テレビ

2018年1月16日 (火)

「海月姫」 「先入観」 という名の邪魔者

 「あまちゃん」 の能年玲奈(のん)主演の映画でも話題になった、マンガ原作による月9。 のんが演じた主人公を、「表参道高校合唱部」「べっぴんさん」 の芳根京子が演じる。

 私はこの原作マンガものんの映画も未見だが、正直なところこのドラマの最初の10~20分くらいはかなりキツかった。
 なにしろ、この物語の主人公および主人公が同居する 「尼寺」 と呼ばれるシェアハウスの女友達が、かなりの変人揃いなのである。 それはまるで、「我々を気に入らないヤツバラは速やかに視聴をやめるがよかろう~~っ!」 とテレビの画面の前を通せんぼしているかの如き勢いで(いや実際これ以上のヘンなしゃべり方をする)。

 その 「尼寺」 の芳根の部屋に、ある朝パンツ一丁の瀬戸康史演じるイケメンが寝ていたもんだから、尼寺は上を下への大騒ぎとなる。 ドラマとしてはよくあるパターンだ。
 芳根が男子禁制のこの尼寺にどうして瀬戸を入らせてしまったのか、というと、瀬戸を女だと思ったかららしい。 つまり、瀬戸は女装趣味の男だったのだ。 ここでもう一回こちらはドン引きする。

 フジテレビ、わざとやってんのか? 視聴のハードル上げまくってるぞ。 でも瀬戸の女装、カワイイ(ワハハ)。

 女装趣味というだけで、瀬戸はジェンダー障害でもなんでもないのだが、彼はこの 「尼寺」 のとてつもなく 「キモチワルイ」 住人たちと少しばかり会話をして、すぐに悟る。

 「あ、コイツラって、ニートでオタクの引きこもりなのね」、と。

 その瀬戸が自分の家に帰ると、瀬戸の家は父親(北大路欣也)が政治家の立派な家柄らしいことが分かる。 弟(工藤阿須加)は父親の後継候補らしく、要するに父親の仕事に反発をもってそれで女装という行動をしてるのか、と。 愚兄賢弟パターンか、と。

 そういう屈折した気持ちから、瀬戸がそれから尼寺をたびたび訪れるようになる、という展開も説得力はある。
 瀬戸が特に興味を持ったのが芳根であり、「この子はダサい格好をしているが磨けば光る」 と踏んで自分の家に呼び、彼女を美人に変身させる。 要するに、「マイ・フェア・レディ」 パターンであるか、と。
 その美人な彼女に出くわして恋をしてしまうのが、賢弟の工藤だ。

 最初の 「気に入らねえヤツバラは出てけ出てけ~~~ッ」 攻撃に耐えて(笑)ここまで見たとき、「このドラマはこちらの先入観を試そうとしている」、と感じた。

 このドラマの感想サイトを読んでいて感じたのだが、今回の月9に対する反応は、賛否がかなりはっきりしている。
 まず、のんの映画でこの作品を知っている人の反応が、すこぶる悪い、ということ。
 そして原作マンガでこの作品を知っている人の反応が、「原作を忠実になぞればこんな感じ」、ということ。 「ただマンガをそのままやるとドギツ過ぎる」、とも。

 のんの映画を知っている人は、その先入観でもってこのドラマを拒絶している。 そしてある種の人たちは、凋落傾向のフジテレビだからという先入観でもって、初回視聴率の悪かったことを分析し納得しようとしている。

 私にしたってそうだ。

 「ニートでオタクの引きこもり」、というと、まあこのドラマはデフォルメしすぎだがそれだけでこの尼寺の住人たちを色分けしようとしている。
 瀬戸が芳根を変身させようとすれば、なんだこのドラマはマイフェアレディか、とタカをくくりたくなる。

 でも、そうではなかったのだ、このドラマは。 少なくとも第1回は。

 このドラマの初回でたびたび挿入されるのは、芳根の子供時代の回想だ。 おそらくシングルマザーであった芳根の母親(小雪)は、芳根が少女時代に死んでしまう。 芳根の心にいつまでも残っている母親の姿はいつも優しく、芳根の絵のうまいのを褒め、芳根のいちばんの理解者である。

 子供の頃にその母親と見たクラゲが、芳根にとってオタクの素となるのだが、第1回後半で瀬戸と工藤に連れていかれた水族館で同じ種類のクラゲを見て、芳根は大泣きしてしまうのだ。

 それは、あんなに自分を信じて守ってくれた優しい母親に対する、今の自分のふがいなさに対する涙だ。

 これが、こちらの涙腺をかなり刺激した。 まあ、自分も不肖の息子ですからね。

 第1回のゴールはここであり、ここにすべての演技を集中させた芳根京子の演技のカンは、かなり驚異的といっていいのではないだろうか。 私のなかでは残念な作品だった 「べっぴんさん」 がこれで吹っ飛んだ。 高い高いハードル飛び越えてここまで見てよかったっス。 芳根は名優に成長する素質がじゅうぶんにあることを、あらためて再認識した。

 それにしても、芳根京子という女優は、どちらかというと素朴タイプの顔立ちをしておるので、あんまり 「磨けば光る」 にならないのはご愛嬌だ(笑)。 瀬戸チャンの女装のほうがカワイかったりするもんな(爆)。 却って尼寺のほかのメンバーを変身させたほうが衝撃的ではないのか?(笑) キャスティングを見ても誰が誰だか分かんないもんな(笑)。

 そして第1回を見終わったあと、涙ボロボロ流してた自分に気付いてびっくりしてしまったワタシなのであった…。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年1月14日 (日)

「アンナチュラル」 儚いバランスの上を歩く石原さとみ

 「重版出来!」「逃げ恥」 等々、「はずした」、という話を聞いたことのない野木亜紀子のオリジナル脚本。 これまでマンガ原作とかばかりだったので、第1回を見終えて 「ここまで複雑な話を創れる人なんだな」、という驚きがある。

 ドラマの舞台は 「不自然死究明研究所」 通称UDIラボ。 「死因に問題なし、よって解剖の必要なし」、という遺体の死因をあらためて明らかにしていく組織だ。
 第1回では遺族の依頼によって解剖および身辺調査が行なわれたが、回を重ねるごとに違うケースも出てくるものと思われる。

 この第1回での遺体は死後10日ばかり経過しており、序盤はドラマ全体に、深いもやのかかったような腐臭が漂う印象だ。 正直言ってこういうのは苦手だが、「石原さとみが出てるから」 という理由で見続けた(笑)。
 なにしろここでの石原さとみは、腐りかけた死体を前にしても同僚の市川実日子がケラケラ笑うのに同調している。 この無神経ぶりは 「遺体を見慣れている」、というところからくるのだろう。 法医学モノではよくあるパターンだ。
 それなのに、どこか表情が暗い。
 なにか微妙に崩れやすい細い道を綱渡りしているような、そんな儚げな印象を強く受けるのだ。 これは、私のなかではかなりインパクトの強かった、「校正ガール」 のはじけまくっていた役からは程遠い。
 この愁いを帯びたような性格の原因は第1回ラストで明らかになるのだが、その、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような石原の演技は、死臭漂うドラマのなかで異彩を放っている。

 ところがその腐臭は、ドラマ中盤から一気に話がおおごとになって吹き飛んでしまう。 石原たちチームは、遺体を解剖しているだけでは済まなくなるのだ。 そこからの話は二転三転して初回にふさわしい展開を示していく。 さすが野木脚本、というべきだろう。

 ただし、「話自体がアンナチュラルだ(笑)」 という部分がなかったわけではない。

 冒頭で解剖を依頼してきた遺族に対して、UDI所長の松重豊がUDIについて長々と説明する部分とか。 知ってるからその遺族は来てるんでしょう、というか(笑)。 ドラマの舞台説明としては、いかにもアンナチュラル(笑)。

 そしてその遺体の主と同じ会社の女子社員が翌日だったかにこれまた突然死している、ということ。 これは警察でも事件性を細かく調べなければならない案件であろう。 石原たちのチームが調べるまで、警察がそこまで調べた、という痕跡がまったくなかった、というのもアンナチュラル。

 さらにその、石原チームが捜査を開始して思ったのだが、「これってなんの権限?」 ということ。
 松重豊はこのUDIの組織について、「政府から補助金をいつ打ち切られるかヒヤヒヤしている」 みたいなことを言っていた。 つまりまあ、政府とはそういう関係なのだろうが、本来これってUDIの調査結果を受けて警察が再捜査すべきことなのではないか、そこがアンナチュラル(笑)。

 最後に(しつこいねどうも)先ほど話に出た、石原さとみの愁いの原因が明らかになる過程であるが、どうしてそんなのが分かるんだよ、というか、会ったこともない女のことをよくそこまで調べるよな、ということ。

 しかしそれ以外に目をつぶれば(つぶれないよーな気もするが)、石原の演技が堪能できるドラマであることは確かだ。 同ラボの井浦新はぶっきらぼうで危険そうで謎の多い人物だが頼れる。 最近このパターンのキャラってドラマに多くないか? 時代が危険な男を求めているのか?

