NHK朝ドラ 「カーネーション」

2012年4月 1日 (日)

「カーネーション」 第26週(最終週) 赤いカーネーション

 ちょっとですねー。

 泣きすぎて、目が腫れぼったいです。

 1週間分1時間半、ほぼずっと涙がとめどもなく流れていました(オーゲサ)。 テーマ曲が流れている時もずっと。

 どうやらこの物語は、主人公が亡くなるまでやり通すらしい…。
 そのことが分かっているからこその、この物語が終わってしまう、という、とてつもない惜別の感情。 小原糸子という巨大な存在の、長い人生が終わってしまう、という、限りない寂寞の感情。
 それが1週間分のドラマを見ているあいだ、とめどもなくあふれていたのです。

 いや、「巨大な存在」、などと書きましたが、親はいつでも、子供にとって巨大な存在であります。 そうでなくてはなりません。

 その親が死ぬ、ということ。

 「前触れがある」 ことをフラグが立つ、などとネットの世界では申しますが、90歳を超えたとなるともう、小原糸子はいつ死んでもおかしくないわけであり。 今週の話、フラグが立ってて、立ちまくってて当然なのであります。

 そしてこの、世にも不敵な物語は、おそらく糸子を最終週のどこで死なせようが自在なのです。 そのタイミングは、常に作り手の掌中にある。

 きっちり額面通り最終回で死なせるようなことはすまい。 そう思えて仕方ない。

 作り手の暴君ぶりを見てきた視聴者にとって、糸子の死がいつ来るのか、というのは、まるで膨らみ続ける風船を手にしているようなものなのであり、それが最終週の、いわれもない緊張感に拍車をかけていました。

 そして作り手は、こちらの危惧、期待、思惑通りに、最後まで 「やらかした」 のです。

 やはり夏木糸子編は、絶対必要でした。
 おそらくこの最終週のこのドラマを見て批判を加える人は、かなり過去に拘泥されるタイプなのではないか、と推察いたします。 彼らが重要視するのは、途中降板を余儀なくされた尾野真千子の無念であり、その理不尽を実行してしまうNHKなど世間の醜さだと思う。

 さらにこのかたがたは、ドラマ的なリアリティの齟齬にも敏感なのではないでしょうか。

 もともと尾野真千子サンが降板したのは、尾野サンが老年期の糸子を演じられない、という局側の判断があったのですが、最終週では尾野サンが夏木サンに交代した糸子の年齢に、オハラ三姉妹が限りなく近い(いや、越えてた?)。
 だのに彼女たちは特殊メイクもなにもせず、交代もしないでそのままの役者で押し切って出演。
 したがって、90を超えた糸子と比較して、かなり若々しいのです。 違和感があるのはどうしてもぬぐえない。
 だったら尾野サンにも老年期(少なくともオハライトコブランドを立ち上げた時点)まで出来たのではないか、とは容易に思いが行くのですが、

 …さてどうなんでしょうね。

 ドラマを見るうえで、裏で展開するいろいろを考えるのは、確かに興味をそそる話ではありますが。
 判官びいきで夏木糸子を受け入れられないまま見ていても、不快なだけだと思うんですよ。 尾野糸子がよかった、などと考えながら見ても、アラが見えるだけだ、と思うんですよ。 とても損な視聴の仕方だと思いますね。 確かに的確な批評眼による視聴の仕方かもしれませんけど。

 いずれにしても私の個人的な考えを申し上げれば、この夏木糸子編をひっくるめて、「カーネーション」 というドラマはNHK朝ドラ史上、最高傑作であります。
 そう、断じさせていただきたい。

 このドラマの欠点は、朝の忙しい時間帯に片手間に見るドラマとしての機能を、著しく欠いていたことです。

 ほんの一瞬で、すべてが語られることが多過ぎて、それを見逃すと、とてつもなく的外れな感想を抱いてしまうことがままあったのです(ただ片手間に見ていても、ちゃんと笑えてちゃんと泣けましたけど)。

 そしてもうひとつの欠点は、公共放送の朝に流すドラマとして、あまりにも内容的に挑戦的過ぎた。

 父親は問答無用で主人公をぶっ飛ばす、主人公は不倫をしてしまう、主人公の娘たちが仲のとても悪いことを露呈しまくる、あげくの果てに問答無用で主役の交代(同時に関係者をほぼ全員ぶっ殺す…笑)。

 それでもそうすることで、「優しさに神経質になりすぎているこの国」 に対して、このドラマの作り手は強烈なアンチテーゼを提示した、と思われてなりません。

 弱者をいたわることが、弱者にとって本当にいいことなのか。
 人に優しい社会というのが、人にとって本当にいいことなのか。

 「ヘタレは泣いとれ」、と主人公はこのドラマで言い切りました。
 それはけっして、ヘタレ(社会的弱者)を貶める言葉ではない。
 ヘタレよ、前を見よ、歯をくいしばれ、いよいよこれからだ、という気概で生きるのだ、というメッセージが、そこにはあったと思われるのです。

 主人公は、自分の生まれ育った大阪岸和田の地で毎年行なわれる 「だんじり祭り」 を、自分の拠りどころ、精神的支柱とした。

 「だんじり」 だけは、いつの世になっても変わらない。

 物語が始まった大正の幼少時から、小原糸子は 「だんじり」 に心酔し続け、そのだんじりと同じ強引さで自らの人生を荒っぽく引っ張り続けた。
 その初回のだんじりと、最終回のだんじりとのあいだには、途方もない時が、流れているのです。 だんじりが、このドラマをほかのあらゆるドラマと決定的に分け隔てする要因であることは疑いがない。 「ミシンは、うちのだんじりなんや」 と主人公に叫ばせた、このドラマの作り手の発想に、私は讃嘆を惜しみません。

 そしてドラマは、そのだんじりの性格を力強く受け継ぎました。

 見る側に媚びない。

 先の分かる展開をわざわざ作っておいて、それを押し通す。

 つまらない小細工を拒絶する。

 かなり不親切な物語の切りかたをする。 「あとはそっちで想像して」、とばかり。

 これらは当ブログにおいて、このドラマを評した数々の特徴です。

 最終週に至るまで、その性格にブレはありませんでした。 尾野→夏木の交代劇は、まったくその最たるものだった、と言っていい気がします。
 そしてこのドラマの収斂の仕方は、すべてを必然と帰した。
 恐るべきドラマでした。





 月曜放送分。

 平成17(2005)年4月。

 91歳の糸子は孝枝(ピンクの電話の都子チャン)と一緒に、2階の部屋の整理をしています。 貞子おばあちゃんの 「神戸箱」。 「ピアノこうて」 の 「こより」。 自分が手がけた服のデザイン画。 すべてのものを糸子はなんの惜しげもなく捨てるのです。 この冷酷なまでの糸子の思い切りの良さに、まず驚かされます。

 そして片付いた2階をぶち抜いてひと部屋にし、そこにだんじりを見に来た人たちが集えるサロンを作るらしい。 年に一回のためにそんなことせんでも、と電話口で呆れる優子に、孝枝は優子のものをそちらに送ると話しています。 新しい部屋の設計を担当するのは、今は糸子の歳と同じ91人にまで膨れ上がった 「糸子のボーイフレンド」、男やもめ会のなかのひとり。

 この、やもめ会の人数が、歳の数だけ増えている、というのにはちょっと注目です。
 もともとこのやもめを囲んだ食事会は、「周防がもし生きていたなら、このような集まりで自らの気持ちを慰める機会を持ってもらいたい」、という糸子の意向で始まっています。
 その人数が歳を経るごとに多くなっている、ということは、糸子が周防に寄せる思いも、年を追うごとに強くなっている、と見るべきではないか、という気がする。
 その糸子の思いは、今週半ばに、悲しい結末を迎えることになります。

 糸子は毎朝新聞の例の女性記者に、2階の改装に臨んだ心境を語っています。

 「まあうちかてまだ、人生がどないなもんかよう分かってませんけど、たったひとつ、自信持って言えることがあるんです。

 うちが何かをして、それが成功した時っちゅうんは、必ず自分やのうて、相手のためを思てした時なんです。

 欲かいて、自分のためにした時は、ぜぇんぶ失敗しました。 そら見事にヘヘヘヘヘ」

 女性記者は、「与うるは受くるより幸いなり」 という聖書の言葉を引いて、それをひと言で言い当てます。 糸子はその言葉に激しく同意する。

 小篠綾子サンは実際クリスチャンだったらしいですが、ここでこの聖書の言葉を 「なにソレ?」 とか女性記者に訊き返している構図は面白かったですね。
 このドラマにおいて糸子は、常に仏壇に手を合わせて亡くなった人々に語りかけていた。
 こういうことってクリスチャンには、あまり機会がないように思えます。 異界の人々との対話って。
 クリスチャンであった人をわざわざ仏教徒に設定し直して先祖をクローズアップする手法をこのドラマで取っていたことには、大きな意味を感じます。

 後日、結局その女性記者のその言葉が見出しとなった自分のインタビュー記事を尻目に、糸子は出前を注文したウナギが来ないことにイライラして駄々をこねています。 記事を読みながら 「こんなに立派なことを言っといてなんと俗っぽいことを」、と呆れる孝枝に、糸子は 「こんなん(記事のようなこと)、人一倍欲深い人間やないとゆわんで」 とどこ吹く風です。 「あーもー。 うなぎー。 まだかいなー。 はよー」(笑)。

 「言ってることとやってることが違う」、というのは、人の常のように思います。
 みな、自分をよく見せたい。 口では偉そうなことを言ってても、それはなかなかそう出けへん。 私だって、ブログでは家族がかけがえのないものだとか言っていながら実際は仏頂面してたりしますからね。
 この糸子の子供っぽい態度にはそんなことを感じるのですが、同時に糸子が語った言葉には、さらに含蓄があります。

 「はじめから欲ないような人は、こんなこと(「受くるは与えうるより幸いなり」)考えんでええんや。 欲深いからこそ、散々痛い目に遭うたあげくに、たどりつくんやないか」

 周防のことは痛い目だったのかな、なんてこのとき、ちょっと考えたりしました。 糸子の周防への愛が、相手のことを思っていた 「相手に与える愛」 だった、というのなら、結局テーラー周防がそこそこ繁盛したことを幸せだと解釈してもいいだろうし、逆にそれが不倫とか自分本位な愛だったのだとすれば、弾劾集会まで開かれて散々な目に遭うた、ということやろし…。

 イカン、まだ開始6分だぞ。 また限りなく長くなりそうだ…。

 ここで先週のラストの回想シーンです。 「待っとれ…!」 と岸和田中央病院の廊下を突進する糸子。 その先には、イケメン院長龍村とにこやかに向き合っている奈津がいます。 糸子の顔を見ると、奈津はあからさまに不機嫌な顔になるのですが(笑)、糸子は構わず、喜々として彼女と記念写真を撮るのでした。

 「(あれから4年。 うちには、ふたつ手柄があります)」

 ひとつは、オハライトコ名義で紳士物のラインを立ち上げたこと。 もうひとつは、その奈津を老人ホームに入れることに成功したことでした。
 龍村の口添えで、渋る奈津をホームに入れたことは、糸子にとっては目の届くところに奈津を置いたという点で安心感があったろうし、少なくとも身寄りもなくひとりさびしく暮らしている奈津にとってホームのほうがいい、という判断もあったのでしょう。 奈津のその後の様子は、そのままこの物語の最終シーンへと、つながっていきます。

 朝。

 また今日も目覚めることが出来た、という喜びに浸るかのような、糸子の表情。
 ラジオ体操を腰を痛がりながらやり、「スミレの花咲く頃」 を鼻歌交じりに朝食をひとり、作ります。 「スミレの花咲く頃」 は、終戦直後に 「この曲が歌えるようになった!」 と、小原家の人々が喜々として歌ってましたよね。
 糸子はそんな、老人のひとり暮らしの侘しさと、曲がりなりにも顔を突き合わせてうまく付き合っているように見えます。

 そしてやはり、仏壇に手を合わせることも忘れません。 「おはようございます。 今日もいちんち、よろしゅうお願いいたします」。 遺影を見上げて微笑む糸子ですが、どことなくその表情は、それまでの同様のシーンと違う。 異界が遠かったそれまでのシーンと比べて、「うちももうすぐ、お父ちゃんらの仲間入りや」 という親近感を、糸子の表情の中に見ることができるのです。

 そして見るテレビはすでに薄型。
 見ている朝ドラは 「ファイト」 です。
 「なあなあ、どないなんやろな、優のお父ちゃんとうとう家売ってまうで」「まあ一家離散ちゃいますか?」 という孝枝との会話が笑える。 「せやけど、もう、うちの話もドラマにならんかいなぁ!」「だからなりませんて!」「ちょっとまたテレビの人に訊いといて!」「だからもう何べんも訊きましたて!」「もういっぺん訊いといて試しに、なぁ!なぁ!孝ちゃ~ん!」(爆)。

 この、朝ドラまでネタにするこのドラマの洗練された自虐性には舌を巻きます。 そしてその自虐性を逆手にとり、このドラマはとんでもない 「ループ」 を最後に用意してくるのです。 そのギミックによってこの物語は、最初と最後が見事につながり、まさに仏教的な輪廻を形づくることとなる。 小原糸子はまだ生きているんだよ、ということを示してくれる。 「永遠」、そして 「回帰」 という思想をドラマに絡ませることに、成功したのです。

 荷物が何もかもなくなった2階。 午後の日差しが降り注いでいます。

 そこにひとり佇む糸子。

 カメラはゆっくりと、それを俯瞰していく。

 そして糸子も、そのカメラと同じように、いろんな思い出を噛みしめながら、がらんとした2階を見渡していくのです。

 糸子は腰を曲げながら、静かに座り、年月の染み付いたままの畳を、いとおしそうに撫ぜます。
 仰向けに横たわり、畳の感触を、大の字になって味わう糸子。

 この、なんとも時間をかけた、ゆっくりとしたシーン。
 私は知らずに、涙を流していました。

 過ぎ去った年月を、「色褪せた畳」、という方法で喚起させるこの手法。
 糸子の脳裏には、幼い日にここでアッパッパを縫ったこと、子供たちと川の字になりながら寝たこと、周防と抱き合ったこと、聡子と一緒にデザイン画をトレース競争したことなどが、浮かんでは消えしていたに違いないのです。

 ところがそんな甘く淡い過去の思い出も、次のシーンではものの見事に破壊されていきます。 まったく容赦がない。

 業者がその2階の天井を引っぺがし、大きな音と共に天井板は落下します。 もうもうと立ち上がる煙。
 涙ぐんでそれを見守る孝枝なのですが、対照的に糸子は、挑戦的な微笑みの表情を崩しません。

 「なんや切ないもんですね、思い出のある部屋が壊されるっちゅうんは」 と、糸子よりその部屋に全然なじみ薄い孝枝が言うと、糸子はこう答えるのです。

 「90過ぎたら、思い出なんぞもう、どうでもええで。

 …それより、今と、これからや。

 こ・れ・か・ら!」

 この糸子の、過去を振り返らない態度、というのは、私にとって結構衝撃的でした。
 90超えたら、思い出なんぞもう、どうでもいい。
 それが、平均寿命を超えた人の、偽らざる心情、なのでしょうか。

 「懐かしい」、ということについて、私はこれまで結構肯定的な考えでいたような気がします。
 太宰治は 「浦島さん」 のなかで、乙姫がなぜ浦島太郎に玉手箱を持たせたのかについて言及していました。
 つまり、太郎を一瞬にしてお爺さんにすることによって、竜宮城での思い出は遠い記憶の出来事になる。 そのことによって乙姫は、竜宮城での思い出を究極的に昇華させたのだ、と。

 思い出は、遠くなればなるほど、甘美になる。
 その太宰の論理は、なるほどヒザポンでした(笑)。 私は心からその考えに共感できたのです。

 しかしここでの糸子の姿勢は、その対極をなすものです。
 思い出が、意味をなさなくなる年齢。
 そんなものが、長生きしていると、来るのでしょうか。

 糸子は孝枝が健康を気遣って止めるのも聞かず、昼ごはんに肉(ヘレカツ…笑)が食べたいと言い出します。 「かめへん! うちは、今を生きるんや!」。





 火曜日放送分。 コリャ終わらんぞ…。

 前回よりひと月後。 2階の改装が完了しています。
 「今を生きる」 糸子は、過去への感傷など微塵も見せずに、出来上がったばかりのサロンを満足げに見ながら、ワクワクする気持ちを抑えきれないようです。
 ベランダの窓に腰掛けながら、「ゴンドラの唄」 を糸子は口ずさむ。 「命短し、恋せよ乙女」、です。 黒澤明監督の 「生きる」 で、志村喬サンが印象的に歌った、あの歌。
 でもそのハミングは一瞬。
 思えば、志村サンのそれは、仕事をやりきった男が自分の残り少ない命を惜しみいとおしみながら歌う性格のものでしたが、糸子のそれは、「いよいよこれから」、の気概、決意の上に成り立っている攻撃的な歌なのです。 糸子は間髪をいれずに、このサロンで着物のリフォーム教室を開こう、と決意する。 だんじりの時だけしか使わんのは、もったいない。

 「やるっちゅうたら、やるんや」。

 孝枝の有無を言わせぬ突っ込みもものともせず、その 「撫子の会」 というリフォーム教室は開講します。 言わばこれも、戦時中に糸子が始めた 「着物をモンペにする教室」 の応用だった、と言ってよい気がします。 この会には、呉服屋の栄之助も参加する。

 ここで受講者たちは、着物にハサミを入れることに、結構躊躇します。
 これは戦時中の女性たちとは対照的な反応です(だったと思う…笑)。
 思えば戦時中は、明日をもしれない命だからこそ、女性たちは着物に大胆にハサミを入れてモンペにしつらえ直し、「今を生きよう」 としていた。 八重子も出征する泰蔵に自分のきれいな姿を焼きつけてもらおうと必死になっていた。
 今は 「もったいない」 という気持ちが、物を必要以上に大事にしようとする気持ちに結び付いてしまう。 でもそれで、その着物を 「生かす」 道が閉ざされてしまうことのほうが、「もったいない」。 糸子が考える 「もったいない」 という質は、受講者たちとは違うのです。

 「ほんなセコイことゆうてたら、日本中のたんすに、肥やしが増えていくばっかしです。
 一日もはよ、一枚でも多く、着物が生き返ってくれるほうがずっとうれしい」。

 会がはけたあと、糸子はそのサロンで栄之助と酒を酌み交わしながら、もうひとりの(元?)アホボン、譲のことを訊いています。 譲の父親は、先月亡くなったばかりだったのです。
 年齢的に考えると、譲の父親は、戦時中糸子に泣きついてきたオッチャンの息子だったから、たぶん糸子より年下だと思う。 糸子はここでも本当は、いわれのない感情の中にいると考えられるのです。
 その感情を表には出さず、糸子は 「今度譲を呼んできいや」、と栄之助に言い渡します。

 栄之助に連れられてやってきた譲。
 糸子に会うなり、緊張の糸が切れてしまったように、泣きだしてしまいます。
 おそらくそれまで、必死でこらえていたのではないでしょうか。 跡取りとして。
 糸子はとっさに涙を拭くもんを持ってくるのですが 「これ台拭きや」(笑)。

 「いやー、…参りました。 おふくろんときかてこたえてたはずやけど、今回ほどと違いましたわ」

 しみじみと語る譲。

 「歳のせいですやろか」「はぁ? あんた、今、歳なんぼや」「45です」「あと、倍ほど生きてから、ほんな言葉は使い」。
 跡取りとして、自分が主体的に商会を支えていかなければならない。 その不安と怖さにこたえているんや、と糸子は指摘します。
 「跡取り」 というのは、やはりそれまで親の庇護のもとにあったか、自らが率先して会社を引き継ごうとしていたかの覚悟の違いによって、やはり決定的に違う、と感じますね。

 「けどそら、誰もが通らなんならん道なんやで」

 糸子は善作たちの遺影を一瞥します。 ふと見ると、栄之助まで泣いている。 「あんたまで泣くことないがな」 と呆れる糸子に、栄之助は 「僕もですやろか?」 と訊いてきます。 「いつか僕も、通らなあかんのですやろか?」。

 「そら…あんたのお父ちゃんらかて、不死身やないやろしな」「…なんや、切ないですね…」。

 親が死ぬことなど、誰だって考えたくはない(よほど憎んでいる場合は別ですが)。
 親が後ろに控えている、ということは、限りない安心につながっている場合が多い、と私は思うのです。
 親がいるからこそ、子供っぽいこともできるし、甘っちょろいことも考える。
 思えば糸子は、善作が酒に溺れていたときから、その意識というものが飛んでいた気がするんですよ。 自分が主体となって、ひとり立って、小原の家を守っていく必要に迫られていた。 糸子はアホボンたちを諭します。

 「はぁ…! まぁだまだや! (譲に)あんた、自分のお父ちゃんのこと、思い出してみ。 あの頃、会長確か、65、6や。 ほの歳で、大事な奥さんに先立たれて、どんなけ寂しかったか、考えてみんかいな。
 ほんでもアホ息子と社員らのためにどないか立ち上がって、最後の最後まで支えてくれはったんや。
 あの立派なお父ちゃん見習うて、やってき!」

 おそらく覚悟が座ってなかったほうの口なのでしょう、譲はそんなの無理です、僕そんなに強ないですもん、と答えます。

 「ほんなん、誰かて強ないわ。

 弱ても、どないか、つないでつないで、やっていくしかないんや。

 みんなそうや。 …うちのボーイフレンド、見てみ! 91人もおるがな。 群れたり、ごまかしたり、慰めおうたりしてるうちに、人間はやっていけるんや。 あんたらがやっていけんわけないがな!」

 栄之助は、自分の女房がもし先に死んでしまったら、糸子のボーイフレンドの中に入れてください、と頼むのですが、そんとき糸子は130歳? 糸子は呵々大笑し、そんなあり得へん未来に思いを馳せるかのようです。

 「しっかりしいや。 アホボンらが」。 酒の席は進んでいくのです。

 このシーン。 私も自分の両親がまだ生きていることの有り難さとか、糸子という頼りがいのある人物に寄り添うアホボンらの姿とかを見ながら、なんか涙が少しずつ出てくるような感じでした。 さりげなくも名場面だった気がします。 なんか、尾野糸子が重なって見えるんですよ。 人生を生きてきた人の重み、などと言うと、却って重みがなくなってしまうようですが(笑)、まさにビッグマザーの存在感、でした。

 後日、おそらくその夜のお礼にとやってきた譲が持ってきたカステラをみんなでつまみながら、孝枝が 「これ、前に金箔が張ってあったカステラ?」 と指摘します。 バブルの狂騒の象徴だった、あの金箔カステラ。 「余計なもん貼らんかて、じゅうぶん価値あんでなあ」。 糸子が感慨をもらします。

 「(なぁ、譲。

 キラキラを剥がされて、むき出しになってしもた40男の本性は、あんたが思てるより、もっと、ずっと、きれいなんやで…)」。





 水曜日放送分。

 前日放送分から7カ月後。 平成17(2005)年12月。

 同い年のご婦人と 「うちらまだまだこれから、や!」 と談笑している糸子。
 孝枝は優子から入った、糸子への仕事の依頼を断っています。
 入れ替わりに糸子のケータイ(着メロ 「銀座カンカン娘」…笑)に優子から電話が。 糸子は結局孝枝が断った仕事を引き受けてしまいます。 糸子の体調を気遣って断っていた孝枝は怒り心頭。 例によってアゴの肉をブルンブルンふるわせます(爆)。
 ここで浮き彫りになるのは、母娘そろって陥っている、ワーカホリック(仕事中毒)の実態。
 これも、このあとのための重要な前置きであります。

 そして東京。 へは、もう何度も行きましたね(ん泣いてどうなるのか、はやめました)。

 優子からの依頼、というのは、病院での講演。
 院長や看護婦長との顔合わせの席に同席したのは、前の看護婦長をやっていたという、川上という名の女性(あめくみちこサン)です。
 昔、岸和田に住んでいたことがあって、当時オハラ洋装店でやっていたファッションショーの記事を友人から見せてもらって、感動しました、とのこと。 それで今回は是非お手伝いさせていただきたい、というのです。

 講演の様子は、ええ所でその先がカット(爆)。 相変わらず不親切だけど、まあ糸子の説教が今週は多いからいーか(ハハ…)。
 講演終了後、結局優子も時間が空いたのでこの病院に来てしまった、と孝枝は連絡を受けます。 優子を出迎えに階下へ降りていく孝枝。

 お茶を運んできた川上に、糸子は話しかけます。
 一期一会を大事にする糸子らしいな、と思って見ていたのですが。

 川上との談笑のなかで、糸子は彼女が岸和田におったという割には、岸和田弁が出てこない、と指摘します。

 「はい。 それは、あのぅ…。

 わたくしは、10歳まで、長崎におりましたので…」

 長崎…。

 それを聞いた途端、糸子の表情が固まります。

 川上は、意を決したように話します。

 「先生、実は…。

 …わたくしの死んだ父が、いっとき、先生のところで、お世話になっておりました」

 その言葉で、すべてを察したように、早くも涙ぐんでしまう、糸子。

 長崎。

 死んだ父。

 …周防さん。 亡くなって、しまったの…。

 糸子は声を詰まらせながら、尋ねます。

 「お、お宅……どちらさん……」。

 「はい、わたくしは……」

 刮目する糸子。 「…周防龍一の娘でございます…」

 茫然と立ちすくむ優子。

 いつの間に、その場にいたのです。

 自分の娘優子がいるとは知らず、顔をくしゃくしゃにして、周防の死を悲しむ糸子。 泣けた…。

 川上ははっとして立ち上がり、かなり恐縮します。 「申し訳ありませんっ! 失礼いたしました…!」 その場を逃げるように去る川上。 優子とばったり、顔を合わせてしまいます。

 その昔、彼女の弟から突き飛ばされた記憶のあった優子。 川上はおそらく、いま目の前にいるのが誰なのか、分かっていたはずです。 優子は有名人ですから。 川上は優子からも逃げるように、その場を立ち去ります。 彼女を追いかける優子。

 泣いている糸子に駆け寄る孝枝。 糸子はとうとう、両手を顔に当てて、号泣してしまいます。
 先に指摘しましたが、男やもめの会を大事にしていた糸子は、やはり片時も周防のことを忘れていなかった、と思うんですよ。 生死の分からなかった周防へ、糸子は会を通じて、エールを送っていた。 それが、彼が亡くなっていたことを知った落胆。
 さらに糸子は、周防の家族にこれまでただの一度も遭ったことがなかった。 彼の家族に対する申し訳なさ。
 それが糸子を、年甲斐もなく号泣させた、と思うのです。

 そして優子と川上。 お互いにかつてのことを謝罪しています。 川上は優子に、涙ぐみながら話します。

 「人を憎むというのは…苦しいものです…。

 私にとって、ただひとつ救いだったのは、…父の相手が、先生だったということでした…。

 憎むには、当たらないかただと…。 いつ頃からか…。 ある程度歳をとってからですが、思えるようになりました…。

 …それでも、汚い感情が、まったくなかったかと言えば…嘘になります…。

 でもそれも…さっき…先生の目を見て、消えました…。

 …先生も…。

 ずっと思い続けてくださったんだなと、…思いました…」。

 お互いに泣いてしまう、優子と川上。
 この話のくだりは、いかにも架空の話ぽいのですが、そこには脚本家渡辺あやサンの、限りない愛情がこもっているような気がいたします。 現実には決着がついているかどうか知らない、糸子の不倫。 物語的にきちんとここで、ケリをつけたと感じました。 「おそらく現実の小篠綾子サンも、このような気持ちだったに違いない」、と。
 号泣し続ける糸子。
 その独白に、一瞬の夢の象徴として、闇の中に花火が上がっては消えていくシーンが重なります。

 「(長い長い、記憶を持ってる。

 それが、年寄りの醍醐味と言える。

 守り続けて、闇のうちに葬るはずやったもんが、うっかり、ひらいてまうこともある。

 老いぼれた体に轟くこと、打ちのめすこと、容赦のうて。

 ほんでも…。

 これを見るために、生きてきたような気もする…)」

 古い過去をことごとく、自分の周囲から捨て去って、前だけを向いてきたように思える、糸子の晩年。
 けれども糸子は、過去を捨てたわけではなかった。
 自分の記憶、という、いちばん安全な場所に、それをしまい込んだだけだったのです。
 歳をとっていくごとに、自分の好きな人が増えていく。
 そう言って、さめざめと泣いていた壮年期の糸子もいました。
 年月は、思い出したくない記憶、忘れたくない記憶を、互いに紡ぎ出し、あるものはそのまま消え、あるものは思わぬところで決着したりする。
 生き続ける、ということ。
 深く深くその意味が、見る側へと伝わってくるのです。





 木曜放送分。

 衝撃的なシーン。

 ストレッチャーで運ばれていく糸子。

 「小原さん! 大丈夫ですか! 聞こえますか! 分かりますか! 小原さん! 小原さん!」

 糸子の視線から見たと思われる、病院の廊下の天井。 医師や看護婦たちの声と共に、下へ下へと遠ざかっていきます。

 「(ん…?

 なんや?

 どないしたんやったかな、うち…)」。

 平成18(2006)年3月。 糸子が亡くなる月です。

 糸子の回想。

 ひな人形を飾る孝枝たち。 コデマリの枝を取ろうと立ち上がって台所へ向かった糸子。 胸を押さえてその場にうずくまってしまいます。 早く気付いて、孝枝さん!

 「(せやった…)」

 再び病室。

 「(こら、エライことになってんやなあ…)」

 集中治療室にいると思われる糸子。 優子は孝枝からの電話を受け取り、愕然とします。 「『何とも言えん』 てなんや!」 ケータイに向かって大声をあげてしまう直子。 祈るようにケータイを握り締めます。 ロンドン、チケットを取ろうとイライラしながら電話しているミッキーのそばで、怖くてたまらないような表情の聡子。 三姉妹の誰もが、いつかは来ると思っていた、そして絶対来てほしくなかった瞬間に、立ち合っています。

 降り立つジェット機。 さまようように病室に辿り着いた聡子は、病室の中から漏れてくる笑い声に、いったいどうしたのか、これは何かの冗談なのか、という顔でドアを開けます。

 見ると、深く寝入っているように見えるお母ちゃん、そのベッドの下に寝床をしつらえた優子と直子が、久しぶりに見るお互いのスッピン顔を、笑い合っているのです。 「いや~、姉ちゃんのスッピン久々に見たら、ほんまごっついことになっててなあ」「あんたかて人のこと言われへんやろ」「鼻…ブタ鼻になっとる…ハハハ」「アハハハハハ」。

 なんと不謹慎な、母親が危ない、というのに、という感想をここで持つ人は、よほど思慮が浅いと反省せねばなりません。 優子と直子は、笑っていなければ平常心を保てないのです。 こんな解説そもそも要りませんが。

 その心情を思うと、「ブタ鼻」 に笑ってしまう自分がいると同時に、その悲痛に泣けてしまう自分もいるのです。 悲劇と喜劇は同じステージに存在する。 そのことを痛感します。

 母親と一緒に3人の娘たちが眠る。 こんな、おそらくだんじり祭りの時でもあまり実現しそうもないシチュエーション。 優子と直子は、またしょうもないことで口げんかをするのですが、聡子はやはり末っ子だからか、何よりも先に不安ばかりが立ってしまうようです。 「どうなん?…お母ちゃん…」。

 「うん?」 と優子。

 「今、…どうゆう状態なん?」

 答えられない優子を見かねたように、直子がぶっきらぼうに口を開きます。 「今夜が山やて」。

 それを聞いた聡子は、泣き出してしまいます。
 いちばん末っ子だから、おそらくいちばんお母ちゃんに甘えたがりだった聡子。 背を向けて泣きじゃくる聡子を、後ろから直子が抱きしめます。 かなりの強がりの直子も、目に涙をためているのが確認できる。 優子は言わずもがな、涙をぼろぼろ流しています。
 3人の泣き声が病室に小さく響き渡るなか、今夜が峠という糸子は、こんこんと眠り続けています。

 翌朝。

 小鳥の鳴き声に、糸子はかすかに、目を開いていきます。
 眠りから覚めた優子が、それに気付く。
 「お母ちゃん…? ちょっと、えっ? お母ちゃんっ!」。
 それに気付いた直子と聡子もベッドに駆け寄り、大騒ぎとなります。 「やった、起きた!」「お母ちゃん、起きた!」。 あまりのうるささに、糸子はかなりメーワクそ~な顔をします(爆)。 「ううん…ちょっと…うるさい…あんたら…」。 見ているこちらはもう、笑ったり泣いたり、忙しい(ハハ…)。

 途端に再びワーカホリックモードに突入する娘たち。

 それは見方によってはかなり冷たいようにも思われるのですが、これが小原家の流儀なのです。 他人がとやかく言うような話じゃない。 これを突っ込む人は、かなり無粋だと言わざるを得ません。 それが証拠に、ほかならぬ糸子が、娘たちの忙しそうな様子を見ながらも、うれしそうに微笑んでいる。 お母ちゃんがこれでええ思てんねん。 なんの差し障りがあろうか。

 糸子のそれまでの人生をたとえドラマであれ見てきたならば、彼女が出産の直前まで仕事をし、聞かん坊怪獣の直子を夫勝の実家に預けたことぐらいは覚えているはずです。 そんな仕事一辺倒だった糸子、でも、娘たちとの間にはちゃんと信頼と愛情が存在している。 それでじゅうぶんではないですか。

 つまり、小原家においては、何よりも自分が仕事に打ち込めることが、第一義なのだ。 ほかならぬ母親の糸子が、その規範を娘たちに見せつけてきた。
 確かにそれで失うものもあります。
 でも彼女たちが結び付いているのは、仕事に対してまず自分がケツをまくっている(下品な表現で失礼)という覚悟によってなのです。

 すっかり正装して母親にあいさつをする娘たち。 母親は微笑みながら、こう言うのです。

 「心配かけたな。 気ぃつけて。 おおきにな」。

 娘たちが出ていったあとの病室で、糸子は微笑みながら、もう一度思うのです。

 「(おおきに。

 優子、おおきにな…)」

 仕事へ戻っていく優子。
 その優子に慌てた様子で話しかけている直子。

 「(直子。 …おおきにな…)」

 ケータイでミッキーと話している聡子。

 「(聡子。 …おおきにな…)」

 そしてオハラ洋装店の様子。

 「(ふみちゃん。

 浩ちゃん。

 まこちゃん。

 …おおきに…)」

 あ~もうダメ。

 涙腺決壊。

 フラグが立ちまくっとる…って、当たり前やんか~。 もう終わりなんやさかい。

 書きながらまた泣いてます(ハハ…)。

 「(おおきに…。
 …
 …
 …
 うちは、果報者(もん)です…)」。

 このセリフ。

 糸子が結婚式のときに、祝宴に集った人々を見ながら思ったセリフと一緒でしたね。
 あの時も、尾野糸子の目からは、ただ一筋の涙が光っていました。
 そして今回、夏木糸子の目からも、ただ一筋の涙が。
 自分がまわりの人に生かされている。
 そしてその思いまでも、あのときと一緒だったのです。





 金曜放送分。

 糸子が総婦長の相川から、化粧はしたらあかんゆうたやないですか、と怒られています。 糸子がおめかししてまで会わなければならなかった人というのは。

 アホボンたちでした(笑)。 糸子は彼らには、最後まで頼れるオバチャン、でいたかったのでしょうね。 見舞いのお花の洪水に驚く彼らに、「おせんにキャラメル」 じゃなかった(アンタ年なんぼやねん?)なんでもあるでよ、ハヤシもあるでよ(ちゃうちゃう)と食べ物を勧める糸子。

 「先生若なった」「好きな人でもできたんちゃいますか」 と勘繰るアホボンたち。 病室で世話をしていた里香も揃って、スワ恋人の出現か、と色めき立つのです(表現古いよね、いちいち…)。

 けれどもまんざらでもない顔の糸子は、こう考えていたのです。

 「(…確かに、恋した時とよう似とる。

 あの朝、目ぇが覚めてから…)」

 回想。

 峠を越した糸子が小鳥の鳴き声に目覚めたとき、娘たちが3人揃って眠っているのを、糸子はずっと眺めていたのです。

 「(…世の中が、えらいなんでもかんでも、きれいに見えるようになってしもた)」。

 お見舞いの花を眺める糸子。 少しばかり、目が潤んでいます。
 ノック。 里香が入ってきます。 アホボンたちを見送ってきました。

 「おおきになぁ…」。 糸子は里香にお礼を言います。 里香はその改まった調子に、どこか不吉なものを感じ取り、ちょっと怒ったように微笑んで言うのです。 「そんな…しみじみ言わないでよ」。

 「フフ…おっかしか?」

 「おかしいよ。 見送ってきただけなのに」

 糸子はその場にしゃがんだ孫の髪を撫ぜます。 「あんた…。 きれえやなあ…」。
 里香は泣きそうになりながら、おばあちゃんに抱きつきます。 ああもう、またダメだ…。

 「どないした…?」

 「…」

 無言のまますがりつく里香。 もしかすると、かつて直子が千代に頼んだように、「長生きして」 と言いたかったのかもしれません。

 そしてまた、ひとりぼっちの病室。

 午後の柔らかい日差しの中で、糸子は再び、静かに目を閉じるのです。

 平成18(2006)年3月26日。

 ロンドンの聡子のアトリエ。
 ミッキーが 「今日は母の日だから」 と、赤いカーネーションを買ってきています。
 ケータイが鳴ります。
 声の主は、優子です。
 その様子は、とても重苦しい。

 「聡子…?」

 「優子姉ちゃん。 どないしたん?」

 ザワザワとした気持ちを抑えながら、聡子が訊きます。 電話口の向こうから、鐘の音が聞こえます。 「…もしもし…」。 無言のままの優子。

 「あんなぁ…。 聡子…。

 …お母ちゃんがなぁ…」

 「………嘘や………」

 その先を聞かないうちに、聡子は口走ってしまいます。
 当方またまた涙腺決壊。

 「………亡くなったよ」

 この言葉を聞かないうちの、聡子のあのセリフ。 こういう泣かせ方があったか。 あ~もう、ダメだぁ~。

 聡子は泣き顔になっていきながら、再び繰り返します。 「嘘や…」。

 そしてもう一度。 「…嘘や…!」。

 あのお母ちゃんが、死ぬはずがない。

 あんなけ威勢のええお母ちゃんが、死ぬわけない。

 その場に崩れ落ちてしまう聡子。 号泣する聡子に駆け寄るミッキーたち。 ミッキーの手には、「生きている母親」 のための、赤いカーネーションが、鮮やかです。

 ケータイを握り締めたまま、優子のほうも涙を抑えきれません。 後ろには同じ悲痛な表情の直子。 さすがにこの時ばかりは、姉の肩に手をかけて共に泣くのです。

 病室の外で涙にくれる、オハラ洋装店の従業員たち。

 相川総婦長。

 孫、ひ孫たち。

 ベッドには、白い布がかぶせられた、糸子の姿。

 泣いて、笑って、啖呵を切って、駆け抜けていった、糸子が動かぬ姿で、そこに眠っているのです。

 オハラ洋装店に戻ってきた優子や直子、従業員たち。 みな、呆然としたままです。

 「まだ見てはらへんのとちゃいます?」 孝枝が不意に口を開きます。 そして2階のサロンに、優子たちは案内されるのです。

 感嘆の声を上げる優子と直子。 そこに漂っている母親の声を、的確に感じ取っています。 そしてちょっとしたくぼみを見つけ、「ここに写真飾ってな、ちゅうことやで」 と苦笑してしまう直子。

 「ほんでここに、花置いてや」。

 先日放送されたNHKアーカイブスで、実際の話として、このサロンの間取りが小篠綾子サンの葬儀をする際にぴったりはまった、という話をコシノジュンコサンがされてました。 「自分の葬儀までプロデュースして逝ってしまった」、と。

 「はぁ…。 ほんま、かなわんなぁ…」

 優子が絞り出すようにつぶやきます。

 「ほんまなぁ…」

 直子も完全に負けた、という表情です。

 優子は孝枝に向かってこう言います。

 「やっぱり、うちらの何枚もうわてや、あの人…」

 やはり、落とし所をここに持ってきはったな、このドラマ。 ここやないかと思てました。 いくら娘たちが世界的なデザイナーでも敵わない、母親の巨大な存在。
 しかしまだ金曜やで。 これもまた、やっぱり、や。 絶対フツーのタイミングで亡くなるとは思わへんかった。 どこまでやねん、このドラマ。

 しかしこのドラマには、まだまだ驚天動地のギミックが、隠されていたのです。
 それは土曜日放送分にて。

 そして。

 葬儀の日、聡子が、ミッキーから受け取った赤いカーネーションを胸に、オハラ洋装店に入ってきます。

 棺には、あんなけ大きな存在だった、糸子の亡き骸が。 信じられない、という表情でそれを見下ろす、聡子。

 泣きながら、聡子はやっと母親に声をかけます。 「…お母ちゃん」。

 なにも答えない糸子。

 「…ただいま…!」

 動かない糸子は、やはり信じられません。 あんなけ精力的に動きまわっていたからこそ、その悲しみは増幅する気がする。

 聡子は、真っ赤なカーネーションの花束を、糸子の亡き骸に捧げます。

 「イギリスはな…。

 母の日やったんやで、昨日…。

 …ごめんな、お母ちゃん…。

 …娘のくせに、…見送ることもでけんで…、ごめんな…!」

 真っ赤なカーネーションに照らされたように、頬を赤く染めたように見える、糸子の表情。 先ほどと違って、まるでそれは、笑っているようです。

 「あなたの好きな花は何?」

 「花ですか? …カーネーションです」

 「どうして?」

 「『あの花は、根性ある』 ておばあちゃんが」

 「根性?」

 「『ほかの洋花と違うて、カーネーションは、簡単にしおれへん。

 カビ生えるまで咲いてる』 て、感心してました」

 「(笑って)まあいいわ。 カーネーションね。 じゃあ、カーネーションになったつもりで歩くの」

 「カーネーションですか?」

 「そう。

 カーネーションの花、堂々と咲いているでしょ?」

 「堂々と…」

 「恥ずかしがって咲かないカーネーション、見たことある?」

 「そらないですけど…」

 「ただ無心に咲く。 それでいいの」

 ちょっとドラマには出てきませんでしたが、再掲させていただきました。 糸子が根岸先生に連れられて、初めて洋服で岸和田の商店街を歩いた時の、やりとりです。

 まさに、「カビが生えるまで」 無心に咲き続けた、糸子の人生。

 真っ赤なカーネーションは、糸子の中に流れる血、そのものだった気がするのです。





 土曜日放送分。 最終回です。

 平成22(2010)年9月。

 今年もまた、だんじりの季節です。

 糸子の遺したサロンには、糸子の生前と同じように、大勢の人が集まっています。
 ジョニーはご機嫌ななめ…じゃなかった、すっかり中年太り…って、やっぱりモデルはジュリーかよ!(ハハ…)。 これじゃジョニー・デッブだ(下らないオヤジギャグ…)。
 浩ちゃんは初めて会う斎藤源太にドキムネです。 すごいファンだったらしい。

 そして思わぬ朗報だったのは、末期がんだった加奈子が、どうも回復している様子なこと。 いや、寿命を延ばしている、といったほうがいいのかも。

 そのたびに糸子のほほ笑む写真が映されます。 まるでそのことを一緒に喜ぶかのように。

 聡子は優子が手招きしているのに気付きます。

 「なんか今、テレビ局の人が来はってなぁ…」

 「朝ドラ?」 訊き返す直子と聡子。

 「朝ドラって、お母ちゃんがよう見ていた、あの朝ドラ?」 と聡子。

 「みたいやで…。 どうする?」

 「ええやん! お母ちゃんようゆうてたやん、『うちの話も朝ドラになれへんやろか』 って」 大乗り気の直子。

 「いや…せやけどなぁ…」 優子はどうもはっきりしません。 自分らの仲の悪いのを暴露されたんではかなわん、ということらしい(爆)。 ワロタ。

 この二重構造。 朝ドラのなかで朝ドラの話題で盛り上がる、というのがまず面白い。
 その話はいったん、だんじりの山車がやってきたことで立ち消えになります。
 窓際に集まっていく人々。 巨大な山車の振動で揺れるグラス。 通り過ぎていくだんじり。 それを糸子の写真が、見守っています。

