日記・コラム・つぶやき

2018年10月13日 (土)

ブログ開始から10年(開始、盛況、転機、近況)

御礼

 2008年の10月9日、ジョン・レノンの誕生日にスタートしたこのブログ。 紆余曲折はあったものの、10年続けることができた。
 おそらくそれはこのブログにコメントを下さる方々のおかげである。 このいい加減な不精者が唯一モチベーションを見いだせるとすれば、それはコメントを下さる方々とのおしゃべりだけだからだ。 改めてこの場を借りて感謝申し上げたい。

開始当時

 「詩集」 と銘打ってスタートしたブログである。 当然最初は詩から始まった。 だがそれは世間一般の常識から言えばとても詩とはいえないカテゴリに属するものだった。
 「降霊によって呼び出したジョン・レノンにインタビューする」、という内容のもので、最初に書いたのが1987年、自分が22歳の頃だったから、20年以上手直しを続けてきた、いわば私にとっては 「出世の本懐」、つまりこの詩を世に出すために生まれてきた、という覚悟を秘めた詩だった。 ジョン・レノンの誕生日に合わせてアップできるよう、買ったばかりのPCをああでもないこうでもないと悪戦苦闘しながらいじくり回した末の労作だった。 これを世に出すとき、使い古された文句だが、私の胸は期待と不安で高まった。

 しかしこれをアップしてから数日。 確かアクセス数は一桁のままだったと記憶している。
 当然ながら、かなり落ち込んだ。
 そしてブログのアクセス数を伸ばすにはどうしたらいいのか、ネットでいろいろ調べてみた。
 「とにかく毎日書け、何でもいいから書け」。 これが私の得た結論だった。
 いろんなことを書いたのだが、最初に爆発的にアクセス数が伸びたのが、NHK大河ドラマの 「篤姫」 の最終回を見た感想を書いた記事だった。 最初の詩のアップが10月だったから、2ヶ月はたっていたことになろうか。 それまでよくて二桁に届こうか、というアクセス数が、1日で90件近く出たのだ。 とにかく驚いた。

 私がアクセス数の魔に魅入られたのはこのときであろう(笑)。 当初の 「詩集」 という名目はあっさりと撤回され、まあドラマの感想文を書いておればたまに詩も読んでくれるようになるであろう、というスタンスにさっさと乗り換えた。

ブログ盛況


 このブログが最も活況を呈したのは、NHK朝ドラ 「カーネーション」 の感想文を書いていた時期であろう。 ほぼ週イチで書いていたのだが週を追うごとにその量は膨大になり、ドラマの秀逸さと相俟ってコメント欄も充実した。
 しかしその副作用がなかったわけではない。
 あまりに仔細にわたってのめり込んだせいか、朝ドラの次作である 「梅ちゃん先生」 のあまりの落差に辟易としながら記事を書き続ける私の元に、私の人格を否定するような書き込みが現れたのだった。
 やはりアクセス数が伸びれば自分の書いたことにも責任が生じる。 このほかにも何の気なしの軽口に思わぬ怒りのコメントを頂戴したり、ネットとの付き合いかたを考えさせることが度々起こるようになった。

転機


 社会に出てから自分の歴史について、何年に何があったとかいう意識がほとんどなくなっている。 そのため何年前に起きたことだかもう記憶がはっきりしないのだが、このブログにとって最初の転機となったのは、私がヘルニアの悪化で入院したときだったと思う。 ちょうど大河ドラマで 「平清盛」 をやっていた年の暮れだ。
 これがきっかけで、それまでほとんど毎日のように書いていたペースを落とすことになった。

 二度目の転機は、自分が経営していた超弱小の会社を休業させることになったとき。 1ヶ月か2ヶ月くらい(ブログの上で)雲隠れした。 あの頃のことはもう思い出したくもないが、それを機にブログの記事数はさらに度を増して激減したと言っていいだろう。

近況

 今年の7月に、録画機が故障した。 それからテレビドラマは 「西郷どん」 以外見ていない。
 このブログを続けるためにテレビドラマを片端から録画し続けてきたが、ちょっとチェックしすぎていた気もする。 倍速で見ないと視聴が追っつかないのだ。 特に朝ドラは見るのに体力が要る。
 このたび始まった 「まんぷく」 は、ヤフーの感想欄を見る限りでは久しぶりに良質のドラマのようだが、私は休む。 録画機は故障したまま、放ってある。

 家電は故障し始めるとそれが続く、とはよく言ったもので、10年前に買ったPCもWindows Vistaのまんまでだましだまし使っていたが活動限界を迎え、おまけに乗っている車のカーオーディオもディスク読み取りができなくなった。

 仕方がないからこのたび、PCを買い換えた。 9万円。 痛い出費だ。

 買い換えてからあまりに当然のことに気付いたのだが、何しろ動作が速い。 これまでVistaでどれだけの時間を無駄にしてきたかが悔やまれる。
 しかもVistaではできなかったようなのだが(よく分からん)、民放の公式サイトTVerとかいう見逃し番組無料配信サービスが利用できるようになったみたいなのだ。
 私はケータイもガラケーで通話とショートメールくらいしか使わないので、数年前から始まっていたこのサービスに全く関心がなかった。
 しかしこれなら、録画機がなくてもテレビドラマをフォローできるではないか。 ただし放送1週間以内だけど。 NHKのオンデマンドという同種のサービスは有料だから食指が動かない。 受信料を払っている人とその家族には無料で提供できるとかしたらどうなのか。

まとめ

 テレビドラマの感想を中心としているこのブログだが、正直なところここ数年のテレビドラマというのはこれぞという傑作がない。
 私がブログをせっせと書いていたあの時期、「カーネーション」 はもとより、「外事警察」「JIN」「mother」「流れ星」 などの傑作が多かった。
 私にとっては恵まれた、豊穣の時期だった。

 これからものらりくらりとこのブログも続けていくだろうが、自分が死んだときにはきちんと挨拶ができるように、今から準備はしておくつもりだ。

2017年3月 4日 (土)

ムッシュかまやつさんの訃報を聞いて

はじめに 初出時より少々付け加えました。

 ムッシュかまやつサンが亡くなった。

 今年52でビートルズファンの私からすると、かまやつサンというのは自分のビートルズファン歴の最初期において、ビートルズを案内してくれた役のひとりだった。
 いちばん印象的だったのは、確かTBSで、1977年か8年あたり、ある日曜日の昼下がりに放送されたと記憶しているが、彼らの解散を描いた映画 「レット・イット・ビー」 のナレーションをかまやつサンがされたことだ(その時が初めての放送だったかは分からない)。 私はこのオンエアーを当時持っていたラジカセに録音し、それこそ何度となく繰り返して聞いた。 かまやつサンの鼻にかかったようなどことなくのんびりとした独特の声は、それ以来私の心に刻まれた。

 周知の通りこの 「レット・イット・ビー」 という映画にはナレーションなどついていない。 もはや歴史となった巨大な怪物バンドであるビートルズが崩壊する様子を、ただ淡々と追った映画に過ぎないのだが、テレビ放映用に分かりやすくする演出上の必要が生じたために、かまやつサンが採用されたのだと思う。 その当時で彼らの解散からまだ7年かそこらだったから、その時点でのビートルズ自身の認知度の低さもまた窺い知れるというものだろう。