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年1月 7日 (日)

「西郷(せご)どん」 第1回 林・中園コンビの危うさと、磯田監修の期待感と

 久しぶりに 「歴史上の有名人」 に題材を取った大河ドラマ。 このところの大河ドラマは特に女性が主人公である場合、「後半の作り方」 で見ていてモヤモヤを抱えることが多かった。 それだけ主人公となるべき人物に1年間を通して視聴に耐えうる人物がいなかったせいであるが、しかし西郷隆盛とくれば、田原坂の自刃までドラマチックな人生。 これがNHKの働きかた改革とかで、去年より総回数が3回ばかり減る、というのだから、さらに内容としてはギュッと詰まることを期待したいものだ。

 しかし、「直虎」 のコメント欄で書いたように、私としては原作の林真理子と脚本の中園ミホ、という時点で若干の不安を感じないでもなかった。
 なにしろこのふたり、雑誌とか見てると結構ミーハーな部類の人種なのだ。 今回も 「人間西郷」 とか 「西郷の愛した3人の女」 などと謳っているが、「スイーツ大河」 とは言わぬまでも、結局女性目線で下世話な話に終始し、現代目線のヒューマニズムで大昔の人間を括ってしまうのではないか、という危惧がついてまわる。

 しかもふたりは西郷が共に心中を図った月照、というお坊さん(もちろん男性)に興味津々のご様子。 要するにボーイズラヴ、という視点でこれを捉えている。 それを 「郷中教育」 という、第1回でも描かれた薩摩藩独特の 「年長の男の子が年少の男の子たちを教える」、というシステムにその源流を求めているのだが、いやいや男色というのは大昔からある風習みたいなものでしょう。

 中園氏は数年前にヒットした朝ドラ 「花子とアン」 の作者。 このときも村岡花子と柳原白蓮との疑似恋愛的な部分を膨らませて描いていた。 林真理子氏はもともと 「ルンルンを買っておうちに帰」 らなければ気が済まない人(いつの話だよ)。 今回の男優たちのキャスティングにもキャーキャー言っている始末(スゲー偏見だなオレも)。

 こんなので、とてもじゃないが政治的な駆け引きだとかぎりぎりの決断だとかを表現できるとは思えない。 今年は(も)硬派な話を期待するのは無理か…。

 ただし時代考証に、今回歴史学者の磯田道史氏が名を連ねているのを見て、ちょっと安堵した、というか。

 磯田氏はベストセラー 「武士の家計簿」 の作者でもあるが、ワタシ的にはNHKBSの 「英雄たちの選択」 とかで馴染みのある人。 この人の歴史のとらえ方、というのは、文献だけに偏らず、「その時代のルールのなかで人がなにを考えるのか」、という視点が常にある気がする。 結構この人の言うことは無防備で信じてしまう。

 だからそんなに心配するようなことでもない気もする。 脚本も、いきなり初回から 「脚本協力」 者の名前が数人確認できたし、中園氏の一存で物語が展開するわけでもなさそうだし。

 さて、第1回を見た全体的な印象であるが、「全47回」 の内容がすべて投影されていたのではないだろうか。
 要するに、この物語は 「どうして西郷は男にも女にもモテたのか?」 という、私からすれば 「至極下世話な話」 とも思えるテーマに沿っているのだが、第1回では 「自分より弱い者を助けたい」、という西郷の志の源流をたどった、という体だ。 のちに妻となるいととの邂逅で、女子の気持ちを分かろうとして、西郷少年は女装したりする。 「どうして男と女はこうも扱いが違うんだ、同じ人間なのに」、と、ここでも私が恐れていた 「現代的視点から見たヒューマニズム」 が顔をのぞかせる。 女装するかフツー。

 さらに第1回後半では、右肩に重傷を追ってしまい、絶望してしまう西郷少年を描く。 これも、のちの心中事件につながっていく、西郷の精神構造を前もって提示した、といってよかろう。 ここで、史実的には 「薩摩にその時期いるはずのない」 島津斉彬(渡辺謙)に喝を入れられたりする。

 というか、この第1回のお話自体がかなりフィクションぽい。 「いるはずのない」 斉彬にこの西郷少年が、都合3回も遭っているからだ。 そんなにお殿様に何回も遭ってたまるか、と思うんだよな(笑)。
 しかしそのお殿様が渡辺謙だから、許せてしまう。

 けどね。

 これって渡辺謙の 「独眼竜政宗」 からのファンであるから許せちゃうんであって。
 これじゃミーハー的ななあなあ主義と同じでしょ?(笑)

 しかし。

 渡辺謙が出てくると、やはり画面が締まるわ~。 渡辺謙が主役でいいのに(笑)。 この役者には、やはりとてつもない吸引力がありますよ。 「なんで3回もいい時に出てくんだ」 とか、余計なこと一切吹っ飛んじゃうもの。

 役者の組み立てでうまいなぁと思うのは、ほかにも風間杜夫・松坂恵子・平田満という、往年の傑作映画 「蒲田行進曲」 のトリオが出てくる点。 松坂は西郷少年が負傷したとき、「自分の腕を替わりにあげてもいいから助けてくれ」 と神頼みするのが泣けた。 女性の作り手は、こういう母親の視点などでは、さすがに長じている。
 大村崑とか小柳ルミ子とか水野久美とか、「おっ」 と思わせるキャスティングが多いのも特徴か。 水野久美はてっきり寝物語に怪談話をするのかと思ったが(笑)。
 あと、六佐がまた出てきた、と思ったら今度はホントのドランクドラゴンだった(ハハ)。

 そのほか第1回では、「龍馬伝」 でも第1回の大々的なテーマとなった 「上士と下士」 つまり「武士のなかでの上下関係」 を盛り込みながら、のちの大久保利通のネゴシエーターぶり、いいとこどりの性格も描いていく。
 さらに西郷の流刑の地となる琉球地方の匂いもそこかしことなく漂わせる。 テーマ曲にも島唄っぽい部分があったりする。 蛇足だがこのテーマ曲、なんとなく懐かしい大河ドラマの面影があって、第1回目から 「これ、結構好き」 と思わせた。
 これらのことから、「結構第1回でみんな手の内明かしてんな」、というのは感じた。 ここらへんの手腕は、やはり中園氏のものであろう。 だてに 「ドクターX」 とか書いてないよ(見てないけど)。

 ただ、まあ第1回は毎年どの大河もみんなすごくいいから(笑)。

 とにかく期待するしかないでしょう。

| | コメント (36) | トラックバック (0)

2018年1月 2日 (火)

2017年 私のベストドラマ

おことわり 初出時より若干手直しし、終わりをつけ足しました。





 恭賀新年。

 2017年、私が見たテレビドラマは以下の通り。

 冬ドラマ(1-3月)

 「おんな城主 直虎」(NHK、この番組のみ1-12月)
 「大貧乏」(フジテレビ)
 「幕末グルメ ブシメシ!」(NHKBS)
 「下剋上受験」(TBS)
 「スーパーサラリーマン佐江内氏」(日テレ)
 「A LIFE」(TBS)
 「東京タラレバ娘」(日テレ)

 春ドラマ(4-6月)

 「ひよっこ」(NHK、2クールで4-9月)
 「やすらぎの郷」(テレ朝、同じく2クールで4-9月)
 「孤独のグルメseason6」(テレ東)
 「ボク、運命の人です。」(日テレ)
 「小さな巨人」(TBS)
 「ファイナルファンタジーXIV光のお父さん」(TBS)
 「貴族探偵」(フジテレビ)
 「あなたのことはそれほど」(TBS)
 「釣りバカ日誌season2新米社員浜崎伝助」(テレ東)
 「みをつくし料理帖」(NHK)

 夏ドラマ(7-9月)

 「ウルトラマンジード」(テレ東、2クール、9-12月)
 「コード・ブルー~ドクターヘリ緊急指令3rd season」(フジテレビ)
 「植木等とのぼせもん」(NHK、9-10月)
 「この声をきみに」(NHK、9-10月)
 「アシガール」(NHK、9-12月)

 秋ドラマ(10-12月)

 「トットちゃん!」(テレ朝)
 「奥様は、取り扱い注意」(日テレ)
 「刑事ゆがみ」(フジテレビ)
 「コウノドリseason2」(TBS)
 「先に生まれただけの僕」(日テレ)
 「陸王」(TBS)
 「監獄のお姫さま」(TBS)
 「民衆の敵~世の中、おかしくないですか?~」(フジテレビ)
 「赤ひげ」(NHKBS、11-12月)