 平成23(2011)年10月。 「カーネーション」 の放送開始の月やん(笑)。 パラレル的展開ここに極まれり。 どこまで不敵なのか、このドラマ。

 そしてついに、とうとう、死んだ糸子(夏木サンです)が再びナレーションを始めるのです。

 「おはようございます。

 死にました」。

 腹抱えて笑いました、ここ。

 なんか、もう、なんと言っていいのやら。

 いやまあそら、死んだ人がナレーションをする、というのは過去にもありましたけどね。

 過去のケースでは、「晴信をあの世から見守らせていただきとう存じます」 とか、そんな同情すべき心情が多かったのですが、今回の場合関西風お笑いのネタという性格が色濃くて。 まさに最終週、カーネーションの花言葉、「あなたの愛は生きています」 そのもの。
 人を食ったように、青空にトンビがピーヒョロロと飛んでいるのです。

 「(あっちゅう間にもう5年がたちました。

 おかげさんで、娘らも元気です。

 優子は、昔、うちに引退を勧めた年を越えて、やっぱし、働きまくってます。

 相変わらずたっかい靴はいて)」

 ピリピリしながら里香はじめスタッフに指示を飛ばす優子。

 「(相変わらず怖いこと)」

 そして写真を撮られる直子の姿。

 「(ちょっと変わったことちゅうたら、なんや知らん、優子と直子はこの頃、お互いのショーを見るようになりました。

 とにかく、いずれもええ年こいて、引退なんぞ、さっぱり頭にありません――)」

 これが小原の流儀、なんですよ、やはり。
 仕事をし続けることで互いに対話をかわしていく。

 「(働いて、

 働いて、

 たくましなるいっぽうです。

 …まあ、ほんでも…)」

 仕事を終えて一息つくと、三姉妹は未だにお母ちゃんを思って、涙ぐんだりします。
 お母ちゃんの写真に向かって仕事の報告をする優子。
 ケータイの待ち受けに映ったお母ちゃんの姿を抱きしめる直子。
 「会いたいなあ…お母ちゃんに」 とつぶやく聡子。

 「(泣かんでええ。

 泣くほどのこととちゃう。

 …うちはおる)」

 先ほどの、朝ドラの話が、再びフラッシュバックし始めます。

 三姉妹のそばで、糸子が必死になって娘たちに語りかけている。

 「朝ドラ? せやせやせや、ふんふん、やりやり! やろうやろう! な、やろう!」

 なんとも粋な演出ではありませんか。

 「(うちはおる。 あんたらのそばに)」。

 「見えんけどおる」 みたいじゃないですか、「ゲゲゲの女房」 の。 やっぱり対抗意識燃やしてたんだなあ、なんて感じます。

 「(空。

 商店街。

 心斎橋。

 緑。

 光。

 水の上。

 ほんで、ちょっと退屈したらまた、何ぞオモロイもんを探しに行く)」。

 岸和田中央病院の入り口の自動ドアが、誰もいないのに静かに開きます。 通り抜ける風。 看護師の女性が、慌てて廊下を駆けていきます。

 その先には。

 車いすに座った、ひとりの老婆。

 看護師の女性は車いすを押し、その年老いた女性を、待合室のテレビの前に連れていくのです。 年老いた女性は、奈津に違いありません。

 テレビから流れてきたのは、「ふたりの糸子のうた」。

 「♪時は大正 岸和田に
 生まれたひとりの女の子
 名前を
 小原糸子と申します

 着物の時代にドレスに出会い
 夢みて 愛して 駆け抜けた

 これはその おはなし」

 そしてこの最終回、ずっと流れることのなかったタイトルバックの、椎名林檎サンの歌が、始まるのです。 ただわけもなく、私は涙を流し続けていました。 やられた。 最後まで。

 「♪重く濡らした瞼は今よろこび映す日の為心を育ててるのね

 かじかむ指ひろげて 風に揺れ雨に晒され

 遥か空へ身を預けて …生きよう…

 何も要らない私が本当に欲しいもの等 唯一つ、唯一つだけ」

 このタイトルバック。 ドラマのダイジェストも流れていたのですが、もっとも感慨深かったのは、最後の最後、演者の名前のクレジットが 「小原糸子 尾野真千子」 となっていたこと。 やはりこのドラマ、尾野真千子抜きでは、絶対に成り立たなかった、といっていいでしょう。 限りない感謝をこめて。

 最高でした。 このドラマ。






 文字通り、実質25本にわたる映画を観終わったような、ずっしりと重たいものを感じています(24本の長編と2本の短編?…笑)。 おそらくこれに敵う作品は、今後容易には出てこないと感じる。 なぜならいま述べたとおり、このドラマは脚本と演出が最高だっただけでなく、それに限りないプラスアルファを与えた、尾野真千子という存在がなければ、ここまで著しい化学変化を起こすことはなかったからです。 まさにテレビドラマとしては出来過ぎ。 100点満点で150点はゆうに越えていた。

 あくまで大胆不敵。

 あくまで不親切。

 思えばこのドラマほど、見る側の鑑賞眼に頼りきった作品もなかった気がします。 つまり視聴者を、絶大に信頼していた。

 暴力的な描写も数々あったけれども、それは見せかけだけの優しさを激しく問うものであっただけでなく、「ものの加減というものを見失っている社会」 に対する強烈な皮肉、でもあった。

 このドラマの存在意義はその意味で、このさき未来にわたって、徐々にだがとても重要度を増していくように、私には感じられるのです。

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2012年3月25日 (日)

「カーネーション」 第25週 最後まで笑おう 最後まで輝こう

 やはり、空恐ろしいまでの不敵なドラマでした。

 老年期の糸子をやるという意味が、週を追うごとにこちらの胸に迫ってきます。

 もはや、夏木マリサンの演技をどうこう論じること自体が、辛気臭いと思える。

 このドラマは、尾野真千子サンの表現力によって異世界へと高く高く飛翔したのちに、再び脚本家、渡辺あやサンのもとへと舞い戻ってきた印象がしました。

 と同時に感じたのは、今週のこのドラマは、「辛気臭い世の中」 に対する、渡辺あやサンの挑戦状だったのではないか、という点であります。

 今週中盤、個人情報による壁に、糸子は直面することになります。
 以前だったら何の問題もなく、旧友(奈津)の住所くらい聞けたのに、それが出来ない。
 そして、病院でのファッションショーに患者を加える、ということについて問題視する婦長の壁にも、糸子は直面する。
 この婦長の意見というのは、現代ますます顕著な形となって人間社会に根付きつつある 「常識」 に変貌しています。 今週のドラマの舞台だった、今から10年ばかり前のころよりもまた一段と。

 いわく、病人をそんな場に駆り出すとは、なんと非常識なのか。
 何かあったら責任が取れるのか。

 以前の社会は、確かに人にとってけっしてやさしい世の中ではありませんでした。
 今じゃ放送できないような言葉で人は人をけなしていたりした。
 確かにがさつで、弱い者にとっては生きづらい世の中でした。
 それが人にやさしい世の中に変化していったのは、やはり 「いじめ」 という問題が大きくクローズアップされたがため。
 人々は弱者に対するいたわりの気持ちを大切にしようと、社会で行なわれるさまざまなハラスメントに対して、「NO」 を突きつけ始めたのです。

 しかしその結果、社会はどこかで、過保護な反応ばかりする、神経質な世界になってしまったのではないか。

 今週のこのドラマに批判的な反応をする人々に対する、これは渡辺あやサンの強烈な一撃である。
 私にはそう思えるのです。

 たとえば今週、末期がん患者の女性(中村優子サン)がこのドラマには出てきます。
 その人に対して糸子は面と向かって 「末期がん」 と何度も口にする。
 これに対して、ある種の視聴者は、「無神経にそんなことを言っていいのか」 と過剰反応をする。
 しかしこれは、本人に告知がなされているかなされていないか、ということが、とても大事な前提となっているように思われるのです。

 今週のドラマを見ている限り、本人がそれを知っていることを言い出すまで、その事実は明らかにされてなかった気がします。
 婦長さんが糸子に 「この患者は末期がん」 と告げた時も、それを本人が知っているかどうかは伏せられていた。 私もここは見ていて、ハテナと感じました。 個人情報があるから奈津の住所は教えられない、と話していた婦長が、軽々しく患者の個人情報を教えているではないか、と。

 それはでも、ドラマとしての不備なのか。
 違うと思います。

 個人情報を頑なに守り続けている婦長が言うことなのだから、もう本人には告知してある、と視聴者が判断しなければならないのです。

 そんな器用なことができるか、と思ってしまいがちですが、実は私のように、「ハテ?婦長はなんで患者の重要情報を軽々しく部外者の糸子に教えているのか?」 と感じてしまうこと自体、自分も現代人の過剰反応に毒されている証拠だ、と感じるのです。

 これが10年前、15年前だったら、私はたぶん、そんなことをまったく気にしないで、このドラマを見ることが出来たと感じる。

 人にとって優しい社会、であったほうがいいに決まってます、何事も。

 でもそのことで、がさつに生きてきた昔の人々の心を否定したり、拒絶したりすることは、間違っている。
 昔は今よりずっと人にとって優しくない社会だったかもしれないが、みんなそれに揉まれて強くなった。
 人にやさしくすることが、人の心を却って弱々しくしてはいないか。

 たった10年程度の昔の話なのに、このドラマは確実にそこを突いてきている、と私は感じるのです。

 そのメッセージ性は、主役がオノマチサンではなく夏木マリサンだからこそ、却ってストレートにこちらが感じることができる。 さすがに88歳の女性をオノマチサンが演じることには無理がある、と思いますが、もし夏木サンがしていた特殊メイクでオノマチサンが88歳の糸子を演じたとしたら、彼女のパーソナルな表現力が前面に出てしまって、作り手のメッセージは却って埋もれてしまったかもしれない。

 そしてそのうえで、今週のこのドラマは、今際の際まで自分がいかにして生きねばならないか、を押しつけがましくなく、そして感動的に語っていくのです。






 月曜放送分。

 平成13年(2001年)7月。
 このドラマ、結局阪神淡路大震災を取り上げませんでしたね。 意図的だったのかな。

 すっかり糸子(88歳)のやり手のマネージャーとなったピンクの電話の都子チャンが、ずけずけと何もかも取り仕切っています。 都子チャンの殺し文句は、「ぜ~んぶ先生が入れた仕事なんですからね」(笑)。 そのセリフの通り、88歳になるというのに、糸子は自分の人生でかつてないほどの忙しさに見舞われています。 講演会、インタビュー、オペラ鑑賞、果ては相撲観戦。

 「年取るんも、85くらいまでは嫌やったけど、それ越えたら、なんや、そんなんものうなってしもてなあ(笑)。
 それよりなんにしろ、死んでしもたら出来んこっちゃろ? 今まで興味なかったことでもとりあえずやっとかな思うし、一生懸命やるやんか、ほしたら楽しいでなあ(笑)。
 ほんで何でもかんでも手ぇ出すさかい、今度は忙しいて、死ぬヒマもなくなってしもてアーッハッハッハ」(笑) とインタビュアーに答える夏木糸子、首のあたりに特殊メイクが入ってます(笑)。 人間、首筋にいちばん老いが見える、と申しますからね。

 そんな糸子、膝とヘルペスの治療のため、岸和田中央病院に通っています。
 「じっとしてたら痛みが忘れられへんさかい、ついなんやかんやしてしまうんです」 と、同じセリフを担当医師に言い続けてます(笑)。
 これ、なんかネタみたいになってましたけど、このたびぎっくり腰をしてしまった自分にはよ~お分かります(笑)。 仕事をしている時って、結構シャンとするもんなんですよね。 で、仕事が終わったら、またジイサマみたいな歩き方してる(爆)。

 病院での待合フロアで、糸子はそこの事務長である香川(蟷螂襲サン)に話しかけられます。
 そして無理やり引っ張り込まれた院長室で、イケメンと評判の院長龍村(辰巳琢郎サン)と共に、病院で行なわれる患者向けのイベントで、ファッションショーをしてもらえないかと依頼を受けるのです。 なんでも香川の母親が、昔オハラ洋装店でやっていたファッションショーの客だったらしい。 そして子供時代の香川は、「女っちゅうのはよっぽどこういうのが好きなんやな」 と思ったというのです。

 実は今週のこの話が持ち上がったとき、私も 「なんや病人たちのファッションショーかいな」 と、なんかありがちなストーリーに、ちょっと興味がわかなかったんですよ。

 けれども、男の自分には分からないのですが、女性たちにとってファッションショー、というのは、「きれいに見られたい自分、きれいに見せたい自分」 の大いなる啓発の場、なんですね。
 昨今では美人コンテスト、というものの存在自体を否定する向きも一部である。
 女性をランク付けして一等賞を決めるなんてどういう了見か、というわけですね。
 だけど、自分をほかの人よりもよく見せたい、というのは、女性の根源的な欲求なのではないか、と私は思うのです。
 香川事務長のこの発言は、私にそのことをあらためて気付かせてくれました。 それで、「ただのファッションショーか」 という思いが、だいぶ払拭されたといってよい。

 院長と事務長のたっての願いは、多忙な糸子を気遣っての恐る恐るの依頼でしたが、糸子はいともあっさりとそれを受諾。 だから仕事が増えるっちゅーねん(笑)。
 開催日は3カ月後の10月。 急やな。 だから仕事が増えるっちゅーねん(笑)。

 そしてその場で、糸子は龍村院長から、幼なじみの奈津がこの病院に入院していることを聞き及びます。
 少なからずショックを受ける糸子。
 なにしろ自分も88歳、同級生の奈津もその年齢のはずです。
 88歳で互いに生きている身であることは、実に驚愕すべき話なのではないでしょうか。

 杖をつきつき、奈津の病室を訪ねる糸子。
 4人部屋の表札に 「桜井奈津」 とあります。
 4人部屋、ということは、「奈津を幸せにする」 と意気込んでいたラサール石井サンがパッとしなかったことを推測させる。 そして名字が桜井、ということは、まだふたりは夫婦なのだろう、という推測を生じさせます。

 糸子もそんな憶測が頭の中をめぐっているような複雑な表情で、病室をのぞきます。
 逆光の中でひとり凛とした姿勢で本を読んでいる女性。
 老いてはいますが、紛れもなく、あの気位の高い、奈津(江波杏子サン)です。

 糸子の視線に気付いたのか、奈津は顔を上げます。
 そして糸子を一瞥。 ぶっきらぼうに一言。

 「なんや。 …なんか用け」。

 うーん。

 江波杏子サン。

 すごすぎるぞ。 いっぺんで奈津だと分かる。





 火曜日放送分。

 談話室で糸子は、奈津から 「あれから」 のことを聞いています。
 結局旦那と共に越した四国で旦那と死に別れ、10年ほど前に岸和田に帰ってきたと。
 ということは、いまだに 「桜井」 の姓を名乗っているのは、結局やはり、旦那に死ぬまで愛されたんだろうな、ということは伝わってきます。
 四国の広い家を掃除するのが嫌になった、と話していましたが、やはり旦那が死んでからは、いろいろとあったんだろうな、と。
 栗山千明サンが演じていた頃の奈津は、玉枝の奪還作業ののちに安岡の美容室に勤め出してからは、結構殊勝な物腰になっていた、と思うのですが、それも旦那が死んでからの苦労で生来の性格が戻ってきてしまった、と推測すべきところでしょうか。
 確か旦那と結婚した時、奈津は30を超えていたと思います。
 当時は30超えると高齢出産だったのかな、分かりませんけど、結局子供も授からなかったみたいです(このあと糸子が 「身寄りもない」 としゃべってましたね)。
 子供がなかったから、旦那が亡くなって肩身が狭くなった、ということも考えられる。

 奈津の気位の高い性格が戻っている、というのには、メディアに露出する機会が多くなっていた糸子に対する、ちょっとした対抗心が隠されている、という推測も成り立ちます。 いきなり糸子に向かって 「なんか用け?」 と突っかかったのも、年老いた糸子の顔を既に雑誌とかでよう知っていたからではないか、という推測を、このあと糸子もしてましたし。
 いずれにしても必要最小限のことしか見せないこのドラマの、「裏を読ませる」 という真骨頂を久々に感じるのです。

 「なんで連絡せえへんねん?」 と詰問する糸子に、「へっ、なんで連絡せなあかんねん」 と毒づく奈津。 「ほな、いま、ひとりで暮らしてんけ?」「まあな」。 やはり子供はいないのでしょう。 「どこが悪いんよ? なあ? なんで入院してんよ?」「関係ないやろ」。 相変わらずのとりつく島のなさです。

 「あんた、変わらんなあ」。 糸子は思わず、席を蹴ってしまいます。 「ふんっ! こっちのセリフや!」。
 そんな糸子の後ろ姿を、懐かしげに眺める奈津。

 商店街を帰ってくる糸子。
 バブルがはじけたあとの岸和田商店街の様子をつぶさに描写していきます。
 金券ショップもあっさりと潰れたのですが、そこの兄ちゃん、篠山真(中山卓也サン)はオハラ洋装店の従業員になっていました。
 真は景気の悪い話を事務的にしてくるのですが、それと同時に、糸子が始めたシルバー世代へのプレタも参入者続出による競争で芳しくないことが明かされます。

 「(いつまでたっても、いくつんなっても、商売ちゅうんは、甘ないもんです…)」。

 そして毎朝新聞からの取材で、男やもめと食事をする会が、88人にも膨れ上がっていることも分かります。 毎朝新聞て、モックンのいた新聞社かいな(告知 : 「運命の人」、随時視聴中、そのうちレビューを書きたい予定…ハハ…)。
 若いころはサルやらブタやらエライ言われようやった、と述懐する糸子、「あいつにこの写真(糸子が中心になって大勢の男たちと写っている記念写真)見せたれんもんかいな」 と悔しがるのですが、奈津のことでしょうかね。

 そして寝床で、幼い日、若き日の奈津を思い出す糸子。 散々悪態をつきまくっていた奈津ばかりが思い出されます(笑)。

 「(ほんでも、生きてるうちに、お互いまだ、ボケもせんと、会えたんやさかい…奇跡やでなぁ…)」。

 ひとり考える糸子ですが、「奇跡」 という今週の副題、実はこの、糸子と奈津との再会だけではありませんでした。

 別の日、奈津の病室をうれしそうにのぞく糸子。 奈津がそれに気付くと、「あ~忙し忙し」 と、憎まれを聞いて立ち去る。 さりげなくいい場面だった気がします。

 龍村院長から、糸子は看護婦長の相川(山田スミ子サン)を紹介されます。
 この総婦長、糸子とファッションショーにかける意気込みについて最初から齟齬を見せるのですが、総婦長が色をなした糸子の意気込み、というのは、ファッションモデルに患者も加えさせてもらいたい、というものでした。
 妙な雰囲気に、院長の龍村はそそくさとその場を離れます(笑)。
 総婦長は香川事務長に、糸子の目の前でこれ見よがしにヒソヒソ話(笑)。 「事件は現場で起きてるんだ」、じゃなかった(笑)、「現場に全部しわ寄せがくる」 とか(ようありますなァ、そんなことはどの世界でも)。

 そして相川総婦長は言下に糸子の提案を拒絶。 「患者さんに妙なことをさせて、もしものことがあったら困りますよって。 それは無理です。 お断りします」

 糸子はこう反論します。

 「お宅らは、医療の力を信じて、毎日仕事してはるやろ?

 うちは、洋服の力を信じて、仕事してきましたんや。

 洋服には、ものすごい力があるんですわ。
 ほんまにええ服には、人を慰めることも、勇気づけることも、元気づけることもでける。

 うちは、自分の洋服で、お宅らの力になりたいだけや。

 患者さんに、ええ服を着て、ライト浴びて歩いて欲しい。
 それを、ほかの患者さんらに見て欲しい。

 医療とは、なんの関係もないと思うかもしれへん。
 けど、ほんなことが、人に与える力を、うちはよ~お知ってるんです。

 半分、いや3分の1でも、いやひとりでもええわ。

 希望する患者さんを、参加させちゃあってください。 この通りや」

 このことについては冒頭でお話ししました。
 確かに患者にファッションモデルをやらせる、というのは、見方によっては無謀な提案です。
 たとえ健常者であったとしても、自分がいくらやりたいと思っても、そういう場に出るということで心臓に荷重がかかることは想像に難くない。 しかし。
 「何かがあってからでは困る」、というのは、正しい危機管理意識なのですが、それがいっぽうで 「事なかれ主義」 を併発する。
 人間は、いついかなる時でも、リスクと向き合いながら生きている、と私は考えるのです。
 ぎっくり腰が怖くて仕事なんかようでけん、ちゅうことです(それとこれとは話が…い~や同じだ…笑)。
 出たい、という意志があるならば、それは紛れもなく自分の意志なのであり、他人がとやかく言うことじゃない。
 自分の意志でやることは、自分が責任を負うべきだ。
 何か問題があったから他人のせいにするなんて、いさぎ悪すぎる。

 この糸子の、総婦長への説得の言葉は、実はこのあと、補足がついてきます。
 またそれが、深いんだなァ。





 水曜放送分。

 そうめんをすすりながら、相川総婦長のこわもてぶりを話題にしているオハラ洋装店の人々。 すっかりズケズケものを言う女になってしまったピンクの電話に比べて、図体のでかい浩二が、16年前?よりもかなり小心者に拍車がかかってしまった印象があります。 今週の彼のセリフ、ほとんど聞き取れなかった。

 例によって奈津の病室をのぞき込む糸子。 診察中なのか、奈津がいないことに、いたくがっかりしてその場を離れます。
 考えてみれば、糸子が 「患者も参加させて」 と言い出したのには、奈津にそのファッションショーに参加させて元気づけさせよう、という狙いがあったからですが、憎まれ口を叩きながらのその行動は、心を再び閉ざし気味になってしまったように思える奈津に対する、大きなデモンストレーションのようにも思えます。

 その奈津、待合ロビーで患者の参加を呼び掛けるファッションショーのビラを眺めています。
 点滴を持ったまま歩く奈津。 それを糸子が目ざとく見つけ、杖をつきながら追い抜いていく。 奈津も負けていません(笑)。 ふたりは小競り合いをしながら、病院の廊下を歩いていきます(笑)。 いきなりストップして満面の笑みになる奈津。 急ブレーキをかけた奈津に、糸子は激突してしまいます(ハハ…)。 その視線の先には、龍村院長(笑)。
 そう言えば龍村院長は、結構なイケメン(笑)。 奈津が面食いなのは、泰蔵の昔から、変わらんっちゅうことでした(笑)。 知らぬは龍村ばかりなり(笑)。

 そして龍村に引率されてやってきた院長室で、事務長と総婦長との打ち合わせ。 モデル希望の患者たちのうち、病状が重い患者を優先させようとする糸子に、相川総婦長は色をなして反駁します。 糸子はそれに対して笑みていわく。

 「せやけど、考えてみてください。

 病気の重い人らが、10月のショーに出てみたいと、夢を今持った。

 その夢を、病気が重いからちゅう理由で、奪う。

 そら…ひどないか?」

 総婦長それに答えていわく。

 「いや…ひどいやらひどないやら…そんなことうちらが論ずべきことやありません。
 病院は、患者さんが治療に専念する場所です。
 我々の仕事は、その環境を守ることです。
 我々が、責任を放棄せなあかんようなイベントなんてできません」

 糸子は総婦長の責任感を受け止めます。 「せらせや…」。

 糸子の考えたことは、重度の症状の人ほど、苦しみが深い。 苦しみが深いからこそ、自分が輝きたい、という気持ちは強いであろう、という判断からだった、と思います。
 でもそれが出来ないのが、現代。
 患者の体は患者だけのもんやない、という考え方もあるでしょう。
 家族のなかでも意見が分かれるべき性格のことに対して、安易に結論が出せない。
 軽々しい気持ちなのか、かなりの覚悟からきているのか。
 その人ひとりの判断の高低の問題もあります。

 ただ、そんなふうに、ものごとを難しく考えすぎなのではないか、という気も、いっぽうではします。
 人の生死に関して、重々しく考えすぎなのではないか、と。

 重々しく考えることが間違っているとは申しません。
 人ひとりの生死なのですから。

 でも、行くも戻るも出来なくなってしまうほど重苦しく考えすぎてしまう、というのも、違う気がする。

 患者の参加者は、結局軽い症状の人たちだけになります。 糸子は参加希望者の中に奈津の名前がなかったことに、納得しながらもちょっとがっかりします。 それでも一縷の可能性を信じたのか、糸子は自分と奈津とがお揃いの紅白のドレスを着てステージに立つ夢を見ます。 奈津は白。 糸子は赤。 糸子にはそのときの観客の拍手が聞こえている。

 たぶんその可能性は、とても低い。
 でも夢見ることで、日々は明るくなっていくものです。
 この発想は、とても学ぶべきものが多い気がいたします。

 「揃いの、赤と白…。 正月のあの漫才師みたいな感じですか?」 浩二の言葉に、糸子は妄想を打ち砕かれたような怪訝な顔をします(笑)。 いくよくるよかぁ?(笑)

 それにしても、糸子にはいつも 「赤」 のイメージが付きまとっていたのですが、それに対して奈津は、「白」、だったんですねー。 ふたりの花嫁衣装がやはり赤と白でしたしね(糸子は大遅刻で、結局奈津の白い花嫁衣装を借りたんでしたっけ)。

 「(また、鼻で笑うやろか…。
 せやけど、長い長い腐れ縁の果てに…ほんなことがあったかて、ええやないか…)」

 糸子はデザイン画に色を入れながら、また同じ妄想を呼び戻すのです。

 88くらいになると、もう糸子のまわりに同年輩の人間が、よう出てきません。
 奈津が桜井のところに嫁に行ってからというもの、奈津の代役を務めたのは、北村だったのではないでしょうか。
 その北村もあの世に逝ってしまい、糸子にとって生きる張りというものは、北村の写真に向かって毒づくくらいしかなかった気がする。
 互いに意地を張れる存在がいる、ということ。
 その貴重さ、その大切さを噛みしめているからこそ、糸子は可能性のとても低い妄想に、自分を遊ばせたがると思うのです。

 8月。 モデル希望者との顔合わせです。
 糸子は彼女らに、「今日からとにかく、美しくなってもらいたい」、という要望を出します。
 難しそうだと苦笑し合うモデルたちに、糸子は言います。

 「そらそうです。 このショーは、みなさんがキラキラ輝いてはじめて初めて、見る価値が出るんです。
 絶対、自分は輝くんやと信じて、努力してください。
 自分が輝くことが、人に与える力を、信じてください」

 輝く力。
 自分が輝こうとする力。

 ファッションショーは、そんな 「女性たち」 の、内面的な希求を実現するための場なのだ、ということが、とても分かるセリフです。

 その場に居合わせた、ひとりの気色の変わった女性。
 ニット帽をかぶり、参加者ではないように見えます。

 この女性。

 ニット帽をかぶっているその姿は、同じ渡辺あやサン脚本のドラマ 「火の魚」 を見た人ならば気付くと思うのですが、末期がんの患者を演じた尾野真千子サンの、最後のシーンでの姿と、かなりダブるんですよ。

 おそらくこれって、渡辺あやサンなりの、尾野サンへの感謝の表わしかただ、と感じたんですね、私には。
 まあここで尾野サンを出すわけにもいかなかった。
 だからと言ってはなんですが、同じカテゴリに属すと思われる、中村優子サンをこの末期がん患者に仕立て上げたのではなかろうか、と。
 なにしろ尾野サンも中村サンも、河瀬直美監督が絡んでいる。 ついでに言えば、河瀬直美監督作品で、心斎橋百貨店の支配人だった國村準サンと、オノマチサンは共演してます(全部ウィキ頼りの考察であります…笑)。

 そしてこの中村サン、このあと尾野サンに勝るとも劣らぬ演技力を、発揮していくのであります。

 顔合わせから採寸が終わり、奈津とのツーショットのデザイン画をうれしそうに眺め続ける糸子は、いそいそと奈津のいる病室に向かいます。 ダメもとで、ショーに出ることを打診しようとしたと思われます。

 ところが。

 奈津のベッドは、もぬけの殻。 表札も外されている。

 糸子の顔から、さっと血の気が引いていきます。

 デザイン画が、糸子の手から、はらりとこぼれ落ちていきます。

 外された表札を、すがりつくようにして見る糸子。 動悸が激しくなっていきます。

 西日が糸子を、まぶしく照らしていく。





 木曜放送分。

 通りがかった看護婦に、奈津のことを慌てて尋ねる糸子。

 無事でした。

 奈津はおととい、退院していたのです。

 「はぁぁ…。 よかったぁぁ…。 …もう、死んだかと思た!」

 生きた心地がしなかった、という表情の糸子。 笑っていいのやら悪いのやら…(笑)。

 それにしても気になるのは、退院してどこに奈津が行ったのか、ということです。
 真が 「孤独死」 なんて口走ったものだから、糸子は居ても立ってもいられなくなるのですが(笑)、浩二が病院に問い合わせる、ということでいったんその場は収まります。

 しかし。

 「個人情報だから」 という理由で、奈津の住所を浩二は聞き出すことができません。
 個人情報保護法というのは、これもウィキ頼みですが、この2年後に施行されてます。 だからこのドラマの話は時期尚早かとも考えられるのですが、法律の施行前から、その機運はかなり高まっていた記憶がある。 なんかいろいろ問題が起きてた気がしますよね。

 糸子は龍村院長に頼んでなんとか聞き出せそうになるのですが、そこに出てきたのが総婦長。 龍村院長はあっちゅー間にその場から逃げ出して、物陰からそれを眺めます(笑)。

 「あたりまえですっ!」
 「なんでや?! 教えてくれてもええやろっ! ケチっ!」

 ハハ…。 そらケチですわなァ(笑)。

 「なんとでもゆうてくださいっ! アカンもんはあきませんっ!」

 「怖ぁ…」 物陰で戦々恐々としている院長(笑)。 感心しとる場合かっ(爆)。

 「(なんや。 個人情報て。

 たかが奈津の住所が、小難しいもんになりよって。

 はぁぁ…。

 世の中なんでも小難しなって、さっぱり分からん)」

 待合ロビーで現世を憂う糸子の前を、ルーズソックスをはいた女子高生が通り過ぎていきます。

 「(あの靴下は、何をどないしたいんや?)」(笑)。

 離れた席に座ってケータイをいじくっている、ガングロヤマンバ風のへそ出しルックのギャル。 それを見て糸子は、ギョッとします(笑)。

 「(この子の服は、いったいなんてゆうてんや?)」(笑)。

 戦後の若者ファッションを俯瞰いたしまして(笑)いちばん突出して奇態だったと思われるのは、私もこのガングロヤマンバだったと感じます。 糸子でなくとも、「何をどないしたいんや?」 と思ってしまう。

 世の中が、あまりにも 「なんでもあり」 という方向に傾いてしまうと、「自分を見せたい」 という欲求がますます肥大化していく、と感じます。 そしてそれは 「美」 という観点を大きく離れ、ただ目立ちたがりのゴクラクチョウみたいな方向に行かざるを得ない。

 それはカンチガイの上に植え付けられた 「単なる無秩序としての自由」 の行きついた先であり、思想などはもとより存在せず、だらしなさの発露にすぎない。

 個人情報規制の機運をこれと同列に論じることは間違っているかもしれないが、「なんでもあり」 という精神構造が、従来人道的な自制によって制御され続けてきた個人情報の取り扱いを、とりとめのない悪用化の方向へと導いていく、というからくりにおいて、その性格は類似しているように感じられてなりません(いきなり難解な文章になってきたぞ)。

 まあ要するに、「なんでもあり」 という考えが、人々に個人情報もいくらでも悪用しようとさせるし、ギャルどもにただ奇異にしか映らないファッションに走らせるし、ということであります。 それを同等に論じようとしているこのドラマは、やはり凄いと思われるのです。

 そしてその、崩壊し尽くしてしまったように思われる秩序の中で、だんじり祭りだけは、糸子に深い安心感を与える契機となっている。
 だんじりだけはどんな世になっても変わることがない。
 この精神的支柱さえしっかりしておれば、どないに商店街がさびれゆこうとも、人心が荒廃しようとも、「ゴロっと熱い」 情熱を糸子は感じることができるのです。

 けれども祭りに集まる人々の顔触れは、やはり変わっていきます。
 なんか、アラーキーみたいな人がいた気がしたけど…?(笑)、ジョニーや白川ナナコはまだまだ健在。 アホボンたちもそれなりに成長しているようです。 三姉妹もずいぶんと、今のイメージに近くなってまいりましたね。 里香とチェッカーズ君は、結局別々の家庭を持ってしまったようです。
 ひい孫たちに囲まれながら、糸子はその親である理恵などの孫に気遣われる描写があるのですが、それはこのあとの布石となっていきます。

 ファッションショーの打ち合わせが続くなか、相川総婦長は患者たちが生き生きとしていく姿を見て、最初の 「まあ適当に楽しませていただく」、という考えを、ちょっと修正しつつあるような様子を見せていきます。
 糸子は糸子で、奈津とのツーショットのデザイン画をまだ後生大事に帯同して、その低い可能性に賭けつつ、楽しそうに参加者たちの個性を引き出す作業に没頭しています。
 そしてそれを楽しげに眺めるだけの、ニット帽の女性。





 金曜放送分。

 直子のつてでやってきたと思われる、ちょっとゲイっぽい振りつけ担当のオニーサンの厳しい指導に、「患者さんにストレスを与えないでください」 と総婦長は声を荒げるのですが、糸子はぴしゃりとそれをたしなめます。 それはまさに湯婆婆そのもの(笑)。

 「総婦長! 歩きかたはショーの基本や!

 歩きかたがおかしかったら、恥かくんは本人なんや」

 ショーの練習の会合が終わったあと、看護婦に付き添われてひとり退出する、ニット帽の女性。 糸子はそれを一瞥します。
 入れ替わりで入ってきた総婦長。 モデルをひとり、追加してほしいと言います。 それがあの、ニット帽の女性です。 吉沢加奈子。 末期のがん患者だ、ということを、総婦長は糸子に告げます。

 この部分で私が感じたことは、冒頭に申し上げました。 ちょっと気を抜くと、「個人情報教えてもええんかいな」、と思ってしまう場面です。
 ここでの総婦長と糸子のやり取りは、ちょっと興味惹かれます。

 「せやけど、ここだけの話…。

 そないゆうてる今の医学かて、なんぼのもんかは知りません」

 「はぁ?」 思わず訊き返す糸子。

 「いや、正直、知れてます。

 ま、もちろん、毎日現場に立って、その場その場で、やれるだけのことはやってはいます。

 けど、やればやるほど、つくづく、『知れてんな』 と思いますわ。

 そもそも、人間の病気には、ほんまに医学しかないんか。

 ま、とりあえず、ないことにして、うちらは必死で、患者を治療に専念させてるわけですけど、ほんまのところは、どうか知りません。

 医学のほかにかて、もしかしたら、あるんかも知れん。

 ま、ないかも知れませんけど」

 医学の無力さを嘆く総婦長に、糸子はこう返すのです。

 「まぁ…。 服かて知れてます。

 力を信じたいし、信じてる。

 けど、おっしゃる通り、やればやるほど、知れてるっちゅうことは、毎度突き付けられます。

 ほんでも…。

 ご縁をもろたんや。

 …おおきに」

 「…よろしく、お願いします…」

 いくら必死になっても必死になっても、その限界というものは、だからこそ却って明確に、見えてくる。
 逆の立場で言えば、ひと様からなにがしか、勇気をもらった、と言っても、それで励まされた、と言っても、その感動って一瞬である場合が多い。 明日の朝にはケロッと忘れてたりする。
 でもだから、人のために何かをしてあげる行為、というものが、無意味なのか。
 そうじゃないですよね。
 肝心なのは、それが継続される、ということなんじゃないでしょうか。
 人によっては、ある人との出会いが、たとえただの一度だけだと言っても、とてもその人の人生に大きな影響を及ぼすことがある。
 でもそれは、かなり相性が良かったり、電流が流れるような衝撃的なことだったりする場合なわけで。
 そんなケースはまれですから、たいていの場合は、人を元気づける行為、人を励ます行為、というのは、継続して初めて意味を持ってくるものだ、と思うのです。
 ここでの総婦長と糸子のやり取りは、そんな無力感とそれに対抗する決意を端的に描写していて、秀逸でした。

 そして加奈子と初めて話をする場を、糸子は持ちます。

 「お宅、いっつもデイルームの隅っこに座って、見てたやろ?」

 「はい…」

 「さすがの総婦長さんも、ほだされたらしいで。 特別にひとり、入れてくださいちゅわれてな」

 「…うれしい…」

 「ほんなに、出たかったん?」

 「…はい…」

 「なんで?」

 「はい…。 あの…。 子供が2人、いてるんです。
 その子らに見せちゃりたいと思たんです。

 私は、病気になってしもてから、自分の、哀れな姿しか、あの子らに見せちゃれてないんです。

 こない痩せてしもて、髪も無くなってしもた。

 もちろん私もつらいです。

 でも…」

 加奈子はそこまでしゃべると、急にこみ上げてきます。

 「母親が…。

 母親が、そないなっていくのを見てる、…あの子らの気持ちを思たら、たまらへんのです…。

 主人に連れられて…病室に入ってくる時の…いっつも…、おびえるような顔が、…かわいそうで…つらあて…。

 …幸せにしちゃりたいのに…。

 …悲しませることしか出けへんで…」

 嗚咽を続ける加奈子。 声が詰まってしまいます。

 その肩を抱きかかえる糸子。 寄りかかる加奈子の肩を優しくさすります。 号泣する加奈子。

 「…よしよし。 …よう分かった。

 よう分かった…。

 よっしゃ!

 ほな、今度はうちの話しよか…」

 うなづく加奈子。

 「うちは、今、88や。

 あんた、そら、88歳も、たいがいなもんなんやで!(笑)

 …体はあちこち弱るしなぁ…。

 杖ないと、歩けんし。

 いつ死んだかてもう、おかしない年やよって、いつ会うても娘らの顔には、まず、『心配。大丈夫なんか、お母ちゃん?』 て書いちゃある。

 ほんでもなあ。

 85、越えたあたりかいな。

 ごっついええこと、気付いたんや。

 教えちゃろか?」

 いたずらっぽく加奈子をのぞき込む糸子。 うなづく加奈子。

 「年取るっちゅうことはな、奇跡を見せる資格がつく、っちゅうことなんや」

 「…奇跡?」

 「そうや。 たとえば、若い子ぉらが元気に走り回ってたかて、なぁんもびっくりせえへんけど、100歳が走り回ってたら、こら、ほんなけで奇跡やろ?

 うちもな、88なっていまだに、仕事も遊びも、やりたい放題や。

 好き勝手やってるだけやのに、人がえらい喜ぶんや。

 老いることが、怖い人間なんていてへん。

 年取ったら、ヨボヨボなって、病気なって、孤独になる。

 けど、そのうちももう、大したことせんでも、ウナギ食べたり、酒飲んだりするだけで、人の役に立てるんや、ええ立場やろ? フフフ…。

 …

 ほんでな。

 あんたかて、そうなんやで」

 驚いた表情の加奈子。

 「え?」

 「笑うてみ。 ニィ~ッって」

 加奈子はぎこちなく、そしてしっかりと笑い顔を作っていきます。

 「ほれ! そんでもう、奇跡や!

 末期がん患者が、笑たんや。

 みんな、末期がんなんかになったら、もう二度と笑われへん思てんのに。

 あんたが笑うだけで、ごっつい奇跡を、人に見せられる。

 あんたが、ピッカピカに、おしゃれして、ステージを、幸せそうに歩く。

 それだけで、どんなけの人を、勇気づけられるか。 希望を与えられるか」

 加奈子は糸子の言葉に、泣きそうな表情になっていきます。

 「今、自分が、そういう資格、…いや、こらもう、役目やな。 役目を持ってるっちゅうことを、よーう、考えてみ」

 「はい…」

 「あんたの出番は、トリや。

 髪は、このごろ、ウィッグのええのんがなんぼでもあるよって、また相談しよう。

 …あんたが、奇跡に、なるんやで…!」

 糸子は、残り少ない人生を、絶望を振り切りながら生きている自分を、目の前の加奈子に投影させながら、そのつらさを同苦したように、声を振り絞って加奈子を励ますのです。

 あ~もう、泣けました。 参ったなぁ。

 泣けるんだけれども、ただいたずらに感傷的じゃないんだなぁ。
 これは迫りくる死への、挑戦状なんですよ。
 加奈子にとってもそうなのですが、これって88歳の糸子にとってもかなりの切実な問題だからであり。
 88年も生きたら、もうあとはい~や、というのも確かにあるかもしれません。
 でも、いかに長く生きようとも、いかに人生が短くとも、死に臨んで、気持ちが後ろ向きになることだけは、なんとしても避けたい。

 笑おう。 人生の最後まで。

 輝こう。 人生を終えるそのときまで。

 そんな前向きな決意が、私を泣かせるのです。





 土曜日放送分。

 ファッションショー当日。

 加奈子の病室をのぞきこんだ、加奈子の夫と、ふたりの小さな息子たち。 加奈子が話していたように、子供たちの表情は、おびえたように暗い。
 けれどもその日、加奈子は糸子に教わった、満面の笑みで子供たちをベッドから迎えるのです。
 「おはよ!」
 子供たちは安心したように、自分の母親に駆け寄ります。 「ママ!今日頑張ってな」「頑張ってな!」
 「うん! 見ててーママ、メッチャきれいになるから!」
 うれしそうにそれを見守る夫。

 ショーのディレクター的な役割をしているのは、里香です。 里香の案内で、糸子は美人に生まれ変わった参加者たちに、感嘆の声を上げます。 「へぇ~みんな、上手いこと化けたな!」。

 そしてショーに臨む参加者たちを前に、糸子は語りかけます。

 「ごっついべっぴんがようさん仕上がりました。 あとはよろしいか、みなさん。 胸を張って。 今、ホールに続々と集まってきてるお客さんらは、何を見に来てるか分かりますか?

 『幸せ』 です。

 女が、きれいにして、おしゃれして、楽しそうに歩く。
 その幸せを見に来てるんです。

 見る人に、幸せを分け与えよう思たら、まず自分が、いちばん幸せな気持ちで歩かなあきません――」

 このアドバイスは、糸子が初めて洋服を着て、岸和田の街を歩いたときに、根岸先生に教わったことを踏襲している気がします。

 「糸子さん!

 私はいま、あなたにいちばん大切なことを教えてるの!

 …堂々としなさい。

 洋服を着て、胸を張って歩くということを、あなたの使命だと思いなさい」

 …もう、思い出せないほどの、遠い昔の出来事です。

 糸子は、堂々と自分を見せることを第一に、各参加者たちにアドバイスしていきますが、最後にボブヘアのウィッグをつけた加奈子のところへ来たとき、いきなり破顔一笑します。 思わず両手を口に当てて、泣きだしてしまいそうになる加奈子。 糸子はそれを、笑ってたしなめます。

 「…まだや…!

 …今からや。 まだ泣いたあかん!」

 スミマセン。 もうここで私は泣いてしまいました(笑)。

 糸子は花びらを敷きつめた籠を加奈子に手渡します。 「あんたは、このショーの大事なトリや。 ほかの子ぉらは、幸せ見せなあかんけど、あんたは、まだ一段、ごっついもんを見せる役目があるんやったな。 なんやった…?」

 「奇跡…」

 「せや!

