音楽

2014年12月30日 (火)

ちょっと空耳アワー(ツイッター風)。

 今年(2014年)後半FMでよく聞いた、ワン・ダイレクションの 「スティール・マイ・ガール」。 サビに向かう部分が 「あの~あの~あの~…チクショウ…」 と聞こえるんですが…(笑)。 どうでしょう。

 それと、今年の新人バンドの代表、マジックの 「ルード」。 「no matter what they say」 の後ろで聞こえるコーラスが、「なぎらっサン」 って聞こえる(笑)。 「なぎらっサン、なぎらっサン」(笑)。 「タモリ倶楽部」 の常連であるなぎら健壱サンが出てくる絵を想像しちゃう(笑)。

 あと、題名分かんないけど、「ワダベンワダベン」 って聞こえるっていう曲(後記 分かりました、メーガン・トレイナーの 「オール・アバウト・ザット・ベース」)、私は 「馬鹿でぇ~」(どっちかって言うとバガデー)って聞こえる感じ。 「余るん?バカで、バカで、な、デブ」(笑)。 どうでしょう(こういうのはyou tubeでもコピペしないと分かりにくいんですが、やり方が分からん)。

 「タモリ倶楽部」 に投稿しようにも、あそこ本名でないと受け付けてくれないからな~(笑)。

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2014年4月29日 (火)

2014年春、私が最近好きな曲

 自分がオッサンになってくると(もうすでに初老も近いですが…笑)最近流行っている曲などにはとんと疎くなるもので、ここ数年は全くと言っていいほどいい曲に出会ったという実感がなかったものですが、「これいいよ、みんな聴いて!」 と思える曲に最近よく出会うので、ちょっと紹介してみたいと思います。

 1曲目はファレル・ウィリアムスの 「ハッピー」 という曲。 「HAPPY」 という原題で売られているのかな(もしくは配信のみ?)。 「ハッピー」 なんて、そのものズバリで、なんてシンプルなタイトル。

 最近FM横浜の 「BPM2022」 という番組をよく聞くようになったのですが、新旧問わずリスナーからの洋楽のリクエストをかけるというこの番組で、よくかかるんだこの曲が。 でもこの曲、とてもレトロチックな作りなんですよ。 ジャズとかボサノバとか入ってる感じ。 だから最近の曲だとは全く思わなかった。
 そしたらなんか、アメリカで1位とか?流行ってるらしいじゃないですか。 え~、2014年のアメリカで流行ってるの、こんなアナログな曲が?
 で、オフィシャルミュージックビデオがYou Tubeで配信されているというので見てみたら(→ http://www.youtube.com/watch?v=y6Sxv-sUYtM )、歌ってたのが黒人の男性だということが分かって二度びっくり。 ゴスペルシンガーみたいな太ったオバチャンとか、イーディ・ゴーメみたいな人(古いねオレも)みたいな人を想像してたから。

 特にサビの部分、女性コーラスの 「Because I'm happy~」 というバッキングとファレルとの掛け合いが聴いててキモチイイ。 クライマックスではクラッピングに  「happy,happy,happy,happy」 とたたみかける感じでさらにイイ。
 イヤ~、なんか最近の曲って言ったら機械的なものばっかりだと思っていたけど、捨てたもんじゃないぞまだまだ洋楽。
 それにやはりタイトルがいいっスよね。 ただ、「ハッピー」 なんですから。 幸せを世界に配信している感じで実にイイ。

 2曲目はNHKのラジオ深夜便で 「深夜便の歌」 として4月からかかり出した、夏川りみサンの 「虹のかけら」。 このところまた、あまりパッとしなかった 「深夜便の歌」 でしたが(それなりにいい曲はあったけど)久しぶりに聴いてていい曲だなというのに巡り合った。
 作詞作曲は財津和夫サン。 財津サンもいい曲作りますね、相変わらず。
 特に私などはムチャクチャハチャメチャのビートルズファンなので(笑)、同じ財津サンの曲には、琴線が共鳴することが多いんですよ。
 この曲もアレンジとかにビートルズっぽいところがあるんですが、出だしはアコースティックでフォーキーな感覚。 最初メイジャーコードで、サビの部分になるとマイナーに変わる(だと思う…笑)。 これでサビの部分の切なさが倍加していくわけですが、この手法というのはビートルズ(ポール・マッカートニー)の 「フール・オン・ザ・ヒル」 と一緒なんですよ。 あの曲もサビになるとメイジャーがマイナーに変わる。
 聴いてると 「私は泣かない」 という歌詞があるのにもかかわらず、泣けてきてしまう。 夏川りみサンは、いい曲を歌いますね、やっぱり。
 これはたぶん、今のところ 「ラジオ深夜便」 で聞いてもらうしかない。 だいたい毎日、深夜0時50分ごろか、3時50分ごろのどっちかにかかります。 2曲あって、交代でかかってるから。 もう1曲のほうは、まあ…ね(笑)。

 3曲目はNHKつながりですが、朝ドラ 「花子とアン」 の主題歌、絢香サンの 「にじいろ」。 まあ、ここ数年の私のお気に入りの歌というのは、ドラマつながりがまことに多いのですが、この曲もいいですね。 「まぶしい笑顔の奥に悲しい音がする」 というところが特にいいですね。 花子のこれからを暗示しているようでもあり、人は悲しみを経なければ、本当の笑顔に辿り着くことはできない、ということわりをさりげなく示しているようでもある。

 ん~、いい曲というものは、誕生していくものなんですね。

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2009年8月31日 (月)

「LIFE 井上陽水 40年を語る」 第1夜 「石炭 Beatles 氷の世界」

 8月末(2009年)に61歳を迎えた井上陽水サンの、「アンドレ・カンドレ」 時代を含む歌手活動40年を語る、NHK教育テレビの4夜連続の特集。
 さすがにNHKだけあって、その取材力の凄さには舌を巻いた。
 五木寛之サン、伊集院静サン、黒鉄ヒロシサン、小室等サン…。
 昔のVTRもぬかりない。 ずいぶん貴重なものを見た気がした。

 「(得体が知れないのは)サングラスをかけてますからね、まず。 これはやっぱまっとうな人ならかけないでしょう(笑)…とか言っちゃったりして」 という、陽水サン特有の、人をはぐらかすような言葉。 どこか半分ブッ飛んでいる、半分じぶんを冷静に見ている、半分ふざけている。
 この人のその、特異なキャラクターは、ここ数年見ていなかったけれども、健在であることがここだけで分かる。