 その他海外ドラマ

 「SHERLOCK4」「シカゴ・メッド」(いずれもNHKBS)

 私には 「テレ朝のドラマ避けたがる傾向」 というのがあって 「相棒」 も 「ドクターX」 もリストに入っていないのはご勘弁いただきたい。 が、テレ朝が現在のテレビドラマの雄であることは認めなければならない。 テレビドラマの全体的な傾向としては、そのテレ朝のドラマ制作が他局のドラマ制作の起爆剤となっている印象はある。
 特に去年のドラマで最大の出来事は、テレ朝が月-金の連ドラをこともあろうに昼食時にぶつけてきたことだろう。 テレ朝の午後0時台のラインナップを見ると、「徹子の部屋」 とこの連ドラマ2本立てである。 普通に考えると、お昼時の会社員たちがこれらを見るとは考えにくい。 ドラマ部門でいつの間にか他局を大きく牽引していくだけの力をつけたテレ朝だからこそできる強引さ、なのであろう。

 そしてその第1弾が、「北の国から」 の大御所倉本聰がフジテレビからダメ出しを受けた 「やすらぎの郷」 なのであったが、これは今のテレビ局の状態を如実に世間に示した出来事だった。
 「やすらぎの郷」 をフジテレビが蹴った理由というものは去年考察してみたが、要は現在のフジテレビに 「やすらぎの郷」 を受け入れる余裕が、気持ち的にも経済的にもなかった、ということに尽きよう。 テレ朝はそれを出来る力があった。

 第2弾の 「トットちゃん!」 は直前まで流れる 「徹子の部屋」 と完全なコラボレーションを実現したが、1クール(3ヶ月)というのは正直短すぎた。 ただ黒柳サンの人生を上っ面でなでるように超スピードでドラマは展開したが、目玉が黒柳サンの秘められた恋だけだった、というのがいかにも惜しかった。 時代的な背景も昭和30年代くらいからちっとも伝わってこなかったし。 一昨年NHKでやった 「トットひとり」 と比べれば、その作品的な深みの差は歴然としていた。 まあこの 「どっかドラマの詰めが甘い部分」 が、私がテレ朝のドラマを回避したがる部分なのであるが。

 ただ、大石静氏の脚本は、やはりこの 「秘めた恋」 のあり方をどう視聴者に納得させることが出来るだろう、という方向で展開していた気はする。 つまり、黒柳サンの両親である守綱氏とチョッちゃんのあり方と、その住処となった乃木坂上倶楽部の人たちのあり方が、常に 「芸術至上主義」 という思想の上に成立していたことが、黒柳サンの一見奇妙な 「秘めた恋」 のあり方にも大きな影響を及ぼしている、という見方である。

 テレ朝の 「お昼の連ドラ」 がいつまで続くかは分からないが、「ドラマの提示方法は過去に縛られず、柔軟であっていい」 という 「勝者の余裕」 は、他局にも大きな影響を与えている気がする。

 そんなテレ朝に追従していると思われるのがTBS。 ただし方法論は逆で、かつて 「ドラマのTBS」 と名を馳せたプライドが、「自分たちだけにできるドラマ」 という基本形を忠実に守ろうとしている、そんな姿勢が見える気がする。 それは時に 「小さな巨人」 というやり過ぎなドラマも作ってしまうのだが、「陸王」 はその部分をきちんと軌道修正して、万人が感動できる作品を作り上げた。

 正直なところ 「陸王」 は、あまりに手堅すぎて先が読めてしまう部分もあった。 会社を存続していく上において、どういうことがリスクになっていくのかを矢継ぎ早に提示していく。 以前会社を経営していた私にとってはあれもこれも身に覚えのあることばかりで、失敗者には正直見ていてしんどかった。 が、リトルグリーモンスターの 「♪エブリデーイ(「ジュピター」)」 が流れると、分かっていても涙がこみ上げる。 そこに作り手が、すべてを集中させているためだ。
 このドラマは構造的に、いちばんの主役が 「陸王」 という名のランニングシューズなのであって、その次にそれを履く、茂木(竹内涼真)というランナーだった。 それを作り出す足袋屋のこはぜ屋、というのが事実上の主役なのに、構造的に逆転している。 このからくりは単純に面白かった。

 そんな、基本形を大事にしているTBSでも 「ファイナルファンタジー」「監獄のお姫様」 のような冒険はする。 特に 「ファイナル…」 はゲーム会社とのコラボ企画だったとはいえ、ゲーム画面とドラマ部分がクロスしていく様子は、これは自分がかつてこのゲームのヘビーユーザーだったからかもしれないが、とても見ていてワクワクした。

 ただ後者の 「監獄のお姫様」 が冒険だったのか、というと必ずしもそうではない気がする。

 このドラマはヒットメーカーである宮藤勘九郎に脚本を依頼しており、「冒険」 のようでいて実は 「手堅い」 一作だったのではないか。 ドラマを最後まで見た限り、宮藤氏は来年の大河ドラマの前哨戦みたいな感覚で力が入り過ぎ、ドラマスタッフはそのぶっ飛ばし過ぎに最後までついていけなかった、という印象を受けた。
 要するに登場人物が役のかけもちをしたり、時系列が行ったり来たりし過ぎるのについていけなかったのだが、こういうトリッキーな展開というのは、見る側が作品にハマれば大きな効果を生じるが、ハマらないとただただ疲れるだけ、ということになる。 宮藤氏がそこに気付けばいいのだが。 来年の大河 「いだてん」 では、同様の轍を踏まないことを期待したい。
 ただ、結構ガチャガチャしているわりには、泣ける部分が多かった気はする。

 このドラマの枠であった 「火曜夜10時ドラマ」 は、結構 「冒険」 と表裏一体な積極性を感じる。 私は結局リタイアしたが、「カルテット」 もこの枠であったし、「あなたのことはそれほど」 は、波瑠がダークな主人公(まあ、ダークというよりダメ女)を演じた点で、冒険だった。

 その 「基本」 と 「冒険」 のどちらにも属さなかったのが 「コウノドリ第2シーズン」 であるが、このドラマのもっともすぐれた部分は、登場人物のすべての 「生き方」 にきちんとスポットをあてていた点だ。 つまり、ひとりひとりがドラマのなかで、ただドラマ上のある一部分の役割を与えられたひとりひとり、ではなく、きちんと 「生きている」。 こういう、「登場人物のキャラ、状況が詳細に設定されている」 ドラマで思い出すのはアメリカの医療ドラマ 「ER」 なのであるが、日本のドラマでもやろうと思えばここまでできる、という感を強くした。
 そしてそれは、患者の妊婦だけでなく、その家族にまでわたっている。 私が共感するのは、やはり男だから夫の気持ちなのだが、その、「夫が自分の気持ちを分かってくれない」 という妻たちの苛立ちも、その妻たちの 「どうしようもない苛立ちを鎮めることが出来ない 夫の苛立ち」 も、見ていて痛いほど伝わってきた。 夫婦は自分のしたいことと子育てとのギャップに苦しみ、経済的な限界に苦しみ、命の重みというものに苦しむ。 そして、その葛藤の末に生まれてくる赤ん坊、堕ろされる赤ん坊、死んで生まれてくる赤ん坊。 出産が、その命の極限の闘いの末の出来事だからこそ、このドラマには何度も号泣させられた。

 今回顕著だったのは、舞台となるペルソナ総合病院の医師たちの状況、そして希望などが流動的に変わっていくために、ペルソナのスタッフ自体が流動的になっていく、という展開だった。 これでもしサードシーズンを作ろう、となると、今までのふたつのシリーズとは全く違ったドラマになっていくだろう。 続編が出来るかどうかは正直微妙だ、と思われるが、私は続編を見てみたい。 特に死んだ父親の遺志を受け継いだ四宮(星野源)が、もうドラマに大きく関わることがないであろう寂しさはある。 でも四宮中心の地方病院の産婦人科のドラマも見てみたいし、四宮が抜けて入ってくる医師と鴻鳥(綾野剛)とのぶつかり合う新しい展開の 「コウノドリ」 も見てみたい。 「コウノドリ」 は私にとって、かなりのキラーコンテンツなのだ。