 …あんたが、奇跡になるんや。

 ほんで、見てる人らに、奇跡を分けるんやで! …ええな?」

 「…はい…!」

 ショーが始まります。 BGMは、「銀座カンカン娘」 です。 このドラマを見ていた人なら即座に分かる、戦後オハラ洋装店のファッションショーで直子が芋けんぴをかじりながらレコードをかけていた、あの曲です。 小憎らしい演出だぁ…(泣)。
 ナレーターは、糸子が務めます。

 進行していくショー。

 おなかに子供がいる女性、ご主人を亡くされたばかりの女性。 いろんな人生を歩んできた女性が、晴れの日のスポットライトを浴びていきます。

 バックステージを見つめる糸子。 加奈子が満面の笑みで応えます。 ところが、ステージを食い入るように見つめている、加奈子のふたりの息子が目に入った途端、糸子はあふれ来る感情を抑えられなくなってしまう。
 ステージに笑顔をたたえて現れる加奈子。 けれども、ナレーターの声が、聞こえてきません。
 ざわつく客席。
 そんな時。

 糸子の様子に気付いた相川総婦長が、糸子のもとに駆け寄るのです。
 そしてマイクを持ち、ナレーターの代役を急きょ務めることになる。
 このショーの趣旨を完全に理解した総婦長の、とっさの機転です。

 『私は3か月前に、…(一瞬言い澱む総婦長)末期がんと診断されました。

 でも決めました。

 私は幸せになります。

 大好きなパパ。 大好きなみーちゃんゆーちゃん、優しい先生がた。 看護婦さんたち。 見ててね。

 私は今も、これからも、絶対に幸せです!』。

 涙を堪えながら、顔いっぱいの笑顔をふりまき続ける、加奈子。 その姿に、夫も、糸子も、感極まって泣いてしまいます。
 そして籠の中の花びらを、加奈子はその笑顔と一緒に、客席にふりまき続けます。
 人生が輝く瞬間。
 笑顔を与えることで、幸せを与えることで、その人自身の笑顔が光り輝いていく。 その人自身が幸せを享受していく。
 ステージにのぼる子供たち。
 子供たちを抱き寄せる加奈子。

 『ありがとうございます。 ありがとうございます。 皆さんにも、きっと奇跡が起こりますように!』。

 相川総婦長の言った言葉は、加奈子があらかじめ書いた原稿だったのでしょうか。 それとも総婦長が思わず口にしてしまった言葉だったのでしょうか。 それは判然としませんが、感動的なシーンを締めくくる言葉としては、最高のものだったと感じます。

 そしてそれを、遠くから見つめていた、ひとりの女性。

 それは、奈津でした。

 硬い表情のままだった奈津。 いったい何を思っていたのでしょうか。 おそらくそれは、次週、最終週へと持ち越される話になるように感じます。 ないかな?

 帰ろうとする奈津を、龍村院長が呼び止めます。 「ハーブティでもいかがですか?」。 思えば今週のキーアイテムは、ハーブティでしたなぁ。

 「(こら、天からのご褒美やろか…)」

 病院の廊下を、杖をつきながらだんじりのごとく突進していく糸子(笑)。 「待っとれ…!」 …って、果たし合いか?(爆) 糸子は、奈津に再び会うことが出来たのです。

 2002年1月。 糸子のナレーションで、イヴサンローランが引退したことが告げられます。 なんや、もう10年も前の話やったかな。 ついこないだだったよーな気がしたが…。

 そこでの彼のスピーチは、このドラマと精神的に不思議と符合するものでした。

 「うぬぼれるようですが、私は昔から信じ続けてきました。 今も信じています。 ファッションは女性をきれいに見せるだけでなく、女性を安心させ、自信と、自分を表現する勇気を与えるものです」。

 思えば、ディオールの後継者として、糸子が常に隠れたライヴァルとして認識してきたこの男。

 彼もまた、立派なこのドラマの、役者のひとりであったと言えましょう。

 一度も会ったことのないこの男に 「お疲れさん」 と話しかけながら、献杯(?)をする糸子。
 「(うちは、もうちょい、頑張るよってな)」。

 その、「もうちょい」 が、近づいてきています。




 私を悶絶させ続けたこのドラマも、いよいよ次週が最終回。

 あと1週ですから、とりあえず頑張りますが、もうこういう大傑作は、ご勘弁願いたいものであります(爆)。 最後のひと月での失速感は否めませんが、それでもなお、朝ドラ最高傑作と私が考える 「ゲゲゲの女房」 を、この時点で凌駕しております。

 とは言うものの、「ゲゲゲ」 もよかったでよ(ハハ…)。 あのドラマは、最後まで揺るぎない王道だったけど、こっちのドラマは最後まで、危なっかしくもかなり挑発的な作りでした。 あっちが聖子チャンだとすると、こっちは明菜チャン。 視聴者を過激に挑発し続けたこのドラマ。 まったく、とんだドラマを、NHKは、渡辺あやサンは、作り上げたものです。

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2012年3月17日 (土)

「カーネーション」 第24週 だんじりが、また動きだした

 先週あんなけ失望した、「カーネーション」。
 正直なところ、このドラマのレビューを熱く語ることはもうない、と思いました。

 しかし今週のこのドラマを見て、「やはり 『カーネーション』 は 『カーネーション』 なのだ」、という思いを新たにしました。
 尾野真千子サンの糸子は確かに良かった。 良すぎた。
 けれども私は良くも悪くも健忘症気味であります(笑)。
 「あれはあれ、これはこれ」 と割り切りながら見ることにいたしました。
 ものごとが自分の思い通りにならなかったからと言って、それをいつまでも引きずるのは辛気臭い。 辛気臭いのは、寿命を縮めます(笑)。

 前回のコメント欄にも書きましたが、たしかに尾野糸子編は、テレビドラマとしての出来としては、150%、出来すぎの部類に入っていました。
 そして夏木糸子編の第1週目は、どうひいき目に見ても85%程度の出来でしかなかった。
 でも、今週は95点くらいだと素直に思う。 生意気な書きかたで大変恐縮ですが。

 そのうえでまずは夏木糸子編のどこがまずいのか、悪いことを先に書いてみようと思います。
 ほめるのはそのあとです(ほんとカワイクナイねぇ…笑)。




 まず時代背景。
 昭和60年、61年あたりは、まさにバブルの絶頂期であります。
 先週も指摘しましたが、ドラマでは好景気に日本中が浮かれていて、その時代の人々の気持ちに、現代の私たち視聴者が感情移入しにくい、ということが挙げられると思う。

 特にアホボンふたりは人間としてかなり浅い。

 それに乗っかってやってきたアラレちゃんメガネの男もそうなのですが、要するにこの3人は、オハラ三姉妹のネームバリューにあやかって、小原糸子をシニアの星に仕立て上げようとしているにすぎない、と私にはどうしても思えてならないのです。
 小原糸子の志なんか二の次。 要するに儲け話にただ乗っかっているだけ。
 このアラレちゃんメガネの男が今週、いみじくも糸子に向かって面と向かってゆうてました。
 「岸和田のオバチャンが服作ってます~で売れるはずがない」、と。
 彼らの考えの根本だと思うんですよ、そこは。
 コシノ三姉妹の母親でなかったら、小篠綾子サンには岸和田の人以外にだれが振り向くのか。

 だけれども、それが世間っちゅうもんです。

 ここんところ、実はとても、夏木糸子編を見るうえでの分岐点になる気がする。

 つまり、「小篠綾子サンはコシノ三姉妹の母親だからこれだけ周囲がちやほやして、70歳を過ぎても自分のブランドを立ち上げることができて、最後までみんなから慕われたんだろう」、という目で見てしまうと、老年期の糸子編を視聴する意味自体が喪失してしまう、と私は感じるのです。

 でも、作り手が目指しているのは、「恵まれているから出来るのではない、その気があるから出来るのだ」、という、老年期の生きかただ、と思うんですよ。

 小篠綾子サンの場合はたまたまそこにステージがあった。 自分が輝くためのステージが。

 でも、そんなステージなんかなくても、日々生きていくうえで 「いよいよこれからなのだ、今日は昨日とは全く別の日なのだ」、という意気込みで生きていくこと自体に、価値があるのではないか。

 このドラマはそっちをより強く主張しようとしている。
 私にはそう思えるのです。

 このアラレちゃんメガネの男、今週半ばから、かなりキツイ仕事の鬼になっていきます。
 その方法は確かにバブル時代のそれやけど、男一匹仕事をやる以上、その意気込みに関しては好況だろうが不況だろうが関係ない、という作り手の主張が提示されていく。

 そして時代背景その2。

 優子の娘里香がツッパリ娘になっちゃったのも、要するにこれも、世の中が豊かな証拠、なんですよ。

 もしくは親が豊かな証拠。 または親が甘やかしている証拠。
 当時は 「ツッパリ」 というのが一種の流行みたいになってましたが、世の中が好景気だからこんなタワケたこともできたんじゃないでしょうかね?
 今なんか就職氷河期が長いから、こんなことしてらんないでしょう。 就職できなくなっちゃう。

 里香は糸子と一緒に暮らすことでそこらへんの自分の 「甘え」 に気付き、やがては更生していくのですが、あらためて振り返れば、アホボンたちにしても里香にしても、「景気がいいから許されている」、という緩い部分がある。
 景気が悪すぎてギスギスしている現代人から見れば、そんな彼らのノーテンキぶりがちょっとムカムカしてしまう。
 夏木糸子批判の周辺部分には、そうした構造が隠されているような気がするのです。

 そしてその、肝心の夏木マリサンなのですが。

 私が夏木サンの演技を見ていて、上手い下手とかいう次元ではなく感じるのは、「怒りの演技がとげとげしいのではないか」、という点です。

 それは夏木サンの演技を差し引いた、脚本自体にも感じることです。 少なくとも私は脚本にもそれを感じます。

 つまりセリフ自体が、かなり乱暴なんですよ。

 今までの尾野真千子サンが演じた糸子も、その乱暴さについては一緒だったと思う。

 ではなんで、尾野サンの時はとげとげしさを感じず、夏木サンの怒りの演技がきついと思うのか。

 それは、尾野サンが大阪人の機微というものを、自分なりに咀嚼して演技していたからだ、と思うんですよ。

 大阪の人間は、たとえキツイ物言いをしていても、どこかで相手に突っ込んでほしい、というような 「待ちの姿勢」 というものがある。 言いっぱなしではキツすぎるから、「はいここはツッコミを入れるところですよ~」 というボールを、相手に投げるようなところがあるように思うんですよ。

 尾野サンの演技にはそれがあった。 夏木サンの演技は、ボールを思いきり投げ込んでしまってツッコミを返せなくするようなところがある。
 関西人の機微、というものは、やはり一朝一夕には理解できないものなのかな、そう感じます(関西人でもないのによく言うよ…)。

 そして夏木編批判理由の最後に挙げたいのは、見る側が 「老い」 というものに真摯に向き合おうとしていない、という点です。

 確かに 「作品の質」 という点だけでこのドラマを見てしまうと、極上の尾野真千子編だけでいいと思われます。
 でも本当に大事なのは、「みんな年を取る」、ということなのです。
 このドラマではかなり早い時期から、少女時代の尾野真千子サンが岸和田の商店街を歩くときに、こう独白させています。

 「あっこのおじいちゃんかて、ちょっと前は、あっこまで年寄りちゃうかった。

 あっこのおねえちゃんは、よう見たら、…もうおばちゃんや。

 …うちらが大人になった分だけ、

 大人も歳とっていくんやな…」

 今度はその糸子が、紛れもなくその側に、いるのです。

 それは少女時代の糸子が想像していたよりもはるかに大変なこと。

 若者に年寄りの状態を体感させようというと、重い荷物をしょわせたり、目も耳もよく聞こえなくさせたりしますけど、実際になってみないことには、どうにも実感できないことは、否定できない。

 私自身の話をしてしまいますが、こないだ47になって、このところ 「前はこんなことなかったのに…」 と思うことがよくある。
 やたら疲れが取れないし、どうにもしんどい、と思うことが多くなってきている。

 これが60、70になったらもっともっとひどくなるんだろうな、ということは感じます。
 この、「老化」 という現象。
 これは、普段からあまりにもよく言われることであるがゆえに、なんかかえってピンとこない。 なってみないと分からない。

 その、なってみないと分からないことをドラマではやっているために、特に若い人ほど共感が得にくい気が、やはりする。
 「なんで夏木マリはあんなこれ見よがしみたいな痛がり方をするのか、どうしてナレーションをゆっくりしゃべってんのか」、という感じ方ですね。

 これは、「自分もやがてはそうなるのだ」、という目で見なければならない。
 夏木マリサンの演技の問題ではないのです。

 ある時は痛がりながら動いて、ある時はひょいひょい動いたりする、という批判もネットで見かけました。
 でも、みんなそんなもんなんですよ。
 まだらなんです。
 気持ちと体力のせめぎ合い、騙し合いで、年寄りというものは行動しているのです。

 そこを理解しないと。

 で。

 夏木糸子編のダメな部分を列挙していく、と言いながら、それに対する反論なども書いてしまいました。 ひとりボケツッコミみたいですな(笑)。

 ここまでが前フリです(あ~またかよ…)。

 おそらく今週のレビューは、先週よりは熱のこもったものになりそうです。





 月曜放送分。

 アホボンコンビが連れてきたアラレちゃんメガネの男は、商社マンの高山守(藤間宇宙サン)。
 呉服屋のアホボン栄之助の言うことは相変わらず聞いていてむずがゆくなるような歯の浮いたお世辞にしかよう聞こえんのですが、糸子はそれにいたくご満悦の表情です。
 ここらへんの構図が、やはり浮ついているように思えてしまうのは仕方ない、と感じます。
 この話に乗ってくる生地屋のアホボン譲(ゆずる)も同様だし、高山もそう。
 譲があらためて語り出す、おふくろが死んでから自分でもどないかせないかん思たという話も、いかにも取ってつけたようなお涙頂戴の域を出ていない。

 けれどもこいつらの軽さって、結構狙った演出のように思えるんですよ、あらためて見ると。
 作り手の論旨の重点は、おそらく 「こんな浮ついた話のなかでも、何かしら意味があることはどこかにあるものだ」、ということのように思える。

 それが、譲が得意げに語った、「攻撃は最大の防御」 という言葉です。
 糸子はその言葉を、いたく気に入ります。
 そしてこのどうしようもなく頼りなさげに見える連中が、自分のことを頼りにしてくれている、という気持ちが、糸子の心の、どこか奥のほうに、引っかかったままになる。
 表面だけを見ていると、「調子のいい連中にそそのかされていい気になっている主人公」 という図式しか見えてこないのですが、そんな唾棄すべき状況から、この物語、今度はこのあとくじけようとする糸子に、「蜘蛛の糸」 を垂らしてくるのです。

 とはいうものの、糸子は自分のブランドを立ち上げる、という今回の話を、いったん断ります。 オーダーメイド職人としてのプライドが、既製品のブランドを許さないのです。
 それを意地だとしみじみ、そして実に重々しく述懐する糸子に、アホボン3人組は一様に首をひねります。
 つまり、この3人は、これまでの 「カーネーション」 で繰り広げられてきた 「譲れない大切なもの」 を、頭から真っ向に否定する存在、なのです。

 「ええ~?」 ヘンな顔をする高山。
 「なんや?」 思わず訊いてしまう糸子。
 「見せなくてい~んじゃないですかぁ~意地なんか」
 「ああ?」 びっくりする糸子。 譲がたたみかけます。
 「そうですよ~そんなん先生見せてるつもりでもだ~れも見てませんてぇ~、なァ?」
 高山 「見せませんね全く」 栄之助 「ほんなもんちゃっちゃと捨ててしもて、僕らと新しいブランドこさえましょ」(笑)。

 糸子がこのあと大魔神と化すのはとーぜんの成り行きでして…(笑)。

 「お前ら、うちの、この、50年の意地、分からへんけっ?!」
 「(3人揃って首振って)分かりません~」(爆)。

 鮮やかなぶち壊しだ(笑)。 これでこそこのドラマだ。

 糸子はいったんこいつらにほだされて取ったウナギの出前をキャンセルしようとするのですが、時すでに遅し?(笑)。 こいつらはちゃっかりと特上のウナギを呼ばれまして(笑)、そのあと糸子にお手玉爆弾で追っ払われます(笑)。
 糸子はウナギとこのごろの男どもを引っ掛けて 「ヌルヌルしよってからにどないもとどめっちゅうもんが刺されへんで!」 と腹の虫がおさまらないのですが、いったん帰ったと思われた彼ら、ハートマークのラブレターをピンクの電話の都子チャンに託して、「でも、信じてます♡」 というメッセージを糸子に送るのです。 ほんまどこまでヌルヌルしてんや(笑)。
 糸子は忌々しげにそれをくちゃくちゃにしてゴミ箱に捨てるのですが。

 「(ほんでも…。

 うちのデザインが、外でそんなけ通用したちゅうこと。

 若い子ぉらが、あない熱心に商売に誘ってくれたこと。

 …じぃんわりとうれして…。

 気持ちにも張りが出るっちゅうもんです)」

 と、くしゃくしゃにしたメッセージカードを、また拾うのです。

 にしても、この独白シーンで、糸子はん、まだ足踏み式ミシン使うてましたで(笑)。
 とっくに電動式にした思てましたけどな。

 この経緯を、直子の電話で報告する糸子。
 直子はアホボンたちの目のつけどころに感心したようです。
 しかしプレタをやることの大変さを身に沁みて分かっている直子は、糸子に 「やめときや」 と釘を刺します。 ちょっと鼻っ柱が折れたような格好の糸子は、憤然と 「わかっとるわ!」 と言い返すのですが。

 夕食時。
 テレビでは中森明菜チャンが 「ミ・アモーレ」 を歌っているのですが、今週このあと本人がご登場…ちゃうちゃう、でもここですでにサブリミナルが行なわれてたか…(笑)。
 後片付けを里香に任せた糸子、里香に気難しい言葉を吐いたことを、ちょっと自嘲します。

 「(はぁ…難しいなあ、年寄りっちゅうもんは…)」。

 ここらへん、なんですよね。 深さが出せるかどうかの分かれ目って。
 つまりさっき述べた、「大阪人気質」 なんですが。
 糸子は 「今日(の後片付け)はおばあちゃんの順番でしょ?」 という里香に、「たまには 『私が代わるで』(ニカッ)くらい言わんかいな」 と突っ込む。
 大阪人はここで、相手に気の利いたリアクションを求めている、と思うんですよ。
 でも夏木サンの場合、ツンケン言い過ぎて、そこに可愛げが出てこない。
 もちろんここで尾野サンがこのセリフを言ったとしても、里香はよう反応できません。 里香は東京人ですから。
 でも夏木サンの言いっぷりで、糸子の気の強さが余計に際立ってしまう。
 …申し訳ないです、勝手な論理で。

 糸子は手すりにつかまり、階段をのぼりながら、考えます。

 「(ほんまは、年寄りかて、機嫌ようしてたい。

 せやけど、体が、それを許さん。

 痛い膝。 痛い腰…)。

 重たい体やなぁ…」

 思わずつぶやいてしまう糸子。

 次の瞬間、手すりから手が滑ってしまいます。

 階段から転げ落ちる音。 駆けつける里香。 呻き続ける糸子。

 「おばあちゃん…! 大丈夫?! 救急車呼ぶからね!!」

 それまで出来ていたことができなくなる、というのが 「老い」 というものです。 注意していても、やってしまうのが、「老い」 ということなのです。





 火曜日放送分。

 商店街を駆け抜けてくる優子。
 オハラ洋装店の入り口には、「臨時休業」 の張り紙が。
 里香と出くわす優子ですが、里香は仏頂面でなにも答えません。
 そこに従業員の浩二(小笹将継サン)におぶわれて、直子と一緒に糸子が帰ってきます。 足には包帯。 骨折です。
 「なんでこない遅くなったんや?」 と優子をなじる直子、ふたりはまたきょうだいゲンカを始めるのですが、糸子にたしなめられます。
 1階には大きな介護用ベッド。 優子と直子が入れたらしい。 介護用というのが気に入らない感じの糸子ですが、そこに都子チャンが、「向かいの兄ちゃんから」 と言って、見舞いのお花を持ってきます。 金券ショップの兄ちゃん、ええとこあるな。

 糸子はまわりが止めるのも聞かずに、不慣れな松葉づえをついて、金券ショップの兄ちゃんにひと言、お礼を言いに行きます。
 誠意には誠意で応える。
 商店街の昔からの人々をすべて失ってしまった糸子にとって、新しい顔のひとりひとりが大切なんだ、と感じましたね。 向こうが素っ気ないからようつきあわん、では、世界が広がっていかない。
 なんで金券ショップの兄ちゃんが見舞いの花を贈ってきたか、と言えば、糸子がもともと開店当初から、何かと気を遣ってきたからであり。
 何かを人にしてあげれば、その分自分に帰ってくるものがある。
 ちょっとしたシーンだったのですが、その大切さというものを感じましたね。

 「(はぁぁ…。 情けない…。

 歳をとるっちゅうことは、当たり前に出けるはずのことが、出けへん。

 …その情けなさに耐えること。

 しかも、いま出けてることも、これから先、どんどん出けへんようになっていく。

 …その、怖さに耐えること。

 たったひとりで…)」。

 夜、ベッドの上でひとり考える糸子。

 糸子の脳裏には、あんなけ騒がしくて華やかだった昔のまぶしい光景が、浮かんでいます。 晩酌をしながら笑う善作、千代や静子たち、ハルおばあちゃん。

 「(なんでやろ。 この家で、いろんなもんを、生んで増やして、育ててきたつもりやのに、結局、ひとりになってしもた…)」。

 ケンカをする幼い日の優子と直子。 布団をかぶせてそれを叱る、若き日の糸子。
 そしてかつての小原洋裁店の、多忙極まりない様子。

 回想シーンはもう、すっかり入れないものだ、と思っていました。
 それがこのドラマの潔さなのだ、と。

 ところがこの回想シーン、現在の糸子の孤独を、これ以上ないというふうに、揺さぶりまくるのです。
 効いた。

 家族が余すところなく、家に全員いる時代。
 どんな家庭にも、そんな時代があるものです(例外はありますけど)。
 子供たちは誰も塾にも行かず、ましてや友達と夜遊びして帰ってこないこともない。
 とりわけ子供たちが手のかかる時代は、目の回るような忙しさではあるのですが、それがそのまま、家族というものの喜びに直結している。
 そのうちに、ひとりいなくなり、ふたりいなくなる。
 ある者は亡くなり、ある者は巣立っていく。
 そしてある時、死んでゆくのも自分ひとりなんだ、ということに否応なく気付いていく。
 その寂しさ。
 それが老いた者の、孤独の本質だと思われるのです。
 ましてや今の糸子は、怪我をして自分の体力の限界を痛すぎるほど感じている。

 この回想シーンで、すべてはこの、老いた糸子の孤独を表現するためのお膳立てに過ぎなかった、みたいなことまで感じる。

 年老いた糸子は、暗がりで、逝ってしまった人々の写真額を眺めます。

 「(どっかで、なんか間違えたんやろか…。

 それとも、そもそも人間が、そうゆうもんなんやろか…)」。

 北村の写真が、目に入ります。

 「(…ここで泣いたら、あいつの思うつぼじょ…)」。

 糸子は、ぐっと唇をかみしめます。 「…うちは泣かへん…。 泣かへんで」。

 北村に対して糸子は、死んでも対抗心を燃やしているように思えます。
 でもそれは、意地を張っているわけじゃない、と私は思う。
 北村に対して毒づくことで、自分を奮い立たせようとしているのです。
 そしてそれで、北村と一緒に生きている、という、寂しさを紛らわすための一助になっている。
 これはかなりひねくれた、北村への愛情だと感じる。

 そこにそろそろとやってきたのは、里香です。
 「お母さんたちのいびきがうるさくて眠れない」。
 糸子は、そばで寝てくれる者がいる、という気やすさに、微笑みます。 「お休み」。

 「おばあちゃん」

 「…うん?」

 里香は、つぶやくように話します。

 「私が、いるから」。

 糸子は自分の孤独を見透かされたような表情をします。

 「いるから。 …ずっと」。

 糸子は孫の言葉に、思わずこみ上げてきてしまいます。
 嗚咽を押さえようとする糸子。
 でも、その小さな息遣いは、里香の耳には届いているはずです。

 泣けました。 夏木糸子に泣かされるとは(ハハ…)。 でも、これでこそ 「カーネーション」 です。

 翌朝。

 介護用ベッドで食事を取りながら、糸子はNHK連続テレビ小説 「いちばん太鼓」 を見ています。
 これ、すごく奇妙な光景でしたね。
 こういう場面って、過去の朝の連ドラにあったかなぁ?
 朝の連ドラの主人公が、別の朝の連ドラを見てるなんて(笑)。
 私、あまり詳しくないんで分かんないんですが、私の見た範囲では、こういうことってなかった気がする。
 かなり奇妙で、ニヤニヤしてしまうようなシーンでした。
 ただこの画面、アナログ放送のクセしてゴースト(二重映り)とかがない(笑)。

 そこに優子と直子がやってきます。 話がある、昼の再放送見たらええやろ?と糸子にテレビを消させるのですが、伝え聞いたエピソードだと、この親子、自分たちの話が朝の連ドラになればいいよねなんてしゃべっていたらしい(笑)。 そんなエピソードを想起させる場面でした。

 ただここで娘たちが切り出したのは、糸子の引退を勧める話。
 糸子はその話のとっかかり部分から、すでに相当、腹に据えかねたような表情をします。
 糸子は、娘たちが自分を当てにして経理やら代理やらいろいろ頼みごとをすることを楯にとって、それを拒絶します。
 しかし。

 優子 「ああ。 この際やからゆうけど、あれはうちらが、あえてやってたことや。
 お母ちゃんが仕事好きなの知ってるよって、お母ちゃんの負担になりすぎへんなようなことをちょっとずつ頼むようにしてきたんやし」
 直子 「なんも自分らのためとちゃう。 お母ちゃんのためや」
 優子 「せやけどあんな仕事、ほんまはどないでもなんねん」

 糸子が先週自負していた、「まだまだあの子ぉらは頼りない。 自分はまだまだ頼りにされてる」 という思い込みは、そのプライドは、その時点でズタズタにされるのです。
 この容赦ない話の運び。
 やはり 「カーネーション」 です。

 娘らは東京に来い、そのほうがうちらも助かる、岸和田でひとりにしてるよりよっぽどマシや、とまで言い募ります。 糸子はかなり、呼吸困難になるほど、怒りがこみ上げています。

 「帰れ」。

 糸子は怒りを激しく押さえながら、ようやく一言言い返します。

 「帰れ、帰れ! あんたらさっさと!」

 監視役みたいにしてすでにそこに座っていた里香が、糸子の怒りを見越して、席を立ちます。

 「うちに仕事辞め! 引退して、ゆっくりせい! あんたら、うち、殺す気かっ!」

 里香が持ってきたのは、お手玉爆弾(笑)。 糸子はそれを受け取ると、鬼は外!とばかり、娘たちのほうも見んと、それを投げつけます。 「帰り! 帰り! ほれっ! さっさと!」。

 娘たちはほうほうのていでその場を去っていきます。

 再び朝ドラを見始める糸子。

 「(ほんでも、確かに、今のうちは、自分で投げたおじゃみ(お手玉)も、自分でよう拾わん…)」。

 糸子はそれを拾って歩く里香を、優しい目で見守ります。
 「…そんなことせんでええ」。

 そして再び、テレビのほうを向き直ります。

 「こんなとこ居てんでええ…。 あんたは、東京帰りや。 はよ」。

 はしごを外されたような表情の里香。

 糸子は、ともすれば甘えてしまいそうになる孫に対して、あえて冷たい言葉を投げかけ、しずかに決意するのです。

 「(うちは、立ち上がらなあかん)」。

 …

 うーん。

 ようやく 「カーネーション」 らしさが戻って来たぞ。
 どうして里香というキャラクターをクローズアップさせたのかも、ようやく納得できてきた。
 里香をもってくることで、糸子の孤独感が増幅するんですよ。
 いくらなんでも、孫に頼るわけにはいかない。
 それが糸子の決意に、最終的な拍車をかけているんですよ。
 なにも娘たちに軽く扱われたから、意地を見せようとしてプレタを立ち上げる決意をしたわけじゃない。
 確かに高齢者たちのプレタを目指そうとしたことはあったかもしれないけれど、このドラマでは、その決意の最後の一石を、里香の存在に帰している。





 水曜放送分。

 くしゃくしゃになったハートのメッセージカードを、じっと見つめている糸子。
 悩みまくった末に、糸子はアホボンの一員、譲のところへ電話をかけます。
 出てきたのは譲の父親(佐川満男サン)。 「攻撃は最大のなんちゃら、というのを聞きたくて…」 と、糸子は照れ隠しに言うのです。
 譲からの折り返しの電話を待ちわびる糸子。
 夜も更けて、ようやく譲から、「夜分遅なって、すみませ~ん」 と相変わらずの間の抜けた声で電話がかかってきます。
 糸子はおずおずと、「うち、やるわ」 と話します。 「自分のブランド、始めるわ!」。

 早速行動を開始したアホボントリオ(いっしょくたになっとる…)。
 いきなり骨折して動けない状態の糸子を見て驚きます。
 糸子は構わず、半年後の7月20日を発表の日にちと決め、プロジェクトを精力的に開始しようとするのです。
 高山のアパレル商社マンとしての能力が、ここで頼もしく発揮され始めます。
 だんじりが、再び動き出したのです。

 また例によって小競り合いをしながらやってきた優子と直子。
 娘たちに糸子は、言って聞かせます。

 「だんじりはな、その…重たいやろ。
 重たいもんが走り出したら、止まらんのやな、これが。
 そら、誰がなんちゅうたかて、止まらん。
 まわりはまあ、余計な心配せんと、はぁ~ちゅうて見といたらええ」

 優子と直子は、自分たちの経験をまた持ち出して、お母ちゃんにプレタは絶対無理や、と断言するのですが、糸子は 「もう決めてしもた!」 とにべもない。

 「まあ…心配かけるけどやな。 かんにんな。

 うちはやっぱし、こうゆうふうにしか生きられへん。

 そら、どんなけ大変な仕事か、うちかて、よう知ってる。
 せやさかい、もう初めてしもてから、まあ落ち着かんし、ヒヤヒヤもソワソワもしてるわ。

 けど、ひっさしぶりになんしゅうかこう、…オモロイんや。

 ほんま、オモロイ。

 夜、寝るのが惜しゅうて、朝、起きるんが楽しみでな。
 こんなん、いつぶりやろか、フフ…」

 そう言えば、壮年期に入った糸子が、聡子のことに手を焼きながら、いつまでも夜遅くまでミシンを手繰り、朝、泥のように寝ていた時期がありました。
 あの時からずっと、糸子のなかには、この時のことが無意識のうちに準備されていたのでしょうか。

 優子は子供でも見るような目つきで、自分の会社の庇護のもとでやればいい、と提案してきます。 糸子はそれに対して、プレタを始める以上はあんたらかて敵や、という態度を見せるのです。

 「ほんな、敵に塩送るような真似したあかんで。 うちかて、あんたらみたいな商売敵からほんな情け受けたない。

 この、今のうちのおもろさはな、自分の身銭切ってこそなんや。 自分の体で、崖っぷち立たんことには、絶対ここまでオモロないよってな。

 …
 うちはオモロないと嫌や!

 オモロイん諦めて、生きてなんかおれるかいな!」

 「そのほうがオモロイ」。

 これは善作が糸子に残した、もっとも基本的な人生訓です。
 それはでも、なんでんかんでんオモロければいい、という性格のものでもない。
 ミシンを買うために、陳列棚に合った商品を全部売っぱらった善作の、背水の陣という精神が、この糸子の中に生きている。

 けれどもそのツッパリは、その後もろくも挫けてしまうのですが(笑)。

 優子は帰り際、里香にお礼を言います。
 たまたまだったかもしれないが、あんたがいたことでホントに助かった、と。
 里香は一瞬表情を緩ませますが、また厳しい表情に戻ります。
 「おばあちゃんだって、あんたが自分のために高校に戻らずにいるなんて、絶対望んでない」。
 母親の最後のひと言が、里香の心にいつまでも残ります。

 翌朝、里香は早速糸子にインタホンで起こされます。 みそ汁は煮込むな。 基本ですな(笑)。 口うるさい糸子の復活です。 朝ドラを見ながら、「ここで終わりかいな!」(笑)。
 自分が後年そのヒロインになろうとは…(笑)。

 「(さあ、だんじりは走り出しました。 もう止まりません)」。





 木曜放送分。

 消息不明(死亡?)の昌子と松田恵。 その回想が冒頭で流されます。 どないなったんでしょうなァ。 相変わらず不親切このうえない作りを踏襲しております。
 糸子に文句ばっかり言っていたこのふたり、それに比べれば、現在小原の店にいる浩二とピンクの電話の都子チャンは、まあ店が忙しくないのもありますが、かなりのんびりタイプ。
 そのふたりに、これから忙しくなる覚悟をしてくれ、と糸子は言うのですが、まずアラレちゃんの容赦ないレクチャーに音をあげたのが都子チャン。
 アラレちゃんはあまりに飲み込みが悪いピンクの電話に、舌打ちをしてしまうのですが、それに過敏に反応したのが都子チャンのほう。 アゴの肉をブルブルふるわせて、瞬間湯沸かし器のように激怒しまくります(笑)。
 「舌打ちはいかんな」 ととりなす糸子ですが、「舌打ちはあんたの専売特許やろ」 ゆいたくなります(笑)。

 それに比べて浩二のほうは、巨漢、ちゃうちゃう、神経細そうなクセして結構辛抱強かったりしてます。
 プレタの立ち上げの大変さが、まるで都子チャンに集中してるみたい(笑)。

 アラレちゃんとピンクの電話の攻防戦が次第に険悪なムードを高揚させていくに従って(笑)譲や栄之助を加えたチームイトコも、かなり個々の成長が促されていくような描写が続いていきます。
 それを陰で支えていく里香。 カレーライスを作ったりしながら、チェッカーズとの仲を深めたりしています(はしょってんなあ)。 カレーライスと言えば糸子が初めて食べたのは、玉枝の作ったそれでしたが、箸で食べてたころと比べて、だいぶ様変わりしたようです。 「誰でも作れるて」 というのも、時代ですよね。

 そんな忙しさが極まっていくなかで、糸子は不意にめまいがして、倒れてしまいます。

 「(調子乗って無理しすぎる…。

 うちの人生、何べんそんで怒られてきたことか)」。

 私がそれで真っ先に思い出したのは、結婚式の日に動けなくなった糸子を担いで爆走し、「このブタ!」 と罵倒しまくった奈津でした。
 この奈津、来週江波杏子サンになって、登場するらしいですね、予告では。
 楽しみだぁ~。

 担ぎ込まれた寝床で、糸子は悶絶しながら、里香に 「お母ちゃんらにゆうたらあかんで」 と口止めします。
 その翌朝、お父ちゃんらの遺影を見ながらひとり思う糸子。

 「(相変わらずアホやなァ、ちゅうて見てんやろ)…その通りや…」。

 そして。

 イトコブランドの宣伝に際して、高山が言ってきたのが、オハラ三姉妹のネームバリューを最大限に活用しない手はない、という、さっき述べたあれでした。 糸子は娘たちに啖呵を切ったこともあって、乗り気ではありません。

 「そんな甘っちょろいこと言ってる場合じゃないですよ!
 先生。 いま全国で、どれだけの人がオハライトコを知ってます?
 『岸和田の洋裁屋のオバチャンが作った服です~』。 そんな地味な話に誰が耳貸すんですか?
 オハライトコにはどんな価値があるのか。 そこにもう乗っけられるだけのものは乗っけていかないとダメなんです!」

 「ん~~~っ、むう~~っ、ムキ~~っ!」

 地団太を踏む糸子ですが、この資本主義社会のシステムには負けた…(笑)。

 「隆ちゃん(都子チャン)、コイツ、腹立つ!」

 都子チャンは涼しい顔です。 「知りませ~ん。 うちはちゃ~んと耐え抜きましたよって、先生も耐えてくださ~い」(笑)。





 金曜放送分。

 「(はぁぁ…。 ほんな、ブサイクな…)」。

 自分じゃ到底頼めないからと、高山に全権委譲した糸子。 苦虫を潰した顔をしながら、北村の写真額に語りかけます。

 「(あんたぁも、欲かいちゃ損してたけどなぁ…。

 うちも、格好つけちゃあ恥かいてるわ)」。

 自分の志とかプライドとか、あっさりと周囲の状況に押し流されてしまう。
 プライドで飯は食えん、と申しますが、「売れるために自分を曲げる」、というのは、どんな仕事でも付きまとうものです。
 画家が何かのシリーズ物を出すときは、それが売れるから仕方なく自分を殺して描いている。
 マンガ家も、アラレちゃんを描いた人はやはりコメディを要求される。 「ドラゴンボール」 も最初コメディでしたよね。
 自分の思い通りに傲慢に仕事を進められる人なんて、実はこの世にほとんどいない、と言っていいのではないでしょうか。 売れる売れないのはざまで、みんな生きている。
 自分の思い通りに生きたい人は、まず採算を度外視して、まるで道楽みたいにしてその仕事をしなければならない。

 いずれにしてもロンドンにいる聡子まで引っ張り出し、オハラ三姉妹を勢揃いさせる、ということは、実に宣伝効果が抜群の手法だったと言っていいでしょう。
 「あんなけ仲が悪いのに」 とかドラマでしゃべらせていいのか?って、もう優子と直子の喧嘩はこのドラマの定番ですからね(笑)。

 里香は招待状の住所を書いたりして下支えしながらも、ある夜、数種の薬(サプリメント?)をつらそうに飲んでいる糸子を見つけてしまいます。
 出来の悪い縫製を許す高山を烈火のごとく叱責し、自分でやらなあかん、とばかりミシンを漕ぎ続ける糸子。 膝が痛くてやはりとてもつらそうです。
 ある夜、ミシンのイスから立ち上がろうとして倒れ込んでしまう糸子を見て、里香はとうとう、「やめて」 と涙ながらに訴えてしまいます。

 「見たくない。 おばあちゃんが苦しんでるところ…」

 糸子はひっくり返りながらも、笑ってしまいます。

 「ほうか…。 あんたには、うちが、苦しんでるよう見えるんけ。

 そら、誤解や。

 うちはな、苦しんでなんかない。

 夢中なだけや。

 人間、ほんまに、夢中な時は、苦しそうな顔になるもんなんや。

 運動の選手とかかて見てみい。 みんな、試合中は苦しそうやろ。

 フフフ…。 おおきに…。 おおきに。 心配要らんで」。

 糸子は孫の頭を、優しく撫ぜるのです。

 昭和61年7月。

 聡子のロンドンの店の黒人スタッフ、ミッキーが金券ショップの兄ちゃんに、色目を使ってます(笑)。 聡子がロンドンから、帰ってきたのです。
 そしてオハラの母娘は、揃ってテレビのワイドショーに出ることに。
 「(人生、何が起こるか分かりません。

 お父ちゃん。

 お母ちゃん。

 勝さん。

 おばあちゃん。

 うち…)」。

 仏壇に手を合わせる糸子。

 「ワイドショー出てきます」(笑)。

 そしてテレビ局。

 緊張気味の糸子の前を、中森明菜チャンが通り過ぎていきます(そりゃ、当人じゃありませんが、これって脚本家サンの意向なのかな?…笑…スタッフの意向なのかな?)(とにかく明菜チャンへのラブコール、と見ました、ワタシ…笑)(孤高の存在の明菜チャンは、いかにもこのドラマと合ってますね…)。

 そしてスリートップの行進(笑)。 そして本番。 そして神戸…ちゃうちゃう(このギャグ使い過ぎかなァ)。 糸子は3人の娘を、緞帳から見守ります。

 優子 「えー実は、小原家には、優子、直子、聡子のほかに、もうひとりのオハラがいるんです」 直子 「人生の師であり、仕事の大先輩。 母親というより父親という感じの人」 聡子 「ほんまに怖い。 子供のころからとにかく怖い。 けど、大好きです」。

 3人 「せーの。 お母ちゃ~~ん!」。

 「はーい」。

 このような場がなければ、娘たちから自分が、このような改まった紹介をされる機会はなかったでしょう。 あらためて娘たちが自分のことをどう思っているか、有り難いなあ、という表情で聞いていた糸子が、娘たちに呼ばれて、出ていきます。

 「小原糸子でございます。 よろしゅうお願いいたします」。

 それは、72歳にして初めてスポットライトを浴びた、ひとりの女性の姿です。
 確かに小篠綾子サン、という人は、コシノ三姉妹という存在がなければこういう場に立つことはなかったように思えます。
 でも冒頭に書いたとおり、状況的に恵まれているからそう出来るのではなく、その気があるからそう出来るのだ、ということを、私たちは学ばなければならない、と感じる。
 他人が恵まれていることをうらやんでも進歩はありません。
 人生の表舞台は、なにもテレビに出ることであるわけでもない。
 一生懸命に生きている人ならば、目に見えないスポットライトは、いつも当たっているのだ、と私は思うのです。





 土曜日放送分。

 昭和61年7月20日。

 オハライトコブランドの発表会です。

 カメラの砲列。 新聞社の注目度もかなり高いことがうかがわれます。
 糸子の晴れの日を見届けた格好の里香。 母親の優子に、帰って高校に行くことを告げます。
 クタクタの様子のアホボントリオ。
 彼らも彼らなりに、成長したようです。
 バブル期がどうだとかばかり私も書いてまいりましたが、実はこの手の発表会とかパーティとか、その規模は、現在なんかに比べればはるかに大きかったのではないか、ということは指摘せねばなりません。 今は不況で、動員もなにもチョボチョボですからね。 その点ではいかなアホボンといえども、その仕事量はハンパではなかった、と思われるのです。

 「ほかのよほどでかいネタに押されない限り、これは新聞に大きく載りますよ」 と景気をつける高山に、まんざらでもない表情の糸子。
 ところが…。

 翌日の新聞を飾ったのは、「中村冬蔵、人間国宝に」(爆)。

 いや~、私も以前の記事で、「ひょっとしてこの人、人間国宝になるのではないか、作り手はそこまで考えているのではないか」 と書いていたのですが、まさかこのタイミングだったとは…(笑)。
 とにかくこの記事に押されて、オハライトコブランドの記事は片隅に追いやられ…(笑)。

 「クッソぉぉ~~っ…。 春太郎おおおおーーーっ!」(爆)。

 糸子の雄叫び(雌叫び?)が、岸和田を駆け巡ります。

 そして、里香との別れの日。

 「行くか?

