芸能・アイドル

2012年6月28日 (木)

ザ・ピーナッツの伊藤エミさん死去

【スポーツニッポン6月27日】 「恋のバカンス」「恋のフーガ」などのヒット曲で知られ、1960~70年代に一世を風びした双子姉妹「ザ・ピーナッツ」の姉、伊藤エミ(いとう・えみ、本名澤田日出代=さわだ・ひでよ)さんが15日、東京都内で死去した。 71歳。 愛知県常滑市出身。 死因など詳細は非公表。 葬儀・告別式は近親者で済ませた。 引退した75年以降は、公の場に姿を見せることはなかった。

 私の世代(1965年生まれっス)にとっては、ほとんど引退直前の記憶しかないザ・ピーナッツですが、彼女たちの歌には、後追いでハマっていた時期があり、今回の訃報には大変ショックです。

 私が子供時代ザ・ピーナッツについて持っていた印象は、「一昔前のオバサン」。
 「シャボン玉ホリデー」 での姿も数度見たことがある気がいたしますが、当時はクレイジーキャッツも、「一昔前のコメディアン」。
 実は同じ渡辺プロの後輩で、私がトチ狂っていたキャンディーズなどは、ザ・ピーナッツの正統な後継者という位置づけだった。 にもかかわらず、私は彼女たちにそんな 「古臭い」 印象を持っていたのです。
 同じように、私が当時夢中になって見ていたドリフターズも、言ってみればクレイジーキャッツから派生した、正統な後継者。

 つまり私は、ザ・ピーナッツもクレイジーキャッツも、大人になるまでそのすごさを実感できなかったのです。

 学術的に(?)当時の彼女、彼らのすごさを学んでいくうちに(テレビの懐古的な証言番組とか、よくありましたからね)、特に昭和30年代の歌に、とても衝撃を受けるわけです。

 クレイジーキャッツには、「金がなくてもそのうち何とかなるだろう」 という 「思想」 とか(笑)、「ホンダラダッタホーイホイ」 だけで成立してしまう曲には、かなりショックを受けました(笑)。
 なにしろ当時の私は、なんでも物事を深刻に考えてしまうタイプ。
 植木等サンのノーテンキぶりには、人生観を変えられました(ちょっと大げさが入ってます…笑)。

 ザ・ピーナッツの、とくに初期の曲には、さらにハマりました。
 古臭いのですが、それがスタイルとしてきちんと成立しているがゆえに、有無を言わさず聞かせてしまう 「風格」 というものが、彼女たちの歌にはあるのです。

 私がガキンチョ当時、双子デュオに対して持っていたイメージは、「こまどり姉妹」(笑)。
 リリーズもそうだったっけな~。
 そこからくるイメージは、「なんとなくダサい」。
 双子なんだから、上手にハモれるのは当たり前だろう、というクソ生意気な論理です(笑)。

 けれども彼女たちのデュオには、「同じ声でなければできないこと」 というチャレンジ精神が、常に見え隠れする。
 ユニゾンの時に見せる表情は、私が大ファンであるビートルズの、「ダブルトラッキング」 を連想させるのです。 ダブル・トラック・レコーディングというのは、1回録音したものの上に、同じ音程で歌を重ねること。 そうすることで、ヴォーカルにツヤが生まれ、引き立って聞こえるようになるのです。
 この 「新しい」 感覚は、リリーズにはないかな~(笑)。

 そしてザ・ピーナッツは、初期の歌ほど、さまざまな音楽のごった煮的な、コラボ感覚、フュージョン感覚がついてまわる。

 元々基本的な土台にポップスがあり、そこから派生的に、ジャズでもムード歌謡でも、カンツォーネでも民謡でも音頭でも、果ては東南アジア系の土人音楽(土人って、どうも差別用語みたいですが、私にとっては結構スタイリッシュなイメージですので御諒解のほどを)まで、なんでもこなす。
 音頭なんてものは、たぶん昭和30年代でも、じゅうぶんダサかったと考えられます。
 でも彼女たちは、ポップスの味付けでもって、それを若者に聴かせるような 「新しい音楽」 として、昇華させていった(まあ宮川泰サンとか、スタッフの功績が大きいですが)。

 ところがそれが、私が物心ついた時分(1970年(昭和45年)から1975年(昭和50年)あたりか)から、どことなく 「時代におもねっている」 ような感覚になってくる。
 時代を牽引するような勢い、自信に満ちていたものが、時代を追いかけているような感覚に変化していく(これは私だけの感覚かもしれません)。

 結果、私がガキンチョの頃に考えていたような、「ザ・ピーナッツは古臭い」 という範疇に、収まってしまったのではないでしょうか。

 ただ、彼女たちが引退した昭和50年を逆算してみたのですが、この時点で彼女たちは、34歳です。

 34って言うと、今じゃ出産も当たり前の若い年代ですが、当時としては、失礼ながらやっぱりかなりオバサンの部類に入る(まあ、小学校のガキにしてみりゃ、まわりはみ~んなオバサンみたいなものですが)。

 「大阪の女」 などは、これがあの最先端を行っていたポップス歌手が歌う曲か、と思われるほどの演歌調。
 「指輪のあとに」 とか、「さよならは突然に」 とか、なんかヤケに歌謡曲歌謡曲してしまっている。 「チャレンジ精神」 が彼女たちの歌を魅力的にしていたのに、なんか安全牌を選んでいるような印象。
 「浮気なあいつ」 も、確か当時すでにブレイクしていたキャンディーズの後塵を拝するような形の歌で。 「内気なあいつ」 の二番煎じか?みたいな(笑)。

 でも、ここまで書いといて、みんな好きなんですけどね(ハハ…)。

 ただやっぱり、「すごみ」 を感じるのは、昭和44年くらいまでの曲かな~。 曲自体が、巨大な実験場、という感覚があるのは、やはりその時代まで。

 ザ・ピーナッツと言えば、今どきの私より若い世代(私の世代も入るかな…私が古い曲を単に知ってるだけですから)「恋のバカンス」 とか 「恋のフーガ」、そしてオチャラケた向きには 「モスラの歌」 という曲くらいしか思い浮かばないのでありましょうが、「ウナセラディ東京」 とか 「可愛い花」(デビュー曲)、「キサス・キサス」 などは、「大人が聴くための歌謡曲」、という挑戦的な感じがするし、「南京豆売り」「今池音頭」 などは、美空ひばりサンの 「お祭りマンボ」「車屋さん」 に共通した、ミックスカルチャー的、ミスマッチ的な魅力にあふれています。

 言わば、J-POPのもっとも源流に存在している双子デュオ、と呼べるでしょうね。
 もっと再認識がされるべきです。

 謹んで、伊藤エミさんの、ご冥福をお祈り申し上げます。

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2011年9月 7日 (水)

「ザ・ヒットメーカー~アイドル伝説 作詞家 千家和也」 ここではないどこか

 NHKBSプレミアムで放送された、「ザ・ヒットメーカー」。 千家和也サンが取り上げられました。 案内役は渡邊あゆみサン、ゲストコメンテーターに鳥越俊太郎サン。 千家サンもスタジオに招かれました。

 私にとって千家サンは、なんと言っても山口百恵チャンの歌手活動前期の作詞家サン。 その話はのちほどじっくりとすることにいたします。

 最近のJ-POPからは失われつつある叙情性ですが、千家サンの作る歌詞は、その対極にあると言っていい。 番組では麻丘めぐみサンが 「私小説」 と表現されていましたが、まさしく千家サンの作るヒット曲の歌詞の特徴を言い得ている気がいたしました。