 今のテレビ局で、「冒険」 だ 「堅実」 だ、というややこしさをほとんど感じないのがテレ東の作るドラマだ。 特に深夜ドラマで従来のドラマ作りの概念をぶち壊すアグレッシヴさに出会うことが多いのだが、アグレッシヴすぎてついていけないことも多い。 そんななかで私が視聴した 「釣りバカ日誌…」 と 「孤独のグルメ」。 「孤独のグルメ」 はそのアグレッシヴさがひとつの様式になって安心して見ていられる。 長く続いて欲しいシリーズだが、年々主役の五郎さん(松重豊)が食べる量が増えているのが気になる。 あんなに食ったら1食で5千円くらいにはなるだろう。 もっと抑えてもらいたい。
 「釣りバカ日誌…」 は昨今のコメディドラマのなかで、最も良質だといえよう。 あまりにお約束過ぎてつまんないときもあるが、こちらが笑おうと身構えているのに、それに応えてくれるというのはすごい。 このドラマによって、主演の濱田岳のコメディスキルが飛躍的にアップしたのは確かだ。 「わろてんか」(NHK)は完全にリタイアした私だが、濱田が出てくる部分だけは楽しかった。
 この2本のドラマとも、実は出演俳優の体調とかに影響される部分が大きい気がしている。 特に 「釣りバカ」 の西田敏行サンの体調は気になるところだ。 西田サンが出なければ、このドラマのパワーは半減する。

 テレ東のドラマ、というカテゴリからは異質な気もするが、「ウルトラマンジード」 は一見子供っぽい設定だったが最後まで大人も楽しめるものだった。 これは別項で詳しく論じたい気がする。

 日テレは、なんとなく往年の勢いがない、という気はするが、やはり手堅くいいドラマは作っていると感じる。
 日テレの去年の冒険は、長年続いた土曜夜9時のドラマ枠を10時に引っ越したことだが、9時枠の最終作だった 「スーパーサラリーマン佐江内氏」。 そして10時枠移行後初の 「ボク、運命の人です。」。 この2作はかなり力が入っていた。 無理もない、この枠は 「池中玄太」 とかの昔からある伝統の枠なのだ(いや、もっともっと前)。

 水曜夜10時ドラマでは、「東京タラレバ娘」 があったが、女性の心や生態が分かる非常に優れたドラマであるにもかかわらず、なにかマンネリに近いものを感じたものだった。 これは女性マンガ原作の持つある種の共通した傾向なのかもしれない。

 日テレのドラマで去年(2017年)もっともすぐれていたと私が思うのは、「先に生まれただけの僕」 だ。
 実は、このドラマについてはかなり長文のレビューを書いたのだが結局ボツにした。 それは、「教師たちはこんなことをする暇がないくらいに忙しい」、という観点がすっぽり抜けていたからだ。 実際このドラマで 「教師という仕事は殺人的に忙しい、学校ってのはブラックもいいところだ」、という視点が真面目に論じられたことはなかった。 「忙し過ぎるけど、好きでやってるから」 みたいな。
 ただその視点をあまり重視しないと、このドラマはかなり現代の教育を根本から考え直すいい教材になっている気はする。 なにごとも、「従来の常識」 に拘泥されていては真の意味での効率化は図れない、と思うのだ。 その 「従来の常識」 が雲散霧消していくさまが、とても心地よかった。 だがそこには、やはり 「教師の負担を軽減しなければ実現不可能」、という高いハードルはあるのだが。
 いずれにしてもこの少子高齢化で、学校というところは学生の取り合いになり、その絶対数すら確保できなくなる状態になりつつある。 そこで学校は、自分たちの学校がどれだけ魅力のあるものなのかを模索し実行しなければ生き残れない。 その視点でもって描かれた学園ドラマというのは、私の知る限りではこのドラマが初めてだった気がする。
 そこで大手物産会社から系列の高校に校長として派遣された鳴海(櫻井翔)と恋人(多部未華子)、高校の女教師(蒼井優)との三角関係など、どうでもいい気もしたのだが、ドラマ的なスパイスとしては大きく役立った気がする。 副校長(風間杜夫)も鳴海の敵役の専務(高嶋政伸)もいい味出してた。
 このドラマは2017年の私の見たドラマのなかではいちばんぶれてない、構成のしっかりしたドラマだったと思ったのだが、ドラマ開始時にはもうすべて撮り終えていたらしい。 道理で。

 日テレに関しては、日曜夜10時台のドラマが不要なような気がしてならない。 この枠のドラマ制作パワーをほかに振り分ければ、かつてのような力強い勢いが盛り返す気がするのだが(ただそんなに気にするほどの衰え、というわけでもない)。

 そしてフジテレビ。

 テレビ欄でもアナログ時代は中央にいたのに8チャンネルだったばっかりに、デジタルになって10から5に替わったテレ朝、12から7に替わったテレ東にさえ押しのけられてテレビ欄の隅っこに追いやられたフジテレビ。 どうにもそれと同時にこのテレビ局の斜陽化が始まった気がするのだが、「別に見てもらわなくたっていい」 などと不遜なことを言うからますます視聴者離れが加速し、みそっかすになってしまったフジテレビ。

 とても意地悪なことを書いていると自分でも思うのだが、これはほぼ事実なのではないか、と正直なところ思う。 フジテレビは、最近頑張ってる、と思うんだよ、私はドラマしか見ないからことドラマに関してだけ言えば。 でも、誰も見てくんない。 落ち目になったらこんなもんだ、とも思う。

 でも、ちゃんと見てもいない連中が、フジテレビのドラマをけなすのには我慢がならない。

 「民衆の敵」 なんか、最終回が月9最低の4パーセント台だったとか。 そんなにつまらないドラマだったか? いや、月9で政治ドラマをやるのがそもそも間違っていた、というのが本当のところだろう。 また、このドラマはモデルがはっきりし過ぎていた。 そういう、現実にウンザリしている人たちは、現実に題材を取っているようなドラマをまたあらためて見たくもないのだろう。 そこに、このドラマを企画したフジテレビスタッフの、世間とのずれというものを感じるのも確かだ。
 だがこのドラマは、同じ高橋一生が出てる 「わろてんか」 なんかに比べたら、はるかにマシないいドラマだった。 主役が篠原涼子でダメだったか? けっして私はそうは思わない。 でもシノハラで見たい、という人は、かつてに比べたら少ないのかもしれない。

 フジテレビのドラマに対して思うのは、こういう 「世間とのずれ」 だ。

 例えば1-3月期に見ていた日曜夜9時ドラマの 「大貧乏」 だが、ドラマ的にはとても面白かった。 しかし内容が 「大貧乏」 とはかけ離れていたし、主役の小雪の好感度、というものにも疑問符がつく(私はキライではないが)。
 「貴族探偵」 では、SNSとかで世間にディスられることを逆に話題作りにしようと目論んだらしい。 だがそれも自爆。
 去年のフジテレビでいちばん視聴率的に成功したと思われる 「コード・ブルー」 でさえ、かつてのシリーズのファンからはそっぽを向かれた。 脚本家を替えたことが問題視されたわけだが、私はこのシリーズから見たので(笑)別に…。 山Pのセリフが字幕なしでは無理っぽかったかな程度。 しかしここでも感じるのは、評判の脚本家を替える、という 「世間とのずれ」 だ。

 どこまでこの局の迷走は続くのだろう、と思われたが、秋ドラマでは 「民衆の敵」 をはじめ、秀作が揃っていた気がする。 特に先の項でも取り上げた、「刑事ゆがみ」。 こういうドラマづくりを地道にしていけば、浮かぶ瀬もあるのではなかろうか。 私は暗くてリタイアしたが、井上真央主演の 「明日の約束」 も、きちんとしたドラマだったと伝え聞く。
 こうやって、質のいいドラマを泥をすすりながらあがいて作っていくしか、フジテレビのドラマが再び浮上する方法は残されていないのかもしれない。
 もともとフジテレビは、倉本聰の質のいいドラマとかを地道に流していたのだ。 それがトレンディドラマだのいう時流に流されて(つーかそのメインストリームになって)チャラチャラしたドラマばかり作るようになって。 楽しくなければテレビじゃないなんて浮かれた結果がこれなんじゃないのか。

 まあ、好き勝手なことをほざいてますけどねオレも。

 そして最後に、NHK。

 「いいドラマも悪いドラマもあった」、というのがNHKに対する感想であるが、軸となる朝ドラと大河ドラマ。 このふたつに関してここ数年 「もうちょっとなんとかなんないか」、というモヤモヤとした気持ちがある。 「話題性とかカネがかかってるとかじゃなく、もっと作品本位で」。 それが、朝ドラと大河というNHKの二大看板に対して言いたい言葉である。

