されてきたにちがいない無数の出会いと別れ、といったものに思いを馳せたら涙がこみ上げました。

 役所さんの「もう、やめよう!」
 苛立ち半べその表情にも、笑いながら思わずホロリ。 わかるわかるって(笑)

 オリンピックに日本からも女子選手が出られるかどうか決まる場だというのに、田畑さんの発言にただ神妙にうなずくだけの四三さんが気になりました。 「これからは女子も活躍せんと」とあんなに張り切っていたのは何だったの? と。 ドラマ上もうお役御免だから? としたらあんまりだと。

 今週はナレーターが人見絹江のモノローグもふくめ何人か変わり、森山さんの声も出番も少なかったのが少しザンネンでしたけど、人見選手から前畑選手へ、来週の展開はたのしみです。  

オリンピック先駆者編から大衆化編へ。架け橋は、女子スポーツの偉大な黎明であり、巨星、人見絹代さん。
今週はほぼ人見絹代さんでした。
もちろんこれも高橋是清というスポンサーあってこそ。
ショーケンの魅せる演技の陰影。だから駆け抜ける人見絹代が浮かび上がる。姉御、かっこ良かった。
人見絹代の清々しい疾風と共に主役が入れ替わってました。オリンピックに国が金を出すなら口も出していい。(笑)ベルリンオリンピックとヒトラーを、時代と共につい感じちゃう。そして、幻の東京オリンピックと戦争に突き進む日本のこの回では、この先の未来。
だけど、派遣費用賄えて大喜びの体協、人見絹代にメダル取らせる為に作戦を練る選手団、メダル獲得に一喜一憂する記者達、そこには好意と希望があって悪意はない。
阿部サダヲさんはパンドラの箱を開けたかもしれないけど、良かれと思ってやった事が。
人見絹代の凱旋放送にバンザイしていたのが、トラトラトラにバンザイする事になるのか。
その勝利の喜びや高揚感って何処か違うのかなあと思ったりしました。明治じゃなくて昭和なんだよ。いやあ、そこに夢がなくなったように聞こえたのは私が昭和生まれだからでしょう。
昭和のほろ苦くほろ暗い雰囲気がタバコスパスパの描写にちょっと感じたりしました。ショーケンの存在感が、そんな事も思わせてくれました。しかし、24歳で死ぬなんて。長寿社会の今じゃあ考えられない、儚く激しい命の輝きですね。

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。 仕事が多忙でPCも開けず、「いだてん」も再放送をさっき見終えました。 しばらくコメント返信で不義理が続いてしまうと思いますが、何卒ご了承下さい。

金栗さん、やはり自分がワールドレコードを持ちながら3回のオリンピック出場で惨憺たる成績だったことで、田畑さんの強気発言に黙り込み、人見絹枝をオリンピックに出場させることに若干の不安を示したんでしょうね。 自分が「オリンピックのプレッシャー」に押し潰された最初の人間だからこそ。

「いだてん」における金栗のオリンピック敗因として、1回目では極度の暑さによる日射病とプレッシャーを挙げていた。 それを克服するために2回目までの準備期間で真夏の砂浜での耐熱特訓がさしたる効果を上げなかったこと、そしてあらゆる大会で走りまくりそこで選手としてのピークを越えてしまったこと、疲労が蓄積されたことが、第2回目の芳しくない成績に結びついた。 そして第3回目では第一人者として金栗以上のランナーが出てこなかったこと、年齢的にもはやメダルとか無理だったことが、このドラマのロジックとして提示されています。

これらの金栗の努力はほとんど本人の感覚的な独断によって推移している。 つまり、科学的な運動理論によるプラクティスを展開することの出来る指導者がいないから、アスリート本人の裁量に重点が置かれてしまうのです。

それを今週の田畑はそのものズバリ体協に向かって突っ込んだ。 ジゴローさんとかに「あんたら今までなにやってたの?ダメじゃん」と。

金栗さんはその、日本スポーツ界のゆがみを身をもって経験してきた。 だから田畑さんに対してそんなに強気になれなかったんだろう、と感じます。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 仕事が多忙でヤクミン様と以下同文(返す返すも失礼なやっちゃな~…ささ様とは長年のお付き合いなので笑って許して♪アッコ♪くれるでしょう)。