 その 「私小説」 の源流に位置していると思われるのが、千家サンが作詞家を志したきっかけとなった曲、菅原洋一サンの 「今日でお別れ」。
 この曲の作詞をしているなかにし礼サンに果敢に自分の詞を持ちこみ、千家サンはデビューを果たしたと言います。

 この 「今日でお別れ」 の歌詞で千家サンが心を打たれたのが、特に2番の歌詞だったらしい。
 「最後の煙草に火をつけましょう 曲ったネクタイ直させてね」。
 感情だけを歌っている1番に比べて、別れの情景が目に浮かんでくる構造です。

 千家サンの作る歌詞にも、なかにしサンの 「情景写実」 の手法は色濃く影響がなされている。

 たとえば奥村チヨサンの 「終着駅」。
 千家サンの作詞方法は曲が先というパターンらしいのですが、はじめ浜圭介サンの作った傑作メロディを聞いたとき、千家サンは終着駅を歩いていく女の肩に、落ち葉が舞い散るという情景を連想したそうです。

 この曲は当時の歌謡曲が到達した最も深遠なる傑作だと私は考えているのですが、曲もすごければ歌詞もすごい。
 「落ち葉の舞い散る停車場は悲しい女の吹きだまり だから今日もひとり 明日もひとり 涙を捨てに来る」 という歌詞は、実は歌い手本人の心情を歌っているものではありません。
 この歌の主人公は、とても客観的にこの場面を俯瞰している。
 けれどもリフレインの歌詞で、一気にそれは自ら内省的な後悔の内容を帯びてくる。

 「一度離したら 二度とつかめない 愛という名の温かい心の鍵は」

 これも一般論を歌っているようでいながら、愛を 「温かい心の鍵」 と表現することで一転、かろうじて歌い手の心の寒さを描写するのです。 ここだけなんですよ、この歌のなかで歌い手の心が描写されているのは。
 けれどもこのワンフレーズだけで、歌詞全体が自分のことを歌っている、という別ステージへと、この歌は転回するのです。 「よく似た悲しい女」 というのは、実は自分なのだ、というような。

 今回の番組を見ていて私が感じたのは、いま述べたような、千家サンの作る歌詞が持つ 「別ステージへの跳躍」、という特徴でした。

 「終着駅」 をはじめとして、千家サンの作る歌詞には、「駅」 とか 「バス停」 とかが頻出する気がする(まあ全体の割合から見ればさほどではないですが)。
 麻生よう子サンの 「逃避行」、平浩二サンの 「バス・ストップ」。
 百恵チャンの 「ささやかな欲望」 も、バスに乗って去っていく女性が主人公です。

 それは作り手つまり千家サンが、「ここではないどこか」 に辿り着きたがっている象徴のような気がする。
 麻丘めぐみサンの 「私の彼は左きき」 という歌も、キャンディーズの 「年下の男の子」 も、既存のカレシのイメージから逸脱しようという気概が見られます。
 番組内で鳥越俊太郎サンが千家サンに 「どうしてそういう思いもつかないイメージチェンジに到達したのか、いきさつを知りたい」 という内容の疑問をぶつけ、千家サンも 「書けてしまったんだから」 と言い澱んでいたときに、案内役の渡邊あゆみサンがいみじくもその本質をずばりと解明されていました。
 「どれも今までにはないパターンだった」 と。

 ここらへんのやりとりは、テレビ番組の刺激的な部分を堪能したのですが、とにかく左利きというのも社会的にはマイノリティだし(かく言う私も左利きですが)、「年下の男の子」 も、当時としては女性は年上と付き合うもの、みたいな縛りが結構あった気がします。 「姉さん女房」 なんて、ちょっと侮蔑が入り混じっていた印象がある。 千家サンの発想は、その逆を行っている。

 まあ 「みんなが考えないようなところを考える」 のがこういうお仕事だとは思うんですが(笑)、そんな部分を究極まで押し広げたのが、千家サンにとっての 「山口百恵」 という実験場だった気がするのです。

 千家サンが百恵チャンと最初に出会ったのは、デビュー前。

 「『こういう子がいるから見てくれ』 って言うんで。
 僕は基本的に相手のかたとは会って、この子はどういう子か、あるいはどういう人なのかを見てからでないと書かないんですよ。
 でそのときに行きましたらば、スタジオの隅に、セーラー服着て、カバン持った女の子が、ちょこんと座ってたんですよね。
 山口百恵さんも僕のこと知らないし、僕も知りませんから、『あ、これは関係者のお子さんかなんかがスタジオ見学かなんかで待ってるんだろうな』 って思った。
 そしたら、約束の時間遅れて、プロダクションとか、製作者の人たちがバタバタと入ってきて、『千家さんゴメンナサイゴメンナサイ、遅れました、あ、この子なんです、いい子でしょう』 って言うから、お互いに、『あ、どうも』。
 それまでずっと10何分間いたわけですけど」

 そんなオーラも全くなさそうな女の子を、千家サンは 「とってもいい子」 だと感じ、そのイメージのまま、デビュー曲の 「としごろ」 は作られたそうです。

 「ですからデビュー曲というのは彼女そのものを書いた歌だったんです」。

 「としごろ」 はその後の百恵チャンの路線を考えるとまったく別物の、恋に恋する純粋な、はち切れそうな若さ爆発、といった趣の曲なんですが、実際レコードジャケットの彼女も、顔がパンパンで(爆)。
 ただ今回、ずいぶん久しぶりに、あらためてこのシングルのジャケット写真を見たのですが、彼女が右手を添えているのが、ミニスカートから見えるむき出しの膝小僧なんですよ。 今まであんまり注目したことがなかったけど。
 つまりただ健康的、じゃなくって、健康的なお色気、を目指していた次回作以降の路線変更の萌芽を、ちょっと感じたんです(ツマラン分析だ)。

 ともあれこの曲はその後の、その路線変更により、彼女にとって極めて特殊な曲になった気がしています。
 基本的に山口百恵という人は、マイナー(短調)の曲を歌う人、というイメージが強いのですが、このデビュー曲 「としごろ」 はメジャー(長調)。 その後メジャーの明るい曲調の曲が彼女のシングルとして登場するのは、「夢先案内人」 を待たねばなりません。 つまりデビューの次から2年もの間マイナーのシングル曲を、我々は聞かされ続けていたわけです。

 「(「としごろ」)これは曲が先だったと思いますね。
 僕のなかで初恋の女の子がいて、その子が描く世界はこんなんじゃないかと思って、書いたものを山口百恵サンと合わせてみた」

 そんなデビュー曲は、正直なところまったく売れず。
 私は 「スター誕生」 を見てましたので、彼女がデビュー時ミニスカートで客席からこの曲を歌うところも見ていました。 その後も頻繁にデビュー曲を歌う場面を見ていた記憶があります。
 だからあんまりこの曲が売れなかった、という印象がない。

 けれどもチャート的には伸びなかったらしいので、レコード会社側としては2曲目で早くも路線変更。
 「青い果実」 です。

 番組ではお決まりのスポニチ映像が登場しました。
 そこに出てくる百恵チャン。
 千家サンの言っていたと思われる?セーラー服姿で、笑顔を振りまいています。

 今回この映像を見ていたら、な~んか誰かに似てるなあ、と思われてなりませんでした。
 誰かと思ったら、笑い顔が武井咲(えみ)チャンによく似てる。 咲チャン来年の大河ドラマにお出になるらしいですけど。
 それはさておき、この曲の歌詞をあらためて番組では検証していきます。