 それ以外では、特にBSの 「赤ひげ」 が、結果的によかった。 思い返せば、クロサワの 「赤ひげ」 は、三船との最後の作品であり、どことなく一体感が感じられない淡白な作りだったように思う。 保本役の加山雄三も物足りなかった。 それに比べると今回の 「赤ひげ」 は、小石川療養所の作りはクロサワ版ほど立派ではなくても却ってそれがよく、すべてにおいてまさっていた、と思う。 特に保本役の中村蒼、お杉役の大後寿々花、そして毎回のゲスト出演者がことごとくよかった。 こういうドラマを見ることが出来るのは、受信料で資金が潤沢なNHKの制作力のおかげ、といっていいだろう(や~な書きかた)。

 「アシガール」 も、このようなタイムトラベルものでは主人公は結局もとの時代に帰っていくものなのだが、それがなかったのが意外な結末だった。 もしかすると続編があるのかもしれない。 主役の黒島結菜の一途過ぎな(笑)恋心が、ジジイのハートも射止めた(笑)。

 そして 「この声をきみに」。
 竹野内豊が偏屈な数学者の役なのだが、偏屈すぎて妻のミムラから離婚される。 そこで自分を見つめ直すために朗読教室に通い始める、というストーリーなのだが、毎回出てくる朗読の作品群が、とても心に沁みた。 ただ単に朗読しているところを見せるのではなく、CGを使ったり仮装したりして、心が解放されていく様子をビジュアルで見せていくのがとても感動的だった。
 さらに、数学者である主人公の専門である 「結び目」 の知識が主人公たちの心理状態を解説していく、という面白さ。
 こういう、地味で素敵な話を作れるうちはNHKは大丈夫だ、とは思うのだが、どうもそれが朝ドラと大河に繋がっていない。 「ひよっこ」 はかなり原点に戻ろうとした作品だったと思うのだが、大阪制作の朝ドラは、ここ2年爆死が続いている。 「おんな城主 直虎」 に関しては、「33回の話の続き」 のコメント欄で言及しているのでここでは省く。

 というわけで、2017年のテレビドラマについて個人的に順位をつけてみた。

 次点 やすらぎの郷(テレ朝)
     スーパーサラリーマン佐江内氏(日テレ)

 第10位 ボク、運命の人です。(日テレ)
 第9位 みをつくし料理帖(NHK)
 第8位 民衆の敵~世の中、おかしくないですか?~(フジテレビ)
 第7位 アシガール(NHK)
 第6位 陸王(TBS)
 第5位 赤ひげ(NHKBS)
 第4位 刑事ゆがみ(フジテレビ)
 第3位 先に生まれただけの僕(日テレ)

 同率1位 コウノドリ(TBS)
       この声をきみに(NHK)

 
 あくまで個人的であるが、どうしても記憶が薄れている昔の作品ほど順位が下になってしまった気はする。 これだけテレビドラマを見ていて、まだまだ全部見たわけではないので、かなり不完全なものであることも承知だ。 とりあえずこうなった。 「おんな城主 直虎」 は、但馬が殺されたときまでなら8位くらいには入ったかもしれない。

 昨今の世の中では、スマホ配信とかテレビの視聴方法自体が劇的に変わり、視聴率というもものさし自体が完全に過去のモノと化している。 リアルタイムで見ていても、スマホ片手に感想をつぶやき合う、というスタイルもあるらしい。
 しかし旧世代の私などは、テレビ局がそのスタイルの変化に合わせて、ドラマの作品本位、という姿勢をその場の話題作りとかで歪めて欲しくない、と考える。
 私の作ったこのランキングは、ケータイやPCの 「ながら視聴」 ではない、「ドラマに集中して見た結果」 なのだと、おこがましくも表明しておきたい。

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2017年11月19日 (日)

「民衆の敵~世の中、おかしくないですか!?~」 多数決の先にある民主主義

 衆議院選挙が突然決まってしまったためにフジテレビの 「忖度」 によって開始が遅れてしまった、といういわくつきの 「月9政治ドラマ」。 篠原涼子が普通(以下?)の主婦から市議会議員になる、という話だ。

 このドラマ、「脚本家が変わってこれまでのシリーズ中サイテーの出来」 と酷評されながらも高視聴率を保った前クールの 「コード・ブルー」 の後番組だが、視聴率的にここ数年じり貧気味だった 「いつもの月9パターン」 に逆戻りしている。

 その原因は題材をはじめ、さまざまな点が考えられるが、私が考えるのは 「主人公が市議会議員になるまで」 を描いた第1回の出来だ。 安直でご都合主義に思えたからだが、その憤りもあって実は、このドラマに関する批判的なレビューを書きかけた。
 しかし途中から内容が難解になり過ぎ、自分でも何を書いてるのか分かんなくなったので完成を放り投げた(笑)。

 まあその、第1回の批判について要約すれば、「もともとカネ目当てで市議会議員になろうとしている癖に、変に都合よくマタハラを受けているブレーンを獲得し 『幸福』、というかなり漠然とした主張によって、結局当選議員の急病で繰り上げ当選してしまうって、ナメてんじゃないの?」 ということだった。

 少しその、ボツになったレビューから抜粋しよう。

――自分たちの息子に卵焼きをステーキだと思い込ませる。 そうすることで夫の田中圭は 「子供にあらかじめ諦め癖をつけておけば幸せになれる」、というスタンスを取っていた。 しかし、篠原は 「自分が幸せかどうかは自分が決めたいんだ!私はニセモノではない本物の幸せが欲しいんだ!」 と本音をさらけ出した。

――だが、ドラマのロジックとしては、この軸の部分が危ういのではないか、と私は思う。

――「個人の幸せ」、ということを考え始めると、政治で何とかしようとするには、あまりにもターゲットが漠然としてしまうからだ。 ドラマは篠原に、「普通の主婦」 という目線を与えたがっているようだが、「個人の幸せ」 という普遍的なものを目的にしてしまった時点で、篠原の市議会議員としての活動において、かなり公私の境目が曖昧になってしまう気がするのだ。

――そのせいかもしれないが、第1回を通して見た印象は、なんかヤケにあっさりとしていた。 これは、物語のテンポが良すぎる、という点に主な原因があるが、篠原のキャラ設定が 「熱血ではない」 ということにも問題がある気がする。 まあお金がそもそものスタートだから、別にダメならダメでい~や、くらいの軽い気持ち、とでもいうのだろうか。 たとえいったん落選したあとの繰り上げ当選、という形であったとはいえ、そんなんで当選できてしまうほど政治っていうのは軽いのか。――

 どうも論理が堂々めぐりしているだろう(笑)。 ちょっと(かなり)書きなおした(笑)。

 だが数回見ていくうちに、月9のスタンスとしては、これくらいの軽さがちょうどいいのではないか、と思うようになってきた。
 これに続く第2回では 「そんなの警察の仕事でしょ」 という問題に首を突っ込み、第3回以降は 「議員でなくてもできねえか?」 という問題に血道をあげている篠原。 しかしその 「シロートっぽさ」、「小さなことからコツコツと」 という姿勢が、「多数決」 という数の論理で動く従来の政治にちょっとした旋風を巻き起こしている、という小気味よさにつながっているのだ。

 民主主義の基本である多数決、という決め方。 これって一億総中流みたいな時代には合っていたのかもしれないが、勝ち組と負け組だけで中間層が極端に減ってしまった現代では、そぐわなくなっているのではないか。 篠原が演じる主人公の行動というのは、一面では世間知らず的な部分もあるのだが、実は貧富の差が激しい時代に適合した政治のあり方を体現しているのかもしれない。 そんな小気味よさだ。

 そしてその小さな旋風が、もしかすると巨大台風に発展する可能性もあれば、コップの中の嵐で終わる可能性もある。 ここで物語を面白くしそうなのが、篠原が当選後すぐに 「市議会のドン」 の派閥に便宜上所属してしまった、という設定だ。 これも主人公の発想だと 「大きい派閥のほうがなにかと動きやすそうだし~」 みたいな軽~い動機でしかないのだが、彼女を今のところ動きやすくしているこの設定が、これから彼女を呪縛していくであろうという怖さに、単純にワクワクする。

 ここに、今のところ単なる客寄せの役割しか与えられていない感のある高橋一生(同じくドンの派閥所属)がどう絡んでいくのか。 物語では高橋にヘンなスキャンダルを絡ませたがっているようだが、それでは話がとっちらかってしまうような予感がして個人的にはあまりそういう話を期待していない。

 まあ、期待しないで見ている程度がちょうどいいのかもしれない(笑)。
 政治なんて、そもそもその程度のことだから。 夢物語は、ドラマの中の嵐だけだ、という諦めだ。 ドラマは相変わらず、「個人の幸せ」 という曖昧なものを目指している気がするが。
 願わくば篠原が、今のドシロート感覚からただの政治屋になってしまわぬことを。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年11月 5日 (日)