ささ様の文面からこれまでの「いだてん」によせるコメントみたいなよそよそしさがないので、たぶん感動なさったのだ、と勝手に推測しています。 ささ様のコメントを読んだらなにも解説が要らない。 例年の大河のような、そんな珠玉のコメントです。

この、人見絹枝を演じた菅原小春、という人。

ダンサーでドラマの出演はこれが初めて、とのこと、確かに演技力、特にセリフの言い方には拙いものが目立ちました。
しかし100メートル走で敗退し、800メートルを直訴したときの演技。
拙いけれどもだからこそ、演技を超えた「一生懸命」というものが、私の心を大きく打ちました。 近頃見たドラマではいちばん泣かせてもらった。 「なつぞら」の千遥ちゃんの手紙以上に泣かせていただきました。

これってスポーツを見ているときの感動にちょっと似てる。

私はスポーツってやるのも見るのもあまり得意ではないのですが(大相撲だけは見る)、たまに見たりするとヤケに泣けてしまう、それがイヤなんですよ。
つまり、スポーツというのは人が頑張っている姿が、如実に見えてしまう。 そしてプレッシャーのなかで自分を発揮できるかダメになるか、他人と自分との力の差、というものが、あからさまに結果として残酷に示されてしまう。 競争というものをあまり好まない自分にとっては、見るのがつらい。

だからこそ、頑張りが実を結ぶ瞬間というものが、とてつもなく感動的になる。 オリンピックというのは国と国との対抗戦、という側面も持っているから、愛国心の高揚にも寄与する側面を持っています。 そうした傾向も、自分はあまり好きじゃない。 かといって、妙に博愛主義みたいな偽善的な見かたもしたくない。 みんな違って、みんないい、順位を白黒はっきりつけなくていい、曖昧なままでいい。 そんな自分にスポーツは刺激が強すぎます。

24歳で死んでしまう人見絹枝さんは、そんな厳しいスポーツの洗礼に晒されてしまったのでしょうか。 今週の「いだてん」では、二階堂トクヨに「幸せですか?」と訊かれ、最初は否定した絹枝も二度目は肯定する。 「私は走ることが好き」、というその言葉はドラマのなかでだけだったのかもしれませんが、順位や達成感を通り過ぎたとき、その先に待っているのはやはり「自分はこれが好き」、という感情だけなのだろう、と思うのです。

多分人見絹代の生き様がストレートに胸に響いてきたんだと思います。
24歳なんて、私の娘の歳ですよ。社会人2年目の。
めっちゃくちゃ青い。でもそこに凝縮された生き様がある。それをおちゃらけずに真っ直ぐに向き合って描かれていたから、感動できたのかも。
宮藤さんのドラマへの苦手意識とか、吹っ飛んじゃった回でした。
金栗さんから田畑さんへのバトンタッチ。予告を見てると、田畑さんはオリンピアンとしての先駆者である金栗さんに敬意を示してるようでした。スポーツや、女性の地位向上。これらはお上から頂いたものじゃなくて先人の努力の末にあるもの。しまちゃんのように道半ばの先駆者の努力も。
人見絹代の一生懸命な闘い。たとえ短い人生でも、彼女の銀メダルは崇高に毅然と輝く。
演じた方は今まで知らなかった人でしたが、かえって、真っ直ぐな演技がアスリートぽくて良かったと思います。役所さん、阿部サダヲさん、巧い役者は揃っているのです。演技というより人見絹代が乗り移ったような感じでした。彼女の素人ぽさをアスリートらしく魅せた周りの名優のみなさんも素晴らしかったです。寺島さんもね。(笑)
リウ様、リウ様のコメントの方がずっと素敵ですよ。お忙しいでしょうけど、お返事ありがとうございます。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。