 「あなたが望むなら私何をされてもいいわ いけない娘だと噂されてもいい」

 鳥越サンは 「今だって、自分の娘がこんなこと言ったらバカヤローって言いますよ」 と反応していましたが(笑)、正直この曲は我々の世代にとっては、百恵チャンの最初のヒット曲、というアイコンでイメージが固定化していて当たり前みたいに感じていたのですが、ここでこうしてあらためて詞だけを吟味すると、「今のJ-POPでもここまであからさまなことは歌わないんじゃないか」 という気さえします。 まるで娼婦宣言みたいにも聞こえる。

 ここで渡邊あゆみサンが百恵チャンの引退前の著書 「蒼い時」 を朗読、この曲を始めてもらったときの百恵チャン自身の衝撃をあらためて紹介していましたが、この曲をあらためて考察すると、詞のドロドロさとは逆に、全体的に曲調がとても明るいことに気付きます。
 この曲が出来たいきさつを、千家サンは番組でこう語っていました。

 「あの当時中3トリオっていうのがいて、桜田淳子さん、可愛いですよね、で、歌の上手な森昌子さんがいて、でもうひとり、歌はそんなに上手でもないし、…百恵さんもしかして聞いてたら怒るだろうけど、可愛さも比べたらちょっと劣ってしまう女の子がいて、なおかつ 『としごろ』 は、その当時ヒットしなかったんですよね。 で悔しいわけですよ。

 これ(「青い果実」)も曲先なんですけどもね、曲聴いたら明るいんですよコレ。

 あの、ロシアのコサックみたいなもんです、ターンタ・ターンタ・タタタタタッ、タタタ・タタタ・タタタタタタタ、ヘイ!(笑)なんて、そういうメロディなんですよね。
 だから、その、都倉(俊一)さんのピアノ終わって譜面見てたら、こういう詞が、それこそ万年筆から出てきちゃったんですよ。 だから意図してどうだとか、この歳の女の子にこういう歌を歌わしていいかどうかっていうの、まったく考えてませんでした」

 この曲がロシア民謡みたいだという千家サンの視点は今回目からウロコだったんですが(なるほどそうだよなー)、曲の明るさに引きずられて、センセーショナルな歌詞がポンと出てしまった、という調子良さみたいなものが、この曲のイメージをいやらしいものから救っている。
 これは 「ひと夏の経験」 の 「あなたに女の子のいちばん大切なものをあげるわ」 という衝撃的な歌詞にしても同じ。
 これを歌っている百恵チャンを番組では、よく見かける紅白歌合戦バージョンであらためて流していましたが、そこでの百恵チャンは、まずこのAパートではシリアスな顔をしながら歌い、「愛する人に捧げるため守ってきたのよ」 というBパートでは一転して微笑みながら歌う。 そしてサビの 「誰でも一度だけ経験するのよ」 の部分ではその微笑みの度合いを潜ませながらも、振付を加えてくる。
 この3段階の演出効果、というものを百恵チャン自身が考案したのかどうかは分からないのですが、こうすることで歌詞の内容についての下卑た批評を封じ込める効果が得られている気がするのです。

 鳥越サンはこのVTRを見て 「ベタベタ歌ってなくて、わりと正統派に、普通にきちっと歌っている。 だからあんまりいやらしく聞こえてこない」 と評し、千家サンは 「明るく歌えるんだよね。 これを思いを込めて歌われたら困りますよね」 と感想を述べている。

 そして番組で取り上げた百恵チャンの次の曲は、「冬の色」。

 この曲はねー。
 私の中では1、2を争う曲ですね。 シングル曲と言えば。
 それはたぶん刷り込みのせいでもあるんですけどね。
 当時 「おはよう!こどもショー」 だったと思うんですが、確かウィークデーじゃなかったと記憶してますけど、歌手の人がゲストで出る曜日があったんですよ。 そこに出てきた百恵チャンが 「『冬の色』 がいちばん好きな歌」 ということをしゃべってたんです。 「そうか、百恵チャンは 『冬の色』 がいちばん好きなのか、じゃあ自分もおんなじだ」 というガキの思い込みといーますか(笑)、それ以来特別な曲ですね、自分にとっても。

 というより、やはりそれまでのいたずらに刺激的な路線とは違って、彼女の生真面目さが投影されたような歌詞がやはりいいんですよ。

 「おんなじ路線って、『ひと夏の経験』 で、『(もう)いいわ』 っていう、気持ちの中ではありまして。

 僕好きですよ、自分でも。 百恵サンも、(曲を)渡したときに、『早く歌いたい、早く歌いたい』 って言われたことを覚えてます」

 「冬の色」 を歌っている百恵チャンのVってなくて、私も当時の映像って、当時以来見た記憶がない気がするのですが、この曲が流れているのを聞きながら、千家サンが述べた感想。

 「うまいなあと思いますね。 歌い方が変わってますよね、それまでより。 それまでは音を、歌ってたんですよね、『あなた』 でも 『あ』 っていう音と 『な』 っていう音と 『た』 っていう音、それは、『あなたから許された』…『あなた』 っていう歌い方が出来ている。 好きだからこう歌えるんでしょうね」

 この番組の山口百恵パートの最初に出てきたVTRは、「夏ひらく青春」 だったのですが、それは 「ひと夏の経験」 のおそらく1年後の、紅白歌合戦の映像。 1年前と比べて、格段に大人になった印象です。 メイクが 「白い約束」 のころだよなあ、と思いながら見てました(かなりマニアックな見方…笑)。
 そのバックでは紅組のメンバーたちがスクラムを組んで百恵チャンを応援していたのですが、そのなかのひとりに、キャンディーズのスーちゃんがいました。 「夏ひらく青春」 をそらでちゃんと歌えていたみたい。 当時はヒット曲をみんなで歌えた、いい時代だった気がします。 それでも多忙なキャンディーズも、百恵チャンの曲をちゃんとチェックして歌えていた、というのは、ちょっと驚きのような気もします。

 そんなキャンディーズにも、千家サンは曲を提供していたのですが、それは彼女たちのブレイクするきっかけとなった曲、「年下の男の子」。
 実はその前の曲、「なみだの季節」 から千家サンはキャンディーズのシングル曲に携わっていたのですが、そっちのほうの言及は番組ではなし。 とーぜんか、売れませんでしたからねえ(笑)。

 でも番組で取り上げられなかった 「なみだの季節」 は当時、自分的にはとても好きな曲で(売れようが売れまいが、ガキどもは 「全員集合」 で彼女たちのシングル曲は全部覚えてましたからね)。
 結局スーちゃんセンターのシングル曲の、いちばん最後の曲となってしまったのですが、この曲もそれまでのキャンディーズのシングル曲にはなかった、マイナー調の曲でした。
 つまりキャンディーズの新たな方向性を、この曲は模索している、そんな気概が感じられるのです。
 これから書くことは、おそらく千家サンは 「なみだの季節」 のころの話も混じってると思うのですが、番組的には 「年下の男の子」 誕生秘話のほうが見てくれがいいから、そんな感じで番組で流れてました。

 「人気はあるんだそこそこ。 かわいいんだ。 だけど歌が売れないんでなんとかしてくれ(と言われて)。
 年下っていうと17とかですよね。
 (この曲では)『あいつ』 っていうのがキャッチになったと思うんですよね。
 『あの子はあの子はかわいい年下の男の子』 っていうんだったらたいしたことなかったと思うんですよ。
 この曲も時間がかからなかったと思いますね。 この子たちそのものを書けばいいんだと思ってましたからね。
 しかも3人ですから、『あいつ』 って歌わせても、むしろ抵抗がなくなっちゃうんじゃないかと思う。 ひとりの女の子がこれ歌って 『あいつはあいつは』 って言ったらば、キツすぎるんじゃないかなって思うんですよね」

