ビートルズ

2017年4月29日 (土)

「ザ・ビートルズ史 誕生(上)」 ビートルズ研究第一人者による、容赦のない徹底的な歴史本

 ビートルズ研究においては世界中を見回してもトップであろうと思われるマーク・ルイソン。 かつて彼はアビイ・ロードに保管されたビートルズのレコーディングテープのすべてを聴くことを許され、「ビートルズ・レコーディング・セッション」 という究極の記録集を世に出した。
 この本が日本で出版されたのは1990年のことだが、私が肌ではっきりと感じるのは、ビートルズ関係の書籍において明らかに 「レコーディング・セッション前」 と 「レコーディングセッション後」 では内容が一変した、ということだ。 「レコーディング・セッション」 の内容を基に彼らの音源を聴くと、さらに細かい分析が可能になったのである。

 それまでのビートルズ研究というのは初期のマネージャー的役割を果たしたアラン・ウィリアムスの 「ビートルズ派手にやれ」 とか、ビートルズ解散直後に出されたジョン・レノンへのインタビュー本、「ビートルズ革命(現在は 「回想するジョン・レノン」 と改題)」、さらにレノンが射殺される直前に行なった数々のインタビュー本に多くが依存しており、それらの向こうにはビートルズ活動中に唯一彼らの公式認定伝記として書かれたハンター・デイヴィスの 「ビートルズ-その誕生から現在まで」 が鎮座ましましていた。 これは彼らやその関係者に対する徹底的なインタビューで構成されたものであり、その点で作者の余計な主観の入り込む余地のない優れた伝記だった。

 ハンター・デイヴィスのそれはしかし、サージェントペパーズ(1967年)の頃に書かれたものであり、彼らの活動半ばまでしか記述がない(その後あとがきによっていくらか補完はされたが)。 したがって本編中に当然ながらオノ・ヨーコは出てこない。
 さらに都合の悪いところを次々と削除させられたせいで彼ら自身から 「きれいごと」 と揶揄される始末で(その要請が彼らから出たものもあったにもかかわらず)、資料としては当時最強でありながら、内容的には極めて不満足なものだったと言える。

 当時は圧倒的に情報がなかったからこそ、それらの本に書かれた事実を探りながら、ビートルズ論というのは必然的にその社会現象であるとか絶大な影響であるとか、精神論に傾いていたような印象がある。 時代背景から考えても、ビートルズというのは同時代に生きた若者たちに対して、思想的な変革という部分でより重要だったから、これは当然の結果なのだろう。
 音楽そのものに対する研究というのはその資料の乏しさからさらに絶望的で、1979年にCBSソニー出版から発売された 「ザ・ビートルズ・サウンド」 という本(当ブログビートルズの項ではたびたび言及しているが)が精一杯、といったところだった。

 それが、ルイソンの著した 「レコーディング・セッション」 では、レコーディングテープをすべて聴いた上に当事者たちへの聞き込みによって、彼らのレコーディングにおける活動がはじめて立体的に目の前に出現したのである。 私にとってもこの本は衝撃的だった。 現在ではネットを広げればウィキペディアをはじめとして、ビートルズの情報というのはあまりに膨大で飽和状態である、とも言えるが、そのようなカルト的な研究の端緒を切り拓いた、という点でこの 「レコーディング・セッション」 は重要な本なのである。

 そしてルイソン氏はもうひとつ、「ビートルズ全記録」、という詳細な記録集を世に出した。 今回の 「ザ・ビートルズ史」 というのはこの本の発展形である、といえよう。 「全記録」 は、赤盤青盤で立川直樹氏がまとめたビートルズ年表のかなり詳細バージョン、といったコンセプトだった。

 今回 「全記録」 と決定的に違うのは、ダイアリー形式でなく読みものになっている、という点もそうだが、これまで世に出た(おそらく)ほとんどすべての文献、証言についてルイソンがその真偽を徹底的に調査し考察を加えている、という点にある。 そのすべてが現在考えうる限り、「容赦なきまでに徹底している」。
 まず関係者へのインタビューの敢行。 ビートルズのロード・マネージャーだったニール・アスピノルや先ほども話に出たアラン・ウィリアムズは近年次々と亡くなっているから、ルイソンの行なったインタビューはリミットぎりぎりだった感がある。 ビートルズの当事者たちの記憶は、すでに歴史の彼岸へと埋もれつつあるのだ。
 ビートルズに深く関わった人たちだけではない。 ジョンの家に居候していた学生であるとか、取るに足らないように思えそうなレベルの同級生の証言、当時のファンの女の子男の子のひとりひとりにまで取材を重ねている。 ちょっとでも彼らを見知っている人ならそのすべての人に会っている、ということが、この本を読んでいると見えてくるのだ。 そしてその証言ひとつひとつに対して真偽を考察している。 この徹底ぶりは他の追随を許さない。 「誰がこれをやって、誰があれをやってって、その場にいたわけじゃないのにどうしてわかるんだ?」 とポール・マッカートニーは(目下のところ)最新アルバムのなかの一曲(「アーリー・デイズ」)で歌ったが、この本はその問いかけに最大限回答しようとしている。 しかも多数の証言を付き合わせて考察を行なっているのだから、当のポールの記憶よりも正確だ、という可能性すらあるのだ。

 さらに本書の容赦なき徹底的な部分は、公的文書はもとより、当時世に出回った全国紙地方紙(特に彼らの出身地リバプールを中心としたもの)を隅から隅まで読み倒してビートルズに少しでも関連のあるものをピックアップしている点だ。 この作業を考えると本当に気が遠くなる。 このことによって、彼らがどのように世に出ていくかの時代的背景、および必然性が浮かび上がってくる。

 と同時に、それがまったく必然性を伴ったものでなかったことも浮かび上がるように私には感じられた。 つまり、「彼らのやる気」 についての移ろいである。

 彼らは下積み時代、自分たちが意気消沈した時に 「俺たちはどこを目指しているんだい?」「そりゃ、ポップ界のトップ(トッパーモスト・オブ・ポッパーモスト)さ!」 と自らを鼓舞しモチベーションを保ち続けたという有名なエピソードがあるが(この掛け合いの元ネタとなった話までこの本では発掘されている)、実は彼らのやる気にはかなりムラがあり、一直線にポップ界のトップを狙うような姿勢には至っていなかったことが見えてくるのだ。

 この本の上巻で彼らの学生時代を縛りつける重要な試練として、イギリス特有の教育制度であるGCE試験(全国統一試験)、というものがたびたび言及される。 それに従って彼らは自らの将来をどのように決定していくかの岐路に立たされるわけだが、特にジョンやジョージについては、明確な将来のヴィジョンを持っていたとはあまり思われない。 ポールだけは 「常識人」 である父親の影響下で何らかの策を講じていたことが想像されるが(下巻においてポールはほんの一時期マジメに働いていたことが判明する)、ジョンとジョージは 「まああわよくば音楽で有名になって、とは思うけどそんなに世の中甘くないだろうしね」 程度の認識でバンド活動を続けている 「根なし草」 状態だったことが分かる。 ただし根拠のない 「有名になる確信」 だけはあったが。

 彼らが世界一のバンドとして世に君臨するのはほんの些細な偶然の集積によってであり、そこには 「運命」 というものが大きく横たわっていた。 この本を読んで初めて知ったのだが、彼らはイギリスの徴兵制度から解放された最初の世代だった。 彼らが徴兵されていたら、一体どんなことになっていたのだろう。 これも、「運命」 のなせる技だったのかもしれない。

 ハンター・デイヴィスの伝記やその後決定版と言われたクロニクル 「アンソロジー」 本は、ユニットとして集まってくる以前の記述は個別に行なわれていた。 だが本書はかなり遅れて合流してくるリンゴも含めて、同時期のことは4人ともまとめて書いてある(本書上巻ではリンゴはまだビートルズには加わるところまで行かない)。
 そこから初めて浮かび上がってきたのは、ほかの3人とリンゴとの人生の質の違いだ。 リンゴは幼い頃とても病弱で、ずっと病院暮らしをしていた。 同じ時期にほかの3人は、多少の貧富の差があったとはいえ比較的幸せな少年時代を送っていて、いちばん年上のリンゴが 「ひとり負け」 状態だった。
 それが、退院して働き始めてからのリンゴは逆に仕事に恵まれ、「ひとり勝ち」 状態になっていく。 これは個別に書かれていたのではなかなか気付かない興味深い比較だ。 リンゴはバンド活動にも恵まれて、時系列的にビートルズのメンバーの中では真っ先に車を買うほどの勝ち組となるのだが、実は無免許だったことも(笑)この本で初めて知った。

 法的に問題がある、という部分こそはデイヴィスの伝記で削除された部分であったが、本書にはその手かせ足かせがない。 だからジョンがあらゆる店で万引きをしていたことも包み隠さず語られるし、カレッジスクールの備品にあったアンプを 「拝借」 してしまったことも書かれてしまう(もともとそのアンプ自体をジョンのゴリ押しで学生自治体が購入した経緯まで書かれている)(そしてそのアンプの末路まで)。 ここに書けないようなことも容赦なく書かれている。
 その最たるものが、のちに彼らのマネージャーとなるブライアン・エプスタインが若き頃に逮捕された、という事件である。
 ここでルイソンの行なった新聞読み倒しが大きく生きてくる。
 新聞にこの事件の経緯が書かれていたせいで、この事件は客観的にここに暴露されることとなった。

 新聞の読み倒しの効力は、ジョンの実母であるジュリアの交通事故死についても大いに発揮されることとなった。 その事故の数週間前にジュリアの名目上の夫がしでかした事件がジュリアの死に関わってくることになるのだ。 ジョンの自宅に住んでいた学生への取材も、ここで生きてくることとなる。 ジュリアの死に関するくだりは、本書上巻のひとつのメインである、と言えるだろう。

 しかし同時に、ジュリアの死からジョンの気持ちの動向があまり読めなくなってくる。

 これは周知のようにジョンが早くに死んでしまったことによるものだが、膨大なインタビューを生前にジョンが受けているにもかかわらず、ジュリアの死がもたらしたジョンの精神への影響は、あまりにも本人から語られていないのだ。 それは後世から類推するしかないが、ジョンの精神状態が分からない、ということはすなわち、ジョンはその哀しみを自らの心の底に沈めてしまったことを意味する。 この事故から数週間のち、ジョンの行動は目に見えて以前よりさらに悪くなり、攻撃的かつ辛辣になっていくのが本書を読んでいると分かる。