このドラマの面白いのは、第一部と第二部があるのに明確に分かれてないところですね。 今週は金栗さんの話に逆戻りという感じでした。

が。

相変わらず金栗さんの話になると、ディティールが弱い。 状況の全容がつかめないんですよ。 パリオリンピックのあとの数年、「ジゴローさんに御茶ノ水に置いてもらっていた?」。 分からん…。 教師をやっていたのか体協の一員となっていたのかアドバイザーかマラソン大会の組織委員だったのか?
だから金栗が兄の死去で熊本に帰る、という決断をするのも、それじゃ金栗は別に、東京にいてもいなくてもよかったのか?存在の重要さはどちらのほうが重かったのか?という思いに至ります。 東京オリンピック招致が現実味を帯びてきたのに、金栗の興味はそれよりも兄がジゴローさんにホントに会いに行ったことのほう。

うーんどうなのかな…。

とりあえず今回のドラマとしての仕掛けは、そこに妻がまだいるとも知らずに「子褒め」ならぬ「妻褒め」をする孝造と、そこにまだ金栗がいるとも知らずに金栗を褒めてしまう田畑、という二重構造がキモだった気がします。 このドラマって、そういう技術的なところでスベってる気がする(ある一部の人にはウケがいいけど)。 落語の部分もそうですね。

あ、こちらも褒めていただいて、恐縮です。 なんにもお茶菓子のひとつも出ませんけど(笑)。

志ん生さんも嫁を褒めてた(笑)
今週の回は、ちょっとお話に乗れなかったです。気分屋なもので。
金栗さんもまだ熊本に帰ってなかったの?と思ったくらいでして。(笑)
お兄さんが亡くなって、そこはぐっと来なかったけど、宮崎美子と大竹しのぶは普通にうまかった。いいシーンだなあと思ったけどね。
それより金栗さんの先駆者としての功績を認める田畑のシーンの方が良かったかなあ。
さよなら。金栗さんは爽やかに去っていく。その先を引き受ける田畑には不透明な時代と戦争の影。第一次世界大戦の時は対岸の火事だったけど、これから先の軍事色が強くなる日本でのオリンピックへの捉え方は違ってくるでしょう。
タバコスパスパは不謹慎なんですか(笑)30までしか生きられないなら好きにさせてよ(笑)
2本も同時に吸ってるし(笑)毎回水かぶって走ってる健康的金栗さんとは対極。
まあでも、通過点という回でしたね。

リウさま

替り目
 面白い言葉ですねぇ! 人と人が一瞬交叉して別れてゆく、って感じがなかなか神妙に描かれた回でした。 ただ、
 四三と田畑は初めて会ったような展開でしたが、前回のあの会議にいあわせたふたりは? あのときの四三の表情につっこんでしまいリウさまのご説明(?)に接し納得していたのですが、あれが「お茶の水がどうの」の場だったのでしょうか。 
 女学校での指導のあと四三はどんな活動をしていたのか――
 関係者の間で一目も二目もおかれる存在だったでしょうに、それでこそ、オリンピック3回出場の一番の思い出が「紅茶とケーキ」という発言にもっとしみじみ感じさせられたのではないかと思うのですが。

 やはり油断できない脚本です。 嘉納治五郎をめぐる「ウソ」。 父上から兄上から励ましのウソかと思っていたら、兄上は治五郎に会って御礼をいった、って(笑)

「まだ、いたの」
 を幾組かの場面に使ったり。 しかも、大竹さん森山さんそして阿部さん、それぞれの表情で! 豪華な舞台を観たみたい。 
 こんなに大物の役者が出ていた大河ドラマあったでしょうか。 そう思いながら少し惜しいのは永山さん?(体協の幹部を演じている方)、さすがに役所さんたちが相手だと迫力に差があるなぁ、なんて思っては欲張りすぎでしょうね(笑)

 四三さんの「さようなら」
 万感こもってて品があってよかったけど、「シッケイ」を聞きたかったかも。

今回のラストシーン、どうなんでしょうね?
普通は前半主人公の志を後半主人公が引き継ぐ話になりそうなのに、
四三が全力を尽くす中で互いを認め合うスポーツの原点ともいうべき精神を
言葉や理屈より肌で感じているのに対して
勝つ事にひたすら貪欲で選手ではない田畑は全く理解してない。
この認識のズレが後半の展開に大きく影響していくのかもしれません。

