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2019年5月19日 (日)

ポール・マッカートニー2018年最新アルバム 「エジプト・ステーション」 エクスプローラーズ・エディションの新曲も交えて

 ポール・マッカートニーの2018年最新アルバム 「エジプト・ステーション」。 36年ぶりに全米チャート1位を獲得したことで、そのセールス的な復活ぶりも取り沙汰される作品となった(全英3位)。
 「ビートルズ関連怒濤の出費ラッシュ(その2)」 の項でも採り上げたが、このほどそのクソ商法のとどめであると期待したい(どうかな…)同アルバムのリリース第3弾、「エクスプローラーズ・エディション」 がリリースされた。 まずはそれについて言及したい。

 この2枚組CDのうち、先行でネット配信された1曲 「ゲット・イナフ」 を含めた 「フランク・シナトラズ・パーティ」「62nd ストリート」 の(たった)3曲が、CD初収録の新曲だ。 「ゲット・イナフ」 のみ、「ファー・ユー」 と同じくライアン・テダーとの競作で、テダーのプロデュースによる。

 「ゲット・イナフ」 はポールが初めて 「オートチューン」 を使用した曲だ。 オートチューンというのは、ヴォーカルの音程を調整するソフトウェア。 ダフト・パンクやPerfumeで聞ける、ロボットみたいな声を作り出す機械、と言えば分かりやすいか。
 このソフトを使うことには若干の抵抗が音楽界にはあるようだが、革新的な音楽をリードしてきた元ビートルズのポールにとって、「禁忌」 という考え方自体がないことをあらためて証明した形だ。
 ただしポールのオートチューン使用の目的は、自らの劣化した声の補正のほうに重点があるように思われる。 ソフトの進化の結果か、どこで使われているのかがちょっと聞いただけでは分からない感じがするが、おそらくサビの高音の部分だろう。 曲の印象としては、カニエ・ウェストやケンドリック・ラマー、あるいは最近曲調が難解なビヨンセの影がちらつく感じだ(はるかにメロディアスだけど)。 スローバラードというカテゴリに属するのだろうが、ポールの今までのキャリアにはなかった種類の曲と言える。 要するに、2010年代後期の洋楽、というカテゴリの中に存在している曲なのだ。 テダーとのもう1曲、「ファー・ユー」 のもつ 「従来のポールにありがちなヒット・チューン仕様」 とは根本的に異なる。

 「フランク・シナトラズ・パーティ」 でのアプローチも同じだ。 このメロディの奥底にはたぶんにしてレゲエ的な発想が流れているが、リズムは 「ンチャ、ンチャ」 という形式を採っていない。 ポールがこの曲に対して持っているのは 「リフの複雑さとヴォーカルメロディの兼ね合いによる楽しさ」 であろう。 古くは 「デイ・トリッパー」 や 「ドント・レット・ミー・ダウン」 の 「♪アイム・イン・ラヴ・フォー・ザ・ファースト・タイム」 あたりの気持ちよさに、その原点を求めることが出来る。 だが音楽的には当時よりはるかに多くの要素がミクスチャーされている。 現代の音なのだ。
 その昔フランク・シナトラのパーティに、ポールは呼ばれたのであろう。 そのときのことが歌われている。 いつ頃かは分からないが、俳優のピーター・ローフォードが歌詞に出てくることから、少なくとも彼が亡くなる1984年以前のようだ。 ビートルズはシナトラと反目し合っているような感覚だったので、おそらくビートルズ在籍中はこんな機会などなかったと思う。 ポールは歌のなかで、スティングの 「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」 みたいな孤独に晒されている。 しかしアレンジが現代風なので、この曲のPVがあったらカリードとかマックルモアなんかが出てきそーな感じだ(笑)。