 彼らは1966年に来日した時に大々的にブレイクした(当時ブレイクなどという形容句は日本には存在しなかったが)程度で、1970年の解散など、「あ~あのバンド、解散しちゃったの」 くらいの認識でしかなかったんじゃなかろうか。 「そういやメンバーのひとりが日本人と結婚して頭おかしくなっちゃったみたいだけど」 みたいな。

 そんななかでそのビートルズの映画に、グループサウンズのもっとも知識層に位置し、「我が良き友よ」 などのヒットでも知られていたかまやつサンがその案内役を務める、というのは至極まっとうな線だ。

 ただその内容は、というといきなりビートルズをバッハ、ブラームス、ベートーヴェンという世界のクラシック音楽家三大 「B」 と対等な立場で論じるなどかなり大仰で(笑)、またジョンとポールの友情を綴った 「とされる」 壮大なバラード 「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」 をかまやつサンが情感たっぷりに紹介した次の瞬間に流れたそのバージョンが、途中でおふざけバージョンになってしまうなど、かなりちぐはぐな面もあったと記憶している(念のために付け加えるが、このナレーションの内容はテレビ局側が作成したものだろう)。

 同時期に 「ザ・ビートルズ・サウンド」 という、当時としては画期的だったビートルズの音楽性を真正面から扱った本において、かまやつサンは日本盤の彼らのデビュー盤 「ザ・ビートルズ!」 に関するエッセイも書かれていた。 1960年代初頭にヨーロッパ旅行した際に、マッシュルームヘアーの独特な格好をした実存主義グループを見たその何年か後に、同じ格好をしたバンドが登場した、それがビートルズだった、というのだ。 かまやつサンはそのデビュー盤を購入して聞き倒し、当時9000枚だか持っていたレコードの中でもいまだにいちばんだと書いていた。
 しかしそもそも、かまやつサンはビートルズの中でも一番年上のリンゴ・スターよりも1個半くらい年上の世代である。 私はその事実を結構早い段階から認識していたのだが、若い時は 「自分より年下の連中を持ち上げるのってホントは本意ではないんじゃなかろうか」 と考えていた時期がある。

 けれども、後年になればなるほど、かまやつサンという人はそういう年齢差などまったくと言っていいほど意に介さない人なのだ、というように認識が改められていった。
 なぜならかまやつサンは常に新しい世代のミュージシャンたちと交流をし、つい最近でもギターのうまい中学生の男の子とバンドを組んだ、という情報まで耳にしたからだ。 この情報というのは主にTHE ALFEEの坂崎サンのラジオからもたらされたものだが、それ以外にもテレビに出演したときなどに 「かまやつサンにはいろんなところで遭遇する」 というほかのミュージシャンたちの声も聞いていたこともある。 つまりかまやつサンは、新しい世代の動向に常にアンテナを張っていた、ということになろう。

 しかし中学生とコラボとは、その話を聞いたときはえらく驚いた。 坂崎サンのラジオにはかまやつサンもたびたびゲスト出演していたが、アルフィーも売れない時代にかまやつサンのバックバンドとして雇ってもらったという話をしぜんと聞いていたし、すなわちそういうことなのだ。
 かまやつサンは多くの若手ミュージシャンにとって、いちばん最初に懇意になる大物ミュージシャンのひとりだったのだろうと推察されるのだ。

 かまやつサンの最後の声を聞いたのも、その坂崎サンのラジオ番組だった。 去年の中頃だったと思う。 そのとき、「あれ、かまやつサン声が変わったな」 と感じた。 あの、私の記憶に深く刻まれている、鼻にかかったような声ではなくなっていたのだ。
 そこでイベントの告知をしていたのだが、ほどなくしてそのイベントの中止が発表された。 やはり声が変わっていたのも体調を崩していたせいだったんだろうな、と。

 ただ話す内容はいつもの飄々としたかまやつサンのもので、ここ数年関東地域では頻繁に宣伝されて聞く方にとってはかなり耳障りなラジオCM、「新宿事務所」 の内容に 「ねえねえ、過払い金って何?」 と坂崎サンに尋ねるなど、ボケの話術の才能はまったく衰えていなかった。
 普通ここまで頻繁にラジオCMがかかっているお得意のスポンサーについてなど、ラジオの出演者はタブー視するものだ。 坂崎サンもかまやつサンのこの話題提起に困っていた様子だったが(笑)、かまやつサンにはその話題も意に介さないしなやかさが備わっていたのだ。

 往年のバンド仲間だった堺正章サンの料理番組 「チューボーですよ!」 に出られたときもそうだったが、かまやつサンのキャラには人を弛緩させる特別な能力があった。 特に盟友の井上順サンと堺サンが共演する回では結構ライバル意識が感じられたものだが、そこにかまやつサンが加わって3人になると、途端にその火花がやんわりと収束されるのだ。
 それはかまやつサンがほかのふたりより年上だったことも大きいが、かまやつサンののんびりとしたとぼけたような人柄が大きく作用していたことは間違いない。

 私などの世代にとっては、かまやつサンはザ・スパイダースのメンバーというよりも、1975年に大ヒットした前述の 「我がよき友よ」 がいちばん印象的であろう。 また同時期にテレビで放送されていたアニメ 「はじめ人間ギャートルズ」 のエンディングテーマ、「なんにもないなんにもないまったくなんにもない」(正式には 「やつらの足音のバラード」) を作った人、という認識もあろう。
 私などはそれ以前のスマッシュヒット 「どうにかなるさ」(1970年) の印象も強くて、「この人はどうしてこういうヘンな歌い方をするのだろう」 ということは子供心に持っていた(それはかまやつサンの本来であるカントリーミュージックの歌い方であることを認識したのは、ずっと後になってからだ)。

 それにしても 「我が良き友よ」 の歌詞のインパクトというのは、当時小学5、6年だった私には大きいものがあった。 ちょうど春日八郎の 「お富さん」 みたいなもので、1番以外は意味も分からず歌っていたのだ。 この曲や 「『襟裳岬』『結婚しようよ』 を作った男」 として吉田拓郎を意識するようになり、拓郎ファンになっていった、という窓口の役割も果たしていただいた。 拓郎とのデュエット曲 「シンシア」 は、けだし名曲である。

 今はただ、「どうにかなるさ」 の最初の1行、「今夜の夜汽車で旅立つ俺だよ あてなどないけど どうにかなるさ」 というフレーズが頭の中を彷徨している。 旅立ったかまやつサンが、無事にいいところにいけることを念願している。

後記 3月6日の森山良子サンのラジオ番組で、森山サンからいとこのかまやつサンの死についていろんな話を聞いた。 同じ芸能界で生きてきただけあってその絆はとても強く、森山サンの悲痛さが滲み出てくるような内容だった。
 その悲痛さを際立たせていたのは、生前に 「俺が死んでもビービー泣くな。 俺はそういうのがいちばんキライなんだ。 俺が死んでもヘラヘラしていろ」 とかまやつサンから釘を刺されていたことで、ふだん番組内でちょっと悲しいお便りを読んだだけでも泣いてしまう 「泣きんぼ」 の森山サンが、努めて明るく振る舞おうとしていたことだった。

 あらためて、ご冥福をお祈りいたします。

2016年7月12日 (火)

永六輔のいた時代

 永六輔サンが亡くなった。

 ラジオ人間である私にとって、永サンは常に 「TBSラジオの人」 といった印象がある。 実際は放送作家から始まって作詞家、作家などひとつのメディアに収まるような人ではなかったのだが。