 健在なのは、そのキャラクターだけではない。
 この歳になって、声の劣化が全く感じられないのだから、さらに驚く。
 陽水サンを見いだした福岡のラジオ局ディレクターサンも初め、その 「声」 に魅了された、という証言はじゅうぶん納得できるし、当時のスタッフが売れないアンドレ・カンドレに固執し続けた理由というのも、その特異な世界とともに、声の良さに参っていたのだろう。
 じっさい私が陽水サンに惹かれたのも、まずはその、通りのいい声の良さに対してだった。

 陽水サンの幼少時代を彩るのは、真っ黒になった炭鉱夫たちである。

 炭鉱住宅に遊びに行って共同浴場に招かれて見た、炭鉱夫たちの様子は、陽水サンの目には異様に見えたそうである。
 「真っ黒で、目だけが白く光っていて、力仕事をしているから、筋肉がすごい。 黒光りして。 それがお風呂に入るから、お湯は真っ黒」。 陽水サンは、「地底から、地の底から」 という表現を使っていたが、まさしくそれは、地底からわき出てきた、異世界の住人のようだったのだろう。 子供のころ坑道の暗い入口にたたずんで、その暗黒の世界に恐怖を感じ、そこに入って遊ぶことができなかったという。 子供時代に誰もが持つ、「怖い場所」 は、人間形成の上で大きな影響を及ぼす気がする。

 「モダンガール、略してモガ」 だったお母様の影響も、大きかったようだ。 九州の炭鉱町、田川は、当時石炭の景気でにぎわっていたからこそ、文化的な水準が高かったと言う、ジャズピアニストの山下洋輔サンの証言から、モガで歯医者の嫁(=裕福)であった陽水サンのお母様の行動は、おおよそ察しがつく。
 そして、時代とともに訪れる、炭鉱町の没落。 小学校あたりでその様子を目の当たりに見た陽水サン、それは「絵本の世界」 が終わりを告げるような感覚だったのではないだろうか。 陽水サンの歌にたびたび現れる独自の終末観、みたいなものの原点を見た気がした。

 美空ひばりサンや三橋美智也サンなどの歌謡曲から、音楽への興味を持ち始めた陽水サンが、ラジオのランキング番組に夢中になるなかで、ビートルズが現れた衝撃をまともに受けたのは、当然の成り行きのように思える。
 ここでエド・サリバン・ショーの映像が出たが、「ベストヒットUSA」 でも同じ映像を 「8月24日に解禁された」 と小林克也サンが語って紹介していた。 放映禁止にするほど、大した映像じゃない気がするのだが。 まあいつものEMIのテなのだろう。 ちょっと余談だが。

 陽水サンの曲を聴いた陽水サン初期のマネージャー、川瀬泰雄サンが 「ビートルズ好きだろう」 と訊くと、「別に」。
 …と言いながら、スタジオでガンガン、ビートルズの曲を弾いていた、というエピソードも、ビートルズ自体があまりに基本になりすぎて、ベタなのを知られたくなかった陽水サンの照れ、というものを感じる。

 アンドレ・カンドレ時代の写真も、私は今回初めて見たが、なんか、焼肉屋の芸人、たむらけんじサンに似ているような(笑)…。 でも、けっして美男子とは呼べない陽水サンが、大きなレイバンのサングラスをかけて、自分をカッコ良く見せようとしていたような感じが想像され、雑誌か何かの紹介文も含めて、結構面白かった。

 小室等サンは、アンドレ・カンドレのレコード制作に携わったひとりであるが、「ネーミングに象徴されているように、なんか、見くびっているような。 自分が面白がったこの程度で、世の中は自分を注目するだろうくらいのことを、軽く見ているところがあったんじゃないか。 だから小さくまとまりすぎていた」、と言う。 小室サン、相変わらず鋭すぎる証言である。

 アンドレ・カンドレはフォークムーブメントの中で埋もれていくのだが、「ビートルズが好きで、一般的な歌謡曲が好きだった」 という陽水サンがアンドレ・カンドレ時代に作った曲は、今回この番組で紹介された自筆の歌詞を見る限りでは、世界観の独自性は優れているものの、まだどことなく、凡庸な気がした。 しかも時代と合っていない、とくれば。

 井上陽水としてのデビュー曲、「人生が二度あれば」。
 この曲を私は、陽水サンがブレイクしてから聴いたのだが、あまりにパーソナルな泣き節に、ちょっと引いた覚えがある。 何かご不幸でもありましたか?みたいな。 「両親をヨイショしようと思った」、と言う陽水サンであるが、当時のスタッフ、安室克也サンの証言によれば、「『人生が二度あれば』 の陽水は、泣いている」 と言う。 確かにこの曲を歌う陽水サンは、VTRでは、汗にまぎれて涙も流れているように見える。
 この詞に出てくる 「父」 は、65歳。 1972年当時で65というと、相当年老いている印象がある。 陽水サンのお父様のことはよく知らないが、逆算すると、陽水サンはこのお父様が40過ぎに授かった子供、ということになる。 当時私は、何となく陽水サンが、年老いた両親を自分なりに想像してこの曲を書いたのではないかと思っていた。 つまり、フィクションだと思っていたのだ。
 22、3あたりでこの詞を書ける才能というのはすごい。 私は今年44になるが、健在ではあるが年老いていく両親を見ると、この歌のような感傷的な気分になることを告白する。 ハタチくらいの時には、将来そんなことを思うことになろうとは、まったく思わなかった。 

 ここで陽水サンが、自分がこの世界で生きていくことのできた理由を語っているような、興味深い話をする。

 「自分の曲を多くの人が受け入れてくれるはずだとかね。 でもそれってそんなに深刻に考えていたわけじゃなくて、まあ、ちょっと軽はずみな感じで。 ちょっと自信過剰なところもあるんですよ。 つまりそれがないとこの仕事はやれないですね。 そんなに謙虚で、やれるのかしら。 …だいたいこうやって表に出ている人っていうのは、ちょっとそういう意味では、おかしなところがないと、成立しないのかも知れないね」
 五木寛之サンや、山下洋輔サンによると、陽水サンというのは、なんだかとてもとんがった、人に襲いかかるような部分もあるらしい。 エキセントリックでなければこの世界では生きていけない、という、陽水サンなりの処世術なのだろうか、などとぼんやり考えてみた。