 本書が 「容赦がない」、というのはジョンのことばかりではなく、ポールの性格についても同じことが言える。 ルイソンはポールがメンバーの中では最もふつうの良識を持った人物であることをあぶり出しているが、同時にポールの慎重さ、出しゃばり方、嫉妬、仕切り癖、攻撃性なども白日のもとにさらけ出した。
 これはのちに展開する彼らの解散への経緯を考えると、すでに少年時代からその芽が育っていたことを想像させるものだ。
 本書ではジョンの即決性、過去にあったことに拘らない切り替えの速さなどにも言及しているが、オノ・ヨーコが現れたときのジョンの行動が説明出来るし、ここにポールの性格をぶつけさせたときにポールがどのように対処するのか、という回答も出ているように思われるのだ。

 本書の弱点、というのもまさにこの点にあるように思われる。 容赦なさ過ぎて、情報の多さにときどきついていけなくなるのだ。

 この本の上巻は、正直なところかなり読みにくい。

 私のように、ビートルズに関して強い興味のある者、またはビートルズについてかなり知っていると自負している上級者(自分で言うか)同志でないと通じない表現がそこかしこに見られる。
 それでも、この取材力のあまりの膨大さから登場する人物も想像を絶する多さで、誰がどうして誰がこうして、ということを追うのがとても大変なのだ。 私などは途中から 「これは人物関係図でも作らなければ」 と思ったのだが、途中から諦めた(笑)。
 その人物でも、例えばリー・イーストマンという名前が突然出てきたりするが(これは下巻になるが)、ビートルズファンならばこの名前にはピンと来るはずだ。 のちにポールの妻となるリンダの父親の名前だからだ。 しかしそれが無造作に挿入されていたりする。 ビートルズファンは 「リンダの父親がこの頃から既に…」 などと思うことだろうが、「ビートルズの歌が好き」 くらいのファンでは素通りする部分だろう。

 また、「バスの2階に座ってタバコを吸い…」 の部分は傑作 「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」 を容易に想起させるものだが、これもマニアックな表現部分だ。 実はこんな表現ひとつひとつに、私みたいなどうしようもないファンは立ち止まってしまうのだ(笑)。 ビートルズを知り尽くしているルイソンだから出来るこのような遊び。 正直迷惑である(笑)。

 そしてやはり、ヴィジュアル的な部分でこの本は弱い。
 上下巻で1600ページ以上となる膨大な情報量がメインであるから仕方のないことだが、先に述べた 「アンソロジー」 本などを傍らに読めば、イメージが湧きやすくなるのではないか、という気もする(このようなマニアックな本を購入する人は、「アンソロジー」 もすでに買っているはずだから…笑)。

 1600ページも費やして、この上下巻はまだ彼らのデビューまでしか書かれていない。 3部作計6巻のうち2巻に過ぎないのだ。 なんと気の遠くなるような作業なのだろう。
 本書はビートルズを語るうえで孤高の一作となるはずだ。 虚飾をすっかり剥ぎ取った、20世紀最大の奇跡に潜む真実が、これを読めば理解されるはずである。

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2016年3月17日 (木)

「5人目のビートルズ」 サー・ジョージ・マーティン死去

 2016年はその初頭から洋楽における重要なヒーローたちの死が続いて、洋楽ファンにとってはまるで厄年のような年だ。 そして3月8日、我々ビートルズファンにとっては 「近い将来必ず来るであろう」 と危惧されていた、ひとりの名プロデューサーの死を聞かされることになった。
 サー・ジョージ・マーティン、享年90歳。
 死因は今のところ明らかにされていないが、比較的早死にが多いビートルズ関係者の中では、大往生の域に入る。

 その死を伝えるニュースで目立った彼に対する形容に、「5人目のビートルズ」 というものがある。 これはまことに的確な表現ではあるが、ビートルズファンの私に言わせれば、その形容に値するもうひとりの人物は、マネージャーのブライアン・エプスタイン(1967年死去)だ、ということになる。
 要するに、このふたりがいなければ、ビートルズはミュージック・シーンに出てくることはなかったし、またあれほどの伝説的なスーパーバンドとして、世界に君臨することはなかったであろう、という意味でだ。

 ブライアン・エプスタインは彼らをイギリスの片田舎で見いだし、彼らのマネージャーを申し出、彼らをレコード会社に売り込もうと腐心し続けた。
 しかし1961年当時、世の趨勢はロックンロールなどもう時代遅れ、メロウなミュージックが主流を占めていた。
 そんな時に彼らを言わば 「拾った」 のが、EMIのジョージ・マーティンだった、というわけだ。

 もともとマーティンにとってビートルズというグループは、「別に売れようが売れまいがどうでもいい、当たればそれはそれでラッキー」 というレベルだったのだろうが、まあ大手レコード会社デッカのオーディションに落ちるくらい 「落ち続け」 のバンドだったから、それくらいの誇張はレジェンドにとって不可欠な要素だろう。
 しかし採用するんだから、彼らに商品的価値を見い出さなかった、というわけではけっしてない、と思うのだ。

 その 「落ちこぼれ」 バンド採用に際して私が注目するのは、ジョージ・マーティンがもともと、スパイク・ミリガンとかピーター・セラーズ(ピンク・パンサーのクルーゾー警部で有名ですね)とか、コメディ・レコードのプロデューサーを務めていた、という点だ。
 その彼が、ビートルズとの最初の打ち合わせ終了時に、ジョージ・ハリスンに言われたことが彼のユーモアセンスと合致したことが大きいのではないか。 有名な話なので割愛するが…いやマニアの間でだけ有名なので(笑)とりあえず紹介すると、「なにか問題はないか?」 とビートルズに尋ねたら、「あんたのネクタイが気に食わない」 と言われた、というエピソードである。

 その話ひとつだけでは到底弱い気もするけれど、元来ビートルズのメンバーというのは皮肉やウィットに富んでいたから、会話の端々にマーティンが彼らのユーモアセンスを感じ取った、としても不思議ではないだろう。
 また、彼がEMIに就職するまでの道のりは、かなり紆余曲折を経ている。 要するに、仕事に 「面白さ」 がなければやりがいを感じない、というタイプの人間だったことは言えるのではないだろうか。 その彼がビートルズに、「面白さ」 を見い出した瞬間、歴史の歯車は大きく動いたのだ。

 もうちょっと突っ込むと、このエピソードで引き合いに出されているのが、ジョージ・ハリスンの言葉だった、ということも興味深いものがある。

 なぜなら、ビートルズのメンバーはジョン・レノンもポール・マッカートニーも英国人特有のユーモアセンスを持ち合わせているとは言うものの、初対面に近いマーティンに向かって 「アンタのネクタイが…」 などとはあまり言わなそうな気がするからだ。 ジョンなどはどちらかと言えば内向的な性格が表に出てしまうような気がするし、ポールに至ってはそのコマーシャル的な性格であまりひと様を皮肉るという発想が 「その時点では」 出てこない気がする。
 その点ジョージ・ハリスンはメンバーの中でいちばん若く、テディ・ボーイの精神をいちばんその時点で引きずっていたように思える。 若いからムチャするんだよな(笑)。 しかもユーモアに対するリスペクト度は人生を通じて高いし(笑)。

 ジョージ・マーティンのビートルズにおける仕事を俯瞰してみると、彼が彼らの音についてOK GOサインを出す基準は、「より荒々しく勢いのある音」 であったように私は感じる。

 多少のミスなどは気にしない。
 その姿勢はいちばん初期に当たる 「プリーズ・プリーズ・ミー」(デビュー第2弾シングル曲)ですでに顕著だ。

 今日ではこの曲はデビュー曲の黒っぽい 「ラヴ・ミー・ドゥ」 とはまったく違った路線のように思える。
 しかしもともとは、ロイ・オービソンのようなイメージの、スローなナンバーだった。 この曲をスローなイメージで頭のなかで再構築してみるがいい。 実際は 「ラヴ・ミー・ドゥ」 路線の黒っぽさを継続していたのではないか、という気にさせるだろう。
 しかしマーティンは、この曲のテンポを上げるという提案を、ビートルズに対してしてきた。
 彼らはそれに同調した。
 この時点でビートルズとマーティンのあいだには、すでに波長の合致が見られる。
 それは、デビュー曲にまつわるせめぎ合いが関係しているように、私には思える。

 彼らのデビュー曲に、マーティンは他人の書いた曲(「ハゥ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」)を用意してきたのだが、彼らは頑として自分たちのオリジナルでデビューすることにこだわったのだ。
 「ハゥ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット」 は現在 「アンソロジー1」 で聞くことが出来るが、「結構ヌルい」(笑)。 おそらくヒット性はあった。 当たり障りのないいい曲、という印象なのである。 そして彼らも、これもいちおう仕事、と割り切って、きちんと演奏している。 そこらへんはプロの意識が既にある。

 しかしビートルズは、より玄人受けするような 「ラヴ・ミー・ドゥ」 を使いたい、と主張したのだ。 マーティンはそのとき、なにを感じたのだろう。

 「ま、当たってナンボだからい~か」(?…笑)。 そこにいい加減さがなかった、とは言えまい(笑)。 しかし彼は如実に、このグループの 「こだわり」 というものも肌身で感じたに違いないのだ。

 それに対してマーティンも、自分なりの 「プロのこだわり」 で応じているように思える。
 すなわち、ドラムのダメ出し、である。

 まずこの 「ラヴ・ミー・ドゥ」 のレコーディングの最初は、ドラマーがピート・ベストのときに行なわれている(その時点ですでにこの曲をデビュー曲にしよう、というせめぎ合いがあったかは不明だが)。 しかしマーティンは 「ドラムがまずい」 と一蹴。
 ピート・ベスト・バージョンも 「アンソロジー1」 で聞けるが、なるほどテンポは一定してないしいかにもシロートっぽい。

 しかし、また話が脱線してしまうが(笑)「ラヴ・ミー・ドゥ」 という曲、間奏部分で彼らは、テンポを意図的に変えているように、私には聞こえるのだ。
 それと同じ発想の曲が彼らにはある。 「アイ・コール・ユア・ネーム」 だ。 この曲、間奏部分でいきなりリズムが変わって、スカ・スカになる。 「アンソロジー1」 のピート・ベスト・バージョンの 「ラヴ・ミー・ドゥ」 ってそれに似てないか。 テンポを間奏で意図的に変えるって、かなり難しいように思えるんだが(笑)。

 マーティンのドラムダメ出しに対して、ビートルズはピート・ベストをあっさり解雇。 まあおそらく、当時メンバーの中ではいちばんいい男で人気のあったピートをどーにかしよう、という気もあったのだろうが(笑)、ここで担ぎ出されたのが、リンゴ・スターだった、というわけである。

 ロリー・ストーム・アンド・ザ・ハリケーンズというリバプールきってのバンドのドラマー、リンゴを引っ張ってきてレコーディングは再開されたが、マーティンの判断はまたもや 「NO」。 結局アンディ・ホワイトというセッションドラマーを連れてきて 「ラヴ・ミー・ドゥ」 は完成された。