確かに毎朝、行水の金栗と煙草吹かしまくりのまーちゃんは対照的。

ささ様
コメント下さり、ありがとうございます。 既読してましたが、頂くコメントが多くて仕事が休みの今日までうっちゃってました。 ゴメンナサイ。

仕事量が増えるのに加算される給料は微々たるもの。 やってらんないっス。 諸々の出費や引かれる額が多くなるのにこれじゃプラマイでまだマイナスかも。 歯医者にもよう行けん(笑)。 もう歯がボロボロなのに(笑)。 行ってる暇もない(笑)。

宮崎美子さんは金栗の母親役で、名前がシエ。 …ん? シエ?(笑) これって「史上最悪大河」の「江」の符丁では…?(爆)

私はラスト近く、「唯我独尊」の田畑が金栗を褒め始めたのはどうも不自然だと思いながら見てました。 たぶん孝造の妻褒めとリンクさせてるのだろうと思ったので。 だって人見絹枝に対しても「バケモンのネーチャン」連呼ですよ? しかも水泳のメダルラッシュの景気づけくらいにしか考えてないし。

動かない中村獅童さんに大竹しのぶさんが「なして動かんとね」とけしかけるシーンは
ちょっとウルウル。 姑さんにとって金栗兄は絶好のイジリ相手だったのでしょう。 昨日まで元気だったのが突然バッタリ、というのは、人生の終わらせ方としては最高の部類になるのではないでしょうか。

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。 相変わらず返信が遅れて不義理をしております。

そう、田畑と四三は会議とかの場でしょっちゅう遭っていたんですよね。 あの場で「初めまして」じゃなかった。 それは田畑が唯我独尊だから金栗なんか眼中にもなかった、ということなんでしょうね。 自己チューもここまで来ると清々しい。 ただしその自己チュー。

「違~う! そう!」。 もしくは、「そう! 違~う!」。
田畑のお決まりのフレーズですよね。

これって。
いったん相手を否定してかからなければ自分の置き場を見つけられない。 田畑の強引さにはそんな哀しさが表裏一体になっている。 ヤクミン様のおっしゃるとおり、今年の大河の脚本は実に油断ならない。

このドラマの膨大なスパイスのひとつに、体協の永山さんに恋している二階堂トクヨ、という独自の設定がある。 寺島しのぶさんのボブヘアーがいつずれるか、という期待も見ているとどこかでしてしまっている自分がいる(笑)。 この二階堂トクヨも、強気な部分と弱気な部分が同居する、実に複雑で興味深い人物に、宮藤さんは仕上げています。

そのいっぽうで、3度のオリンピックでいちばん印象的だったのがお茶とお菓子がおいしかったことだった、という「はぐらかしかた」をする。 これは宮藤脚本の妙味であるのだけれど、こと金栗の人物像に深く関わってくることだけに、もう少しストライクゾーンに球を寄せてほしかった、そんな気がします(笑)。

巨炎様
コメント下さり、ありがとうございます。

ここまでの田畑の強引さには、「俺は30で死ぬ」という強迫観念があったのだろうと感じます。 ただ前回、それは粉砕されてしまった。 「人のことを根本的にこの人は考えていない」、ということが、田畑の人生をこれから先、グニャグニャと蛇行させていくのではないか、という気がします。 斎藤工くんが田畑の勝手にムッとしている数回のシーンが気になります。

リウさま

 今週は録画で(;'∀') オリンピック賛歌発表と五・一五事件と、同じ日だったんですか知りませんでた! 「事実は小説より・・・」としみじみ。 塩見さんという役者さんが大好きで、あ、久しぶり! 感激しました。