「赤ひげ」(2017年のドラマ)どうしても黒澤作品と比較してしまうが

 NHKBS時代劇の新作。 全8回。

 NHKの番組HPでは完全に無視を決めかかっているが、この物語は山本周五郎の原作、というより、私にとっては黒澤明監督の映画、という位置付けで今日まで来た。 確かテレビドラマとしても、何回かリメイクされたはずである、が、ネット検索してもどうもその情報が出てこない。 私の記憶違いかもしれぬ。

 しかしよしんばリメイクされていたとしても、おそらくそのどれもが黒澤作品には敵わなかっただろう。 それほどの名作であるし、なにしろ主人公 「赤ひげ」 の三船敏郎の存在感を凌駕する者など、未来永劫現れないだろうからだ。 最近じゃ胡麻麦茶のCMにまで出ている(笑)。

 ただしこの作品を私が見たのは、もう40年近く前、私が中学生の頃だったろうか。 かなり記憶が茫漠としていたが、今回ドラマを見たことで、だいぶん記憶がよみがえった。
 まず黒澤映画において三船は確かに存在感の権化みたいな感じだったが、物語的には加山雄三が中心で動いていたような気がするのだ。 それをまず思い出した。
 そして診療所内の隔離所に幽閉されていたある狂女(あえてそう書かせていただく)の、ゾッとするような恐怖。 京マチ子かなと思っていたけれど、あれは 「羅生門」 だったか。 ネットで調べたら香川京子だった。

 話の筋が後回しとなった。 この物語は、江戸時代に小石川にあった無料の医療施設が舞台。 幕府の肝いりで設置された。 無料だから民間の貧乏人ばかりが患者だ。
 そこに長崎で蘭学医療を学んだ新人の医師、保本が赴任してくるのだが、これがまったく本意ではない。 本意ではないから、かなり不貞腐れる。 映画ではそれが加山雄三だ。 52年前、私が生まれた年(1965年)の映画だったから、加山雄三もまだまだひよっこの頃だ。

 今回のドラマではそれを中村蒼が演じている。 遠い昔の記憶と比較するという無理をさせてもらえば、中村は加山よりもかなり自我が発達していそうな感じに見えた(笑)。 要するに、加山はホントにボンボンみたいな感じだったのだ(ホントに二世タレントでボンボンだったのだが)。 映画は加山のひよっこぶりをたぶん強調していたものと思われる(遠い記憶なのによく言うよ)。

 その診療所の主が、赤ひげこと新出去定(にいできょじょう)だ。 三船が演ったその恐れ多い役を、たぶん本人としては悲壮な覚悟で、船越栄一郎が演じることとなった。

 なにかをしゃべれば雷みたいな三船の重厚さには追い付くべくもない。 船越の演技も無理してダミ声をあげたりして、三船をじゅうぶん意識しまくったものに見えた。
 しかしだ。
 船越は赤ひげを演じるだけの人生の積み重ねを、すでに備えているように私には思えた。 まあ離婚騒動中の奥さんの影響が大きい(ハハ)。
 だいたい赤ひげという人物は、ダミ声をあげないと影響力を行使できないのだと思う(笑)。 幕府の予算削減に対抗するための強面であらねばならないし、そもそも保本の蘭学ノートをひったくって読み漁るくらいの知識量だから(笑)。

 じゃあそれだけの人間か、というとそうではない。
 赤ひげの存在意義は、医療に対する問題意識の高さに依拠している。 だから蘭学の最新知識が必要なのであって、下らない自我に拘泥されているひよっこの医師など、問題意識に目覚めなければどうでもいい、と思っているのだ。

 だから赤ひげは、保本がどんなに不貞腐れようがほっぽっている。 ただこのような、悲惨な診療所の実態をあるがままに見せている。 それでなにも感じなければ、それまでのことだ。

 第1回においてその本質は、見事に描写されていた。 脚本は 「アットホーム・ダッド」 や 「梅ちゃん先生」 の尾崎将也。 HPによれば、彼はこの原作を若い頃からかなり読みこんでいたらしい。 その思い入れによって書かれた今回のドラマは、通り一遍の安っぽさなどとは無縁だ。 それがうれしい。

 ただひとつ不満があったとすれば、狂女の凄味が黒澤映画に比べれば見劣りしたことくらいか。 遠い記憶で美化がされている可能性もあるが、黒澤映画において香川京子のそれは、ホラー映画も真っ青な怖さだった。

 ともあれこのドラマが、BSだけで放送されるのはもったいない。 総合テレビで 「アシガール」 のあとにでもやったらいいのに。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年10月28日 (土)

「刑事ゆがみ」 やりゃできるのに、どうしてちゃんとやらないんだ、フジテレビは

 この秋ドラマで私がいちばん推したいのは、フジテレビ木曜夜10時のこのドラマだ。 浅野忠信と神木隆之介がバディを組んでいる刑事ドラマ。

 常日頃 「刑事ドラマがキライ」 と公言している私だが、これまで 「人が殺されるドラマというのは嫌だ」 という理由づけをしてきたが、実はある意味テレ朝のドラマを避けるための口実に過ぎなかった。 つーより、いったんドラマが始まるとシリーズ化するテレ朝の長縄跳びのなかに、ただ単に入れないだけの話なのだが。 「相棒」 なんて、いつまでやってんだよ。 水谷豊が 「熱中時代刑事編」 と同じ役だったらよかったのに(古すぎて若い人にはなんのことやら、だ)。

 このドラマの原作はビッグコミックオリジナル連載のマンガだ。 ドラマはこのマンガの世界観を半ば忠実に再現しながら、実写ならではの妙な空気感を作ることに成功している。
 その空気の醸成に最大寄与しているのは浅野と神木であることははっきりしている。 浅野は基本的に映画俳優、というのが一般的な認識だが、神木ももう長いこと、テレビドラマにも出ながら映画でも主役が張れる役者として歩んできた気がする。

 「映画俳優」 の強みというものはなんだろう。
 それは、2時間程度の話の中で、自分のキャラを一瞬で観客に理解させることが出来る能力、奥深さを備えている、という点だ。

 でも一瞬で理解できないキャラ、というのも確かに映画の中には出てくる。 だがしかし映画俳優は、そのキャラがいくら一瞬で理解しがたいキャラでも、「理解しがたい」 行動をワンシーンでたたみかけることによって、その人物の複雑さ、不条理性を見る側に理解させてしまうのだ。

 このドラマにおける浅野の役、「弓神適当(ゆがみゆきまさ)」 はまさにその名の通りテキトーで、捜査のためなら不法侵入なども平気で行ない、その結果始末書を書かされてばかりいる刑事だ。 しかもその捜査方法は、「真実に肉薄する」、という蛇のような執念さを伴っており、しかも 「うやむやにしておいていい真実もある」、という、杓子定規な執行人をも拒絶する、絶妙なバランス感覚の上に成り立っている人間性を兼ね備えている。 だが基本は、テキトーだ。 だから見ていて笑えるし、目が離せない。

 そして神木は若手のバディとして弓神についているが弓神の捜査の違法性についていけない。 神木はかつてないほど気が強い役を演じている気がするが、それはかつて同性の支持者たちに受け入れられていたような心の隙を、見る側に与えてはくれない。 その半人前的な強気を弄ぶことが出来るのは、弓神のような人生に精通した手練れしか、もはやいないのだ。

 そういう複雑な関係を、このドラマでは最初の数分で一瞬にして見る側に理解させてしまった。
 凋落著しいフジテレビのドラマが、なぜここまで高度な技を繰り出せることが出来たのだろう。
 役者の力と同時に考えうるのは、演出と脚本だ。 フジテレビの演出家なんかあまり気にも留めていなかったが、西谷弘という人は 「ガリレオ」 や 「任侠ヘルパー」 の演出もしていた人らしい。 道理で、という感じだ。 脚本は複数だが、そのなかのひとり倉光泰子という人は、実力がありながら去年は月9 「ラヴソング」 で苦汁をなめた、という印象がある。 「ちゃんとやれる」 スタッフが、揃っているようなのだ。

 さらに付け加えれば、このドラマはゲストの実力がすごい。

 第1話では杉咲花が真面目であるが故に気持ちが歪んでいく駅員の複雑な精神状態を見事に演じ切った。 この子は味の素のCMでぐっさんと一緒にホイコーローを大口開けて食いまくっていた頃から注目していたが(ウソ)、ひと昔前の蒼井優を凌駕するほどの若手に育ってきた気がする。

 第2話では水野美紀が 「男を知らないまま大人になった高校教師」、という、これまた複雑な精神表現が要求される役をそつなくこなし、ここから 「超オクテ社会の成熟」 という、「新手の」 社会問題まで見せつけた。