 「シックスティ・セカンド・ストリート」 は題名からしてジャズっぽいが、ジャズっぽいのはシャッフル・ビートくらいで、曲の感じとしては 「メモリーズ・オーモスト・フル」 のボートラだった 「ホワイ・ソー・ブルー」 あたりに似ている気がする。 アコースティック・ナンバーだ。
 この曲のスリリングなところは途中でリズムがシャッフルから2拍子になり、カッコよくシャッフルに戻る部分。 本編でトランプ大統領を揶揄したと言われる 「ディスパイト・リピーティッド・ウォーニングス」 とか、本編最後の 「ハント・ユー・ダウン/ネイキッド/Cリンク」 でも聴くことの出来るテンポチェンジが行なわれているが、同じ傾向の 「バンド・オン・ザ・ラン」 とか 「死ぬのは奴らだ」 に比べて、あまりにそつなくてどこか味気ないような気がするのは私だけだろうか。 これって 「クリック」 と呼ばれる 「デジタルメトロノーム」 みたいなので管理されてるせいなのかな。 よく分からんが。

 「フー・ケアズ(フルレングス)」 は本編に入っているものよりイントロが少し、最後がだいぶ、長い。 ギターでいったん終わってからアドリブ的なシークレット・ギグが始まる感じだが(歌はない)、2分以上続くそれは結構単調だ。 本編でカットされたのも頷ける。 基本的にバンド演奏によるロックで、ベースが時々面白いアプローチをする。 場合によってはここにいろんな音を足して別の曲と劇的な繋げ方をするとか、料理の仕方はあったかもしれない。

 あとの4曲は本編のライヴ・バージョン(プロデュースはジャイルズ・マーティン)であるが、ここではポールの声の劣化が如実に感じられて、ちょっと往年からのファンにはつらい内容になるかもしれぬ。 逆に 「この年でここまで」、という感動的な捉え方をするファンがいるかもしれぬ。 いずれにしても、本編においてでさえもポールの声は劣化している印象で、私は 「もっと喉の調子がいいときに録音しろよ」 みたいなことを考えていたが(つまり本編においてさえも声の出ているときとそうでないときの差が激しい)、実はこれが最も調子のいいときの、ポールの声だったのだ(しわがれ声をわざと演出している場合もあるだろう)。
 「ファー・ユー」 のライヴでは、問題があると思われる 「ファー」 の単語だけが歌われていない。 昨今では歌詞の中によく 「f**k」 の文字を見かける洋楽をしばしば耳にするが、マルーン5の 「ジス・サマー」 なんかのように、実際歌われるときは省かれる場合もあるようだ。

 いずれにしても、「ポールのボートラやボツ曲は侮れない」、という定説が、今回もまた証明された形だ。 あと数曲あると思われるボツ曲を含め、正式な2枚組としてリリースされれば、セールス的には失敗してもこのアルバムの評価はもっと高まったことだろう。

 期待したジャケットだが、最初に出た蛇腹状のものではなく、二つ折りのものでしかない。 その点は残念だった。

 では、本編についても少し触れよう。

 先行配信された 「アイ・ドント・ノウ」 を購入して聴いたときの第一印象は、「ポールの楽曲としては極上、とは言えないまでも傑作に近い」。 そして感じたのは 「アレンジの隅々にまで神経が行き届いている」、というものだった。
 まずイントロをリードするピアノの音色が、すこし調律が外れてホンキートンク気味になっている。
 近年の傑作アルバムとして名高い 「裏庭の混沌と創造」 でも顕著なように、従来のポールのやりかたならばここはまともなピアノの音色を聴かせるはずだ。 この音質の 「歪ませかた」、というのは 「エジプト・ステーション」 のアルバム全体を象徴するアレンジ構築手法であるように感じる。
 明確な情報は得ていないが、ドラムはポールが叩いているのだろう。 手癖がポールっぽい。 このドラムの音色も、最後のヴァースで分かるように、従来に比べればかなり重低音が強調されている。