 鳥越サンは千家サンの歌詞の特徴を、「時代に楯突いて、斜に構えている」 と表現していましたが、私はやはり、「普通の視点で物事を見ていてはダメだ、そこから次のステップにあがらないと」、という気概を感じましたね。 それが先に述べた 「駅」 とか 「バス停」 のイメージと重なるようなところがある。

 番組ではこの後、千家サンの書いたヒット曲を次から次から流していったのですが、西川峰子サンの 「あなたにあげる」 を聞いていて、「これって 『ひと夏の経験』 をそのまま演歌バージョンにしてるな」 っていまさらながら気づきました(笑)。
 「逃避行」 を歌う麻生よう子サンを見て、田中美佐子サンを初めてテレビで見たときに、「誰かに似てるなー」 と感じた長年のモヤモヤが解消しました(爆)。 似てるんですよ、このふたり(どーでもいい話だなあ)。
 殿様キングスの 「なみだの操」 は、千家サンの書いた歌のなかでも最大級のヒットだったらしいのですが、「パチンコ屋や、都会の雑踏の中で流れているようなイメージ」 で歌ってくれと言われた、という宮路オサムサンの話は、興味深かったなー。 まさにそんな感覚ですよね、この歌。 西のぴんからトリオの 「女のみち」 に対抗して東の 「なみだの操」、という位置づけも、すごくよく分かる話で。 当時はこんな女唄を男が歌う、という、もうバタ臭いの極致みたいな歌が多かったですよね。 今はないよなあ。 「全員集合」 で加トチャンが、「わ~た~し~んがあああ~ささ~あ~げ~ったあ~」 って歌って自転車こいでましたよね、牛乳ビン底メガネで警官姿で。 オヤジの典型的なイメージたったんですが(爆)。 「昭和枯れすすき」 なんてのもありましたよねえ(これは千家サンのではありませんが)。 「貧しさに負けた~このまま死のうか~」 なんて、今じゃ自殺推進の歌として放送禁止ですよ、このインパクト。 時代にパワーがあったよなあ。

 私もカラオケで、ダミ声でこれらの歌を歌いたくなってきました(爆)。

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2011年5月 3日 (火)

閑話休題(福島のこと、キャンディーズ、大橋照アメのこと)

 連休が始まったんですが、なに~もすることなくて。
 テレビ三昧でレビューでも書き続けようかな~。

 本当は福島に里帰りして墓参りでもしようと思ってたんですけどね。 春の彼岸のときに行けなかったから。
 それが先月一身上の都合によりお金を使い果たしまして。 帰省資金がなくなってしまいました。 結構カネがかかりますからね、帰省って。
 私の故郷はお墓が三春、祖母の家がかつてあった場所が田村市という具合にまたがっていて、かろうじて避難区域から外れておりますが、市民会館には避難民のかたがたがあふれ、原発被害の影響をもろに受けていると伝え聞きます。

 そんな故郷の親戚から、今年も春先の自然の恵みである大量のウドが 「送らさって」(たぶん方言ですコレ…笑)来ました。
 それでもその親戚の叔母さんは 「送っていいものか…」 と今年はあまり積極的ではない。
 放射能に汚染されてるかもしれないからって、遠慮しているんですよ。
 「そんな心配など無用なのに福島県民はなんて健気なんだ、政府はこんな人々の気持ちが分かっているのか」 とうちのオヤジはどっかの国の首相にご立腹の様子であります。

 確かに風評被害で壊滅的ダメージ、などと決まり文句のようにテレビでは連呼されていますけどね。 実際のところはそんな言葉だけでは収まらないほどの悲惨な影響がある。

 「被災地の経済を回復させよう」 と被災地産の野菜などを売ろうとするスーパーなんかもあるみたいですが、その裏では容赦ないダンピング、値切りが行なわれているとも聞き及びます。 「どうせ売れないものを引き取ってやるんだ」 と二束三文で買い取って、さも偽善者面して 「被災地復興」 だのとのたまう。
 ほかにも、避難している子供たちに 「放射能がうつる」 とか言っていじめが行なわれていたり、引っ越し業者が放射能を恐れて当該地域の引っ越しに二の足を踏んだり。

 それと言うのも政府がきちんとした放射能に対する健康被害の基準を定めずにただ何ミリシーベルトだの情報を垂れ流し続けているからですよ。
 健康な人が1年間膨大にその食べ物だけを食べ続けて…とか、荒唐無稽な喩(たと)えをするんじゃない、ってことです。 その食べ物だけ食べるわけがないし、いろんな要因が蓄積されていくわけですからね。
 頭の中だけで考えてるから、そんな頭の悪い喩えしか思いつかない。

 復興計画とかいう発想も確かに重要。 でも避難民の生活など今そこにある問題をスッ飛ばして頭の中だけで考えてるから、そんなことに血道を上げようとするわけであり。 目の前にある問題から完全に確実にこなしていかねばならないのに、国会ではあ~だこ~だ。 国会中継を見ていてホントに、「こいつら雁首そろえて国費の無駄遣いだ」 と感じること多々あり。
 で結局、電気料金値上げだ税金値上げだって、政府も東電も、あ~どうしてこう、頭が悪すぎるのか。 どうして自分たちから粛清しなければならないという危機感を持たないのか。
 自己保身、自己保身。

 送ら去ってきたウド、食べますよ、大量にね。 こんなの1年以上続くわけがないんですからね。
 おひたし炒め物。
 あ~なんてうまいんだ。 大人の味。 ふるさとの味。




 文化放送で先週土曜日にキャンディーズのスーちゃんの追悼特番があったらしくて、くぅ~っ聴き逃した。 断腸の思いです。

 「キャンディーズはTBSと共にあった」、とこないだブログ記事でも申し上げましたが、それはテレビでのことで、ラジオでは文化放送と共にあった、という印象が強いのです。
 それはとりもなおさず彼女たちのレギュラー番組、「GO!GO!キャンディーズ」 があったからで。
 毎週日曜の確か午後12時半からの30分番組だったと思います。
 明るい彼女たちの面目躍如の場、でしたね。
 そのアーカイヴが、文化放送には大量に残されていることだったんでしょう。 特番でもう一度、それに触れたかった。

 吉田照美アナを初めて知ったのも、確かこの番組だった気がします。 照美サン 「桂竜也の夕焼けワイド」 で夕焼けトピッカーをしていたらしいんですが、その番組も聴いてたけどあまり印象がない。 私にとって吉田照美サンは、「GO!キャン」 での宛先音頭がいちばん最初の記憶です。 「ゆ、うびんば、んごうホニャラララ」 とかいう感じだったと思うんですが、文化放送の住所を音頭ふうにして告知するという内容で(笑)。 今よりずっと甲高い声だったと記憶してます。 そりゃ若かったですからねー。

 「頑張って」 という言葉を 「ガバテ~」 と置き換えていたキャンディーズの内々での流行り言葉もこないだのTBS特番で実に久しぶりに見ましたが、「GO!キャン」 ではそんな彼女たちの内々話が満載で、そりゃ楽しかったです。 確か 「ガバテ~」 はだんだん変化していって、その発展形として 「ガビシェ~」 なる言葉もあったと思います(笑)。 「ガバテ~ガビシェ~」、とか(笑)。 いかにも若い女の子たちの発想ですよね。 「ミキ!ガバルのよ!」「うん、…私、…負けない!」 とかね(笑)。