 第3話はまだ見てないが、これらのことから分かるのは、弓神が扱う事件の裏には、奥深い人間模様がきちんと描かれている、ということだ。 これはまあ、ビッグコミックオリジナルの原作、というだけのことはある。

 それにしても第2話で出てきた几帳面な下着ドロボー野郎(笑)斉藤工には笑った。 取り調べ中神木に向かって 「バーカ」「バーカ」 と連発するのだ(笑)。 斉藤は色男の役をするよりこういう過激なほうがずっと面白いと思うのだが。 こういう 「意外にハマっている驚き」 を演出できるのも、制作の腕、といえよう。

 フジテレビはこういうことをやろうとすりゃちゃんと出来るのに、遅れて始まった月9を見て 「なんでちゃんとやらないんだ」、という歯がゆさを感じることとなった。 レビューを書きかけているが、アップできるかどうかは未定。

| | コメント (18) | トラックバック (0)

2017年10月21日 (土)

「監獄のお姫さま」 エンジンがかからない、暖まらない、しかし…

 宮藤官九郎脚本のプリズンものドラマ。 今や 「あまちゃん」 で大脚本家の仲間入りをし、再来年には大河ドラマで 「いのち」 以来となる現代モノしかもフィクションモノを手掛けようとする人の脚本であるがゆえに、いやがうえにも期待は高まる。
 しかも主演は小泉今日子。 そして朝ドラ連続出演していた菅野美穂、固定ファンの多い満島ひかり。 誘拐される大企業の社長に伊勢谷友介。 これが集まったらどうなるの?くらいの注目度だった。

 だった(笑)。

 第1回を見た印象を率直に申せば、ドラマの中で 「なかなかエンジンがかからないバン」 というのが出てきたが、あんな感じだった(笑)。 笑わそうとしている場面で、なんか滑った感じになるのだ。 いや、笑えることは笑える。 ただ 「あまちゃん」 の記憶でクドカンドラマを見ているために、しぜんとこちらのハードルが、高くなっているのだろう。

 いつものことなのだが宮藤サンが、「さぁ~、おもちゃ箱をひっくり返してやるぞ」 と気合を入れまくると、妙にギャグが空回りするような気がしてならない。 「うぬぼれ刑事」 や 「11人もいる!」 がそんな感じだった。 今回ものっけから 「サンジャポ」 の同じシーンを繰り返し流すのだが、爆笑問題の演技の下手さが目について(といちおう書くが、「それなりにきちんと演技してはいるものの、いつもと違うのがどうしても目についてしまう」 というのが正確なところだ)「サンジャポ」 というある程度の知名度を味方につけたゴージャス感の演出が伴わない結果となっている。 TブーSのブタ君の活かし方も滑っている感じ。 いや、どうせなら 「オールスター大感謝祭」 の現場を活用したりしたら、もっとゴージャスな滑り出しになったかもしれない(無理か)。

 この第1回の目的を考えた場合、「本格的な打ち明け話はとりあえずあとにして、この女性たちが(オバチャンたち、と言わないのがこのブログの良心だ…あ言っちゃった)社長を誘拐するまでのドタバタを描く」 ということだろうと思う。

 そう、この女たちは、綿密な計画を立てているクセに、かなり間抜けている。 それはこの女たちの 「悪に徹しきれない」 良心なのだ。

 ただ、これは 「ひよっこ」 最終回の項でも指摘したことだが、このギャグの滑り具合というのは、「女性どうしの会話というものに対する、男性脚本家の苦手度」 に関係しているのではないだろうか。
 宮藤サンは、「女たちを自分と同じメンタルで捉える」 ことでその不自然さを解消しようとしているように思える。 つまり、「女性たちのしゃべり言葉を必要以上にオトコレベルに口汚く」 しているように見える。 これは正直なところ、「口の悪い女子高生の会話」 の領域から出ていない気がする。 しかしジェンダーの壁が限りなく低くなっている現代では、かなり有効な手法であろう。

 ギャグが滑りがちなのはまだエンジンが暖まっていないことでいいとして、第1回目でいちばん感情移入できたのは、キョンキョンが自分の息子に会うシーンだった。

 そもそも伊勢谷社長誘拐のために組まれた女たちのチームは、要するに刑務所で知り合った4人の女囚(小泉、菅野、坂井真紀、森下愛子)と1人の看守(満島)という構成だ。 その彼女らが出所後ある冤罪を晴らすために伊勢谷社長を誘拐したのだが(そのためにまず伊勢谷社長の息子を誘拐する、という余計なことまでする間抜けぶりだが)、今回この誘拐をすることで、彼女たちはまた収監される可能性がとても高いのだ。
 しかも再犯だから、罪はもっと重くなるはずだ。

 おそらく小泉の息子は、小泉の初犯が原因でどこかに預けられている。 小泉は伊勢谷のエドミルク社が作るクリスマスケーキを持って(そのケーキを買ったのは、「ケーキを買えばイケメン人気社長の伊勢谷とハグできる」、という特典を利用して、伊勢谷社長にモノ申そうとしたためだが)その息子に会いに行く。
 小泉の息子は迷惑がりながらも、もういろんな事情は分かっているから、という成長ぶりだ。 小泉は、今度の社長誘拐で自分がまた収監されることを見越して、「今度は前よりももっと長く、会えなくなるかもしれないの」 と、こらえていた涙を流してしまう。
 踵を返す小泉。 振り返ると、自分があげたホールケーキを丸ごとほおばる息子がいる。 息子は母親からの土産を、家に持って帰るわけにいかないのだ。 男がホールケーキを食べるのは、かなりしんどい作業だ(笑)。 ここで息子の健気さが伝わる仕組みになっている。

 このシーンがあまりにもぐっときたので、「もしかすると宮藤サンは今回、ギャグで笑わすよりも真面目なシーンで人を泣かそうとしているのではないか」、と思ったほどだ。

 ひょっとするとその 「マジメ路線」 の矛先には、再来年の大河ドラマの重みがのしかかっているのではなかろうか、とまで考えた。 考えすぎか。

 来たる大河ドラマでオチャラケ通しなわけにもいかないから、宮藤サンはきっと重いテーマを追求しているはずだ。 その余波が、今回のキョンキョンと息子のシーンに波及しているのかもしれない。

 ふとそんなことを思ったのだった。

 「ギャグが滑っている」 とは書いたが、ドラマ自体が破綻しているわけではないことは明言しておかねばならない。 小泉は天性のカンでこの 「女どうし」 の難しいドラマの舵取りをしている気がするし、満島はやはり出てくれば演技に見入ってしまう。 さらに伊勢谷は自分の息子に対する情を前面に出しながらも、その隠されたワルモノぶりをどのように曝け出していくのか、興味が尽きないドラマであることは確かだ。 次回から始まる、「どうして彼女たちが今回の誘拐に至ったのか」、という 「長い打ち明け話」 も然りだ。

 そこでオマケに笑わせてくれる、その程度なら、ギャグの滑りも気にならない、ということであろうか。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年10月15日 (日)

「コウノドリ 第2シーズン」 NHK朝ドラ出身者と、これから生きてゆく赤ん坊たち

 綾野剛がピアニストでもある産婦人科医を演じるドラマの第2シーズン。 2年ぶりの登場だ。
 第1シーズン(2015年)から共同脚本であったが、原作漫画が優れていたのが幸いしたのか内容の破綻がなく、命の尊さ、赤ん坊と向き合う親の姿勢などを丁寧に描いて、その数年前に同じ産婦人科を扱っていたドラマ 「ギネ」(2009年、藤原紀香主演、大石静脚本)よりも数段まさっていた記憶がある。 ただ 「ギネ」 の場合、主役の性格及び家庭とかにも多少の問題があって、院長にも愛人とか、救急車のたらいまわし問題とか、なにしろ手広くやり過ぎてどれもこれも中途半端に終わってしまった感じだった。 それに比べれば 「コウノドリ」 は、「主役の産婦人科医がジャズバーでピアノも弾いてるのかよ、そんなにヒマなの」 みたいなツッコミどころくらいで、きちんと医師と患者の関係性に焦点が絞られていたのがよかった。

 今回は冒頭からいきなり鴻鳥(こうのとり)サクラ(綾野)が離島でピアノを弾くところから始まり、離島であるがゆえの限られた条件下の出産に立ち会うことになる。 「あれ、ペルソナ辞めてコトー先生になっちゃったの?」 とこちらに軽くショックを与えるようなスタートの仕方だ。

 ここに絡んでくるのがドクターヘリなのであるが、当然かもしれないが前クールのドラマ 「コード・ブルー」 に出てきたのと同型機が登場する。 ドラマ好きをニヤリとさせる仕掛けだ。 さらにその離島でひとり頑張っている医師が、佐々木蔵之介。 オイ蔵之介、こないだまで洋食作ってたろと突っ込みたくなる(あ、念のために書くけど 「ひよっこ」 での話ね…笑)。