 物心ついたときからいつもラジオがTBSのチューニングのままつけっぱなしだった我が家には(現在も未だにそうなのだが)「遠くへ行きたい」 の尺八のメロディーが流れてくる 「誰かとどこかで」 が毎日かかっていたし、土曜日はマリンバのテーマ曲で始まる 「土曜ワイドラジオ東京 永六輔その新世界」 が常にかかっていた(ラジオ東京というのはTBSラジオの旧名)。

 数年前その、「誰かとどこかで」 の番組のなかで、永サンが突然号泣しだした、という回を、私はたまたま聞いていた。 「こんな、番組中で僕が泣くなんて初めてでしょう」 と永サンは相方の遠藤泰子アナに弁明していたのだが、思えばそれが永サンのパーキンソン病の兆候だったのかもしれぬ。

 永サンはそれから 「土曜ワイド」 のなかでもかなり鬱気味になり、あれほど早口で饒舌だったのがアシスタントの外山惠理とかはぶ三太郎に進行を任すようになった。 それが一時持ち直したのが、体調不良の原因がパーキンソン病であることが分かったときだった。 永サンは目の前の霧が晴れたかのように元気になった。

 しかしまた徐々に病気に負け気味になり、ここ数年は完全に何を言ってるのかよく分かんない感じになり(私は耳も遠いのでなおさらだった)、私も自然と 「土曜ワイド」 を聞かなくなった。 たまに聞くと外山とはぶがしゃべってる後ろで、なにか 「う~う~」 と聞こえる。 外山が永サンにしゃべる場を与えても、言語不明瞭で分からない。 「誰かとどこかで」 も同様で、遠藤アナが主体的にしゃべることが多くなった。

 ついに 「誰かとどこかで」 が終了し、「土曜ワイド」 も終了。 ただ 「土曜ワイド」 の流れで月曜日の夜、やはりTBSラジオで 「六輔七転八倒」 が始まったのが去年の秋だったか。 それもついこないだ 「番組に出演が叶わない」 という理由で終了し、それからたった2週間で死去が発表された。

 「七転八倒」 の後番組で全体的に 「土曜ワイド」 の形態を継承しているといっていい、はぶ三太郎がメインパーソナリティの番組、「いちにの三太郎」 は、永サン死去が発表されたまさに昨日が週イチの放送日で、当然のごとく永サンの追悼番組になった。

 私は仕事中にかいつまんで聞いたのだが、そこでとても不思議な感覚に襲われたことを告白しなければならない。

 外山とはぶ、さらに 「土曜ワイド」 時代からの準レギュラーであったピーコたち出演者が永サンの思い出をしゃべっている後ろに、いつものように永サンがいるような錯覚に陥ったのだ。

 もちろんそれはユーレイとかオカルト的なものではない。 外山とはぶが永サンから教授されたさまざまな経験値が、その場にあたかも永サンをバーチャルリアリティのように浮かび上がらせたように感じたのだ。

 外山惠理は私の知る限り、当初TBSの局アナとしてはかなり気持の定まってない性格だったのだが、おそらく彼女は永サンに仕事のなんたるかを強烈に叩き込まれたに違いない、と踏んでいる。 彼女はラジオに局アナとしての自分の居場所を見つけ、永サンの追悼が目的であるこの番組でも、取り乱すことなく明るくその場を取り仕切った。
 彼女は昨日の番組内で何度も永サンに話しかけていたが、それはその場に 「千の風」 となって漂う永サンに向けたものであった。
 ここ数年ずっとそのパターンだったから、という理由もあるのであるが、昨日の番組はすっかり 「永サンがまだそこにいる」 と思わせるにじゅうぶんな内容だったのだ。 そのことが却って、また私を悲しませる。 そして永サンの遺したものを、外山惠理のなかに感じる。

 番組では在りし日の、まだ早口で饒舌だった頃の永サンの音声が流れたのだが、その頭の回転の速さが、またひどく懐かしかった。
 そう、私は永サンのモノの考え方に、ちょっと憧れていたのだ。
 永サンはラジオを通じて、私にいろんな目を開かせてくれた気がする。

 永サンの訃報を追うように、ザ・ピーナッツの伊藤ユミサンが2か月近く前に亡くなっていたことが発表された。 去年あたりから、月の家円鏡サン(橘家圓蔵サン)とか加藤武サンとか、よく慣れ親しんだ人たちが次々死んでゆく。
 個人的なことであるが、私の親戚のおばさんもこの週末に亡くなった。 4月には私がお世話になったおばさんが亡くなっているし、このところ私は妙に息苦しさを覚えて仕方ない。

 それは両親との別れの時がだんだんと近づいている、という息苦しさにほかならない。 親が年老いていくのを見るのはつらいものだ。 近い将来か遠い将来か分からないが、「そして誰もいなくなった」、という時が来るのが私は怖い。

 永サンが作った歌が流行っていた時代。 ザ・ピーナッツの歌が流行っていた時代。 そして私の世代の歌たち。
 近頃じゃとてもまっすぐであるがこちらの心に届いてこない、饒舌な励ましの歌が氾濫している。

 でもそれはそれでいいのだろう。
 分かりあえる者たちの間で分かりあえれば。

 ただそんな日本の将来に、興味があるのかどうかと問われれば、私の答えはノーのような気がしている。

 こうして疎外感を抱きながら、私も死んでいくのだろう。

2016年1月17日 (日)

「ドラマでの殺人」 を考える

 今年の冬ドラマ。

 私は人が殺されるのとか刑事モノとか、そういうドラマを極力見ないようにしているのですが(それはそういうのが多いテレ朝のドラマを極力意識の中から除外している、ということでもある)、今回の冬ドラマは、あまりそうしたフィルターをあまり自分にかけずに見てみることにしました(でもやはり、テレ朝は除外、というパターンが多い)。

 しかしこうしてあらためて見てみると、 「殺す」 だの 「殺される」 だのというドラマ、多いですよね。 そんなのばっかり見ていると、殺人ということに慣れっこになってしまうのが嫌なんですよ。
 何か気に入らないことがあると人を殺す。
 その事情をドラマ制作者が考えれば考えるほど、それを見る人の心のなかに、殺人に対する 「やわらかな免罪符」 が増えていく。
 「それだけの事情があるのは分かるけど、人を殺すのはダメだよね」。
 人を殺すのに事情もクソもあるか、と思いますよそもそも。

 ドラマ制作者は、ドラマの終わりに殺人者に対して、その報いを受けさせるのが常だけれど、それはドラマ制作者の良心でしょう。 そうさせないと殺人助長にしかならないから。 でも、その結末を万人が、「だから殺人なんかしないほうがいいのだ」、と捉えるわけでもない、と私は思うのです。
 いちばんひどいのは、さんざん人を殺しておいて、その犯人が自殺してしまうケース。 「死に逃げ」 じゃないですか。 卑怯このうえない。

 また、殺人が行なわれるドラマは、往々にしてその手口の披露の場でもある。
 トリックの手口を公開する、ということは、手品のタネをばらすというレベルでとどまるならまだしも、完全犯罪、という、警察の捜査の抜け道を、ドラマを見る者たちが一緒になって模索する道筋になったりする。

 それに、「人を殺したい」 などと考えた途端、それがすごくたやすく出来てしまうことを、テレビ制作者だけでなく世間の人たちは、もっと考えたほうがいい。 それをしないのは、自分の人生をダメにしたくないからなのだが、自分の人生どうなったっていい、なんて考えている人が人を殺すことを考えたら、目も当てられないじゃないですか。