 「夢の中へ」。
 陽水サンの、初めてのヒット曲である。
 多くの人がそうだったように、私もこの曲によって、陽水サンを知った。
 最初この曲を聴いた時は、ずいぶんへんてこな曲だなあ、と思ったものだ。
 なにしろ何かがどこかにいっちゃって、一生懸命それを探すのに出てこない、という、誰にでもある経験を歌いながら、その人に 「夢の中に行きませんか?」 と誘っているのである。
 しかも、サビの部分が、「ウフフ、ウフフ、アーアー」。
 そのうえこの曲は私のまわりでヤケにウケていて、小学校の学芸会でも、同時多発的に、合唱となるとみんなこの曲をとりあげていた。 当時小学3年だった私も、何かをなくしてしまった時、それを探しながらよくこの歌を歌ったものだ。 小学生あたりに与えるインパクトの凄さを、こういうところからも感じたりする。 
 番組では、六文銭のギタリスト(だったっけか)、安田裕美サンの証言で、ヒットチャートの上位入りを素直に喜ぶ陽水サンの姿を伝えている。
 「人生が二度あれば」 とも相当曲調が違うこの 「夢の中へ」。
 やはり、世間に受け入れてもらうために、かなりの試行錯誤を重ねていたのであろう。

 「心もよう」。
 ツインギターがロックっぽくて印象的だった 「夢の中へ」 から一転、当時はモロに歌謡曲っぽい気がした。
 しかし、この曲の歌詞はだいぶ印象的だった。 「青い便箋が悲しいでしょう」。 「あなたにとって見飽きた文字が季節のなかで埋もれてしまう」。 曲調はチェリッシュが歌いそうな感じなのに、歌詞は半分、われわれとは思考回路が違う、と思わせるにじゅうぶんな先鋭さ。
 それが、だいぶ直されたものだと知って、ちょっとびっくり。

 その 「心もよう」 のB面に収録された 「帰れない二人」。
 最初はこの曲がA面候補だったという。 売るんだ、いや売れなくてもいいんだ、というぶつかり合いが、当時はよくあったらしい。
 「氷の世界」 も書き直しの憂き目を食らうはずだったが、陽水サンは 「反抗期」 でもって元の歌詞を通した、という。
 結果、アルバム 「氷の世界」 は驚異的なヒット。
 ここで、時の人になってしまった陽水サン自身の苦悩を、番組では取り上げる。
 ここでちょっと、「あの事件」 を匂わすのだが、あえてそこには触れないままで、番組は進行する。 知らなくてもいいことかもしれないが、知っている人には何かと気になる部分である。 このことについては別の記事で触れたので、よろしければそちらをご覧ください。

 「傘がない」。
 知識層によって学生運動からの転換というエポックメーキングな称号をつけられたこの曲、当の陽水サンは別段政治の季節の終焉を意識しながら書いたものではない、と言う。
 「そのムーブメントのなかにいましたからね。 学生運動のなかにはいなかったんですよね。 だからそういう客観的な視野とか、全部を包括した視点で作った歌では、当然ないわけですよね。 だけどその時代に生きていたことは間違いのないことで。 意識しているしていないにかかわらず、さまざまなことを感じながら、毎日生きていたんでしょうけどね」

 いやいや、ずいぶん長く詳しく書いちゃったなあ。

 第1回目を書いただけで、結構ヘトヘトなんですけど。

 どうすっかなあ、この調子で第4回まで書くかなあ。

同番組のほかの記事
その話の前に、クスリの話http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/08/life-40-ed61.html
第2夜http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/09/life-40-2-14fc.html
以降なし

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2009年8月29日 (土)

思い出のジャニス・イアン

 風景や記憶と、固く結びついたまま離れない歌というものがある。

 私にも、そんな歌が、歳を重ねていくごとに増えている。
 それがいい思い出ばかりならいいのだが、たまに思い出したくもない恋人との思い出だったりすると、その歌は不幸な運命をたどることになるものだ。

 ジャニス・イアンの曲をそんな不幸な曲の仲間入りにさせなくて、つくづくよかったと思っている。
 なぜなら、ジャニスの一連の曲は私に、いまはもうないふるさとのことを、強烈に思い出させるものばかりだからだ。

 私の田舎は、福島の山奥である。
 三春から小野町方面に分け入っていくと、芦沢という、山に囲まれた盆地がある。
 かつて、私の祖母が暮らす家が、そこにあった。

 多感な思春期を迎えた頃、都会ではジャニス・イアンが流行っていた。
 「岸辺のアルバム」 というドラマの主題歌だったジャニスの曲も、その頃流行っていた。
 私はジャニス・イアンのライヴをやっていたFM番組を録音し、そのカセットを頻繁に聴いていた。 またカセットで出ていた、ベスト盤も叔父から借りてよく聴いていた。

 芦沢は、私の大好きな場所だった。
 その年の夏も、里帰りの時期になり、私はそれらカセットを当然のように持って行って、毎日毎晩のようにラジカセで聴いていた。

 同じ年だったかどうかは忘れたが、田舎では、「岸辺のアルバム」 も、わけが分からないながらも、その夏、祖母や母親と一緒に見ていたものだ。
 なぜなら、このドラマが、私が住んでいる町に流れる、多摩川の洪水(確か、1974年だったと思う)のことを取り扱ったドラマだったからだ。
 ドラマの内容は、少年だった私には興味が持てなかったが、タイトルバックに流れる、洪水によって流される、狛江の住宅の部分だけは、その当時まだ記憶に新しかったこともあって、食い入るように見ていた記憶がある。

 そこに流れてくる、ジャニスの 「ウィル・ユー・ダンス」。
 ドラマの内容と主題歌の雰囲気が全く違う、という新しい価値観の提示を、私はそこで初めて見た。
 それまで私が見てきたテレビの主題歌、と言えば、番組の内容に沿ったものばかりだった。 山田太一サンのそのドラマは、私の主題歌に対する常識を、粉々に打ち砕いた、と言っていい。
 ただ、この 「ウィル・ユー・ダンス」、「ダンスを踊って下さいますか?」 というサビの部分以外の歌詞は、カタストロフィ的だ。 崩壊していく家族を描いたこの作品と、確実にリンクしていると言える。