 コウノトリ先生がコトー先生になってしまったのか、という杞憂は 「1週間程度の休暇」 というオチだったが、ペルソナ総合医療センターに帰ってきた彼を待ち受けているのは、研修医を卒業した松岡茉優。 今回のシリーズではかなり主役に近い立ち位置に陣取っている印象だ。
 それに比べて第1シーズンでは比較的出番が多かった吉田羊の印象が、今回第1回目を見た限りでは薄かった。 院長の浅野和之なんか最後にチラ、ですよ、チラ(笑)。
 冷たい氷のような四宮先生を演じる星野源は、氷のうえに辛辣さが増している印象。 妊婦の夫を平気で脅しにかかる(笑)。

 ともあれ。

 ともに聴覚障害の夫婦(志田未来、泉澤祐希)の、「生まれてきた子供が健常者だったら、どうやって接していったらいいのか分からない」、という不安。 出産休暇を取ったことで仕事上の軋轢に心を乱される妊婦(高橋メアリージュン)。 どんな特殊なケースにおいても、その出産の場面というのは、限りなく感動的だ。 私たちは皆、母親の必死の激痛をくぐり抜けて、この世に飛び出してきたのだ。

 しかしそこに、コウノトリ先生の 「出産は奇跡だ。 だがそのあと、家族は現実と向き合い続けなければならない」 という言葉が、呪文のように繰り返される。 赤ちゃんを産んだはいいけど、どうやって経済的なことを乗り越えるのか、自分の仕事はどうなるのか、保育所には無事入れるのか、自分の時間は、自由はどうなってしまうのか。 いろんなことが肥大化しすぎて、育児に適した環境というのは必然的に狭い場所に押し込められ続けている。 それが少子化問題の最大の原因だが、このドラマは政治家の責任部分には一切言及しようとしない。 政治にはハナから期待してない、という態度の表れなのかもしれないが、期待されていない政治ってなんなのだ。

 それにしても。

 このドラマは第1シーズンの頃から、「やたらと朝ドラで知名度が上がった俳優が出てくるな」、という印象があった。 ざっと振り返ってみても、さきほどの松岡茉優(「あまちゃん」)、医療スタッフでも 「マッサン」 にキツイ事務員の役で出ていた江口のり子、個人的には星野源なども、「ゲゲゲの女房」 で知ったクチだった。
 さらに今回、聴覚障害の夫だった泉澤祐希も、「ひよっこ」 では三男を演じていた。 コウノドリ先生が手紙を見て物思いにふける 「芽見」 という差出人の姿もラストでちらっと見て、「はてどっかで見た顔だよなあ」、と調べてみたら、「ひよっこ」 のナバタメ(青天目)チャンを演じた松本穂香だった。 アラレちゃんメガネかけてないから分かりにくいが、なんか覚えていたオレって異常だ(ハハ…)。

 そのなかには以前から俳優をされていた人も多いのだ、と思うのだが、正直なところNHKの朝ドラで知名度が上がる、というのは、俳優としてのステップアップのパスポートをもらったようなものだ、と私には思える。
 そこから飛び立っていく、いわばひな鳥のようなものだ。
 それはこのドラマの中で、「生まれたあと現実と向き合っていく」 赤ん坊たちと、奇妙に符合する気がする。
 そのチャンスの前髪をいちばん上手にたぐり寄せていったのが、松岡茉優ということになろうか。 三男もナバタメチャンも、頑張るのだ。 応援してるぞ。 ヨネ子は出てこないかな~(笑)。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年10月14日 (土)

「アシガール」 細かな設定とオーザッパな恋心(笑)

 ここ最近、NHK土曜午後6時からやっているドラマシリーズ。 時代劇が多いが、たまに 「悦ちゃん」 のような昭和レトロモノがあったりする。 感覚的には、NHKBSの時代劇スタッフ企画会議で次点になったような感じのものが多い。
 今回は戦国タイムスリップもの。
 こうなるとオッサンとしては、1970年代の平日同じ時間帯でやってた 「少年ドラマシリーズ」 を思い出す。 そのシリーズは、SFジュブナイルの映像化がとみに多かった。 もっとも早い 「時をかける少女」 の映像化も、このシリーズ。 NHKとタイムスリップものは、かなり歴史のある長い関係と言える。

 今回の設定としては、足が早いだけが取り柄の女子高生・速川唯(黒島結菜)が、天才肌引きこもりの弟の作ったタイムマシンを誤って起動させてしまい、戦国時代にタイムスリップしてしまう、というもの。
 第1回ではこの女子高生がかなり瞬時に事態を呑み込み、足軽の鎧を着たり昔風のしゃべり方をしたり、超人的な適応能力を発揮する。 まずオッサンにはこのことが驚きで、そーか、創作物でタイムスリップものにあふれた2017年という現在の女子高生は、こういうことは 「起こり得ないこと」 という認識はしないのだ、と思い知らされた。

 そして現代っ子のタイムスリップに関する知識が豊富すぎるせいか、唯はほとんど 「私はもう元の時代に戻れない」 という悲観的観測をしない。 しかしその考えに唯が至らないのは、「天才の弟が何とかしてくれる」 という単純な思い込み。 彼女がアホで筋肉脳であるという設定のほうに原因があるようだ(笑)。
 その楽観的観測は果たして当たり、満月の夜に唯は現代へと戻ってくる。 期間は満月から満月なのでほぼひと月に満たないのだが、現代に戻ってくるときは、タイムスリップしてから正味3分後らしい。 また戻ってこれるかどうかわからないのに、唯は再び戦国時代へと赴く(弟のことを心底信じているらしい)。

 唯が迷い込んだ戦国時代は永禄2年(1559年)。 ただしここに出てくる戦国大名たちはすべて架空だ。
 だが架空だからとて、意外なことに設定はそんなにいい加減ではない。 まあ詳細は忘れたけど(笑)羽木氏を高山氏が攻めてくる、そして史実的には攻め滅ぼしてしまう、という成り行きらしい。
 いったん現代に戻った唯は、羽木氏が滅亡する、ということを知って、愕然となる。 なぜなら1回目のタイムスリップで、唯は羽木氏の嫡男で後継である羽木忠清に、一目惚れしてしまったからだ。

 この忠清を演じる健太郎。 途中まで大東俊介だと思い込んで見ていた(だって似てるんだもん)。 しかし大東俊介にしては、なんか若いんだけどみたいな。

 それはどーでもいいとして、彼女はなんとかしてその忠清を助けようとするのだが、そのことを知った唯の弟は 「そんなことをしたら歴史が変わってしまう」 と大反対。
 これに対する唯の言い分がすごい。 「あんたは引きこもりだから××(セリフ忘れた…笑)」。
 フツー言うか? 引きこもりに(笑)。 引きこもりというのは、デリケートな精神の持ち主なのだ(笑)。
 しかしそれは、唯がバカである、ということで許してもらって(笑)、重要なのはこの唯の、忠清に対する恋心が、とてつもなくバカであること、あ、いや、猪突猛進タイプの剛球一直線であることだ。

 ドラマの中核を占める 「唯の恋心」 が、こういうかなり単純構造なのに対して、唯のまわりの設定がかなり細かい、という印象を強く受ける、このドラマ。
 なかでも唯が自らの身分を詐称した足軽 「唯之助」 の母親である、ともさかりえ演じる吉乃の存在がとても謎に満ちているのが、ドラマの大きなスパイスになっている。
 彼女は唯を見て自分の息子でないことにすぐに気付きながら、まわりへの体面上、そしてばれたら唯の身が危ないことを一瞬で判断して、唯を自分の子として連れ帰る。
 さらに、いったん現代に戻った唯が 「戦国時代の母親のため、弟たちのため」 と持ってきた白米を、「これで村のみんなとは秘密保持の一蓮托生になるから」 と、村のみんなに分け与えたりするのだ。 タダ者ではない。

 それにしても体を洗って小ざっぱりとして戦国時代に戻ってきた唯に、弟たちが 「ミカンの匂いがする」「あ、柑橘系のシャンプー使ったから」 というやりとりには笑った。

 主役の黒川結菜は沖縄県出身で、その顔の浅黒さの質感は若き日の薬師丸ひろ子を彷彿とさせる(顔は似てないが)。 オッサンとしては、懐かしい感じのする質感だ。
 冒頭に話が出た 「時をかける少女」 のクロニクルのなかでもっとも直近に(なおちかじゃないよ)挙げられるのが、彼女の主演版(私はリタイアしたけど)。 今回は若さバクハツの一途なほどの筋肉脳演技、一見に値する。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