 悪いけどうちは見送り行かんよってな。 忙しいさかい」

 「うん」

 糸子は通り一遍の型どおりのあいさつをして、そそくさとその場から離れようとします。
 孫と離れるのが、やはりどこかつらいのです。

 「おばあちゃん!」

 里香が糸子を呼びとめます。 「ありがとう…ございました…! また来ます…!」

 「うん。 …ほなな!」

 糸子は里香に顔を見せずに行ってしまう。
 里香は泣きながら、糸子がいなくなったほうを向いて、深々とお辞儀をするのです。

 そしてその夜。

 里香がいなくなった食卓。
 がらんとした空気の中で、糸子はひとり、夕食を食べ終わります。
 そこに里香から電話が入る。 「今度のだんじり祭りに行くから」 とだけ告げて、電話は切れます。
 そっけない孫の電話に笑いながら、またひとりぼっちを噛みしめる、糸子。

 「(東京へ…帰ってしもたから、なんや。

 …あっちへ、逝ってしもたから、なんや…)」

 亡くなった人たちの写真を見守る糸子。

 「(寂しいんは、うちがほんなけ、相手を好きなせいやないか…)」

 糸子はまるで強がるようにニコニコ笑いを顔じゅうに作りながら、あらためてひとりごちするのです。

 「うちの人生、フフフ…。 もう…好きな人だらけで、困るっちゅうこっちゃないか…ヘヘヘヘヘ…」。

 作り笑いしながらも、涙がこみ上げてしまう糸子。 目頭を恥ずかしそうに押さえます。 泣けました…。

 「ああ~…。 結構な話や…。 フフフ…」。

 そしてまた目に入る、北村の写真。

 「いや! あんたんこと違うや!」。

 いかにも憎々しげに吐き捨てる糸子。
 さっきも書きましたが、それが糸子の、糸子なりの、かなりねじくれた愛情だ、と思うのです。
 そこにはやはり、「ツッコミ待ち」、という大阪人の機微は入らないのかもしれないが、強がることで強調される悲しみ、というものもある、と思うのです。
 糸子はやはり、この純然たる 「ケンカ相手」 には、いつまでも生きていてほしかった。

 そこにチャイムが鳴ります。 金券ショップの兄ちゃんが、たい焼きを持ってきてくれたのです。
 糸子は呼ばれながらも、兄ちゃんに食事をふるまいます。 ハルおばあちゃんから連綿と続いてきた、イワシの煮付けをおかずに出しながら。
 生きていくということは、新しい人と会うこと。 その人と仲良くすること。 知り合いが、どんどん増えていくこと。
 どんなけ糸子が有名どころになっていったとしても、この物語がいちばん大事にしているのは、ここだ、と思うんですよ。

 そしてだんじり祭り。

 オハラの店は、娘たちの連れてくる孫たちやアホボンたち(笑)、糸子のコミュニティの人々で、またにぎやかになっています。 木岡や木之元のおっちゃんたちがいなくなっても、年に一度のだんじり祭りは、糸子の寂しさを忘れさせてくれる、大事なイベントなのです。
 すっかりナチュラルに戻った里香。 ママの作る服よか聡子おばちゃんのセンスのほうがいいなどと憎まれを聞きますが、素直ないい子に戻ったようです。
 里香はだんじりを見て、あらためてつぶやきます。 「怖いだけかと思っていたけど、こんなにカッコよかったんだ…」。
 それはそのまま、里香の糸子評につながっている気がする。

 そして里香の、チェッカーズ君(笑)との小さな恋は、静かに深く潜行しているようなのであります(笑)。





 まああと2週間ですから、このままのペースで書くだろうとは思いますが、次回作 「梅ちゃん先生」 では、かような過酷なレビューはもう勘弁してもらいたいものなのです(正直言えば、早々にリタイアさせてもらいたい…笑)。
 それにしてもあの壮大な、極上のディナー(尾野糸子編)を前菜にしてしまう、このドラマの不敵さ。
 どっちがメインやねん、という突っ込みは確かにあります。
 回想シーンがこれだけ効果的である、というのも、確かに回想の質が良すぎるからなのではあるのですが、そこから糸子の老年期の寂しさを演出したこのドラマの孤高を、私は讃えたいのです。

 つまり、このドラマは、徹頭徹尾、見る側に優しくない。

 だんじりのような強引さを、里香が感じていたように、「怖いばかりだ」 と思う向きもあるでしょう。
 でもその潔さでもって、見ている者を振り回しながらも、深く胸に残る作品として成立させている気がするのです。

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2012年3月11日 (日)

「カーネーション」 第23週 そのあとの世界

 昭和60年10月早朝。

 竹の子族みたいななりのギャルが、岸和田商店街を歩いていきます。
 真っ赤な口紅。 ガムをくちゃくちゃ噛んでいます。 それは優子の次女、里香(15歳、小島藤子サン)。

 そしてすっかり様変わりしてしまった、オハラ洋装店。 里香はそこに入っていきます。

 ショートカットの女が、寝床で寝ています。 72歳になった糸子です。
 里香が、それを起こします。

 「ばあちゃん。 朝」。

 「ん…ん~、んん」。

 糸子は寝床でグーパーと、屈伸運動をして、やおら起きあがります。

 「(歳をとりました…)」。

 寝床を片付ける、72歳の糸子。

 「よっこらせ…」(笑)。

 なんだなんだ、面白そうだぞ(笑)。



 …と先週書いてしまった、夏木マリサンの糸子誕生シーンでしたが。

 今週1週間分を見た正直なところを忌憚なく申し上げます。

 極上のドラマから、フツー(よりちょっとは上)のドラマになってしまった、と感じます。

 私の場合、毎週1週間分1時間30分をまとめて見ているこのドラマ。 今週は途中数か所、寝てしまったことを白状します。 今までこんなことはなかった。
 毎週毎週、疲労のなかで見ている条件は同じなわけですから、話が緩慢になっていたとどうしても判断せざるを得ない。 今週、いつものように、話がスッ飛んでいかないんですよ。 展開が遅い。 一休みしているだんじり、という感覚でした。 もしかするとこのだんじり、来週からまた動き出すのかもしれないけれど。

 そして緩慢なわりに話が比較的緻密さを維持しているために、肝心な場面を見逃してしまうこととなり。
 余計についていけなくなり。
 結局もう一度見る羽目になりました。

 ただ、一方的な感情でこれを責め立てる、という気になれない、というのも、また偽らざる感想なのです。 どうにも奥歯にものの挟まったような書きかたで恐縮なのですが。

 つまり、小篠綾子という人の人生を描くうえで、どうしてもこの老年期の話は必要不可欠なものだ、と私も思うからです。

 小篠綾子サンは、70歳を超えて、自分のブランドを立ち上げる、という大仕事を成し遂げた。
 それがどんなに大変なことか、先日の 「NHKアーカイブス」 での小篠サンの特集番組で、私も刷り込まれました。 膝が痛くて言うことを聞かない、そんな体力的にも精神的にもきつかった彼女が、プライベートブランド立ち上げでどれだけ苦労したか。
 それが分かるからこそ、老年期描写の必然性を感じるのです。

 物語としても、「明日は明日の風が吹く!」 とスカーレット・オハラみたいに、彼女が若いまま、将来に希望をつなぐ作りで終わらせるという方法もあり得るのですが、この超高齢化社会において、それだけではどうにも浅い。
 その老年期の生き方を描くことには、とても重大な意味があると思われるのです。
 自分の人生をどのように締めくくるのか、というのは、誰にとっても避けることのできない課題です。
 このドラマを見ているのが若い世代であればある程、その重要性は遠い先の話なのではないでしょうか。

 そんなこのドラマでもっとも誤算だったと思われるのが、先週まで糸子を演じた、尾野真千子サンの演技が、あまりにも素晴らしすぎた、ということ。

 彼女の演技が何もかもを飲み込み、彼女なしでは小原糸子は成立しない、とまで見る者に強いインパクトを与えてしまった。

 さらにその脇役たち。

 その完成度があまりに高すぎた。

 これは尾野サンをはじめとした、出演者のひとりひとりが、脚本の咀嚼能力に非常に長けていた、ということの証左なのかもしれない。 または切磋琢磨の結果なのかもしれない。 千代、昌子、松田恵、、八重子、ほっしゃん。、そして三浦組合長…。

 今週繰り広げられた糸子の老年期の話が必要不可欠であればある程、尾野サンたちの熱演が誤算となっていく。 これは大きな皮肉です。
 なぜなら役者たちは、自分に与えられた役を、ただひたすらに持てる力以上のものを出して演じていくしかないからです。 彼らを責めるわけにもいかないし、それを誤算だ、というのも尾野サンたちに失礼にあたる。

 だからかもしれないが、夏木編のこのドラマでは、三姉妹を除外して、脇役たちを一斉に粛清しにかかった。

 必然的に残るは夏木マリサンのみ。

 夏木糸子だけが、尾野糸子との比較にさらされるという結果になっています。

 あとはみんな死んじゃってる(もしくは消息不明)。 だから、比較のしようがない。
 夏木サンはとてもよくやっていると思うけれど、相手が悪すぎる、と思うんですよ。 尾野真千子と比べられたんじゃあ。 結果、視聴者からの批判の矢面に立たされて、とても気の毒だと感じる。

 ただ老年期の描写を不可欠だと判断した以上、これは避けられないことでして。

 夏木サンの演技に尾野サンの演技をオーバーラップさせながら見るのは、とても間違った視聴方法だと思います。
 けれども、そういう見方も視聴者心理としては致し方なし、とも思えます(どうもどっちつかずの論調だな…笑)。

 私が夏木サンの演技を見ていて感じるのは。

 尾野サンが 「岸和田弁については目をつぶって」 とおっしゃっていたからあえてそこは突っ込みませんが(だって関西人じゃないから分かんないモン…笑)、尾野糸子が枯れるとこうなるかな、という気はとてもします。
 お上品に見えるのかもしれないが、でもそれは、尾野糸子が舌打ちしたりゴロ寝したり、あまりにも朝ドラヒロインとして品がないことをやり続けていたからそう感じるのであり(笑)。
 そしていちばん感じるのは、尾野サンより夏木サンの演じ方のほうが、より本物の小篠綾子サンに近いのではないか、ということ。
 夏木サンは実際の小篠綾子サンと懇意だった、と聞いています。
 そんな夏木サンが演じる糸子は、やはり先日見た 「NHKアーカイブス」 での小篠綾子サンご本人と強くダブる。

 老年期の糸子をドラマのクオリティを下げない、というレベルでもし人選すれば、以前コメント欄に書いた記憶があるのですが、倍賞千恵子サンあたりがいいんじゃないか、と感じます。 骨格が尾野サンと似てるし。 でもそれでも力不足の感がある。 ずいぶん失礼なことを書いていらっしゃいますね、アータ(夏木サンにも倍賞サンにも、ただひたすら申し訳ないです)。 でもそれだけ、尾野サンの演技レベルはすごい、と感じるのです。 彼女は若き日の大竹しのぶサンみたいな感覚がする。

 そして糸子と三人の娘以外、誰もいなくなったこのドラマ。

 すごいですよね、考えてみれば、作り手のこの決断。 全員いなくなっちゃったんですよ。 昌子も、松田恵も、北村も、八重子も、千代も、木岡夫妻も、木之元夫妻も。 みんな死んだの?

 でもドラマを見る限り、みんな死んじゃったんでしょうね。 消息不明気味なのが、奈津だけかな。 分からんなー。 でも木岡木之元、ご夫妻とも全滅ですか…? んんんー、…すごいバッサリいっちゃったもんだ…。

 でもですよ。

 そこから見えるものも、あるんですよ。

 つまり昭和48年の糸子は、その後12年間で、自分の人生を彩った、すべての人々と、死に別れてしまった、ということなのです(死んだ、と断定…笑)。
 昭和60年の糸子は、そんな寂寞とした状況下にある。
 ただその状況下にありながら、彼女はそれを、失ったと考えていない。
 それは先週の、尾野糸子の北村との最後の語らいで既に宣言されているからです。

 「無くす無くすって何無くすんや?

 …うちは無くさへん。

 相手が死んだだけで、なぁんも無くさへん。

 …決めたもん勝ちや。

 ヘタレはヘタレで泣いとれ。

 うちは宝抱えて生きていくよって」。

 つまり夏木糸子には、死んだ人の数だけ、宝が増えていっている。
 だからこそ夏木糸子は、彼らの写真を飾って、毎日彼らに、語りかけている。

 でも、よく考えてみれば、寂しくないわけないじゃないですか。

 昌子と松田恵の代わりに、オハラ洋装店には、新しい男女がふたり、勤めています。
 けれども彼らに対する描写は、今週を見る限りことのほか少ない。
 つまり、何十年も付き合ってきたような 「絆」 の深さ、というものが喪失してるんですよ。

 また糸子は、生きているか死んでいるか分からない周防にも、このような集まりがあることを願いながら、男やもめの食事会とか、ほかにもいろんなコミュニティを自ら中心となって立ち上げている。
 それも糸子の中にある、寂しさを紛らわすための、ひとつひとつの道具となっている気がするのです。

 つまり糸子は、宝を抱えて生きているのかもしれないけれど、寂しくないはずがない。

 優子のグレた娘である里香を、突き放しながらも一緒に暮らしていくのは、自らの寂しさを紛らわせるための一助としている側面も、見逃せないのです。

 さらにですよ。

 今週に入ってからの、この商店街の描写。

 やたらとよそよそしくなっていませんかね?

 木岡の下駄屋があったところには不動産屋が入っていて、それもこないだまでお好み焼屋が入っていた、という(まさか 「てっぱん」 じゃあるまいな?…んなアホな…笑)。 金券ショップなるものがオハラの真向かいに出来て、そこに勤める若者も、なんとなく他人行儀。
 まあドラマが進行していくに従って、それらの新しい人々ともある程度のコミュニケーションがとれるようにはなります。
 しかしそれって、かつての木岡や木之元とのような、密接なかかわりじゃない。

 つまり、世の中全体が、もう自分の居場所を失っている、といういやおうなしの時の流れを、毎日糸子に見せつけているように、私には思えたのです。

 これは脚本家の渡辺あやサンの、老後に対する絶望観を表明しているのではないか、という気が私にはする。
 つまり50だ60だくらいじゃ、70歳に自分が直面している別世界ぶりは想像できやしない、という絶望です。
 ただみんな死んじゃってる、みたいなのは極端だけれども、極端にしたいくらいの絶望を、渡辺サンは描写したがってる。
 私の70になる母親だって、かなり同年代の友人が多いほうですが、全員死んでるわけじゃない。
 まあ昭和60年と言えば今から四半世紀以上前ですから、寿命は今より短かったのかもしれませんが。

 とにかく、このドラマのステージが、もう絶望的になるくらい、刷新されちゃってるわけですよ。

 そして、尾野編でのエピソードを、繰り返しなぞろうとするのですが、期待したようなリンクの仕方をしていかない。

 孫の里香が買ってきてくれたクリスマスケーキ。
 クリスマスケーキと言えば善作がひっくり返してしまったあのエピソードが思い出されるのですが、果たしてその1ピースのクリスマスケーキは、里香を逆恨みした不良どもの襲来によって、同じようにひっくり返ってしまいます。
 それを糸子は構わず食べていくのですが、回想(シーン)もそこによう入らんし、「大丈夫、食べれるて」 とかハルおばあちゃんのセリフをなぞったりもしない。
 見ている側は、ちょっとはぐらかされたような気分になるのです。

 そのいちいちが、もう昔は昔。 今とちゃうねん、という諦観が表現されているような気がしてならない。

 つまり、同じ小原糸子の話をしていることはしているのですが、すべてが違うステージで展開している、ということを、いちいち感じるんですよ。
 極端に言えば、先週とは別の話をしている、という感覚(けっして全部がそうでもないんですけどね)。

 というわけで、ここまでが前フリです(ウソっ!…笑)。
 ここから、今週の話を振り返っていきましょう(マジかよ…)。

 とはいうものの、あまり先週までのような詳細なレビューを書こう、という気が失せております。
 ご了承頂きたいです。





 月曜放送分。

 里香は東京の優子のもとを家出して、糸子のもとへと転がりこんでいたわけですが、電話で娘の人生がこれで決まってしまうみたいなもの言いをしてくる優子に、糸子は 「はぁ? アホか!」 と一喝します。

 「決まらん! たかが3年で、人生なんぞ決まってたまるけ!」

 娘3人はそれぞれファッションデザイナーとして成功。 それでも会計のこととかどこぞの会長との付き合いの代理とか、母親を頼ってばかりです。

 糸子は朝寝坊をする里香を叩き起こします。 そしてかつての娘たちがいた部屋の窓から、外を眺めます。
 そこは改装しまくっていたオハラ洋装店のなかで、唯一昔どおりの様相でした。 いわばそこだけ、時が止まっているような感覚。
 そんな昔どおりの部屋で、まるで娘たちを叩き起こしたように、孫を起こす糸子。
 だんじり祭りに来なくなったからそないになったんや、と里香をたしなめます。 「カンケーないし」 とうそぶく里香、茶髪にメイクもバッチリで、まるで 「積み木くずし」 であります。 このメイク、今週のドラマが進行していくに従って、急速にナチュラルに戻っていきます。

 「(昔は走って抜けた商店街も、今は、ゆっくり歩くようになりました。

 ほんでも、だんじりは、今も昔も、なんも変わらん早さで、この道を突っ切っていく)」。

 72歳の糸子は、よそよそしさが漂っている、無機質な商店街を振り返ります。

 「うれしいような、……切ないような……」。

 冒頭で膝を痛がっていた糸子。 ゆっくりと、商店街を歩いていきます。
 この場面を見ていて、私は 「やはり糸子は寂寞たる気持ちを抱いたまま生きている」、と感じました。



 火曜放送分(早っ…笑)。

 東京の直子のファッションショーに里香を連れてきた糸子。 しかし里香はそんな場にも関わらず、ジャージ姿のまま。 直子はそれを見て、自分がセーラー服を頑として着ていた昔を引き合いに出して、ジャージと決めたら、絶対に中途半端に脱いだらあかんで、と直言するのですが、不良娘には何を言っても無駄であります。 ただ直子の仕事ぶりを見て、その不良娘は何かを感じた模様。

 糸子は夕方だというのに、デズニーランド(笑)に里香を引っ張り出します。 規則正しい生活をさせることで、夜中に出歩く里香の行動を改善させようとしているのです。
 健全な精神は、健全な睡眠時間に宿る(笑)。

 世はまさに、バブル状態。 それを見ることなく逝ってしまった北村を、糸子は揶揄するのですが、従業員のひとりであるピンクの電話の都子チャンが、キタムラって言えばえらいやないですかぁ~と反応します。
 ん?
 キタムラって、もしかしてあの安売り服屋のこと? いや、あれは埼玉が発祥の地らしいから、違うな…。

 そして、着物のコミュニティに来ていた、かつて金糸の商売で助けてやった河瀬商店の孫、譲(川岡大次郎サン)と、その知り合いの呉服屋のボンボン吉岡栄之助(茂山逸平サン)。
 糸子はこの呉服屋のボンボン栄之助から、反物を買いすぎちゃったのでなんとかしてほしい、という依頼を受けます。
 そんなアーパーな願い事をしてくる精神状態は、かなりバブル期を象徴しているように思える。 商売のイロハというものを知らないからこその物言いでもあるんですけどね。 まず人にものを頼むには、具体的でなければならないのは当たり前です。
 栄之助はその場に土下座。
 「カーネーション」 では恒例の風景です。



 水曜放送分(ホントに早いな…笑)。

 ところがこの土下座。
 里香に見られたりして恥ずかしい行為のはずなのですが、栄之助のそれはまったく軽い。 「土下座すればなんとかなるやろ」 みたいな性格を脱しきれていないように思えてならない。

 「頼みゃなんとかなる」、というのは、バブル時代の根本的なビジネス態度のように感じるんですよ。 つまり相手に断る理由が、バブル時代はあまりなかった。
 今なんか、いくら土下座したってダメなものはダメですよ。
 ただ、今回のケースでは糸子は完全に門前払いしましたが、「言うても来んで。 アホボンやさかい」 と、再び来ることを見越している。

 ここで今までのこの物語と違うように思うのは、世の中全体が浮かれていて、当時の人々の気持ちに現在の私たちが感情移入をできる素地が、あまりなくなっていることです。
 それと比較して糸子が栄之助を完全に門前払いしているその態度も、なんか必要以上に見る側が厳しく感じてしまう。
 糸子の態度は、おそらくバブルのその時期も、カツカツの現代でも、変わらない、と思うんですよ。
 なのに、「夏木マリが糸子をそんなわからず屋に演じている」、という単純な置換を、見る側が行なってしまう。
 夏木批判の根本は、そんなところにあると私は感じる。

 ただその演技の 「間」、そして 「緩急」、感情の加減が、オノマチサンに比べてしまうとどうしても見劣りしてしまうのは、正直に申し上げれば感じるんですよ、いっぽうで。
 でもそれをですよ、「糸子の老い」、という点で捕えることはできないだろうか。
 夏木糸子を鑑賞する手立てはそんなとこじゃないか、という気はするんです。

 かつて自分と同じ時代を生きた人々の写真額を里香に磨かせる糸子。 「小原家の家訓は、『働かざる者食うべからず』」 と言って憚らない糸子です。 これってかなり基本的な教育だと思いますね。 ニートに対する一番の薬だ。
 里香はしぶしぶ写真額を磨くのですが、ふと泰蔵兄ちゃんの遺影に目をとめます。 糸子はあんな男前はおらんかったで、と自慢します。 なんで死んだのかを訊く里香。 糸子はそれまでのうれしそうな様子を一変させ、「…戦争や…」 と答えます。
 「ふ~ん…。 もったいない」。

 糸子は泰蔵ばかりでなく、横のヘタレも磨いといてやってや、と言い残してその場を離れます。 里香は北村の写真を取るのかな、と思ったのですが、しっかり勘助の写真を選んだようです。 泰蔵も勘助も、なんとなく報われたように感じるそのシーン。 けれどもその度合いは、けっして強いものではありません。 もはや時の流れの中で、淡く消え去ろうとしている。 ただ孫の世代の里香だけには、ほんの少しだけ糸子の思いは伝承した。

 「タテタテヨコヨコ」、というパッチ屋での窓ふきの修業が糸子によって里香に伝えられるのも、その由来までは伝わらない。 どんな思いがそこに込められているか、ということが伝わっていかないもどかしさばかりを、見る側は感じることとなります。
 これは先ほど指摘した、クリスマスケーキの場面でもまったく同様。 そしてそれがいきおい、夏木編批判のファクターとなっていく気がしてならないのです。

 自分はお母ちゃんにほっぽっとかれ通しだったのにちゃんと育った。 けど自分はよっぽど里香に愛情注いでいる。 せやのにどうしてグレるんや、と電話で糸子に愚痴る優子ですが、愛情注ぎ過ぎてるからそうなってる、というのも見る側にはすぐに分かります。
 いわば原因がすぐ読める、この物語の特徴のひとつであるのですが、それも夏木編批判のファクターになっている。 いったん批判的に見出すと、何もかもが批判の材料になってしまう、という好例だと感じる。

 糸子は里香がジャージを着ているのをやめたら迎えに来てもええ、と電話で優子に答えます。 ジャージが里香の、反抗心の象徴だからだ、と察しているからです。

 「(言葉がのうても、服はいろんなことが分かる。

 昔、うちにそない教えてくれた人がいました。

 ジャージーはジャージーで、いろいろゆうてるわけです)」。

 ジャージ姿で金券ショップのにーちゃんを睨みつける里香。 にーちゃんは目をそらします。

 「(『うちはヤンキーです』 やら)」

 不動産屋のキンキラキンの二人組が里香をヒソヒソ噂します。

 「(『気安う話しかけんといてください』 やら」)」

 薄っぺらカバンのツッパリ女子高生(死語だ…笑)と目が合う里香。

 「(『ケンカやったらいつでも買わしてもらいます』 やら)」

 ツッパリねーちゃんが凄みます。 「おまえ、どこのモンじゃ?」(定番じゃのう…笑)。

 そしてチェッカーズみたいなにーちゃんにおぶわれて帰ってくる、里香。
 ここらへんのたたみかけは、「カーネーション」 の体裁そのままです。
 どうやらボコボコにやられたらしい里香。
 このにーちゃんは、のちにクリスマスケーキがダメになる遠因を作っていきます。




 木曜放送分。

 里香を心配する糸子をどやしつける直子のシーン。 ここらへんの流れは、オノマチサンであればドッカンドッカンの笑いを取る場面だと感じます。 けれど夏木サンは、大阪流の笑いの 「間」 というものに長けていない。 大変だけど頑張ってください、というほかないけど、もうクランクアップしたんだっけ(笑)。
 …「オノマチサンだったら」、という発想自体を、断ち切らねばなりません(笑)。

 譲と栄之助が、また糸子のもとを訪れています。 糸子は譲のひい爺さんが金糸の布をさばけんかったときに手伝ったのは、一生懸命やってもやむにやまれぬ事情があったからだ、と説明します。 さらに戦争中は洋服なんて容易に売れる時代でもなかった、と。 今はほっといても物が売れる時代なんやから、まず知恵を絞ることから始めないかん、と栄之助を叱咤します。

 「僕も僕なりに、知恵絞ってきました」、と言って、三色に染めた反物を見せる栄之助。
 「だからなんやねん?」 という話ですが、栄之助の知恵はまさにここまで(笑)。
 「お前どんなけ商売なめてんじゃ! 帰れ! このアホボンが!」。

 バブル期を象徴するかのごとき甘さなのですが、そのバブル期を象徴するグッズがまた登場。 金箔カステラです。 譲が持ってきた土産だったのですが、こいつらどこまでバブルに染まっとんのか、つー感じですな。
 その金満ぶりに呆れかえる糸子ですが、食べてみると結構おいしかったりする。

 寝込んでいる里香にそれをもってくる糸子。 悲しそうにそれを食べる里香の頭をなで、こう言います。

 「あんたな、ゆわなあかんで。

 自分が痛いんやらしんどいんやら、あるんやったら、ゆわなあかん。

 誰かてほんなん、自分ひとりで我慢なんかでけへんのや。

 ゆうたかてかめへんねん」。

 涙をポロっと流す里香。

 金券ショップのにーちゃんにも金箔カステラをもってくる糸子ですが、いかにも無味乾燥そうだった今どきの若者のにーちゃんも、里香を心配している模様。
 つまり人間関係がいかに紙風船のようになろうとも、やさしい心というものはどんな人にも宿っている。 失うばかりだと嘆くのではなく、どんどん若い人とも交流をもっていく。 それが人生の醍醐味ではないか、という作り手の主張が、こんなちょっとしたシーンに込められている気がしました。

 夜中に寝ている里香の窓に、何かをぶつけてくる音がします。 チェッカーズのにーちゃんです。 どうやら里香が気に入っている模様。 リーゼントのにーちゃんを引き連れて、遊びに行こう、と誘いますが、里香は断ります。 朝っぱらからばあちゃんの仕事をしなければならないからです。 どうも里香は、筋金入りの不良ではないようです。

 そして先ほど書いた、男やもめの食事会のシーンです。 さっき書いたので割愛します(笑)。
 傷口にメイクを塗るのがしんどいのか、もはや里香は、あのどぎついメイクをしていないことに注目です。




 金曜放送分。

 性懲りもなくまたやってきたアホボンコンビ。
 今度は 「オハライトコプロジェクト」 という企画書をもってきます。 ワープロで作ったんやろな、コレ(笑)。 要するにオハラ三姉妹の母親のネームバリューを利用しようという、また現在の感覚から言うと浅はかなプロジェクトと言えるものなのですが、シニアに向けたファッション、という点が斬新と言えば斬新。 糸子はでもそれより、アホボンたちの仕事の姿勢を評価しているように見えます。 「ちょっと、時間くれるか。 考えさせてもらうよって」。

 メイクをすっかり落とした里香。 チェッカーズのにーちゃんが彼女と歩くところを、前に里香をボコボコにしたねーちゃんの取り巻きのひとりが、恨めしげに見ています。 報復必至(笑)。

 「クリスマスデートをしよう」 と誘われていた里香、茶髪のままのをおさげ髪にまとめて、こっそりオハラの店を抜け出します。
 その夜、1ピースのクリスマスケーキをもってきた里香。 チェッカーズとデートしたんでしょうか? とにかく1ピースだけのそのケーキを、糸子ばあちゃんにプレゼントするのです。
 「私はもう食べてきたから」 と言う里香。 糸子は写真額の人々に、それを見せびらかして、それを食べようとしたとき、「パラリラパラリラパラリラ」。 バイクが止まる音がします。
 ガラスの割れる音。 「ひゃあっ!」 オハラ洋装店のショウウィンドウが割れたのです。
 「なめちゃあたらいてまうど!」「東京帰れ、ブサイク!」。 里香は思わず店の外に出ます。
 崩れていくケーキ。
 不動産屋のキンキラキンコンビが心配して出てきます。 ここらへんの描写も、「人情はすたれてへん」 という性格を感じる。
 キンキラキンに促されて糸子ばあちゃんのもとに戻ってくる里香。
 糸子は崩れたケーキを、構わず拾い集めてボソボソ食べるのです。
 ここでもちょっとしたもどかしさを感じた、とさっき書きました。
 糸子は里香に、話し始めます。

 「あんなあ里香。

 ここが、あんたの観念どこやな。

 あんたが決め。

 東京帰るか、そのジャージー脱ぐか」。




 土曜日放送分。

 「服っちゅうんはな里香。

 着て歩くことで、それにふさわしい物事を引き寄せて回るんや。

 あんたのその、頭とジャージーが、やっぱり見事にこの結果を連れてきたっちゅうこっちゃ。

 分かるやろ?

 世間様と無関係でおられる人間なんか、ひとりもいてへんねや。

 自分は、世間に、どない見えたらこんな目に遭わんで済むか、よう考え。

 分からんかったら、うちに置いとかれへん。 東京帰り」

 「そんな格好してるからあんな連中に目ぇつけられるんや」 ちゅうことですが、糸子のこのお説教に説得力をもたせているのは、「服とはそういうものだ」、という人生の重みが加わっているからです。
 「言葉がのうても服でいろんなことが分かる」 というのは、今週の隠れテーマなような気がします。
 服だけでなくてやはり言葉でも同じことが言えると思う。
 汚い言葉ばかりのブログには、それなりの読者しかついていきません。
 下卑た論調の掲示板は、見下げ果てたヤツしか集まらない。

 翌朝。

 タンクトップに半袖シャツで登場した里香に、糸子は仰天します。 そらクリスマスシーズンやさかい、真夏のファッションにはたまげますわな。 糸子は頑として優子から贈られてきた服を着ない里香に、聡子や直子のお下がりをとりあえず着させます。 一気に東北のおぼこ娘になった風情の里香(笑)。 アホボンコンビも驚いていましたが、里香の変身ぶりにはオッサンの胸もキュンであります(笑)。

 そこに聡子の年代物のジャージが含まれていたため、どうもジャージを脱いだということにならず、糸子は優子に 「まだ来な」 とくぎを刺すのですが(笑)。

 糸子は里香に、「優子のなにが気に食わへんねん?」 とあらためて訊きます。
 里香は、「分かんない」、と返事します。

 「なんか、半年ぐらい前から急に、ママが買ってきた服も、ママが選んだ高校も、絶対いやだって思うようになって…。
 ママの顔見るのも、ママの声聞くのも、思い出すのも嫌!」

 「…そない嫌いか?」

 糸子の問いに、里香は自分の冷たさも嫌になったように涙を浮かべ、かぶりを振るのです。

 「…嫌いじゃないけど、…どうしても嫌になった。

 …
 冷たくしたらかわいそうだって分かっているのに、優しく出来ない。 …どうしても…!」

 泣き出してしまう里香。
 親がかわいそうだというのは親にしてみれば不遜ですけど、子供は親の優しさが分かっているからこそ、反抗することで自らをも傷つけていくんだと思うのです。
 里香の背中をさする糸子。

 「はぁ…そら分からんけど、そら、あんたが大人になろうとしてるんやなぁ…」

 いくら厳しくても、やはりおばあちゃんには、なんでも話せてしまうものです。 そういうはけ口って、核家族になってなくなったもののひとつでしょうね。

 ところで里香の変貌ぶりに驚いていたアホボンコンビですが、そのときに糸子から新しいスーツのデザインを提示されていたわけで。
 それを18万で売ったらバカ売れした、と、今度はアラレちゃん眼鏡をかけたビジネスマン風の男を連れて来て、「先生のブランドを作らせてもらえないでしょうか?」 と打診してくる。

 18万てなんぼなんでもボリ過ぎや、と思うのですが(笑)、これもバブル期のアホぶりを強調させる話かと。
 今週の 「カーネーション」 は、この 「バブル期」 の時代の軽佻浮薄な空気がこれでもか、とばかり展開していた気がする。
 それが夏木編の批判と結びついてしまっている構造も、私は感じるのです。




 いずれにしても、先週までの話を頭から切り離して改めて見直すと、なかなか良くできていることは確かです。
 ただもう、先週までの熱を込めて、私もレビューを続けるのはつらい気がする。
 今週は夏木糸子の印象がレビューの半分を占めてしまったわけですが、それでもボリュームはだいぶ減りました。
 来週はその話題もできないわけですから、さらに分量が減るのではないか、と考えています。
 振り返ることはしたくない。
 けれども尾野糸子編は、やはり極上のディナーでした。 奇跡の連続でした。
 夏木糸子編をやることには、意味が必ずある。
 でも思い入れは、確実に減退しているのが、正直なところなのです。

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2012年3月 4日 (日)

「カーネーション」 第22週 失うことを怖がらないで

 尾野真千子サンが小原糸子役の最終週。
 私だけの感覚かもしれませんが、物語はまるで、小原糸子役を全うできなかった尾野真千子サンの役者としてのプライドに語りかけるかのごとき、脚本の渡辺あやサンの尾野サンへの強いメッセージが内に込められていたような気がいたします。

 いわく。

 失うことを嘆くな。

 失うことを怖がるやつは、泣いて生きていけばいい。

 それがこのドラマのヒロイン、小原糸子の姿勢なんだ。

 その姿勢に、どうぞ学んでください。

 小原糸子という役を失うんじゃないのです。

 尾野サンが生きている限り、自らと共に、いつまでもあるのです。

 こういう、私だけの感じ方かもしれない方法で、このドラマを評価し続けるのは適当ではないかもしれないのですが、どうにもこういう、ものごとの道理の深い部分まで感じさせてくれるこのドラマの作りに、私は今週も感動するのです。

 そして尾野糸子の退場は、とりもなおさず、小原千代役の麻生祐未サンの退場でもある。

 麻生サンが夏木マリサンの母親役をやる、というのはあまりにも荒唐無稽ですからね。

 物語は糸子役を退場していく尾野サンの部分で強いメッセージを発揮しながら、千代役を退場していく麻生サンの部分で思い切り泣かせる。

 空恐ろしいまでの、ドラマの構造でした。

 そして今週の、最後の数分に出てきた夏木マリサンの印象ですが。

 交代理由のひとつとして制作者が挙げた、「声の表現」 とはこういうものか、という気はとてもしました。 尾野真千子サンも結構声が低いほうですが、夏木マリサンはそれよりももっと低い。 尾野真千子サンの声のトーンが低くなるとこうなるのではないか、と思った、正直に。
 そしてさっそく笑わせる。 「主役交代でどうなってしまうのか」、という視聴者たちの疑心暗鬼が渦巻くような静けさの中で、鮮やかなバトンタッチが見られた、という気がいたします。
 ただ予告編を見ていると、「スタパ」 で尾野サンが話していた通り、岸和田弁のトーンが微妙に変わっているような気はやはりしました。 でもそこを突っ込まないで、という尾野サンの意志を尊重しながら、来週以降、あと4週間のこのドラマを見ていきたいと思うのです。

 早速レビューを開始します。





 月曜放送分。

 昭和45年4月。

 直子の結婚式です。

 まるで直子のデザインする服のような原色同士のぶつかり合いの結婚式会場で、モンキーダンスを踊りまくる原口先生(笑)。 「のってけのってけ」 もやってました(笑)。

 世はまさにサイケの全盛期。 直子の奇抜なファッションに世間がようやく追いついたような格好です。 そんな直子の結婚式もおおいに新聞記事ネタになるのですが、その見出しのフォント(字体)が、またヤケに現代的であり。

 このドラマでは時々、こういう現代とのねじれ現象みたいなことを、平気でやるところがあります。
 私が気になっていたのは、商店街のいちばん奥に見える店のフォント。 あんなけ丸ゴシック体みたいな字体って、当時なかったような気がするんですよ。
 そして昭和45年ごろのスポーツ新聞の見出しと言えば、モノクロは当たり前(うちで取ってたスポニチの場合)。
 しかもドラマで出てきた字体を見ると、まるで一面トップ、という感じですが、当時芸能その他が一面トップに出ることなど、まずなかったと記憶しています(記憶違いならばご容赦を)。
 一面の見出しが、確か赤っぽいオレンジ色になったのは、ワータシの記憶が確かならば王選手がベーブ・ルースの記録を抜いたあたり、昭和52、3年だったんじゃないかと思う。 写真はもちろん白黒ですよ。 紙面の3分の1くらいを見出しが占めるようになるのは、そのもっとあと。

 これって、このドラマのスタッフが、けっしてリアリティを重視しているわけではないことを示しているような気がするのです。

 ここで当時の紙面を忠実になぞったとしましょう。
 その場合、このドラマはコシノ三姉妹とそのお母ちゃんのことを忠実に再現しているように視聴者に思われてしまう、そんな危険性があるような気がする。
 一見パラレルワールドみたいな世界を提示することで、「事実に忠実な物語」 という印象をぼやけさせるという製作側の意図がある気がする。

 …まあ、「カーネーション」 びいきの単なるこじつけかもしれませんが。

 …あ~こんなとこで時間使ってられへんで!(笑)

 直子が原宿にオープンさせたブティックで行なわれた結婚式の二次会では、吉村と小沢というフェノメノンのふたりが、疲れて眠りこけてしまった糸子に話しかけています。 糸子はこのふたりからも、「お母ちゃん」 と慕われている模様です。
 ふたりともそれなりに出世しているようですが、それ以上の出世を見せつけているのが、斎藤源太。 パリコレに日本人として初めて参加することになったといいます。

 それにあからさまにライバル心を燃やすのが、やはり直子。 「けったくそ悪い…『お前は結婚パーティでよろこんどれ、おらはパリコレでよろこんどるぞ』 ちゅうてゆわれてるみたいや…。 …よろこべるか! あんなジャガイモに先越されて! は~腹立つ!

 …まあ、けどな。 見とけよ。 うちかていつか絶対パリコレやったるからな!」

 …なんか、糸子がもうひとりおるようです(笑)。

 直子の経営は、見た目ハデやけど無駄遣いだらけの日本政府、国家予算そのもの(笑)。 糸子は 「あのウスラボケ…」 と苦い顔をしながら夫の大輔に、あんじょうよろしゅう頼むのです。

 「(サイケ。 ヒッピー。 モッズルック。
 …この頃のモードは、もうおしゃれっちゅうより、仮装です)」。

 直子のブティックを見ながらそう思う糸子のこの感慨は、今週後半のちょっとしたカギになっていきます。

 そこにやってきたのは、スガシカオかミシェル・ポルナレフか?みたいな格好の、ジョニーという芸能人。 事務所に履かされるシークレットブーツを嘆いています(笑)。
 そして糸子は、白川ナナコ、という新進女優の悩み話を親身になって聞いています。

 いったいこのふたり、誰がモデルなのか?というのは、気になるところです。
 ジョニーという名前からみて、ジュリー、つまり沢田研二サンかな?とも思うのですが、背が低いわけでもなし、当時はまだタイガースだったはずです。
 白川ナナコのほうは分からんなぁ…。
 とにかく芸能人との接点が、糸子にも生まれていた、ということだけは、そこから如実に分かるのです。
 夏木マリサンも 「綾子お母ちゃん」 にはお世話になっていた、と聞きます。
 ひょっとすると新進女優、という肩書はカムフラージュで、彼女は夏木マリサンのことかもしれないですね(まあ誰でもええがな)。 でもそう考えると、遠い将来に糸子になる女性を、糸子が励ましている、というすごく入り組んだ設定で、面白い気がするのです。

 「お母ちゃん。 私、間違ってないかしら?」 泣きながら尋ねる白川ナナコ。

 「何も間違うてへん。 自信持ってやり。
 いざっちゅうときはな、いつでも岸和田来たら、うちで雇ちゃるさかい。 なあ」

 「ありがとう、ありがとうお母ちゃん!(糸子にすがりついて泣くナナコ)」

 「大丈夫、大丈夫や。 なあ」。

 そこにやってきたジョニー。 「誰キミ?」「白川ナナコ」「ナナコ…お母ちゃんとナナコ…じゃあね」
 ポーズを取って去っていくジョニー。 なんなんだ(笑)。 ワケが分からん(爆)。
 そして、「なんやヘンなもん見てもうた」 とばかり、渋い顔をする糸子(ハラ痛てぇ…)。

 そしてオハラ洋装店。
 糸子が持ってきた、直子の店の出納帳に、一瞥しただけで呆れかえりポイントを次々見つける、松田恵。 さすがに経理担当者だけのことはある。
 そして月に一回、優子の店と直子の店から、売れ残りがオハラの店に届くのですが、それを売りさばく聡子の商才が、徐々に上がっていることをドラマは追っていきます。
 東京には東京の厳しさがあるのかもしれないが、岸和田には岸和田の厳しさっちゅうもんがある、とその売れ残りを思いきりダンピングする糸子ですが、聡子はそれを高値で売ってしまうのです。
 つまり聡子は、客を見てその好みと経済力を把握しているからこそ、そないな商売ができる。 糸子は洋服屋の奥の深さを、またまた勉強するのです。 自分の娘から。

 住み込みの風潮がなくなってきたことを描写しながら、その残りひとりの住み込みとなった縫い子を絡ませて、小原家の食卓は、テレビに出てきたジョニーを見るのです。

 「みんな! 今年はお花見に行ったかい? …僕は行ったよ」 一言言うたびにキャーキャー。 黄色い歓声。
 こいつヘン(笑)。 絶対ヘン(爆)。 観客もみんなヘン(ハハ…)。

 そこにやってきた、北村。 喪服を着てものすごく暗い顔をしています。
 オハラの家の中に入ろうとせず、「死んだど」 とだけ糸子にしゃべって、誰が死んだのかも言わずに去る。
 北村、オマエも何なんだよ(笑)。

 とにかく、直子のヘンにどぎついデザインの服が流行っていくのを、月曜日のドラマは丹念に追いながら、世の中がなんとなく、「ヘン」 な感覚に包まれていき、そして北村の、ヘンな訪問で話を締める。 「ヘン」 で統一された、このトータル感覚。 つくづくすごいドラマだよなあ。

 それにしても誰が死んだのか、毎日15分ずつ見ている人は、イライラしたでしょうねぇ。




 火曜放送分。

 組合の寄り合いでは、心斎橋に店を構えている優子も女性経営者たちの仲間入りをしています。 その寄り合いがはけたあと、糸子は三浦組合長に、誰か死んだのか、探りを入れます。 北村が気になる言葉を吐いてから1週間後のことです。

 三浦は呆れた調子で、「北村のやつが自分で話すゆうてたから任せたのに」 と、その死んだ人が誰なのかをしゃべります。
 死んだのは、周防の妻だったのです。
 糸子はそれを聞いて、少なからず動揺します。
 なんや2年前に支払いが完済してから、周防とは完全に縁が切れていたらしい。

 「…は…せやけど、北村は、なんでそれをうちにようゆわんかったんでしょうね?」

 「え? 分からんか?」

 「あ?」

 三浦は今度は糸子の鈍さに、呆れます(笑)。

 そして夜。
 糸子は寝床で、周防のことを思い出しています。

 「(何回思い出したやろ。

 …一緒におった時間より、思い出してる時間のほうが、ずっと多なってしもた…)」。

 すべてがモノクロの中にうずもれてしまっている、周防との記憶。

 「ヘンな相手や――」

 糸子は、ひとりごちします。

 そしてそのモノクロの記憶は、北村が糸子から受け取った、桜の枝の色が、ほのかにピンク色に染まっていくと、にわかに色を鮮明に加えていくのです。

 周防に抱かれる、糸子の記憶。

 人生の中で、一瞬とも思えた、自分が恋に胸を焦がしたときめきの時(たぶん勝との場合、ほとんど義務感だったでしょうね)。

 おそらくこれを回想している糸子は、56、7歳になっているはずです。 回想する尾野サンの顔を、カメラはそれこそ大大クローズアップするのですが、クローズアップすればするほど、尾野サンの肌つやの良さは、まるで赤子のように思えてくる。
 ここで糸子が、57歳の肌と、ごつごつした顔の造作をしていたならば、この回想場面はもっと、意味のあるものになったろう、と私はつらつら考えるのです。

 なぜなら、年老いてしまった自分が、大昔の大恋愛を思い出すとき、それはもう、すでに手の届かないものであるように、気持ちから思い込んでしまうからです。
 そんなものはいくら今したくても、歳だから、と。

 そのことに思いをいたすのは、限りなく切ない。

 しかしこの場面。

 糸子の記憶をモノクロにすることで、それに近いものを演出しようとしている。
 そして若さを失った糸子が、実は 「失う」 ということに対して、そこまで感傷的になっていない、というのが、「ヘンな相手や」 という独白によって、既に宣言されているのです。