 じぶんの田舎でジャニスの曲をより深く聴いていくうちに、私はこの 「都会派」 っぽいジャニスの音楽が、緑に囲まれた 「片田舎」 の、午後のけだるい雰囲気や、街灯ひとつついていない夜の、まるで死の世界のような静寂に、とても合っているような気がしてきたのだ。

 それは、ジャニスの作る詞が持っている 「うしろむき感」 とでも呼べる暗さだったり、曲全体に漂うけだるさのせいだったのだろう。

 そのなかでも私が一番インパクトを受けたのは、「想い出の水彩画」 のエンディングだったように思う。 それは「無」 の状態に限りなく近づいていく、曲の終わりかただった。
 「想い出の水彩画」 の詞は、恋人同士の印象的な会話が続く、名作だと私は思っている。 そのふたりの関係が、やがて終わっていくことを示唆しながら、幻想のなかに自分を引きずり込もうとする男を拒絶する女のセリフで、この曲は終わるのだが、いったん本編が終わっても、しばらくの間チェロの独奏でエンディングが続く。

 それは、恋人同士の会話を借りながら、「蜜月状態の死」 に近づきつつある精神状態を表しているようにも感じられた。
 ジャニスの曲は、「想い出の水彩画」 にとどまらず、「死」 のイメージを想起させるものが多い。

 「お茶と同情」 という曲のもつ雰囲気は、詞からアレンジから、私のふるさとの昼下がりに流れていた、やわらかく揺れる日差しの静けさに、怖いくらい溶け込んでいた。
 「お茶と同情」 は、決まりきった生活にうんざりしながら、午後にはお茶を飲み、友達がいなくなれば部屋を片付ける女性の話だ。 彼女は恋人と別れた喪失感のなかで生活しており、「永遠に眠ってしまいたい」 と歌の中で嘆く。
 この曲はストリングスアレンジも秀逸である。 ビーチ・ボーイズの 「ペット・サウンズ」 の影響も感じられる、デモーニッシュなストリングスだ。

 「愛の余韻」 という曲も、好きな曲のひとつである。
 その曲の出だし、「時たま、大きな声で話すことが苦痛に感じます」 という一節には、限りなく魅力的な響きがある。
 「人生の意味がどこに吸い込まれていくのかはだれも知らないけれど、私は明日への希望を強く信じます」 と歌いながら、エンディングは一転してマイナーコードになり、「信念」 というものの持つ危うさを表現する。 不安が常につきまとっているように、ジャニスは前向きな気持ちにいつもブレーキをかけているように、感じるのだ。 それが、いい。
 ジャニスのその部分を、私は信頼してしまうのだ。

 ジャニスの音楽は、いくら明るい曲調でも、常にダウナーな感覚がつきまとっている。 それは今にして思えば、同性愛者だった彼女の、満たされない恋愛生活から生まれたものだったにせよ、暗い淵に沈んでいくような内省的な詞は、当時の私の書く詩にも、大きな影響を与えたものだ。 ただそれは自己満足の域を出ないものではあったが。  

 少年だった私はこれらのジャニスの曲に、何かをやっていなければ落ち着かなかった都会の生き方とは全く別の、「なにもしなくてもよい、時が過ぎていくのをただ眺めるだけの時間」 の価値を、初めて見いだしたような気がした。
 そしてその 「おだやかな時間」 は、すでにもうないふるさとの、あの日々に閉じ込められたまま、いまは静かに眠りについている。
 ジャニスの曲を聴いたり、弾き語りをするとき、その亡霊たちは解凍され、私を涙にくれさせる。

 「イリュージョン」 という歌の一節、「夏が消えていきます/夏がまるでこわれたラジオのように/指の隙間からこぼれ落ちていきます/夏が去ってしまったとき/あなたが泣いたのを覚えています/でも 私は泣きはしませんでした」 この詞をジャニスが歌うのを聴きながら、少年だった私は夏が死んでいくのを、ただ名残惜しく見送っていた。
 芦沢の午後の静けさの中で、ひぐらしが一斉にすすり泣いていたのを、いまでも鮮明に覚えている。

 もう二度とは戻らない日々である。

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2009年8月20日 (木)

矢沢永吉サン、営業してます

 矢沢永吉サンが、ソロになって初めてのインストアライヴを行なったとか。
 インストアライヴというと、イメージ的には演歌歌手がミカン箱の上に登ってレコードを手売りしている情景を思い浮かべるが、新宿のタワーレコードで行なわれたそれは、抽選で選ばれた300人が観客の、規模の大きなもの。 永チャンのライヴとしては少人数なのだけれど。

 大手EMIを離れてインディーズレーベルでの再出発とあって、このところの矢沢サンは、大物には似つかわしくない、ドサまわりレベルの営業を続けている印象がある。
 その心意気にはしびれる。
 いつまでも 「成りあがり」 根性を忘れていない、「矢沢は裸一貫でいつでもやる覚悟ができている」、という精神力は、こちらも励まされる気がする。 本人にしてみれば、「まだ 『成りあがり』 なんて言ってんの」 という感じだろうけど。
 でも数年前、莫大な借金を背負うことになり、それを完済してしまったのも、その精神力のなせる技なのだろう。

 私は矢沢サンの曲を、シングル盤で発表された曲くらいしか知らない。 それでも、世間一般に思われている 「不良」 のイメージでクローズアップされにくいが、矢沢サンは、とてもすぐれたメロディメーカーだと考えている。

 それが評価されにくい原因のひとつに、矢沢サン以外の人が矢沢サンの歌を歌おうとすると、どうしても平板な印象になってしまうことがあげられる。 ふつうに歌ってしまうと、結構原曲から受け取ることができるカタルシスが、得られないのだ。
 試しに矢沢サンと同じように、思い切りデフォルメして、曲に対する思い入れを感情いっぱいにして歌ってみれば、矢沢サンの曲の魅力を、全身で感じ取ることができるだろう。 矢沢サンのヴォーカルに近づくのは、そうとう至難の業なのだが。

 どんなに静かな曲でも、矢沢サンのヴォーカルには 「気持ちがシャウトしている」 迫力がある。
 矢沢サンの歌は、限りなく自己陶酔の世界なのだ。
 これは、決して否定的な意味ではない。
 自己陶酔も、それを極めれば、万人を感動させるヴォーカルになる、という最高の見本だ、ということなのだ。