 これって、かなりゴタゴタの末の完成だ、と私は思うのだが。

 ただそれによって、マーティンが当時していた仕事のなかでビートルズの占める意識の割合、というのは、しょっぱなからかなり大きくなった、と言えるのではないか。
 「プリーズ・プリーズ・ミー」 をテンポアップさせる、という発想は、だから彼らの 「勢い」 をレコードに刻みたい、という思いから生まれたものであるように、私には感じられるのだ。
 現にこの曲の中で、ジョンとポールのコーラスで歌詞がバラバラな部分があったりする。 そのミスをそのままレコードにした、ジョージ・マーティンの意図に、思いを致さざるを得ない。 そして同曲で、彼らはブレイクした。

 彼がクラシックの素養を持ち合わせていたことも、ビートルズにとっては大きなステップの要素となった。
 初期の頃からピアノで彼らのレコーディングに参加することの多かったマーティンだが、そのクラシック的才能のもっとも早い披露は、ポール稀代の名曲 「イエスタデイ」 に最大の貢献を見せる。

 この曲の弦楽四重奏のスコアは今聞いてもまったくすごい、としか言いようがない。
 それをダブルにして八重奏にし、ロック的要素を加味したのが 「エリナー・リグビー」。 この曲の弦の響きはあくまでスタンダードな 「イエスタデイ」 と比べてアタック音がかなりダイレクトだ。 マーティンはそれをなんとかの影響、と言っていた気がするのだが、今ちょっと思い出せない(笑)。 いずれにしても、マーティンのクラシック的素養がビートルズのアレンジメントに影響を与えていく様は非常にエキサイティングだった。

 そのストリングスアレンジの最も昇華したものが、「アイ・アム・ザ・ウォルラス」 だったことは納得いただけるのではないだろうか。 グリッサンドの応酬みたいなあの気味の悪いストリングスは、ジョン・レノンの現代音楽に対する大きな扉を開いているように、私には思える。
 テープ・スピードの調整による別アレンジの結合、といった離れ業もやってのけている。
 「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」 である。
 今ではMPEGだかなんだか、機械が簡単に 「音程を変えずにテンポを変える」 とかやってくれるご時世なのだが、当時はスゲーアナログな方法でそれを実現した。
 もともとジョンが 「こっちのアレンジもいいけどこっちのもいい、ふたつつなげてくんない?」 というムボーな要求をしたために(笑)マーティンはそれをしなくてはならなくなったのだが、重要なのは、マーティンがそれを 「面白がって」 実行した、ということだ。

 特にジョン・レノンのムボーな要求、というのは彼のモチベーションを高めたはずで、それがビートルズの音作りに多大の貢献をしたことは、あらためて言うまでもない。
 「ストロベリー・フィールズ」「ウォルラス」 などは、現代のアーチスト表記法で言えば 「ジョージ・マーティンfeat.(フィーチュアリング)ビートルズ」、となってもおかしくないほどの貢献度なのである。

 最近発表されたリミックスバージョンの 「ザ・ビートルズ1」 では、息子のジャイルズ・マーティンがステレオ・バージョンの音配置を大幅に現代用に直したが、この発想もすでにCD出始めの時代に彼によって始められていた。
 すなわち、1960年代のステレオミックスというのはステレオ効果を大々的に強調するために、演奏左ヴォーカル右、みたいな極端なことがなされていたのだが、それをLP 「ヘルプ!」 と 「ラバー・ソウル」 で彼は自然な聞こえ方に直したのだ。
 結局その作業はこの2枚のアルバムで終わってしまったわけだが、今回の 「ビートルズ1」 は未来に向けてジャイルズがその父親の作業を引き継いだ、ひとつの過程なのだ、と私は位置付けている。

 ジョージ・マーティンが生前、ビートルズの仕事でいちばん最後に行なったのは、マッシュアップアルバム 「ラヴ」 において、「もうひとりのジョージ」、ハリスンの遺した 「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」 のギター1本で歌われる美しいデモ・バージョンにつけた、ストリングススコアだった。 それはかつて彼がアレンジメントで駆使したスリリングさに欠けてはいる、とは言うものの、その旋律は故人に寄り添うように、限りなく美しい。

 かつて 「アンタのネクタイが気に食わない」、と憎まれ口を叩いたジョージ・ハリスンと、今ごろマーティンは天国でどのような会話を交わしているのだろうか。

 レスト・イン・ピース。 サー・ジョージ・マーティン。

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2015年1月19日 (月)

桑っちょの不敬事件について

 サザンオールスターズの桑田サンが、年越しライヴで行なった一連の行動に批判が集まり、本人が謝罪する騒動に至りました。
 そのこと自体については、「まあやり過ぎちゃったかな」 という程度のことしか申せませんが、桑田サンがそのような行動に至った背景は、私なりになんとなく解説できるかな、という気はしています。 まあ的外れかもしれませんけどね。

 特に今回の行動のなかで、勲章に対する不敬、という点においては、桑田サンが多大なる影響を受けているビートルズ(とりわけジョン・レノン)と、吉田拓郎サンが原点にある気がする。

 ビートルズは1965年にM.B.E.勲章というものを本国でもらったのですが、それをジョン・レノンはビアフラ紛争にイギリスが介入したことに抗議して、1969年だったかに返還しています。 ビートルズのなかで勲章を突っ返したのは、ジョン・レノンのみ。

 M.B.E.勲章自体はイギリスでは最も初歩的な勲章じゃなかったかな。 もともとの授与理由というのはビートルズが世界的に有名になって外貨を英国にもたらした、ということだったらしいけれど、当時はロックバンドみたいなチャラチャラしたのが受章したのが初めてだったので、軍人であるとか過去の受章者からかなり突き上げがあったらしいです。

 ジョン・レノンがその勲章を返還したことについて、よしだたくろう(当時ひらがなでした)サンは1973年に 「ビートルズが教えてくれた」 という曲の中で取り上げています。 まあ、この曲の作詞者は岡本おさみサンだったんですけどね。 よしだたくろうがこの内容の曲を歌うことに意味があるのだ。

 歌詞を一部無断借用してみましょう。

 「勲章を与えてくれるなら 女王陛下からもらってしまおう
 女王陛下はいい女だから つきあってみたいと思う
 それも自由だとビートルズは 教えてくれた
 くれるものはもらってしまえ ほしいものはモノにしたい
 その代わり捨てるのも勝手さ もらうも捨てるも勝手さ」

 こういう一連の 「勲章に対するイメージ」、というものが、ビートルズとよしだたくろうに心酔した者にどのような影響を与えるかは、推して知るべきでしょう。
 まあ、今回の勲章に関する不敬に関して、「そりゃ桑田とジョン・レノンとは次元が違うだろう」 ということになるのかもしれません。
 けれど、ジョン・レノンにしたって勲章を返還するときの理由として、ビアフラ紛争とベトナム戦争のことを引き合いに出すいっぽうで、同時に当時の自らのソロ・シングル 「コールド・ターキー」 がチャートを落ちてきたからそれにも抗議する、とか(笑)いうのもあって。
 これって英国流ユーモアかもしれないけれど、そこにはジョン・レノン自身の 「別に国から褒めてもらう必要なんかねーよ」「勲章もらってありがたがっている連中と俺は違うんだ」 という気持ちみたいなものも、垣間見える気がするんですよ。

 ジョンにとって勲章返還の理由は、なんでもよかった。
 ただ当時彼が本腰を入れていた 「戦争に抗議する、平和を訴える」、という手段のひとつとして勲章返還を利用しただけであって。

 そこには立派な理由も存在するかもしれないけれど、国から褒められたまんまでいると好きなことも国に対して言えないんじゃないか、という彼の危惧も読み取れるし、それをごたいそうな理由で返還しようということに対して、彼独特の恥じらいもあったような気もする。

 ビートルズが壊してきたのは、こうした既成の慣習であるとかしがらみであるとか、エラぶってる大人たちの大事にしているものだったように思う。

 勲章というのは、いわば自分のしてきたことを国から褒められる、ということでしょう。
 それは確かに、今までの自分の頑張りに対してのご褒美である、栄誉あることなのだろう、と思う。
 しかし裏を返せば、そういう人たちって国に税金たんまり納めたんじゃないのかな? まあそれだけじゃダメだろうけど、そこに国にとって何らかの意義が認められれば、国はその人に対して勲章をあげよう、となるわけであろうと思われ。
 そうなると、どこかで政治的なにおいもつきまとってくる。 今回の桑っちょの受章だって、安倍サンが自分の人気取りのために決定したのかもしれないし。
 もともと桑田サンの、サザンやソロのアルバムまでちゃんと聴いている人なら分かるが、桑っちょ、かなり政治に関してはラジカルな意見の持ち主ですよ。 「紅白」 の項で書いたけれども。 「汚れたキッチン」(アルバム 「ヤング・ラヴ」 のなかの1曲) の歌詞をちゃんと読んでみましょう。 「音楽寅さん」 でも、ビートルズの 「アビイ・ロード」 を全曲もじった 「アベー・ロード」(当時第1次の安倍政権だった)で、右派から左派から大政党から小政党に至るまで、政治家全部を揶揄してるし。 桑田サンは、政治全体に対して不信感を持っている気がするんですよ。 それは我が国の圧倒的多数派を占める無党派層のスタンスそのものでもある。

 だからって軽率な行動を擁護できるわけでもないんですが(ハハ)。 桑っちょ、やるなら 「アベノミクスに反対して」 勲章返還せんかい、つーか(笑)。

 でもそういう精神の遍歴というものが、おそらく桑田サンに作用してるんじゃないか、ということだけは、ここで解説できるような気がしたわけです。 繰り返しますが、的外れな解説かもしれませんけどね。

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2014年12月28日 (日)

ビートルズは今年(2014年)、ポールを含めて完全に金ヅル状態

 今年(2014年)も、ビートルズに関する話題は尽きることがなかった。
 これはとりもなおさず、彼らが未だに世界一のスーパーバンドであることの証左なのだが、その話題のほとんどは、長年のビートルズファンにとって苦々しいものばかりであった。

 まず日本にとってのいちばんの話題は、やはり5月のポール来日公演の中止であろう。 この公演初日に行った私も、モロにこの影響を受けた。
 しかしあとになってみると、「中止になったまさにその場に居合わせた」 ということ自体が、なにかとても貴重な体験をした、と考えている。
 結局のところ、ポールの病気は腸捻転だったらしい。 これについては最近、ポールから来年(2015年)再来日の約束がされたことの報道があったので、こちらはもう、当然行く心構え満々である。 仕事を休んででも行く(笑)。

 再来日のスケジュールとしては、また東京ドームとかお決まりの会場が報道されているが、私としてはなんとしても、次は野外でポールを見たいと熱望している。
 そもそも中止になった国立競技場が、ポールの来日公演にとって初の野外となる予定だった。
 野外ともなれば、「007死ぬのは奴らだ」 でのお決まりである、火薬を使った演出も派手さを増し、花火が上がり放題のものすごいものになるであろう。