 重低音、というのは近年のポップシーンでは必須の項目だ。 特にEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)とかラップとかヒップホップ(どう違うのか?)でよく耳にする。
 この重低音の定義というのは感覚的なもので、従来であればベースギターの音や、ドラムスの中でもいちばん低いバスドラの音とかが音域の低い音として記録されてきたのだが、それがさらに強調された状態のことを指しているのだろう。
 ここで筆者が分からないのは、ただ低音を強調するだけなのであれば、音質調整でベース音を上げればいいだけのように感じるのだが、それだと 「低音がうるさいな」 ということになってしまうのに、重低音はあまり不快を伴わない、ということだ。 これってどういうことなのだろう。 筆者の考えでは、おそらく人に聞こえない低い周波数の操作で、空気の振動として聞かせてしまうからなのではないか、と思っている。

 ポールの楽曲でこの重低音が意識的に使われたのは、前作 「NEW」 のボーナス・トラックだった 「ゲット・ミー・アウト・オブ・ヒア」 で鳴る低い太鼓が、最初だったように思う。
 前作であまり顕著ではなかったこの重低音が、「カム・オン・トゥ・ミー」 も含め先行配信されたこののっけからの曲で鳴りまくり。 私はここに、今回ポールと組むことになったグレッグ・カースティンの影響を少なからず感じた。

 グレッグ・カースティンは、2017年のグラミー賞も獲ったアデルの 「25」 のプロデューサーである。 だからポールが彼を指名したというわけではなく、「25」 の発売以前からポールはアプローチをかけていたようだ。 ここで注目すべきなのは、ポールの恐るべき嗅覚だ。 前作 「NEW」 でも、ブルーノ・マーズと組んでいたマーク・ロンソンを起用していた。

 私はこの嗅覚の原因を、ポールの最も若い娘ベアトリスにあると踏んでいる。 「裏庭の混沌」 でもレディオヘッドのナイジェル・ゴドリッチと組んだことがあったが、ゴドリッチは別に旬のプロデューサーでもなかった。 ポールの近作はそれこそ奥さんのナンシーさんの趣味に沿ったジャズ・アルバムとかあったけれど、ほぼこのベアトリスの成長に合わせた変遷の仕方をしている感覚がするのだ。 ベアトリスが幼女だった頃の 「メモリーズ・オーモスト・フル」 では単純な構造の 「ダンス・トゥナイト」、最新作でも 「ファー・ユー」 がお気に入り、みたいな情報も聞いた。 おそらくベアトリスがいなければ、ポールはカニエ・ウェストとかリアーナとかケンドリック・ラマーなどの最近のミュージック・シーンなどにも、もっと疎かったのではないだろうか(これらのミュージシャンがほとんど黒人系だ、というのにも注目すべきだろう)。

 このアルバムを聴いていて迫ってくるのは、今年喜寿を迎えるポールの、「もしかすると自分のアルバムはこれで最後かも」、という切迫した気持ちだ。 そして自らの劣化した声と戦いながら、逆にまたそれを利用しようとする姿勢。 その仕上がりに76歳の気力のすべてを注入している、元ビートルズとしてのプライド。 そして、今までと同じ事を拒絶し、2018年の音を作り出そうとする貪欲さ。

 ネットの進化で、これまで以上にCDを買う意味が消失し続ける現状のなかで、同じアルバムを手を変え品を変えリリースするのは、確かに私みたいな 「現物を欲しがる」 旧世代しか相手にしていないクソ商法であることは紛れもない事実である。
 しかし私みたいなアホファンは、ポールの情報が日々上書きされていくのが、何よりも嬉しいのだ。

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コメント

リウさん、こんばんは。

『エジプト・ステーション(エクスプローラーズ・エディション)』は、飽きのこないアルバムですね。朝起きると、頭の中で「フランク・シナトラズ・パーティ」の「イギリス人は僕一人だった」のあたりのメロディーが流れてきます(*^_^*)