 それが現在最悪の形で顕在化しているのが、ISの自爆テロなのではないか、と私は感じています。 テレビドラマとは一見関係ないことですけどね。 あれは 「自分の人生どうなったっていい」 どころか、そうすることでカミサマに褒められる、自分の人生がそれで最高によく成就できる、とか考えている人たちがやっていることですよ。

 ISのタチの悪いところは、ISが組織として成立していない、という部分だと思います。 例えば組織が大きくなれば、どんな組織であれ組織が世間から悪く思われないための自己制御力が働くものです。 「こういうことをやってしまえば、国際的な評価が地に落ち、組織の存続に関わる」。 それがISにはない。 どうすれば世の中に今まで自分が味わってきたモヤモヤを復讐することが出来るのか。 そういう究極に自分勝手な私情で動くうえに、それが神の意志で意義あることへと括られてしまうところにもっとも根の深い問題がある。

 こうした動きを封じ込めるのは、空爆やら掃討作戦ではまったくといっていいほど、根本的な解決には結びつかない。 だって世界のそこらじゅうに、普通の人たちと同じように、ISの戦闘員やその予備軍が散らばっているんですから。

 日本では 「友人関係のモヤモヤを晴らしたかった」 から自分のおじいちゃんおばあちゃんを殺すみたいなことやってるレベルだけど、でもそれも、「究極に自分勝手な理屈」 で人を殺すという点ではISのテロと同レベル、なんだと私は思います。

 人殺し、というのはテレビドラマを作るうえで、「究極の状態」 を作りだす、最も簡便な方法であることは論を待たない。 そこから人の命の尊さを導こう、とする姿勢は、間違ってはいないのかもしれないけれど、そればっかりを見せつけられるのはちょっと辟易してしまう。

 簡単なんですよ、人殺しの扉を開くのは。

 どんな家にも包丁はありますからね。

 国際的な紛争やテロは、包丁が銃に変わったから、スケールが大きくなってしまうのです。 もともと人を殺す武器なんか、世界中から消えてなくなれば、殴り合いで済むことなんですよ(撲殺とかあるけど大戦争にはならないでしょう)。 言葉でだって人を殺せる。

 でも、人を殺すのに、事情とか理屈とか、そうじゃないでしょう。

 絶対悪なんですよ。

 誰もがそのことを知っているのに、それが出来ない。 必要悪とか、もっともらしいバカな理屈を持ち出す。

 それはテレビドラマが理屈とか事情とか、考えすぎてるせいも、ほんの数パーセントでも、あるんじゃないですかね。

2015年1月19日 (月)

桑っちょの不敬事件について

 サザンオールスターズの桑田サンが、年越しライヴで行なった一連の行動に批判が集まり、本人が謝罪する騒動に至りました。
 そのこと自体については、「まあやり過ぎちゃったかな」 という程度のことしか申せませんが、桑田サンがそのような行動に至った背景は、私なりになんとなく解説できるかな、という気はしています。 まあ的外れかもしれませんけどね。

 特に今回の行動のなかで、勲章に対する不敬、という点においては、桑田サンが多大なる影響を受けているビートルズ(とりわけジョン・レノン)と、吉田拓郎サンが原点にある気がする。

 ビートルズは1965年にM.B.E.勲章というものを本国でもらったのですが、それをジョン・レノンはビアフラ紛争にイギリスが介入したことに抗議して、1969年だったかに返還しています。 ビートルズのなかで勲章を突っ返したのは、ジョン・レノンのみ。

 M.B.E.勲章自体はイギリスでは最も初歩的な勲章じゃなかったかな。 もともとの授与理由というのはビートルズが世界的に有名になって外貨を英国にもたらした、ということだったらしいけれど、当時はロックバンドみたいなチャラチャラしたのが受章したのが初めてだったので、軍人であるとか過去の受章者からかなり突き上げがあったらしいです。

 ジョン・レノンがその勲章を返還したことについて、よしだたくろう(当時ひらがなでした)サンは1973年に 「ビートルズが教えてくれた」 という曲の中で取り上げています。 まあ、この曲の作詞者は岡本おさみサンだったんですけどね。 よしだたくろうがこの内容の曲を歌うことに意味があるのだ。

 歌詞を一部無断借用してみましょう。

 「勲章を与えてくれるなら 女王陛下からもらってしまおう
 女王陛下はいい女だから つきあってみたいと思う
 それも自由だとビートルズは 教えてくれた
 くれるものはもらってしまえ ほしいものはモノにしたい
 その代わり捨てるのも勝手さ もらうも捨てるも勝手さ」

 こういう一連の 「勲章に対するイメージ」、というものが、ビートルズとよしだたくろうに心酔した者にどのような影響を与えるかは、推して知るべきでしょう。
 まあ、今回の勲章に関する不敬に関して、「そりゃ桑田とジョン・レノンとは次元が違うだろう」 ということになるのかもしれません。
 けれど、ジョン・レノンにしたって勲章を返還するときの理由として、ビアフラ紛争とベトナム戦争のことを引き合いに出すいっぽうで、同時に当時の自らのソロ・シングル 「コールド・ターキー」 がチャートを落ちてきたからそれにも抗議する、とか(笑)いうのもあって。
 これって英国流ユーモアかもしれないけれど、そこにはジョン・レノン自身の 「別に国から褒めてもらう必要なんかねーよ」「勲章もらってありがたがっている連中と俺は違うんだ」 という気持ちみたいなものも、垣間見える気がするんですよ。

 ジョンにとって勲章返還の理由は、なんでもよかった。
 ただ当時彼が本腰を入れていた 「戦争に抗議する、平和を訴える」、という手段のひとつとして勲章返還を利用しただけであって。

 そこには立派な理由も存在するかもしれないけれど、国から褒められたまんまでいると好きなことも国に対して言えないんじゃないか、という彼の危惧も読み取れるし、それをごたいそうな理由で返還しようということに対して、彼独特の恥じらいもあったような気もする。

 ビートルズが壊してきたのは、こうした既成の慣習であるとかしがらみであるとか、エラぶってる大人たちの大事にしているものだったように思う。

 勲章というのは、いわば自分のしてきたことを国から褒められる、ということでしょう。
 それは確かに、今までの自分の頑張りに対してのご褒美である、栄誉あることなのだろう、と思う。
 しかし裏を返せば、そういう人たちって国に税金たんまり納めたんじゃないのかな? まあそれだけじゃダメだろうけど、そこに国にとって何らかの意義が認められれば、国はその人に対して勲章をあげよう、となるわけであろうと思われ。
 そうなると、どこかで政治的なにおいもつきまとってくる。 今回の桑っちょの受章だって、安倍サンが自分の人気取りのために決定したのかもしれないし。
 もともと桑田サンの、サザンやソロのアルバムまでちゃんと聴いている人なら分かるが、桑っちょ、かなり政治に関してはラジカルな意見の持ち主ですよ。 「紅白」 の項で書いたけれども。 「汚れたキッチン」(アルバム 「ヤング・ラヴ」 のなかの1曲) の歌詞をちゃんと読んでみましょう。 「音楽寅さん」 でも、ビートルズの 「アビイ・ロード」 を全曲もじった 「アベー・ロード」(当時第1次の安倍政権だった)で、右派から左派から大政党から小政党に至るまで、政治家全部を揶揄してるし。 桑田サンは、政治全体に対して不信感を持っている気がするんですよ。 それは我が国の圧倒的多数派を占める無党派層のスタンスそのものでもある。