 しかし同時に再来日の会場として取り沙汰されているのが、日本武道館の公演である。
 これについては今年(2014年)、その料金の高さがかなりの話題に上った。
 これは武道館のキャパが1万人しかないことに興行的なネックがあることが問題なのだが、最高で10万円、というその値段はおそらく、金持ちしか相手にしていない商売と言われても仕方なかろう。
 これはその歴史的価値から言っても、それくらいボッてもいい気もするのだが、そもそも高い料金で自分たちを見せる、ということについては、ビートルズの精神とおよそ大きくかけ離れている、と言わざるを得ない。

 かつてジョン・レノンは、「安い席の人は拍手を、高い席の人は宝石をジャラジャラ鳴らして下さい」 と言い放った。 お高くとまっている客の多かったロイヤルコンサートでの強烈な皮肉だ。
 つまり、武道館公演を10万円もの値段を出してポールを見る人に対しては、「宝石をジャラジャラ鳴らして応援してください」、ということが、ビートルズの精神として叶っていることなのだ。

 しかし、ここまでビートルズが伝説化し、ポールの年齢なども考えると、客席の料金が高騰することは、むしろやむを得ないこととも言える。
 それに、長年ビーファンをやっていれば、それなりにお金のやりくりもできるというものだ。 自分へのご褒美に、という考え方自体が私は嫌いだが(笑)、自分の努力の対価として高い料金を出してポールの武道館公演を見ようという人を、私はけっして非難するものではない。 ジョンが皮肉ったのは、札束にモノを言って本当に自分たちを観たい人たちを蹴散らす金持ちたちの傲慢に対してだったからだ。

 問題なのは、そういった事情もみんな計算し、高い料金を吹っ掛けてくる、プロモーターとか、ポールやビートルズを取り巻く連中である。

 実は、私が苦々しく感じているもっとも核心の問題がこれだ。

 今年(2014年)、ビートルズはアメリカ上陸、および日本に紹介されて爆発的な人気を獲得してから、50年という佳節にあたった。
 それに便乗するかのごとく、EMIから販売権を譲り受けたユニバーサルミュージックは 「USボックス」「JAPANボックス」 といったボックスものを乱発。
 私が最も苦々しく感じているのは、このユニバーサルのアコギな商売なのである。

 かつてEMIでVol.2まで出ていた企画モノ、「キャピトルボックス」 は今回の 「USボックス」 とまるきり意趣を同じくするものだが、当時アメリカで発売されたラウドミックスやエコーかかりまくりバージョンをそのまま再現し、さらにステレオヴァージョンとモノヴァージョンを2イン1にした、今にして考えるとかなり良心的なボックスセットだった。 さらにジャケットの作りもいい加減で(笑)、「これぞアメリカ流」 という皮肉を図らずも演出していた気がする(極めつけはボックスセット自体の作りで、気をつけないとCDを出すときにかなりヤバかった…笑)。

 しかし今年出された 「USボックス」 は、その音源を2009年リマスターのものと統一させた(「JAPANボックス」 も同様の措置が採られた)。
 これはこのボックスの価値自体を大幅に下げる所業である。
 ユニバーサルは、これをかなり意図的にやっているフシがある。
 こうすれば、のちにかつてのEMIバージョンに準拠したボックスが、もう一度作れる、そんな意図を感じるのだ。

 ポールのCDの売り方も同様である。

 ポールについてはEMI時代にも前科があるのだが、去年出されたレーテストCDである 「NEW」 を、ヴァージョンを変えながら3種も売り出した。 しかも完全な後出しジャンケン方式。 これは紛れもなく、ファンを裏切る行為でしかない。 完全なものがあとから発売されるのであれば、それだけを買うに越したことがないではないか(しかも一番最後の完全版と目されるものも、実質的には完全版ではなく、結局全部網羅するには3種買わねばならない)(厳密には2種、最初のだけ買わなきゃいいのか)(いや、ジャケットの体裁が違う…やっぱり3種だ…笑)(AKB方式が業界を浸透して、同じものを買わせるということに罪悪感がなくなっているのではないか?)。

 オリジナルに少々違うものをいちいちつけて、同じものを3度も買わせる。
 いくらなんでも薄汚すぎる。
 これが、ユニバーサルの商売なのだ。

 こうなってくるとポールのアーカイヴ・シリーズというのも 「同じものを買わせる」 一環に見えてきてしまうのだが、今年の11月に発売された 「ヴィーナス・アンド・マーズ」 では、なんと音飛びの不良品まで売りつける暴挙に出た。 しかも現在のところそのフォローは一切ない。 あのなぁ。 いい加減にしろよユニバーサル。 0コンマ何秒かなんて問題ないとでも思っているのか? さんざん発売延期させて、しかも値段までつり上げたあげくにこれだ。
 回収して正規のヤツを賠償するなんて発想自体がないんだろう。 あとからコソコソ正規のヤツを発売して、もう一回それを買わせる魂胆なんだろう。 我慢ならない。

 このユニバーサルのダーティ・ビジネスは年末も滞りなく行なわれた。
 すなわち、ビートルズのCDの高音質盤(SHM-CD)リリースである。
 さらにはジョン・レノンのSACDもリリースされた。

 同じものを手を変え品を変え売り続ける。
 マニアはこれを買い続けるしかない、という因業につけこんでいるのだ。 良心のかけらさえ見当たらない。

 私はもうとっくに見限ったのであるが、確かにもう増え続けることのないミュージシャンの音源を買わせるのは、この方法しかなかろう。
 しかし本当のファンが望んでいるのは、もっと本丸があることを、ユニバーサルは知る由すらないのではないか。 いや、知っててじらしとるのだろう。 フザケンナ、と言いたい。

 今年行われるはずだった武道館公演に関しても、20歳以下の人は1500円とか、いかにもよさそうなことをブチ上げていたが、これは実は、こうしたアコギな商売に乗せられ彼らの音源を買いまくるマニアを増やそう、という魂胆が根底にあることは間違いない。 こういう発想は、ユニバーサルだけでなく彼らの取り巻き全体からあふれ出ているのだ。

 いい加減にしろよ、どいつもこいつも。

 来年(2015年)のポールの公演が、いったいどのくらいの目ん玉飛び出る値段になるかは分からないが、せめて客席くらい選べたらいい…のだが、そんなことは無理無理無理無理………(ハハ)。
 2013年の東京ドームでS席だったにも関わらず、いちばんうしろの壁のほうが近い席に座らされ、一緒に歌ってたら 「うるさいよ!」 とまで言われた最悪の東京公演の、リベンジをさせていただきたいものだ。

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2014年5月20日 (火)

ポール・マッカートニー全公演が中止、…。

 既報の通り、ポール・マッカートニーの今回2014年アウト・ゼアー・ジャパン・ツアーは全公演が中止、ということになりました。
 17日公演のチケットを持っていた自分は振り替え公演のわずかな可能性を信じていたのですが、ここ数日の心労に、さらに虚脱感が加わっている感覚です。

 まあネットでもいろいろと言われてますけど。

 とにかく1ファンとしては、ポールの病気の回復を祈る、というのが本音であり建前であります。

 しかし主催者側に対しては、何なんだよコレ、払い戻しだけで済むと思ってんのか、という感じ(確かにビンボー人根性というのはあるが…笑)。

 ポール自身が早期実現を希望しているという再来日公演ですが、それがもし実現したとして、正直なところ、今回のチケット購入者を何より優先してもらいたいし(無条件で同程度の席確保を受け入れるのは当然)、さらに今回、遠方からやってきた人々に対しては、それなりのリカバリーケアをしてもらいたいと強く思います。

 まあ冗談交じりに言えば、ポールとの握手券つきとかね(笑)。 そりゃ何万人もの人々と握手する訳にもイカンだろうから、これはあくまで冗談ですよ。
 でもなんか。

 あえて 「あしたのジョー」 的に言えば、「プレミアつけてけえせ」 つーか(笑)。
 例えば今回のチケット購入以外の出費が多い人ほど、レアなグッズを添付します、みたいな。

 そりゃ主催者も今回のことで大損害を受けているのは分かりますけどね。

 でも主催者側の無理なビジネスが、今回の事態を招いた、とも言えるんじゃないでしょうかね。

 特に武道館とか、まあキャパが1万程度しか入らないところだからそれをリカバリーしようというのは分かるけど、価格が尋常じゃなかったでしょ。
 さんざん大風呂敷広げといて。

 「皆様には大変な迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」 だって。

 いいよなあ、謝れば済むから(笑)。

 日本のファンは心が広いな~。

 そして何より健気ですよ。

 こんなにプロモーターに振り回されてですよ、それでもポールの健康のことを心配しているのだから。

 確かに今回のことで、ポールがそれなりの年齢である、という事実を、我々ファンは突きつけられました。
 そしてファンとして、どうあるべきかも考える場を与えられたような気がします。

 なにしろ私の場合、手前勝手ですからね。
 ブチブチ文句ばっかり言ってる。
 その後ろめたさを、今回はプロモーターのせいにして回避しようとしている。

 でももっと、キョードー東京にしても、ユニバーサルミュージックにしても、ポールを金儲けの道具として利用しまくるのは、やめにしてもらいたいと思うのが、偽らざる私の感想なのであります。

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2014年5月17日 (土)

ポール・マッカートニー本日(5月17日)公演延期の顛末

(1)公演延期まで現地、国立競技場での流れ

 自分がニュースの渦中にいる、というのは、なんか奇妙な感じがするものであります。
 本日私が出かけたポール・マッカートニーの 「アウト・ゼアー・ジャパン2014」(「アウト・ゼアー」 が 「お出かけ」 の意味もある)の初日、国立競技場での5月17日の公演は、ポール本人の病気(ウィルス性炎症)によって、19日の月曜日に延期になりました。 なんたることでしょうか。

 私は午後1時過ぎくらいに国立にやってきたのですが、その時点でグッズ売り場はすでに長蛇の列。 私もその列に並びましたが、去年の最終日公演の時よりはスムーズに流れていた気がしたな。 私はパンフとTシャツを購入。 この内容については、後述いたします。

 で、グッズを買ったあと、国立競技場の周囲を走る道路でポールの会場への入場を待つ、「入り待ち」 の群衆の中に加わったのが、2時過ぎくらいだったかな~。

 しかし待てども待てども、ポールは会場に現れない。 入場ルートが極めて容易に推定されるためか、「入り待ち」 の群衆は、時を追うごとにかなりの数、膨らんでいきます。 そのうち、なんかその数が凄すぎて、交通に支障をきたすんじゃないか、と思われるくらいになってきた。 こういうのって珍しいんじゃないか。
 でも、開場予定の3時半を大きく過ぎてもポールは現れない。 ずいぶん入りが遅いけど、なんか今日は、サウンドチェックがないのかな、会場入りしてリハーサルも始めないでいきなりぶっつけ本番でやるのかな、まあ野外だからな、などと考えていたら。