 新しいアルバムの題名は、「ROCK'N'ROLL」。 シンプル極まりない。 原点回帰、ということだろう。 59歳ということだが、矢沢サンの疾走は、永遠に続きそうだ。 (…なんか、どこかの「何とかニュース」 みたいな締めくくり方ですなァ)

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2009年8月10日 (月)

「佐野元春のザ・ソングライターズ」 さだまさし 後編

「さだまさし」 前編は、こちらです↓
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/07/1-2918.html

 「佐野元春のザ・ソングライターズ」 さだサンの後編は、会場の学生とともに曲作りしたり、ものを書いたりする者にとっては、とても刺激になる話の連続だった。 曲作りは、さだサンも断っていたように、いわゆるひな形、習作程度のものであったが、さだサンが曲を作るとき、どういう態度でいるのか、どういうアンテナを張り巡らせながら言葉を紡いでいくのかが垣間見ることができ、今までの 「ソングライターズ」 のなかでは、もっとも中身が濃かった、と言っていいだろう。 いつも内容濃いけど。

 まず学生たちに、「どういうときに歌を歌いたくなるだろう?」 と尋ね、ある男子学生から、「かなしいとき」 という回答を得る。
 模範的な解答としては、「喜怒哀楽を表現したいとき」 とでもいうのだろうが、まずこの学生の 「かなしいとき」 という答えは、それよりも核心をついている。 人間、うれしいとき、腹が立っているときには、そんなに歌を必要とはしないからだ。 歌が大きな力を生むのは、悲しみを託したいものにすがろうとする瞬間だ。

 「どんなときにかなしい?」 とさだサン。 「おじいちゃんが亡くなったので…」「おじいちゃんと言って、どんな色を思い出す?」「茶色です」「どうして?」「畑仕事をしていたので…」「どんな作物を作っていたの?」「大根です」「大根の花って何色?」「黄色です」「白もあるよなあ」
 …という具合に、さだサンはその学生のおじいちゃんから連想するものを、どんどん答えさせる。

 ここで重要なのは、さだサンが、ただ 「おじいちゃんが死んだ、悲しい」 という方向で、いきなり曲を作ろうとしていないところだ。 いきなり主題から入ろうとする方法もあるが、まず状況を、歌の聴き手に把握させる方向で歌を作ろうとしていることは、実に興味深い。

 そのためにさだサンは、おじいちゃんの生きていたころの空気を、その学生と共有しようとしている。
 さだサンが畑仕事から連想したのは、真夏の入道雲だったようだ。
 そしてここでまた、興味深い言葉を、さだサンから聞ける。
 「青い空だけはやめてくれ」
 さだサンは、真夏、入道雲、青い空、という単純な構図を嫌っているとも受け取れるし、「おじいちゃんが亡くなった」 ということと、青い空は心情的に結びつきにくい、と考えているようにも見える。

 結果学生たちと導き出したのは、「グレープフルーツの色をした雲」。
 このときのさだサンの一連の思考状態は、まさに、さだサンの歌が生まれる瞬間、を切り取った貴重なものだった。
 「グレープフルーツ」 という字余り的なゴロの悪そうな言葉を、何度も何度も繰り返ししゃべる。
 この、しゃべるという作業が、さだサンの曲作りには重要なのだ。

 話はそれるが、私が中学校時代に、教育実習生の女の先生が、音楽を担当した。 美人で、おまけに作曲の課題でほめられたもんだから、私はその先生にすっかり夢中になってしまったのだが、…それはこっちに置いといて、…その先生が、「さだまさしの歌は、しゃべり言葉のイントネーションをそのままメロディにしています」 と話していたのだ。
 私は当時、さだサンにいれあげていた時期だったので、その女の先生もさだサンのファンであったことがうれしくて、ずっとその話を記憶していたのだが、今回さだサンが、何度も何度もその文句をしゃべりながら歌にしていく過程を見て、まさにそのことを思い出していた。
 結果、見事に 「グレープフルーツの色をした雲」 は、ひとつのメロディラインとなった。

 そして、グレープフルーツの空とおじいちゃんの背中、足元には大根の花、ここでおじいちゃんに会えなくなってさびしい、と続ければ、もうキミの気持ちは、全部伝わる、ほかにいろんなことを説明しなくてもいいのだ、とさだサンは語る。
 詩を書く上で大切なのは、言葉の取捨選択である。 なにを言わなければ伝わらないか、なにを伝えなくていいのか、どうすればいちばん効果的な形で相手に気持ちが伝わるのか、詩人たちはいつも、そのことを念頭に置きながら、作品をつくる。

 学生たちとの質疑応答も、興味深い話が聞けた。
 「売れるためにこうすればいいという計算は、一切しない。 それをするとね、時代を追っかけることになるでしょ。 例えば今みんなが興味を持っていることを歌えば売れるわね、だけどそうすると、…ぼくの歌の目的ってね、十年後に照れずに歌えるかなってことが目的だから」
 「味噌汁屋ってないだろ?(笑) 味噌汁ほど豊富な食べ物ないんだよ。 何十通り何百通りあるのに、…味噌汁屋ってないんだよ。 味噌汁に同情しちゃったんだよ、それで俺は味噌汁になりたいと思ったんだよ」
 「オレ面白いんだよ。(笑) だからね、面白いって強みだと思う。 面白い理由は何だっていうとね、散漫なんだよ。 気が散漫だからいろんなことに興味があるから、引き出しがいっぱいある。 作曲でも、理論ってあるけど、理論はなにも生み出してくれないからね。 最後は自分のインスピレーションでしょ? インスピレーションをどうやって磨くかっていうのは、常に気を許さないっていうことだね。 すべての現象に耳を澄ますっていうこと。 そして、ありとあらゆる音楽を聴くっていうこと。 クラシックはお勧めするね」
 「体温。 結局は人が歌を作り、人が歌を聴くんです。 その間にね、いちばん重要なのは体温だと思います。 自分のぬくもり。 あのー、…人の心を壊すのは人でしょ? 人の心を救うのも、人なんだね。 じゃ何が作り何が壊すのかって、言葉が作り言葉が壊すんだね。 言葉ってぼくらにとって重要な武器だってこと」