 だからって軽率な行動を擁護できるわけでもないんですが(ハハ)。 桑っちょ、やるなら 「アベノミクスに反対して」 勲章返還せんかい、つーか(笑)。

 でもそういう精神の遍歴というものが、おそらく桑田サンに作用してるんじゃないか、ということだけは、ここで解説できるような気がしたわけです。 繰り返しますが、的外れな解説かもしれませんけどね。

2014年12月23日 (火)

このブログに来てくださる方々へ

 「高倉健サンのこと」 以来、1か月以上記事が途切れております、このブログであります。

 ただ今回は、過去に何度かお休みをいただいたような事情ではないので、「休養宣言」 自体が出せない感覚で本日まで来てしまいました。
 理由は、簡単に言ってしまえば 「スランプ」。
 記事を途中まで書くことは書くのですが、うまくまとまらない。
 結局、現在5、6本くらい書きかけの記事がたまっております。

 そこに来て、先週長期間パソコンを離れていたあいだに、どうもパソコンの具合が悪くなりまして。
 文字入力をするのにいちいち設定し直さないとかな入力にならず、入力してもエラーになってしまう。 かなり不便してます。 まあ6年使っているパソコンなのでもう買い替え時なのかもしれませんが。

 1か月以上も予告なしにお休み状態だというのに、アクセス分析を見ますと、この拙ブログに通ってくださる方々がまだいらっしゃるということには驚きます。 あらためて、感謝申し上げます。
 ただまあ、とっくに愛想は尽かされていると思うのですが(ハハ…)。

 いずれにしても、ブログ自体をお休みするつもりはなく、まだまだ続けていく所存ではあります。
 長い目で見守っていただけると、ブロガーとしても助かります。 今後ともよろしくお願い申し上げます。

 追記 この記事のあと、ちょっと奮起して、入力エラーと戦いながら記事を連発しております(笑)。 つくづくいい加減なヤツですね、私も。

2014年11月19日 (水)

高倉健サンのこと

 おそらくこの人は、こういういなくなりかたをするんだろうな、という私の予想通りに、この世から去って行きました。 葬儀の類一切なし。 密葬が済んでもう肉体がこの世から消滅してから、その死が発表される。 我が国の役者のなかで最高ランクでありながら、けっして出しゃばることなく、飾ることなく、ひっそりと。

 そしてその死が公表され、私たちは騒いでいます。 でもこのニュースが大きく取り上げられるほど、私は胸の中にもやもやしたものがたまっていくような気がします。
 それは、騒げば騒ぐほど、自分たちが凡人である、ということを思い知っていく、というような気持ち。 自分たちの関心が、とても世俗的なものにまみれている、と自嘲したくなるような茫漠とした気持ち。

 「不器用ですから」 という言葉は独り歩きしてしまって、健サンを象徴するような言葉になってしまったけれど、これは自分の持てるすべてを、役者という仕事につぎ込んだ人でなければ出てこない言葉。 「不器用」 という言葉には、とても深い努力が潜んでいるんだ、と思う。
 すべての雑音を自分から遠ざけ、ただ役になりきることに集中する。 そして仕事が終わると、その存在を完全に世間から遮断してしまう。

 私などは軽々しく、その姿勢を 「ストイック」 と呼んでいたのですが(2012年9月9日付 「プロフェッショナル 仕事の流儀 高倉健スペシャル」 気さくな求道者→ http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2012/09/post-1948.html)、今思い返してみると、「全力で仕事をすること」 を自らに課していた、「全力への殉教者」 という気もしてくるのです。

 だからその出演作が公開されると毎回大きな話題を呼び、最後まで現役感を持続させることが出来た。 そして最後まで、みんなから慕われた。 健サンに傾倒する人たちすべてが、健サンを自分の心のよりどころとして頼ることが出来た、と思うのです。

 私もそのひとり。
 だから今は、なにを書いても自分の平凡さ、愚鈍さを痛感するしかない。
 頑張ってないもの。 健サンほどに。

 数多くの健サンの映画の中で私がいちばん好きなのは、「駅 STATION」 ですね。
 どこがよかったのか。 それは今は、ちょっと語りたい気分ではありません。
 だからこの映画が公開された当時、この映画の脚本の倉本聰サンが健サンについて書いたエッセイを、ここに再掲してみます。 無断掲載となってしまいますが、このエッセイって今、たぶん埋もれちゃってると思う。 もし問題があれば、お手数ですが当ブログにご連絡ください。 直ちに削除いたします。 「家庭画報」 1981年6月号からです。



 健サンのひとり言        倉本聰


 昨年健サンの大学の先輩に当たる俳優、山本麟一氏が死んだ。 山本氏は最後まで健サンのことを弟のように想い可愛がり、そして健サンも麟さんのことを先輩先輩と最後まで慕った。
 その麟さんが旭川で営んだ酒亭 「侍」 の店内の壁には若き日から今日までの健サンの写真も所狭しと貼り並べられている。 任侠シリーズの花田秀次郎からアサヒビールのコマーシャルポスターまで。
 それらの写真を見ていると、健サンの顔が年々歳々ぐいぐい変わっていることに気付く。
 良い顔になっている。
 どんどん深みを増している。
 役者の 「現役」(註:傍点付き)ということについて、僕はひとつの定義を決めている。
 「現役」 とは 「現在変わりつつある」、そういうことだと僕は信じている。
 名人上手といわれる人でも、変わらなくなったらおしまいである。 それはもう退役した、いわば晩年、余生に過ぎない。 しかしひとたび名声を克ち得たスターと呼ばれる人たちの中には、退役する人が多いのも事実である。
 仕事は続けている。
 だが実際は退役している。
 もはや自分を変革しようとせず、過去の名声をしっかり守るのみ。
 そういうスターが圧倒的に多い。
 だがそうでない人々もいる。
 過去の名声をこそ自らの敵とし、過去に克たんと懸命に闘う、いわば守備的人生でなく攻撃的人生を生きる人々である。
 口で言うのはたやすいが、これは現実には極めて苦しい。
 自らの過去を敵とするには、まず失敗を重ねなければならない。 失敗を恐れては何も出来ない。 大胆に過去をふっ切らねばならない。 過去の名声が大きければ大きい程、自分の敵は強大になる。 挑戦するには激しい勇気が要る。 変革よりは過去をなぞってぬくぬく生きた方が数段楽である。
 健サンはスーパースターである。
 にもかかわらず現役である。
 スターとしてではなく役者として己を常に変えようと闘っている。
 他人に言えない、頼れない闘い。
 その闘いが健サンの顔を、年々歳々変えて来ている。

 健サンにはまるで少年のような、可愛らしさと素朴さがある。
 健サンは実によく映画を観歩くが、批判は語らない、感動のみを語る。 それも言葉の多い人でないからいくつかの短い言葉にしかならない。 シナリオ風に書けばこうなる。
 「感じましたねぇえ」
   (長い間)
 「たまらないスねぇえ」
   (長い間)
 「参ったなァ」
   (長い間)
 「許せないスねぇ!」
   (長い間)
 「すいませんお嬢さん、コーヒーもういっぱいいただけますか?」
 そして僕らはコーヒーを飲み過ぎる。
 しかし。
 批判を語らず感動のみを語る、これは学ばねばといつもぼくは思う。
 世に創作家と批評家がいるなら健サンや僕は創作家の側である。 今や一億総批評家、他人の作品を批判し、くさすことがまるで自らを高めるかのように切って切って切りまくる御時勢のなかで、僕は創る側の人間である以上、批判するより感動すること、溺れることをこそ大切だと思う。 感動することから創意は生まれるが批判することから情熱は湧かない。
 健サンの短い感動の言葉は、僕の中に新たな相違を触発さす。