 そしたら4時か4時半くらいだったでしょうか。 近くでスマホを見ていたオジサンが(イヤオレもオジサンなんだがね)、「月曜になった」 としゃべっている。
 「エ?なんのこと?」 と、なんとなく不穏な空気があたりに流れ始める。 どうやら公式のサイトで正式な表明が出たらしい。 しかしその正式な表明というのが、なんかよく分からない。

 すると主催者側のスタッフが、「入り待ち」 をしている私たちに向かって、「本日の公演は中止になりました」 としゃべりだしたのです。 この時点で、まだその原因というものもスタッフに伝わっていなかったようでした。 公演は月曜日(19日)に延期になった、と。

 そのとき私の頭を真っ先によぎったのは、「月曜日じゃ仕事だ…。 払い戻しするしかないのか…?」 ということ。
 なんとなく湧きあがってくる怒り。
 1週間のうちで土曜日の今日しか見に来れないんだぞ。

 ただこのとき、かなりの数の人がそこにいたのですが、大きな混乱というものは私の見ている限りまったく起こりませんでしたね。 原因も分からず、いきなり延期だと通知されているのに。
 おまけに 「入り待ち」 状態でずいぶんと待たされてじりじりしているのだから、気が立っている人もいるでしょうに。 でもスタッフに食ってかかるような人はいなくて。
 ただ、「大分から来たのに」 とか、「北海道から来たのに」 という不満めいた声は、その時点でちらほら聞かれましたね。 まあ不満というより 「どうしたらいいの」 という戸惑いといったほうが正しいですが。
 そういう人たちは大変ですよね。 どうするのかな。 やっぱり払い戻しということになるのかな。

 それにしても、「本日の公演は中止」 なんて、なんかすごい場に居合わせてしまっているぞ…。

 まあ、40年というスパンでポールの前科というものを考えた場合(笑)、ポールには日本のファンは幾度となくガッカリさせられてはいるんですよ。
 もっとも大きかったのは1980年1月の来日。
 入国審査で大麻所持が発覚、ロウヤに入れられた末に強制送還、ライヴも全部中止、という事件がありましたよね。
 それを考えると別に珍しいことでもないんですが、最近じゃそういうキャンセルとかなかったし、いずれにしても自分がその場にいる、ということ自体が、まさに貴重な体験をしていることになるのです。

 ほどなくして、原因がポールの病気だ、ということがアナウンスされました。 そしてまたほどなくして、競技場に隣接する公園で、今回の公演延期のことについて書かれたチラシが大量に配られ始めました。 ここまでのスタッフの動きは手際がよかったと感じますが、それでもチラシが配られるまでには多少のタイムラグはあった(まあ、延期の公式発表までが遅かった、という議論もございますが)。

 チラシの内容は公式サイトに載っているものと同じ内容ですが(→ http://outthere-japantour.com/2014/update/news/1076)、このチラシ自体も結構マニアにとっては将来、貴重なものになっていくのではないか。 マニアのかなしいサガですね(笑)。 公演延期が決まってすぐに帰っていった人は、このチラシをもらわずに帰ってしまったんですからね。

 それにしても、ポールのウィルス性炎症という病気。 心配です。
 息子のジェームズの告白などによって、ポールも近年、バリバリの健康体でもないということが、かすかではありますが耳に入ってくるんですよ。 それでなくとも今年の6月には72歳になるのですから。
 去年のアウト・ゼアー・ツアーでは、私が会場で耳にした限り、結構声の衰えは隠しきれないものもあるよな、という感想でした。
 つまり、ポールがここまで精力的に動いているのは、別の側面から見れば、かなり奇跡に近いのではないか、という感じがするのです。
 今日の公演が延期、というだけならいいのですが、明日、そして延期になった本日の分が19日。 そこから武道館まで、1日置いただけ、ということにもなる。 結構強行軍な気もします。 ポール自身のコメント(→ http://outthere-japantour.com/2014/update/news/1089)にも、今後のスケジュールについての不安がちょっと垣間見られる気がします。 ポールのライヴを見たいのはやまやまだけど、まずは元気になってもらいたいし、ベストコンディションのポールも見たい、というのもファン心理なのです。

(2)今回のツアーのパンフレット、およびオフィシャル・グッズについて

 前回2013年のときにパンフレットを買っていたから、今回は要らないかな、と思ったのは事実です。 でもやはりかなしいマニアのサガでして(笑)、今回も買ってしまったんですよ、パンフ。

 そしたら、「内容の一部を更新しました」、という控え目な宣伝文句だったにもかかわらず、まったく同じなのは、ポールへのインタビューの一部、「カット・ミー・サム・スラック」 の文章の一部、「ウィングス・オーヴァー・アメリカ」 の全部、そして3D仕様の写真が全部、そこだけでした。
 あとは同じ文でも微妙に最新の情報を織り込んでいるし、前回日本語がおかしかったところを修正したりしている。
 ことに全体のヴォリュームが表紙を除くと55ページだったものが、今回63ページにまで増えています。 これは前回2013年の日本公演の模様や、そのあとに起こったいろんなこと(グラミー賞でのリンゴとの共演とか)を盛り込んで記事にしているからで、「同じツアーのパンフだから内容も同じだろう」 という推測がまったく当てはまっていません。 3000円は消費税の増税後でも同じ(まあオフィシャルグッズみんな消費税増税関係ないですけど)ですから、前回買った人は躊躇をしてはいけない、と感じます。

 そして私が買ったTシャツ。 これは商品番号Aなのですが、サイトで見た限り、本日5月17日の日付だけが背中にプリントされているのは、これだけ。 5月17日の公演が幻になってしまったのですから、これはレア感が増すのではないでしょうか。
 まあ値段は4000円で、これも増税関係ないとはいえ、Tシャツなんてユニクロで買えば4枚は買えちゃうんじゃないのかな(よく知らないですが)。 そこはそれ。 ライヴ会場でしか買えないものは、やはり値段を出しても買いたいものなのです。
 ただ私がグッズ売り場で買ったものは、ご丁寧に背中のタグ、っていうんですか?ピラピラついてるヤツ。 アレが切り取られてましたよ。 前回はちゃんと付いてて、しっかりバングラデシュ製なのがバレてましたが(笑)。

(3)ポールのライヴを見に来る人たち

 公演延期でちょっとボー然として、それまで3時間近く立ちんぼうだった疲れもあって、代々木門の正面の鉄製の柵にしばらく座っていたのですが、なんかこの大群衆が、みんなポールを見に来てるんだと考えたら、なんか人間観察が面白くなりはじめまして。

 どんな人たちがポールを見に来るんでしょう。

 いちばん最初に感じたのは、「財津和夫サンみたいな風貌、体格の人が多い」(笑)。

 財津サンはビートルズファンの代表みたいなところがありますよ。

 それとやはり、私と同じ40、50、60代の男性が多いんですよね。
 その人たちに共通しているのは、「私はビートルズによって人生が変わりました」 というオーラが全身から漂っていること(笑)。 悪く言えば、「ビートルズに出会わなければ、私はこんなに砕けた大人になってませんでした」 つーか(爆)。

 そして40、50、60代と思しきオバサマがた。
 やはりなんか、どこか垢ぬけているんですよ。
 でもその垢ぬけかたが、ちょっとエキセントリック入ってるみたいな(笑)。
 まあライヴですから、エキセントリックを強調したなりをされていたのかもしれませんが。
 分かる人にはとても分かりやすい表現で言うと(笑)、星加ルミ子サンみたいのが多い(笑)。

 あとですね。
 やーたーらーと、カワイコチャンが多かったな。
 こういう人ってたぶん、カレシとか親がビートルズ好きで、そこで自分もハマったか、ただついてきてるだけか、メジャーだからという、ただのオシャレ感覚なのか。

 あと特筆すべきなのは、こう言っちゃ悪いけど、太ってるオッサンが多かったです。
 たぶんこういう人たちは、オタッキーなレベルでビートルズを愛しているんだろうなー。
 私なんかぶっ飛ぶほど、すごく細かいとこまで知ってますからね、オタクビートルマニアというのは。 こういう人たちの層って、すごくなんか、神経質そうに見えます。

 それと、やはりビートルズに影響されてちゃんとした社会人になれないまま、ベンチャー企業とか起こして成金になった、みたいな太ったご老人がたもいらっしゃいましたね(スイマセンネ慇懃無礼で)。

 そうそう、外人さんが極端に少なかった気がするな~。 こんな大群衆の中で、私が見かけたのはほんの2、3人だった。

 とても興味深かったのは、人混みを先導している主催者側のスタッフの若者たちが、このポールのライヴの客層のカテゴリーに、全く入っていない、ということです。
 このスタッフの若者たちは、たぶんビートルズなんか、ちゃんと聞いたことがない。
 だからなのか、きちんとしているんですよ、なんとなく。
 ビートルズに染まった大人たちは、だからその逆で、なんとなくどこかで周囲に流されない自らのスタンスというものが確立している気がする。 個性的な大人たちなんですよ。

(4)蛇足

 で、人間観察をしていたら、小さなカメラを持った、ひげを生やした男の人がやってきて、「TBSテレビですが、ポールのライヴを見に来てたんですよね、今日?ちょっとお話を伺いたいんですが」 と取材を受けてしまいました。
 別に大したことしゃべんなかったからいいけど、もしかして今夜の 「ブロードキャスター」 とか明日の 「サンジャポ」 に、VTRで出ちまうかもしれません(ナイナイ…笑)。

 最後に。

 そのインタビューでも(インタビューなんて、カッコいいな)話したのですが、とにかくポールには、早く治って元気な姿を見せてほしいですね。

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2014年5月10日 (土)

ポール・マッカートニー48年ぶりの武道館公演! と素直に喜べないさまざまな事情

 今日の午前4時に電撃的に発表された、ポール・マッカートニー武道館追加公演のニュース。
 まさに寝耳に水で、1966年(昭和41年)のビートルズ来日公演以来の武道館、という歴史的な意義は計り知れないほど大きい。
 しかし問題は、その内容である。
 アリーナ席10万円。 S席8万円。 A席6万円。 B席4万円。
 ポールのライヴには、当日本編が始まる前のサウンド・チェック(音合わせ)を観覧できる特別ヴァージョンがあるが、それでも6、7万円クラスだから、今回席によってはそれ以上の高額な値段と言える。
 だから今回の武道館公演はハナからセレブ限定で、ビンボー人の私などはイライラしつつもまったく食指が動かない(笑)。
 でも本当に腹の立つのは、これを午前4時に発表してそのままチケットの受け付けが開始される、というその方法。
 午前4時からて、なんやねんソレ。
 早いもん勝ちだったら早起きは3文の得みたいな(笑)。
 まあちゃうやろうけど(なんか関西弁になってます~)。 遅れてもランダムでいい席取れるんだろうけど。
 価格設定はもう、プロモーターの一存だろうな(当日武道館を押さえていたミスチル絡みの事情もありそうだけど)。
 ポールがそんなに金に困ってるわけないし。
 しかも公演の10日前とか、なんやねんソレの2乗。
 アコギすぎるぞプロモーター。