 このひとりごちは、実は今週、尾野サンが北村に向けて放った糸子としての最後の言葉と、深くリンクしている、そう思えるのです。

 聡子の経営的な器量について、喫茶店 「太鼓」 で昌子や松田と話し合う糸子。
 松田の見立てではまだまだ、ということで、婿でも取るか?という話になっていきます。
 ええ男を取ろう、と、糸子と昌子のダブルオバチャンはもう既に獲らぬタヌキで 「ひゃあ~~~っ!」 と盛り上がっております(笑)。 しかしあの子、よういろんな男の子を連れて来よるなあ…と思い返す糸子。

 「…あれはまあ、聡ちゃんの彼氏の時もあれば、同級生の時もありますし、」 と昌子がいちいちリストアップしますが、ただひとり分からんのが、スキンヘッドでヒゲを生やした、アロハシャツの男(笑)。 誰やねん?(笑)

 「…ご飯たかりに来ただけの子ぉの時もあります」 と昌子。 あ、…そ~ゆ~ことね(笑)。

 「はぁぁ…。 あの子、アホやさかいなぁ。 なんでも連れて来よんやな」

 糸子は聡子が連れてきた男の子のひとりを、また思い出しています。 チョーつまんないねづっちみたいなヤツです(笑)。 「この子はなんやろ?…まあ、ええか。 おもろいし」。
 そうかぁ?(笑)

 「(はぁ~せやけど、うちの引き際はどないなったんや…。

 聡子があの調子やったら、まだまだ先やでこら)」

 オハラ洋装店の看板を見上げる糸子。
 見ると、店には八重子が来ています。

 糸子は八重子から、義母の玉枝が、あと半年の命や、ということを聞きます。

 「…ほうか…」

 糸子は聞いたその場で、泣いてしまいます。

 入院した玉枝のために、弁当をこさえる糸子と千代。
 玉枝の病室にそれを持参して現れる糸子ですが、やっぱりここで、病室の扉が今風になっている気がする。
 細かいところ見すぎですけどね(笑)。 昔は病室の扉って、こういう、開けたら自動で閉まるような作りじゃなかった気がするんですよ。
 これも、玉枝を思いきり老けたメイクにしているのをカムフラージュするためのひとつの方法かな、なんて贔屓目に見たりして。 かばいすぎやろこのドラマ(笑)。

 そして思いっきり明るく、玉枝と接する糸子。

 「(うちは、おばちゃんの残りの日ぃを、なるべく明るくしたいと思いました。

 …穏やかで、幸せでおってほしい…。

 …せやのに…)」

 見舞いが日課になっていた糸子。 ある日、元気のない玉枝を心配します。

 「おばちゃん。 どないしたん?」

 玉枝は、つぶやくように話し始めます。

 「昨日な…。

 待合のテレビ見ててな…。

 戦争のことやってたんや。

 戦争中に、日本軍が、戦地でなにしたかっちゅう話、やっててな。

 (糸子に向きなおる玉枝)糸ちゃん…。 うちはなぁ…。
 勘助は、よっぽど酷い目に遭わされたと思てたんや。
 あの子はやられて、ほんであないになってしもたんやて。

 けど、ちゃうかったんや…。

 …あの子は、やったんやな…。

 …あの子が、…やったんや…」

 また自虐史観がどうのこうの言われそうな話でしたが。

 しかしですよ。

 戦争で兵隊として召集された以上、「敵を殺せ」 というのは、至上命令なんですよ、どんなに言い繕おうとも。
 憎しみのほうが自制心を上回ってしまう場合はあるかもしれない。
 でも。
 「相手には殺されるだけの理由があるのだ」 と考えること自体が間違っている、と私は言い続けなければなりません。
 これについてはここで安易に言及できないだけの問題が孕まれているので、ちょっと今はスルーいたしますが。

 いずれにしても、「人を殺す」 ということが、国家からの命令であれ、それを遂行しなければならない時の精神的負担は、そんなに軽いものではない、とだけは言えるのではないか、と私は思います。

 もしテレビゲームをやる時みたいに、それこそ爽快感さえ味わいながら人を殺すようになったら、人間はおしまいだ、と。

 まあ自分がハマってた、ゾンビものとかモンスターものならいいのか、つー話でもあるんですが。

 そして、玉枝のその言葉を聞いた糸子は、思わず声を押し殺して、嗚咽してしまいます。
 これってなぜなのか。

 私なりの考察を加えさせてもらいますと。
 糸子の感情を揺り動かしている主因は、おそらく勘助が、どないな思いをして酷いことをしたんやろ、ということに思いが至ったからだ、と考えます。
 糸子自身も玉枝にそのとき言われるまで、そのことを考えたこともなかった。
 自分が弟みたいに思っていた、ヘタレの勘助が、どないな思いをして、人を酷い目に遭わしたんやろ。
 ヘタレだからこそ、余計につらかったに違いない。
 それも分からんと、自分は傷心の勘助にサエを会わせてしもたりしてしまった。
 あんなけ大騒ぎして、失恋を勘助に思い知らせた相手を。

 そして糸子が嗚咽したもうひとつの意味。
 それは、玉枝への心からの謝罪、という意味です。
 ちょっと過去のレビューを振り返ってみたのですが、糸子は玉枝に、傷心の勘助をサエに会わせたことへの謝罪を、はっきりしていません。
 奈津を救出するために玉枝の力を借りようとした時も、ただ 「助けてやってくれへんやろか?」 です。
 このことが結果的に、玉枝とのわだかまりを解消した要因にはなっていたのですが。

 勘助の思いを知ることによって、玉枝への心からの詫びの気持ちが生まれた。
 しかしこのドラマらしく、糸子は 「かんにんな」 のひと言が、玉枝に向かって言えません。
 ただ嗚咽することで、その気持ちを押し殺すしかないのです。
 その気持ちは、玉枝に伝わったのだと思う。
 玉枝は、嗚咽する糸子の髪を、そっと撫ぜるのです。

 泣けました…って、こんな冷静な解説したら、泣けんがな。





 水曜放送分。

 昭和47年3月。 糸子、おそらく還暦の一歩手前です。
 前回から2年が経過していることから、もう玉枝も出て来ぃひんやろ思てたら、子供たちの 「たのしいひなまつり」 の歌に手拍子を合わせています。 まだ生きとるがな(笑)。 年寄りっちゅうのは、病気の進行が遅いらしい。 このドラマらしい、はぐらかしかたなのであります。
 玉枝は、向こうで待ってる人が大勢いるから、なにももう怖くない、と吹聴しています。
 糸子はそれ笑てええかどうか分からん、とツッコミを入れているのですが、ここのくだりは今週の流れを見たとき、結構重要か、と。
 その話はのちほどいたしますが、宣告を受けた期限を超えた日々って、天からの授かりもののような気は、するのです。
 日々、生かしてもらっている。
 病気でもしないとなかなかそう思えないのが人の浅はかさですが、考えてみればすべてのことは、有り難いなあって感じる。
 目が見える。 口が聞ける。 音が聞こえる。 感じることができる。 おいしいものが食べられる。
 ああまた、説教臭くなってきた(笑)。

 そして。

 それから半年後、昭和47年の秋口のある朝、玉枝は息を引き取るのです。

 このドラマで人が亡くなったシーンが映し出された、初めてのシーンでした。

 色調がかなり押さえられた、薄墨色のような朝。

 ひと回り小さくなったように思える玉枝が、北まくらで眠っています。
 手を合わせる糸子。
 見守る八重子。

 「…ホッとした…」
 
 八重子はそう、つぶやきます。
 いつ死ぬのかいつ死ぬのか、という強迫観念から解放された、ということでしょうね。

 「…うん…」 答える糸子。

 死の床に眠る玉枝に、にわかに強い朝の光が差し込んできます。
 勘助と、泰蔵の遺影。
 彼らが迎えに来た、ということを強く思わせる場面です。
 朝の光に、ほのかに頬を染めたように思える、玉枝の表情。
 人はこうして、還っていくのです。

 昭和47年11月。

 原宿の直子のブティックに、源太が凱旋しています。 そこに現れたのが聡子。 優子の店と直子の店を交互に手伝わされて、だいぶ力が付いてきた、と松田が太鼓判を押し始めています。
 ただ糸子も、聡子に色気は見せ始めているとはいうものの、看板を譲るということにそれほどのこだわりはなくなっている模様です。

 その年の暮れ。 糸子はクリスマスケーキを一足先に食べてしまって、それを聡子にたしなめられています。 善作のあの一件で、クリスマスケーキは早よ食べたほうがええ、という意識が…あるわけないか(笑)。
 すごく蛇足ですがこのクリスマスケーキ(ほんま蛇足やな)、善作がヘチャムクレにしたものとはだいぶ見てくれが違ってました。 背が高い。 昭和初期のクリスマスケーキは、もっとひしゃげてました。 ただ昭和47年のクリスマスケーキは、最近ようやく見られるようなしっかりとした作りではなくて、需要が増大するから粗製乱造になっていた頃の、どことなくおざなりな作り。 こういうとこのリアリティというもんは、徹底しとるんやなぁ。

 で、ケーキを食べながら糸子は、聡子に店を継ぐかどうかをそれとなく打診します。 聡子は 「ふ~ん」「はぁ~」 と相変わらずの気の抜けたような返事で(笑)。 糸子はそれを了解したとひとり合点して、勝手に三浦やらにその報告をしてしまいます。

 しかし。

 大みそか、紅白を見ながら優子や直子に報告する糸子に、聡子はおずおずと、口を開くのです。

 「けどなぁ…。 うちなぁ…。

 えっとなぁ…。

 ロンドン行こか思てんねん」

 「なんやて?」

 旅行ではなく、仕事をしに行きたいという聡子に、糸子は色をなします。 そんな糸子に、聡子はあらためて向き直ります。

 「あんなあお母ちゃん。 …かんにん…。 家をロンドンに行かせてください。

 …

 うち、岸和田おったら、一生姉ちゃんの手伝い役で終わってまうと思うねん。
 姉ちゃんの売れ残り送ってもうて、そんで、どないか商売して、そんなんもええ加減あかんて思うしな。

 せやさかい、誰もいてへん、お母ちゃんにも、姉ちゃんらも頼られへん、どっか別んとこで一からひとりでやりたいんや」

 糸子の先を制して、これに異を唱え出したのは、優子と直子の姉ふたりです。
 英語もできひんやんか、アンタみたいな危なっかしいのが、アンタはここの店継ぎ、と機関銃のようにまくしたてられ、聡子は孤立無援になってしまいます。 確かにムボーですが…(笑)。

 糸子はそんな聡子がかわいそうになってしまい(笑)、「いや…行かしちゃろ」 と口走ってしまいます。 「あかんてお母ちゃん」「無理やで」 と反対する姉たち。 「あんたらは黙っとき!」 外野をシャットアウトする糸子。

 「この子はうちの店の子や。 あんたらが口出すことちゃう!」

 糸子は直子に向き直ります。

 「あんたの好きにし。 ロンドン、行き」。

 厳しい顔のまま、お茶をすする糸子。 今度は 「ロンドンに負けたぁ…」 というところなのでしょうが(笑)、胸を借りて泣ける玉枝は、もうおりません。 なにしろ糸子自身が、看板を譲るということに、以前ほどの頓着がない。 けれども気分が悪いことには、変わりないのです。

 それにしてもこのちょっとした修羅場を見ている千代。
 ニコニコ笑ったままです。
 実はこのシーンと並行しながら、千代が食べたばかりの年越しそばをもう一度作ろうとする、気になるシーンがありました。
 千代のぼけはこのあと、今週ラストの大きなカギとなっていきます。





 木曜放送分。

 昭和48年1月。 ロンドン行きを勝手に許してしまった糸子が、「太鼓」 で昌子と松田から、責め立てられています(笑)。
 ここで垣間見えたのは、糸子が聡子のことを、まだまだ見くびっている、という点です。
 ダメやったら戻ってくればええだけの話なんやし、と、まるで駄目になんのが既成事実みたいにしゃべっている。
 その考えは昌子によって言下に否定されます。 でもやっぱり、「もし、万が一」 成功したら、という論調です(笑)。

 でも追い詰められた糸子は、こう言うのです。

 「そら…そん時やろ。

 うちがでけるとこまでやって、…あとは、…うちが畳むがな。

 …それしかないやろ」

 この時点で、糸子はお父ちゃんから譲り受けた小原の店を、自分の代で店じまいする、という決断にはじめて立たされたのです。

 「(うちの大事な看板は、結局みんな、要らんらしい)」。

 また優子に断られた時のさびしい思いが去来しているかのような糸子。
 大きなため息をつきます。

 泉州繊維組合。
 聡子が店を継ぐという話はなかったことに、と報告に来た糸子に、三浦は今の今まで、その席に周防が座っとった、と言いにくそうにしゃべります。 飛び跳ねる糸子。
 糸子は扉のほうを見ながら、今の今までいたんなら、どうしてすれ違わなかったのだろう、というような表情をしています。
 どうやら周防は、長崎に帰るらしい。
 子供らも独立し、女房も死に、生まれ故郷に一軒家を買って、畑仕事でもしたい言うとった、としゃべる三浦の言葉に、次第に泣きそうな表情になっていく糸子。

 「…寂しないですやろか…?」

 糸子は声を振り絞って、そう呻きます。

 「そんな独りで…! また新しいとこで…!」

 涙がこぼれる糸子。 「さびしいない、…かも、…しれんけどや…」 とりなす三浦。

 「も、もう心配しちゃんな。 あいつが自分で選んだ道や…。

 …

 泣いちゃることない。 …ない!」

 「太鼓」。
 聡子が北村に呼ばれてます。 ホットケーキをもう二人分食べない聡子。 もう昔の自分とは違う、という意思表示に、北村も木之元のおっちゃんも、なんやさびしそうな表情を隠せません。

 危なっかしい聡子のロンドン行きを心配する北村に、聡子は 「うちこんなんやけど日本でもどないかなってるしな、ロンドンでもどないかなると思うねん。 犬がどこでも暮らせんのといっしょや」 と屈託がありません。
 しかしほんまや(笑)。 ミョーな説得力ある(笑)。

 物思いにふける北村に、聡子はうちがいなくなってもおばあちゃんがごはん食べさしてくれるよって、などと慰めを言うのですが、北村は思い詰めたように、聡子に訊くのです。

 「……オマエのオカンのよう。

 …
 好きな花、なんや?」

 真っ赤なカーネーションの花束。

 それが飾られた向こうで、糸子と北村が、差しつ差されつしています。 オハラの店です。

 北村から、優子と共に東京に進出する、という話を聞かされ、と同時に優子が離婚したがっている、という話を聞かされた糸子。 熱燗とっくりの首、つまんで、「もう一杯いかが」 なんて、妙に、色っぽいね…ちゃうちゃう(あのー…)、「ふーん。 …ふーん…」 と、また鈍さ全開であります(笑)。 北村が優子をモノにしようとしてる、とカンチガイしているのです(三浦から北村の思いを教えてもらわなかったんでしょうね)。

 「なんや、ちゃうんけ? …よかったぁ~~」(笑)。
 そんなニブチン大明神の糸子に、北村はついにしびれを切らして、自分の思いの丈を吐き出すのです。

 「この花はよ…! この花は……。

 ……オマエに買うてきてんど!」。

 笑い転げていた糸子、やおら起きあがります。 「えっ…?」。 忌々しげにお猪口を無造作に置く北村。 糸子は北村の真剣に、ただ怒られて気まずいみたいな感じで 「おおきに」 と無造作にお礼を言います。 どうやら、まだ気付いてないみたい(?)。

 「お前…長崎に行けへんけ?」

 「…いけへんわ。 いくかいな」 言いにくそうに返事する糸子。

 北村は突然 「ほなわい!」 と居ずまいを正します。 驚く糸子。 ついに告白か?

 「…わいと東京行けへんけ?」(ダメだ…笑)。

 ただそれは、「わいと結婚せえへんけ?」 ではない、ギリギリの告白。 でもそれに対して 「何しに?」(笑)。 ニブい糸子は、無神経な質問をするのです。

 「…仕事や。 決まってるやんけ」。 ああ~もう北村(爆)。

 糸子は散々考え込んで、「おおきに。 そらおおきに」 ととりあえずみたいな礼をします。

 「ちょっと時間くれるか。
 考えさしてもらいます」。

 簡単にノーを言わない糸子に、なんとなく心の動きを感じるのですが、それは商売上の話でしょう。 それより何より、結局糸子は今回も、北村の気持ちに気付いてないようです(ナミダ…)。





 金曜放送分。

 昭和48年3月。

 朝。 赤いレザーコート、帽子をかぶった聡子が、イギリスへと旅立とうとしています。
 見送りに出ているのは、木岡夫妻、木之元、昌子、松田、八重子などです。
 それにしても木岡のおっちゃんだけが、リアルに歳を取っていきます(笑)。

 泣きじゃくっているのは、千代ただひとり。
 「おばあちゃん、これが聡子の顔やで、忘れんといてな!」
 聡子のこのセリフは、千代がぼけ始めているという前フリがあったからこそなのですが、千代はこれが今生の別れであるかのように号泣しながら聡子に言うのです。 「分かった。 忘れへん!」。 直子との、「長生きする。 まかしとき!」 という約束さえも反古にされそうな、千代の記憶の欠落。 別れの時が、近づいていることを、見る側に強く感じさせるのです。

 「聡子…! 行っちょいで!」

 ひときわ大きく、千代の声が、聡子に届きます。

 心斎橋の店で、糸子が優子に、北村から聞いた、東京進出の話と、離婚の話を切り出しています。 心配するやろ思てな、という優子に、「そのための親やろ?」 とやんわり言う糸子。
 優子は母親に、東京行きは悪い話ではない、と言うのですが。

 「なあ、あんたらな。

 東京東京て、なんでそんな東京行きたいねん?」

 優子によれば、なんでも東京が中心だから、という理由です。 優子は目標、全国50店!とどこかの薬屋さんみたいなことをぶちあげるのですが、糸子にはそれがオモロイ話とは、どうも思えないらしい。

 夜。 八重子がお酒を呼ばれています。 お銚子またつけよか?と言う千代に、糸子は昌子を付き添いに行かせます。 どうも台所が危なっかしいらしい。

 八重子は、安岡美容室をそろそろ畳む、という話を糸子に切り出します。 どうやら息子の太郎が心配して、うちとこ来ぃ、とゆうているそうです。

 「ほうか…寂しいなあ…」

 ため息交じりの糸子に、八重子は、糸ちゃんはまだまだやで、とハッパをかけます。 糸子は昌子に内緒の、東京進出の話を切り出しますが、お銚子をつけてきた昌子は、「先生の好きなようにしてもらいたい」 と、どうやらお見通しだったようです。 「決めたらええんとちゃいます?」 と昌子。 しかし糸子の顔はどうも晴れません。

 「いや…正直よう分かれへんねん。
 東京に出るんと、岸和田に残るんと、自分はどないしたいのか。
 どっちのほうが、オモロイ思てんのか。
 その肝心なとこが、自分でもよう分かれへんねん。

 情けないこっちゃ」

 東京のほうがオモロイちゃいますか?と言う昌子に、糸子は答えます。

 「いや…あらなあ。
 なんちゅうか、新しいゲームが始まってしもてんや。

 優子の話やら聞いちゃったらな、なんや、そんな気がしてくるんや。

 戦争と同じくらいたいそうな、ようさんでやるゲームが。

 それがな、えらいオモロイらしい」

 「やっぱりオモロイんやないですか!」 と昌子が言うと、糸子はまたゴロ寝怪獣になっていきます(笑)。

 「あ~、しんどいやろ、ゲームて。

 敵ばあっかしおって、頭ばあっかしのぼせて。

 うちはな、洋服こさえられたら…ほんでよかったんや。

 それがいつの間にか、洋服もゲームになってしもた。

 うちに、洋裁を教えてくれた根岸先生っちゅう先生がな、こないゆうたんや。

 『ほんまにええ服は、人に、品格と誇りを与えてくれる。 人は品格と誇りを持って、初めて希望が持てる』。

 今は、モードの力ごっつい強いやろ。

 去年最高によかった服が、今年はもうあかん。

 どんなけええ生地で丁寧にこさえたかて、モードが台風みたいに、ぜぇんぶなぎ倒してまいよんねん。

 人に希望を与えて、簡単にそれを奪う。

 そんなこと、ずぅっと繰り返してきた気ぃがするんや…」

 今週、根岸先生が出てた週の、このブログの記事にやたらとアクセスが集中してたんですが、このセリフのせいだったのか(笑)。
 ともかく、「仮装みたいや」 と糸子が感慨を述べていた最近のファッションが、モード(流行)という名で使い捨てされていくのを、糸子はこころよく思っていなかったのです。 これは娘たちに対する、強烈なアンチテーゼと言ってよい。

 根岸先生から教わった、品格と誇り。 糸子を見てると、誇りはあるけれども、品格はどーよ?と言いたくなる気もいたしますが、人間、そないに全部きちっとできるもんちゃうと私は思います。
 だれしも自分を、どこかの棚に載せながら、生きているものです。
 できることとできないこと。
 そうなりたい自分と、なれずにいる自分。
 ある点では合格点を出し、ある点では落第。
 それが人ってもんじゃないでしょうか。
 だからと言って出来ないことをあきらめるんとちゃいますよ。

 この糸子のセリフは、自分が優子や直子の住む世界にいつの間にか毒されてしまっていたことへの反省も、多少は含まれているような気がします。 だからこそ、その言葉は重みをもつのですが、八重子がこれにいきなり激しく反駁するのです。 それはトートツと言っていいほどに(笑)。

 「何をゆうてんのや糸ちゃんいまさら! はぁ~、情けないわもうっ! うちは情けないわッッ!」

 と、その場をそれこそ台風のように去って行くのです。
 ボー然とする残された者たち(笑)。

 「…なんでうち怒られてん?」(笑)。

 それから10分ほどして、八重子台風が再び上陸してきます(笑)。 ドスドスドス。 心の準備をしてなかったゴロ寝怪獣、ちゃうちゃう、糸子は慌てます(笑)。

 「うちの…宝物や!」

 半泣きの八重子が突き出したのは、安岡美容室の初代の制服と、開店の日に店の前で撮った写真。

 「ボロボロやったうちに、うちと、お母さんと、奈っちゃんに、希望と誇りをくれた、大事な大事な宝物や!

 うちは、…うちはこれのおかげで、生きてこれたんやで!」

 「(ひっぱたかれたみたいでした。

 昔の自分に、ひっぱたかれたみたいでした)」。

 いつの間にか、大量消費の片棒を担いでいたように思っていた自分の仕事。
 でも、あの頃の自分は、ただお客さんにええ気分を味わってもらおうと、それだけで突っ走っていた。
 それこそ、「私を見て」、という気持ちで、自分の服をアピールしようと懸命だった。
 「そっちのほうがオモロイで」、と言っていた父善作。
 いつの間にか、「オモロイ」 ということだけが価値観の中心に座ってしまい、その服をお客さんが着て幸せになってくれることばかりを優先して考えていた自分を失っていた。

 「お客さんがごっつうれしそうに笑てくれたよって、ほんまに、必ず、必ず、似合うように作っちゃろと思いました」

 これは糸子の最初の客、駒子に対して糸子が考えたことです。
 結局駒子から代金を受け取ることさえようせんと、父親の逆鱗に触れてしまっていたわけですが。
 おそらく今の糸子をひっぱたいたのは、そのときの糸子です(笑)。





 土曜日放送分。 ついにオノマチサンのオーラスです。

 クレジットタイトルでは、夏木マリサンはしまいから3番目に。 そして、…ん?小原善作、小林薫? (写真)となってないぞ?
 微妙な期待をもたせながらの、尾野真千子サン最終回なのです。

 昭和48年9月14日。 「起きや~!」 と娘たちを叩き起こす糸子。 だんじり祭りでみな帰省しているのです。 この日ばかりは、まるで大昔に帰ったような朝なのです。
 だんじり祭りはテレビの紹介で、かなり有名な祭りに昇格してきたようです。

 木岡や木之元のおっちゃんらはもう現役ではないので、善ちゃんに報告に来てからはそのまま飲み出します。 善ちゃんここ?いや、まだ写真のみの登場やな。
 北村もいつの間にか呼ばれています。
 八重子の息子である三郎にまで赤ん坊が出来て、糸子ならずとも、もう誰が誰の子ぉやら分かりません。
 ただちょっとだけ登場する、優子の次女、里香だけは、この後の夏木マリ編で大きくなって出てきます。

 祭りには、ジョニーや白川ナナコが再登場。 いちいちこんなとこまで細かくパッケージングするんやな、このドラマ(笑)。
 そのジョニーが見たくて、サエの店の子ぉらがオハラの宴席に加わります。 祭りの規模が拡大したことで松田も呼ばれ、三浦までその席に加わっています。 松田はジョニーにキャーキャーする子ぉらにどつかれて飛んでゆく(爆)。

 さらに原口先生や斎藤源太らまで登場。 まるでオノマチサンのオーラスをことほぐかのような登場人物大集結になってまいりました。
 それにしても善作の家は、やたらと有名人ばかりの、岸和田では随一の集合場所になったものです。

 そこにいないのが千代。 心配した糸子は千代を探しに行くのですが、ついに徘徊癖まで出て来たんか…。
 そこに松田が千代を伴って歩いてきます。 「はぁ…。 ようさんお客さんいてんのに、お父ちゃんおらんよって、どこ行ってしもたんやろ…」。 そんな千代に、糸子は思わず声を荒げてしまいます。
 「お母ちゃんっ! お父ちゃんもうとっくになあ!」
 それを制したのが松田です。 「先生。 …(千代に)お父ちゃん、どこぞにあいさつしてくるちゅうてましたで」。 松田は善作に会うたことないんですが。
 昌子に連れられて家へと戻る千代を見送ったあと、松田は糸子に話します。

 「怒ったったらあきません。 うちの母もああでした。 適当に、話合わせといちゃったら、ええんです」。 母親を思い出したような松田の表情。 いろんな悲しみを抱えながら、それを他人には出さずに、人というものは生きているものなのですね。
 しかしそんな感慨も、サエの 「冬蔵がいてたで!」 のひと言でブッ飛ぶのが、このドラマであります。 それまで感慨深げだった松田は一転、「ええっ、どこ?どこどこどこどこ? はぁぁ~~! いゃ~~っ! きゃ~~っ!」 と狭い路地を爆走していきます(ワロタ…)。
 ボー然とそれを見送る糸子(ハハ…)。

 夜。 お囃子の音を、直子が国際電話で、ロンドンの聡子に聞かせています。 受話器から漏れるのは、聡子の嗚咽です。
 どんなけこの祭りが、ここの人たちの心の柱になっているかがよく分かります。
 この部分だけで、こちらも泣けて来てしまう。

 そして2階から、それを見下ろしている糸子。 奥では北村が手酌しています。

 「極楽やな、この世の…」

 感慨にふける糸子。 ああ、もうオノマチサンの演技も、見収めか…。

 「………ゆうてくれちゃった話な」。 長い沈黙のあと、糸子が口を開きます。

 「うん?」

 「うちを東京の会社に誘てくれた話」

 「ああ…」

 「…断ってええか?」

 「長崎行くんか?」

 「行かへんわ! しつこいな」。 北村を睨みつける糸子。

 「…考えたんやけどな。

 やっぱし、うちの土俵は東京ちゃう。 ここや。

 極楽も地獄も、ぜぇんぶこの窓から見てきた。

 うちの宝はぜぇんぶここにある」

 北村はやおら立ち上がります。 「オバハン分かっちゃあるけ?」

 「はぁ?」

 「お前もうたいがい歳やど」

 「うっさいなあ。 人のことゆわれへんやろ?」

 「ほうよ。 お互い、この先無くしてばっかしじゃ。

 オマエがゆうちゃあった宝かて、どうせ一個ずつ消えていく。
 人かてみんな死んでいくんじゃ。

 お前ここにいちゃあったら、ひとりでそれに耐えていかなあかんねんど」

 階下で酒を酌み交わす人々の姿。

 「…しんどいど…ほなもん…」

 そんな北村に、糸子はしばらく考え込み、思い出したようにフッ、と笑うのです。

 「はっ…ヘタレが」。

 ヘタレという言葉は、勘助にしか糸子は使ったことがありません。 もしかすると糸子は、勘助と同じような匂いを、この性格もまったく似ていない北村に感じ取っていたのかもしれません。 人生をヘタクソに生きる、という点において。

 「はぁ?」 ヘタレと言われて、北村はちょっとムッとした様子です。 糸子は構わず言葉を継ぎます。

 「ほんなもん分かれへんやろ?」

 「なにがじゃ?」
 それに答える糸子のセリフは、かなり重要だと感じます。

 「そもそもやな。

 無くす無くすって何無くすんや?

 …うちは無くさへん。

 相手が死んだだけで、なぁんも無くさへん」

 「…はぁ?」

 「…決めたもん勝ちや」 勝ち誇ったような糸子。

 「なにゆうてんねん」 苦笑する北村。

 「ヘタレはヘタレで泣いとれ。

 うちは宝抱えて生きていくよって」。

 決意に満ちたような、糸子の顔。
 そして再び、盛り上がる階下。

 それを見守る千代は、人いきれのなか、縁側付近に、ある人の姿を認めるのです。
 ああもう、これ書いているだけで泣けてきた(笑)。

 善作です。

 ダメだ。 もう泣ける。

 大騒ぎの声が途切れます。

 善作が、その様子を見ながら、ひとりうれしそうに、酒を飲んでいるのです。

 静かに流れだすBGM。

 千代はよろよろとした足取りで縁側までたどり着きます。
 そしてお銚子をつぐ仕草をします。 手には何も持っていません。 善作はそれに合わせて、お猪口を差し出すのです。

 そして空の杯を、うまそうに飲み干す、善作。

 千代は、満面の笑みでそれを見守ります。

 相手が死んだだけで、なにも無くしたわけではない。

 これはこのドラマが、常日頃から、異界の人々との対話を、仏壇を通じてしてきたことの、いわばひとつの結論だと強く感じます。

 失うことがつらい人間は、泣いていればいい。

 でも違うんや、と。

 失っているのとちゃう。 全部自分のなかで、生きてるんや、と。

 冒頭にも書きましたが、これはオノマチサンへ向けた、脚本家のメッセージも多分に含まれている気がする。

 ミシンに手をかける糸子。

 年代物のこのミシンひとつで、自分は生きてきた。 これからも一緒や…。

 オノマチサンの、ラストシーンです。

 そして。

 昭和60年10月早朝。

 竹の子族みたいななりのギャルが、岸和田商店街を歩いていきます。
 真っ赤な口紅。 ガムをくちゃくちゃ噛んでいます。 誰だこのヤンキーの姉ちゃん?

 そしてすっかり様変わりしてしまった、オハラ洋装店。 ただショウウィンドウの体裁は一緒なので、おそらく改築したのでしょう。

 ショートカットの女が、寝床で寝ています。 ヤンキーの姉ちゃんが、それを起こします。

 「ばあちゃん。 朝」。

 それは優子の次女、里香(15歳)。

 「ん…ん~、んん」。

 寝床から起きたのは、72歳になった糸子です。

 「(おはようございます)」。

 驚くほど、「声のトーンが低くなったオノマチサン」、というイメージでした。

 「(歳をとりました…)」。

 ホントのことなのですが、それはまるで冗談のようで、なんか、笑ってしまいます。
 寝床を片付ける、72歳の糸子。

 「よっこらせ…」(笑)。

 なんだなんだ、面白そうだぞ(笑)。








 三姉妹はそのままのキャスティングなんでしょうが、その他の人々は、いったいどのようになっているのか。 その興味も尽きません。
 やってくれるよなあ、このドラマ。

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2012年3月 1日 (木)

「スタジオパークからこんにちは」 尾野真千子サンの思い、糸子の思い

 周防役の綾野剛サンの 「スタジオパーク」、また国会中継で流れたようですね。 これで2度目だ。 なんか間が悪いなあ。 政治家たちの顔がまた一段と憎たらしく見えますよ(爆)。
 いったいいつになったらやるのかって、もう出番ないでしょ、綾野サン、「カーネーション」 で。 放送されるタイミングを永久に失ったよーな気が…(追記 国会に潰されることがなければ、3月8日に放送されるようです)。 

 それはそれとして、昨日の 「スタジオパークからこんにちは」 のゲストが、「カーネーション」 ヒロイン糸子役の尾野真千子サン。
 昨日は東京にも大雪が降って、前半はその情報が画面の一部を占拠するような形になってしまい、なんかつくづく、「カーネーション」 ってちゃんとした形で視聴者のもとに届かないなあ、なんて感じています。 「紅白」 でも尾野真千子サンとコシノジュンコサンの絡みが見たかったのに。

 しかしこの 「スタパ」 が、結構見どころがあって。

 感想どうしようかなーなんて思いながら見出したのですが、途中から 「コリャ書かねばイカン」、なんて。

 まず登場時。 尾野サン、いきなり後ろ姿で足踏み式のミシンを操っています。
 そしてしゃべりは、結構関西弁混じりでサバサバとした、糸子そのままの印象。
 これがちょっと意外でして。

 というのも、数年前にドラマ 「火の魚」 の番宣で今は亡き原田芳雄サンが 「土曜スタパ」 にお出になったときの、VTR出演された尾野サンの印象が強烈に残っていたんですよ。
 「結構この人、ナイーヴな人なんだな」、と。
 とち子という 「火の魚」 の役柄そのままの人だな、と。
 原田芳雄サンが尾野サンのことを褒めていらっしゃったことを、今でも記憶しています。

 今回の 「スタパ」 でも、ご自分の性格を 「人見知りするタイプ」、と話していらっしゃいましたが、その感覚から申し上げると、「糸子のイメージを崩してはいけない」、という意識が働いていた、と感じる。 服装も、なんか糸子が自分で縫ったような感じのもので。 これも、「今日は糸子として出てきている」 という意思の表れでしょうね。
 役柄の糸子がそのような、人見知りをするタイプではない、ということを思ってからは、共演者のかたがたなどにも、積極的にあいさつに行ったりした、と話してました。 だいぶ頑張ったんでしょうね。

 ご出演されたドラマの経歴の中で、件の綾野剛サンと芦田愛菜チャンをいじめまくった 「Mother」 については軽~くスルーされて 「名前をなくした女神」 のほうばかりが話題になっていましたが、注目だったのは、放送当時17歳だった 「余命半年」 というNHKのドラマ(1998年)。 VTRの紹介に 「え~、みせんとってよ~」 とイヤそ~な顔をしていたのですが、見てみるとこれが、ウワ、メチャカワイイ。 空手をやってる少女の役で、役柄が糸子そのまんま。 チビ糸子を見ているような感覚でした。 「あんなぁ、あたしじゃりン子チエと違うんやでぇ」 ってセリフを復唱しながら 「もう見せないで」 と謙遜してました。

 そして 「カーネーション」 のダイジェスト。 なんかいろんなシーンがこちらも思い浮かんで、かなりのダイジェストにもかかわらずちょっとこっちも目がウルウルしてしまいました(私もだいぶこのドラマのレビューに心血を注いでおりますんで…)。

 そのダイジェストの感想を訊かれた尾野サン。
 「う~ん、楽しかったなあ、と思って…見てました…アハハ」。

 ちょっとこのあたりから、尾野サンが糸子に寄せる思いが、ちょっと垣間見えた気がしたんですよ。
 いろんなつらいことがあったけれども、みんな楽しい思い出、みたいな。
 このドラマに出ていたこと自体が夢のような瞬間の連続だったなあ、みたいな。

 「なんかひとつのことに没頭してましたけど、そのなかでいろんなことがありすぎて、…なんかすごい、…んー宝物になったんだと思います」。

 そんなさばさばとした対応に終始していた尾野サンに変化が見られたのは、スタッフから 「尾野サンを一言で表すと」 という証言を聞かされていたとき。

 最初は 「オッサン」 とか 「糸子そのまま」 とか 「狂犬」 とか、まあけなし言葉だらけだったのですが、「人を巻き込むのがうまい」「明るさと強さをもった人」「尾野さんの姿勢を見ていると、自分も頑張ろうと思った」 などというスタッフの話を聞いているうちに、尾野サンは両手を頬に当て始め、「え~うれしい…」 とつぶやく。
 「ちょっと、ウルウル?」「しないです」 そんなもん、みたいに応対していたのですが、鼻が赤くなり始め(ちょっと 「カーネーション」 のレビューのときみたいな細かさが自分も入り始めてます…笑)、ウルウル、ちょっとし始める。 かなり涙を我慢している、という感じなんですよ。

 そして両手で火照った顔をあおぎ始める。 それでも別の話が進んでいくに従って、涙が出てきてしまうんですよ。 そしてちょっと、むせるのです。 そしてあけすけに苦笑いする。

 この動作のいちいちが、「ちょっと」、というのがまた、ん~、なんつーか(なんなんだ)。

 まあこのときは演技じゃないと思うのですが、つくづくこの人、こちらをグッと来させる涙の流し方をいたしますね。 「カーネーション」 での涙の演技は、そのどれもが別のもので、「この人どんだけ泣きのバリエーションがあるんだ」、と感じたのですが。

 そして果ては、男性アナウンサーからハンカチをもらって涙を拭いたりするのです。
 こみ上げてくるものを抑えられない、という感じです。

 その、ドラマへの思いがどないな質であるものなんかを私が想像してしまったのは、次の場面です。

 それは、糸子の母親千代役の、麻生祐未サンのコメント。

 「これからも、気を落とさずに、…糸子が終わったら病気しないで、…いろんなたくさん、面白い顔を、みんなに見せてください…んー。 みんな、ホント、大好きだから」。

 そしてペコっと一礼。 「ありがとうございます」。

 どうも細部を読みまくる癖がついちゃってるのか、「気を落とさずに」、というのが気になるんですよ(笑)。

 つまり尾野サンとしては、最後まで糸子を演じたかったんだろうな、というのが、ここから読み取れるのです。 そしてその思いを、麻生祐未サンは知っていた。 「みんな、ホント、大好きだから」 というのも、尾野サンを慰めているように感じる。

 …あ~なんか、ゴシップ週刊誌みたいやな(笑)。

 この麻生サンのコメントを見た尾野サンは、「もう!」 と小さく言いながら、また両手を頬に当てるのです。 また感無量な様子。 もう涙を隠そうとしません。

 そして、尾野サンが主役交代について自分の考えを述べたのが、このような言葉でした。

 「そうですね、いや、じっさい私も寂しいですね。 あの、8ヶ月間撮影で、大阪にいたので。
 やはりその、バトンタッチすることは、正直すごく寂しかったです。
 あたしが、死ぬまでやりたい、という気持ちはホントにたくさんあるんですけど。
 でも、…私の力では、まだまだ、その、おばあちゃんをやる、力はまだないんですよね。
 どう考えても、…んー、たぶん見てる人たちが、それこそ、混乱してしまう、と、思うんです。
 でもそのときに、あたしすごく尊敬してるんです、夏木マリさんていう人を。 すごく好きで。
 あのかたが、やってくれるって聞いたときに、すごくうれしくて。
 で、確かに夏木マリさんてこう、方言が、関東のかたで、岸和田、関西弁はぜんぜん、なんですけども、でも、…すごく、気持ちを伝えてくれる、役者さんていうのを私すごく尊敬してるかたで。
 この人にやっていただけるなら、私は何にも言うことはないと、なんか、…安心して、なんか、バトンを渡せましたね。

 …きっとその、方言という面では、きっと、今までずっと見てたかたは、『あれ、ちょっと変わった?』 って思ってしまうところもあると思うんですけども、でも、それが芝居ではなくって、私たちが伝えたいのはやっぱり気持ちであって。 その気持ちが、たぶん、全国に、伝わるんじゃないかなと、私は、安心してます」

 そして演じ終えた感想を訊かれて。

 「うーん。 なんだろう…。

 とにかく、宝です、ホントに。

 何度も、何度も言うようですけど、私のなかで、…糸子、『カーネーション』 っていうのは、自分の中ではずうっと、宝物で。

 それは、箱の中にしまっておく宝物ではなくて、これからもずっと受け継がれていく、みんなの心の中で生きていく、宝物、だと思ってますね、今は」

 そしてニュース解説に移るときに流れた、「ふたりの糸子のうた」。

 尾野サンにとってお気に入りだった、というこの歌のシーン。 うれしそうに一緒に歌ってました。 クソッ、またやられたぞ(笑)。 MLACT様、私もやられてしまいました(爆)。 同棲してるやつが羨ましい?(なんだソレ)。

 そんな尾野サン、尾野サンとしてドラマの男性陣の誰がいちばん好きか、という問いに、「北村!」(笑)。

 ほっしゃん。が尾野サンのことを散々やなヤツとこき下ろしていた過日の 「スタパ」 とは一転。 そのときVTR出演していたときは、尾野サンはいたずらっぽい目つきでほっしゃん。を挑発していたのですが。
 まあ、勘助もいい、とも尾野サンはおっしゃってました。

 尾野サンが糸子でいられるのも、あと1日?2日?

 土曜日放送分のどこから夏木マリサンに代わるのかな?

 でも、「安心してバトンタッチした」 と尾野サンがおっしゃるのだから、ちょっと不安もある夏木マリ編、私もその思いを汲みながら見ていきたいなァ、と感じました。

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2012年2月26日 (日)

「カーネーション」 第21週 超えられる者の思い

 今週のこのドラマ。
 中盤まで看板を譲る、つまり第一線から退く、という糸子の感慨を描いて泣かせるのですが、物語はその先を、容赦なく描いていく。
 つまり糸子の感慨は、親を超えてしまった子によって、見事に粉砕されることになるのです。
 相変わらずのすごさです。

 子供にとって、親というのは超えなければならない存在です。
 私なんぞ親に負けてますけどね。

 いずれにしても先週も指摘したとおり、「カーネーション」 というドラマのそもそもの出発点は、「世界的なデザイナーであるコシノ三姉妹の母親とはどのような人だったか」、という興味であります。
 つまりこの大前提の時点で、コシノ母娘の場合、子は親を超えてしまっている。
 この物語で重要なのは、ここだと思うのです。

 この物語の主人公、小原糸子は、世界的デザイナーの娘たちに負ける、ということが確定している。
 この物語の母娘は、同じ土俵の上で闘っています。
 だからその勝ち負けも、残酷なほど本人たちは自覚しなければなりません。

 普通、親は子に追い抜かれると、うれしく思うものです。 だよなァ?(笑)
 少なくとも負けたような人生を子供が歩んでいるのを見るよりも気分はいいでしょう。
 けれどもこの物語の主人公は、娘たちと同じ土俵にあるがゆえに、娘たちが自分を追い越したことに、そんなうれしさよりも先に、自分のこれまでの人生を否定されたかのような屈辱にまみれるのです。

 別にいずこも同じかなァ?