 今、僕らは東宝で映画を創っている。
 「駅(STATION)」 という作品である。
 一昨年の夏から去年の春まで、健サンのためにこのシナリオを書いた。
 北海道のいくつかの駅舎をメイン舞台にした三部作である。
 北海道では今鉄道が縮小され古い駅舎はどんどん消えている。 その消えてゆく古い駅舎に健サンを立たせてみたいと思った。
 高倉健には北海道が似合う。
 何処に売れるという当てもない、健サンだけが知る作業だった。 二月の半ばにやっと書き終え、そっと健サンに読んでもらった。
 健サンは読み終え、そして一言、
 「参ったなァあ」
 と言ってくれた。
 その一言が僕の去年の、もっともうれしい事件であった。    (了)



 自分に力がなくて、倉本聰サンのエッセイを載せるしか芸がない私でありますが、このエッセイの中に書かれていたことは、当時高校生だった私の心肝を染めたはずだったのに、私は今、創作家ではなくただの批評家になり下がっています。 このままドラマの感想ブログを続けていいものかな。
 あと気付いた。 どうして私が人の名前のあとに 「サン」 とカタカナ表記で敬称をつけるクセがついたのか(笑)。 倉本サンの影響だった(笑)。 ともかく。

 高倉健サン、さようなら。

2014年11月15日 (土)

「世田谷ナンバー」 、世田谷区民の私の見解

 来る11月17日から、車のプレートナンバーで 「世田谷」 があらたにご当地ナンバーとして発足するそうです。
 私は世田谷区民ですが、結論から先に申し上げますと、「イラン子と砂」、あ、いや変換間違えた、「要らんことすな」(笑)。 今までの品川ナンバーでええやん(なんで関西弁なのだ)。

 まあ、ほかの地域の人にはどーでもいい話ですけどね。

 だいたい自分、世田谷に住んどいてナンですけど、「世田谷」 なんて、田んぼに谷の世の中、じゃないですか(笑)。 確かに世田谷は等々力渓谷とか谷はあるし、昔はそりゃ田んぼだらけでしたよ。 今も畑多いし(激減はしてますけどね)。 そもそもここは田舎ですっていう由来の地名だと思うんですよ(笑)。

 最近越してきた人は世田谷と言えばブランド力があるとお考えになるのかもしれませんが、もう半世紀近く住んでる私としては、「世田谷なんか田舎だよ」 という意識が強うございましてね。
 そのコンプレックスを払拭してくれてたのが、「品川」 ナンバー。

 だいたい字面から言っても、「品川」 って、すごくすっきりしてるじゃないですか。 なんか記号的なオブジェにすら思える。
 それに比べて、「世田谷」 ったら、三文字で、プレートナンバーにすると、どうにもせわしない。 美しくないんですよ。 しかも田んぼに谷の世だし(そこにこだわるねどうも)。

 こういう重要なことをね、区民(少なくとも私)がまったく知らされないまま決まっちゃって、それが強制だというのだから頭にくるんですよ。 反対のいちばんの原因はそこかな。

 これを勝手に決めやがった連中は、どこでアンケートを取ったのか 「賛成派が多数を占める」 だとかね。 そりゃ賛成派の人たちばかりに訊きゃ多数でしょうよ。 大手企業にだけアンケートを取りゃ、そりゃボーナス上がってるでしょうよ。 ボーナスがそもそももとから出てるでしょうよ。 ってなんの話だ、とお思いでしょうが、構造が一緒なんですよ。

 そしてとくに変える必要がないのに、それを法律で変えて強制してしまう。 これも、今回の国会解散の話とまるで一緒じゃないですか。 解散なんか、する必要ないでしょうに。 もともと景気が悪きゃ消費税10%は先送りしますよって話なのに。 なんとかこれで自分たちの心証をよくしてもっと勢力を拡大しようって腹がスケスケなんだよ。 その前にやることあるだろ。 定数是正しなきゃ憲法違反レベルだ、っていう最高裁の判断が出そうだってのに、その憲法違反をあえてまたここでやろうとするアホさ加減。 すべては自分たちの保身でしかない。 テメーラの食いぶちが減ったらコトだから定数是正なんか、次の国会に先送り。 いや、永遠に先送り。 やる気ないんだもん、アイツラ。 だいたいこないだ内閣改造したばかりじゃん。 スゲー無駄なことしてませんかね。

 なんの話だ、とお思いでしょうが、構造がまったく一緒なんですよ。 ウンザリしますね。 こういう 「上から目線の大きなお世話の押し付け」。

 はっきり言えば、私ももともと生まれだけは福島ですし、根っからの世田谷区民というわけじゃない。 親が両方福島ですしね。 だから、「世田谷よりは品川」 なんていうのは、田舎モンの発想だってことは、分かってるつもりですよ。 こないだ所ジョージさんもラジオで世田谷ナンバーに文句言ってたけど、所サンにしたってもともと所沢の 「所」 ですから(笑)。 田舎モンの見栄みたいなもんですよ、要するに。 勝手なのも承知してるし、矛盾してるのも承知してます。

 でもこういうことを勝手に決めちゃって、そして強制っていうのは、あまりに乱暴じゃないですかね? すごく政治的な匂いがするのが、とてもイヤ。 これじゃ新車買えないじゃん(笑)。 目黒とか品川に引越せばいいって? いやいや、もう半世紀住んでますもんね。

2014年11月 9日 (日)

近況報告(ちょっと、武者修行に行ってまいりました…笑)

 10月19日以来、新しい記事をアップ出来ておりません。 私の書く記事に期待している、という奇特な(失礼)かたがもしいらっしゃるのだ、とすれば、大変申し訳ないことであります。 もしいらっしゃれば、の話ですが(ハハ…)。

 そういったかたたちに向けて、今回は弁明の報告をさせていただきたく存じます。

 最近しばしば打ち明けておりましたが、一昨年の入退院以来、体力的にかなり落ちた感じで、しかもそれと同時に、仕事のほうがかなり忙しくなっております。 ここで詳細を語るのは本意ではありませんのでこれ以上くどくどは申しません。 当然、ブログの更新頻度は低下いたしました。

 ただここ数週、あらたな記事は書いてはいるんですよ。 しかしアップまで至らない。 自分に高いハードルを設け過ぎなのかな、とも思うのですが、もともと大した文章書く人間じゃないし(笑)。 そうなると不思議なもので、気楽にアップ出来なくなってくる。 なんとなくスランプ状態に陥っている感じでしょうか。 スランプなんて、ご大層なものじゃないですが(笑)。 なにを大物ぶっとるんだ。 気楽に自分の書きたいものをアップすりゃええじゃないの。