 その批判を緩衝させようというのだろう、今回25歳未満の人限定で、48年前当時の日本公演の値段、1500円で販売される席もあるという。
 しかしこの販売方法は、「若い人たちに伝説を味わっていただきたい」 などというホトケ心で発生したものではない、と私には思えてならない。
 要するに、未来永劫、ビートルズを自分たちのおメシの種、金ヅルとして継承していきたい、という、あさましいスケベ心なのである(断言…笑)。 「1500円ポッキリ」 などと客引きしておいて、今後50年以上ビートルズ商品を売りつけ続けよう、という、ボッタクリバーみたいな商法となんら変わることがないのである(スゲエこと書いてんな…笑)。

 特にここ数年、ビートルズ関係というのは完全に金ヅルと化している、というのは、40年来ファンを続けている私の、偽らざる感想だ。
 特に所属レコード会社だったEMI(日本では東芝EMI)が消滅してからというもの、それを継承したユニバーサル・ミュージックが手掛けるビートルズの売り方というのは、まことに酷い。
 全世界が大熱狂した、2009年9月9日のCDリマスター発売まではきちんとEMIの仕事だった気がするが、去年発売されたUS BOX、そしてこれから発売されるJAPAN BOXは、価格設定の強気さを筆頭にして、その価格に見合うだけの内容に昇華していない。 これらはユニバーサル・ミュージックの仕事である。 その売り方にはビートルズ、ひいてはビートルズファンへの愛というものが、決定的に欠けている。

 US BOXというのは、イギリス出身のビートルズがアメリカで勝手に編集されて切り売りされたレコード群を、CDのボックスセットとして売ろうという意図のもとで制作されている。
 しかしこの企画というのは、数年前までに当時のEMIが'64BOX、'65BOXとして途中まで制作していたのである。 それをUS BOXでユニバーサルは完全に白紙に戻し、また同じモノをダブって買わせようとする愚を犯しているのだ。
 しかも、'64 BOX、'65BOXの際には、レコード発売当時にアメリカ側で意図的にイコライジングや編集をされたヴァージョンをほぼ忠実に再現していたのに対して、US BOXでは 「09・09・09」 のリマスターを世界標準にして絶対変更しないというヘンなお約束が貫かれ、アメリカ編集独特のヴァージョンが完全破棄された。 これでは意味がない。

 しかも今回、BOXセットだけではなく単独でも売られたにもかかわらず、アメリカ盤独自企画の 「ビートルズ物語」 の単独販売は見送られている。 これは明らかに、単独販売をすればBOXセットの売れ行きにかなり影響する、といった判断がユニバーサルの側でなされているからだ(そう邪推されても仕方がないだろう)。

 そもそもだいたい、CDというもの自体がレコードのミニチュア版でしかないのだから(音質の話じゃなくて)、これを揃えるというのはもう、フィギュアでも集めているような感覚でしかない。 完全フェチの世界ですよ。 オレたちゃビートルマニアじゃなくてビートルフェチか?(笑)

 さらに去年のポールの来日に合わせたように発売されたBBCのライヴセッションのVol.2。 これに合わせて20年くらい前に発売されたVol.1のリマスターもして再発売とか。
 BBCの音源なんてもともとがモノラル(1チャンネル)だろうに、どうやってリマスターしたっていうのか?(笑) ドンシャリ(低音と高音を強調して音圧上げるとか)にした程度?
 なんかもう、同じモノをまた買わせようという魂胆が見え見えなのだ。 あさましすぎる。

 また、今回のポール再来日に合わせて、去年発売されたポールのニュー・アルバム(題名が 「NEW」 だからややこしいが)のジャパン・ツアー・エディションとかいって、DVDつきのものをリリースしたり。
 こういう 「あと出しジャンケン」 みたいなことは、確かにEMI時代の 「フラワーズ・イン・ザ・ダート」 とか、「オフ・ザ・グラウンド」 のときにもあった。 オリジナルを売ったあとでボーナストラック満載の完全ヴァージョンなるものを売り出す方法。 でもこっちはすでにライヴに2万円近い出費をしてヘロヘロなんですよ(ビンボー人と謗るがいいさ…笑)。 いい加減にしてくんないかなあ。 ユニバーサル。 どんだけ絞り取りたいんだよ。

 もっと書けば、頭に来んのはこういうワケの分かんない迂回ばかりするクセに、ファンが待望している 「ハリウッド・ボウル・ライヴ」 や映画 「レット・イット・ビー」 の高画質版(これはアップルの仕事か)をなかなか出さない、ということだ。 なにをもったいつけてんのか。 こっちだっていつまでも生きているわけではない(ハハ、どーでもいーか)。

 ビートルズが金ヅル、というのはなにもユニバーサルだけに限った話ではない。 出版業界なども何かがあると特集本をドバーッと出すのだが、なんつーかもう、焼き回しなんだよ情報が完全に。 それでも2000年前後までは、まだ内容の濃いものがよく出てたんだが。 「アンソロジー」 本が出たのが内容の伴っているモノの最後だったかもしれない。

 そして今回に関わらず、どうにも不満が募るのが、ライヴのチケットについての諸々である。

 先行販売やら特別予約やら、なにがなんやら全容がまったくつかめない。

 こちらはただ単純に、「ポールに1メートルでも近い距離で見たい」、という一心なのである。

 それが、気が付くと予約販売が始まっている。 今回もまさにそうだ。 ニュースが流れたと思ったら、もう受け付けが始まっていた。 去年もそうだった。

 予約が早かろうと遅かろうと、いい席が取れるかどうかに関係がない、というのなら別にそのことはさして問題ではないだろう。 だが、ファン心理としては、「いい席から順番に埋まっていく」 と考えるのが人情なのだ。 それが、主催者の直接のチケット販売とは別に、チケットぴあだとかFM横浜の特別先行予約とか、私が触れただけでもかなりの販売ルートがあった。 これだけチケットの発券先が多いと、ファンとしてはかなり茫洋として、混乱と不安が広がる。 どうにかならないものだろうか。

 結局私は今回の来日公演(武道館ではない)、主催者のキョードー東京に狙いを定め、一般発売日に1時間近くリダイヤルし続けてようやくつながった末にチケットを買うことができた(スンゲー疲れた…笑)。 だが販売スタートの午前10時から比較的すぐだったと思われるのに、すでにS席は売り切れ。 仕方なくA席を予約(5月17日の国立競技場)。

 しかし、である。

 このチケットが今日発送されてきたのだが、ずいぶん後方の席であることは仕方ないとして、私がよく顔を出しているポールファンのサイトでS席を先行予約した、というかたがたよりも、ちょっとは中央寄り、そしてちょっとは前のほうの席であることが分かったのだ。

 A席なのに、S席より場所がいいとはどういうわけなのだ?(ちょっと得した気分だけど、そーゆー問題ではない)。

 実はあまりにも不愉快だったために、去年の来日公演のことをこのブログでは書かなかったのだが、その去年の東京ドーム公演では、私は先行予約でS席を確保していた。
 だがその席は3階席(だったよな)のほとんど最後方。 うしろの壁のほうが近いみたいな距離で、ポールの位置からはゆうに250メートルくらい離れていた。 ポールは米粒以下。 巨大モニターはあったけど、私ゃ巨大モニターを見に来たわけではない(スイマセンネ融通利かない性分で)。 S席といういちばん高い席を買ったのに、位置がいちばん高い席かよ、という腹立たしさと言ったらなかった(実はもっと不愉快なことがあったのだけれど思い出すともっと不愉快になるので書きません…笑)。

 この、S席ったってピンからキリまで、というのは、なんとかなんないのか?

 正直言って、全く不可解で、実にムカムカする現実だ。

 去年の先行予約での失敗があったから、今回は一般販売に賭けたわけだけれど、やっぱり失敗だった。 どうやったらいい席が確保できるのか。 販売開始と同時に予約、ではダメなのか?

 なんかビートルズファンクラブが優先的にとか、関係者がいい席をすでにとってしまってるとか、いろいろ噂は聞くのだが、これらもあくまで噂でしかなくて。

 とにかくこの、チケット購入に際しての不公平感というのは、なんとかしてもらいたい。

 特に巨大な会場での公演のチケットというのは、エリアのことを考えれば、S席からE席、F、G席くらいの区分があってしかるべきではないか、と本気で思う(今回の武道館ではかなり細分化されているが値段が問題外)。

 ポールは今回の武道館公演に対して、またまたノーテンキなメッセージをファンに送ってくれてるけど、どこまで実情を把握しているのかな。
 かつてビートルズは、「レコードを買った人が損したと思わないように」、と、シングルヒットは極力アルバムに入れない、という方針をとっていた。 アメリカ編集盤についても、勝手に曲数を削られたりすることに反発していた(だからブッチャー・カヴァーというグロテスクなジャケットでアルバムを売ろうとして、未遂に終わったこともある)。

 その精神というものを、ポールにもっと主体的に持ち続けてもらいたいと願うのは、これは身勝手というものだろうか。 プロモーターやレコード会社(って言わないのかな)のアコギな商売に対して、ポールはもっと目を光らせてもらいたい、と思うのは、ファンの身勝手なのだろうか。

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2013年10月19日 (土)

ポール・マッカートニーのニュー・アルバム 「NEW」 新しいモノであり続けるポールの貪欲

おことわり この記事、初出時より若干加筆いたしました。

 発売1か月後に11年ぶりの来日公演を控えていた絶妙のタイミングでの、ポール・マッカートニーの新作。 ニュー・アルバムのタイトルが 「NEW」 というのは少々ややこしい感じだが、このタイトルはこのアルバムの目指しているスピリットを一言で言い表しており、まことに秀逸なタイトルと思われる。

 来日公演に合わせたのか、このアルバムのラインナップでいちばん曲数が多い、つまりボーナス・トラックがいちばん多いのが、日本盤だ。 全世界からも日本盤の注文が引きも切らない、という噂をネットで目にした。
 それにしても毎年ツアーを重ねていくポールのキャリアのなかで、なぜか日本だけはいつも度外視されており、ポールは日本のことがキライなのだろう、という邪推を抱いていたが、ここにきてそれも解消した気がする。 「アウト・ゼア・ツアー」 と銘打たれた今回のツアーで、日本公演からこの新アルバムから数曲がセットリストに加わるという本人の話は実行に移された。 「セイヴ・アス」「クイーニー・アイ」「NEW」「エヴリバディ・アウト・ゼア」 の4曲である。 数回のギグを除けば、ツアーの曲目として正式に演奏されたのは日本が初めてであり、これはポールの日本に対する大きな配慮のように思えるのだ。