「ゲット・イナフ」は、批判の評価もありますが、この曲、聴きこむとなかなか癖になりますね。なにか宇宙と交信をしているような壮大な曲に感じしませんか。オートチューンをつかったAIっぽい歌声が、よけいにそう感じさせてしまいます。もしあるのだとしたら、オートチューンを使わなかったバージョンも聴いてみたいです。ただ、あの補正がなければインパクトなくなるんですかねぇ~。

今回は、短く書いてみました(*^。^*)

のぶや様
コメント下さり、ありがとうございます。

マッカ様と私の感じ方って似てるみたいで、私も「NEW」ほどは「エジプト・ステーション」ってヘビロテで聴いてない感じです。 「NEW」はオニのように聴いたなあ。 あまり聴きすぎて最近では3ヶ月に1回くらいしか聴かない(笑)。 「エジプト・ステーション」は最初の1ヶ月くらいは毎日聴いてたけれど、ここ数ヶ月は月に1回くらい。 それでも「エクスプローラーズ・エディション」の3曲はまだまだヘビロテですね。 「NEW」の「ディーモンズ・ダンス」「ヘル・トゥ・ペイ」等々、あまり聴く機会のない曲を寄せ集めて「ポール・ボートラ」ってプレイリストにして聴いてます。

「ゲット・イナフ」についてはのぶや様に同意。 歌詞の1行目終わり部分でちょっと老人ぽく声がかすれるのは、感じ方の違いもあるでしょうけれど、これをヒットさせようとするのならヴォーカルを差し替えてほしかった気がします。 ポールは「枯れた味わい」を出したいと思ったのでは。 まあ、「一般ウケしようとするなら」、という条件付きの「差し替え提案」ですけど。

何回か聴いているうちにオートチューンの場所が分かるようになってきました(笑)。 やはりサビ以外の部分でも高音の部分に顕著な気がしますね。

リウさん、こんばんは。

『エジプト・ステーション』って発売されてから、そんなに時間たっていたっけ・・・。と発売時期を確認すると、すでに9ヶ月もたっているじゃありませんか。太陽も落ちるわけだ(*^_^*) その期間、多くのビートルズ関連の商品が発売されましたから、リウさんにとっても僕にとっても充実したビートルズライフだったといえるんじゃないでしょうか。

『ニュー』というアルバムは、ポールにとってもいい印象のあるアルバムなんでしょうかねぇ。ちょっぴり記憶があやふやなんですけど、いまだにコンサートで「ニュー」や「クイニー・アイ」をとりあげていたような気がします。でもなんで、「エブリバァディ・アウト・ゼアー」やらないかなぁ~。『アウト・ゼアー・ツアー』を象徴するのメイン曲だったはずなのになぁ~。観客の受けが悪かったのですかねぇ。

「ゲット・イナフ」は、確かに現代的な感触をもった楽曲ですが、シングルにしなければいけない曲だったのかなぁと思います。「フー・ケアズ」のほうがシングルに似合っていると思うんだけどなぁ~。
そういえば、「フー・ケアズ」ライヴバージョンでは、最後の歌詞の「君はずっとは雨ざらしにされてきた」を省いていますね。この部分、「ドライヴィング・レイン」の歌詞で最後の「君はドアをはいってきた、僕が待ち続けたとおり」の部分と同じく、紳士の世界観をもった歌詞というイメージで聴いています。

それと、雨ざらしにされてきた人に対して、「トゥ・マッチ・レイン」の「一人に雨が降り続けるなんておかしいよ」の世界とがつながるんですよねぇ~。 などと勝手に物語を作ってポールの歌詞の深みに感動しております(*^_^*)

のぶや様
コメント下さり、ありがとうございます。

「雨ざらし」と「ドライヴィン・レイン」「トゥー・マッチ・レイン」が繋がるとは、コアな聴きかただなあ(オドロキ)。

私は「フー・ケアズ」の内容をイマイチまだ把握してない感じです。 というのも、訳詞がなんか変な気がするせい。 ポールの性格から言って、みんなからひどい目に遭っている「you」を庇い励ます内容だ、というのは分かるのですが、そのみんな「idiots」(訳詞では「間抜けな奴ら」)と「you」がごっちゃになっている気がする。 英語が苦手なくせに、ちょっと考察してみます。