 「坂の上の雲」 の伊東四朗サンみたいに、「親が立派過ぎると子供は委縮する」 とだらしない?人生を送る人のほうが例外なのかもしれない。
 子供の給料のほうが自分よりいい、なんて分かったら、結構屈辱だよなァ。

 けれどもたんに一面的な価値観から見た勝ち負けの問題で、ものごととは量れるものなのか。
 そうではない、と「カーネーション」 の作者は主張しているように思えます。
 糸子が自分の敗北を認め、そこから出発することに、この物語の作り手の主眼がある。

 今週のこのドラマを貫いていたと思われるのは、超える人の思い、超えられる人の思い。
 超えていくのは、なにも人ばかりではありません。
 時代が、人の思いを超えていく。
 だんじりの大工方が、変わっていくように。
 時はすべての人を飲み込みながら、足早に先へ先へと通り過ぎていくのです(「シクラメンのかほり」 みたいだなァ)。




 月曜放送分。

 それまでの自分のすべてだった、テニスのラケットを行李にしまう聡子。 母親の糸子にあらためて、短大を出たら洋裁学校に行かしてくれ、と頼んできます。
 それを聞いた糸子。
 聡子の真剣な目を見て、「うん。 やりたいようにやり」 とゴーサインを出すのです。 が(笑)。

 昭和38年4月。

 洋裁学校に行き始めた聡子は、たった3日で音を上げてしまうのです(笑)。 聞けば、机に向かって勉強するのが耐えられない、と(笑)。 当然糸子の怒りは爆発するのですが、アホの聡子はなにが悪いのか分かりません(蛇足ですが、この糸子の一連の動きにつかず離れず寄り添っている、千代の存在。 ホントにさりげなく演出が細かいんだよなあ)。

 「ほんまに、あのアホ娘が!」 と毒づく糸子の前を、聡子の中学時代の顧問の先生が通りかかります。 糸子はこないだの失礼(全国大会優勝の吉報を喜んできてくれたのに寝ぼけた顔で追い返したこと)を詫びながら、今までほったらかしにしておいた聡子の性格について、あらためて顧問の先生に訊くのです。

 「その、『学校がやめたい』 っちゅうのも、根性がのうてゆうてるのとちゃうんです。 聡子さんの根性はもうごっついもんです。 『10キロ走れ』 っちゅうたらかならず走る。 腕立て200回。 素振り1000回。 やれっちゅうたことやらんかったことは一回もありません。
 やりきるか、倒れるかのどっちかでした。
 あいつにはとにかく、でっかい山を、どぉ~んと置いちゃるっちゅうことが大事なんです。
 『この山を登れよ』 ってゆうときさえしたら、どんだけしんどても、脇目も振らずに登っていく。
 ハッと気付いたらもう、エライとこまで行ってるんです。

 やる気がのうて、『学校やめたい』 ゆうとるんやない。

 がむしゃらに、洋裁をやりたいだけちゃうやろか。

 …自分には、そんな気ぃします」

 いや、ちょっとしか出て来よらんのに、この顧問の先生のセリフは、かなり重要です(笑)。
 アホがなにも考えんと、ただ言われたことだけをやっている。
 そりゃちょっと聡子に対して失礼なように感じるのですが、よく考えてみると実際その通りで(笑)。
 フツーの人なら 「つらい、やめたい」 などと苦悩すると思うのですが、聡子にはその神経回路がない(笑)。 まあ笑えるポイントですが、それって逆に考えると、結構アドバンテージじゃないでしょうかね。
 それに、「自分がアホだから」 という自覚があるかどうかは別として(笑)、「何も考えずに打ち込める」 ということを、聡子は本能的に探している。
 聡子の欲しているのは、仮縫いとか祭り縫いとか、なんちゃらかんちゃらとか、そんな基礎的知識じゃないのです。
 やりたいことをがむしゃらにやっていくうちに、そんなものは自然と身についていく。
 テニスで言うフォアハンドとかバックハンドとかも、聡子は最初に知識として詰め込まれようとしたら、たぶん拒絶したと思うんですよ。 不器用だけど、そのほうが確実。

 糸子は聡子に対して、自分の描いたデザイン画を渡し、これをなにも見ないでも描けるようになったら、学校はやめさしちゃる、と早速、大きな 「山」 を与えます。
 「はぁい」 と相変わらず気の抜けたような返事をしながら、まるで赤ん坊のようにそのデザイン画を描き始める聡子。
 聡子は、母親から与えられたその大きな山を、それが山とも知らず、登り始めるのです。

 聡子はいったん登り始めると、顧問の先生が言っていたように、ひたすら脇目もふらずにそれに没頭し出します。
 寝る間も惜しんで挫折を続け、果ては窓ガラスに原画と白紙の絵を2枚重ねにしてトレース(複写)までする始末。
 このトレースという方法はその昔、やっちゃイカンと散々言われたものです、図工の先生から。 デッサンが身につかない、ということなんですけど、こと被服デザインの場合、正直なところ人物の造形に意味があるわけではない。 どのような形状、どのような色の服なのか、ということが重要視されるのであって、それをトレースしてまで盗もう、とする聡子の、「なりふり構ってらんない」 トランス状態を特筆すべきでしょう。 ものすごい集中力だと感じます。
 そしてここが肝心なのですが、それをやっている聡子が、とても楽しそうにしているところ。
 楽しくなければ、こんなことは続かないのです。

 そして東京。 泣いてどうなるのか(ちゃうちゃう)。

 優子が手伝うようになってからの直子のブティックは、だいぶ繁盛しているようです。
 ただし売り上げの6割を占めているのは、優子の作る、まあ直子のものに比べればたぶん常識的な服。
 船頭多くして、という状態になりつつあるようです。
 これはとりもなおさず、優子にデザイナーとしてのじゅうぶんな力が付いてきた、ということを意味しています。 仕事のやりかたに迷いながらべそをかいていた経験が、花開いているのです。
 当時のファッションの先端であった東京で信用がついていく、ということも、優子の自信へと直結している気がします。
 2年間の東京と岸和田との往復で、優子には精神的なタフさも身についた、と思われるのです。
 ただこのドラマ、やはり糸子が主役のドラマ。
 優子の成長ぶりについての描写は、なんとなく物足りなさも感じる。 だけどここらへん、見る側が脳内補完をしていく必要があるか、と感じます。 でないとこのあとに展開する話が唐突になる。

 そして売り上げでは優子の後塵を拝している直子も、ことファッション誌の取材となると、圧倒的に軍配が上がるらしい。
 これは直子のデザインのほうが先鋭的であることに、世の中が追いつきつつある、ということを表わしているような気がします。 当時のファッション誌って、今みたいに百花繚乱じゃないから、時代の先端を行くコンセプト系みたいのが多かったんじゃないのかな。 その取材を受けるというのですから、やはり優子のような大人しめなやつでは記事にならない、と言いますか。
 先週店先に飾られていたサイケデリックなオブジェが直子のデザインのコンセプトだとすれば、あと4、5年くらいは待たねばなりません。 直子の先進性がファッション誌にもてはやされるのは当然の成り行きでしょうか。

 大阪に帰った優子は聡子の特訓を見て、自分と直子の古いデザイン画を送って寄こします。
 直子の野獣的なデザイン画、そして優子の華麗なデザイン画。
 それらは、糸子の描いた、いかにも一昔前、といった趣のデザイン画とは違います。
 糸子はそれを見て、「うちも負けてられへん」 と、聡子と一緒になって、ガラス窓に向かって直子のデザイン画をトレースをし始める。

 「(それが腹立つほどええんです)」。 娘ふたりのデザイン画を素直に認め、それに対抗心を燃やしていく、糸子なのです。





 火曜放送分。

 前回からだいたい1年後の昭和39年8月。

 サンローランのディオールからの独立とか、既製服が時代の主流になったことが、冒頭糸子によって説明されます。
 「太鼓」 で聡子と共にファッション誌を眺める糸子は、「オモロイなぁ」 と北村にしゃべっています。
 優子と直子のデザイン画を聡子と共に描き続けた糸子も、だいぶモードに対して思考が柔軟になってきているのです。

 「(厳しい競争のなかで、どないか自分の世界を切り拓いたろっちゅう熱が伝わってくる)」。

 娘たちのデザイン画によって、自分にもその情熱が、還元されていくかのようです。
 糸子の脳裏に、だんじりの風景がよみがえります。

 「(ごっつい勢いで走っていく時代。

 そのてっぺんで、風切って立つ。

 舞って、跳んで、魅せる。

 モードは大工方や!)」

 大工方のイメージに、外人のモデルが重なります。 パルコのCMかと思った(笑)。

 「(とはゆうても。

 大工方とおんなしで、モードも若い人らの役なんでしょう。

 もううちの役とは違います)」

 糸子が先週、徹夜続きでなにをやっとるのか?ということを、当ブログでは指摘しました。

 つまりこれは、70歳を超えて自分のブランドを立ち上げる糸子の、蛹から蝶に脱皮するための第一歩ではないのか?と。
 「自分の本当に欲しいものとは何か?」。
 この思索を始めた糸子に、私はあらたな人生のステージのプロローグを見た気がしたのです。
 けれどもその思いは、今のシーンを見る限り、若い世代のモードに対して向いていません。
 そのうちに糸子は、自分の父親から店を譲られた歳のことを考えるようになってしまい、思いは一気に、「隠居」 という方向に、傾いていく。

 一年間デザイン画だけをただひたすら描いてきたと思われる聡子。
 ファッションデザイナーとしては、かなり変則的な成長の仕方をしているように思われます。
 そんな聡子のデザイン画を見て、帰阪した優子が 「基礎はできたんとちゃう?」 と太鼓判を押します。 でも喜ぶ聡子に、優子はくぎを刺すのです。

 「けどな。 こっからなんやで、ほんまは。

 まあ、あんたがどの程度の洋裁屋になりたいかやけど。

 要はな、普通の職人でええんやったら、もうじゅうぶん一人前や。
 けど、うちとか直子くらいのデザイナーになりたいんやったら、こっからが勝負、っちゅうことや。

 お母ちゃんともうちとも直子ともちゃう。
 あんたの色っちゅうもんを、自分で見つけていかなあかん。

 …それがいちばん大変なんや」

 目を輝かす聡子。 変則的な基礎のもとに、自分の個性を促す優子の助言。
 部屋の襖には、ビートルズのロゴとかロンドンの二階建てバスの絵などが張ってある。
 聡子はおそらくビートルズの影響から、1960年代に一世を風靡したロンドンのカーナビ―・ストリート・ファッションに目を向けていくことになったのでしょう(なんだなんだ、よく知ってるぞ…笑)。 ツイッギーに象徴される、ミニスカートですね。
 この方向って、優子とも直子とも違う特異なアプローチのような気がいたします。

 それを聡子が試したのが、聡子の客として最初についてくれた、鳥山という、鶏ガラみたいな派手なオバチャン(笑)。
 こんなオバチャンおるおる、みたいな(笑)。
 聡子はこの注文の多いオバチャンに、自分が考えていた、驚天動地のファッションを提案してくるのです。

 優子の評判は三浦組合長をして客を連れて来させるほどのレベルにまで達しています。
 三浦はその様子に、「ええ跡取りが出来た」 と感慨深げ。 糸子も、ファッションセンスだけでなく、経理関係にも強い優子にかつてなく頼もしさを感じている様子です。 そして先に述べたような、「第一線を退く」、という方向に、思索は傾いていく。

 「(気ぃついたら51。

 お父ちゃんがうちに店を譲った年を越えてしまいました)」。

 ひとりコップ酒をあおる糸子。 善作の遺影に語りかけます。

 「(なあお父ちゃん。

 うちの娘は、うちと違うて優しいよって、)」

 回想。

 若き日の糸子が、善作に口答えしています。

 「悪いけどな。 お父ちゃんより今はうちのが、よっぽどこの家支えてるんや!」

 頬杖をついて、それを思い出す糸子。
 振り返れば、なんて口を親に対して聞いていたんでしょうか。

 「(うちを、あんなぶった斬ったりしません)」

 そしてまた回想。

 土下座をして頼み込む糸子を、善作は思い切り足蹴にします。 思い切りぶっ叩きます。 「こんガキゃ!」。 そして思い切りケーキを叩きつけます。 「こんなもんが、なんぼのもんじゃ!」。

 再び物思いにふける糸子。 その善作の反応と自分とを比較しています。

 「(…まあ、うちも、お父ちゃんほどひどないけどな)」

 そしてまたひとり手酌をします。
 そして糸子は、父親の引き際について、思いを致していくのです。

 「(ほんでも、いつ、そないしたらええんやろか?

 …いつ…)」。

 翌日、そんな糸子に、比較的ショックな出来事が起こります。
 鳥山のオバチャンのためのデザイン画ができた聡子が、自分ではなく、優子にその出来を尋ねたのです。

 「なんや?」 どないした、と聡子に訊く糸子。

 「いや、デザイン見てもらいたあて…」

 「どれ?」

 何気なく差し出した糸子の手は、虚しく空を切ります。 「姉ちゃん!」 優子のほうに向かう聡子。 「あんな、ちょっと見てもうてええ?」
 何の気なしに応える優子。 「うん」。

 そしてそのデザイン画。

 かなりのミニスカートです。

 優子は聡子の判断にそれを委ねていくのですが、糸子にとってそれは、自分がオールドタイマーであることを決定的に思い知らされた出来事でした。

 「(潮時…。

 近いうちに、今やな、ちゅうときが来るんやろ…。

 間髪いれず、潔う、決めちゃろう。

 お父ちゃんみたいに…)」。

 三浦の感慨から、この場面まで、ものの5分もたっていません。
 なんたる内容の濃さなのか、ため息ばかりが出ます。

 糸子がこれだけの決断を迫られるのは、優子がそれだけ、頼もしくなってきたからです。
 子が親を超えてしまったとき、うれしさよりも寂しさが先に立つ。
 あんなに、アホやとばかり思っていた聡子でさえ、そんな一人前になった優子が自主的な判断を任せてしまうほどに、成長している。 顧問の先生がゆうてた通り、ハッと気付いた時には既に、エライとこまで行っているのかもしれない。
 自分の感性が時代遅れになっている。
 時代に取り残されている。
 だからこそ、もう引退するしかないのか。
 そんな糸子の思いが、善作の回想を経ながら、確実に着床していく。
 奇跡のような、火曜日放送分の、ラスト5分間でした。




 水曜放送分。

 聡子のミニスカートは、果たして鳥山のオバチャンを激怒させてしまいます。
 こんなハレンチなもの着れるか!と、オバチャンは憤然と出ていきます。 「もう金輪際、ここにはけえへんから!ふんっ!さいなら!ふんっっ!」。

 この残念な結果に、糸子や昌子たちは、却って 「手に負えないクレーマーを撃退できた!」、とポジティヴシンキングなのですが(笑)、初めてのデザインがこのようにあからさまに否定されたことに、聡子は大きなショックを受け、泣き出してしまいます。

 「勉強さしてもうたと思い」 と、糸子はアドバイスをしながら慰めます。 心配する千代に、「明日から祭りやし」 と、糸子は気にも留めません。
 案の定、だんじり祭りが始まって、聡子ははしゃいでいます。 立ち直りが早いのは、アホの特権であります(ずいぶん失礼な言い草やな…)。
 過ぎ去っていくだんじりを見守る中には、年老いた安岡玉枝やその家族。 直子も帰阪しているようです。 直子は、オスカルみたいな服を着ています(笑)。

 そんな直子に、自分のデザインしたミニスカートを見せる聡子。 直子は驚嘆の声を上げます。 「ええやん! あんたなかなかやるな!」

 「お客さんからは、ハレンチてゆわれてしもたんやけど…」 おずおずと話す聡子に、直子は発想の転換を聡子に促してくるのです。

 「そんなもん、ゆわれたもん勝ちや。
 うちなんかしょっちゅうゆわれてんで。
 ハレンチやら悪趣味やら。

 ほんでええねん。
 デザイナーがええ子ちゃんでどないすんねん?」

 鳥山のオバチャンのファッションを思い返してみると、派手派手なんやけど、そんなに奇抜なほどグロくはない。 「派手にするとチンドン屋やないとゆわれる」 と糸子が話していましたが、チンドン屋みたいな、原色同士のぶつかり合いとか、テカテカキンキラキンとか、そんな品のない派手さじゃないんですね。
 そのオバチャンからすれば、聡子の繰り出したミニスカファッションは、時代からすればかなり唐突で、はしたないと思われて当然、という気はするのです。

 しかし直子はそのことには頓着せず、聡子のこの発想がどこから来るのか、知りたがります。 デザイナーとしてのアンテナがビンビン来たのでしょう。
 聡子はそれに対し、ビートルズファンの女の子がこういう格好をよくしている、と話しておりましたが、んー、ビートルマニアの私の見解を述べさせていただくと(笑)、確かにチラポラと、ニュースフィルムに映っていた気はいたしますね。 蛇足で恐縮ですが、後年ビートルズが独立して事務所を構えたのが、ロンドンのサヴィル・ロウ。 「背広」 の語源となった場所であります(また知識をひけらかそう思て)。

 直子は、自分がそれをカッコええと思たら、それをあくまで貫きとおさなあかん、と助言します。
 自分の感性を信じる。 それを最後まで曲げずに主張する。
 その揺るぎない自信に、ついてくる顧客の意識、というものがあるのです。
 直子のこの助言は、聡子を特殊な方向性のデザイナーへ向かわせる、またもうひとつの端緒となっている気がいたします。

 お祭りのごちそうに呼ばれていた北村が、その晩糸子や娘たちと、デザイナー育成光源氏計画が頓挫したことを語り合っています。
 そのなかで北村は、集めた洋裁学校の生徒たちが、ボンクラばかりやったと酷評しているのですが、直子や聡子に向かって 「お前らみたいながめつい奴ら」 とさりげなく褒めているところに着目です。
 そう、直子も聡子も、「がめつい」 という点において、共通しているのです。
 つまり自分の才能を伸ばすことに、がめついまでに意欲的、ということです。
 ガツガツしている。 ハングリーさを兼ね備えている。
 それが彼女たちを、世界的なデザイナーにした一因なんだと、妙に納得してしまいます。

 「それ見たことか。 せやからゆうたやろ、『そんな簡単ちゃう』 て」 といつものようにツッコミを入れる糸子に、北村はうんざりしたように言い放ちます。 「あ~もうババアの決まり文句やのォ! 『ほれ見たことか』。 オマエよ、これからの人生そればっかりで生きていくつもりやろ」。
 「なんや?」 凄みを利かせて絡んでくる糸子に、北村は構わずしゃべり続けます。

 「ま、簡単やないっちゅうのは分かっちゃあんねん。 せやけどやらな分からへんやんけ」

 直子と聡子に同意を求める北村。 彼女らも同意見です。 自分の発想の硬直化に、またもや直面したような、ばつの悪そうな糸子の表情。
 北村は更に構わず、不動産屋にも手を広げ始めたことを吹聴し出します。 土地の値段が上がり始めたことに乗じた商売です。 要するに、バブル景気のいちばん最初の予兆、とも呼べる話であります。
 そのスケベ根性に呆れる糸子なのですが、心斎橋の空き店舗の話に乗ってきたのは、直子です。
 このときは単に、楽して金儲け、という話に同調していたようなのですが、この話はのちに、別の動機によって本物になってきます。

 軒先の長椅子に座って、祭りの人たちをねぎらう糸子。 毎年変わらないだんじり祭りですが、その中身はどんどん変わっていくことを、実感しています。
 「御神燈」 の提灯がぶら下がる俯瞰から、カメラはゆっくりと下がっていく。
 そこにやってきたのは、神妙な顔をした、北村です。

 「あのよ…。 ずっと前から訊きたかったんやけどよ…」

 「なんや?」 身を乗り出す糸子。

 「お前よう…。

 …

 わい…。

 …」

 言い澱んだ末に、北村はなんやどーでもええような話を始めます。
 ここは確実に、「わいのことどう思ってんねん?」 ちゅうことでっしゃろな。
 ベタとも思えるこの場面でしたが、その北村の不器用さが、なんとも切なくて、いいんですわ。
 なんや関係ないんですが、最近NHKのラジオ深夜便でよくかかる、平原綾香サンの 「会いたくて」 という歌を思い出してしまいました。

 「誰かに会いたくて/何かに会いたくて/生まれてきた/そんな気がするのだけれど」。

 深夜便の歌にしては、かなりいい曲だと感じています。 紅白で聴きたいな。
 そんな会いたい人に会うために生まれてきたのに、不器用にすれ違ってしまう。
 なんか…。
 とても切なくて。
 そしてそんな人生が、とてもいとおしく思えるのです。

 ただ 「スタジオパークからこんにちは」 でゲスト出演したほっしゃん。によると、ほっしゃん。とオノマチサンは、かなり仲が悪いらしくて(冗談でしょうけど、力がこもってました…笑)。
 そしてそのどーでもええ話。
 偽物んをつかまされた北村は、わざとらしく悔しがり、それを証明して見せた糸子は、「それ見たことか」 とばかり、いたずらっ子のように笑っている。
 このふたりの仲は、こんでええ。
 そんなことを思わせる、とてもいとおしい場面のように思えました。
 北村よ、「簡単やないっちゅうのは分かっちゃあんねん。 せやけどゆうてみな分からへんやろ」(笑)。

 翌朝、北村は寝ているところを直子に手を踏んづけられ、糸子にどつかれ、千代にぶつかりながら、直子から心斎橋の物件を保留にしておいて、と頼まれます。 「お母ちゃんには内緒やで」。 そんな直子、髪の毛はボサボサ、つけまつげもようつけてません(笑)。 直子は何を考えているのか。 北村は、思わずニヤニヤニヤケてしまいます。





 木曜放送分。

 昭和39年11月。 東京オリンピックが、さらりとスルーされています(笑)。

 オハラ洋装店の看板を見上げる糸子。 木曜冒頭から、重要度の高いシーンであります。

 「(うちん時は、さっむい日ぃに仕事から帰ってみたら、看板が消えちゃあた)」

 糸子の回想。 在りし日の小原呉服店の、懐かしい佇まいです。

 「(ほんで店に入ってみたら、)」

 白い布に包まれた、小原洋裁店の看板を見下ろす糸子。 「なんやこれ?」

 「ほんで家のなかもがら~んとしちゃあて……おばあちゃん、おばあちゃんちゅうたら、おばあちゃんが台所で豚揚げちゃあって……みんなどこ行ったん?……なぁ、なぁ?……ほしたらおばあちゃんが」

 夢遊病者のように、現在のオハラ洋装店のなかを歩いていく糸子。 昌子も松田も千代も、心配そうにそんな糸子を見つめています。

 そして回想。 懐かしいハルおばあちゃんが、きっぱりと若き日の糸子に言うのです。

 「あんな。 今日から、うちとあんたの、ふたりっきりや!」

 そして現在。 「で、うちが、…『ええ?!』」。
 糸子は夢から覚めたように、忌々しげに吐き捨てます。 「…クソ!」

 そして善作の遺影に、糸子は恨めしげに語りかけます。 後ろには、心配する千代の姿が。

 「ええなあ、お父ちゃん。 あんなカッコええことでけて」。

 火曜日の糸子の回想と合わせて、回想シーンの傑作とも思えるほどのたたみかけ。 ため息が出ます。

 「(今のうちは、ああゆうわけにはいかん。
 うちが雇うてきた従業員がおる。
 つきおうてきたお客さんがおる。
 責任も義理も山ほどある。
 あないバッサリはいかん。
 店のためにも、優子のためにも。

 …

 やっぱし、もっと、こう、…

 ボチボチと…丸う丸う……)」。

 善作が自分にしてきた暴力などを考えると、波風立てずにバトンタッチしたい、という気持ちが、強いようです。

 いっぽう東京では、直子と優子の仲は、もはや修復不能なまでに悪化しています。 数メートルしか離れてないのに、ことづけを従業員に託す直子。 今晩話がある、というのです。

 その晩。 意外にも、直子は北村を伴ってやってきます。 いつの間にやら、直子はこの下宿を飛び出していたらしい。
 直子は単刀直入に話を始めます。 「あんな。 うち店辞める。 店辞めて、心斎橋で、新しい店やる」。
 北村の物件で店を始めようとする直子の意向に、「ようそんな勝手なこと言えんな。 お客さんやら従業員やら、どないすんねん?」 と、優子はブチ切れます。 発想がまんま糸子と一緒なことに注目です。 でも直子の過激な考えは、そんなしがらみなどもはや優子と一緒に仕事をやることに比べれば、もう何でもない。 直子はちゃぶ台を叩きます。

 「あんたがやったらええんじゃ!」

 「はぁ?…店におらなあかんのは、あんたちゃうんけ?!」

 ちゃぶ台を叩き返す優子。
 直子は、あんな店、うちはもうどうでもええと言って、涙をこぼします。 「…とにかく、うちはあんたが目障りなんや」。
 いやいや、ここまで言いますか(笑)。 「コシノ姉妹は仲が悪い」 とか、格好の週刊誌ネタですけど、却ってここまで開き直って内幕をばらすドラマの内容に、ちょっとまたまた感心してしまいました。 要らんとこまで感心さすな、という感じですが。

 「…分かった。 うちが店辞める。 ほんでええやろっ!」

 結局店を辞めてしまったのは、優子のほう。 両雄並び立たず、というこの決別。 優子は娘の理恵を伴って、岸和田へと帰ってくるのです。

 「(…あ。 ここやな…)」。

 帰ってきた優子を見て、糸子は自分が第一線から退くタイミングはここだ、と直感します。 「(ここがうちの引き際や)」。

 「太鼓」 で糸子は、昌子と松田に向かってその意向を明らかにします。
 形の上では今まで通り。 自分も店に出て仕事はするけれども、オハラの看板は、もう優子のもんや、と。
 それを聞くともなしに聞いていた木之元のおっちゃん。 なんとも寂しそうな一瞥を、糸子に投げかけます。

 「東京と岸和田行き来してる間に、あの子ももう一丁前や。 いや、一丁前どころか、働き手としたら、相当デカなってまいよった。
 一軒の店に、うちとあれがおんなじ大きさでおってみ? あんたらも仕事しにくいで。

 …順番から言うたら、うちの仕事や」。

 「けど、まだ早いんとちゃいますか? そんなん、うち……先生がそんなんゆうの、いやです…!」

 昌子の本音が詰まったこの言葉。 昌子が糸子について来た年月のことを考えると、こっちもちょっとグッときます。 「もうちょっとこのままでもええんやないですか」。 松田も糸子に慰留を努めます。

 「おおきに…」

 糸子は頭を下げるのですが、ここでカメラが一瞬ぶれた(笑)。 目ざとい視聴者の私は見逃しません(笑)。 このドラマ、こういうミスがなかったので、すごく目立つんですよ。 しかも一回ならいいけど、今週このあともう一回カメラミスがある。 ハテナ?という感じですな(あ~もうどうでもええがな)。

 「せやけど、だんじりかて、あない役はどんどん替わるやろ?

 どんなけ寂しいても、誰も文句ゆわんと、どんどん次に渡していく。

 …格好ええやないか、あんなんが!」

 顔をそむける昌子。 人知れずうなづく木之元のおっちゃん。 だんじりを引き合いに出されたら、誰も文句は言えないのが、岸和田流だ、そう感じるのです。 もうなんか、泣けた。

 八重子も、糸子の決心を聞いて、涙を押さえることができません。 「…なんで?」。 そう尋ねる糸子に、八重子は言います。

 「堪忍な…。 うちが泣くことちゃうんやけどな…。

 糸ちゃんが、21で看板あげてから、それからのことは、全部見て来よったよってなあ…」

 「いや…。 けど別に…。

 オハラ洋装店の看板下ろすわけとちゃうよって。

 …なにも変われへんよ…。

 なんも…」

 安岡美容院から帰ってきた糸子。 夕闇のなか、オハラ洋装店の看板を、見上げます。

 21で看板を上げてからのことが、脳裏に浮かんでは消えているのでしょうか。

 糸子の目に、涙がたまっていきます。

 そして、こぼれてしまう一粒の涙。

 糸子は苦笑いしながら、その涙をぬぐいます。

 …泣けた。

 イカンなあ…。

 糸子が帰ってみると、北村がまた呼ばれています。 「なんや、来てたんかいな」。 今まで涙を流していた照れも手伝ってか、一層無愛想に吐き捨てる糸子。 北村はどうも、事情があってそこにいる模様。 昌子も松田も、そこに同席しているのですが、こちらはその事情を知らない様子です。 昌子と松田は、糸子が優子に跡を継がせる、ということに立ち会うためにそこにいる、という感じです。 食卓には、ロールケーキがのぼっています。

 「あんなお母ちゃん。 話があんねんけど、ええ?」

 口火を切ったのは優子です。 柱時計の時報が鳴ります。





 金曜放送分。

 「勝手をゆうようなんですけど……うちを独立させてください」。

 糸子は努めて冷静を装いながら、「どういうこっちゃ?」 と優子に訊きます。 優子は、北村の心斎橋の物件で、自分の店を始めたい、というのです。 資金も北村に融通してもらうことになったらしい。 北村はプレタポルテの打算があることは認めるのですが、これは商売人としての話や、と糸子に弁明します。

 優子は、自分の母親をまだまだ現役だと思っています。 そして聡子が育ってきたことで、自分の居場所というものがなくなっている現状も把握している。
 でも、優子は母親の思い、というものに気付いていません。 看板を継がせる、ということにこだわっている、糸子の思いを。

 「せやからうちは…。 もうあんたに看板を譲るつもりで、…準備しちゃあたのに…」。

 驚く優子。

 でも。

 優子の思いは、すでにオハラの店を継ぐという器では、満足しきれなくなっていることに、母親の糸子は気付いていません。 お互いに、お互いの肝心なところに気付いてあげることができない。 この構図には、ただひたすら、うなります。

 「昌ちゃんや恵さんには、こないだ話して了解してもうたよって。 あんたらには、大みそかに直子が帰ってきて、みんなが集まってから、ちゃんと話そう思うちゃったのに。

 …(優子を睨みつける糸子)…

 よう台無しにしてくれたな!」

 この糸子のキツイ一言には、さまざまな思いが詰まっていることに注目しなければいけません。

 店の看板を譲る、ということがどのようなものか、という認識が、優子と糸子のあいだでは決定的に違う、ということにはまず着目しなければならない。
 糸子は父親の善作が、自分に看板を譲るときにどれだけ苦悩したかを、知っている。
 その父親の思いがあるからこそ、糸子にとってこのことは何を差し置いても重大事なのです。
 けれども優子の器量は、もうすでに、オハラの看板では収まりきれなくなっている。
 そのこと自体がもう、糸子にとっては、なにものにも耐えがたい、屈辱であるのです。
 自分がお父ちゃんから渾身の力で受け止めた、自分の人生が、この看板に込められている。 娘にそれを蔑ろにされた屈辱と、娘が自分の上を行ってしまったという悔しさ。
 「よう台無しにしてくれたな」。 この、ちょっと聞けばあまりにも品性のない、ガラの悪い言葉。
 それはひとりの女の一生が詰まった、魂の気迫から吐き出された言葉なのです。

 すごすぎる。

 確かに心肝を凍らせるような脅しの文句のようですよ、これって。
 でも。
 屈辱にまみれたとき、相手を脅すことになっても構わない、という言葉が出てこない人って、よほど人間が出来てるんだなって、思いますよ、私は。
 それだけ自分の人生に対して、自分は懸命になって生きていた、という自負がなければ、出てこない言葉だと思う。
 どんな侮辱に遭っても黙っていられる人を、私は尊敬いたしますが、そこで我慢してあとから見返そうとか、そういうことができるほど、人間って都合よく出来ているようには、思えないのです。
 「カーネーション」 の主人公である小原糸子を認められない人たちって、だからとても人格者なんだ、って思いますよ。
 私なんかは人間が出来ておりませんから、小原糸子に対して限りなく共感する。 自虐的に言えば、自分が人として不完全だからこそ糸子に共感するのです。

 優子は松田が気を利かせて口を挟んだことを、じゅうぶん承知しています。 母親は自分のためを思って言っているのだ。と。

 「ほんでもその心斎橋の店、やりたいっちゅうんか?」 と訊いてくる昌子。 優子は意を決して、糸子に向きなおります。 「…はい」。

 「正直に言わしてもらいます。 東京で店一軒流行らせられるだけの力つけて帰ってきました。
 そしたらそのうちはもう、岸和田のこの店には、ようおらんのです。

 うちがやりたいことはここにおったかて、半分も出けへんちゅうことはよう分かってる。

 毎日その悔しさを我慢してここにおったかて、それは生きながら死んでるようなもんや!

 そんなんやっぱり…」

 「分かった!」

 糸子は娘の言葉を遮ります。

 「…分かった…。

 もう分かった…」

 糸子は鼻でせせら笑います。 「フン!」

 席を立つ糸子。 「好きにしいや…」。

 この糸子のせせら笑い。
 優子に向かったものであると同時に、自分の人生、こんなもんか、という自虐の笑いでもあります。
 この店で働くっちゅうのんが、生きながらにして死んでるようなもんか。
 そんな程度のもんなんか、この店は。
 アホらしなってきたわ。
 侮辱されてふて腐れずにいるほど、うちはようできてへんわ。

 優子にしてみれば、母親の思いというものが痛いほど分かるがゆえに、正直に言うことは、身を切るよりもつらい。
 以前の優子のように、自分を自慢するように、正直に打ち明けてるのとは違うのです。
 だから糸子のほうはあくまで冷静なのに、優子のほうが、泣きながらの訴えになってしまう。 母親を思うがゆえに、自分のステージを自分で選択することが、つらくてたまらないのです。 でも母親から巣立たなければ、自分の夢は、広がっていかない。

 糸子があくまで冷静、と書きましたが、糸子にしたって無理やり自分を抑えつけているわけです。 すぐに暴力に訴えた自分の父親のことをこの頃頻繁に考えているから。
 目の前にロールケーキが置かれていることも、糸子が冷静さを保つアイテムになっていることにも、気付かねばなりません。
 まさか善作のように、ロールケーキを裏っかえしにして叩きつけてもカッコがつかんけど(笑)、同じケーキ、ということが、糸子の理性のブレーキになっている側面はある。 ケーキのブレーキ。 語呂がいいな(また茶化す)。

 いずれにしても小原家の食卓。
 またひとつ、名場面が作り上げられた気がするのです。

 優子は理恵を世話している千代のところにやってきて、「おおきに、おばあちゃん」 と礼を言います。 「終わったんか?」 千代は何もかも知っていたようです。 「うん」。 蚊の泣くような声で答える優子。 「案外静かやったなあ…」。 千代も、善作と糸子とのバトルを思い返していたのでしょう。 優子は母親をいたく傷つけてしまった悲しみに、その場にへたりこんで号泣してしまいます。 「あれあれ、まあまあ、どないしたん?」。 千代おばあちゃんの優しさが、また心に沁みる。

 いっぽう糸子は、安岡玉枝の胸で 「物件に負けたぁ…」 と号泣しています(笑)。
 こういう人を食ったところが、このドラマのすごいところなんだよなあ。
 「まあまあ。 うんうん」。 玉枝も糸子に胸を貸してあげるほどになれたというのが、ドラマ的にはうれしい。

 「うちの看板は、北村の物件に負けたんやぁ…。

 命より大事な看板を譲っちゃるちゅうてんのにやな、優子のアホは、『そんなもん要らん、北村の物件のがええ』 って言いよったんやぁ…。

 なにが心斎橋や…!

 なにが物件や…!

 北村のボケェ…!

 優子のアホォ…!」

 「よしよし! な!」

 翌朝、泣きはらした目で、また看板を見上げる糸子。

 「(寂しい。

 虚しい。

 昌ちゃんと恵さんにかて、あないカッコつけたのに、不細工な…)」

 言ってすぐに店を辞めるわけにもいかない優子を睨みつけ、アゴをしゃくって合図する糸子。 ほんまにガラ悪い(笑)。
 糸子は優子を呼びつけて、もう帰れ、とっとと先に進め、と凄みます。 新しい店のほうに集中しろ、と。
 「うっとこはな、あんたなんかおらんかて、どないでもなるんやからな!」
 母親の精一杯の強がり。 優子には、それが分かっています。 だから優子は、母親に向かって、涙を浮かべ、こう言うのです。

 「はい…。 おおきに、お母ちゃん…」

 その場を離れる糸子。 そしてひとり、こう思うのです。

 「(よっしゃ。

 不細工なりに、どないかけじめつけられたで)」。

 空を見上げる糸子。

 「(娘の独立。 見届けたで。 …お父ちゃん…)」

 また涙が…と思たら(笑)。 このドラマ(笑)。

 「(ちゅうと思ちゃったら、まあこの娘の独立が中途半端なこと)」(笑)。

 心斎橋の内装工事の職人が、ガラが悪くてゆうことを聞かん、お母ちゃんなんとかして、というのです。 しぶしぶ交渉に当たる糸子。
 「でけんことはでけんゆうとんじゃ!」 と凄む親方に、糸子も負けていません。
 「はぁ? でけんちゃうやろ?!
 いったん引き受けた仕事やったらな、最後まできっちりやらんかいな! こっちはこの先この店で飯食うていくんですわ! やってもらわなかないませんねや!」
 ほとんどキスシーンかと見まごうような顔と顔との接近(笑)。 この職人役の男、役得やのぉ~(爆)。

 「おおきにな、お母ちゃん!」
 「あんたもな、こんぐらい自分で言えるようにならな、女店主なんか務まらんで!」

 まったく、母親に啖呵を切ったあの勢いはどこへやら。 「うんうん」 コクコク。 たじたじの優子なのです(笑)。
 糸子は親方に 「ほな、またちょくちょく顔出させてもらいますよって、どうぞよろしゅう」 とくぎを刺すことを忘れせん(笑)。
 この場面、「大阪はこんなガラ悪いのばっかりじゃありません」 とクレームが出てもよさそうな場面ですが、自虐ネタを楽しむ余裕って、必要かな~と。
 それにやはり、社会で生きていくためには、ある程度の強制力も必要な場合って、あるんですよ。 気迫のない人間よか、気迫がないと世の中、相手のいいようにされてしまうことって多い。

 でも自分を頼ってくる優子に、糸子は一方で、ホッとしたりもするのです。
 まだまだ半人前や、と思うこと。
 いくら子供が自分の上を行ったからと言って、めげたり卑屈になったりしたんでは、親としての務めは果たせない。
 そんなことを考えさせるのです。

 あ~なんかこの金曜日、中身が濃すぎるぞ。 胸やけしてきた(爆)。

 「(次のんに譲れんようになるまでは、まだもうちょっと時間があるやろ。
 有り難いことに、まだそれまで、この看板はうちのもんです)」

 聡子の姿を見ながら、糸子はひとりごちするのです。

 昭和40年元旦。 ああ~私の生まれる日が近づいてきた(笑)。

 優子の夫悟は、元旦だというのに会社の連中といろいろあるようです。 なんだかんだ言って自分の仕事をしているようですな。 しかし優子は浮かない顔をしています。
 ここでまた、カメラミスがある。
 パンを一瞬してしまうのです。
 どうしたんだ、「カーネーション」 スタッフ(あ~も~、どーでもええんちゃう)(ひょっとしてうちのテレビがおかしい?)。

 悟を見送って姉妹三人になった居間。 優子と直子は、ぎすぎすした会話を始めます(笑)。 果たしてそれはケンカに発展。 直子が店をやめてパリに行く、と言い出したからです。 聡子はテレビのボリュームを上げてケラケラ笑っています。 懐かしい定番パターンの復活です(笑)。

 「あーあ。 あんたらトシなんぼや」。 呆れかえる糸子に、聡子が 「うちが21でお姉ちゃんは28」「27!」 泣きじゃくりながら訂正を入れる優子。 聡子もテレビ見ながらしっかり話を聞いてます(笑)。

 「揃いも揃ってアホ娘が! こらアホ娘! テレビ見とらんと片付けんかい!」(笑)。




 土曜日放送分。 今週はキッツイど…。 ちょっと流すか(笑)。

 昭和40年3月。 たぶん私、生まれました(笑)。

 木岡の女房が、アイビーファッションに合うローファー靴を求められて困っている様子で、糸子に訊きに来ます。
 さぞかしアイビーで儲けようとしていた北村は儲かってんのかと思いきや、主力に据えてなかったせいでそれほどでもないらしい。 それよりも北村は、自分が目をかけた小原優子によってコレクションの道を夢見ている模様。 現実味がないとそれをけなしまくる糸子に、松田恵はそないバカにしたもんでもないですよ、と優子と直子の実力を認めようとします。 糸子はこのふたりに聡子を合わせて、自分が産んだこの三姉妹を、「いけずといこじとアホ」 と命名します(笑)。

 その 「アホ」(失礼)が持ってきたデザイン画。 またもやミニスカートです。
 恥ずかしがる若い客に、ほんまはどない思てるか、糸子は突っ込んだリサーチを開始します。
 すると、本心では履いてみたい、ということが判明する。
 サエが糸子に初めて作ってもらったイブニングドレスも、背中が大胆に開いていたのが刺激的だった、と本人から訊き出し、糸子は自分にも、そんな先進的な大胆さがあったことを、あらためて再確認するのです。
 そこに、パリにいる直子からの電話で、ミニ・ジュップという要するにミニスカートが流行り出しているという情報を聞きつけ、糸子はひとつの確信に至るのです。 「ミニスカートは、これからこの国でも、流行る」。

 優子の心斎橋のブティック開店日。 得意満面でカメラに収まる優子を尻目に、自分に握手を求めてくるゲストに、余裕の表情でそれに応える直子。 これがいわゆる、ドヤ顔ってやつですか(笑)。
 そこにやってきた北村に、糸子は早速、ミニスカートを作り、と強く勧めます。
 「絶対売れる。 死ぬほど売れるよって」
 それを試着した聡子の姿に、北村は完全にノックアウトされます。 北村、案外ウブです(笑)。
 二の足を踏む北村に、オハラ親子の四重攻撃が始まります。 「こさえ」「こさえ」「こさえ」「こさえ」(爆)。 おお~~っと北村、コーナーポストにもんどりうって倒れたぁぁ~~っ(調子乗りすぎやがな)。

 ここで注目だったのは、糸子が自らも怖がりながらも、女性たちが肌を競って見せたがる新しい時代が来ることを、予見している点です。
 確かに流行りました、ミニスカート。 北村は長いスカートもそのうち流行るんかな、と言ってましたけど、ロングスカートの時代もその次にやってくる。
 しかし当時の若い娘たちは、今に比べれば格段に脚が太かったのに、よく自分の脚をあそこまで見せたものだ、と思いますね。
 でも流行、というものは、そういうもので。

 糸子たちの目論みはまんまと当たるのですが、それを流行らせた張本人の北村が、この流行についていけてない(笑)。 サングラスをかけて、ニョキッとした脚を見るたびに道のはじっこを通って、まるで渡世の裏街道を歩いている後ろ暗いおかたみたい(笑)。

 そんな北村を、糸子はまたまた品のない笑いであざけります(笑)。 「ヒヒヒ、ヒヒヒ…困っとる困っとる、オッサンが」(笑)。 「はぁぁ~うっとうしいのう…」(笑)。

 目のやり場に困ったのは、私も経験ありますわ(笑)。 数年前の、ローライズの流行(笑)。 あないな格好して、どうしてしゃがみたがるんでしょうね、オンナって(爆)。

 恥じらいを問題にしたがる北村に、糸子はこう言い切ります。

 「恥じらい? あんたほんなもん、もう犬も食わへんで。

 オッサン!(ハイッ!…笑)

 気の毒やけどな、ほんな自分の時代がどうやらな、ほなもんもうこだわっちゃったらあかんねん。

 時代はどんどん変わってんやでぇ。

 女の子は脚出してええ。
 オヤジに怒られたかてかめへん。
 嫁になんか行けんかてかめへん。
 そういう時代やねん!