 肝心の新アルバムの内容であるが、発売前から伝わってきていたのは、ポールがこのアルバムについて 「バック・トゥ・ザ・ビートルズ・アルバム」 という形容をしていた、ということだった。
 先行発売されたファースト・シングル 「NEW」 もまさしくその路線であり、聴くほうの気持ちとしては、アルバム全体もそのような雰囲気なのだろう、と考えるところだ。 ところが、さっそくCDをかけてみたところ、その期待は良くも悪くも、大いに裏切られた。

 全体的な印象としては、限りなく音作りがアグレッシヴで、ノイジーで、しかもアヴァンギャルド。 英語ばかりやないかい!(笑)
 要するに、過激なのだ。
 比較的静かな曲調の曲に関しても、間奏に入ると途端にうるさくなったりするし、低音はボンボン鳴り続けているし。 特に 「重低音」 の類は、アーカイヴ・シリーズを含めた最近発表されたほかのどのアルバムと比べてもかなり響いていると思う。
 そんなノイジーな曲群のなかで、最後のシークレット・トラック 「スケアド」 だけが、明確に静かな曲だ。
 この曲、タイトルを聞いて、かなりのビートルズフォロワーであれば、「それってジョンの、『心の壁、愛の橋』 のなかの曲のタイトルと一緒」、と分かることだろう。
 この曲はジョンのそれと違って、しっとりとしたピアノ主体のバラードだ。 この曲が完全に浮いてしまえるほど、アルバム全体の雰囲気は騒々しい。

 同時に感じたのは、「これってどこがビートルズ的なの?」 ということだった。
 このアルバムには、「スケアド」 以外に、ポール特有の 「胸を締め付けられるような美しい旋律の曲」 というものが極度に抜け落ちている気がする。 聞こえてくるのは、叙情的なものを廃してただひたすらにノイジーであり続ける、つまりそういう点で 「新しい」 ポールの姿なのである。

 1曲1曲の時間は総じて短い。 シングルの 「NEW」 などは、3分にも満たなかったりする。
 しかしながら通しで聴くと、ボートラが最も多い16曲入りの日本盤は1時間弱の構成となっており、それだけでもかなり長い、と感じるのに、これだけノイジーだと、「人が一日に聴くことのできる音符の量は限られている」、とモーツァルトの曲に対して苦言を呈した皇帝閣下の話(「映画 「アマデウス」 のエピだったか?)を思い出したりしてくる(笑)。

 構成的な話をすると、特に後半、アヴァンギャルド的な、一聴しただけでは全体像をつかみにくい曲が多い気がする(日本盤に準拠しているため、ボートラを含めた構成で考えた場合)。 ポールらしい印象的なメロディラインの曲が少ない傾向なうえに、あまりの音の攻撃に少々疲れてきたところに、なんだかよく分かんないような曲が続いて、「ひょっとしてこれ、駄作なんじゃないか?」 という気分にもなってきてしまう危険性を孕んでいるのだ。
 つまり、聴いててダレてきてしまう側面がある。

 しかし逆の視点から分析すると、それだけ今回のポールが、アドレナリン全開でアルバム全曲を作り上げた、ということでもあると言える。
 年齢的なことを言うのは簡単なのであまり書きたくないけれど、71歳にもなってここまで精力的に前向きに音作りできるポールというのは、やはりすごいのだ。 48歳の自分が 「聴き疲れた~」 などとウンザリこいている場合ではない(笑)。

 このアルバムは、近年のポール・マッカートニーのアルバムのなかでは、間違いなくいちばんの問題作、というカテゴリに属するアルバムだ。 そして、音作りがあまりに緻密なために、何度も何度も聴きたいという衝動を、聴き手に強引に要求してくるアルバムだ。
 じっさい近年のポールのアルバムのなかでは、購入してから短期間でこれだけへヴィーローテーションで聴き続けているアルバムというのは、個人的にはない。 そして何度も聴き続けているのに、中心にあるものが見えてこない。 まるで深い海底に引きずり込まれたかのようだ。
 その海底にある地下室では、地面のむき出しのコンクリートがしっとりと水を吸っており、|||Ξ|||という形状の蛍光灯が、それをうっすらと照らしている。 そんな感覚に陥ってくる。 つまり、このアルバムの、ジャケット写真のような光景だ。 聴き手はそんな、別世界に迷い込んだもどかしさと、不安と、期待に胸ふくらませるのである(オーゲサな表現だなァ…)。

 そして何度も繰り返して聴くうちに、このアルバムを 「ビートルズ回帰」 と表現した、ポールの真意というものに、気付かされていくことになる。

 つまり、ビートルズという生命体は、その活動期間中、一時も立ち止まることをせず、常に新しいものを求めてメタモルフォーゼを繰り返してきたバンドだったのだ。
 それは彼らが、常にトッパーモスト(頂点)でいることを自らに課し続けてきたことの証でもあった。
 そのなかの中心であったポールが、だからこのアルバムをビートルズ的だとするのは、なにも 「ビートルズみたいな音を再現した」、という意味ではなく、ビートルズがかつて抱いていた、「新しいものを追求し続けるスピリット」 を継承したものなのだ、というようにも理解できてくる。

 このポールのモチベーションの基礎にあるものとは何なのか。

 それは、このアルバムの曲群が、ポールの前の妻、ヘザーとのあいだに生まれた愛娘ベアトリクス(9歳)の学校の送り迎えのあいだに作られた、ということが最大の要因であるように思える。

 前回6年前のオリジナル・アルバム 「メモリーズ・オーモスト・フル」 では、トップ曲である 「ダンス・トゥナイト」 が、当時幼女(たぶん2、3歳)だったベアトリクスのために作られた曲だった。 この曲は限りなく単純で、幼女でも簡単に覚えられ、一緒に歌い踊ることができる性格を有している。
 時は流れて彼女も幼女から学校に通う年となり、必然的に現代のブリティッシュ・ポップシーンに触れる機会も生まれてきたことだろう。

 ポールはその、現代のミュージック・シーンに、ベアトリクスを通して、再び対峙する機会を得たのだ、と私は考える。
 彼は自分をベアトリクスのおじいちゃんではなく、父親として誇れるようなものを持たせてあげたいという動機から、オールドタイマーとしての自分をかなぐり捨て、現代のポップシーンにおいても 「新しい」 と評価される作品を作り上げようとした、と私には思えるのだ。
 そしてその姿勢は、自分がビートルズ時代に目指していた、新しいものを貪欲に取り込んでトップを維持する、という姿勢に、いつしかリンクしていったのではなかろうか。
 結果的に、このアルバムには近作のどのアルバムよりも、新しいことを積極的にやろうとするポールの姿勢が顕著に感じられるのだ。
 新しいことを始めるのには、いつの世も抵抗がつきものだ。 ビートルズが 「常に新しいものを追い続けたバンド」 であったことを忘れた従来のファンは、ポールが新しいことをやろうとするのに、反感を抱くことになる。 このファンはいつしか旧勢力側の人間となり、頭ではビートルズの本質を分かっていながら、ポールが始めた新しいことに、違和感を抱くことになる。
 これが、このアルバムが 「問題作である」、と私が定義づける理由だ。

 このポールの新しい試みをサポートしたのが、今回起用された4人の若手プロデューサーであることは論を待たない。
 楽曲のアレンジについてどこまで彼らが関与したかどうかは今のところ伝わってきていないが、おそらく原型的なアイディアはポールから提出されているのではないか、と私は考えている。
 その根拠としては、このアルバムのアレンジのアプローチが、「メモリーズ…」 後に発表された、ポールの変名ファイアーマン名義のアルバム 「エレクトリック・アーギュメンツ」 に比較的類似している点が挙げられる。 ファイアーマンプロジェクトでも、若手(といっても私と同年齢くらいなのだけれど)のユースと組んで、もともと自身のなかにあった前衛音楽に対する欲求を満たしていたのだが、「エレクトリック…」 ではさらに、その前衛を自身のポップミュージックと融合させることを推し進めていた。 今回のアルバム 「NEW」 は、その実験の成果の上に着実に存在している、と思われるのである。

 ただそれを実現可能にしていくのは、やはり若い感性だと思う。
 ベアトリクスによって呼びさまされたアグレッシヴな音楽への挑戦は、この4人のプロデューサーによって、一気に花開いたと言っていいのではないか。 そして誕生したのが、ここ数作のなかではいちばん 「問題作」 という警鐘を従来のファンに対して打ち鳴らすことのできる、このアルバムなのだ。

 これは、ポールが自分に残された時間というものを意識し始めた証左である、というようにも、私には思える。
 ポールは残り少ない自分の寿命を、懐古的な当たりさわりのないクラシカルなポップで満たすことを、敢然と拒絶したのだ。
 そのポールの本音を私がいちばん聞き取れる気がするのは、シークレットトラックの 「スケアド」。
 この曲の歌詞はついていないので、乏しいヒアリング能力で想像するしかないが、この曲でポールは 「君に 『愛している』 と言うことが怖い」 と最初に歌っている。
 これは内容的に言って、リンダに捧げられた 「メイビー・アイム・アメイズド」 にとても似ているのだが、同じ内容でもそこに含まれている精神が違うように、私には思える。
 ポールがこの曲を誰に向かって歌っているかと言えば、たぶん新しい妻のナンシーに向かってだろう。 彼女に向かって愛していると言うのが怖い、というのは、あまり愛情を注ぎ過ぎると、別れるときにつら過ぎる、という心情からきている気がするのだ。
 この曲はポール独特の美しいバラードでありながら、なんだか聞いていてこちらも怖くなるような錯覚に陥る、不思議な曲だ。 それは彼が、自分の寿命の尽きることをどこかで怖がっている、そんな恐怖を感じるからなのだろう、と思う。

 その強迫観念がポールを新しいものへと駆り立て、生き急ぐことを強いている気さえする。

 年齢による多少の声量の揺らぎというものはたしかにある。 だが、それでも前作のジャズ・アルバム 「キス・オン・ザ・ボトム」 での枯れたようなポールはもはや存在していない(それはそれで味わいがあって好きだけれど)。 71歳という年齢を考えなくとも、この巨人はおそらく、死ぬまでシャウトし続けるのだろう、と思うと、言われもない感動にこの身が包み込まれていくのが分かる。

 各曲の解説をしていくことにしよう。

 この続きは近日上書きいたします。 乞うご期待。

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2012年7月28日 (土)

2012ロンドン・オリンピック開会式 ワタシ的にはなんと言ってもポール・マッカートニー様でしょう!