 考えてみると(みるまでもない?笑)大河ドラマって一人の英雄の生涯を描くわけですよね? 一人の一生だけでは時代を描き切れないから、生まれる前の事情を織り込まなくてはならず、主人公と時代の関わりについては伝承や講談などを参考にするしかなく、そんな構成が大河ドラマとして認識されてきたのかな? などと、
 つらつら考えまして(笑) 「いだてん」はすごいチャレンジをしているんだなと、今さら! 感心している次第でございます。 
 縁側で親子が日向ぼっこしながら時世を語りあったり床の間を背に主従が身の処し方を相談したりしているヒマはないんですよね。 単なる人の一生ではないですから。 どんどん世の中が動いているんですから。 ありすぎるくらいある実写フィルムや、たっぷり記録がのこる登場人物のエピソードや、そんなこんなを、要するにクドカンさんは絶妙にまとめているように思えてきました。
  水泳の選手たちそれぞれに、気がついたら心から応援したいような愛着を感じているのが不思議です。 
「勝たなくちゃだめ」
 田畑氏は最後まであのキャラなのか。 楽しみでなりません。
 

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。 このところ返信が遅れ続けで申し訳ございません。

主人公を中心として第二部の物語を引っ張る人々がみな若々しい勢いだけで物語を引っ張っているのに対して、高橋是清や犬養毅などの大物政治家たちをかなり重厚さ重視で表現していることを感じます。 確か犬養を演じた塩見三省さんも最近ご病気をなさっていたと記憶していますが、ショーケンといい塩見さんといい、「政治家とはこうあるべき」、という、ここ数年の大河には全く見られなかったと言っていい「志」を全身から漲らせているのがいい。 ここ数年の大河は、「いくら偉い歴史上の人物だってみんなフツーの人間だったんだよ」という視点が濃すぎて、それは親しみやすさ、とっつきやすさという点ではよかったのかもしれないが、やはり歴史を語らせるドラマとしては「大人がきちんと大人として存在している」部分がなくてはならないのではないか、と感じます。

だからこそ、田畑政治を演じる阿部サダヲさんの「子供っぽさ」が強調される。 「子供っぽい情熱」が。

犬養を最後に取材したのは田畑だったらしいですね。 ただその内容が伝わっていないため、そこのやりとりは完全にフィクションだ、と宮藤さんが週刊誌に書いておりました。

リウさま

 世界情勢と一般庶民の認識
 ってこんな感じだったかもしれないと思いながら見ていました。 ミュンヘン・オリンピックのときでしたか、国際紛争? アスリートには関係ないでしょ、みたいな発言をしたバレーボールの監督を、正直あのときはバカだなぁと言ったことを思い出したりしました。
  ロス・オリンピックといえばマイケル・ジャクソンがいたあれしか知らないわけで、オリンピックに商業主義を持ち込んだ大会と言われていますけど、そのまた以前の歴史の彼方にあるロサンジェルス・オリンピックでも、アメリカは、選手村とか今につながる新基軸を打ち出したのですね。 このあとベルリンでは聖火リレー? いろいろ思いがけない楽しさに、観ていて得をした気分です。
 女子選手の存在にうきうきする選手とか、選手選考の状況に振り回されるベテラン選手とか、期待に応えられず号泣する選手とか、それぞれキャラがたっていたし、実況中継ではなく実感中継なんて、本当かい?と笑いながら、マスコミの流す情報には今だってあんなものが含まれているかもしれないと少しゾッとしたり。
 大横田選手の替わりに「かっちゃんを!」と思わず叫ぶマーちゃんと、「タイム順」と冷静なコーチと。
 人間社会のなかでよくある、現実と人情というのかな?そんなささやかな局面に、これまでの経過も描かれていただけに胸が熱くなりました。
 まーちゃん
 ミュンヘンの監督といっしょにはできないかな、と。 新聞記者として、確信犯なのかな?
 志ん生青年一家の境遇は、エリートのアスリートたちとは雲泥の差ですが、昭和39年の一家の状況を観ることができるのが救いになっています。 何が起ころうと、生き残る人間はいたんだと。
  
  
   