 そこでちょっと気分転換も兼ねて、先週は武者修行に行ってまいりました。 Macca Go Go Goという、ポール・マッカートニーファンの集うサイトであります。 「橋本リウ」 名義で、かなり長いコメントを投稿し続けました。
 当ブログにおいても、「ビートルズ」 というカテゴリはあるのですが、いかんせんアップの頻度が少なくて固定的な読者がいない感触がする。 そこにいくとマッカ様のサイトはコメント欄がとても充実していて、コメンテイターどうしで意見のやり合いをしたり、とても刺激的なんですよ(もし私のコメントを読みたいかたは、Maccaと橋本リウでご検索下さいまし)。

 そちらのサイトの管理人様は、コメント返信もかなり淡白です。 でも、淡白だからと言って、これ以上コメントしてもしょうがないし、という気分に不思議とならない。 それはやはり、コメントする側がポールの音楽についてもっと深く論じあいたい場を求めているからなのでしょうが、そういう人たちを受け止める度量というものが、管理人様に備わっているのだ、と感じるのです。

 当ブログでは、もともと不文律の取り決めとして、「コメントしたかたには、できるだけそのコメントと同程度の長さで返信しよう」、という方針でやってまいりました。
 そしてそれが思わず、当ブログのひとつの長所となった気がします。 拙い記事本文よりも、コメント欄のほうがよほど充実している、という現象です。 私もいただくコメントで触発を受け、本文で書く以上のことをよほど返信で書いてきた、そんな気もする。

 ですのでこの方針は変えないつもりでやっていこうと存じますが、ちょっとキツイときは、淡白な返信でも構いませんでしょうかね? なんて訊いて、反応がなかったらそれこそマヌケですが(この質問に対する反応がないみたいなので、見事にマヌケです…笑)。

 ところでアップ出来ない記事の報告ですが、今のところ 「マッサン」 のレビューをかなり苦心して続けております。 アップできないと月-土で展開するドラマだから、記事の内容自体がどんどん古びていって、なんか収拾がつかない状態になっています。 うまくいけば本日(11月9日)じゅうには上げたいのですが、2、3日がタイムリミットなのではないか、と感じております。

 あとは、「山賊の娘ローニャ」 ですね。 これも書きかけで止まったまま。

 ろくすっぽ記事も出せないのに今後書きたい、と感じているのは、「昨夜のカレー、明日のパン」 かな。 第2回を予約録画の関係で見逃してしまったので、最終回を見てから全体的な印象を書くしかないかな、と感じております。

 それとこれもNHKBSドラマになってしまって地上波しか見られないかたには申し訳ないのですが、「ダブルトーン~2人のユミ」 という30分ドラマについても、なんか書きたい気がする。 これ、結構面白いです。

 「ごめんね青春!」 は、なんか今夜(11月9日)放送の第5回、15分拡大版をぜひ見てくれ、というクドカンサンの話なので、「昨夜のカレー…」 をDRモードにしてダブル録画です(笑)。 両方同じモードで予約録画してるから、こないだの日本シリーズで延長のとき途中で予約がブッタ切られて、しまいの20分かそこら見れなかったんだよな~(笑)。 次の回見たら、なんか平田満サンと風間杜夫サンが共演してた(笑)。 ナビゲイターの観音菩薩の言うとおり(笑)、まあだいたい流れは予想できたけど(笑)。

 そんな感じで~す。 軽いねどうも…(笑)。

2014年4月 5日 (土)

蟹江敬三サン、さようなら

 誰かが亡くなると、ウィキペディアを見てその人の出演作などをチェックするのが常なんですが、この人の場合ウィキも結構完全ではないことを実感します。 なんか、こんなもんじゃないだろう、というか。
 で、自分のブログをチェックしてみたんですが、「官僚たちの夏」 の第1回に出ていますね。 ウィキに載ってない。
 それどころか、この人は絶えず、どこかのドラマで目にしていたような感覚がある。 ポルノ男優もやってたし初期のころは悪役を多数こなしていた人だったせいか、なんかこう、ドラマに出てくると、どこかでギラギラしていて、物語に取り入ってやろうという貪欲さみたいなものを感じていました。 だからこの人が出ていると、なんとなくその存在が、気になる。

 その、「出ているとなんとなく気になる」、という端役の見本みたいな役者さんが、近年一気に存在感を増してきたように思えたのは、「ガイアの夜明け」 のナレーションやったときからなのかな。 「この人のナレーション結構いけるじゃん」、と思った覚えがあります。 まあ 「ガイアの夜明け」 はそんなに見ていたほうではなかったので、その存在感を決定づけたのは、個人的には 「龍馬伝」(2010年)ということになる。

 「龍馬伝」 では龍馬とダブル主役級だった、岩崎弥太郎。 その父親をこの人が演じていたんですが、弥太郎役の香川照之サンのあまりにも、あまりにもな演技(なんだソレ)に対抗しようとしたせいか、ここでのこの人は、私が見たなかではいちばんエキセントリックだった。
 なにしろ初回からどんだけ埃をかぶっていたんだというくらいの汚さで(笑)、息子と一緒に鳥かご売りをしていたんだけどそんな汚ねェ鳥かご誰が買うんだというくらい汚くて(笑)、しかも飲んだくれで博打打ちで、弥太郎のなけなしのヘソクリをあざとく見つけてぜーんぶ遣っちゃうし(弥太郎のだったかな、オフクロサンのだったかな)。
 弥太郎はついにブチ切れて(既に出だしからキレてたけど…笑)オヤジ殿を追い詰めると、オヤジはたまらず、「プゥ~~~っ」 と…(笑)。 そのときの、なんとも言えない弥太郎の絶望感。 すごいなァ…と思いました、つくづく。 ここまで掃き溜めに徹するか、みたいな。

 でもいちおうフォローしとくと(笑)弥太郎に対して愛情が人一倍あったんですけどね。 そっちの演技もかなりエキセントリックが入ってた。

 その弥太郎の父親役のインパクトが醒めやらぬなか、去年(2013年)の 「あまちゃん」 では夏ばっぱのダンナ、つまり天野アキのじっちゃん役で登場。 遺影が仏壇に飾られていたのでてっきりアキが(春子もだったかな)死んだものだとばかり思っていたら、いきなり帰ってきて(笑)。 「海の男だからいったん漁に出たら死んだものだと思っている」、と平然と語る夏ばっぱ(笑)。 最初の数日だけラブラブで、数日たつと盛大なケンカが始まる、という 「おもろい夫婦」 でした。 アキにもなんか含蓄のあることを言った気がするけれど、忘れた(笑)。

 とにかくこの近年の大河と朝ドラの印象的な役で、ますますこの人の脇役としての重要度が増してきたな、存在感がすごくなってきたな、と思っていたのに。

 蟹江敬三サン、楽しませていただきました。 お疲れさまでした。

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BOOKS

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 下
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ紹介記事より抜粋)。 本書下巻では、1962年のレコードデビューまでが書かれています。

  • マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上

    マーク・ルイソン: ザ・ビートルズ史 上
     1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。  本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである(当ブログ記事より抜粋)。 この上巻ではビートルズの祖先から遡ってリバプールで人気に火が付き始めたところまでが書いてあります。

  • ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白

    ポール・デュ・ノイヤー: ポール・マッカートニー 告白
    まず驚かされるのが、表紙のポールの写真です。 よくこんなのが採用されたな、というくらい、刻まれた年輪が顕著に分かる 「年老いたポール」。 飾り気のないその写真に、「素のポール」 をあぶり出そう、という心意気が見える。 そして実際、著者のその目論見は、成功しているように思えます。 何より大きいのは、「NME」「Q」「MOJO」 など音楽メディアで長年記者を務めてきた著者がポールと同じリバプールの出身者である、ということ。 さらにポールと同じファースト・ネームであること。 だからポールはまるで自分の分身に話しかけるかのように、時折同郷人にしか分からない言葉で気さくに著者に話しかける。 この本を読む者は、まずその 「不思議なリラックス感」 に包まれるはずです。  本の構成は大きく二つに分かれます。 前半ではビートルズからウィングス、ソロに至るポールのたどってきた長い長い歴史、後半ではポールの人格に迫る試みがなされていく。 そのインタビューは、一気に行なわれたものではありません。 著者がNMEの記者だった1979年のものから、明示はされていないがおそらく2013年、「NEW」 の発売前後が最新のものではないか、と思われます。 実際読んだ感覚では 「キス・オン・ザ・ボトム」 あたりが最新のような気もする。 その30年以上にわたる膨大なポールへのインタビューを、項目によって構成し直しているようです。 ですから、今年(2016年)亡くなったジョージ・マーティンについてのポールの見解であるとか、最新の情報が提示されているわけではない。 ポールの情報というのはこの歳になってもなお日々更新型ですから、その点については物足りなさが確実にあります。 さらに、30年以上というとポールのものの考え方にも変化変遷があってしかるべきだと思うのですが、30年以上をリミックスにかけているからその変化というものがつかめてこないもどかしさがある。 表紙を飾ったポールの 「老い」 という問題にも、この本はきちんと答えてくれているわけではない。 さらに言えば、ジョン・レノンの死について多くが割かれているのとは対照的に、2001年に亡くなったジョージ・ハリソンの死についての記述はない。 正直なところ、このような本を読み漁ってきた身としては、衝撃に値するような情報が書かれているわけではありません。 しかし前述したような、リラックスしたムードのなかでポールと語らっているような疑似体験を共有できる強みが、この本にはある。 この本全体に貫かれているのが、この心地よさなのだ、と思うのです。 その心地よさが乱れるパートがあります。 自身の失敗作、どうでもいい作品について語るときのポールは多分に感情的になりがちであり、イライラした様子を隠しません。 特に 「シークレット・フレンド」 を語るポールのくだりはポールファンなら一読に値する部分でしょう。 しかしそのイライラも、ポールの人間性が垣間見える瞬間としてこの本にとっては必要なパートなのです。 3000円以上と、この本は決して安くはない部類の本です。 ただその値段に見合うパフォーマンスは兼ね備えています。 この本と付き合った1か月足らずの間、心地よい体験をすることができました(アマゾンの自身のカスタマーレビューより)。

  • : レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]

    レコード・コレクターズ 2011年 07月号 [雑誌]
    全200ページ程度のボリュームのなかで、キャンディーズに関する特集記事は50ページ。 ただし、これが濃い。 全シングル曲、ほぼほとんどのアルバムの解説は当然として、彼女たちの芸能界における歴史から見た考察、コメディエンヌとしての彼女たち、DVD解説など多岐にわたり、キャンディーズが分析されています。 特に圧巻は、レア音源に関する記述。 ここまで調べている読み物には、個人的にはお目にかかったことはありません。 700円。

MUSIC

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(スーパー・デラックス・エディション)(4CD+DVD+BD)
    ロック界、いや、すべてのポップミュージックにおけるアルバムの中で史上最高と称され、すでに世界文化遺産の域にまで達しているこのアルバム。 そのアルバムの発売50周年を記念して、スペシャルエディションがリリースされます。 なかでもブッ飛ぶのがこのスーパースペシャルボックスセット。 CD4枚組であらたなリミックスのステレオ盤1枚、モノ盤1枚、初期テイク集が2枚、さらにブルーレイ1枚とDVD1枚で5.1サラウンド、ハイレゾ音源、ドキュメント映像 「メイキングオブサージェントペパーズ」 のデジタルリマスター等々、卒倒するようなラインナップです。 18、000円プラス税と値は張りますが、史上最高の名盤だからこそこれは買い。 5月26日の発売までに予約をしておけば、アマゾンならば値下がりした時に値段がそのあと高騰しても最安値で購入できます。 ビーファンならずとも、これは注目ですぞ!

  • 山口 百恵 -

    山口 百恵: ゴールデン☆アイドル 山口百恵(完全生産限定盤)
    全シングルA・B面プラスボーナストラック(「あなたへの子守歌」)を、山口百恵名義としては初のブルースペックCDとしてリリース。 音はいわゆるドンシャリ系ではなく、アナログ盤に準拠した原音に忠実な印象です。 パッケージングはアナログシングル盤サイズで中袋、CDを納めるケースが完全にドーナツ盤をイメージしています(よく言えば斬新…笑、悪く言えばチャッチイ…笑)。 しかしその発想は買える(笑)。 ほぼ原寸大のシングルジャケットと裏の歌詞カードの複製ブックレット。 ただスキャニングは欲を言えばもう一歩。 当時シングル盤を中心に聴いていたかたなら、この編集盤はかなりの 「買い」 です。 しかしこのジャケット表紙の写真、スッピン風で個人的にはすごく好き。

  • デイヴ・グルーシン&リー・リトナー -

    デイヴ・グルーシン&リー・リトナー: Two Worlds / Grusin & Ritenour
    NHK朝ドラ 「花子とアン」 で美人のスコット先生が夜な夜な歌い、チビはなチャンがすっかり覚えてしまったイギリス民謡、「ザ・ウォーター・イズ・ワイド(流れは広く)」。 このアルバムでルネ・フレミングが歌っていたのを思い出しました。 ルネのソプラノはけっして大袈裟でなく上品で、私のとてもお気に入りのソプラノ歌手ですね。 このアルバム自体は全体的にクラシックにギターのリー・リトナーが絡むフュージョンぽいものなのですが、故・黒田恭一サン評するところの、「大人が聴く音楽」。 胸を締め付けるような哀しみと、すべてを包み込むようないたわりに満ちていて、私の人生のなかでも最上位に位置する愛聴盤です。

  • 桜田淳子 -

    桜田淳子: ゴールデン☆ベスト 桜田淳子~シングル・コレクション
    彼女の活動期に発売されたシングルをすべて網羅したベスト盤。 確かに後年のものほど馴染みがありませんが、選曲漏れがないので、彼女の存在とは何だったのか自体に思いが至るベスト盤です。 音も楽器の音像がよくてなかなかいいマスタリングをしている気がします。 2600円程度で推移しています。

  • ザ・ビートルズ -

    ザ・ビートルズ: ザ・ビートルズBOX(限定生産品)(USBメモリ)
    パソコンにUSB端子があり(たいていついてると思います)、パソコンで音楽が聴ける環境をお持ちの人ならば、聴くことができます。 現在のテクノロジーで最もいい音質で聴ける、ビートルズの音楽です。 ただし国内版にもかかわらず、訳詞とか一切なし。 ジャケットもブックレットもパソコンデータ。 純粋に音楽だけ楽しみたい人向けです。 また、曲間にコンマ何秒かのブランクが入ります。 「アビイ・ロード」 のメドレーも同様です。 しかし、音はさすがに、すごい。 大きな音量であればある程、目の前にビートルズが迫ってくる勢いです。 ツヤが違います。

  • The Beatles -

    The Beatles: The Beatles [USB]
    こちら上記の海外版。 内容的には国内版とほぼ一緒なので、値段が安いこちらのほうがいいでしょう。

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