 内々話といえば当時ラジオ短波の大橋照子アナと彼女たちはとても仲が良くて、「餃子の会」「焼き肉の会」 という内々の会を勝手に発足させ(笑)、盛り上がってましたねー。
 大橋照子アナはだから、キャンディーズ解散後も彼女たちとの精神的なつながりを持っていたい、という思いから、「大橋照子のラジオはアメリカン」(TBSラジオ)という番組を、日曜深夜だったにもかかわらず熱心に聴き続けたものです。
 「鳥取県の歌」 とかね(笑)。
 リスナーからカセットテープを募集して、それを番組でかけていくんですけどね。
 「与作」 の替え歌で、「鳥取県にはなにもない~」 という抱腹絶倒の歌なんですよ。
 話が大きくずれ始めた…って、今日はつれづれに書いているから別にいいんですが(笑)。
 ナムコが提供でしたその番組。 当時確かゲーセンでのテレビゲーム主体のメーカーのひとつにすぎなくて。 「ゼビウス」 とか 「パックマン」 とかのね。
 そのナムコに入社したい、という若者がおりまして、番組で熱心に宣言したら、ナムコの社長だったかな?に入社が認められて(笑)。
 かなりイージーでしたね、その時代(笑)。
 その後のテレビゲームの隆盛でナムコは一大産業へと発展していくわけですが、「大橋照アメ」 で入社した青年は、その後どうしたんだろうと、今でも考えたりします。 すごくラッキーだった気がするんですが。 会社入ってからも、人っていろいろありますからね。 ナムコで偉くなっていたとすれば、そりゃ武勇伝になってしまいますが。

 話を大きく戻しますが、それにしてもキャンディーズはホントに、元気だった、楽しかった。 そんな彼女たちが、大好きだった。

 さてとどうしますかね。 ちゃらんぽらんな性格なので、「たまっていたテレビドラマを見倒してレビューを書こう!」 などという決意は、いとも簡単に折れてしまうんですが、私の場合(笑)。

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2011年4月28日 (木)

「田中好子さん追悼特番 ありがとうスーちゃん永遠のキャンディーズ」 TBSと共にあったキャンディーズ

 TBSで先日亡くなったスーちゃんの追悼特番が放送されました。
 この番組を見ていて、つくづくキャンディーズは、TBSと共にあったことを実感します。

 ただキャンディーズというと、そもそもNHKの 「歌謡グランドショー」 という番組がきっかけでスクールメイツのなかから抜擢され、確かNHKのディレクターに 「食べてしまいたいほど可愛い」 ということでキャンディーズと命名されたいきさつをもっており(本人たちは 「トリコロール」 とか 「バイオレット」 という名前を考えていたらしいのですが)(うろ覚えで書いてますけど)、NHKとの関わりも深い。
 「レッツゴーヤング」 も準レギュラーみたいな感じで出ていたと思うのですが、当時私は、NHKのアイドル番組などちゃんちゃらおかしくて見てられるか、というスタンスの小学生でして(笑)。

 数年前にNHKで放送された 「わが青春のキャンディーズ」 を見て、あらためてNHKにも卒倒しそうなほどのアーカイヴが存在していることが判明したのですが、私がキャンディーズと出会ったきっかけはやはり何と言っても 「8時だョ!全員集合」。

 TBSにはNHKを凌駕する、そんな膨大なアーカイヴが、やはりあったのです。

 しかもそれらの映像は、当時の常識のフィルム映像ではなくビデオ映像。
 「解散コンサート」 であるファイナルカーニバルの映像も、NHK 「わが青春のキャンディーズ」 では確か有志が所蔵していたフィルム映像でしたが、TBSのほうは、当時解散の数日後に放送されたビデオ映像。 やっぱりきめ細やかさが違う。

 私も33年前その番組を見ていましたが、まさにその映像でした。

 これって市販されてるのかな? ホントに久しぶりに見ました。 もしあったら買いたいな。 確かフィルム映像のほうは市販されてると思うんですが。 私の見た解散コンサートは、やはりTBSのこれ、ですからね。

 今日流されたのはその解散コンサートのほんの一部分だったのですが、確か33年前、「つばさ」 の前にミキちゃん作の 「あこがれ」 という歌も、3人で一緒に歌っていたと思う。 それはライヴ盤でも割愛されていて、今あらためて見てみたい映像のひとつだったのですが、今日はそれは流れませんでした。 う~ん、やっぱり欲しいな。 完全版が。

 それにしてもこの、「全員集合」 から、「ザ・ベストテン」。 そしてこの 「解散コンサート」。 TBSと共に、私はキャンディーズを見ていたと言ってもいいですね。

 番組ではさらに、テレビ朝日(当時はまだ、NETだったと記憶しています)の 「見ごろ!食べごろ!笑いごろ!」 の映像も流されました。
 こちらはドリフとのコントに比べると相当過激なものばかり。 いや、こっちも見ていたなあ。

 「電線音頭」 というのは、私の記憶が確かならばまず桂三枝サンが流行らせたものを伊東四朗サンらが横取りしたみたいな印象があるのですが、「見ごろ食べごろ」 ではこたつの上に乗って踊るために、当時のPTAからは目の敵にされていた記憶があります。
 スーちゃんもこの電線音頭をはじめとしてかなりエキセントリックなお笑いにチャレンジしていて、若さゆえの過ちが全開(笑)。 私がキャンディーズにシンパシーを感じたのは、こんななりふり構わぬ彼女たちの底抜けの明るさだったのです。
 このレベルには現代のモーニング娘。もAKB48も誰も敵わない。 これだけは確実に言える。

 「見ごろ食べごろ」 ではバレーボールに青春を賭けるキャンディーズの主演ドラマなんかも、確かやっていた気がします。 「悲しきためいき」 という曲が主題歌で、いい曲だったけどシングルカットされなかった。

 日テレでは不思議なほど、彼女たちを見ませんでしたね。 フジテレビでも、「夜のヒットスタジオ」 なんかに出ていた程度かな?
 やっぱりキャンディーズといえば、TBSだ。
 だから今日の追悼特番は、視聴率稼ぎも当然ありましょうが、ある意味TBSがやらねばならない必然性というものも、同時に感じるのです。
 やってくれてありがとう。
 そしてこのキャンディーズの膨大なアーカイヴを、余すところなく公開される(もしくはDVDボックスとかにする)ことが、同時に望まれるのです。

 番組後半では、キャンディーズ以降のスーちゃんの歩みを紹介していましたが、彼女が福祉活動をこんなにしているとは、ほとんど知りませんでした。
 そして最後は、ファイナルカーニバルのラストナンバー、「つばさ」。
 ランちゃん作のこの曲ですが、まるで旅立っていくスーちゃんのための曲に思えてきてしまう。
 どうしてこんなつらい思い出ばかりが、この名曲にはついて回るのだろう。