コメント下さり、ありがとうございます。

ここにきてぐっと「ノンプレイングキャプテン」を演じた斎藤工さんの存在感が増した気がしますね。 ただこの時代の競泳用水着って、なんか女子の水着みたいで(一緒だったのかな)着せられてる男優さんたちがちょっと気の毒というか(笑)。

前回は田畑の壮大な夢を、その軽いキャラでいかにリアルに語らせようかというところに、宮藤さんの苦心があった気がしますが、何回も破られるごとに「一種目モ失フナ」の目標が選手たちに浸透していく。 このからくりが面白かった。

しかも「勝つと余計にいじめられる」という日系人たちの複雑な心境まで描いている。 こういう「自分たちがやられたこと」にいつまでも拘泥してないのが日本人とゆーか(暗に韓国をディスってる?)。 逆に言えばそれだけ民族の誇りというものがあるかないかなのかもしれませんが(どっちつかずの論調ですみません)。

今週は久々に落語ネタとの絡ませかたがメインのような気がしましたが、二つ目の万朝に真打ちの(つまり格上の)孝造が「弟子入りさせて下さい!」と頼むこの可笑しさ。 中身が空っぽのラジオ受信機。 落語の世界を地でいってるような暮らしですが、そのラジオによって結局、国と国との戦いがスポーツによって展開されていき、国威発揚につながっていくこの皮肉。 それをうまくリンクさせているのが、「いだてん」だと思うのです。

リウさま

 高石選手と鶴田選手
 役者さんをふくめて多分ずっと忘れないでしょう。 「平清盛」の三上鳥羽やあらた崇徳さんのように。 
 斎藤工さんの存在感については、さすが人気があるだけのことはあるなぁぐらいに思っていたのですが、脚本のおかげもあるなと今週回を観て思いました。 洋服着たままプールに飛び込む必然性を感じましたもの。 鶴田と小池の「眠れない」問答も、翌日につながったかもしれないと思わせる繊細さ! 「しりとり」をもちかける小池選手がいじらしくて目がうるっとしました。 勝負事を悲愴なものにしない脚本の姿勢、個人的に好みです。   
 
「なーに、たわ言ですよ」
 その後ろに張られていたのはクーベルタンの有名な言葉。 
「くやしいな、大横田!」
 誤解を恐れずに言えばスポーツというものの偽善的な側面? 振り返って思うのですが、このドラマには、マーちゃんの言動を通して逆説的な表現があふれているようです。

 今週は孝蔵さん一家を観られなかった、今頃どうしているでしょう(笑) 
 

ヤクミン様
コメント下さり、ありがとうございます。

私の今回の白眉はあのおじいちゃんでしたね。 私、勤務中に無理矢理時間をこじ開けて見てるんですが(笑)、ドラマを見終えてしばらく、「俺は日本人だ!」の台詞が頭から消えませんでした。 そして道行く街の人々。 中国韓国の人もいるから一概には言えないけれど、「俺たちは日本人だ!と叫べるほどの自覚を果たして持っているのか?」と自問せずにはおれませんでした。

ヤフーのコメントランキングなんかを好んで見ている私ですが、最近は常磐道の頭おかしいのとか、韓国がどーしたこーしたとか、N国がどーしたとか、暑さがどうとか台風がどうとかばっかりで、なんだか日本人はみんなイライラしっぱなしなのではないか、と思うことしきりです。

こんなにイライラしっぱなしの日本人が、来年になったらオリンピックでみんな清々しく「おもてなし」ってやつをするんですかね?

ずいぶん偽善っぽく思えますが。

コーフンするジーチャンの前で、田畑は最初いかにもメーワクそう。 それが、キューカンバネーチャンのコーフンも呼んで、「スポーツで日本を明るくするんだ」、という田畑自身の本来の思惑よりもずっと感動で先走り始めることへの驚きに変わっていく。 そしてその表情には、かすかに困惑と「その先にある危険」を感じ取った不安が見て取れる。

ここの場面、田畑はけっして手放しで感動しているわけではないんですよ。

ここら辺の見せかたが凄いなぁ。

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BOOKS

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     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

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  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

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    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

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    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

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    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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