サビの歌詞をよく吟味すると、「♪who cares」は4回歌われてて、2回目までは同じ「間抜けな奴ら」にかかっているのですが、3回目と4回目は「you」に向かって歌われている。

しかしこの、3回目の「youと」4回目の「you」では、「who cares」の意味合いが違っていると思うのです。 訳詞では1回目から3回目まで全部「気にする」と訳して、4回目は「心配する」と訳しているけれども、ちょっと足りない気がする。

私が考えるのは次のような訳しかた。

 バカな奴らの言うことなんか構うもんか
 バカな奴らのすることなんか構うもんか
 君の心の痛みなんか誰が構うんだ
 誰が君を気にするんだ
 ぼくがする

つまり、同じ「♪who cares」で「you」を同等に突き放しているように見えるけれども、3回目では同じ言い方で内心を変化させている。 4回目ではポールのその態度がはっきり分かる。 同じ言葉でそんな変化をつけている気がするのです。

これが歌詞カードの訳詞だと分かりにくい。 なんか「you」までディスられているような錯覚がしてくる。

ほかにもこの訳詞で、「ずっと雨ざらしにされている」のは「錆びた古い車輪」にかかっていて、これも「you」の比喩だと理解は出来るのですが、理解は出来るが分かりにくい。 「君は闇の中の悪魔」、という部分も、字面通りに受け取ってしまうと、やっぱり「you」をディスっているように感じられてしまう。 ポールのこの歌は、かなり微妙なさじ加減を聴く側に強いていると思うのです。

と、自分で解説していて、よーやく「フー・ケアズ」の歌詞を把握できた気がします(笑)。

リウさん、こんばんは。

リウさんによる「フー・ケアズ」の歌詞の考察で、さらに歌詞の奥深さに触れられたような気がします。少し違和感のある歌詞だなぁと思っていたんですよ。微妙なニュアンスの違いをかぎわけられる観察力を持ち合わせたリウさんすごすぎますよ。

ところで「君は闇の中の悪魔」の歌詞は、どのような意味合いで受け取められましたか?歌詞通りに受け止めてしまうと、 「君」 自身が悪魔ということになりますけど。それじゃ、わざわざ助けてあげる必要もなくなってしまうだろうし…。

「君は闇の中の悪魔」以降の歌詞で、これまで気にしてあげていた 「君」 が、突然いじめる側の立場になるというホラーでもあるまいし。どのように自分の中におとしこむか悩ませる歌詞になってしまっています。

話がとびます。「カム・オン・トゥ・ミー」のライヴ音源で、ポールが高音のパートをうたっているのところで感動しちゃいました。イメージとしたら、低音のほうが楽に歌えると思っていましたので。あの高音パートを聴く限り、まだまだボーカリストのポールを好きでいられる自信があります。今回のライヴ音源を聴く限り、ポールの声は出ている方だと思うんですけど。リウさんほどのファン歴になると許容できない範囲に入ってしまいますか?


そういえば、「ロンリー・ロード」の時も上のパートを歌った時もカッコよかったですよねぇ~。

最期の文章、日本語がおかしくなっちゃっています。適当に解釈しちゃってください。(*^_^*)眠気と闘いながら書くのは難しいですね(-_-)zzz    

のぶや様
眠気に負けず(笑)コメント下さり、ありがとうございます。

「フー・ケアズ」の歌ってやはり、「you」のこともいったんは突き放しているのではないか、という気がします。 ですから「誰が君のことなんか構うんだ」、誰も構いはしない、と突き放したところで、「I do」(ぼくがする)、という決めの言葉がかなり効果的に生きてくる。

「idiots」も「you」も一緒くたに突き放しておいて、「誰が構わなくても(「気にしなくても」でもいい)、ぼくだけは違う」、と最後で逆転させるのです。 さすがポール。