 さっさと頭切り替えな、取り残されてまうでぇ~」

 昭和41年。 古い時代が、駆逐されていきます。




 はぁぁ…。

 昨日はちょっと晩酌飲みすぎたのと、「家で死ぬということ」 というドラマをつい見てしまったことで、アップがえらく遅れてしまいました。
 かんにんやで、堪忍…(ハハ…)。

 それにしても、オノマチサンの糸子が、あと1週。

 来週は、惜別の週となることは必至ですが、脱皮した夏木マリサンの糸子にも、期待をしたいと思います。

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2012年2月19日 (日)

「カーネーション」 第20週 自分が本当に欲しいものとは何か

 今週の話の流れとしては、直子が店を立ち上げ挫折を味わっていく過程と、それをサポートしようとする優子の心の推移、そしていくらテニスで名を上げようとも母親に認められず、孤独感を募らせていく聡子、このコシノ三姉妹の話がメインだったように思えます。

 そう、もともとこのドラマは 「世界的なファッションデザイナーであるコシノ三姉妹を育てた母親とは」、という興味から出発している。
 だからいくら聡子がテニスで頑張ろうとも、いずれ聡子も洋裁の世界へ入ってくることは、視聴者にはバレバレ、なんですな。

 その 「先がバレバレの話」 をどうやって見せていくか。

 それはやはり、得意げに持ってきた賞状の入った筒をさりげなく隠すとか、ふと寂しい表情をさせるとかしながら、最後には聡子のなかにたまっていた鬱憤を爆発させる、というベタな話しかないだろう。

 このドラマは始まった当初から、そんな 「視聴者に先が見え見えの話を正面突破して感動させる」、という手法のまま突っ走ってきました。
 善作は糸子のしようとすることに、反対することは目に見えている。
 けれどもなんとか頑張って、糸子はその父の思いを超えていく。
 予定調和と言えば、これほど予定調和だらけのドラマもない、と言っていい。 しかし。

 「先が分かってるからってなんやっちゅうんや」。

 このドラマは、そのことを恐れない。
 回避しようとすらしない。
 他人様に自慢できるようなご立派なことなんかないかもしれへんけれど、登場人物たちは、だんじりのように自分の人生を力強く突っ走っていくのです。

 そしてこの、今週メインの話であるように思われた、コシノ三姉妹の話の裏で。

 実は糸子にとって、第2の脱皮とも呼べる時期が近付いていることを、見る側は静かに感じることになるのです。
 私はこっちの話のほうが、今週のメインであると思われて仕方ない。
 少々お笑いに煙をまかれたような、ベタな展開が続く中で、糸子は自分の本当に進むべき道を模索している、そんなふうに私は感じたのです。

 今週はでも、レビューが楽そーな気がするのですが(話がベタなんで)、…んー、やってみないことには分かりません…。





 月曜放送分。

 昭和34年6月。

 優子がオハラ洋装店で、仕事で失敗しながらも曲がりなりにも歩き始めようとしたそのとき。
 妹の直子から、電話がかかってきます。
 「なんやごっつい賞を獲ったらしいけど…」 電話を取った松田恵は事態がにわかに飲み込めない。
 「なんの賞?」 と色めき立つ昌子や糸子を尻目に、優子がポツリとつぶやきます。

 「装麗賞や…うちが獲られへんかったやつや…」

 それは若手デザイナーの登竜門。 優子は寂しそうにその場を去りますが、糸子はそれを敏感に見つけます。 ここで糸子は 「妹に追い越されてしまった姉」 の構図を即座に理解したように見える。

 しかし糸子はその後、あえてその優子の前で、喜々として駆けつけた八重子と一緒になって、直子の受賞を騒ぎ立てます。
 「ドラム缶みたいな服」 と、糸子は直子のデザインした服を 「理解不能」 とけなしながら、新聞の取材がようさん来たとか、優子の前でこれ見よがしに自慢げにしゃべるのです。

 これって、糸子の無神経、でしょうかね?

 まあ平たく考えれば、糸子が優子に、「これしきのことでへこたれたらアカン」 と叱咤している姿ともとれる。
 けど、ここで糸子は、直子のことをけっして褒めていないのです。
 新聞社が来て鼻高々だとかいうのは確かに優子の心を傷つけるけれども、糸子のスタンスとしては、「だから何なんじゃ」、だと思う(笑)。 そんなことでいちいち傷ついていたら、心がいくつあっても足らへん、という感覚。
 却って母親の心情としては、「優子、あんたにはあんたのやるべきことがあるんや、その道を毅然と行き」、というところじゃないか、と思うのです。 「へこたれたらアカン」 と同じかもしれないけれども、こちらのほうが厳しい。
 単なる激励、と違うんですよね。 もっと突き放している。 それはもう無神経と紙一重のところで。
 些細なことかもしれないけれども、この 「無神経と紙一重」 のギリギリのところを、今週の糸子は演じていた、と思うんですよ。 聡子に対する態度も含めて。 これって重要なポイントのような気がする。

 別の日、直子からの電話を、優子は偶然受け取ります。 自分のなかにある嫉妬心や羨望、劣等感などをすべて押し殺して、優子は直子の受賞を喜ぶのですが、直子はそれが気に入らない。
 これって 「ええかっこしいの姉が、また下らない見栄で余裕をカマしている」 という怒りではないと思います。
 まああとから、その理由は明確に語られるのですが。
 とにかく気に入らないなら優子に直接話せばいいのに(笑)、直子はそれをしようとしません。
 「お母ちゃんに代わって」 と告げると、直子は母親に向かって、そのモヤモヤをすべて吐き出します。

 「ちょっとお母ちゃんなにアレ? なんであんな呆けてんよ? アホちゃうか? うちがちょっと装麗賞獲ったくらいで、あんなふぬけた声で 『おめでとう』 とかぬかしよって! お母ちゃんな、甘やかしたらあかんで! あの根性無し、どうせ毎日メソメソしてんやろ? あんまし続くようやったらな、一発蹴り飛ばして、『アホか!しゃっきりせい!』 って、怒ったってやっっ!!」 グワジャッ!(受話器を叩きつける音…笑)。

 唖然とする糸子(笑)。 しばらく考えてから 「…なんでうちがあんたにどやされなあかんねん?!」(爆)。

 糸子が 「(普通にしちゃあたらええねん、普通に…)」 と気を遣おうとする間もなく、北村が登場。 「あの山猿が装麗賞やて!」 と無神経このうえない話を優子の前でしゃべくるしゃべくる(笑)。 優子は北村がお祝いに持ってきた花束をタイガー・ジェット・シンのように(ハハ…)北村に叩きつけ、泣きながら店を飛び出していきます(笑)。 そーです、大声で泣きながら商店街を走るなんて、あり得ません(笑)。 ここは、笑うシーンなのです(笑)。

 喫茶店 「太鼓」 で、猛反省する北村でしたが、糸子は 「かめへんて」 と意に介さないふりをします。 「しゃあないやんか~。 ここでヘンにまわりが気ぃ遣うたところでどうなるってもんでもない、あの子が自分で乗り越えるしかないんや」 と、また実に冷淡なことを口にするのです。
 ここで随行してきた聡子が、糸子のホットケーキを食べようとするのですが、糸子はこれも冷淡に断る(笑)。 じぃ~っと北村を見る聡子、北村は 「…食えや!」 と、お約束のシーンです。 このホットケーキ、今週は要所要所に出てくる気がします。

 北村の用事は、去年糸子と組んで大失敗したプロジェクトの、生地代を糸子に渡しに来た、ということ。 封筒に入っていたのは、確か前年昭和33年に日本で初めて発行されたばかりの、一万円札の束。 大きかったなあ、あの聖徳太子…。
 とにかくそれをいぶかしがる糸子に、北村は自分の腕で売り切ったと得意満面です。

 いっぽう相変わらず店先でボケーっと憔悴している優子。
 糸子はそれを、苦々しい顔で見ています。

 そこに入ってきた、こないだの倒れはった妊婦さんの母親。 優子の腕を見込んで、自分の服を作りに来たのですが、優子は辛気臭い顔のままで接客してしまう。 糸子は娘を、裏口に呼び出します。

 「もうあんた店になんか出んでええ。 お客にあんなしみったれた顔しか見せられへんやったら、店なんか出な。 商売の邪魔や」

 仕方なく優子は、松田恵が見ているテレビを一緒に見て、ケラケラ笑います。
 そのテレビには、冬蔵を襲名したばかりの中村春太郎(小泉孝太郎クン)が出ています。
 出世して、春から冬か…(笑)。
 どうもこのドラマ、春太郎がどうなったか、というストーリーを最後まで考えているような気がする…(笑)。 春太郎は物語にちっとも絡んでこないくせに(最初ほどは)、その行く末は人間国宝か、みたいな勢いに感じるんですよ。 そーゆーオチって、面白くありません? あの女たらしが人間国宝、とか(笑)。
 壮年篇で小泉クンのお父さんが出てきたら面白かろう…や、そんなことを元総理がしてはダメですね(いや分からん、ウルトラマンにまでなった人だから…笑)。

 話戻って。 糸子は、テレビを見ていた優子についてもとやかく言い始める。
 松田は仕事中だけれども春太郎のファンだから特別にその時間だけ許した。 そやけどおまえはちゃう。

 「あんた…なにしてんや?
 なにしてんやそんなとこで?
 誰がテレビなんて見いちゅうた?
 店出るなっちゅうんはな、裏でテレビでも見とけっちゅう意味ちゃうんや!」

 「ほな何したらええんよ!」

 優子はブチ切れます。

 「どうせうちには直子ほどの才能もない! 店に出たかて、迷惑ばっかりかける! どないしようもない役立たずの邪魔もんや! テレビ見て笑ろてる以外、やることなんかないやんか!」

 バシッ!
 糸子の平手が飛びます。 糸子は間髪いれずに優子の頬を思い切りつねり上げて向かってくる。 ボーリョク反対(しかし糸子、善作と一緒やな)。

 「どの口がゆうてんや、ああ?!どの口がゆうてんやっ!!

 このアホがっ!
 ひがむのもええ加減にせえっ!
 東京の学校まで行かさしてもうて、何不自由のう暮らさしてもうて!」

 「ほっといてよ!!

 どうせうちはアホや!!
 役立たずや!!」

 優子も負けていません。

 「原口先生は、あんなけあんたを認めてくれちゃったんちゃうんけ?!

 お客さんが、またあんたのために来てくれたんちゃうんけ?!

 それが見えへん目ぇは、どんなけ腐ってんやッ!! ああ?! ゆうてみ!!」

 自分にないものばかりを見つめて、どうする。
 自分が培ってきた、自分の実績を見つめないで、どないして仕事なんかできるんや? 自分の作ったものを自信を持って売ることができるんや?

 店に出な。 テレビを見て明るく振る舞うのもすな。 じゃ何やったらええねん?
 うちがどんなけ傷ついてんか、お母ちゃんにだけは分かってほしいのに! なんでそんなに無神経に突っかかってきよんねん?

 松田と昌子に止められながらも、ふたりは大乱闘であります。

 その 「ちょ…っとした騒ぎ」(糸子の独白…笑)があったあと、指にホータイを巻いている糸子のもとに、警察がやってきます。
 スワ大乱闘の通報でも受けたか、と戦々恐々として糸子が出てくると、北村を逮捕した、と警察は言う。 「その件で、お話が」。

 ダメだコリャ。 やっぱしいつものペースだ、つーか、いつもより長くありません?(笑)




 火曜日放送分。

 この取り込み中、松田は直子からの電話を受け取ります。 直子は優子に話があったのですが、また例によって直接話そうとしません。
 直子は松田恵に、伝言を頼みます。

 「こんなこと、一生に一回しかゆわへんけどな。
 ちっこい頃から、うちの目の前には、いっつも姉ちゃんが走っちゃあた。
 いつか絶対あいつを追い抜かしちゃるて、…ほんでうちも走ってこれた。
 その姉ちゃんに今さら岸和田から見守られかてな、迷惑や。
 とっととまたうち追い越して、前走ってくれな困る」

 直子が優子に直接言わないのは、一種の照れ、というものがあるのでしょうが、実は屈折した、姉に甘えたがっている心からくるものなのではないか、と私は感じます。
 だから本音は伝わらなくてもいい。 松田あたりが自分の言葉を全部伝えてくれるとは、直子は思っていないだろうからです。
 自分のとげとげしい、しかも依存心が内包された言葉など、そのニュアンスだけがまわりからやんわりと伝わってくれれば、直子にとってはいいと思われるのです。

 しかしそれどころか、直子の思いは松田から、まったく優子に知らされることがなかった(笑)。 ケーサツが来てるなんて大事件のさなかなのですから。

 どうも北村は、売れなかった服にディオールのタグをつけて売りさばいたらしい。 詐欺であります。 糸子は北村から受け取った金の入った封筒を、ケーサツに押収されます。

 動揺しまくる従業員たちに 「怖がらなくてもいい」 と言い、組合に行って事態の悪化を防ごうとし、日照りの時は涙を流し、寒さの夏はオロオロ歩き、みんなにデクノボーと呼ばれ、…ちゃうちゃう(なんやねん)、そんな大変な時でも粛々と困難を乗り越えようとする母親の姿を、つまらない個人的な傷心で仕事を疎かにしていた優子が、見守ります。 どんな糸子の説教よりも、そんな母親の背中が、子供への最大の教育になる。

 三浦組合長と話し合う糸子、ディオールのタグをもっと本物そっくりに作らんかい、と言わんばかりの論調でかなり危険なのですが(笑)、三浦は 「堪忍したってや」 とだいぶ寛容です。
 三浦は北村について、勢いはあるけど信用がついてへん、オハラ洋装店の信用度に比べれば格段に足元が脆い、とかなり的確な評価を下しています。 「うちはそんな人失敗させてしもたんやな…」 と、糸子も素直にそれについては反省する。 また人生、勉強なのであります。

 鬱々とした表情で帰ってきた糸子は、耳をつんざくような音に肝を潰します。 聡子の発案で、なんやケーサツやら辛気臭いから、爆竹を鳴らして景気をつけよう、ということになったらしい。 長崎の精霊流しか(笑)。 いや、中国の旧正月か、と突っ込んだほうが的確か。 糸子は眉をひそめるばかりですが(たぶんご近所メーワクだし)、千代なんかはノーテンキに厄落としを喜んでいる様子。 一息ついて優子が、糸子に決意を語ります。

 「お母ちゃん。 うちな、心入れ替えたよって。 明日からまた、お客さんの前に、立たして下さい」

 優子は母親の姿を見て、この店が当たり前にあるのは、母親が必死でこの店を守ってきたからだった、ということに、気付いたのです。
 糸子は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするばかり(笑)。

 「(こうゆう時に、ニカッっと笑ろて、『エライ!お母ちゃんうれしいで!』 ちゅうようなことをよう言わんのは、…血筋やろか?)」

 また肩肘ついてだらしなく寝そべりながら、糸子は父善作の遺影をそっと見上げます。
 善作の遺影。 ハルおばあちゃんの遺影。

 「(…血筋やな)」

 気の抜けたあくびをする糸子。 そのとき…!

 「ちゃう!!」

 善作の大声が響き渡り、糸子は飛び跳ねてしまうのです。 幻聴やて。 不審がる優子や聡子。 千代はうつらうつらして、それに気付きません。 ワロタ。 と同時に、小林薫サン、このためだけに再びスタジオ入りしたのかな?と思わせてしまう、うれしい再会です。

 その4カ月後。

 ドギツイ付けまつげをしている直子のもとに(考えてみれば現代も、やたらと重たいマスカラをつけたがる女性が多い風潮にある気がします)(あれは大して美しくない、とは個人的な感想であります)斎藤源太がやってきます。 装麗賞が獲れたと言って男泣きする源太。 結構しょっちゅうやってんやな、この賞。

 それを松田や昌子に報告している直子、オハラ洋装店に戻ってきているのですが、ごっつい露出気味のドレスを着ています。 それを 「うちの式にそんなオウムみたいな服着てくつもりけ?」 と詰問する優子…って、優子、結婚式なんかい!

 そこに現れた北村、執行猶予中の身だからか、収監されたからか、紋付き袴を着ているくせに、「そんな身分ちゃう」 と式によう出ようとしません。
 それを引き留める直子、北村は頑強に拒みながら、ほんまは引き留めてほしい様子(笑)。 優子は店から出てきて、「おっちゃんが式に出てくれんかったら、うちは嫌や!」 と大声を上げる。 衆人環視のなかで、「わいは、オマエに迷惑かけたないんや!」「なんの迷惑かけんねん!そんな寂しいこと言わんといてよ!」「わいかて出たいよそれは!」「おっちゃんに出てほしいねん!」「殺生なことゆうなよオマエぇぇぇ~~~っ!」 と抱き合うふたり(爆)。

 直子は北村の逮捕を知らないために、「何やってんねん?」 という顔で呆れかえり、糸子は 「茶番や…茶番茶番…」 と悟りを開いております。 結局フツーの振り袖姿で式に赴く直子。 この日オワリ。

 …って、優子の結婚相手って、いったい誰なんよぉ~~っ?!

 この相手は、結局先週出てきた、あのウサン臭い男だったのですが、このドラマ、例によってこの先しばらく、その相手について、まったく触れようとしません。 つーか、出てきたのはほんの数秒。 ほとんど黙殺状態。
 おそらくこの男、糸子に 「うちのコネなんかアテにしたらあきません」 と言われ、改心したんでしょうね。 いや、やっぱり奈津のダンナみたいに、コバンザメなのかもしれない。
 でもこのドラマの語り手は、それがさも瑣末な問題であるかのように取り扱っている。
 こういうはぐらかしが、物語に別な部分への余韻を生む結果となっていることは、明白であります。
 それを 「肝心な部分について何の説明もない」、と騒ぎ立てるのは無粋である。
 行間を読む、という行為が、物語を味わうひとつのよすがとなることに、ひとは気付かねばなりません。





 水曜放送分。

 昭和35年10月。 優子の結婚式から、1年後の場面から始まります。

 糸子はサンローランの言葉について、単語の意味を聡子に訊いたりしています。 「シンプル」 とか 「シルエット」 とか、実に簡単な単語なのですが、アホの聡子(アホの坂田みたいやな)は分かりません(笑)。
 聡子は仰向けに寝そべりながらマンガ本?を読んでいるのですが、その両脚は糸子の膝の上。
 これってかなり変なシチュエーションじゃありません?
 糸子はそのとき聡子の靴下に穴があいていることを発見するのですが、自分が縫ってやるでもなく、指摘するのみ。
 千代だけは、そんな聡子が母親にかまわれたがっている真実を見抜いています。 千代に促され、糸子は聡子が獲った、秩父宮賞についてちょっと褒めてみます。 仏壇に向かって、「ありがたやありがたや…」(笑)。 聡子はとてもうれしそうに、ひとりまた寝そべって、足を軽~くバタバタさせます。
 今週は先に指摘したとおり、このような聡子の 「神聖かまってチャン」 的なベタな演出が、そこかしこに展開されます。

 世は高級既製服、プレタポルテの時代へと移行しつつあります。 糸子がサンローランのことを学習しようとしていたのもその一環だと思われる。
 ただし既製服、つまりレディメードについて詳しい北村が講師となって組合で女性経営者たちに解説をしても、糸子はまだオーダーメイドにこだわっている感じ。
 しかしここで、糸子の思索は、来るべき夏木マリサンの壮年篇に向けて、始動したように私には思えるのです。

 「(昔は、あんなけ待ち望んじゃった時代の変化っちゅうもんが、今のうちにはなんや怖い。

 アメリカのもんやからって、そないジャンジャカ売れることももうないし。

 下駄は完全に、靴に取って代わられてしもた。

 …うちは今、47。

 お父ちゃんが呉服屋の看板を下ろしたんは、50の時やった…)」

 商店街を通って自分の店に戻ってくるまでのこの糸子の思索のあいだ、木之元のおっちゃんの店はさびれ、木岡のおっちゃんの店も半分たたまれている?ような様子が、映し出されます。
 そしてオハラ洋装店のショウウィンドウに映った、糸子役の尾野真千子サンの姿。
 物語がだんじりのように先へ、先へと向かっていくなかで、なんやひとり、彼女だけが、若いころの姿のまま、取り残されてしまったような感覚に、私は襲われました。
 もう、オノマチでは糸子が表現しきれない年代に、突入しつつある。
 今までキャスティングに、ほぼいささかの疑問も生じることなく突き進んでいたこのドラマに、初めて生じた違和感。
 47というと、私ももうすぐなりますが(笑)。
 私の場合、気ばかり幼いままで、顔をまじまじと見ると、歳を取っていることに今さら驚かされる、という逆のパターンであります。
 糸子の場合、表情は若いままなのに、気持ちだけが、老成しつつある。

 そんななかで意気軒高なんは、昔からの知り合い、サエです。 久々に店に来て、優子の大きくなったお腹をさすっています。
 ダンスホールの踊り子から、心斎橋の高級クラブのママへ。 サエの歩んでいるのは、順調な出世コースのように思えます。
 彼女は 「男」 に対する執着心で、最新モードには目もくれず、自分の信念に基づいて、従業員の女の子たちのドレスをオハラ洋装店に頼み続けている。 何の迷いも、そこにはありません。 糸子にはその潔さが、まぶしく思えている。

 「(うちは欲張りすぎなんや。 サエみたいにほしいもんをひと言でようゆわん。

 自分がええと思う服を作りたいけど、商売もうまいこと行かせたい。

 時流に流されてたまるか思てるけど、時代に遅れてまうんは嫌や)。

 はぁぁ…しょうもな。 アホらし。

 (ほんなもん、根性据わらんで当たり前じゃ。

 …うちがほんまに欲しいもんて、…なんや?)」

 この糸子の思索は、物語上、かなり重要だと思われます。 糸子は70を過ぎてから、自分のブランドを立ち上げることになる。 その端緒となるべき思索のように思えるからです。

 そんな展開が自分に待ち受けていることを夢にも考えていない糸子、年末に帰省してきた直子が北村と、プレタポルテについて話がはずんでいるのを横で聞いていて、北村にツッコミを入れたりしています。
 既製品でもデザイナーブランドで高く売ることができる。 タグ貼っ付けただけでオモロイように売れる…て、それで捕まったのはどこの誰やねん?(笑)
 ここでようやく直子は、北村がタイーホされたことを知るのでした(笑)。

 その夜、ゴミ袋みたいな黒いテカテカの生地のパジャマ(まあ、自分のデザインでしょうな)を着た直子が、妹の聡子と将来について突っ込んだ話を寝床でしています。
 テニス選手になったらええやん、という直子。 姉の優子に対して一触即発、みたいな雰囲気なのとは打って変わって、リラックスモードです。
 けれども聡子の返事はつれません。 「う~ん…。 ほんでもお母ちゃんはあんまし喜ばへんやろ?」。
 いつものようなのんきなしゃべりかたにも関わらず、聡子の本音がそこには詰まっている。 「うちが賞やらとっても、ちょっとしか喜ばへんかった。 お姉ちゃんが装麗賞獲ったときのほうが喜んじゃった」。 秩父宮賞のほうが、装麗賞よりよほどごっついで、という直子。 そりゃ、4か月にいっぺん出るような賞よりはなぁ…。 「やっぱしお母ちゃんは、自分の仕事と関係なかったら、あんましどうでもええみたいや」。 直子は、「お母ちゃんなんかどうでもええやん。 自分のほんまにやりたいことしいや」 と直言します。 聡子は 「ふ~ん…」 と気の抜けたような返事をしながら、表情は真剣です。

 昭和36年正月。

 木之元のおっちゃんが、アメリカ商会をたたむことになるのですが、拾う神というものもあるもので、「太鼓」 のマスターが引退することで、そのあとを任されることになります。 木之元の息子は日本橋の電気店へ。 日本橋ゆうても、東京の 「にほんばし」 ではなく、大阪の 「にっぽんばし」 です。
 時代は変わっていきます。 おそらくこの後、喫茶店にも厳しい波が訪れるはずなのでしょうが、木之元のおっちゃんはたくましく生きていくはずです。

 考えてみれば当時は年功序列終身雇用が今よりもずっと当たり前の世の中でした。 そのなかで商店街の人々は、自営業の代表。 どんな商売でも、流行り廃りというものがある。
 現代は、一般のサラリーマンでさえ自営業的、みたいな世の中なような気がします。 社会に出てから40余年、ずっとひとつの仕事に携わる、ということがとても難しい。 そんな現代から見て、木之元のおっちゃんの変遷していく物語は、とても羨ましいところがあるけれど、飄々としているところが参考になる気がする。

 糸子にも初孫が誕生します。 「(人生ちゅうんは優しいもんで、何が欲しいかもようゆわんような人間の手にも、急にポコッと宝物をくれることがあります)」。 この糸子のモノローグは、木之元のおっちゃんが新しい就職先を賜ったこととリンクしています。
 糸子と聡子は、互いに 「叔母ちゃん」「おばあちゃん」 と言いながら、初孫の理恵をあやしています。




 木曜放送分。

 昭和36年5月。

 直子が4月から東京は銀座の百貨店に、自分の店を出すことになったのですが、このごろ頻繁に、その直子から電話がかかっています。
 電話代を心配する糸子に、千代は仕事がキツうてへこたれてるんとちゃうか、東京に行ってみてきたらどうか、と提案します。
 糸子は 「こだま」 で東京へひとっ飛び。 新幹線の開業まであと3年とちょっとですが、それでもこの特急列車で7時間、だいぶ昔に比べれば、楽になったはずです。
 糸子がいざ、直子のブティックに来てみると、店先には絵の具をぶちまけたような自転車のがらくたが、奇抜な服と一緒に展示されている。 昭和36年というと1961年ですから、サイケデリックが流行るまでには、あと5、6年は必要な時期です。 要するに時代の先を、直子の感性は行きすぎている。

 糸子が店に入ろうとすると、デパートの支配人がやってきて、「この鉄クズを撤去しろ」 と苦情をまくしたてる。 その昔の國村支配人、そう言えば懐かしい。
 そこで店内の様子も分かるのですが、店内もかなりアーティスティック。 ワレワレハ宇宙人、ボヨヨヨヨ~ンみたいな服を着てしぼられる直子を、後ろにいる従業員たちはくすくす笑って見ている。 従業員たちとの関係も、最悪なようです。
 糸子は陰からその様子を見て、出直してくると、今度はさっきの支配人から、あいさつの仕方について厳しいレクチャーを受けている始末。 糸子はまた出直します(笑)。
 そしてさも初めて来たようなふりをして店に入ってきて、直子のバレバレの見栄にも付き合ってあげる糸子。 ところがそこに憤然とクレーマーがやってきて、お宅で買ったパンタロンを直してほしい、と言ってくる。
 ヘンなところにポケットがあるために、歩きにくくてしょうがない、というのです。

 機能性より芸術性を重視する直子には、それが気に入らないのですが、糸子はきっぱりと言い切ります。

 「服っちゅうんはな、買うたひとが気持ちよう着て初めて完成するんや。 ほれ、やり直し。 手伝どうちゃるさかい」

 厳しくも温かな母親の存在感に、直子はホッとしたのか、泣いてしまいます。 奇抜なファッションで 「武装」 しているからこそ、その気の抜け方が、こちらの胸にも響いてくる。

 その夜、あのフェノメノンを交えて、糸子が店屋物の寿司をおごろうとしています。 その注文をケチろうとする仲間のひとりの様子からして、直子が窮状していることがうかがい知れ、さらにそれは仲間うちにも知れ渡っている様子です。

 ここで糸子は、斎藤源太が作ったという、あの撤去された自転車のオブジェを 「見た見た~」 と言って、ずいぶん前からブティックに来ていたことが、ばれてしまいます。 そこはそれ、大阪のオバチャンの強引さで押し切ってしまうのですが、「若い子ぉのやることは自分には分からんからて間違うてるとは限らんちゅうことを覚えたんよ」 と寛容なところを見せます。

 「要はな、外国語みたいなもんや。
 うちには分からんでも、それで通じおうてる人らがいてることは分かる。
 ほんでな、相手がどんくらい本気か、気持ちを込めてゆうてるかっちゅうんも、なんとのう分かるもんなんや。
 あの鉄クズは本気なんやなぁって思うたで」

 彼らの語る夢は果てしなく大きい。 プレタポルテのデザイナーとなって、世界中に自分のデザインした服を着てもらいたい、というのです。 直子は、東京をファッションデザインの発信地にしたい、という夢を、目を輝かせて語ります。

 この直子を含めた、フェノメノンたちの夢は、糸子を新たなステージへと飛翔させる、大きな引き金となっている感じなのです。

 「(若い子ぉらの夢の形は、思てもみんほど、広々と、どこまでも高うて、聞いてるこっちまで、飛んで行けそうでした)」。

 青空に白い雲。 トンビは飛んでないかもしれませんが、いつか善作が見上げたように、糸子は夢が駆け巡っているかのような空を、見上げます。

 「(夢は大きいほど、壊れやすいかもしれんよって、どうか、どうか守っていけるように)」。

 糸子はフェノメノンたちに、食料を仕送りしてあげるのです。

 糸子は北村に、木之元のおっちゃんがマスターになった 「太鼓」 へと呼び出されます。
 聡子を伴ってきた糸子。 どうやら北村は、聡子に話がある模様。 糸子はホットケーキとココアを注文します。 このココアを、糸子は文句も言わずに飲んでいました。 ああ~また、サイドストーリーが気になる…(笑)。 ココアをめぐる物語…。

 北村は、「聡子をわいに預けへんけ?」 と訊いてきます。 聡子をプレタポルテのデザイナーにしたい、というのです。
 糸子はその、あまりにも突飛な提案を拒絶します。 「アホか」。

 ところが聡子は、この提案に乗ってくる。 ここで聡子が乗り気なところを見せたのは、物語上必須であります。 しかし糸子はそれも一蹴。 「あんた一枚でも、デザイン画描こうとしたことがあるか?」。 聡子はぐうの音も出ないのですが、洋裁への思いが募っていることだけは、見る側に伝わってくるのです。




 金曜放送分。

 「(とにかく、上機嫌が身上やった勝さんの血ぃをいちばん引いてんのが聡子で、上のふたりが取っ組み合いしている横で、いつもヘニャヘニャ笑てるような子ぉやったさかい、聡子のことを各別心配したっちゅう覚えがありません)」。

 そんなヘニャヘニャ聡子のなかで、湧き上がりつつあるもの。
 ドラマの語り手の主眼は、そちらのほうにある。
 自分の本当にやりたいこととは何なのか。
 今度テニスの全国大会に出る、という聡子にも、その究極の選択が、迫っているのです。

 優子が産休明けから、オハラ洋装店に復帰します。 それを冷ややかに見る糸子。 糸子は3人の娘を産んだ時も、そらまるで片手間のようやったですからね。
 娘の理恵を保育所に預けてきた、という優子に、おばあちゃん(千代)に任せたらええやん、という糸子。 ここにも母と娘の生き方の違いが、さりげなく表現されています。 優子にしてみれば、完全に善作に任せっきりだった母親のやり方を見て、自分の娘を保育所に預けている。 幼な心に、善作やハルおばあちゃんの負担を、感じ取っていたのでしょう。

 いっぽう直子は、意志の疎通がうまくいっていなかったブティックの従業員から、三下り半を突き付けられます。 孤立無援になってしまったのです。
 泣きながら松田に電話してくる直子。 かつて装麗賞を獲得した、直子のプライドは、すでにずたずたです。
 緊急会議が開かれるオハラの店。 そこに聡子が、何かの賞状を持ってスキップで帰ってくるのですが、みんなの深刻な顔を見て、それを引っ込めてしまいます。

 直子に助っ人を送り込もうという話になり、そこに優子が名乗りを上げます。 理恵どないする気や?と反対する糸子に、優子はこない言い切ります。

 「お母ちゃん。 悪いけど。

 今のうちの店に直子の仕事を、ほんまの意味で手伝える人間は、ほかにいてへん。 うちだけや。

 正直、お母ちゃんとか昌ちゃんとかでは無理やと思う」

 喧嘩を売っているような優子の言いぶりに、糸子は色めき立ちますが、優子はかまわず言葉を続けます。 直子のけったいな服を理解できるのは、うちだけや。 常識で考えたらオウムみたいな服やけど、あの子の才能は、悔しいけど本物なんや。

 「直子が今、あの年で、東京みたいな厳しい街で、何をやろうとしてんのか、うちにはよう分かんねん。

 それがどんだけ難しいことか。

 あの子が求めて、苦しんでる理想が、どんだけ高いもんかをほんまに分かって手伝うてやれるのは、…うちだけや」

 優子はまたまた必殺技の、土下座をするのですが、糸子は席を蹴ります。 「知らん! 勝手にしい!」。

 千代はそんな優子に、「直子にうなぎでも食べさしちゃり」 と、餞別を持たせます。
 この千代。
 聡子のこともちゃあんと見てるし、どの孫に対してもきちんと目が行き届いている。
 糸子が子供たちを顧みないことの穴埋めを完全に全うしている点で、小原家をきちんと下支えしているのが、さりげなくすごい。 若いころからの茫洋ぶりなのですが、彼女なりの役割、というものに落ち着いている。

 糸子は優子から、自分がもう時代遅れみたいに言われたことが癪に触って仕方ありません(笑)。 アタリメをかじりながら酒をかっ食らい、「半人前が! なんじゃあいつら、あんーな仲悪いクセに!」 と、善作が乗り移ったかのよう(笑)。
 またゴロ寝怪獣になった糸子(笑)、そばで食事を取っていた聡子に、直子の服は変やろ?と訊くのですが、聡子はうちもあんなん着たい、と無邪気に言い切ります。 それに果てしなく絡む糸子(笑)。 絡み酒かい(笑)。
 賞状の入った筒が、置き去りになってます。

 東京。
 チラシを配り続ける直子。
 プライドだなんだと言っている場合ではなくなっている模様です。
 そこにやってきたウィンドウショッピングの客。
 直子の服を嘲笑って去っていきます。
 装麗賞の評判でやってきた客も、冷たく一瞥するのみ。
 孤独を噛みしめる直子。
 そこに後ろから足音が近づいてきます。
 「いらっしゃいま…」
 しおらしくあいさつをしようとする直子の前に現れたのは、理恵を抱いた優子です。

 思わず泣いてしまう直子。

 ダメだここ。

 涙腺崩壊する。

 直子が、「私を見て!」 と言わんばかりの派手な服を着て、メイクもかなりとんがっているがゆえに、このシーンは泣けるのです。

 さっきだいぶ前に解説したのですが(笑)、これは要するに、こんな恰好をしていなくても、人が常にしている 「外敵からの武装」、いわば 「心の壁」 の象徴なのです。 エヴァ的に言うと(笑)ATフィールド。
 それが突き崩された瞬間、人は安心して、泣いてしまう。

 自分の追い求めている夢が大きいからこその、挫折の大きさ。
 先週分で解説しましたが、装麗賞と言っても、単になんちゃら審査員の評価でしかない。
 そんな一面的な評価は、その人の自信を空洞化させる危険性を、常に孕んでいるのです。
 そんな壁にもろにぶち当たっていた直子。
 だからこそそこに、最大のライバルと直子が考えていた姉の優子が来た、ということの心強さが、直子を泣かせるのです。
 さっき解説したように、直子には、姉に甘えたい、という屈折した感情がある。
 それが噴出してしまった、とも言えるのではないでしょうか。

 …こうして解説してしまうと、泣けなくなってくるな(笑)。

 仏壇に朝のあいさつをする千代。
 相変わらず、異人たちとの会話がこの物語の底辺を、静かに流れています。
 そこで千代が一瞥し、仏壇のなかに置いた、聡子が持ってきた賞状の入った筒。
 それはテニスの大阪府大会で、聡子が優勝した賞状だったのです。





 土曜日放送分。 あ~くたびれた。

 優子は無敵の外面スマイルでデパートの支配人をすぐさま魅了(笑)。
 奇抜な服に眉をひそめる客にも 「カラスみたいでしょ?」 と笑いを取り、「でも私が着てるのも、ここのデザイナーの服なんですよ?」 と効果的に商売をしていきます。 糸子の厳しいビジネスの薫陶が花開いている。

 お客に媚びんでもええ、と憮然とする直子に、優子はいったん店の周りに人がいないことを確認してから、直子をクリアファイルでどつきます(笑)。

 「アタっ! なんやっ?!」

 「このクソガキっ! いつまで甘ったれてんやっ!」

 「はあっ?!」

 「これは商売なんや!
 クサレ芸術家気取りも、ええ加減にしいっ!」

 そこに入ってきた支配人。 「やぁ~~小原姉妹、どうだね調子は?」

 優子はジキルとハイドのように豹変、ニコニコ満面の笑みを作って、「ああ~、どうも! おかげさまで、なんとか頑張っておりますぅ~」(爆)。

 そして聡子は、テニスの大阪府大会優勝者として全国大会出場のため、東京に行くことに。 祝賀会が 「太鼓」 で開かれるのですが、そこで目を引いたのは、木岡のおっちゃんの老けぶりでした。 幸いなことに女房も健在でしたが、あの下駄屋はいったいどうなったんでしょうか。

 聡子が東京に行く日、糸子は徹夜明けで、ミシンの前に突っ伏して寝ています。
 「ああ…行くんか…気ぃつけてな…」
 起きがけの眠たい目のまま、半分機嫌悪そうに言うだけの糸子。
 聡子は構わず、明るく出発します。

 東京の、あの下宿にやってきた聡子。 中は…。
 あのおどろおどろしい魔女の部屋は、幾分緩和されていたようです(笑)。
 連れてきた優子もすぐ店に戻ってしまい、ちょっとさびしそうにする聡子。
 しかしこれは、聡子が望んだことなのです。
 ホテルでも取りゃいいのに、という糸子のモノローグ。
 でもそこでなんの世話もされないまま、姉たちの仕事ぶりを見ていた聡子には、テニスよりもやりたいこと、という気持ちが、徐々に膨らんでいくのです。

 そんな聡子、なんと全国大会で優勝してしまう。

 姉たちとその喜びを分かち合う聡子ですが、アホの聡子は(笑)実家に連絡を寄こさなかったために、糸子がそれを知ったのは、翌朝のこと。
 しかも中学時代の恩師とか顧問とかゆー人に叩き起こされて(笑)。

 糸子、額を赤くしたまま、それをメーワクそうに聞くのですが(今週は赤いポイントがあまり出て来よらんと思っていたら、ここか…笑)、「…なんや、そんなことか…」(笑)。 そんなことかて(笑)。 「ほなまた、本人帰って来てから、直接ゆうたってください」 とまた寝てしまいます(笑)。

 それにしてもですよ。

 糸子は何を、そんなに徹夜続きで頑張っておるのでしょうか。

 仕事がいくら忙しいと言っても、それまでこういう描写は、一切なかったように思うのです。

 これにはどうも、糸子が将来に向けて、何かステップアップを企んでいる、という匂いを、強く感じる。

 あと2週間。

 糸子が夏木マリサンに脱皮するまで、あと2週間なのです(宇宙戦艦ヤマトか)。

 商店街に横断幕が張られ、大騒ぎで帰ってきた聡子に、糸子も一応はお追従のように、聡子を褒めてあげます。

 「お帰り。 ごっついなあ。 全国1位か!」。

 しかし糸子はすぐに仕事に復帰してしまう。 それを一瞥する聡子。

 聡子はみんなに祝福されながらも、思い詰めたような顔をしていきます。 夜中に糸子が操るミシンの音が鳴り響くのを、寝床でずっと聞いている聡子。 その音が聡子の頭いっぱいに鳴り渡ったところで、聡子は決意するのです。

 居ずまいを正している聡子。 やってきた糸子に、今日限りでテニスやめるわ、と言い出します。
 糸子はなんとなく他人事みたいな感覚で、「なんでや?もったいない」 と引き留めます。 ただしそれは、けっして強い調子ではない。
 この糸子の態度、無責任と紙一重で、尾野真千子サンのその演技バランス感覚が、とてもいい。
 糸子はもとより、娘たちに対してあれこれと干渉するタイプではありません。
 ちゃんと生きていけるんやったらそれでええ、という態度です。
 ところがそれは、常に無責任、と隣り合わせの状態。
 それを冷たい、と取るか、信頼されている、と取るかは、人によって違います。
 聡子はそれを、冷たいと取った。
 のほほん聡子の次のセリフは、見る者の心を打つのです。

 「…もうええんや…」

 「はぁ?」

 「…やれるとこまでやったよって」

 「いや、せやけど…」

 糸子は言いかけて、聡子の感情が高ぶっていることに、初めて気付きます。

 「…

 もうさみしい…」

 …

 驚いた表情の糸子。

 「…さみしいさかい…」

 泣いてしまう聡子。

 ダメだなあこれも。

 泣ける。

 「(うちは、なぁんも気ぃ付いてへんかったけど、上2人の取っ組み合いの横で、いっつもヘニャヘニャ笑ろてたこの子にも、いろんな思いがあったようでした)」。

 洋裁をやると聞いて驚く千代に、聡子はこう言います。

 「もう全国1位とれたよって。
 …
 そらうちは、お母ちゃんも姉ちゃんもみぃんなそればっかしや。 うちだけずっと仲間はずれやったんや。

 …

 やっとや…。

 こんでやっと仲間入れる…」

 全国1位になったからもういい。
 これをもったいないかそうでないかを決めるのは、やはり本人次第だ、と思うのです。
 ひとというのは、どこを目標にしているかで、ゴールそのものも決定的に違ってくるのです。
 町内の1位なのか。
 都道府県の1位なのか。
 全国の1位なのか。
 世界の1位なのか。
 ひとは欲張りだから、どうしても世界を目標に据えたがる一面があるけれども、アスリートたちは、自分が体力の限界に挑戦しながらも、限界が分かるだけに、ゴールを自分で決定する選択に迫られるわけです。 他人がとやかく言うことじゃない。
 聡子の選択を、「母親にかまわれたがっているから」 と安易に判断してしまうことは、誤りであると私は感じます。
 その視点から見ていくと、今週の話は、限りなくベタに近くなっていく。
 どうせ聡子もファッションデザイナーになることは分かっているから、と見くびりながら見ていると、聡子が直面していたアスリートとしての意識の限界に、目を向けることができなくなる。

 聡子が実業団なり、そこでそこそこ活躍することは出来たかもしれない。
 でもそれは、最終的に、聡子が本当にやりたいことではなかった。
 単純に母親にかまわれたがっていたのではない。 その先にいろいろある。
 千代と聡子との今週最後の会話のなかには、その真髄が隠されているような気が、私にはしたのです。




 …疲れた…。

 (笑)

 以上です。

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2012年2月12日 (日)

「カーネーション」 第19週 「自信」 表/裏 「評価」

 今週のサブタイトル、「自信」。
 自信というものは、いったいどうやってついていくものでしょうかね?
 若いころはそりゃあ、自分の作ったものを 「どうだ、オレって凄いだろう」 くらいの勢いで周囲に見せびらかしたりするものです。 性格が逆でも、シレッとすごいものを作ってきて、まわりから 「すごい!」 と言われて、「そう?そんなことないよ」 などと謙遜しながら、内心ほくそ笑んだりする(笑)。

 ただ、ハナから 「自分はすごい」 という自信家、って、ホントにすごい場合もあるし、同じ 「すごい」 でも 「すごいカンチガイ」 という場合もある(笑)。

 いずれにしたって天性の自信家でもない限り、「自信」 というものは、周囲からの 「評価」 があって、初めてついていくものだ、と思うんですよ。

 今週の 「カーネーション」 は、どんな人でも、自信というものをつけていくのには、大きな山をいくつも乗り越えなければならない、という思想が貫かれていたように感じるのです。

 どうして毎週、これだけのものが作れるのか。
 とにかくこれは、作り手の人間性、人間に対する洞察が深くなければ、これだけのものは出来ない、と申し上げてもいい気がします。
 このドラマは、見る側すべての人に、表面上のことを表面的に捉えることを勧めていません。
 表面的な描写がたとえあったとしても、そこには常に、深い部分で何かがうごめいている。
 優雅に水面を進む白鳥も、水面の下では足を常にひたすら動かしているのだ…というのは花形満の至言ですが(笑)、このドラマはまさにそれ。
 見る側に、深い思索を、常に強要してくるのです。

 今週、この物語の主人公である糸子は、クリスチャン・ディオールの後継者として台頭してきた、イヴサンローランという21歳の若手の才能が世間に受け入れられていく過程を見て、自分の感性が老いてきているという危惧にさらされます。

 イヴサンローランの話はすでに、先週の女性洋装店経営者井戸端会議(長っ…)で先鞭がつけられていたのですが、ディオールについても、すでに戦後すぐの時点でドラマのなかに登場してきていた。
 どうしてこういう個人名が単発で出てくるのか、ココシャネルだってええではないか、と思っていたのですが、すべては今週の、糸子が自信を喪失する話のためのお膳立てだった、ということにも、限りない計画的な企みを感じる。
 つまり、話が全部、つながっているんですよ。

 しかもこの深い話が、関西のお笑いをベースにした文化的要素をまぶして完成されているんだから、これはもう、…んー、あんまりほめるとつまらん(笑)。

 で、今週の話から派生的に私が考えてしまうのは(また考えすぎの虫が…笑)、例えその、天才的なイヴサンローランにしても、周囲から評価されなければ、自分の作品に自信を持つことなどあり得ないのではなかろうか、ということです。

 確かに冒頭書いたとおり、サンローランがかなりの自信家で、「どや!」 みたいに虎ペースで優勝、ちゃうちゃう(いくら大阪だからって…)、トラペーズラインというニューモードを大々的に発表したのかもしれないんですけど、糸子に言わせれば、「なんやこのアッパッパ」 みたいなこんな服を出すのって、ホントは勇気のいることだったんじゃないかな、と思うんですよ。