 33年前の解散コンサートのとき、私は13歳。
 コンサートに行けない代わりに、その時間帯に私も一緒にビートルズの歌を歌いまくってました。
 当時の私の毎日の日課は、ビートルズのレコードに合わせて、彼らと一緒にがなりまくること(今は主に弾き語りオンリーですが)。
 彼女たちが最後の熱唱をしているのならば、自分も一緒に同じ 「歌う」 という行為をしていたい。
 そう考え、コンサートが始まったであろう6時過ぎくらいから、9時くらいまで、キャンディーズ、ではなくビートルズをいつになく熱唱しまくりました(中1-中2ですからそういう意味不明の行動はご理解いただきたい…笑)。
 そしたら数日、声が潰れまして(笑)。
 生まれて初めての経験だったので、キャンディーズ解散のショックと相俟って、数日間はずいぶん落ち込んだものです。

 春休みでしたので、その日の深夜(4月5日1時から3時)に放送されたラジオのニッポン放送のコンサート特番も、全身全霊で聴きました。
 そしたらなんと、キャンディーズのメンバーが電話でそのラジオ番組に出演して。
 「えっ、コンサートが本当の最後じゃないの?」 と思いましたが、電話に出てきた彼女たちは、もうすでにキャンディーズではなく、伊藤蘭、田中好子、藤村美樹に戻っている、そう強く感じたものです。
 強烈な喪失感。
 それが今また、再び私を襲ってこようとは。

 最後の言葉で 「息苦しくなってきました…」 と話していたスーちゃん。
 息も絶え絶えに、どうしてスーちゃんはここまでして、これを残そうとしたんでしょうか。
 夫の小達サンがどうしてそれを録音したのかを、番組終盤で語ってくれていました。

 「もし万が一が来たときはどういう思いで僕らはやればいいのかと話したんですね。 (彼女は)『本当に幸せな人生を歩めた』 と言ってました。 『誰よりも友に恵まれて、環境に恵まれて、(キャンディーズを)やめたあとからも、みんなが自分を可愛がってくれた。 だからひとりでも多くの人に、お礼が言いたい』 っていうことを言うんですね。 『よし、じゃあ声を録ろう』 って言って録ったのが、あのテープだったんですね」

 この最後のメッセージは、何度聞いても涙が出てきます。
 ランちゃんが弔辞で話したように、私もスーちゃんには、さよならは言いません。

 お礼を言うのは、こっちのほうです。

 ほんとうに、
 ありがとう。

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2011年4月25日 (月)

ランちゃんの弔辞

 スーちゃんの告別式。

 私は何年かぶりで、ワイドショーを見ました。

 久々に見た、ミキちゃん。

 年相応に、おきれいでいらっしゃるようです。

 そしてランちゃんの弔辞。





 信じたくない。





 悪夢のなかにまだいるような気がします。




 あれから涙も出なかったのですが、落ち着いてきたのか、今日はワイドショーを見ながら、ボロボロ泣いてました。
 つくづく涙というものは、あまりにも悲しいと出ないものなんだと感じます。




 いまだに信じられません。




 スーちゃん、あなたはもう、本当にいないのですか?

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2011年4月22日 (金)

スーちゃんのこと

 この先、こうした喪失感というもので、壮年にさしかかった人生って彩られていくんでしょうか。 先の記事にも書いたとおり、今回のことで自分のなかの一部分が、確実に死んだ気がするのです。

 ひとつの時代の終わり、そして次々と欠けていく心。
 自分が夢中になっていた人がやがて死に絶え、自分の大切な人が死に絶えていって、この世にだんだん未練がなくなっていって、やがては自分も死んでいくのでしょうか。

 そして自分が死んだあと、おそらくあの世でも、あの世の住人は次々と生まれ変わっていくのでしょう。
 これって突飛な発想ですけど、自分のなかには 「どうして自分は、前世の記憶を捨ててこの世に再び生まれたのか」、というものすごい疑問があるんですよ。 「前世」、というものがある、と仮定したうえでの話ですけどね。
 で、おそらくあの世の未練がなくなったから、この世にもう一度生まれたい、と思ったんだろう、と。
 でもその際に、どうしてもひとつくぐり抜けなければならない試練がある。
 前世の記憶をなくしてしまうことです。
 たとえば私にとって、ビートルズや山口百恵、キャンディーズの記憶、というものは何物にも代えがたいものです。
 それって捨てられるのかな、もし将来自分が死んだあと、あの世からまた生まれ変わりたいと思ったとき(ややこしい話でスミマセン)。

 でも、おそらく生まれ変わっても自分がビートルズが聴ける環境のところに生まれたい、と思うはずだし、山口百恵やキャンディーズにしても同じで、絶対もう一度巡り合いたい、と思う。
 この世に生まれてくる人って、みんなどこかにそんな思惑があって生まれてきてる、と思うんですよ。 自分が何かに夢中になるものにはすべて、前世からのそんなつながりが、どこかにあるんじゃないか、って。

 スーちゃんとカンケーない話を長々として申し訳ないです。
 ただそれだけ、今回のことではダメージが大きい。
 仕事中でもぼんやりとしてしまいそうですが、少なくとも仕事の間は心をそちらにシフトしなければなりませんので、ちょっとこのブログの場でだけ、情けない泣きごとに浸ってみたいと思ったのです。

 昨日のブログ記事で、「死ぬ時は自分が勝ったと思いながら死にたいものだ」 とか、縁起でもないことを書いてしまったのは、虫が知らせたのかななんて考えています。
 このところ、なんかスーちゃんの作ったキャンディーズ時代の曲、「午前零時の湘南道路」 とか、頭のなかで鳴ってて。
 湘南地方で今、働いてるんですけどね。
 ジョン・レノンのときほどじゃないですけど、どうも虫の知らせというものを感じ取る能力が、自分にもまだわずかに残っているようであります。

 そういえば、1978.4.4の後楽園でのファイナルカーニバルで、「午前零時の湘南道路」、スーちゃん歌詞間違えてたっけ…。

 スーちゃんのことを思うとき、いつも考えるのは、「スーちゃんにとってキャンディーズというのは、大切な思い出であると同時に、苦い思い出の場でもあったんじゃないだろうか」、ということです。

 周知の通り(って若い世代の方はご存知ないでしょうけど)キャンディーズは、はじめスーちゃんがメインヴォーカルでデビューしました。
 それで何曲か出して泣かず飛ばずで、結局 「年下の男の子」 でランちゃんがメインを取ることによって、今風に言えばブレイクしたわけです。

 これってスーちゃんにとっては、結構心の傷になったんじゃないのかな、って。

 ここでのキャンディーズの強みは、メンバー間の絆が強かった、ということ。 メインヴォーカルの交代、という黒っぽい歴史は、3人の仲のよさで自然昇華されていった気がします。
 ただ同時に見えてくるのは、やはりビジネスライクな冷たい芸能界の側面。 芸能界の厳しさ、という括りで表現してもいいのですが、「売れるためには何でもあり」 というプロダクション側の姿勢に、メンバーの中でいちばん若かったスーちゃんは、ランちゃんミキちゃんに比べて大人の世界を理解したくなかったんじゃないかな、って思うのです。

 キャン解散後の3人を見ていると、これは私の個人的な印象なのですが、ランちゃんなどに比べるとスーちゃんは、あまりキャンディーズ時代のことについて語りたがらないように見えていました。
 もちろんいつまでも光を失わない青春の輝き、という箱の中に納めているような部分も、スーちゃんの言動からはじゅうぶん感じていたんですけどね。

 時代的な感覚からいけば、当時フォークソングから派生したニュー・ミュージックの台頭という時勢の中で、スーちゃんの声質は、多少歌謡曲っぽさが抜けなかった。

 それは彼女が民謡を歌うことから始めているせいだと私は勝手に考察しておるのですが、彼女の歌い方は民謡のそれっぽく、鼻に抜けるような感じがする。 スーちゃんメイン時代の曲のウケが悪かったのは、そんなどことなく古臭いスーちゃんの歌い方が、時代的に遅れているようにとらえられたせいなのではないか、そう私は実に勝手に考えています。