 最後に元春サンとのやりとり。
 曲を書くということとは何なのか。
 「佐野クンにとってはなんなんだ?」
 「ぼくにとっては…自分を知る作業ですね。 自分が過去にどこに立っていて、今どこに立ち、これからどこへ向かおうか、というのを知る作業ですね。 自分が作った曲を聴いて、あ、自分はこんなことを考えていたのかと、自分の曲から教えてもらう」
 「なるほど。 もうひとつ付け加えるならば、…自分を耕す、っていうのかな…耕しても耕しても同じ曲しかできてこないときってあったんだよぼくは。 自分の心に釣り糸を垂れるような作業です歌づくりというのは。 なにをエサにするのかはその人の人生観によって違うだろうし、かかってくる魚も、引き出しによって全然違う魚が引っかかってくる。 そうすると、発見だよね、まさに、佐野クンの言うように、自分を発見すること」

 ヘタクソな解説など不要だから、後半はほとんど聞き書きしてしまったが、まさに詩を書く者のはしくれとしては、そうそう、そうなんだよなー、という話のつるべ撃ち状態だった。 こういう人たちの話に触れるのは、私にとってもいい刺激になる。 ま、今のところ、誰も真剣に読んではくれませんがね、私の詩なんか。 腐らずに、またたまーに、アップさせますか。

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2009年7月29日 (水)

「佐野元春のザ・ソングライターズ」 さだまさし 前編

 「まじめにやる?」 と元春サンにいきなり探りを入れてくるさだまさしサン。
 佐野元春サンが冗談のあまり通じない人だと認識しているようである。
 元春サンにとっては図星だったらしくて、その結果、今回のさだサンの話は、実にまじめなものに終始した。
 ただ、この人の話は、どうまじめに取り繕おうが、必ず笑えるものが入ってしまうのだが。

 私が今回驚いたのは、元春サンが結構昔からさだサンの曲を聴いているように見えたところである。
 確かに、この教養番組のためだけに、あらかじめ予習してきたようなところもある。 だが、今回元春サンがポエトリーリーディングに選んだ 「檸檬」 という初期の曲を、元春サンが 「さだサンの歌のなかで最も好きな曲」 として紹介したことは、元春サンが付け焼刃のにわか勉強でさだサンの歌を聴いてきたわけではないことを、物語っているように見えるのだ。

 実際の話、いきなり冒頭からどういう立場で話そうかと探りを入れられるほど、さだサンと元春サンの曲の世界は、相容れない。
 今回の番組で、「本当はジャズ・ロックがやりたかった」 と語ったさだサンが、元春サンの曲に少しは触れていたとしても不思議ではないが、元春サンがさだサンの曲にアプローチしようとしているところは、あまり想像ができないのだ。

 「檸檬」 のリーディングが終わって、「いい詞だね(笑)佐野クンが読んでくれると、いい詞に聴こえるね」 というさだサン、この詞は春先の歌だという。
 「なぜ春先の歌かというとね、非常に、登場人物の気持ちがせわしないのね。 なにも安定してない不安ばかりのなかでね」

 なるほどな、と思った。
 「檸檬」 に出てくる女性は、相当文学にかぶれた、一種カルト的な魅力を放っている女性である。 歌のなかの男はその魅力に翻弄されながら、やがてその女性とは、必ず別れるだろうという予感を、ぼんやりとだが背負っている。
 その男女の心の動きは、表面上の静けさとは裏腹に、水面下ではせわしなく動いているのだ。 それは、年度末で生活自体が変わっていく春先の精神状態と、どこか通じている。

 ただひとつ気になったのは、「ぼくは聖橋からレモンを投げたことがない」 とさだサンが語っていたところ。
 確かこの曲が発表された当時、NHKFMのスタジオライブだったか、実際に聖橋からレモンを投げたと話していたんだが。

 さだサンが語っていた話で印象的だったのは、「歌にとって大切なのは、匂いである」 というところ。
 「たとえば、田舎の普段使わない部屋の押し入れの匂いと、普段使っている部屋の押し入れの匂いと全然違う」
 「雨が降って来た時にどこに降るかで匂いが違う。 広大な緑のなかで降る雨、都会のアスファルトに降る雨」
 そしてその色、それらを、自分が伝えたい自分の今の気持ちとどう結びつけるか、それが表現方法なのだ、…大要でそういうことを、さだサンは述べていた。
 詩を書く者として、さだサンのこの話には、大いに共感する。

 詞が書けずに困った時、どう切り抜けるんですか?との元春サンの問いに、間髪入れずに 「旅に出るね」 というさだサン。
 「旅に出ると、脳が活性化される」、実にその通りだと、私も思う。
 詩というものは、ただひとところにじっとしていて、生まれるものでは、けっしてないのだ。 いろんなものを見聞きして、初めて自分の表現したいものが生まれる。 そして眼に映る風景のなかから、自分の今の気持ちを切り出す作業なのである。

 毎回ゲストに全く同じ質問をする、というコーナーで、ところどころ、前回の小田サンと同じような答えをさだサンもしていたのは、興味深かった。
 「好きな言葉」、捨てない、あきらめない。
 「なりたかった職業」 野球選手。

 「あと1マイル」 という歌に託した、反戦の思い。
 これも、表現する者としての使命感、義務感から、いやがおうでもわき出てくる気持ちなのである。
 戦争に対して、強い反対の気持ちを有さない人たち。
 その人たちは、人を殺すということに対する想像力を、決定的に欠いている。
 さだサンがこの時話した、「目の前の人間を殺さなければ、自分が殺される」 という話は、その想像力を喚起させる力に満ちていた。

 「いい話をするよね、さだまさしってね」 と笑わせるさだサン、人に共感させるのがとてもうまい。
 昔、さだサンの論調には、若造がこう言っては大変失礼だけれど、というスタンスが、常にあったように思う。 なよなよしているとか、「関白宣言」 の論争とか、常に世間の批判にさらされながら生きてきたさだサンの、それが処世術みたいになっていたフシがある。
 だがこの歳になって、さだサンの主張には、前にはなかったどっしりとしたものが、着実に大地に根を張っているように、私には思えるのだ。

 だから今回のようなまじめ中心の話になっても、ちっともたじろがない。 これが、さだサンが真摯に人生を、社会を見つめてきた結果なのである。

 後編の記事はこちらです↓
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/08/2-e55c.html