それを踏まえると、「ずっと雨ざらし」というのは、やはり「you」が「idiots」にそう強要されてきた、と捉えるべきでしょう。

「君は闇の中の悪魔」、というのも、やはり「you」が「idiots」にそう見做されてきた、という意味がそこに潜んでいる、と考えられるのではないでしょうか。 そして「you」は自分が悪魔なのだ、と連中に思い込まされて生きてきた。

なんとなくこの歌詞の底流にある思想では、ジョージの「デヴィルズ・レイディオ」と相通じるものがあるような気が、私はしています。 全体的に皮肉な言いっぷり、一瞬「you」でさえもディスっているような気にさせられる絶妙な意味のぼかし方も含めて、この曲って「ジョージが入っている」ような気がします。

「カム・オン・トゥ・ミー」に限らず、「エジプト・ステーション」でのポールは、高音パートを結構ノド振り絞って歌っている気がします。
「エジプト・ステーション」全体に感じることですが、全体的にキイが低い。 そして比較的キイの高い歌(「ハンド・イン・ハンド」「ドミノス」など)はファルセットを多用している印象を受けます。 「ファルセット」、というとなんか小難しい定義があるそうなので、「裏声」と置き換えてもいいのですが(「裏声」と「ファルセット」は厳密には違うらしい…笑)ともかく「アルバム聴きながら一緒に歌う」、というスタンスを取ってきた私にとっては、とても歌い甲斐のない部類のアルバムです。

しかしそう思って油断してると、曲の後半部分でやけに甲高いシャウトをかましてくるのです。 つまり、音程を重視する前半部分では軽く流しておいて、曲が盛り上がる後半でハイトーンのシャウトを大々的に使う。

これってだけど、「えっそうだっけ?」みたいに思われるかもしれません。 そのポールのシャウトが目立たないのは、おそらくヴォーカルとコーラスを渾然とさせるプロデュースの仕方にある。 以前コメント欄で「このアルバムはフェアチャイルドというコンプレッサーが大きな役割を果たしている」、ということを書いたかと思いますが、なんかそのコンプレッサーが関係しているのでは、と私は考えています。

まあ、「そんな気がする」、という非常にいい加減な分析なんですけど。

ヴォーカルとコーラスが渾然としている、というのは、ある意味ポールの声の劣化を目立たなくさせ、エイブなどサポートヴォーカルとの境目もなくしてしまおう、という意図が働いている気がする。

このアルバムを一緒に歌っていていちばんキモチイイのは、「ナッシング・フォー・フリー」ですね。 サビの部分は裏声っぽいけど全体的に声を張り上げて歌う感じでとてもキモチイイ。 ポールもこれくらいの高音が出るなら、ほかの曲でも出せるはずなんだが。

うわ~。 返信が長くなってごめんなさい。

リウさん、こんばんは。

リウさんの解釈、勉強になります。自分は(奴らに)悪魔なのだと思い込まされてきた・・・。この解釈、僕の中の答えにさせて頂きます(*^_^*)
「フー・ケアズ」のPVで、女優さんが、虐げる側と似たような姿格好に変わっていますね。リウさんの解釈で、あっているような気がします。

ジョージと似ているといえば、あくまで個人的な感想なんですけど、「ゲット・スターティッド」のきもちいい音の重ね合わせ方が、ジョージの「ミスティカル・ワン」と似ているなぁと思っています。

ポールまだまだすごいなぁと感じるのは、ライヴバージョンでの高音ですね。スタジオ盤の高音パートは、編集や加工や取り直しで何とかなりそうなので(*^。^*)
「ドミノス」のファルセット(といってもいいでしょうか)と通常の歌い方が、交差するところなんてゾクゾクしませんか。「キス・オン・ザ・ボトム」での、あのささやくような無理のない歌い方が、このアルバムにて再登場というシチュエーションがたまりません。