 そしてその歌い方と同時に、スーちゃんの作詞作曲のスタンスも、どことなく歌謡曲っぽい。

 キャンディーズは活動の後半で、そのニューミュージックの影響を受けたような自作自演、という方向性を打ち出していくのですが、スーちゃんの方向性はマイナーコード中心の歌謡曲路線。 ミキちゃんが音楽性に関してはいちばん先進的で、ファンキーさも取り入れたものであるのに対して、ランちゃんはどちらかというと童謡的(「みんなのうた」 みたいな感じ)、で、スーちゃんは歌謡曲的、でした。

 歌詞の内容も 「午前零時…」「いけない人」 に共通しているのは、不良に恋する女の子、危ない関係。
 結構ありがち、ですよネ(笑)。
 少女的な憧れを歌にしたものが、結構多い気がするんですよ。
 メンバーでいちばん若かった、ということも関係してるんでしょうけど。

 そんな彼女の最高傑作は、「ファイナルカーニバルプラスワン」 に納められたラストナンバー、「土曜日の夜」 だと私は思っています。

 このナンバー、ジャジーな雰囲気でそれまでの歌謡曲然とした古臭さから、完全に脱却している。
 この曲を聴くたびに私は、「キャンディーズが解散せずにこのまま活動し続けていたら、音楽性においてもかなり成長したのではないか」、と感じられてならないのです。




 スーちゃんの最後のドラマ、「てのひらのメモ」。

 途中まで見たんですよ、実は。

 なんか寝ちゃって。

 それきり録画したものを消してしまったのが、いまにして思えば最大の痛恨事です。

 そのときの印象を思い返すと、確かに何となく元気がなかった気がする。

 こうなったら、もう一度見たい。




 どうしてなんだよ。

 なんでだよ。

 もう一度書きます。

 私のなかの一部分も、あなたと一緒に死にました。

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田中好子サン、スーちゃんが…(そんな…)

嘘だろう…!

 昨夜10時45分頃、ラジオで一報を聞いたときは、まるで悪夢のなかにいるようでした。 思わず口を突いたのがこのひと言。

 …信じられません。

 この衝撃は、言葉では言い表せません。

どうしてなんだよ!

 仕事中にも関わらず、しばらく呆然。

 それ以来、お腹のなかにとても重い鉛が居座ってしまったようです。

 キャンディーズは、私の青春でした。

 もちろん当時は移り気でしたから、いろんなアイドルにうつつを抜かしたものです。

 でも私にとって山口百恵とキャンディーズは、まさに双璧。

 気持ちの整理がつきません。

 私の人生の一部までもが、終わってしまったように感じます。

 すみません。

 ちょっと、書きたいことが山ほどあるのですが、のちほどあらためて書きたいと思います。

 とりあえず、2年前に書いた記事のリンクをつけておきたいと思います。

キャンディーズ解散から31年http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-6f3c.html

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2010年10月 3日 (日)

「SONGS」 山口百恵 ちょっと小出し気味

 1980年というのはいまにして思うと私にとってかなり衝撃的だった年で、年初めからポール・マッカートニーが来日と同時に麻薬所持で逮捕、長嶋監督は巨人を解任、年末にはジョン・レノンが射殺。
 山口百恵チャンの引退もその衝撃的な出来事のひとつに入るのですが、自分がそれまで拠りどころにしていたものが次々なくなっていくことは、その後数年にわたってじわじわと喪失感となって実感していったので、それが起こっているときはただ、「時代というものは移り変わらねばならない」「蜜月の時代は、終わらねばならない」 という世の習わしのほうを強く感じていた気がします。

 それから30年という年月が過ぎたわけですが、その間にいろいろなことが起きたとはいえ、あの時代に感じていた 「時の濃密さ」 というものは格段に薄れている気がする。 要するに、30年前の1年は、現在の5年くらいに相当する感じ。 まあ良く言われることですけどね。

 その濃密さ、という観点から山口百恵という女性のことを考えると、彼女が駆け抜けた6年間、というのは、まさに究極の濃密さ。 メタモルフォーゼの連続、脱皮の連続みたいだった気がします。

 彼女の大ファンとして、その変化についていくのは結構大変でした。
 私が好きだった山口百恵、というのは、以前このブログで書いたのでここでは省略しますが(興味のあるかたはこちらへどうぞ→http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/02/post-a647.html)、今回のNHK 「SONGS」 で紹介された彼女の姿を見ていて、彼女がその活動期間中に私の本当の好みの姿だった期間は、ヤケに少なかったんだな、ということに気づきました。

 私が好きだったのは、ちょうど 「青い果実」 あたりから、「愛に走って」 のあたりまで(要するに、初期の百恵チャンです)。
 彼女は眉毛を細く剃る傾向に、だいたいおしなべてあったのですが、それがひどくなるのは 「パールカラーにゆれて」 あたりのこと。 同時に髪の毛をちょっとアップして、おでこを見せるような髪型になった時期がありました。 今回紅白で 「横須賀ストーリー」 を歌っていた時期です。 あの髪形は、嫌いだったなー。
 それから数年は、彼女の大人びたメイク自体が嫌いでした。
 それが 「いい日旅立ち」 のころに、ちょっと昔みたいな大人しめな感じに戻った。 今回の放送で、「美・サイレント」 を歌っていた時期です。 いま見ても、やはり私好みでした。 しかも以前と同じではなく、大人の魅力を兼ね備えた上品さを漂わせていました。
 それは 「しなやかに歌って」 あたりまで続いたのですが、「謝肉祭」 のころだったか、カーリーヘアにしてしまって。
 それから引退まで突っ走る彼女の、神格化されていく傾向に、ずいぶん辟易していました。
 いまでも 「引退コンサート」 の映像は、見たくもない。

 あまりにも思い入れがありすぎたせいで、逆に自分の思い通りの姿でいてくれないと、なんか不満。
 そんな恋愛感情というものが、あるんですよね。
 ガキの頃だったから余計に、制御が利かなかった気がします。

 今回彼女の映像を見ていていちばん不満だったのは、「なんで全曲流さないのか?」 という点でした(笑)。
 NHKで以前に放送した 「わが心のキャンディーズ」(こんな題名でしたっけ?)では、これ以上ないと思われるほどの良心的な作りだった気がするのですが。
 こんなブツ切りでは、じっくり味わうこともできない。

 と同時に感じたのは、結構彼女が、歌番組では音程を外しまくっている、という点です。
 こんな歌だったら、今どきのアイドル歌手のほうが、よほどうまい。

 けれども、その存在感は、とても17や18の女の子と思えない。 山口百恵という人の顔の造形や、全体から醸し出される雰囲気を見ていて、とても心に引っかかるものが、大きいんですよ。

 いまのアイドルや歌手は、彼女のレベルよりも顔も歌も、格段に上だと思われるのに、全く心に残らないことが多い。 引っかかるものが、ないんですよ。
 これがいわゆる 「オーラ」 というものなのかな、などと無責任に考えてしまうのですが、ハイティーンの女の子、って、現代ではホントに、全くの 「女の子」 でしかないのに、彼女はすでに、 「女性」「女」 になっている。