 私は昔から、ファッションショー、というものを見ていて、「誰がこんな服着るの?」 みたいにいつも感じていました。
 まあそれは実用的、という部分よりも、コンセプトを発信する、という部分が大きいんでしょう(ファッションに関しては、ズブの素人ですので分かりません)。
 でも最初にこれを始めた人には、やはり世間の 「常識」 の壁って、厚かったんだろうなー、と。 ファッションショーに出すような奇抜すぎるデザインでなくとも、モードに楯突くようなデザイン、というのには、風当たりも強かったんだろうな、と。

 美術の世界だって同じで、ピカソがいきなり 「アビニョンの女たち」 みたいな絵を描いたら、そらケンケンゴウゴウだと思いますよ。
 結局それって、世間的に受け入れられないと、ただのヘタクソな絵、で終わりですからね。
 やはり評価というものがついて初めて、人は自分のやっていることを正しい、と思えるようになるんだ、と思うのです。
 そしてそれが、最終的に自信につながっていく。




 ま~た前フリでこんなに書いちゃったよ。
 もう、…今週は飛ばすぞ!(まったく当てになりませんが…)。




 月曜放送分。

 安岡美容室にやってきた糸子。 来るなり八重子たちが、あからさまに客の姿を隠そうとします。 パーマをかけていたのは、高校を卒業して東京の洋裁専門学校へと行く予定の、直子です。
 「アカン! こんなすねっかじりがパーマなんて100年早いわ!」。 出た、善作の必殺技、「100年早い」(笑)。 直子は自分が田舎者と思われるのが嫌で、一生懸命イメチェンを図っている様子です。

 糸子が安岡の店に来たのは、自分が新たにデザインした美容師たちの制服を見に来たからでしたが、そこで八重子が、「ディオールの新作見た?」 と糸子に渋い顔をして話しかけてきます。
 「なにコレ、こんなんただのアッパッパやん」。
 それがあの、トラペースで優…アレです。 女性の体のラインを見せることを無視し、肩から台形のように広がっていく服です。

 ここで八重子が、「なにこの服アカン」 みたいに先導役を務めていることには注目です。
 八重子が進取の気風を兼ね備えていた人なら、「この服ええんちゃう?」 ということになり、糸子も少しは影響された、と思うのです(少しね)。
 見る側を糸子と同じ気持ちにさせるほんのちょっとしたからくりです。
 糸子は八重子と一緒に、ディオールの後継者である、このイヴサンローランについてヤイノヤイノかまします。

 直子が東京に対して巨大な威圧感を抱いていることは、出発直前になっても荷物の山のなかでフテ寝して、「着ていく服ない」 と駄々をこねていることからも分かります。
 赤いチョッキを着てうつ伏せで寝っ転がっている直子。 糸子は大阪のオバチャンらしく、直子をガンガン急き立てます。
 これは今週後半、同じようなイメージのたたみかけが待っています。

 それにしても、あんなけ自信家だった直子が自信を喪失している。
 今週の 「自信」 をめぐる話は、早くも始まっています。

 そして今週から、三女の聡子役で、安田美沙子サンが登場。 「(ネジ1本…いや、5本くらい抜けてるような顔して)」 という糸子の性格分析には笑いました。
 聡子はテニスでかなり強いみたいなのですが、糸子がこの、聡子に対してほとんどまったく関心を示さない。 やはり畑違いの道を歩んでいる者には、興味がわかないのでしょうか。 予定では3人ともファッションデザイナーの道を歩むことになりますから、聡子がテニスから洋裁を選ぶ時の話にも、がぜん興味が湧いてまいりました。

 聡子と入れ替わりでやってきたのが、北村。 「ひろい食いすんな~」 と聡子に冗談をかますのですが、聡子、本当にしそうなんだよな…(笑)。
 で、その北村、相変わらず呼ばれたがりで糸子には悪態のつきまくり、糸子も丁々発止であります。
 「(千代に)コイツに食わせる塩辛なんぞない、要らんで!」 って、部長課長かと言いたくなりましたが、北村が持ってきたのは、「ワイと組めへんけ?」 という話。
 糸子は思いっきりタメを効かせて(笑)「…死んでも嫌じゃ」 とかまします(笑)。 「なにが悲しいてホラ吹き男と手ぇ組まなアカンねん、アホらしい」 と、その場に寝っ転がってしまう糸子(笑)。 糸子も結構しつこい(笑)。
 糸子はそこにやってきた直子に北村の相手をさせるのですが、北村が持ってきた、トラペーズラインの写真を見て、「はぁ…ええなあ。 ええんちゃう」 と、まあどーでもよさそーな顔をして言います。 北村はこのトラペーズラインで、ひと山当てようと目論んでいるのです。

 寝っ転がってその話を聞いていた糸子、「どこがええんやこんなの」 とのっそり身を起こして、日本人の体形に合ってない、あんたも洋裁の道進むんやったらそのくらいのことは考えられなあかんで、と直子に忠告します。 こんなもん売れへんわ、と。

 「ほなどんなんやったら売れるっちゅうんよ?」「そらこれまで通りのこう、腰がシュッ!と締まって、ふわっと…」 北村に思わず力説してしまった糸子、こんなヤツに商売のヒントなんか与えちゃれるかいなと、またゴロ寝モードに逆戻り(笑)。 「やめとこ…」「やめんといて!なんで?」(笑)。
 「寝んなってオイオイ!どうしたらええ?オイ!ゆえよっ!」「嫌や。もったいない」(笑)。

 そんなふたりの丁々発止が続くなか、直子はひとり、「ええんやけどな、コレ…」 とつぶやきます。 そんな直子を、「こんな分かってない子が洋裁なんかで食べていけんのかいな」 というような、憐みの混じった顔で見ています。

 ここ。

 結構今週の話を語るうえで、重要な場面だと思います。 笑いの波状攻撃、といった場面だったのですが。

 直子はこのトラペーズラインを受け入れられるだけの、頭の柔らかさを有しています。
 けれどもそれは、直子にとってかなりどうでもいいことのように見える。
 極めて不機嫌そうに、「ええんちゃう」 と言っていることからも、直子は他人のデザインになんか興味はない、と表明している気がするのです。
 直子は要するに、糸子の2歩先くらいの感覚でいるんですよ。
 糸子には認められないトラペーズラインをいいと思っている時点で、まず1歩。
 けれども自分は自分にしかないデザインを求めている、という点で、2歩。

 そして直子の、旅立ちの日。

 直子は結局、セーラー服を着て、東京へ向かうことになります。
 全国共通の制服が、一種の安心感を直子に与えていると言えます。
 仏壇にあいさつをしていく直子。
 「行ってきます」。
 ご先祖たちに、きっぱりと言う直子。
 やはりこのドラマは、自分たちは異界の人々と共に生きている、ということを、とても言いたがっている気がする。

 こんなややこしい娘でも、いなくなると、さびしい。

 直子を見送ってきた糸子は、直子がいつも座っていた背の低い机の前に座り込んで、ひとりさびしさにふけります。
 ワサワサと展開が慌ただしかったこの日の放送のなかで、糸子が直子の置いていったノートを見ながら、物思いにふけるシーンは、1分以上(70秒くらいやったかな…細かい…)。
 これがえらく長く感じた。
 話を詰め込み過ぎる傾向があるこのドラマで、1分を割く、というのは、とても思い切った判断だと感じる。
 人生のなかで、誰かを見送ったあとの一抹の寂しさ、というのは、誰でも経験したことがある、と思う。
 それをここでたった1分で、感じさせてくれるのだからたいしたものだ。
 そして次の瞬間、小原家にもテレビがやってきて、その静寂が破られたところで、月曜放送分は終わるのです。

 ちょっと待ってくれ~…。 まだ月曜分かよ…。




 火曜日放送分。

 優子と同じ部屋で住み出した直子の様子を、優子が手紙で知らせてきます。

 それによると、直子は来るなり、セーラー服のまんま布団をひっかぶって寝てしまう。
 まるで東京の重圧に押しつぶされたかのように。
 出かけるのを渋る直子に、「誰もあんたの格好なんて気にしてないわよ?」 と東京言葉で指摘する優子に、直子は敏感に反応します。
 「姉ちゃんの服なんか、カッコ悪て着られへんわ」。
 自分がセンスがある、とばかり考えていた優子はその言葉にカチンとくる。
 学校の友達を優子が連れてくれば、セーラー服に着替えちゃってただ押し黙るばかり。
 友達が帰ったあと、「岸和田弁が恥ずかしいんでしょ?」 と姉に指摘されて、いきなり無言のままキレてしまう直子。 放り出されたようになる、直子がいつも引きこもりのようにして描いている、幾何学模様のデザイン画。
 姉の言うことは図星だけれど、認めたくない。
 岸和田弁が恥ずかしい、というのは確かにあるかもしれない。
 でも、恥ずかしいんとちゃう。
 岸和田弁丸出しでも違和感のない空間を、うちは見つけたいんや。
 自分がセーラー服を着ているのも、お仕着せの流行ではない、自分の価値観をそのまま表現できる服を着るときのための、いわばスタンダード、原点なんや。
 直子のそんな、常識を軽侮する、芸術家タイプの思考形態が、BGMのスティールギターのブルーススケールの音とともに表現されていきます。
 そして投げ出された、この直線が中心のデザイン画。
 それは今週の途中で、劇的に変化していくのです。

 いっぽう大阪の繊維組合。
 女性洋裁店経営者井戸端会議(長っ…)で、サンローランがやり玉に上がっています。 ここで 「サンローランはアカン」 という糸子の判断が、さらに固まっていく。
 糸子は、サンローランも自分も、一本立ちしたのが同じ21であることに気付きます。
 これはのちほど、糸子を深い思索へと導くのですが、この時点では、「うちらのころの21と今の21とじゃ違う」 というほかの女性経営者の言葉に、糸子は納得してしまいます。
 ここに糸子の陥った落とし穴がある。

 その井戸端会議のあと、糸子は組合長の三浦に呼び止められます。 いい反物が安く買えるのだが、それを小原さんとこで引き受けてくれないか、と言うのです。 けれども糸子はその量のハンパなさに、ちょっと二の足を踏んでしまいます。

 ここで三浦は 「とりあえずあんたにいちばんに知らせちゃろ思たんや」 と耳打ちし、糸子はなんとなくその好意をどう受け取っていいのかな、みたいな反応をします。
 これはおそらく、周防のことで迷惑をかけた、という気持ちが、組合長にあったのでしょう(解説せんでも分かるか)。 仕事を干されて日雇いをやっていた周防が怪我をしてしまったとき、組合長に泣きついた周防に 「小原さんとこで雇ってもらい」 と勧めたのが、三浦組合長でしたもんね。

 聡子は高校のテニス部に入部したくらいで新聞記事になってしまうほどのアスリートになっていたのですが、糸子はまったく興味なし(笑)。 しかし聡子が食べていた、北村からの土産であるイチゴ(これも赤い!…笑)を見て、そうや、北村と組めば、あの膨大な反物をさばけるやん、と気付きます。
 糸子は早速喫茶店 「太鼓」 へ北村を呼び出し、とりあえず話だけ聞こか、というオーヘーな態度で(笑)北村の話を聞きはじめます。 「わしとこレディメードの店はもう天井知らずでウハウハや、これが天井なんか知るか~てな調子でグワ~伸びちゃってんねん…イテッ!」 と大意このよ~な自慢をする北村の手をひっぱたき、「自慢はえ~ねん、続き!」(笑)。
 「要は、確実に売れる型。 これさえあったらボロイねん!」。 そこで糸子のデザインが欲しい、と北村は言うのです。 北村は、トラペーズラインに狙いをつけている模様です。 しかし糸子はその考えを一蹴します。

 「アカンてこんなもん」

 東京の流行、というものは、大阪に来るまでに半年はかかる。
 そしてそれが大阪人の気質に合わなければ売れない。

 「トラペーズラインは…大阪では絶対はやらへん」

 糸子の商売人、としての長年のカン、です。 糸子と北村は、ビジネスパートナーとしての合意に達したのです。
 ふたりは互いに顔を突き合わせて、越後屋とお代官様のようにニンマリと笑います。 お主らもワルよのう…(笑)。




 水曜放送分。

 東京。
 入学式の日、セーラー服のまましょぼくれた顔で学校へと向かった直子は、その第1日目から、下宿に東北訛りの学生服の男を連れ込んで何やら談義中。 おそらく 「訛り」「学校の制服」 という同じベクトルを感じて、知り合いになったのでしょう。
 この、斎藤源太という青年がしゃべっていたのは、モディリアーニの絵に見られる曲線の組み合わせの造形について。 のちに直子は、斎藤の描いた被服のデザインの、曲線の美しさについて千代に説明していました。 モデルとなるデザイナーがいるのかな? ネットでは、高田賢三(KENZOくらい私も知ってます)ではないか?という声も上がっているようですが…。

 いっぽう繊維組合では、三浦も交えて糸子と北村が祝杯をあげています。 三浦が糸子にひいきしている理由を知りたがる北村。 でも三浦も糸子も、教えようとしません。 そらそうですわな、北村の横恋慕がすべての発端なんですから(笑)。

 でもそんな和やかな祝宴のあとでも、糸子はどうにも一抹の不安が心から離れないのを感じている。

 「(暗あて、重たい…なんや、これ?)」。

 糸子はぱらぱらと、ファッション誌の切り抜き帳をめくります。

 「(ああ…やっぱしこれや)」。

 糸子がめくったページの先には、あのアッパッパの写真が。

 「(サンローランが出してきよったこれが、うちには全然分からんっちゅうのが気になってるんです…。

 分からんもんは、しょうもないて無視したい。

 けど、分かれへんうちが、悪いんかも知らん。

 サンローランは21歳。

 21歳のとき、うちもやっぱり…)」

 「小原洋裁店」 の看板が上がった時の回想。

 「(誰よりもうちが、時代の先を分かってる思ってた。

 …あの自信はなんやったんや?

 21歳が、ほんまにそないに分かってるもんやろか?)」

 糸子は安岡玉枝に、自分が21のころはどうやったかを聞きに行きます。
 ただこの質問は、ちょっと危険なものが含まれている。
 玉枝に糸子がイケイケドンドンの頃を回想させると、どうしても避けられない、嫌な思い出が目の前に横たわってしまうからです。
 玉枝はしかし、その嫌な思い出を巧みに回避し、糸子ががむしゃらになって突っ走っていたことだけを思い出します。 しかも無理をして失敗したことばかり(笑)。 テントを縫うとか、あんな厚手のものを縫うなんて、ホントムチャしよりましたわぁ。 それで足腰立たなくなって、奈津におぶわれて結婚披露宴へ。 当然大遅刻。 糸子と玉枝はそれを思い出しながら、お互いに 「はぁ~」 とため息をつくのです。 「ムチャクチャやったわ…」 と(笑)。

 ただやはり、ディオールの後継として世に出ようとしていたサンローランが、それまでのモードをひっくり返そうとして出してきたこのトラペーズラインには、同じ21歳のころの糸子と共通する、がむしゃらさを感じないわけでも、ないのです。

 しかしここで糸子が下した結論は、「21歳は間違いのう、…アホや!」(笑)。 なんも怖がることない。
 けれどもこの場合糸子は、若さの勢いを、がむしゃらさを、怖がるべきだった。 松田恵や昌子が心配するなか、糸子はそれでも前に進みます。 「(自信を持って、うちなりの商売やったらええんや!)」。

 いずれにしても、自らを奮い立たせるためには、自分に自信のないようなことではあきません。 ものごとを引っ張っていくためには、自分が今まで生きてきた経験則にのっとった、自信というものがなければ、人はついてこないのです。
 それはのるかそるかの大ばくちでも、やはり長年培ってきた経験で、人は動いていくものです。

 私はこのプロジェクトについて、仕入れた反物がかなり安かった、ということは、売値もかなり低く抑えることができたのではないか、という気がするんですよ。
 さっきから匂わせまくっていますが(笑)、結局このプロジェクトは、失敗します。
 これ、ドラマのなかでは、デザイナーズブランドみたいに、高級品ぽく売り出していたように、私には見えました。 大口は全滅、小口にも散々言われた、なんてのちに北村が言ってましたからね。 価格を高く設定しすぎたのが失敗の主な原因だったんじゃないのかな。 トラペーズラインを採用しなかったことは、枝葉末節の話なような気がするんですよ。
 これってリーズナブルブランドで格安品として(同じ意味やがな)売り出したら、庶民層にごっつ売れたような気がする。 当時だって最先端のモードでなく、一世代前のモードでもよろしい、という庶民は、たくさんいたはずなんですから。

 いっぽう東京。

 直子が連れてくる男たちは、日に日に増えていきます(笑)。
 呆れかえる優子。
 そこには原口先生も含まれていたのですが、彼らが話題にしていたのは、「卵」 が自然の美しさ、というものをすべて内包している、ということ。
 そうした話を聞くと、私などは畑は違うのですが、トヨタのエスティマが、いちばん最初に売り出された時の宣伝文句を思い出してしまいます。
 「走るタマゴ」。
 初代のエスティマは、「タマゴを車にするのだ」、というコンセプトが透徹していた。 特にエミーナなどは、ワンボックスカーの完成型、といまだに私は思う。
 今のエスティマからは、そんな志は消え去ってしまいましたね。 「走るシェル(貝がら)」 といった雰囲気ですが、思想はなくなってしまった気がする。
 いずれにしてもこの、卵を究極のデザインと結び付けようと考える、このフェノメノンたちの思想は、直子に何らかの影響を及ぼすことになるのです。

 この席で、優子の優等生ぶりを原口先生が褒めます。 優子は学校で、主席なのです。
 優子はただ生真面目なだけで…と謙遜しますが、直子は 「その通りや」 と噛みついてくる。

 「課題とかな、アホみたいにキチキチ出しよんやし。 点取りがうまいだけで、別に才能があるわけちゃう」。 凍りつく一同(笑)。 仲間のひとりが、優子の服はディオールか?とその場をとりなし褒めようとします。 優子は自分で作ったのだと自慢し、サンローランのトラペーズラインのすごさが、若者たちの間で話題になります。 既に若者たちの感性は、サンローランを受け入れているのです。

 話のなかで、優子はつい、直子に抱いている不満を 「軽い話題」 みたいに話してしまいます。 直子はこれにも噛みついてくる。

 「うるさいんじゃ!
 うちは姉ちゃんみたいに、ノーテンキちゃうねん!
 なにがトラペーズラインや。
 ようそんな他人がデザインした服着てヘラヘラしてられんな?
 あんなあ。 この道進むて決めたら、うちらはもうその瞬間からデザイナーなんや。
 なに着るかは、そのまま、デザイナーとしての面構えなんや。
 自分の面構えも決まってへんのに、よその服まねして、喜んでる場合ちゃうんじゃ。
 ほんなことも分かれへんけ?!」

 さっきすでに解説してしまいましたが、直子がセーラー服を着ているのは、要するに自分の面構えが決まってないから、決まるまでの押さえとして着ているだけなのだ、ということです。
 その原点からうちがどないな服を着るのかは、ここからはうちの主張や。
 誰にも文句は言わせへん。
 それがデザイナーとしての、誇りなんや。
 サンローランがなんやっちゅうねん。
 そんなものをマネして、自分っちゅうもんがないんかい。
 自分がないくせに成績がいくらよくたって、ほんなの意味ないわ。

 これは直子が、糸子や優子より1歩も2歩も前に意識が行ってなければ、出てこないセリフなのです。 ただ10歩も20歩も行ってしまってたら、直子の眼中には、母親も姉も入らなくなってしまう。 ちょっと前を行っているからこそ、そして(学校の成績という)形式的な部分で姉のほうが上だからこそ、姉に闘志を燃やしてしまう、と思うんですよ。
 優子はしかし、直子のその、芸術家としての孤高に対して、本能的なクリエイターとしての嫉妬を爆発させてしまう。 周りに人がいるにもかかわらず、優子はいきなり、直子につかみかかります。

 「なんじゃコラ!」
 「出来損ないが!」
 「このアホッ!」

 新山千春サン、ホントに怒ってるみたいだった…(笑)。

 その乱闘後、誰かが書いた(斎藤かな?)女の裸体の絵の上に卵が割れてしまっています。 斎藤がせっせと畳を拭いている(律儀だなぁ…)。
 優子は嗚咽しながら、手紙をしたためています、糸子に。 青いインクがきれいでしょう。 白い便箋が、悲しいでしょう(なんやねんソレ)。

 「直子は、手に負えません」(笑)。

 その手紙を読む糸子。

 しかし糸子が気になったのは、ケンカの部分ではありません。
 「直子が連れてきた男の子たちは、サンローランのトラペーズラインや、サックドレスなんかの今の流行にとても敏感で、さすがにうちの生徒です」、「(ここや)」。

 この抑えきれない流行が、やがて岸和田にも到来することになる。




 木曜放送分。

 トラペーズラインの影響下にある、サックドレスの注文が、オハラ洋装店に倍々ゲームで舞い込むようになってきます。
 その注文に気軽に応じながら、心中穏やかではない糸子。

 「うち…読み違えた…。

 …うちやってしもたかもしれん…」

 糸子は八重子に、弱音を吐きます。
 八重子は、失敗したかてまた取り返せばいい、と励ましますが、糸子は浮かない顔のままです。 もう商品は、完全に出来上がっていて、後戻りのできない状況なのです。

 「いや、ほんでもな…うちがいちばんショックなんは、…どないしても、サックドレスがええと思われへんことなんや。

 あんなけ若い子ぉらが目ぇ輝かしてるデザインに、うちはよう目ぇ輝かさんやし。

 うちは…。

 世の中に遅れ取ってしもてる…。

 間違いのう…」

 今まで、百貨店の制服やら、男もののアッパッパ、モンペをおしゃれに着こなす方法、そして水玉のワンピースなど、世間のモードを先取りしていたような印象のあった、糸子の仕事の数々。
 それがいつしか、思考の柔軟性が失われて、固定観念に縛られるようになってしまっている。
 糸子の固定観念の中心にあるのは、女性の体のラインを美しく見せるのが洋服の基本なんや、という思い込みです。
 サックドレスはシルエットがまるで直線で、糸子の固定観念を根本から否定しているデザイン、と言っていい。
 時代から取り残されるのは、こと洋裁師にとっては致命的とも思われます。
 打ちひしがれた表情のまま帰ってきた糸子。
 北村のにぎやかな声が、店の奥から聞こえてきます。

 「なんやアンタまた来てたんけ」。 糸子のいつもの啖呵にも、元気がありません。
 必要以上に明るい北村、商売の話を一切しようとしないところから、糸子は商いがうまくいっていないことを察します。 結構あうんの呼吸やな(笑)。

 宴がはけたあと、糸子と北村はふたりでしみじみ酒を酌み交わします。 糸子の予測は図星だったようです。 「残った分はうちが買い取る」 と安易に責任を取ろうとする糸子。 北村は 「カッコつけんなよオマエ」 と憤る。

 「たかがこんな岸和田のよう。 ちっこい店の女店主がよう…。
 お互いの損で痛み分けや。 ほれでええがな」

 「うちが甘かった…。
 また一から出直し。 勉強や」

 「大変じゃないと勉強にはならない」。 いつか自分が清三郎に言ったことを、糸子はまた、自分自身で噛みしめることとなったのです。

 「あんたにはほんま、悪いことしたな」

 糸子は居ずまいを正します。

 「かんにん。 この通りや」

 「…
 うっわ! うわわわわわわ! 気色悪ぅぅ~~っ! エライもん見てもうたがなコレ」

 北村は初めて見る糸子のしおらしいところに、一瞬反応に困るのですが、ここはお笑いで返さなあかん、という大阪人の瞬発力で乗り切ろうとするのです。 ナイス選択です。

 「あかんあかんこれは中から酒で清めなエライことなるぞコレ…ほんま…ああ、アカンアカン…」

 糸子は北村の、いかにも不器用な配慮に、ちょっとばかり救われたような表情をします。
 せや、辛気臭いのはなんとやらじゃ。 コイツ、なかなかええとこある…。 けど大ショックや…。 けどちょっとホッとした…。

 うまいよなあ、こういう複雑な表情するの、この人。

 いっぽう母親が苦汁をなめているそのとき。

 直子は卵をまじまじと見つめながら、デザイン画を描いています。
 それは卵の曲線を生かした、今までの直線主体の絵柄とは完全に逸脱したデザインです。
 それは直子というファッションデザイナーの卵が誕生したことを暗喩しているような気もするのですが。
 そこに流れてくるのは、あの、だんじりのお囃子なのです。
 そのとき、疾走するだんじりの山車がフラッシュバックする。
 勢いよく引かれていく鉛筆の線が、それに呼応する。
 ミシンもそれを負うように、布を勢いよく縫っていきます。
 そしてだんじり。
 素早く動く鉛筆。
 裁断される、深紅の布。
 まわるミシンのコマ。
 赤い光に照らされて、ふと目覚める、直子の姿。
 裸体の絵に卵が落ちます。
 割れる卵。
 黄身は、黄身とは呼べぬほど、真っ赤な色をしています。
 新鮮な卵だなあ…(感想そこに持ってくるかい)。

 オハラナオコ、というブランドの、誕生です(気が早いがな)。

 「ソーリャ!ソーリャ!ソーリャ!」
 再び大阪。 だんじりごっこをする子供たちが通り過ぎていきます。
 オハラ洋装店。
 夏休みに入った直子が、あのフェノメノンを引き連れて、帰ってくるといいます。
 千代は 「何をどんなけ食わせんねん」 と糸子が呆れるほど、料理作りに余念がありません。 テレビの料理番組のレシピがあっという間に変わってしまうのに手を焼いたりしてますけど、これ、最近のテレビでは、停止機能というものもついてるのもあるから、ひょっとしてこの先 「こんな時代もあったね」 と、いつか話せる日が来るかもしれません(せやからなんやねんてソレ)。

 ところがやってきたのは、あのフェノメノンだけ(すっかり代名詞として使うてますが)。
 フェイントかけて帰ってきたのは、ドギツイ付けまつげ、目の覚めるようなショッキンググリーン(そんな色あるんかいな)のシャツ、左右の長さが違う紫のパンツルックの、「直子REBORN!バージョン」(家庭教師ヒットマンかいな)(少年ジャンプを読んでないかたには何のことやら…)。
 糸子もこれには、完全に度肝を抜かれるのですが、パンツの左右の長さが違う、というのもアナーキーですし(笑)、襟からボタンにかけてのラインは(どういう名称だかワカラン)卵の曲線を生かした奇抜なものになってるし。
 このコントラスト著しいファッションの要になっているのは、真っ赤な口紅であり、そして糸子が直子に買い与えた、あのガキっぽい赤いバッグ、なのです。
 このバッグが自分の原点である、というこれは、直子の意思表示でもある気がする。

 「ひょっとして………直子か?

 …なんやあんたそれ?…なにが…?…どないしたんやいったい?…ええっ?…え…え…」

 糸子の狼狽は笑えるのですが、いっぽうでは若い感性に置き去りにされた、糸子の敗北宣言のようにも聞こえる。

 千代の作った膨大な手料理を、赤い口紅を塗ったくった口が食べてます(笑)。

 「(お化けや…オバケがトンカツ食べてる…)」(爆)。

 糸子はあいた口がふさがりません。

 ところが直子と一緒にやってきたフェノメノンのひとりである斎藤から、糸子の得意技である立体裁断について感嘆をもって尋ねられると、状況は一変。
 この、顧客の体に直接布を当てて裁断していく方法は、このドラマのなかではもともと多忙にいちいち型を取っているヒマがなくて糸子が始めたものだったのですが、ピエール・カルダンがその方法を披露したように、パリではこの裁断法が主流になっているらしいのです。 ピエール・カルダン財団…、岸恵子サン、パリの叔母さま、「赤い疑惑」 を連想します(そーゆートシなんですっ)。

 で、得意満面でその立体裁断をフェノメノンたちに披露することになる糸子。
 蛇足になりますが、糸子の左腕には、まち針を刺すためのボンボンみたいの?(笑)が腕時計みたいについてまして。 その色も赤。 ホントにこのドラマ、何かというと赤い色が印象的に使われます。
 直子はその様子を、じっと見つめています。
 その表情を読み解くとすれば、「今まで気付かなかった母親の偉大さに気付いた尊敬の念」「この人は自分と同じステージで闘っているライバルなのだ、という対抗心」 が入り混じったものといえましょうか。




 金曜放送分。

 昭和34年。 物語は相変わらずだんじりのように疾走します。

 北村が、似合わないアイビールックでバッチリ決めております(笑)。 VANとは明言してませんでしたけどね(私も門外漢などと言いながら、結構知ってますね)。
 そして優子も、東京の学校を卒業して、オハラ洋装店に勤めることとあいなりました。
 それを祝う晩餐の席で、優子は東京から遊びに来たいという友達がいるけどいい?と糸子に訊いてきます。 その場にいたほぼ全員、「それって優子の恋人」 と察しがついたらしいのですが、糸子だけはその点かなり鈍くて(笑)。

 ところがこの男。

 スンゲーウサン臭くて笑える。

 まるで大昔の映画の、役者のしゃべり方みたいなウソ臭さで(失礼)、しかも婿養子になってやってもいいみたいな慇懃無礼さで、もし大阪に来たら職を斡旋してほしいくらいの甘ちゃん大明神で(笑)。 んもー笑えるほど見てるだけでムカムカしてくる感じ(ハハ…)。
 糸子はこういう甘ちゃんの権化には当然ながらかなり手厳しい。

 「いや、(ツテなんか)ないでほんなもん。

 ちゅうか、まあ、あるとしても、ないと思といてください。

 男のお宅が、やっと成人して、いよいよ社会に出てったろかっちゅう時に、嫁の親のつてなんぞ当てにしていたらあきません。

 どうぞお宅が、ほんまに勤めたい思う会社を、自分で探して見つけてください。

 そら最初は、いろいろ苦労もあるかと思います。

 けど、そういうことこそ、のちの財産になるっちゅうものやのに、先回って取ってまうようなまね、うちはようしませんわ」

 唖然とする男。
 むくれる優子。

 ボクやっぱり人んちに泊まるの苦手だからさ、と宿泊を断るその男、どう見ても優子のためにならんと思うのですが、んー。
 なんか自分のレビューの書きかたが長女に寄り添っていない、と感じていたのですが、どうもこのドラマ自体が、長女の側に立っていないような気もしてきた。
 土曜日分まで見てきて、結局この男、なんだったんだ?という気がするんですよ。
 次週予告を気になって読んでしまったのですが、どうも来週、優子は子供を産むらしい。
 この男の子供なのかな?
 だとすれば、相当男を見る目がない状態で産んでしまう、黒木メイサチャン状態になってしまうような気もするんですが(失礼)(失礼)(下世話だなあ…)。
 でもこのまま、優子を貶めるような状態で一方的に終わっていかない、とは強く思うんですよね。 なんたって実在のモデルがちゃんといらっしゃるんですから。
 今後この男を深く絡めていくのだとすれば、優子がこの男のどこに惚れたのかを、作り手はおそらくきちんと描いていくはずだ、とは思います。

 だから糸子の説教も、至極当然に思えたのですが、糸子はさらに、思いを独白します。

 「(そら、好きなんやったら結婚したらええ。 それも縁や。

 なんぼ気に入らんかて、縁ちゅうもんは横から他人がぶった切ってええもんちゃう。

 良かれ悪しかれ、本人がたどれるとこまでたどってるうちに、いずれ答えは出てくる。

 …ほんでええんや)」

 糸子はもつれた赤い糸をほどきながら、優しく微笑むのです。
 そんな親の気持ちなど分からずに、乱暴に2階に上がっていく優子。
 「こら!下りてこんかいな!仕事や!」。
 いちいち気にいらんことがあるたびに職場放棄してどないやねん、ということです。
 ブンむくれる優子のぶっきらぼうな 「イラッシャイマセ」 に驚く客。
 優子は結局首席で卒業したらしく、そのために講師になるという道もあったらしいのですが、あえて岸和田に帰ってきた。
 その気持ちは親としてうれしいのでしょうが、商売をやる以上は甘えは許されへん。 店を継いだあとに立ちゆかんようになるからや。

 「(焦らんでええけどな。 勉強やで)」。

 父善作が口を酸っぱくして娘に言っていた言葉を、今度はその娘が、自分の娘に心のなかでかけてやるのです。

 そして優子がいなくなったあとの、東京の直子の下宿。

 赤いレース、不気味なガラス瓶、おどろおどろしい造花、まるで母親の胎内にいるかのような、赤いイメージで統一された、魔女の部屋(笑)。
 効果音も、心臓の鼓動の音になってます。
 まるでプラグスーツ(エヴァかよ)に包まれながら眠る碇シンジのように(ハハ…)風邪で寝込む直子。
 その布団のデザインは、母親から貰ったあのバッグのそれと、まったく一緒に思えます。

 しっかしまっかっかの布団。

 気が昂ぶって眠れないでしょうなぁ…(爆)。

 そこに、斎藤源太に連れられて、千代が見舞いにやってきます。
 その部屋の異様さに、口をあんぐりさせてしまう千代。
 しかし直子は、生まれたばかりの赤ん坊のように、無邪気におばあちゃんに抱きついて泣いてしまいます。 知らず知らずのうちに、直子は自分を表現しようと、頑張りすぎていたのかもしれません。
 ここ、冒頭付近で書いた、東京出発前にフテ寝する直子と、急き立てる糸子とのシーンの、完全な裏返しになってますよね。

 「ごめんな…岸和田から遠かったやろ?」

 「そら遠いけど…来てよかったわぁ…あんたの顔見れて、ほっとした…」

 直子の火照った顔をさする千代。 千代はすっかり変わってしまった孫のなかに、昔っから変わらない何かを見つけたようです。 こういうのは、ちょっとグッときます。

 ところがその晩、同じ寝床での寝物語に千代が語った話は、少々衝撃的。

 このおどろおどろしい部屋を、まるで 「神戸箱」 のようだ、と回想する千代なのですが、その際に、母貞子が既に亡くなってしまっていることが明かされるのです。
 ホントに人が死ぬところをやらないのが徹底してる。 このドラマ。

 これってちょっと冷たいんじゃないか、とも思えるのですが、実は、人が死ぬところの悲しさを直截的に表現するよりも、こうして回想のなかで人の死を表現していくことによって、その人がどれだけ遺された人々のあいだで生きているか、ということを、このドラマの作り手は表現したがっているようにも思えてきました。

 ドラマのなかでは、今際の際にいろんなことを双方に語らせてお涙頂戴していく、という手法がよく採られます。
 最近ではそれでも、「その数日後に息を引き取りました」 みたいな時間差が主流になってきたようにも思えるのですが、それでもやはり、家族が亡くなる時って、あまり劇的な会話なんかしないものだ、と思うんですよ。
 いや、するかな。
 どうだろう。
 重病で死んじゃうのが確実、という場合は、するんだろうなぁ…。

 ともかくここで出てきた 「神戸箱」 の話は、千代も涙ながらに語っておりましたが、貞子おばあちゃんのおっとりとした性格を思い出させるマストアイテムだった気がするのです。
 この箱に入っていた骨董品の数々は、困窮に陥りがちだった小原呉服店のピンチを、何度も救ってくれていた。
 おばあちゃんはただ道楽のためにその箱の中身を送り続けたのか。
 それとも家計の足しにしなさいよ、という意味で送ってくれていたのか。
 いずれにしても、貞子という人の人となりが、死ぬエピソードを直接挿入しなくとも、強烈に印象づけられる。
 わざわざ死ぬところを見せない作り手の心意気を、このアイテムのエピソードに、見ることができるのです。

 そんな千代に、直子はその名の通り、素直な子供になって、そんな箱より、おばあちゃんがおったらうちにはじゅうぶんや、と言うのです。

 「ほうか…うれしいなあ…」

 「おばあちゃん」

 「ん?」

 直子はこんなことを言うのは恥ずかしい、というように、向こうを向きます。

 「…長生きしてな…」

 向こうを向いたままの直子の髪をなでながら、千代が答えます。

 「ん…任しとき…」

 …

 …泣けました。 この場面。

 …





 土曜日放送分。

 翌朝、3人のフェノメノンと一緒に直子が写っている写真を見せながら、直子は自分より才能のある人間と出会って、ちょっと焦った、と千代に告白しています。

 「楽しみやなぁ…みんな立派な洋裁師になるんやろなぁ…」

 「うん…なるやろな」。

 千代が岸和田に帰ってきます。 与えていた5000円を、全部使てしまった、と事もなげにしゃべる千代に、糸子も優子も、呆れてしまいます。
 来る学生来る学生に、ええもん食べさしてたら、いつの間にかなくなってしもた、とノンキにしゃべる千代。
 糸子も渋い顔してましたけど、現在の感覚から言うと、5万くらい使っちゃった、という感じでしょうかね。 10万だとシャレになんない気がする(笑)。 ビンボー人の自分からすれば、羨ましい話ではありますが(ハハ…)。

 この日のキーパーソンは、優子に初めて任された、妊婦の顧客です。

 優子は初めて自分が受け持った顧客に対して、全力を尽くそうと努力し続けます。
 しかし糸子は、「考えすぎたらアカン」、と優子の一生懸命をクールダウンしようとしてばかり。
 客の状態を見ながら、それを納品するときにいちばんええ状態で渡せばそれでええんや、というスタンスです。
 優子は、何度も着てもらわなきゃイヤや、と願うのですが、そんなことはお客が決めることや、と糸子は取り合わない。

 糸子は何かとその客に対して時間をかけ過ぎる優子を注意したりするのですが、ある日、その忠告も功を奏さず、長時間にわたる採寸の果てにその妊婦が倒れてしまいます。
 忙しいオハラ洋装店の様子を映しながら、時計の針が無情に過ぎ去っていく場面を、ドラマでは描写していましたが、見ているほうはじりじりする。
 まあ少なく見積もって、45分、優子は採寸してたでしょうかね。

 結局その顧客が優しかったことから、クレームという事態は免れたのですが、ここで強調されていたのは、日々の経験が、人を成長させる、ということでしょうか。
 それは昌子と松田から、優子に教示されます。

 「まあまあ。 そらそない一足飛びに一人前にはならへんて」 と昌子。

 「みんなぁ、失敗しながら、ちょこっとずつ上がっていくもんやよって」 と松田。

 「縫い子かてな。 最初からなぁんでもうまいこと行く子ぉほど、伸びへんねん。

 はじめのうちは、失敗しといたらええんやて」

 優子はかように、毎日がまさに、勉強の連続となっていったことでしょう。 「イラッシャイマセ」 という他人行儀な挨拶も改まっていましたし。 現場で学習することは、何より身につくものです。

 ところが。

 そんなときに直子からかかってきた、一本の電話。

 直子が、どうもごっつい賞を、獲ったらしいのです。

 色を失う優子。

 日々、ちょっとずつ育っていくカメの優子に、まさに昌子の言う 「一足飛びで」 有名デザイナーの道を歩んでいくウサギの直子。 この対比が鮮やかです。

 日々が失敗の連続、という段階では、なかなか自信、というものはついてまいりません。
 その経験を踏まえて行動することができるようになったとき、初めて一人前の仕事人、と呼べるようになる、と思うのです。
 ところが直子の場合、「評価」 というものが先に立ってしまった。
 私は常々考えるのですが、「他人の評価」 ほど当てにならないものはない。
 結局は大勢の人の賛同がついてきて初めて、評価というものは定まるんだ、と感じるんですよ。
 なんちゃら審査員やら、エライのかもしれへんけど、偉い人のお墨付きだけで世の中渡っていけるほど甘くはない、と思うのです。
 そら、偉い人が言うんのなら、という安易な衆愚があることも確かです。
 でも、結局は、大勢の人の評価、でしょう。
 なんちゃら賞、というものには、その賞を取った人の自信を空洞化させる、ワナが潜んでいる。

 直子にとって、優子にとって、この受賞はどのような効果を発揮していくのか。
 どこまでこのドラマのクオリティは、継続し続けるのでしょう。
 半日以上レビューにかまけていると、さすがに…(グチは言うまい…笑)。




 …どうも土曜日放送分になると、脱力してくるなあ…。

 毎回おしまいにいくごとにテキトーになっていくレビュー、平にご容赦ください…。

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2012年2月 5日 (日)

NHKアーカイブス 「生涯青春 "カーネーション"小篠綾子の人生」

 NHKに残っている秘蔵映像を数本、編集した形でゲストのコシノヒロコサン(ドラマでは優子、ですね)と司会の桜井洋子サンが見ていく番組をやっていました。
 このブログでは毎週末に七転八倒しながらチョー長いレビューを書いている 「カーネーション」 のモデルとなった、小篠綾子サンのアーカイブスです。

 小篠綾子サンはやはりコシノ三姉妹の母親として、生前からさまざまなテレビにお出になっていたみたいで、この番組自体もかなり立体的に小篠綾子サンの人となりを浮き彫りにできていた感じがします。

 そのうえでドラマとの相違点、というのも散見できたのですが、まずミシンとの出会い、というのが桝谷パッチ店のそれではなく、神戸の母方の実家の工場ですでにミシンのあいだで遊んでいた、という土台があったことも分かりました。
 今現在ドラマでは激動期に入っている娘たちとの関係も、ドラマ以上に娘たちのことは一顧だにしなかった感じですね。 食事すらまともに一緒に取っていなかった、みたいな。 ドラマ以上に放任主義。

 娘たちと一緒にテレビ出演している番組も放送されたのですが、娘たちのファッションは80年代末期のバブル期のそれで、今見てもあの時代のファッションはちょっとずれてる、という感覚がする(笑)。 70年代のヒッピー風ファッションとか、結構リバイバルしたりするんですけどね。 80年代の肩パッドとかボディコンとか、トンボメガネとか太眉テクノカットとか、リバイバルしてるのを見たことがない。 時代が浮かれていたからファッションもイカレていたんでしょうな。

 その、母娘そろっての番組でも、実はとなりのジュンコサン(ドラマでは直子ですよね)から、「要らんこといいな」 と下のほうでつねられていたとか、ジュンコサンが明かしてましたけど、確かにその過去の番組を見ていても、ジュンコサンのヒロコサンに対する対抗心、とでもいうのかな、そんなものをふつふつと感じたりしました。

 それにしても小篠綾子サン。

 74歳で熟年世代向けの新しい個人ブランドを立ち上げるとか、あらたなコミュニティサークルを次々と立ち上げるとか、92歳で亡くなるまで、パワフルそのもの、という人生。

 この、最後までパワフルな人生をドラマにしようとすれば、少なくとも絶対に、74歳で個人ブランドを立ち上げる部分まではドラマで描かなければならない、と強く感じましたね。

 ということは、夏木マリサンへの交代劇は、もうなんというか、必然といっていいほどの説得力が生じたわけであり。

 自分の人生をだんじり人生、と形容したその姿勢は、ドラマの中に脈々と流れています。
 やはりこの人の人生と、いな、岸和田の人々の人生とだんじりは、もう切っても切り離せないものだ、といってもいい。
 晩年にコシノ洋装店の大々的な改装をしたのも、だんじりの通るのをあくまで見やすくしようという意図のもとで行なわれたらしい。
 それが、小篠綾子サンが亡くなったあと、そのスペースを使おうとしたら、ばっちりハマっていた、というジュンコサンの話も印象的でした。
 改装は結局、自分の葬儀もプロデュースするためのものだった。

 お別れの会には1000人、だったかな?を超す人々が集まった、という小篠綾子サンの大きさ。

 今の日本、このくらいスケールの大きな人って、なかなかいないんじゃないか、という気が強くしました。

 なんか、人間のスケール、幅がせせこましいんですよね、我々のような中年世代でも、熟年世代でも。

 ドラマはあくまで小篠綾子サンの人生をベースにしながらも、別のパフォーマンスを発揮しているように思えてまいったのですが、小篠サン自身の人生もすごい、ドラマもすごい、という相乗効果をもたらした、このたびのNHKアーカイブスだった気がいたします。

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