もちろん、全編でウィスパーボイスを聞ける「ハンド・イン・ハンド」も大好きです。幸せになる二人の歌なのに、どこか翳りを感じるメロディーなんですよね~。

「ナッシング・フォー・フリー」を歌うのが気持ちいいなんて、マニアックなところ責めていますね(^_^) 歌うなら、痛快でシンプルな「カム・オン・トゥ・ミー」かなぁ~。

のぶや様
コメント下さり、ありがとうございます。

「フー・ケアズ」にPVがあることを知りませんでした(ハハ…)。 シングル・カットされてないので油断してた。

「ゲット・スターテッド」と「ミスティリカル・ワン」ですか。 似てるかなぁ?(笑) 「気持ちいい音の重ね方」は確かに似てますね。 青空が見えるみたいで。 出だし、「♪レッゲースターレッ」と歌い出したときにちょっと一瞬ヤな予感がするんだけど(メロディがよくないんで…笑)、最初のヴァースではちょっと迷走気味なメロを狙ってて、2番目のブリッジ部分で持ち直りつつ、3番目のサビでG基調からEに転調・メロディも突き抜けて…という、「だんだんよくなる(ゲッティング・ベターな)」展開で、好きなナンバーですね。

ただ、歌っている内容はポールの遺言みたいでファンにとってはハードですね。 そもそも出だしから「レッツ・スタート」ではなく、「レッツ・ゲット・スターテッド」であるのにも注目。 これってまるで授業を始める先生のような言い回しだからです。

「ドミノス」に関しては、マッカ様のサイトで「出だしがホール&オーツの『ウェイト・フォー・ミー』に似ている」、と指摘したのですが消えちゃったのでここで改めて指摘しておきます。 ただ似ているのはそこだけ。 メロディがどんどん別方向に展開していくのはさすが、という感じです。 ただここで全盛時と比べては酷な気もしますけど、結構「こうするといいメロディになる」、というポールの中のセオリーに従って展開していってる気がする。

アルバムのなかでメロディ的にいちばん優れていると思われるのは「ハンド・イン・ハンド」ですが、これもマイナー基調の曲なのでポールにとってはお茶の子さいさい、といったところでしょうか。

ここ数作のポールが作る曲で、傑作と思われるのはマイナー基調の曲が多い気がします。 「スケアド」「シー・イズ・ソー・ビューティフル」「ユー・テル・ミー」なんかですね。 「ハンド・イン・ハンド」もその範疇に入る。

私がポールの曲の真骨頂と考えているのは、「頭の中をかき混ぜられるような旋律を持った曲」です。 簡単に言えば「魂を揺さぶられるメロディを持った曲」。
ポールのキャリアのなかでいちばん凄いレベルの曲って、「ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア」「イエスタデイ」「アイ・ウィル」「ディア・ボーイ」「ディア・フレンド」…枚挙にいとまがありませんが、全部「どーしてこういうメロディが思いつくんだ?」という、雲の上の感覚があります。

それらと比べちゃ基本的にイカンのですが、そのポールの才能からいくと、マイナー基調の曲って、結構生み出しやすい部類に入るのではないか、という気がします。

もちろん、ポールという天才レベルでの話なんですが。

その点で行くと「ナッシング・フォー・フリー」というのはメロディ的にも「突き抜けている」感じがして好印象。 しかも本文で書いた気もするけど、カニエ・ウェストやケンドリック・ラマーなんかの影響をいちばん感じさせる「今の音楽」なんですよ。 この「突き抜け感」がたまらない。

ポールって、「キス・オン・ザ・ボトム」みたいなものだけ作っててももう許される気もするんだけど、こういう最先端のところを攻めている、その心意気が凄い。 もう喜寿ですよ? 何なんだこの凄さは、と思います。 もちろん「キス・オン・ザ・ボトム」もいまだに大好きですけど。

うわわ~。 また返信が長くなってしまいました。 ポールについて語り出すと止まりません(笑)。

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  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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