 いや~、オーラスのオーラスに来るとは。
 私の永遠のアイドル、ポール・マッカートニーの歌う、「ヘイ・ジュード」 が。
 ついひと月前ほどに、70歳になったばかりのポール。
 そりゃ相応に歳食ってますが、最近のポールの髪形のなかでは、いちばん好きですね、あの髪形(完全にミーハーチックな感想ですがお許しください)。
 ああいう、ミドルロング風なのがいいんですよ。
 ダークブラウンだった髪の毛の色は、うす茶色へと変化していましたが、これって染めてるのかなぁ?
 いずれにしてもファイナル・ファンタジーのキャラに出てきそ~な髪の毛の色で(笑)、すっごくいい感じです、ワタシ的には。

 なんの話って、そりゃアータ(笑)、ロンドン・オリンピックの開会式の話に決まってますよ!

 オーラスに登場した我がポール様が最初に歌ったのは、ビートルズの事実上最後のアルバム 「アビイ・ロード」 から、もっとも最後(から2番目)の曲、「ジ・エンド」 の最終コード。

 「そして最後には、君の受け取る愛は、君の作り出す愛と等価になる」。

 どーです? 深いでしょう。
 まさしく、「情けは人のためならず」、「人のために火をともせば、我が前明らかになるがごとし」、ですよ。

 ビートルズがこの言葉を、自分たちの活動のいちばん最後に据え置いたことって、とてつもない意味を持っている、と感じます。
 ビートルズは、大衆に 「愛」 を与え続けた。
 だからこそその愛を、こうして解散後40年以上たっても、彼らはファンから与え返されているのです。 ビートルズファンが途切れることなく連綿と生まれ続けているもっとも大きな要因が、ここにあると私は考えています。

 で、そしてこの歴史的名文句の曲が終わって16秒あとに、オマケのようにポールの弾き語りの曲 「ハー・マジェスティ」 で、「アビイ・ロード」 というアルバムは幕を閉じるのですが、「女王陛下」 を 「プリティ・ナイス・ガール」 と歌ったこの曲。 今回この開会式の場で歌っていれば、イギリス式ユーモアの最たるものになったでしょうが(笑)それはせず、ポールは自分でも明言はしていなかったけれどもこの曲を歌う、と匂わせていて、おそらくこの曲が歌われるだろう、と衆目の一致したところであった、「ヘイ・ジュード」 を続けて歌い出したのです。

 この曲は元々、ジョン・レノンがオノ・ヨーコと一緒になってしまったことで悲しい思いをしていた、ジョンの元妻シンシアとの間の息子であったジュリアンを慰めるために、ポールが作った曲(ビーファンの間では常識中の常識ですが)。
 こういう曲を浮気の当事者であるジョンを交えて、ポールがジョンの前で歌ってしまうところが、実はビートルズの固く固く結ばれた友情を何よりも証明しているのです。

 歌詞の内容も、「悲しい歌もよくしていくことができるんだ」、という、これまたポールの、ポジティヴシンキングの先駆とも呼べる思想がこの曲には詰まっています。 まあちょっと、歌詞間違えてましたけどね(笑)。 ご愛嬌ご愛嬌。 また、最初のほうではちょっと音声がダブっていたような感じ。 こういうミスも、そつなくこなされるよりよほど味があっていいし、語り草になる。

 ここで重要だと思われるのは、この曲がここで今歌われたことで、現在経済的に危機的状況にあるユーロ圏を励ますニュアンスを、「ヘイ・ジュード」 という曲は新たに獲得したと読み取ることができる点です。

 ビーファン的には、このロンドンオリンピックの開会式で重要な役割を果たした鐘の音も、ジョン・レノンの 「マザー」 という曲のイントロを強烈に連想させます。

 その象徴的な鐘が、ポールが歌う 「ヘイ・ジュード」 の合間に、大映しにされる。

 まさにビーファンのイメージ的には、亡くなったジョンが、ポールと一緒にその場にいるような、ものすごい感慨を生み出すわけです。

 そしてこの、「自分の母国で行なわれるオリンピックの舞台」 という、そんじょそこらの運では獲得することのできない舞台に、ポールが存命中に立つことができた、というこの奇跡。

 オリンピックの開会式で行なわれたさまざまなパフォーマンスも、ポールの舞台のお膳立て。 いな、ポール(そしてビートルズ)が、イギリスという国に対して成し遂げた業績に対する最大級の賛辞が、このオーラスの舞台には込められている。

 そういう感動。

 生きててよかったなぁ~。 ポールが。

 今度は、私が生まれる前の年に開かれた東京オリンピックを、私が生きているあいだに実際にこの目で、再び東京で開催されるのを見る番ですねっ!(ど~だろう…)。

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2012年7月 7日 (土)

「デイジー・ミス・リジー」 のギター・リフ、明日はどっちだ

 ひっさびさにビートルズの記事。

 1965年のアルバム 「ヘルプ!」(4人はアイドル)のラストを飾る曲、「デイジー・ミス・リジー」 は、ジョンのシャウトが冴えわたるノリノリのロックンロール・ナンバーであるが、私はこの曲を聴くたびに、イントロから延々と繰り返されるギター・リフが気になって仕方がない。

 8ビートで説明すると、1、2、3、4、5、6、7、8のうち、このギター・リフは5.5拍目から8拍目をすぎ、最初の1拍に戻る部分までの間に鳴らされる。
 つまり、「チャララチャラチャーラー」 の、最初の音が5拍目と6拍目の中間、最後の 「ラー」 の部分が1拍目になるわけだ。

 この曲はこのギター・リフから始まっているから、要するにこの曲は、5.5拍目から始まっていることになる。
 1、2、3、4、5 「チャララチャラチャーラー」、というわけ(音楽の素養がないから説明しにくい…笑)。

 しかし、いったんジョンのヴォーカルが始まると、このギター・リフはそのタイミングをずらさないと、ジョンのヴォーカルとかぶってしまう。
 なぜなら歌の出だしも、5.5拍目から始まっているためだ。
 1、2、3、4、5 「ユメミジジミスリーゼ」、とジョンも歌っているわけだから。

 だからこの同じフレーズを曲のあいだじゅう繰り返すギター・リフは、少なくともジョンのヴォーカルのあいだじゅうは、1.5拍目から5拍目まで鳴らさなければならなくなる。
 4拍ずらす必要性が生じるのだ。

 でもまあこれって、だいたい別にずらす必要もない。

 ただ、ジョンのヴォーカルのあいだじゅうはこのギター・リフも、ジョンのヴォーカルと掛け合いみたいに進行していけば、曲的にはそっちのほうが乗れるのである。 でないと、5.5拍目から1拍の間ヴォーカルとギター・リフが同じタイミングでは互いに邪魔をし、1.5拍目から5拍目まで、ちょっと音的にさびしくなってしまう。

 そしてずらした場合、ジョンが 「ア~~~!」 とシャウトをし、間奏に入った瞬間、ギター・リフは最初のタイミングに戻さなくてはならなくなる。

 しかしどうも、リード・ギターのジョージ(たぶん)は、この 「棲み分け」 を完全に理解していない(爆)。

 しかも、完全に理解していないうえに、このリード・ギターはダブル・トラッキングになっている(つまり2度重ね録りをしている)ため、片方のジョージはちゃんと弾いているのにもう片方のジョージ(笑)は 「??」 みたいな感じになってしまったり、ワケが分からないからパニック状態になって、ピッキングやチョーキングのミスを誘発している部分も出てくる(笑)。

 おそらく理解してないまま、この時はやっつけ仕事的に収録してしまったのだろう。
 ほかのライヴとかを聴いていると、結構ちゃんと弾いてたりするので。
 それにしてもこれでOKを出してしまうとは、やはりいい加減な話だ。

 ところで、この曲のギター・リフは、押さえ方が非常に単純である。
 それを、チョーキングで一定の味付けをしているわけだが、2分50秒ほどの曲のあいだじゅう、このフレーズばっかりやっているために、かなり体力(つーか、指の力と固さ)が必要なのだ。 結構ギター弾き泣かせの単純作業なのである。

 そのうえこの単純作業、説明し続けているように、ヴォーカル部分と間奏部分では、弾き始めるタイミングが違う。

 冒頭に説明した通り、この曲はアルバム 「ヘルプ!」 のいちばん最後を飾る曲であるが、ビートルズファンには常識だけど、この曲、ビートルズの全楽曲のなかでもっとも有名曲である、「イエスタデイ」 の次の曲、なのである。

 ポールの物悲しい超有名な名曲のあとに、ジョンのノリノリロックンロールナンバーを配置する、という発想は、実にビートルズらしい発想だ。
 なぜならビートルズは、常に相手の意表をつくことばかりをやりたがる傾向にあるバンドだからだ。

 しかしここでのこの配置は、ジョージのギターがメロメロなことに加えて(笑)、ちょっと外し気味な感覚がする。

 もともとビートルズは、イギリスオリジナルアルバムに於いて、アルバムの最後の曲をリーダのジョンのシャウトナンバーで締めくくるようなことを、アルバム1枚目と2枚目でやっていた。

 だが、1枚目のアルバムラストの 「ツイスト&シャウト」 の頃の、ギラギラした感じは、「デイジー・ミス・リジー」 のジョンからは、ちょっと見受けられなくなっている。
 ジョンも後年回想しているように、この頃のジョンは 「太ったエルヴィス」 の時期であり、あまりに有名になりすぎて、自分の方向性を見失いつつあった時期だったからだ。
 彼のヴォーカルそしてシャウトは相変わらず魅力に満ちていることは確かだが、何かこの曲には 「停滞感」 が蔓延している。

 それが、過去のアルバムと同じような締めくくり方をしようという自信のなさに直結している感じがするし、そこらへんの安易さが見え隠れしてしまうのだ。
 それが、いままでとは違うビートルズ、というものを見せつけた、「イエスタデイ」 のあとだからこそ、余計にコントラストが引き立ってしまう。

 いったいどこでギターを鳴らせばいいのか迷っているジョージのありようと、ジョンの苦悩の方向が、奇妙にリンクしている曲だ、と言えるのではないか、「デイジー・ミス・リジー」 は。

 私などは却って、このアルバムでボツになった 「リーヴ・マイ・キトゥン・アローン」 のほうが、ジョンらしい荒々しさに満ちている感じがする。
 蛇足であるが、この 「ヘルプ!」 というアルバム、かなりボツ曲が多い、ということも、なんとなくビートルズ自身の方向性の迷いを感じさせるアルバムだ(これは以前にも言及した)(そしてその打開の話も)。

 ジョンはその後、1969年のライヴ・イン・トロントで、ソロとしてエリック・クラプトンなどと共にこの曲を再演している。
 その動機も、なんとなく彼のなかで、「『ヘルプ!』 ではパフォーマンスがうまくいかなかったから、リヴェンジだ」、という思いがくすぶっていたからなのではないか、という気がしてくるのである。

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