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2009年7月24日 (金)

「佐野元春のザ・ソングライターズ」 小田和正 後編

 「佐野元春のザ・ソングライターズ」 小田和正サンの後編。
 前編の記事はこちらです↓
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/07/1-e13b.html

 9割9分歌詞より曲が先とおっしゃる小田サン。
 「詞を先に書くと、その詞にぴったり当てはまるメロディというのがなかなか出てこない」。
  それは、メロディの良さを歌詞によって犠牲にされたくない、メロディを二の次にするのはとても不快な感じがするから、という。 小田サンのメロディに対するこだわりを、垣間見ることのできた話だった。

 「ラヴ・ストーリーは突然に」 も、サビの部分の歌詞は当たり前すぎて、これでいいのかなあと自問自答しながら、結局歌い続けていくことで自分が納得できていったと。
 「さよなら」 にしても、最初は 「だんだん近づいていく」 みたいな内容の歌詞だったのを、レコーディングの時になって全部書き直して、やっとしっくりいったと。
 歌い続けることで、ライヴで演奏することで、歌詞と曲との融合を実感しているようである。

 印象的だったのは、「言葉にできない」 のエピソードだった。

 元春サンが 「歌詞ではない、スキャットがこの部分のコアになっていますね。 あまりにも感情が高ぶって、言葉にはできない、伝えられない感情とは何なのか、そこを想像する楽しみがある」 と切り出して。

 小田サンはそれに対して、この曲は、オフコースというグループが解散する、そのコンサートの最後の曲になるだろう、という思いで書いた、と言うのである。

 当時私は、オフコースの解散について、何の情報もキャッチしていなかった。 だのに、まことしやかにオフコースは解散するという報道が繰り返されていた。  たしか、「OVER」 というアルバムに収められた曲に、「WE ARE OVER,THANK YOU」 という声が隠れて入っている、という新聞記事もあった。
 ファンの女の子たちのテンションも、確かな情報がなにひとつないのにどんどん高まっていくのを、なんであんなに騒いでいるんだ、という思いで眺めていた記憶がある。

 結局鈴木康博サンの脱退だけで、その後もしばらくオフコースは存続したのだったが、あの頃のオフコースには、そんな一種異様なテンションの高まりが存在していたことだけは確かだ。 やはり、それなりの覚悟が、「言葉にできない」 という歌には込められていたのだ。

 「詞のないもので伝わる方法はないんだろうかと。 みんなが勝手にイメージして、膨らませてくれるもの、みんなが作ってくれるもの、っていうことで、ラララ…っていうなかに、なんかみんなが見つけてくれるんじゃないかという、…それで、そういう感情って何なんだろうって思って、哀しいこと、悔しいこと、うれしいことっていうのを、ラララに託せば、なんか今までと違うものが伝わるんじゃないかと」
 元春サンはその小田サンの言葉に激しく同意し、「哀しい」 と最初に振っておいて、最後に真逆の 「うれしい」 とつなげるところが、小田サンのソングライターとしての真骨頂だと絶賛する。 それを聞いている小田サン、何となく面映ゆくて笑っちゃいそうな感じで、ちょっと可笑しかった。

 「詞を書くのはいやなんです(今は違うらしいが)」 という小田サンの発言には、元春サンも驚いていたが、小田サンにとって、作詞作業というのは、限りない試行錯誤の繰り返しなのだろう。 歌詞も何通りか作って、比較しながら直していく、そんな話も小田サンはしていた。 自分が納得できるまで、それはいやでも成し遂げなければならない、会場の学生の質問に答えている小田サンは、そういうことを一貫して話していたように思う。
 それは、やはりプロとしての自覚でもあるのだろうが、その曲を何としても仕上げるんだ、という執念みたいなものも、私は感じるのである。

 詞をシンプルにしようと心がけている、という小田サンの姿勢は、その努力の上に成立しているからこそ、普遍性を持つものに変貌していくのだ、そう感じた、この回の 「ソングライターズ」 だった。

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2009年7月17日 (金)

「佐野元春のザ・ソングライターズ」 小田和正 前編

 NHK教育テレビで始まった、佐野元春サン司会による番組、「ザ・ソングライターズ」。
 NHKのアッチャコッチャで再放送してるので、いったいいつがレギュラー枠なのか分からないが、だいぶ遅れて再放送を、ようやく見た。

 テレビ番組に元春サンが出るというのが、まず珍しい。 ただ、イメージ的には、佐野元春サンがテレビに出るなら、やはり教育テレビだろう、というのはある。
 私が元春サンに持っているイメージと言えば、クールな分析派だということに尽きる。 いつも冷静で、この人がふざけているところを、見たことがない。 そりゃ笑ったりもするけど。 でもどこか、その笑いは突き抜けていない。 あくまでそのスタイルを崩さない、それが元春サンのカッコよさ、だったりする。
 そんな学者みたいなタイプの人と、教育テレビというのは、実に相性がいい気がするのだ。

 果たして、第1回目のゲスト、小田和正サンとも、実にまじめな話に終始した。

 だが、小田サンという人も、元春サンと同じように、決して明るいとは言えない性格なのだが、本質的には、元春サンよりずっと、「笑い」 というものに対して興味を抱いているように思われる。
 小田サンのかもし出す笑いは、楽天の野村監督に似ている。 もしくは、つぶやきシロータイプの笑いに似ている。
 つまり、「ボヤキ」 なのである。
 小田サンはどこかで、人を笑わせることに、とても快感を持っている気がするのだ。

 その小田サンが、基本的に超マジメな元春サンと対談をすると、なんか話がはずまないような気がするのだが、そこは小田サン、ひょうひょうとしたスタイルで、その対談の場である、元春サンの母校、立教大学の学生たちを笑わせるのだ。

 まず元春サンが切り出したのは、小田サンが大学時代に志していた建築の世界と、作曲の世界とは、何か共通するものがあるのか?という、予想通りの硬い話から。

 なにもないところからつくる、最終的にディティールを決めていかなくちゃならない、ということをあげてた小田サンだったが、建築の課題でトイレと階段をつくるのを後回しにしたのと同じように、曲作りでも同じことやってると言って笑わせる。