 それでもそんな大人びた女性は、昔から確かにいましたよ。 藤圭子サンとかね。 彼女の早熟ぶりは、確かに 「山口百恵」 を演じようとした結果だったのかもしれないのですが、それは彼女がそう望んだ結果だった、ということは、とても伝わってくるのです。
 彼女には、いわゆる 「暗いアイドルをやらされている」 感がない。
 今回の番組で宇崎竜童サンが、彼女の意志で作曲の依頼が来た、ということを話していらっしゃいましたが、そのことひとつとってもそのことが良く分かる。

 そして今回、ほんの少しですけど映像が出てきた、桜田淳子サンと、どうしても比較してしまう。 彼女は、ホントに気の毒です。 同時代に出てきた山口百恵チャンと、絶えず比較されてしまう傾向にあるのですから。

 淳子チャンは、なんか 「アイドルをやらされている」 感覚が、常に付きまとっている。
 いまにして思うとその 「既成のアイドル像」 にぴったりハマっていた淳子チャンに、魅力も感じるのですが、当時はそれが、彼女の楽曲をめぐる 「物足りなさ」 に直結していた気がします。

 これは所属するレコード会社の質が原因だ、と私はずっと考えていたんですけどね。
 淳子チャンも、ピンク・レディーも、当時はビクター。 どちらも、楽曲のアレンジのセンスが、なんか古臭いんですよ。
 かたや百恵チャンは、CBSソニー。
 CBSソニーという会社は、南沙織サンの時代からすでに、当時としては最高レベルのセンスあるアイドルソングを輩出していた気がします。

 そんなセンスあるレコード会社だったからこそ、百恵チャンは自らの意思によって驚異的なメタモルフォーゼを敢行することができたんじゃないでしょうかね。

 「SONGS 山口百恵」、来週のPart2では、「私がいちばん見たくない」(笑)引退コンサートの映像が、バンバン出るらしいです。 ゲンナリ(笑)。 まったく期待せず、もしなんだったら飛ばしまくりで見てやります(笑)。

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2010年4月 7日 (水)

西河克己監督、死去

 映画監督の西河克己監督が、亡くなられました。 91歳。

 私(の世代)にとってはまさに、山口百恵チャン専属の映画監督です。

 91ともなれば大往生の部類でありますが、また少年時代が、過去の彼方に消え去ってしまったような寂しさを感じます。

 特に 「潮騒」 は、叔父に連れられて初めて見た百恵チャン映画だったのですが、それまでなんとなくのファンでしかなかった百恵チャンを、一挙に興味のセンターにのし上げるほどのインパクトを、小5のガキンチョに、与えてくれたのです。 感謝しております。

 なにしろあの、百恵チャンのスリップ姿(この表現、書いてて笑っちゃうくらい古いんですが…笑)。
 「その火を飛び越えて来い!」
 という、気の強そうな娘。
 あまりのみずみずしさに、当時のマセたガキは完全にやられました。

 そしておそらくテレビで前後して見た、「伊豆の踊子」(百恵チャン版のほうです)も、ものすごいインパクトでした。

 ちらっと出てきた百恵チャンのヌードは、差し替えだったのかも分かりませんが、当時のガキンチョを、またまたノックアウトするだけの衝撃じゅうぶんで(笑)。 差し替えだったのかなー。 今にして思えば、どっちでもいいんですが(笑)。
 ともかくそんな、性的にあけすけで純情な娘が、旅の書生にあこがれる、という構造は、百恵チャンがその時代の倫理観、価値観の上で生きている少女である、というイメージを、完璧に私に植え付けてくれたのです。

 この2作における 「刷り込み」 は、自分の成長過程にとっては、とても重要なファクターだった気がしてなりません。
 私がこんにち、このような芸能界寄り、テレビドラマ中心のブログを書いている淵源も、ここにあると言っていい、それくらいの影響力である気がするのです。

 「泥だらけの純情」 も、百恵チャンがギョーザも食ったことがないという超お嬢様の役とか、そりゃ突っ込みどころ満載の映画でしたが(笑)、劇場で見て、ただひたすらその壮絶な最期に心を奪われたものです。 まだガキンチョでしたからね。

 「霧の旗」 では、以前にも書きましたが、三國連太郎サンと百恵チャンの、メチャクチャ激しいラヴシーン(その時の記事はこちらhttp://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/01/post-c087.html)。 ショックでしばらくモーローとしたものです(笑)。

 西河監督は、さまざまの影響を、私に与えてくださっていたんですね、こうして振り返ってみると。

 それにしても、私が百恵チャンに出会ってから、もう40年になろうとしてるんですね。
 百恵チャンだ淳子チャンだ、ヒデキだゴローだと、やいのやいの騒いでいた時期から、もう40年近い。
 自分自身あの時とは、まったく精神年齢が変わっていないような気がするのですが(笑)、この年月は客観的に考え出すと、ただひたすら、長いです。

 こうして過去が遠い彼方に消えていき、老人になっていくものなんでしょうかね(タメ息)。

 西河監督のご冥福を、お祈り申し上げます。

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2009年12月 7日 (月)

「吉田照美のソコトコ」 桜田淳子を、もう一度考える

 今週(2009年12月第2週、12月7日~12月11日)の文化放送 「吉田照美 ソコダイジナトコ」 の7時30分からの週刊エンタコーナーでは、吉田照美が振り返る昭和の歌姫たち、という趣向で放送しています。

 月曜日の本日は、桜田淳子。

 筋金入りの百恵ファンであった私も、当時は淳子チャンのファンでもありました。
 ただ、百恵チャンが年を追うごとに雪だるま式に超越した存在になっていくにしたがって、淳子チャンはだんだんその存在意義が薄れていったような、同時代に百恵チャンがいなければ天地真理クラスの伝説のアイドルになっていただろう、というきらいはあります。

 それでもいまにして思うと、淳子チャンは淳子チャンなりの、花を咲かせていたのは確かでした。
 特に今日の 「ソコトコ」 で流れた、淳子チャンの明確なターニングポイント曲であった、中島みゆきサンによる 「しあわせ芝居」。
 ブルーな曲調の歌はそれまでにもありましたが、この曲のリアルなブルーさというものは、現在聴いても胸にずしんとくるものがある。 それまでの阿久悠サンによるブルーな曲というのは、どこかおとぎ話ぽくて、乙女の悩みの域を脱していなかった。 「しあわせ芝居」 は、確かみゆきサン本人が、「淳子チャンに 『恋人がいます』 と歌わせたかった」 と語っていたのを、聞いたか読んだかした覚えがあります。 それは、谷村新司サンが百恵チャンに 「恋をすることさえも許されないで歌い続けてきた私」 と歌わせたことと共通の、「アイドルの本心を歌わせる」 という、それまでになかった 「アイドルの自分宣言」 とでも呼べるべき歌だったと、私は考えるのです。 このリアリティは、阿久悠サンには、失礼ながら書けなかった。 当時のニューミュージックと呼ばれたミュージシャンにしか、作れなかった。

 それにしても、車の中でこの曲を聴きながら、淳子チャンがそのあとどうして歌手として大きく伸びていかなかったのかなー、などと、思いにふけってしまいました。

 桜田淳子チャンについては、いずれしっかりしたものをこのブログにアップしたいと思うので、今日はこの辺でやめときますが、吉田照美サンに語ってほしいのは、なんと言ってもキャンディーズですな。 文化放送 「GO!GO!キャンディーズ(GO!キャン)」 で宛先音頭を歌っていたのが、何を隠そう私と吉田照美サンとの、初めての出会いだったのですから。
 いや、違ったかなー。
 「桂竜也の夕焼けワイド」 の、夕焼けトピッカーだったっけなー。

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