 学生運動の話を次に持ち出した元春サンだったが、これは歌にはならなかったなあ、と小田サン、するりとかわす。 じゃあ何が歌をつくるきっかけだったのか、という話になるが、バンドのメンバーと作って、みたいな答えで、なかなか話が核心に進まない。
 元春サンの望むような流れじゃないかな、と思ったが、「プロになったら洋楽をいくらうまくコピーしても受けないし、拓郎や泉谷みたいな、青春をのたうちまわっているような曲もしっくりこないし」、と逡巡するうち、小田サンが見つけた元春サンへの答えは、「同級生が聴いたらどう思うだろうっていうのが、いちばんのテーマだった」 ということ。

 「ポップソングは時代の表現であり、時代を超えたポエトリーである」 という元春サンのこの番組に寄せるテーマに沿って、元春サンがポエトリーリーディングに選んだ小田サンの1曲は、2000年のアルバム 「個人主義」 に収められていた、「the flag」。
 学生運動に未来の夢を託していた自分たちが、そのあとやってきたこととは何だったんだろう?という、まさに、「同級生」 たちに向けてつくられた曲である。 個人的には、この曲の英語の題名が、大文字で書かれていないことが、大上段なものを否定している、そう感じる。

 オフコース時代、大ヒット曲 「さよなら」 の後に、レコード会社の反対を押し切って発表した、という 「生まれ来る子供たちのために」 も、そんな強いメッセージ性に富んだ曲だ。
 「『さよなら』 っていうのは否定はしないんだけど、いつまでも他人のような顔をしているような、商業的なような、歌ってて不快ではないんだけれども、自分とは距離があるような」「『さよなら』 は問題提起してないからね(笑)でもこれはチャンスだし、問題提起しようと」(主意)
 この曲は、「日本を本気で好きになりたい、なのに、この先、いつまでもこんなんじゃしょうがねえな、と思っている」、その気持ちを書いた、と小田サン。

 「the flag」 にしても、「生まれ来る子供たちのために」 にしても、小田サンの作る歌詞には、外見的な美しさ、やさしさのなかに、「いつまでもこんなんじゃしょうがねえな」 という、ある種の男気、強引さ、みたいなものが存在している。 この2曲を対談の俎上にのせた元春サンの眼力は、やはり侮れない。

 楽しみな番組が、またひとつ増えた。

 後編の記事はこちらです↓
http://hashimotoriu.cocolog-wbs.com/blog/2009/07/post-82b0.html

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2009年7月 9日 (木)

「SONGS」 2009年7月8日 アリス べーやんと一緒に泣きました

 NHK 「SONGS」 2009年7月8日は、アリスのスタジオライヴ。 400人の観客を四方に配して歌います。

 1曲目は 「冬の稲妻」。 のっけから矢沢サンのドラムにシビレます。 しかもツインギターがレコードの感触とほとんど同じで、もうすっかり、アリスの世界です。 谷村サンは以前より抜けたようなシャープな声、堀内サンはハスキーな声に磨きがかかってます。 いやいや、皆さんそれなりに、外見上は年を重ねられていますが、アリスとしてのみずみずしさが全く失われてなくて、なんか無性にうれしい。

 この 「冬の稲妻」、初めて聴いた時は、矢沢サンの、それこそ 「稲妻」 のようなドラムの虜になったものです。 ビートルズの 「カム・トゥゲザー」 もそうなんですが、うまいドラムプレイ、というのは、タイコの数以上に、タイコが存在しているような錯覚を与えてくれるもんなんですよ。 いったいドラム何個叩いているんだ?って思いましたもん、当時。 しかも、ステレオで聴くと、片方から片方へ、ホントに雷みたいに流れていくんですよ、ドラムの音が、この歌。 これは、相当なカルチャーショックでした。
 それからこの曲でしびれるのは、「You're rollin' thunder」 のとこですよね。 私の記憶している限りでは、英語をこんなに効果的に歌詞のなかに入れた曲って、この曲が初めてじゃないですかね。 サザンよりも先でした。 あ、「黒の舟歌」 があったか。

 続いてアリスの活動を振り返るVTRヒストリーでしたが、なんと言っても 「ザ・ベストテン」 のVTRには驚きました。 さっきまで 「クメピポ!」 で見ていた久米サンが出てくるんですから。 声だけですけど。 「チャンピオン」 で初めて1位になった時のものでした。

 次はメドレーで、「涙の誓い」「ジョニーの子守歌」「狂った果実」。 いやー、フルで聴きたかったなあー。 ずいぶんみんな久しぶりに聴きましたが、なんか、みんな、歌詞がいいし、メロディもいい。 つくづく、谷村サンと堀内サンは、和製レノン=マッカートニーだと思いました。 ちょっとほめすぎかもしれませんが、この二人の創作能力における均衡関係というのは、ジョンとポールに近い気はします。

 ところ変わって、今度は神田共立講堂に向かう3人。 フォークの聖地と謳われた場所でしたが、現在は消防法などの縛りがあってコンサートの貸し出しは一切していません。 ここで今度、1回だけアリスがライヴをするそうなんです。 「2階ってこんなにせり出てたんだー」「だから盛り上がったんだね」 と感激する3人。

 スタジオライヴに戻って、曲は 「今はもうだれも」。
 いやいやいやいや、燃えます、この曲。
 夜中だってのに、我慢できずに一緒に歌ってしまいました。 どうにも、ウルウルしてしまって。

 この曲の後の堀内サンのMC。 泣けました。
 「プロになるのは、これはね、決定打だった、『ベーやんしか考えてなかったから』 って(谷村サンから)言われて…やっぱりメチャクチャ、うれしかったです…こうしてまた、会えて、アリスという母艦に、故郷に戻れて、なんか胸いっぱいです有難うございます」 と、こみあげてくるものを押さえきれない堀内サン。 こっちこそ有難うございます。

 そしてラストは、「帰らざる日々」。

 文化放送 「セイ!ヤング」 の貴重な音源まで飛び出したり、NHKの取材力には頭が下がりますが、欲を言えばこんな、30分番組1本だけでなく、もう1回くらいやってほしかった。 えー、もう終わりなのーって感じ。

 出来れば今後は、もっと頻繁に再結成してほしいものです。 1年に1回だけでも。 また紅白でるとか(追記 この年2009年の年末に、アリスとして紅白に出ました)。

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